院長ブログ

将棋

2019.2.13

将棋好きが高じて、近所の将棋道場にちょくちょく行くようになった。
久しぶりに顔を合わせた50代半ばのおじさんと対局。アマチュアで3段の棋力だ。
局後の感想戦。
「いやぁ、先生もなかなかじっくりした将棋を指すようになったね。
終盤は難解だった。先生のこの、☗1八角。遠見の角。これにはしびれた。プロの一手だ」
負けると超不機嫌になることで有名な人なんだけど、勝ってご機嫌。おじさん、こういうときは、相手の手をほめる余裕がある^^;

道場で相手を前にして指す将棋は、ネット対局で指す将棋と全然違う。
ネット対局ばかりしていたときには、序盤で僕のほうから無理に仕掛けて、居玉のまま殴り合うような将棋が多かった。
序盤でいきなり飛車を切って角を成って、相手の虚をつくような奇襲。相手も級位者だったら、それで一応それなりの「将棋」になった。
でも、道場で生身の人間を目の前にすると、「こんな手を指して恥ずかしい」という意識が生じる。
カッコをつけて「上手はこういうふうに指すんでしょ」というような手を指す。深い理解の伴った指し手じゃないから、咎められると、対応に困ったりする。
以前のように、無防備に仕掛けていた頃のほうが、素人なりの迫力があって、かえって強かったところがある。
空手は、習い始めの頃が一番弱い、という。なまじっか慣れない『型』を使おうとして、自分のなじみのスタイルを失う。
テキトーに殴ったり蹴ったりの無手勝流のほうが意外に強い、というのはありそうなことだ。
僕の将棋もそれと同じで、道場に行きだしてから、僕は少し弱くなった。
急戦を仕掛けていたところで、玉の囲いに一手かけたりする。でも、向こうはもっと固める。
「定石を覚えて二目弱くなり」というのは囲碁の言葉だけど、将棋にも当てはまりそうだ。

「先生さ、あんまり薬使わないクリニックなんだって?それはいいことだと思うよ。
俺、40代の頃、血圧が高いって会社の検診で言われて、血圧を下げる薬を飲み始めたことがあるんだよ。
飲んでても特に体には副作用も何もなかったんだけどね、ただ、将棋がものすごく弱くなった。
手が読めないんだよ。
ざっと20手ぐらい先まで難なく読めてたところ、10手ぐらいしか読めなくなった。
頭の中に候補手の樹形図がある。そのひとつひとつの局面を、頭の中の将棋盤に描くんだけど、将棋盤がぼんやり曇って、読めなくなった。
そのことに気付いて『なんて恐ろしい薬だ』って思ってね、飲むのをすぐにやめたよ」
降圧薬は脳血流を低下させる。将棋で極限まで頭を使うおじさんには、薬の危険性が身を以てよくわかったということだ。
やめて正解だと思う。

ところで皆さん、奨励会ってご存知ですか。
奨励会とは、将棋のプロ棋士の養成機関のことだ。
プロ棋士は皆、この機関を経てプロになるんだけど、奨励会は入るのも超難関だし、そこで勝ち星を重ねてプロになるのはもっと難しい。
プロを目指す腕自慢の子供が全国から集まってきて、年に一回行われる奨励会試験を受ける。https://www.shogi.or.jp/news/2018/07/30_8.html
まず、一次試験で受験者同士で対局を6局行い、4勝すれば通過、3敗すると失格となる。次の二次試験では、現役の奨励会員を相手に3局指し、1勝でもできれば合格。
受験者は毎年だいたい30~40人、合格するのはおよそ3,4人と、入ることさえ非常に難しい。
入ってからも大変で、むしろ入会してから本当に熾烈な戦いが始まる。
奨励会ではまず6級から始まり、月に2回の対局を行い、規定の成績をおさめれば昇級していく。最初の難関は初段になることで、満21歳までに初段になれなければ退会となる。
何とか初段になったとして、次の難関は三段から四段への壁だ。
三段から四段になるには、「三段リーグ「という同じ三段同士でのリーグ戦を戦い、上位2人に入る必要がある。三段リーグの参加人数は約30人。半年かけて18回の対局を行う。
ここを勝ち抜ければ四段、すなわち、晴れてプロ棋士の仲間入りとなる。しかしここでも年齢制限があって、満26歳までに四段になれなければ、強制的に退会となる。
奨励会に入会した人がプロ棋士になる割合は、おおよそ1~2割。
プロ棋士になれるのは、毎年たったの4人。ちなみに東大の入学者数は、毎年3000人以上。プロ棋士になるのは、東大生になるよりはるかに難しい。

28歳男性。元奨励会員と話す機会があった。
「14歳で奨励会に入会しました。それなりに順調に昇級して、18歳で初段になり、22歳で三段になりました。
藤井聡太さんが14歳で中学生棋士になったことを思うと、それほど早いペースではありません。
22歳で三段リーグを戦うことになり、年2回のリーグ戦ですから、26歳の年齢制限までにプロになる機会が8回あったわけです。
しかし三段リーグの壁は厳しかった。残念ながら上位2人に入ることはできず、奨励会を去ることになりました。
でも将棋をやめたわけではありません。小学生に将棋を教える講師をしていますし、アマチュアの大会に参加しています」
昨年のアマチュア将棋名人戦でベスト16まで勝ち進んだ。ベスト16で敗れたものの、その対局の勝者がトーナメントを制し、アマチュア名人を獲得している。
その人は再編入試験でプロを目指すと公言している。再びプロを目指す気持ちはないですか。
「そこは何とも言えないです。ただ現時点では、プロになれるかなれないか、という気持ちでやっているわけではありません。
今は純粋に好きだから、将棋が楽しいから、やっているという感じです。
でもこういうことが言えるのも、将棋とある程度距離を置いた今だからこそ、かもしれません。
奨励会時代は、もう必死でした。
奨励会員というのは、勝利がすべてなんです。『負けたけど、いい将棋だったな』なんてのんきな気持ちではダメなんです。
その点、逆にプロ棋士のほうがむしろ穏やかだと思います。プロに求められるものは、勝利だけではありません。
プロは、ファンの存在を意識しないといけない。たとえばNHK杯はテレビ放送もされるから、途中で負けを悟っても、ファンのために最後まで指すということがあります。
それに、プロ棋士の棋譜はファンも見るし、後世に残ります。
何が何でも勝ちにこだわった将棋、相手のミスを誘発してでも勝ちに行く醜い棋譜よりは、きれいな棋譜を残したい。プロはそういう意識でやっています。
でも奨励会員は違う。とにかく勝つことが至上命題なんです。
その点、今はそれほど追いつめられた必死さはありません。もちろん勝ちたいと思って指していますが、純粋に将棋が楽しいんです。
年齢制限で瀬戸際に追い込まれた最後の三段リーグ。
私は、初戦から5連敗しました。5敗してしまったら、もうこの時点でプロになれる可能性はほぼ消えているんです。
でも自分の中で、何か吹っ切れたんですね。その後、急に勝てるようになって。5連敗後に行った13回の対局では、9勝4敗と好成績をおさめることができました。
そのうちの1敗は、藤井聡太さんに敗れたものです。
藤井さんが見事にプロになったその三段リーグで、私のプロになる夢が消え、年齢制限で退会することになりました。
さぞ無念だろう、悔しいだろう、っていろんな人が言ってくれるのですが、それほどでもありません。
自分の持てるものすべてを出し切った、やり切った、という思いがありますから。
小学生の頃からずっと毎日、将棋漬けの生活を送ってきました。将棋には本当に多くのことを教わりました。
将棋への恩返しがしたい。そういう思いで、今、子供に将棋指導をしています」

将棋人生のなかで、最高の対局、この一局、というのがありますか、と聞いたところ、彼、言葉につまった。
奨励会で自分の持てるものすべてを出し切った、とは言うものの、今も将棋の研究は続けている。
アマチュアの大会に出場し、好成績をおさめている。「ただのアマチュア」というには、あまりにも強すぎる。
実際、奨励会時代に、後にプロになった人からも多くの勝ち星をあげている(増田康宏、都成竜馬、佐々木大地、大橋貴洸、西田拓也、本田奎など)。
実力的には、プロになって何らおかしくなかった。「自分の最高の対局はこの一局だった」という、過去形で自分を語る心境ではない。
「最高の対局は、未だ指されていない次なる将棋」という意識で、今も熱い闘志を胸に秘めているのではないか。

「最高の将棋、かどうかわかりませんが、三段リーグの最後の在籍時、初戦から5連敗した後、かえって力みが取れて、純粋に将棋を楽しもうという気持ちになり、かえって勝てるようになりました。
これは、そういう心境で指した一局です。自分なりの持ち味が出せた将棋かなと思います」
先手:S・M 三段 後手:A・T 三段
1 2六歩 2 3四歩 3 2五歩 4 3三角 5 7六歩 6 4二銀 7 4八銀 8 3二金 9 4六歩 10 7二銀 11 3六歩 12 6四歩 13 3三角成 14 同 銀 15 7八銀 16 6三銀 17 3七桂 18 4二玉 19 6八玉 20 5二金 21 1六歩 22 7四歩 23 4七銀 24 8四歩 25 5六銀 26 7三桂 27 7七銀 28 5四銀 29 7八金 30 6五歩 31 4八金 32 6四角打 33 4七金 34 4四歩 35 7九玉 36 3一玉 37 1七香 38 6二飛 39 2六飛 40 4三銀 41 6八銀 42 5四歩 43 8八角打 44 4二金右 45 4五歩 46 8五歩 47 3五歩 48 8二飛 49 7七角 50 8一飛 51 9六歩 52 9四歩 53 4四歩 54 同銀左 55 3四歩 56 3五銀 57 2九飛 58 4四歩打 59 4五歩打 60 7五歩 61 同歩 62 3四銀 63 4四歩 64 7六歩打 65 8八角 66 5五歩 67 同銀 68 7五角 69 3六歩打 70 8六歩 71 同歩 72 8七歩打 73 同金 74 8六角 75 同金 76 同飛 77 6四角打 78 8七飛成 79 7八歩打 80 5八金打 81 2八飛 82 4六歩打 83 5六金 84 6九金 85 同玉 86 8八龍 87 3五歩 88 3六角打 89 5九玉 90 4七歩成 91 4六金打 92 8九龍 93 7九銀打 94 同龍 95 同銀 96 4八銀打 97 同飛 98 同と 99 同玉 100 1八飛打 101 3八飛打 102 同飛成 103 同玉 104 1八飛打 105 投了

LED

2019.2.12

理系の学問は新しい技術の開発や普及によって、非常にわかりやすい形で社会に影響を与える。
もちろん、文系学問が世の中にインパクトがない、というわけではないけどね。
それどころか、優れた哲学者の思想とか文学作品は、人々の精神を深めたり内面世界を変えるから、理系技術の革新がもたらす表面的な変化より、もっと本質的な影響を与える、とも言える。
それでも、理系学問が社会を変えるスピード感には、華々しい魅力があると思う。
たとえば、20年前の信号の色は、今よりも暗くて見にくかった。ウィンドウズ95が主流だった時代のPCと今の一般的なPCを比べると、今のほうが画面が圧倒的にきれいになっている。
この変化は、青色発光ダイオード(青色LED)の出現によるものだ。
光の三原色(赤、緑、青)の発光素子がすべてそろえば、テレビやPCの画面はフルカラーで表示することが可能になり、そうなれば飛躍的に色彩豊かなディスプレイが実現するだろう、と言われていた。
しかし、1980年代までに実用化されていたのは赤色の光源のみだった。世界中の研究者が開発競争にしのぎを削るなか、青色LEDの開発に成功したのは、日本の研究者だった。
低電力で駆動し、かつ長寿命に使えるこのLEDは、またたくまに世界を変えた。
あらゆる電化製品の電光表示がLEDに取って代わられた。僕らはテレビやPCをより美しい画面で楽しむことができるようになった。

しかし、革新的な新技術にしばしばあることだが、メリットとともにデメリットもあるものである。
発光ダイオードのデメリット、それは目への悪影響だ。
これはスマホを長時間使う人なら、何となく気付いていることだろう。「スマホの画面を長く見つめていると、やたら目が疲れるな」と。
ちゃんと研究もあって、以下のように論文にまとまっている。https://www.nature.com/articles/srep05223
要約を訳す。
『発光ダイオード由来の青色光によって引き起こされる視細胞へのダメージ』
我々の目はビデオディスプレイ端末(VDT)の発光ダイオード(LED)の光にますます曝露されるようになっているが、この光には多くの青色光が含まれている。VDTは、テレビ、PC、スマートフォンに使われている。
本研究の目的は、青色LEDが視細胞の損傷を引き起こすメカニズムを解明することにある。ネズミの錐体細胞を青色、白色、緑色のLEDにそれぞれ曝露させた(0.38 mW/cm2)。
青色LEDは活性酸素種(ROS)の産生を増大させ、たんぱく質の発現レベルを変化させ、単波長のオプシン(S-opsin)の凝集を引き起こし、その結果、細胞に深刻なダメージが生じた。
青色LEDは主要な網膜細胞にダメージを与え、そしてそのダメージは光感受細胞(視細胞)に特異的に見られた。抗酸化物質のNアセチルシステイン(NAC)は、青色LEDにより惹起される細胞損傷を防ぐ働きがあった。
総じて、LEDにより引き起こされる細胞のダメージは、エネルギー依存性ではなく波長依存性であった。青色LEDが他のLEDよりも網膜の視細胞により重度なダメージを与える背景には、このような性質が背景にあるのかもしれない。

サルを使った実験で、一方には発光ダイオードの光を見つめさせ、もう一方には蛍光灯の光を見つめさせたところ、発光ダイオード群では失明するサルが多かった、という研究もある。
要はLED、特に青色LEDは、網膜で活性酸素を生じさせ、それで視細胞がアポトーシスを起こす、ということだ。だからこそ抗酸化力のあるビタミン、たとえばNACが、酸化によるダメージの軽減に著効するということだろう。
新たに登場した技術の有害な側面が、こういう具合に後の研究によって明らかになることがある。しかし有害性が明らかになったとて、よほどのことがない限り、その技術が社会から撤去されることはない。
そう、一度ハイビジョンの美しい画像に慣れてしまった僕らは、30年前のディスプレーに戻ることはできない。目に悪いとわかっていても、もはやスマホは生活必需品で、手放すことなんてできない。
だとすれば、その有害性を知った上で、対策を立てることだ。
上記の研究のすばらしい点は、視細胞に悪影響を与える機序を解明したばかりでなく、どのように網膜の酸化を防げばいいか、その対策(NACの摂取)をも提示しているところだ。
論文で言及はないけど、抗酸化力のあるビタミンということなら、ビタミンA、C、Eを摂ることもムダではないだろう。
なんだかんだで、現代人のビタミン需要量はますます増大している、と言えそうだ。

長寿

2019.2.10

過酸化水素(H2O2)は小学校の理科の実験でも使われるぐらいだから、みんな何となく聞いたことがある言葉だと思う。
この言葉は医学部の生理学の授業で再び登場して、今度は「活性酸素のひとつ」という文言で出てくる。たとえば、「体内に侵入した病原菌に対し、マクロファージがスーパーオキシド、ハイドロキシラジカル、過酸化水素を産生して、感染症から身を守っている」といった文脈で出てくる。
そう、過酸化水素は感染症から身を守ってくれるありがたい物質だ。しかし同時に、それは活性酸素のひとつでもある。つまり、老化や病気を引き起こすありがたくない物質でもある。
味方のようでありながら敵のようでもある存在。世の中には完全な悪人もいなければ完全な善人もいない、というアナロジーのようで、この両義性を興味深く感じる。
さりとて、老廃物として生じた過酸化水素は、適切に処理されなくてはいけない。どのように代謝されるのか。
その代謝経路のひとつが、上記の図で示したグルタチオン・アスコルビン酸回路だ。

図を解説する。
まず、過酸化水素(H2O2)はアスコルビン酸(ビタミンC)から電子の供与を受けて、酵素(アスコルビン酸ペルオキシダーゼ)によって分解されて水になる。
その過程で生じた酸化アスコルビン酸(モノデヒドロアスコルビン酸(MDA))はモノデヒドロアスコルビン酸還元酵素(MDAR)とNADHによってアスコルビン酸に再生される。
MDAの還元がすぐに行われない場合は、デヒドロアスコルビン酸(DHA)を生じる。DHAはグルタチオン(GSH)を消費しながらデヒドロアスコルビン酸還元酵素(DHAR)によってアスコルビン酸に還元され、同時に酸化型グルタチオン(GSSG;グルタチオンジスルフィド)を生じる。
GSSGは、NADPHから電子の供与を受けつつグルタチオン還元酵素(GR)によってグルタチオンに還元される。
これが、過酸化水素を処理するプロセスの全貌だ。
トータルで見ると結局、NADPHの電子がH2O2に流れている。つまり、グルタチオン・アスコルビン酸回路という名前であるが、NADPHの重要性も相当なものだ。
NADPHとは、NADHにリン酸基がついたもので、NADHとほぼ同じと考えていい。(NADPHは植物に多く含まれ、NADHはミトコンドリアに多く含まれている、という違いもある。)
では、NADHとは何か。
ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(Nicotinamide Adenine Dinucleotide)という名前が示す通り、ニコチンアミド(ナイアシンアミド)とアデニンとジヌクレオチドが合体したもので、要するに、ナイアシンのことだと思ってもらえばいい。
つまり、グルタチオン・アスコルビン酸回路には、グルタチオン、ビタミンC、ナイアシンという、栄養療法で注目すべき役者が一堂に会しているということだ。

ところで、百歳を超えたご老人のことを、英語でセンテナリアン(centenarian)という。
なぜ彼らは、平均寿命をはるかに超えて長く生きることが可能なのか。
彼らの生活習慣、採血データなどを調べることで、健康長寿の秘訣が見えてくるものがあるはずだ、ということで、センテナリアンを対象とした研究は多い。
たとえばこんな研究。http://www.actabp.pl/pdf/2_2000/281.pdf
タイトルは、『センテナリアンにおける抗酸化防御』。要約を訳す。
本研究は、ポーランドのシレジア地区に住む16人のセンテナリアン(被験者は101歳から105歳の男性1人、女性15人)を対象に、彼らの抗酸化防御のメカニズム(酵素的であるか非酵素的であるかを問わず)を評価し、人間の長寿において抗酸化力が果たす役割を調べることが目的である。
この研究の結果、センテナリアンは、健康な若年女性と比べて、赤血球のグルタチオン還元酵素とカタラーゼの活性が有意に高かった。また、有意差は出なかったものの、血中ビタミンE濃度も高かった。

上記では説明しなかったけど、カタラーゼも過酸化水素を無毒化する酵素だ。
グルタチオン還元酵素やカタラーゼの活性が高いということは、抗酸化力が強いということで、センテナリアンの長寿の秘密はこのあたりにあるのではないか、というのがこの研究の示唆するところだ。
ビタミンCやナイアシン、グルタチオンのサプリを摂ることにより、酵素の活性を高めることができるのかどうか、そこは僕にもわからない。
ただ、栄養療法の大御所のポーリング博士は93歳、ホッファー先生は91歳と、センテナリアンとまではいかずとも、ずいぶん長生きをされた。しかも、ただの長生きではなく、晩年まで非常に精力的に活動していた。
両先生とも自説を実践してサプリを摂っていた。
このあたりのことを考えると、サプリの摂取はムダではないと思うんだな。

ビタミンC

2019.2.9

薬かサプリか、の二択である必要はない。両方飲んじゃえばいい。
そういう端的な例として、こんな記事があるのでテキトーに訳しつつ紹介しよう。http://www.schizophrenia.com/sznews/archives/002402.html#

「統合失調症の病理にはフリーラジカルが関与している、というのは複数の研究者が指摘しているところである。
本研究の目的は、非定型抗精神病薬および経口ビタミンCが統合失調症患者の血中マロンジアルデヒド(MDA)濃度、アスコルビン酸濃度、簡易精神症状評価尺度(BPRS)に与える影響を調べることである。
方法:40人の統合失調症患者を対象に、前向きプラセボ対照二重盲検を8週間にわたって行った。統合失調症患者はプラセボ群とビタミンC群にそれぞれ20人ずつ無作為に割り振られた。
血中MDAおよびアスコルビン酸濃度はそれぞれ、ニシャル法、エイエ法により計測した。
結果:統合失調症患者では血中MDAが高く、アスコルビン酸濃度は低かったが、これらの値は、抗精神病薬+プラセボ治療群と比べて、抗精神病薬+ビタミンCによる治療群では8週間後に有意に逆転していた。
つまり、血中MDAが低下し、アスコルビン酸濃度が上昇していた。8週間後のBPRSはプラセボ群と比べてビタミンC群で統計的に有意に改善していた。
結論:非定型抗精神病薬服用中の統合失調症患者にビタミンCを経口投与すると、アスコルビン酸濃度が上昇し、酸化ストレスが減少し、BPRSが改善する。
それゆえ、薬とビタミンCを組み合わせて統合失調症の治療に用いることは有益である。」

記事中、研究内容が何かと批判されている。
「標本サイズが小さい(ビタミンC投与群がたったの20人)し、研究期間も短い(たったの8週間)ことが欠点で、標本サイズが小さいことは統計的に有意かどうかが疑わしい。
それに、この研究はインドで行われたものだ(インドの大学は、西洋のトップレベルの研究機関と同一の研究水準とは言い難い)。
『ビタミンCは統合失調症に有効である』というこの研究の結果は興味深いが、最終的な結論というにはさらなる研究が必要だろう。
ただ、その最終的な結論が出るまでの間に、推奨量のビタミンCを飲むことは誰にオススメしてもいいだろう。ビタミンCを食品から摂取するのなら、オレンジ、イチゴなど、果物や野菜から摂ることができる」

個人的には、ビタミンCは患者にとても使いやすいサプリだと思う。
ビタミンCを患者に勧めて、何か困ったことがあるかっていうと、全然ない(この点、特に使い始めに慎重さが要求されるナイアシンと対照的)。
特に効果を実感するのは、高齢者に使ったときだ。
そもそも老化というのは、酸化の進行のことだから、抗酸化物質のビタミンCが高齢者に著効するのは当たり前といえば当たり前のことだ。
特に何らかの病気の人に投与すると、ビタミンCだけで症状が軽快してしまうことも多い。
たとえば初期の認知症の人に僕が好んで処方する組み合わせは、以下のようだ。
人参養栄湯 9g 朝昼夕食前
シナール 3g 朝昼夕食後
プロマック 2錠 朝食後、就寝前
この組み合わせは保険適用の範囲内で処方可能だ。だから金銭的に厳しくて自費診療とか無理な人も、この処方で認知症とけっこう戦える。
人参養栄湯に含まれている遠志(おんじ)という成分が記憶力の改善に効果がある、というエビデンスがある。http://www.jsom.or.jp/medical/ebm/er/pdf/070005.pdf
だから、遠志が含まれているなら別に人参養栄湯にこだわる必要は必ずしもなくて、たとえば帰脾湯とかでもいいし、何なら遠志の単剤が第3類医薬品(誰でも買える)で売ってるから、それを各自で試すのもいい。
シナールとプロマックの組み合わせは、要するにビタミンCと亜鉛のことで、抗酸化対策のベストコンビだ。認知症患者では亜鉛の血中濃度が低いから、それを補う意味もある。
今みたいな寒い季節には、このコンビは風邪予防にも効果がある。
何にせよ、効果がないとわかっている抗認知症薬を無意味に処方するより、シナールだけでも処方するほうがよほど有益だと思う。
やはりビタミンCは使い勝手がいい。

寒冷ストレス

2019.2.8

こんなニュースがあった。
『あの「冬の八甲田・弘前隊ルート」、陸自部隊が3泊4日で224キロ無事踏破』
https://mainichi.jp/articles/20190207/k00/00m/040/284000c

特に何ということのないニュースで、多くの人にとって「ふーん」で終わる記事だろう。しかし、新田次郎著『八甲田山 死の彷徨』を読んだことがある僕には、このニュースに幾らか感慨深いものを感じる。

百年以上前、20世紀初頭の日本にとって、ロシアが攻めてくる可能性は、妄想でも夢幻でもなく、非常にリアルな不安だった。
帝国主義の時代である。強い国が弱い国を飲み込むのは当然のことだった。東南アジアが西洋列強に思いのままに蹂躙されているように、やがて日本も彼らの食い物にされるかもしれない。
不凍港を求めるロシアが、もうすぐ北方から攻めてくることだろう。最悪の場合、北海道がロシアの手に落ちるのはやむを得ない。しかしどこまで踏ん張れる?せめて本州北端、青森で何とか敵勢を抑えたい。
当時の陸軍はそういうシミュレーションのもと、寒冷環境における対ロシア地上戦を想定していた。
そうした訓練の一環として行われたのが、1902年1月の八甲田山雪中行軍だった。
二つの部隊がこの行軍に参加した。一つは、青森歩兵第5連隊(210人)、もう一つは弘前歩兵第31連隊(38人。従軍記者1人含む)である。
ちょうどこの行軍の最中に、記録的な寒波が彼らを襲った。
これにより、青森隊は199人が死亡(うち6人は救助後に死亡)するという、近代登山史における世界最大級の山岳遭難事故となった。
しかし、弘前隊のほうは死者はゼロ、従軍記者含め全員が生還した。
この二つの部隊の明暗を分けたものは何か?
無能なリーダーに率いられた組織の悲劇。甘い想定、貧弱な装備、指揮系統の混乱。
この事故の研究は、一般の人にも有用な多くの教訓を含んでいる。しかしすでに本やインターネットで広く紹介されているため、ここではあえて触れない。
ただ、医師として、医学的に興味深い点にしぼって話をしよう。

青森隊は、またぎ(地元の山のプロ)の案内を断って、地図と方位磁針のみで行軍に向かった。マイナス20度の大寒波によって、方位磁針が凍って使い物にならなくなり、合図のラッパを吹こうにもラッパが唇に凍りついて吹けなくなろうとは、まったくの想定外だった。
火を起こすこともできないため、食事の供給も不可能。眠ると凍傷になるため、眠ることもできない。吹雪になると、視界はほとんどなくなる。不眠不休の絶食状態に、猛烈な寒波が襲いかかり、ついには凍死する者も出始めた。
そうした極限状態で、奇妙な現象が見られた。
寒くてどうしようもない、凍死の一歩寸前の兵隊のなかに、いきなり「暑い!暑い!」と服を脱ぎ、ふんどし一枚になって雪の中に飛び込む者が出始めた。

これは、矛盾脱衣と言われる行動である。
たとえば冬山で遭難した人が、全裸の凍死体で発見されることがある。なぜ衣服を脱いでいるのか。アドレナリンによる幻覚作用とも、体温調節中枢の麻痺による異常代謝とも言われるが、実は医学的には未だ確定的な説はない。
矛盾脱衣は極限状態で見られる行動なので、直接的に観察することは普通できないが、その点、八甲田山の生存者による目撃証言は貴重である。

そもそも、体温は間脳の視床下部で調整されている。通常では37度前後にセットポイントが設定されている。
何らかの原因、たとえばウィルス感染によって、セットポイントが39度に上がったとする。すると、37度の体は、血管収縮により血流を減少させて、体内の熱が外に逃げないようにし、骨格筋を収縮させて震えさせ、熱を産生しようとする。
風邪の引き始めにゾクゾクする寒気がするでしょう?
熱があるのに寒気がする、というのは妙だな、と思ったことはありませんか?
あれは、セットポイント(設定温度)と体温のずれが引き起こしている現象だ。ゾクゾクは発熱を促す生理で、布団にくるまってちゃんと熱が上がって汗をかけば、風邪はもう半分治ったようなものだ。
この考え方で、矛盾脱衣を説明できないか?
異常な寒冷ストレスにより、セットポイントが低下するのかもしれない。たとえばセットポイントが35度に低下すればどうなるか。表皮の血管拡張が起こって、汗を出すなどして、37度の体温を何とか下げて、35度にしようとするだろう。
しかし、マイナス50度の状況下でそんなことが起こればどうなるか。
吹き出た汗は、出たと同時に凍りつき、凍死への道を突き進むことになるはずだ。

寒さに対する反応は人と動物とではかなり違うため、このあたりの知見は動物実験ではなかなか得られない。
下記の論文の要約にあるように、病院の記録、警察の報告書、歴史的事案あたりを参考にして推測するしかない。
https://www.astm.org/DIGITAL_LIBRARY/JOURNALS/FORENSIC/PAGES/JFS10867J.htm
ナチスがダッハウ収容所で寒冷ストレスで人体にどういう影響が出るかの研究を、人を使ってやっていたみたいなんだけど、これは相当な禁じ手だね。
日本でも731部隊がマルタ(人体実験に使われる捕虜)を使った寒冷実験をやっていた。
吉村寿人氏は731部隊の研究者で、戦後も訴追を免れて医学部の教授をしていた。彼の仕事の一つに、以下のような論文がある。要約すると、
「凍傷の応急処置としては従来、凍結部位を摩擦するのが広く諸外国でも採用されており、凍結部位を温めることは固く禁じられている。
しかし私の研究によれば、これは誤りである。凍傷の応急処置法としては、凍結部位を摂氏37度付近(少なくとも30〜45度。50度以上の熱湯は使ってはいけない)の微温湯で融解させるのが最も効果的な方法である。
これにより、全手が壊死に陥るほどのひどい凍傷も壊死を免れ完全に治癒させることができる。逆に、従来の摩擦法では、効果がないわけではないが、壊死を完全に防ぐことはできない」
この論文は、発表された1941年当時、画期的なものだった。
50度以上の熱湯を使えば、指は落ちてしまう。しかし、30度〜45度であれば、完全な治癒に至る。吉村氏は、一体どのようにしてこの発見をなし得たのか。

僕は最近、731部隊に関する文献を読むのにハマっている。
森村誠一の『悪魔の飽食』のような、思いっきり左巻きの人の書いた本も読んだし、東京に行ったときには国立国会図書館に行って、おもしろそうな論文をいくつか読んだりした。
いろんな識者がいろんなことを言っている。「731部隊は鬼畜のような集団で、筆舌に尽くしがたいほど残虐で無意味な人体実験を無数に行った」みたいな意見もあれば、「731部隊はあくまで関東防疫給水部の通称であり、そもそも人体実験の事実は存在しない」みたいな意見もある。

人体実験がなかったわけがない。ただしそれは、左の人が言うように、残虐非道で無意味な殺戮に過ぎなかったのかというと、それは違うと思う。
当時、731部隊には東大や京大の出身者を含む日本のトップレベルの頭脳が集結していた。
さらにそこでは、現代では人道的な観点から行えないような実験を、知的な好奇心の赴くままに行える環境が揃っていた。
成果が上がらないわけがない。
実際、当時の日本の細菌・化学兵器に関する知見と技術は世界一だった。
ペスト菌やチフス菌をどれだけの量、どういう経路(吸入か静注か)で投与すれば最も能率よく感染させることができるのか?毒ガス(イペリット、ルイサイト、青酸ガスなど)によってどのような症状が生じるのか?効果的な致死量と投与方法は?
動物実験では絶対に得られないデータ、人体実験以外では知りようのない知見を、当時の731部隊は着々と積み上げていた。
戦後、アメリカはそういうデータがのどから手が出るほど欲しかった。
人体実験を行った研究者が戦争裁判で裁かれて死のうが生きようが、アメリカにとってはどうでもいい。ただ、とにかくデータは欲しい。あんなに詳細にして正確を極めた人体実験のデータは、戦後の平和な環境下では二度と得ることはできない。特に避けるべき事態は、データがロシア側に渡ってしまうことだ。
731部隊長の石井四郎は米軍と交渉し、データの提供と引き換えに、研究者の訴追免除の確約を得た。

人体実験がいいことか悪いことかで言えば、悪いに決まっている。
医学は、人間のためにあるのであって、逆ではない。人間を犠牲にした医学的研究というのは、本人の同意のない限り絶対許されてはいけないものだ。
それでも僕は思うんだけど、あったことは、あったんだ。
尊い犠牲から得た知見をもとに、たとえば凍傷治療に際して指を失う人が減るのであれば、その知識は生かされるべきだとも思う。
長文になってしまった。
731部隊のことについては、いずれまた稿を改めて書こう。