院長ブログ

ビタミンD3と冬眠

2019.4.17

植物は日光により光合成を行い、エネルギーを産生する。
動物はそうした植物を食べて、エネルギーを得る。いわば、間接的に太陽の恵みを食べている、という格好だ。
では動物にとって、日光には直接的な意味がないのか、といえば、全然そんなことはない。
人間を含め哺乳類も鳥類も爬虫類も両生類も、皆、直接的に太陽の恩恵にあずかっている。
その機序の一つは、ビタミンD3を介したものだ。

ビタミンD3は別名「日光ビタミン」とも言われるように、日の光に当たった皮膚で(ケモノでは体毛でも)生成される。
もう少し詳しくいうと、日光曝露によりコレステロールが7-デヒドロコレステロールに転換され、これが肝臓と腎臓で代謝を受けて、活性型のビタミンD3になる。
だから肝臓や腎臓の調子が悪いと活性型ビタミンD3の産生が障害される可能性があるんだけど、今はそういう難しいことはいい。
とりあえず、「お日さんを浴びた肌でビタミンD3が作られる」と理解しておこう。

生化学的には、D3はビタミンというよりはむしろホルモンだ。
コレステロールを材料にして生成されるプロセスが他のホルモン(エストロゲン、プロゲステロン、テストステロン、コルチゾールなど)と共通しているし、分子式もよく似ている。
細胞の核にある核内受容体に作用して遺伝子発現に影響するところもホルモンと同じ。
そのあたりを踏まえれば、D3は「日光ホルモン」と呼んだほうが適切かもしれない。

病気との関連で言えば、血中D3濃度の低下と相関が見られる病気は多い。
多すぎて、ほとんどすべての病気ではないかと思えるほどだ。
あえて列挙すると、、、
代謝疾患(高血圧、肥満、糖尿病、高脂血症、痛風、メタボリック症候群、頭痛、めまい、低血糖症、性腺機能低下症)
精神疾患(うつ病、統合失調症、双極性障害、強迫性障害、自閉症、学習障害、過食症、アルコール依存症)
消化器疾患(胃炎、胃潰瘍、過敏性腸症候群、クローン病、潰瘍性大腸炎)
呼吸器疾患(風邪、ぜんそく、結核、COPD)
筋骨格疾患(関節炎、ガングリオン、子供の成長痛、骨痛、足底筋膜炎、くる病、骨軟化症、骨棘、骨粗鬆症)
循環器疾患(心不全、心肥大、脳卒中、静脈瘤)
腎・泌尿器疾患(腎臓病、尿失禁)
皮膚疾患(水虫、爪水虫、ニキビ、フケ、乾癬、アトピー性皮膚炎、光線性角化症、日焼け、皮下嚢胞、古傷)
眼疾患(黄斑変性、近視・遠視、緑内障)
免疫系疾患(アレルギー、リウマチ、SLE、強皮症、1型糖尿病)
神経疾患(パーキンソン病、ALS、多発性硬化症、認知症)
産婦人科系疾患(月経前症候群、早産・死産、子癇、妊娠糖尿病)
その他、虫歯、各種の癌(特に前立腺癌、乳癌、直腸癌、白血病、膵臓癌など)、各種の感染症

ビタミンD3の欠乏と上記の病気がどのように関連しているのか。
この関連性を説明する仮説がある。以下に紹介しよう。

生命が発生してン十億年。生物は太陽の恩恵を巧みに利用する形で進化してきた。
だから、日光が生存に悪影響を及ぼすことは、本来あまりないはずなんだ(皮膚癌のリスクは煽られすぎだと思う)。
むしろ生物にとっての課題は、日光の乏しさに対していかに対処していくか、ということだった。
夏はいい。あふれる太陽と萌える緑。豊富な木の実や果実。
生い茂る植物を草食動物が食べ、その草食動物を肉食動物が食べる。
長時間にわたり惜しみなく注ぐ日光と豊富な食材が、生存を保証してくれている。
しかし冬になると、どうなるか。
短い日照時間と厳しい寒さで、植物は育たない。捕食行動をしようにも、そもそも食糧が存在しない。
困った。食えなくては、死んでしまう。どうすればいいだろうか。
そこで彼らは、冬眠という方法を編み出した。
厳しい冬の間は、下手に動くのは得策ではない。また温かい春が来るまで、いっそ眠り通してやろう。
クマ、リス、ハリネズミ、ハムスター、コウモリ、蛇、とかげ、亀、カエル、ワニ、フナ、メダカ、かぶとむし、てんとう虫など、多くの生物がこの戦略を採用した。
そして見事、厳しい冬を乗り切ることに成功した。

ところで、人間はどうだろうか。
温暖な赤道近辺に安住することをよしとせず、高緯度地域へ北上あるいは南下していった人間は、冬の寒さをどのように乗り切ったのだろうか。
ホモ・サピエンス(頭のいい人)を自称する人間である。動物の毛皮を着て、家を作り、火を使うなど、万物の霊長として、知恵を使って冬をしのいできた。
しかし人間も動物である。冬眠という越冬手段は、人間もあえてその気になれば、できなくもなかった。
たとえばこんな報告がある。
https://uk.reuters.com/article/uk-sweden-snow/swedish-man-survives-for-months-in-snowed-in-car-idUKTRE81H0JX20120218
(冬の二か月間、飲まず食わずのまま低体温(約31度)状態で過ごした男性)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6197339.stm
(23日間飲まず食わずのまま低体温(約22度)状態で過ごした男性)
人間も他の動物と違わず、ある種の条件下では冬眠状態になることで急場をしのぐ。そういう本能がいまだに残っているようなんだ。
活動状態と冬眠状態、その切り替えを促すものは何だろう。
そのスイッチの一つこそ、日光ホルモン、ビタミンD3ではないか、という説がある。

夏、豊富な日光のもとでは、血中のD3濃度は高い。
D3は体にメッセージを送っている。
「食べ物はそこらへんにいくらでもあるよ」「夜は短く、昼は長い。日中は活動的に行きましょう」
だから、代謝が活発になる。エネルギーの消費モードだ。飢えを恐れる必要がないから、食欲はそんなにない。
一方、冬になるにつれて、日照時間が減少する。同時に、皮膚で合成されるビタミンD3が減少する。
これが、冬の到来を知らせるある種のシグナルになる。
「もうすぐ飢えと寒さの季節が来るよ」「エネルギーの無駄遣いは厳禁だ」「しっかり食べて、脂肪を蓄えておけ」
代謝を極力落とし、体を休眠へ誘う。エネルギーの節約モードだ。
食欲が亢進して、同時に活動量も低下することで、能率よく脂肪がたまる。

この「冬眠仮説」によって、上記に挙げたD3低下との関連が指摘されている疾患のほとんどがクリアに説明できる。
たとえば、うつ病というのは冬眠そのものだ。
D3低下は「活動量を下げろ。ムダにエネルギーを使うな」という警告なんだから、無気力で何をする気も起きず、ずっとウトウト布団で過ごしているというのは、実に合目的的な行動だと言える。

高脂血症は皮下脂肪のみならず、血中の脂質をも高めておこうとする反応だし、糖尿病も血中にグルコースとしてエネルギーを蓄えておこうとする反応だ。
また、血中のグルコースが高いこと、および血圧が高いことは、寒さから身を守るための適応でもある。
「水溶液の濃度が濃いほど、圧力が高いほど、凝固点が低下する」というのは理科の授業で習っただろう。
冬眠中に血液が凍っては一大事だから、高血糖、高血圧は、厳しい冬をしのぐための理にかなっている(そういえば、車のラジエーターの不凍液はエチレングリコールで、なめると甘いらしい)。

関節炎は冬に増悪することが多い。
D3低下による炎症(および痛み)の悪化は、「狩猟のために遠出なんてしてる場合じゃないぞ、家でじっとしておけ」というメッセージだ。
不必要に過剰な行動への牽制になり、エネルギーの消耗を防ぐことができる。

風邪が夏より冬に多いのはなぜか。
一般的な答えとしては、「空気が乾燥しているから」ということになっている。
そういう側面もあるかもしれないが、D3濃度の低下の影響は無視できないはずだ。
免疫賦活作用のあるD3が低下しているわけだから風邪をひきやすくなるのは当然だし、また、疲労感などの身体症状のため、活動量が低下する。
やはり、「家で寝とけ」ということだ。

ここまで説明すれば、D3のサプリメントがなぜ過食症やアルコール依存症(広義の『糖質欲求亢進症』)を改善する一助になるのか、もうお分かりだろう。
過食症の患者で、タンパク質(肉や魚)をドカ食いする人を見たことがない。例外なく、炭水化物(特に糖質)をむさぼり食っている。
D3不足が「冬が来るぞ。しっかり栄養を蓄えろ」というメッセージを送っているのだから、その声に従って、能率よく体重を増やせるものを食べているのだ。

僕がD3を勧めたある患者が、言っていた。
「先生、ビタミンD、すごい効いてます。食欲が落ちました。でもまったく食べれない、っていうわけじゃないです。ただ、自然と、『もういいかな』って感じになります。
あと、びっくりしたのが、私、昔左膝を痛めたことがあって、それ以来、走ることができなくなってたんだけど、その痛みがビタミンDを飲みだして数日で、不思議と消えました。
ビタミンDを始める以外他に何もしてないから、きっとこの効果だと思うんです」
その通り。D3には古傷を修復する作用もある。
これも「冬眠仮説」で説明がつく。
D3低下状態において、体は周囲を「冬」だと認識して、エネルギー節約モードになっている。そういう状態でケガをするとどうなるか。
組織の損傷に対して、完全に治癒させようとはしない。とりあえず、生存していくのに差し支えのない程度の突貫工事で、状況をやりくりしようとする。
食糧事情の切迫した冬なんだから、不測の事態に備えてエネルギーをケチらないといけない。根本からの修復は、またあたたかい季節が来てからで(血中D3濃度が上がってからで)いいだろう。
体はそういうふうに考えている。
しかし実際にあたたかい季節が来ても、現代日本に生きる若年女性はほとんど全員が「太陽はお肌の大敵」だと思っていて、日光に極力当たるまいとする。結果、血中D3濃度は「冬」のまま。それで古傷が延々治らない。
ところがD3を摂り始めたことで、ようやくこの患者に「春」が来た。
体もようやく重い腰を上げ、古傷の治療を開始し始めた、というわけだ。

傷がきれいに治らず、色素沈着してあとが残る、という人はいませんか?
そういう人の体は、乏しいD3濃度のせいで「冬」の節約モードにあるのかもしれない。
最近の医学は紫外線によるシミ、しわ、皮膚癌の危険性を言い過ぎる。
この説を真に受けて、太陽を悪魔のごとく忌避し、日焼け止めを塗りまくっている女性は多い。そのせいで血中D3濃度が低下して、女性たちは様々な病気にかかりやすくなっている。
皮膚科医の罪はとてつもなく大きいと思う。

D3をサプリとして摂るなら、どれくらい摂ればいいのか。
一般に言われる推奨量、600 IU程度でいいのか。もっと摂るべきか。
脂溶性ビタミンで摂り過ぎはよくないというが、大丈夫か。

長い文章になってしまった。
また後日に稿を改めます。

参考”The Miraculous Results of Vitamin D3″(Jeff Bowles著)

ビタミンD

2019.4.7

温かくなって、いい季節になってきた。
温かいことで、医学的にどんなメリットがあるか?
温かいから、薄着で外を歩くことができる。薄着だから皮膚の露出部分が多い分、日光によく当たる。日光が当たると、皮膚でビタミンDが生合成される。
ビタミンDはほとんど「万病に効く薬」と言ってしまいたいほど、心身にプラスの効果がある。

精神的には、抗うつ作用がある。冬季うつなんかは、ビタミンD欠乏性うつと呼ぶべきで、ビタミンD補充がテキメンに効く。一般の精神科ではルーチンで抗うつ薬が処方されているけど、ベターチョイスがなおざりにされているのは(というか医者がビタミンDにまったく目を向けていないのは)、悲しいことだね。
さらに、血中ビタミンD濃度の高い人ではアルツハイマー病になりにくい、というのが疫学の示すところだ。

骨の病気(骨粗鬆症、くる病、骨軟化症)にも効くから、若い女子諸君は紫外線を恐れるあまりに日光を過剰に避けるのはよくないよ。
シミはあるけど骨がタフで頭もしっかりしているおばあちゃんと、美肌だけど骨折で寝たきりで認知症のおばあちゃん、どっちになりたいですか。「綺麗になれたそれだけで命さえもいらないわ」ってテレサ・テンが歌ってるけど、常識的には、まず、キレイさよりも健康でしょう笑。
若いときに運動部で頑張っていた人は、高齢になっても骨粗鬆症になりにくいことが分かっている。運動による機械的刺激で骨がタフになったということもあるし、成長期の大事な時期にしっかり日光を受けることで、ビタミンDの生合成が促進され、骨が強くなっている。その貯金(貯骨)のおかげで、高齢になっても骨粗鬆症になりにくいわけだ。
ビタミンDが不足すると、副甲状腺機能が活性化し骨の脱灰が促進され、骨粗鬆症が進展する、という機序もある。

「サーファーに花粉症なし」という格言がある。
「夏にサーフィンするんだけど、その時期だけは花粉症が治る。食べ物とか特に気を使ってるわけじゃない。いつも通り、コンビニ弁当とかジャンクフードばっかり。でもなぜか、この時期だけは調子がいい」こういうサーファーがたくさんいる。
このメカニズムは?
海辺の強い日差しを浴びて、血中のビタミンD濃度が高まる。さらに、海水に含まれているミネラル(特にマグネシウム)が経皮吸収される。
ビタミンD、マグネシウム、いずれにも抗アレルギー作用がある。
マグネシウムが欠乏すると、IgE、炎症性サイトカイン、ヒスタミンが増加することが分かっている。いずれもアレルギーに関係するマーカーだ。
(『皮膚アレルギーにおけるマグネシウム』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17928798)
日照量と自己免疫疾患(1型糖尿病、多発性硬化症、関節リウマチ、SLEなど)の関係性についてのエビデンスは膨大で、ここにも当然ビタミンDが関与している。でも膠原病内科の医者で、患者にリウマトレックスじゃなくてビタミンDを投与している人を僕は見たことがない。これも悲しい現実だね。

1型糖尿病は免疫疾患だけど、2型糖尿病はどちらかというと生活習慣病だ。でも、2型糖尿病にもビタミンDが効く可能性が示唆されている。つまり、疫学では、血中ビタミンD濃度と2型糖尿病発症率の間に逆相関が見られた。

ビタミンDには抗癌作用がある。日光曝露量が少ないこと、血中ビタミンD濃度が低いことが、大腸癌と乳癌のリスク因子であることが分かっているし、逆に、ビタミンDのサプリを予防的に服用することで癌の発症率が低下する可能性がある。

腸内細菌の研究から、「腸脳相関」ということが言われ始めて、最近ではさらに、「腸脳皮膚相関」を唱える先生もいる。確かに、発生的には脳と皮膚はいずれも外胚葉由来。いわば共通のご先祖を持つ器官で、無関係ではない。
うつ病やアルツハイマー病というのは脳神経系の疾患で、それにビタミンDが効くということは、皮膚疾患にも効果があるのではないか、というのは理にかなった推測で、その通り。実際、アトピー性皮膚炎への有効性が示唆されている。
(『ビタミンD濃度とアトピー性皮膚炎に対するビタミンDサプリの効果』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/30284328)
腸内に無数の細菌がいるように、皮膚にも無数の常在菌がいる。腸が荒れると皮膚が荒れるように、腸と皮膚の相関は確かにあるだろう。皮膚の免疫異常のアトピー性皮膚炎にビタミンDが有効だということは、腸の免疫異常(クローン病など)にビタミンDが有効だということも、やはり筋が通っている。
(『ビタミンDと炎症性腸疾患』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21419280)

「ほう、ビタミンDというのはそんなにいいのか。じゃ、ひとつ、自分も飲み始めようか」と思う人は、とりあえず5000 IUあたりから始めるといい。
何らかの不調があってその治療目的で飲む人は、症状次第だけど、25000 IUとかそれ以上の高用量を飲むのもありだけど、同時にマグネシウムとビタミンK2の服用を忘れないこと。
以下に関連論文を訳しておこう。
『ビタミンD欠乏時のマグネシウム補充』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/28471760
要約
背景:ビタミンDとマグネシウムは医学で最も研究の進んでいるテーマのひとつであり、人間の健康および疾病に強く関わっている。多くの成人はビタミンD、マグネシウムともに欠乏しているが、医療従事者はそのことを認識していない。
課題:マグネシウムとビタミンDは体内のすべての臓器で利用されているため、不足するといくつかの慢性疾患を発症する可能性がある。栄養と病気の関連についての研究には互いに矛盾したものもあり、仮に栄養を充分に補充しても病状が回復しない可能性もある。サプリの使用は、現時点では、治療というよりもあくまで予防にすぎないと思われる。
データソース:ビタミンDとマグネシウムと各種疾患との関係性についての文献をPubMedで検索した。
結果:中年患者におけるビタミンDとマグネシウムの補充療法は、 非脊椎骨折、全死亡率、アルツハイマー病発症率を減少させた。
結論:一般的に血中ビタミンD濃度の正常値とされている範囲の下限値は、病気の予防にはまったくもって不十分である。疫学調査によると、世界中の全成人の75%が血中25(OH)D濃度が30 ng/mL以下である。近年、ビタミンD不足を意識する人が増えているため、ビタミンDをサプリで補うことが一般的になってきているが、マグネシウム欠乏はいまだ放置されたままである。慢性的なマグネシウム欠乏をスクリーニングで見つけることが難しい。なぜなら、一般的に正常とされている血中濃度だとしても、実際には中程度から重度のマグネシウム欠乏である可能性を否定できないからだ。現在、ヒトにおける体内の全マグネシウム量を正確に評価する計測法は存在しない。マグネシウムはビタミンDの代謝に必須であり、ビタミンDを高用量で摂取すると重度のマグネシウム欠乏を引き起こすことがある。ビタミンD投与による治療を行う際には、充分量のマグネシウムをも併せて補うことが重要である。

2019.4.7

母が死んで、当然悲しかったわけだけど、なぜ悲しいかといって、母がどこにもいなくなってしまったからだ。
晩年は癌で、実家のリビングにずっといた。僕は県外で働いていたけど、「もし実家に帰れば、いつもの定位置にいるだろう」と想像することができたし、実際帰省すると、そこにいた。
しかし、いまや、母はそこにいない。そこどころか、世界中のどこにもいない。
僕にはこれが不思議だった。バカなことを言っていると思われるかもしれないけど、「人が死んだら、いなくなる」ということが、何だか妙に不思議だった。そして、息がつまるように悲しかった。
存在が、消滅する。
これが死ということか。
途方もなく重い気持ちになって、でも泣いたってどうにもならない。ただひたすら、悲しい。
でもしばらくして、僕は悲しさから解放された。母が、いなくなると同時に、あらゆるところにいるように思ったからだ。町ですれ違う誰とも知らない女のなかに、目の前にいる女性患者のなかに、抱く女のなかに、母の面影を感じるようになった。
もちろん言葉には出さない。ただ黙って、感じている。
大きな一枚鏡が割れて、その小さな破片が世界中のあちこちに散らばったようだ。
鏡の破片に女性性のきらめきが一瞬映り込んで、そこに僕は、母の姿を見出す。
どこにもいなくなるということは、あらゆるところに存在するということだ。
死という虚無が、普遍に通じているということを、母の死を経て強く感じるようになった。ゼロと無限大がほとんど隣り合わせだということは、ちょっとした発見だった。

当直の仕事をしていて、死亡確認をするときがある。
心停止、呼吸停止、瞳孔反射の消失。
死の三兆を確認した。時計を見る。
「午後11時47分、死亡を確認しました」とご家族に伝える。
はたからは堂々と振舞っているように見えるだろうけど、こっちはけっこう緊張している。
慣れない。慣れてはいけない、とも思う。
まだ亡くなって間もないときだと、聴診器を当てているときに体温を感じることがある。心臓も呼吸も確かに止まっているけど、まだぬくもりがある人を、「死亡」と宣言するのはなかなか勇気がいることだ。
こういうとき、やっぱり理論が役に立つ。「僕が判断するんじゃない。理論が判断しているんだ。心臓と呼吸が止まり、瞳孔反射がない状態が死の定義であって、体温の有無は生死の基準と無関係だ」と自分に言い聞かせる。
個人的には、死の兆候が最も早く、最も特徴的に現れるのは、目ではないかと思う。
死ぬと、全身の循環が止まる。目も例外ではなくて、生きている人では常に涙液が産生されていて、目の乾燥を防いでいる。だから、死亡確認のために目を開けるとき、亡くなっている人の目は、乾燥でニチャッとする。涙液の産生が止まっているから、すでに目にうるおいがないのだ。
瞳孔反射の消失、対光反射の消失、角膜表面の乾燥など、目が与えてくれる情報は多い。「死人に口なし」かもしれないが、「死者の目は口ほどにものを言う」というのも真理だと思う。
あと、さりげなく鼻を触ると、すでに冷たいことも判断の一助になる。末梢だから冷たくなるのが早いからだ。

90代の女性の死亡を確認し、ご家族に死を告げた。
60代くらいの息子さんが、「あはー!」と大きな声をあげた。僕は最初、それを笑い声だと思った。それぐらい突拍子もない声だった。しかし声をあげると同時に、母の亡骸に抱きついて、ものすごい勢いで泣き始めた。
僕はその様子をそばでじっと見ていた。見ているうちに、僕も泣きそうになった。
母が死んだときのことを思い出した。僕もこの人と同じように、母の遺体に抱きついて泣いたから。
男はみんな知っていることだけど、女性諸君は知っていますか。30代だろうが60代だろうが、男はいくつになってもマザコンみたいなもので、大事な母ちゃんが亡くなったら、こんなふうに泣くんだよ。

ビタミンCと食欲

2019.4.6

「いやぁ、先生、この前50gのビタミンC点滴を受けたんだけどね。受けた直後は、特に何もなかった。
でもその日の夕食のとき、普段はけっこう少食なほうなんだけど、食欲がすごくてね。いつもより多く食べれた。
あれはきっとビタミンCの効果だと思うんだけど、そういうこと、ある?」

壊血病(ビタミンC不足の成れの果て)になると、食欲不振になることは昔から知られていた。拒食症とビタミンC不足の関係も指摘されている。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27502755

ビタミンCが食欲に作用する、というのはあり得ることだ。
ひとつの機序として、まずビタミンCは免疫系に作用する。
具体的には、血中ビタミンC濃度の上昇に伴って、白血球の遊走能、貪食能が高まる。
file:///C:/Users/user/Downloads/nutrients-09-01211-v2.pdf
いわば、体の中の掃除屋が活性化する格好だ。
不健康な細胞にアポトーシスを起こして体の中からご退場頂くなど、いわゆるデトックが促される。
こうして異化(組織を壊すこと)が亢進すると、同時に同化(組織を作ること)も亢進する。
スクラップ・アンド・ビルド(破壊と再生)は、町の工事現場で起こっているだけではなく、僕らの体の中でも起こっているのだ。
新たにビルドするには、新たな材料が必要になる。こうして食欲が亢進するわけだ。

「ということは、ビタミンCをとれば食欲が亢進して太ってしまう、ということか」と思われるかもしれない。
しかし矛盾するようだけど、以下のような論文がある。
『非喫煙者の成人において、血中ビタミンC濃度は体格指数(BMI)とウェストサイズと逆相関の関係にあるが、血中アディポネクチン濃度とは相関がない』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17585027
タイトルが内容を簡潔に示している。要するに、血中ビタミンC濃度が高いほど、スリムな体型をしているということだ。
アディポネクチンというのは脂肪から分泌される生理活性物質。インスリン感受性に関わっていて抗糖尿病作用があるが、奇妙な振る舞いをする。つまりアディポネクチンは、血中グルコース濃度の低いとき(空腹時)には食欲を抑制し、高いとき(満腹時)には食欲を亢進させる。同じ物質が、状況次第で真逆の働きをするわけだ。さらに奇妙なことに、アディポネクチンは脂肪から分泌されるのにもかかわらず、肥満の人では分泌量が少ない。
http://www.jichi.ac.jp/openlab/newsletter/h56_spletter.pdf
体感としてちょっとわかるのは、空腹感もある程度時間が経つと慣れてくるし、逆に、飲み会なんかで延々ダラダラと食べ続けることもできたりする。
臨床的には、拒食症患者の6、7割は過食症も併発する。
こういう背景には、アディポネクチンの両義的な性質が関与しているのかもしれない。

もうひとつのメカニズムとして、糖代謝が関与している可能性がある。
https://academic.oup.com/ajcn/article-abstract/60/5/735/4732022?redirectedFrom=PDF
『血糖値の正常な成人にビタミンCを大量投与すると、グルコース負荷に対するインスリン分泌が遅延する』という論文。
要約
アスコルビン酸の大量投与が経口グルコース負荷試験(OGTT)後のグルコース代謝およびインスリン分泌にどのような影響を与えるかは知られていない。
プラセボ対照二重盲検によって、血糖値の正常な健康な被験者(22±1歳)に、最初の2週間をウォッシュアウト期間として全員にプラセボを服用させ、その後の2週間、アスコルビン酸(1日あたり2g)あるいはプラセボを服用させた。そして一晩絶食させた後、OGTTを行った。
この4週間の研究を、クロスオーバー方式(実薬群とプラセボ群で、投与薬を入れ替えること)で再び繰り返した。
結果、食後1時間後の血糖値は、ビタミンC服用群がプラセボ群に比べて有意に上昇していた。
血中インスリン分泌曲線は、ビタミンC服用群ではベースラインよりも右方移動していた。血中インスリン濃度は、食後30分では有意に減少していたが、食後2時間では有意に増加していた。血糖値の正常な成人において、血中アスコルビン酸濃度が高いと、グルコース負荷に対するインスリン分泌が遅くなり、そのことで食後の高血糖が延長する、というのがこのデータの意味するところである。
なぜこのような影響が見られるのか。グルコースが膵臓のβ細胞に輸送される際に、血中を循環するアスコルビン酸濃度が高いと、グルコース輸送の競合的抑制が起こることが機序の一端であると考えられる。

ビタミンCとグルコースの分子式を見比べると、とてもよく似ている。


細胞が内部にグルコースを取り込むところ、血中に大量のビタミンC(グルコースと似て非なるもの)があると、グルコース代謝やインスリン分泌に影響が出るということだ。
食欲には他にもグレリン(食欲亢進ホルモン)やレプチン(食欲抑制ホルモン)が関わっていて、現状、研究はまだまだ発展途上で、食欲の全貌解明には時間がかかるだろう。

抗肥満薬とビタミンC

2019.4.5

毎日筋トレをしているけど、ステロイドを使おうなんて全然思わない。
でも筋トレをしているアメリカ人で、ナチュラルにこだわる人はむしろ少数派だ。
彼ら、簡単にストロイドに手を出す。「そのほうが能率がいいじゃないか」と。確かにそれはそうなんだけどね。
アメリカ人って、すごく頭のいい知的エリートもいれば、即物的でテキトーな人もいて、両極端な印象だ。移民とその子孫の国だから、本当、あの国は十人十色だな。
「テキトー派」は、簡単に薬を使う。気分が低ければ抗うつ薬や抗不安薬を使うし、眠れなければ睡眠薬を使う。こういう人たちが製薬会社の売り上げを支える上得意になっている。
知的に低いせいか、あるいは単純に副作用に無知なのか。
あるいは、国民性によるものか。善かれ悪しかれ、プラグマティズムが思考の根っこにあって、そのせいで薬に抵抗感がないのかもしれない。

たとえば、肥満を薬で治そう、っていう発想がすごい。
これは日本からはなかなか出ないアイデアだろう。生活習慣(食事、運動)を改善すれば治るし、それしかないって思ってるから。
日本で使える抗肥満薬としては、マジンドールとセチリスタットがある。
いつも思うんだけど、マジンドールってすごい名前だな^^;
ノバルティスの作った薬だけど、副作用(依存性、肺高血圧など)のために本家の欧米では販売中止になっていて、先進国で堂々と承認されてるのは日本くらい。
セチリスタットは日本で販売されてるけど保険収載されていない。買うなら自費、ということだ。オルリスタットという同じような薬があって、欧米ではこれが販売されている。
抗肥満薬の開発は1970年代に始まって、いろんな薬が現れては副作用のために消えていった。
たとえば、かつてフェンフルラミンという薬があった。食欲を見事に抑えてくれるということで、アメリカで一大ブームとなった。1973年に承認されてから20年以上にわたって、何百万人ものアメリカ人がこの薬を使った。しかし、肺高血圧や心臓弁の異常を引き起こすことが分かり、1997年に販売中止になった。
「危険な薬が市場から撤廃された。よかったよかった」で話は終わらない。
2002年にはフェンフルラミンを含むダイエット用健康食品で死亡事故が起こった。
フェンフルラミンと甲状腺ホルモンが入っていたという。フェンフルラミンで食欲を抑え甲状腺ホルモンで代謝をアップさせるという合わせ技を狙った商品で、確かにやせ薬としては効きそうだ。でも、やせるよりも先に死んじゃったら悲しいよね^^;
フェンフルラミンは、正規の販売ルートが閉ざされた今でも、「健康リスクをとってでも、何としてもやせたい」という人から根強い需要があって、ネット上でこっそりやりとりされていたりする。

『食欲低下薬とビタミンC:モルモットの食欲と脳中アスコルビン酸の役割』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/7319724
要約
モルモットに食欲低下薬(フェンフルラミン、マジンドール、ジエチルプロピオン)を毎日投与する。その際、ビタミンCのサプリと一緒に投与する場合としない場合で、食欲や脳中アスコルビン酸濃度にどのような影響が見られるかを調べた。24日間の実験で、その期間中モルモットに与えるエサはビタミンCを含まないものである。
モルモットは壊血病を発症し、食欲低下薬の投与で食事摂取量が減少した。ただし、フェンフルラミン投与群やマジンドール投与群ではジエチルプロピオン投与群ほどの大きな減少は見られなかった。ビタミンCサプリの同時投与によって、これらの薬の食欲低下作用が有意に抑制された。
壊血病をきたしたモルモットの脳中アスコルビン酸濃度は、フェンフルラミン投与によって有意に減少した。しかしマジンドールやジエチルプロピオンの投与は、そのような減少を起こさなかった。
ビタミンCを投与すれば脳中アスコルビン酸濃度が上昇するのが普通だが、3種類いずれの食欲低下薬の投与によっても、この上昇が阻害された。
ジエチルプロピオンおよびマジンドールによって引き起こされる拒食状態において、脳中のアスコルビン酸濃度が代謝の調整に関与していると考えられるが、フェンフルラミンの投与ではそうではないと思われる。

「肥満は万病のもとだから、抗肥満薬を飲んででも肥満を解消すべし」というのが、抗肥満薬を処方する大義名分なんだけど、上記の実験によると、抗肥満薬とビタミンCの相性は悪いようだ。ビタミンCを飲んでいると薬の食欲低下作用が減少したということだから、抗肥満薬を飲んでる意味がなくなってしまう。
この結論を素直に読めば、「だから抗肥満薬を飲む人は、薬の効きをよくするため、ビタミンCの摂取を極力控えましょう」ということになりかねない。でも直感的には、こんな結論、間違っている。
抗肥満薬の服用によって脳内のビタミンC濃度の上昇が抑制された、というのも恐ろしい。脳内のビタミンC濃度は、血中ビタミンC濃度の10倍高い。脳はそれだけ大量のビタミンCを必要とするということだ。
そして脳内にビタミンCを取り込むのは、グルコース・トランスポーターだということがわかっている。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9389750
ビタミンC、グルコース、食欲。
三者の間に相互作用があるに違いないのに、食欲低下だけをターゲットにしぼって投薬治療を行っては、そのバランスが崩れてしまう。このあたりが対症療法の限界ということだろう。