院長ブログ

アサイゲルマニウム誕生50周年1

2020.3.4

株式会社浅井フーズクリエーションの社史は、以下のように始まる。
『1967年浅井一彦、水溶性の有機ゲルマニウム「アサイゲルマニウム」を創製』

1967年に生まれたアサイゲルマニウムは、2017年、50歳を迎えた。
この年、アサイゲルマニウム誕生50周年を記念して、特別インタビューが組まれた。
生前の浅井博士と親交のあった医師や、臨床でアサイゲルマニウムを使用している医師に取材が行われたが、そのうちのひとりに、岡澤美江子医師もいた。

岡澤美江子医師
「45年ほど前、朝日新聞の記者の方が自然気胸にかかりました。肺が破れてしまう病気です。治療法は特にありません。穿刺や吸引などの処置をしたり、オペをしたり、ということもないわけではありませんが、基本は安静です。この記者さん、縁あって浅井先生とお会いして「だまされたと思って俺についてこい」と言われ、ゲルマニウムを服用しました。効果はてきめんで、命拾いをされました。すっかり元気になって仕事をしているという話を、記者さんと同じ新聞社に勤めていた私の兄から聞きました。興味が出て、その記者さんを紹介してもらい、浅井先生のお住まいに伺うことになりました。
忘れもしません。1972年4月14日のことです。この日は、私の第二の誕生日です。第二の人生の始まった日だと思っています。この日の先生との出会いがあったからこそ、その後多くの患者を救うことができ、そして長生きしている自分があると思っています。
先生のお宅でお話を伺っているうちに、「ゲルマニウムを使えば、今私が診ている患者はみんなよくなるに違いない」と思って興奮しました。生まれ変わったような気持になって自宅に帰り、今さっき出会った浅井先生のことを母に話すと、母が一番最初に飛びついてきました。「私もゲルマニウムを飲んでみたい」と。
母は幼い頃にひどい中耳炎にかかり、それ以来片方の耳が聞こえませんでした。しかしゲルマニウムを飲みだして半年ほど経ったときに「聞こえない方の耳で、子供の声がにぎやかに聞こえるようになった」というのです。母の喜びと浅井先生への感謝の思いは途方もないもので、居ても立ってもいられない母は、先生に感謝の手紙や短歌を何度か送りました。その短歌のひとつは、先生の著書『ゲルマニウム讃歌』にも引用されています。

浅井先生はいろいろな人や組織から邪魔をされたりだまされたりと、大変な苦労をされました。あるとき電話でお話をしていて「もうゲルマニウムを扱えなくなるかもしれない」といつになく弱気にこぼされました。私は「困ります。ゲルマニウムがダメになったら、一番先にダメになるのは私の母です」と言いました。母はゲルマニウムを、文字通り、拝んで飲んでいましたから。一週間後くらいにまた電話があって「お母さんに心配はかけません。悪と戦います」と。本当にいいもの、真に人を救うものを作った先生が、賞賛を受けるどころか、様々な攻撃を受けておられました。
浅井先生の成し遂げた仕事は本当にすばらしいと思います。

アサイゲルマニウムは、薬ではありません。薬には副作用がつきものですが、ゲルマニウムにはそういう症状はありません。
薬だなんて思うと、調子がよくなったら飲まなくてもいいような気がしますけど、そもそも薬ではないのです。毎日たくさん飲む必要はありません。ただ、具合の悪いときに少しだけ飲んで「全然効かないじゃないか」となっても困ります。調子が悪いときは中途半端ではなくしっかり飲んで、よくなれば減らす、という具合でいいと思います。
「なんだ、あんなもの」なんて言う人は放っておくことです。縁がある人は、きちんと飲んで、救われていきます。実際に使ってみると効果を実感するから、とりこになるんですね。そういう人ばかりです。
何はともあれ、自分の命を大切にすることです。私にとってアサイゲルマニウムは、心の糧であり、命の泉です。これを飲み続けていれば、永遠に生きてゆけるのではないかしら(笑)いつまで生きるか、自分の体で実験ですね」

岡澤先生は今年の8月で99歳を迎える。
クリニックはすでに閉院されたが、月一回、別の場所で患者からの相談や唾液検査の依頼に応じている。
つまり、今なお現役のお医者さんということだ。

そう、岡澤先生が言われるように、本当に”縁”だと思う。
マスメディアの発達以前は、「人を介して」「口コミで」ということが、縁のつなぎ場だった。その後、新聞、雑誌、ラジオ、テレビと、縁の形は多様化した。
今や、縁の供給源として最大のものは、インターネットに違いない。こうやって、ブログに書き込む僕の情報発信があなたに届いているのも、ひとつの縁だろう。

しかし、縁というものは、単なる情報との接触ではなく、心と心の通い合い、だと思う。
というのは、僕のクリニックに通ってくれている患者さんに「この人にはきっと効くだろうな」と僕のほうからゲルマニウムを勧めても、「いや、それはちょっと」とお断りされることがしばしばある。
こういうときは、僕もあえて強く勧めない。ただ、「まだの人なんだな」と思うだけだ。
縁は、単なる情報ではない。機が熟して、気持ちが通じ合ってこそ、つながりが生まれる。
これは千年前だろうがネットの時代だろうが、同じことだと思う。

アホとバカ

2020.3.3

以前のブログで、アイヌの模様や沖縄シーサー、沖縄の塩(ぬちまーす)にはよからぬ霊を遠ざける力がある、と書いた。
どちらも、日本の北と南、両極であることがおもしろいと思った。

北と南、今は端っこである。しかし、かつては、端っこではなかった。ずっと昔、彼らは、つながっていた。
何を言っているか、わからない?
これから説明していこう。

昔、探偵ナイトスクープで、こんな依頼があった。
「関西では人を罵倒するときに、『アホ』と言います。しかし、東京では『バカ』と言います。
一体、この『アホ』と『バカ』の境目は、どのあたりになるのでしょうか?」
この一見単純な依頼は、しかし民俗学的に極めて重要なテーマを含んでいた。当初は誰も気付かなかったが、一バラエティ番組が扱うにはあまりにも巨大なテーマだった。
このあたりの経緯は『全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路』(松本修 著)に詳しいので、ここでは立ち入らない。
ただ、結論だけいうと、このテーマを深く掘り下げた松本修氏は、最終的にはその研究成果を学会発表し、各方面から賞賛を受けることになった。
それは、柳田国男の方言周圏論の正しさを見事に裏付ける研究だった。
方言周圏論というのは、一言でいうと、この図である。

かつて千年間にわたって、この国の都は京都にあった。
京都で起こった文化(衣食住にまつわる文化、学問にまつわる文化、はやり言葉など)が、全国に広まっていった。従って、文化の波及は、都を中心とした同心円状の広がりを見せる。
この理論の直接的な証明はできないが、現在各地に残る様々な文化の痕跡を追いかけることで、理論の正しさを傍証することはできる。
たとえば、方言である。
カタツムリを表すのに、最も離れているはずの東北と九州で「ナメクジ」と同じ表現を使い、比較的遠い中国と信州で「カタツムリ」と同じ表現を使う、といった具合である。

この理屈を、『アホ』と『バカ』に当てはめると、『バカ』は『アホ』よりも古い時代に使われていたはずである。
『バカ』という表現に飽き足らなくなってきた若い人たち(言葉の流行を作るのは、いつの時代もしばしば若者である)が、『アホ』と言い始めた。
古い『バカ』は周辺(九州、関東)に波及し、新しい『アホ』は関西にとどまっている。しかし明治以降、情報発信の中心が東京に移ったことで、京都を中心とした文化の波及は終息した。

実は方言周圏論は柳田の独創ではない。1872年ヨハネス・シュミットが提唱した「波状伝播説」を日本に適応したものである。
また、すべての言葉が周圏的に分布するわけではない。柳田自身、晩年には「あれはどうも、成り立つかどうかわかりません」と懐疑的になっていた。
しかし彼の死後6年後に刊行された『日本言語地図』では、「牝馬」「もみがら」など、調査した言葉のおよそ27%に周圏分布が見られた。

理屈ではなくて、「何となく似ているな」の直感から、学問が始まったりするものだ。
岡山出身の友人が、名古屋の大学に進学してそこで暮らし始めた。岡山と名古屋。全然違うはずである。
しかし、何か、似ている。言葉、料理の味付け、町の雰囲気。
北海道出身者が、寒い地元に嫌気がさして、真逆の沖縄に移住した。すべてが違うかと思いきや、何か似ている。
皆、酒が強い。顔の彫りの深さに、妙に親近感が沸いたりする。

アイヌと琉球の類似に初めて気付いたのは、日本人ではない。お雇い外国人のベルツである。
明治時代に日本に招聘され、東大医学部で教官を務めた彼は、1911年に論文を発表した。
「かつて本州で狩猟採集の生活を行っていた縄文人(アイヌ人、琉球人とも)は、頭蓋骨の分析から、小さい丸顔で彫りが深い点が共通している。
一方、約3000年前に渡来して稲作をもたらした弥生人は、北方寒冷地に適応していたため、顔が平たく長い傾向がある」、とベルツは指摘した。
つまり、彼によれば、弥生人が縄文人の間に「割って入った」のである。そして彼らを国の両端に追いやった。

北海道、東北に、また、九州、沖縄に酒豪が多い、という研究。
共通しているのは、アルコール分解酵素のタフさというただひとつの遺伝子だけと、限定して考える必要はない。
現代にはDNA分析という武器がある。この手法の強力さには、敬服せざるを得ない。
2012年日本の研究チームがDNA分析により、アイヌ人と琉球人の遺伝的近縁性を証明した。
北と南、地理的なへだたりにもかかわらず、琉球人は本土人(弥生系)よりもアイヌ人に近いことが示されたのである。

北と南、最も遠いようでいて、実は、かつてはひとつだった。両端はかつて、つながっていた。
日本人とは何か、ということに、学問的な手法で以てひとつの解答を与えようとしているわけだけど、単なる知的好奇心を満たしてくれるだけではなくて、何か壮大なロマンを感じる。
アイヌ、琉球、どちらもアニミズムで、霊は万物に宿るとされていた。
彼らの文化が生み出した、ちょっとした小物(アイヌ帯、沖縄シーサー)にも、共通して魔除けの力があるのが、おもしろい。
まぁ、彼らからすれば、僕は「間に割って入った」弥生系の末裔ということになるんだろうけど(^-^;

有機ゲルマニウムと癌2

2020.3.3

呼吸には外呼吸と内呼吸がある、ということは高校の生物で習っただろう。
外呼吸というのは、いわゆる呼吸。息を吸って、息を吐く。あの呼吸である。
一方、内呼吸というのは、細胞がエネルギー産生のために行う呼吸のことをいう。その核心はミトコンドリアにある。
尤も、これらは必ずしも別物ではない。
たとえば、窯業で陶器を焼く仕事に従事する者では、膀胱癌の発生率が高いことが言われている。理由は二つある。
ひとつは染料などに使われる化学物質への曝露、もうひとつは、酸素不足である。
陶器を焼くときに大量に酸素が消費されるが、1日何時間もその燃え盛る窯のそばで働き続ける。
外呼吸による酸素取り込みの低下が、そのまま内呼吸(ミトコンドリア呼吸)の不全を引き起こし、発癌へとつながるわけだ。

しかし、なぜ膀胱なのか。
酸素不足の影響が出るのなら、一見、肺や心臓などに負担がかかりそうに思えるが、なぜ膀胱に癌ができるのか。
医学部で受けた病理学の授業を思い出すがよい。
膀胱の内部を裏打ちする細胞群は、全身の細胞のなかでもかなり特殊で、特に「移行上皮」と呼ばれている。
膀胱に尿がたまり細胞表面が伸展してうすくなると、皮膚のような重層扁平上皮になるが、尿が排出されて膀胱が空っぽになると、まるで腸粘膜のような多列繊毛上皮になる。
つまり、膀胱の上皮はその両極の間を行ったり来たりすることから「移行上皮」と呼ばれているわけだ。

そう、膀胱は粘膜質であり、そのため酸素不足の影響を受けやすい。酸素が不足しがちであるということは、そのままイコール、癌になりやすい、と解釈してもらってかまわない。
このことは、逆を考えてみればわかるだろう。たとえば「心臓癌」という病名を聞いたことがあるか?
ないだろう。in vitroでも心筋の細胞を癌化させるのは難しい。ミトコンドリアが豊富で細胞分裂しにくい心筋細胞は、癌になりようがないんだ。
しかし、粘膜はそうではない。
細胞は数日のターンオーバーで常に刷新され、細胞分裂が盛んである。また、水分の代わりに分泌液を分泌する粘膜では、特に癌にかかりやすい。

過去50年、大腸癌の増加に歯止めがかからない。かつて菜食メインの日本人には大腸癌はあり得なかった。
肉由来の糖鎖が組織の炎症および虚血を促進し、発癌を促進することがわかっている。近年の肉食ブームは、今後癌をますます増加させることだろう。
https://www.pnas.org/content/112/2/542?utm_content=bufferb1c33&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

酸素不足は、癌に限らず、様々な疾患の背景に潜んでいるものであるが、外呼吸の不足(およびこれに起因する内呼吸の不足)は、意識されないことが多い。
「呼吸が浅い」、「酸素が不足している」という自覚は、なかなか持ちにくいものである。
たとえば頭痛。低酸素が頭痛の誘因となることは、高山病の例を挙げるまでもなく、十分なエビデンスがある。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27146279
そこで、深呼吸である。丹田に意識を据えて、深く吸って、深く吐く。
これを何度か繰り返す。それだけのことで、頑固な頭痛が消退する症例がどれだけ多いことか。
頭痛は、ロキソニンで完治しない。まずは、今すぐ、深呼吸である。
それで効かないようなら、有機ゲルマニウムの出番である。
一般に、頭痛も含め、痛みは「組織の虚血」であることが多い。組織は痛みで以て存在をアピールし、相応のケアを求めているのである。
有機ゲルマニウムによって赤血球産生が亢進し、酸素が行きわたれば、痛みは自ずと解消するだろう。

さて、一口に酸素といっても、すべてが同じものではないことをご存知か。
必ずしも科学的に正確な表現ではないが、酸素には二通りある。陽極(プラス)の酸素と、陰極(マイナス)の酸素である。
かつて、未熟児を高濃度の酸素が充満する治療装置に入れ、未熟児網膜症を頻発させるという不幸な出来事があったが、これは陽極酸素の影響である。人工的な酸素はすべて、陽極であると心得よ。
一方、自然界が作り出す酸素は陰極である。森林浴をしたり、滝のそば、海辺に行ったときのすがすがしい感覚を思い出してみるがいい。あれこそが、豊かな陰極酸素のもたらす効果である。
有機ゲルマニウムの働きは、赤血球の再生を通じた酸素の供給であるが、このとき供給されるのは陰極酸素である。ここに有機ゲルマニウムの本領がある。

参考
『天の配慮: 命の源流を探る唾液イオン反応』(岡澤 美江子 大友 慶孝 共著)

有機ゲルマニウムと癌1

2020.3.3

有機ゲルマニウムが癌に有効であることは以前のブログでも何度か紹介してきた。
それでは、なぜ、効くのか?そのメカニズムは?

そもそも癌の内部およびその周辺では、血管からの距離が遠くなることと、過剰な細胞増殖が起こることによって、酸素供給が不足して、低酸素状態になっている。
実は、低酸素状態では、免疫系がうまく機能しないのである。
このことはすでに1960年代にHellström博士によって発見されていた。博士は、癌患者の体内に癌細胞とキラーT細胞が共存していることを報告し、世界を驚かせた。
一体なぜ、免疫系が癌細胞を攻撃しないのか?その機序の解明に向けて、世界中で研究が行われた。
その結果わかったことは、癌細胞の作り出す低酸素環境下においては、免疫細胞の産生するパーフォリンやグランザイムBによる障害活性、また、インターフェロンγの刺激を介する分化も、抑制されてしまう、ということである。
つまり、癌細胞周囲が阻血に陥ることで酸素濃度が低下し、結果、癌に対して免疫系が機能できず癌の増殖を許してしまう、ということが明らかになった。

このメカニズムは、そのまま、なぜ有機ゲルマニウムが癌に効くのか、の説明にもなっている。
有機ゲルマニウムは赤血球の「破壊と再生」を促進する。
古くて柔軟性を失った赤血球を破壊し、新しく柔軟性のある赤血球を生み出すことで、いわば、「血が一新」される。
採血で測定されるのは、単に赤血球の「数」に過ぎない。大事なのは、「質」(および働き)である。
赤血球が生まれ変わることは、大げさではなく、体が変わる、ということである。
柔軟性を増した赤血球は組織の奥まで酸素と栄養を届け、不要物(二酸化炭素など)を回収して行く。酸素と栄養の行き届いた組織は、その本来の働きを取り戻す。
有機ゲルマニウムの摂取によって、数えきれないほどの疾患や不調が改善するのは、偶然ではない。
結局のところ、赤血球の更新による全身の”生まれ変わり”こそ、有機ゲルマニウムの効能の核心である。

なぜこんな話になったのか?
きのう、浅井ゲルマニウム研究所の中村宜司さんからメールが届いた。
「岡澤先生を取り上げたブログを拝見しました。
岡澤先生はご存命中ですが、現役医師としての活動は数年前に引退され、現在は施設に入所されています。
心身ともにご健在で、私も年に何回か先生のところを訪問しますが、そのたびにいつも、ゲルマニウムについて熱く語ってくださいます笑」

そうだったのか。著書『天の配慮』の出版がまだ数年前と最近であるため、てっきり現役かと思っていた。
岡澤先生は著書のなかで、有機ゲルマニウムによる癌治療法を紹介している。
数十年にわたる臨床経験のなかで、無数の癌患者が有機ゲルマニウムによって健康を取り戻してきた。
当院にも癌で通院中の患者がいるため、岡澤先生の知識を生かさない手はない。
本に書いてあることをもっと掘り下げて知りたいことがあったため、中村さんに質問をした。

「岡澤先生はゲルマニウムを、経口投与はもちろん、静注でも併せて使っておられますが、何%溶液でしょうか?
有機ゲルマニウム粉末を生食に溶いて作ろうと思っているのですが、ご教示願います」

「点滴は中和液製剤でないと難しいかと思います。有機ゲルマニウムは酸性度が比較的強いため、そのままの静注はアシデミアを起こす可能性があり、危険です。
中和液製剤はかつて製薬会社に作ってもらっていましたが、今はありません」

そう、浅井一彦先生は当初、有機ゲルマニウムを癌の特効薬として売り出そうと思っておられた。
しかし様々な組織の思惑、利害関係の衝突、紆余曲折があり、現在、保険薬剤としては慢性肝炎治療薬のプロパゲルマニウム(商品名セロシオン)として収載されるところに落ち着いた。
有機ゲルマニウムが保険の効く癌治療薬として承認されず、代わりに、毒以外の何物でもない”抗癌剤”がはびこることになったことは、日本のみならず世界中の人々にとって不幸なことだった。今もその不幸は現在進行形である。
いざこざの余波を受け、静注のゲルマニウム製剤も生産中止となってしまった。
しかし、有機ゲルマニウムの購入が可能であることは、不幸中の幸いである。
中村さんに、重ねて質問をする。

「やはり、岡澤先生の本の中に、有機ゲルマニウムの経口投与で、1日60錠を2か月間継続して癌が治癒した症例の記載があります。
当院の有機ゲルマニウム粉末で換算すればどれくらいの量になりますか?」

「岡澤先生が使っておられたのはアサイゲルマニウムのカプセル製品です。ただ、大量投与については、私の立場からはコメントしづらいところがあります。
岡澤先生は自身の臨床経験にもとづいて高用量のゲルマニウムを使っておられました。それは一般の人には副作用が起き得る量でもあります。また、高用量のゲルマニウムを数週間継続するとなれば、やや高額の費用が必要になり、人によっては経済的に厳しいかもしれません。
私としては、一般の人が安心して服用頂ける目安量を提示するにとどめたいと思います。
ただ、岡澤先生は常々言っておられました。『癌は50万円で治る病気なのよ』と」

この50万円をどう見るか、ということである。
浅井一彦先生の願いは、癌患者にもっと安価に有機ゲルマニウムを届けることだった。だからこそ保険収載を目指したのだが、その試みは頓挫した。購入するとなれば、やや高額である。
僕が癌患者の立場なら、有害無益な抗癌剤など一顧だにせず、迷わず有機ゲルマニウムを購入し癌治療の一助とするが、結局、このあたりは個々人の価値観である。

次回、有機ゲルマニウムと癌の関係について、もう少し掘り下げる。

見えないもの6

2020.3.2

深夜に部屋で一人、電気を消して布団に入り、ユーチューブのホラー系動画を見ている。
怖くなければ「全然おもんないな」と吐き捨てるくせに、ときどきマジで怖いやつがあって、そういうときは一人でトイレに行くのもきつくなる^^;

そう、ときどき本当に怖いやつがある。ああいうときに体の内側から立ち上がってくる恐怖感って、何なんだろう。
一人でいるはずの部屋に、誰かもう一人いるような、何かの気配がする。でも後ろを振り返るのが怖い。その「何か」を認識してしまったら、、、

こういうとき、その予感は正しくて、「本当に幽霊がいる」とするのがニーチェの立場である。
つまり、「君が深淵をのぞくとき、深淵もまた君をのぞいているのだ」(…when you gaze long into the abyss, the abyss gazes also into you…)

『医師が語る霊障』(橋本和哉 著)を読んで、この感覚が何なのか、一応の説明がつくように思った。
百物語、という日本伝統の怪談スタイルがある。複数人が寄り集まって、各人が怪談を披露していき、全部で百個の怪談をすべて語り終えたときに、本当に奇妙な現象が起きる、とされる。
橋本氏の考えによれば、これは当然起こり得ることである。
夏場などに怪談イベントなどが行われると、そこには意識体やゴーストが集まりやすくなる。人々がゴーストに意識を向けることによって、共鳴が起こるためである。
「意識が、引き寄せる」のである。これは波動という言葉で説明してもいい。
多くの人は、「現象が意識を作る」と思っている。なるほど、確かにそういう場合もあるだろう。
しかし、同じ頻度で「意識が現象を作る」のだということに、多くの人は気付いていない。中にはこの考え方を非科学的だとしてあざ笑う人さえいる。
笑いたい人には、笑わせておけばいい。ただ、事実として「意識することで、引き寄せてしまう」。
このことは、普段からゴーストを意識して生活していると、さらにゴーストを呼び込んで、下手をすれば憑依されることをも意味する。
ホラー系動画を見ているときの僕は、”そういう波動”にチューニングが合っているせいで、本当に変なものを呼んでいるわけだ。

ゴーストは、天界に成仏できず、行き場なくこの世をさまよっている。そういうゴーストにとって、ある種の波動は”助けの灯り”のように見える。
蛾が光に引き寄せられるように、ゴーストはそういう波動の持ち主のもとへ向かう。尤も、多くの場合、実害はない。守護霊がすぐ追い払ってくれるから。
しかし、ときには憑依を受け、現実的な症状として出現することになる。

事実かそうでないかは別として、考え方としてはおもしろい。
引き寄せとか波動という現象は、僕もないわけではないと思う。
人生という荒海を渡っていくときに「意識が現象を作るのだ」という認識でいたほうが、人生に対して受け身ではなくて能動的になれると思う。
霊的現象もこの引き寄せや波動の考え方で説明がつく、というところに、新味を感じるんだな。

橋本先生のクリニックは、一応標榜している科としては、内科、外科、神経内科、整形外科だけど、明らかに「心霊科」とでも呼ぶべき診療を行っていると思う^^;
病気治療のために、マジで除霊をやってくれる先生なんて、他にいないでしょ?しかも本当にそれで治る症例があるのだから、おもしろい。
この本を読んで、不明熱とか倦怠感の鑑別に、霊障、というのを挙げないといけないと思った^^

もちろん、本の真偽は分からない。ただ、こんなぶっ飛んだ内容の本は、他にない。
霊障に効能のある良質食品として、
ぬちまーす(塩)、ショウガ、銀河高原ビール(飲んだことあるけど、そんな効用があったとは!^^)、魔王(焼酎。森伊蔵と村尾と合わせて3Mって言うんだね)が挙げられていたり、
霊障に対する防御として、
アイヌ帯、ジン(タンカレー)、シーサー(沖縄の獅子舞みたいな置物)、漢方薬(桂枝加竜骨牡蛎湯、半夏厚朴湯。別にツムラのでいいんだね^^;)が挙げられている。
先生が地道に、手探りで効果のあるものを探している感じがよく伝わってきて、おもしろいと思った。
アイヌ帯は確かに、僕も不思議な力を感じる。
岡本太郎が、縄文土器の造形や模様に呪術的なものを感じてインスピレーションを得たというけど(確かに、太陽の塔とか、縄文っぽい雰囲気がある)、アイヌの模様にも何かそういうパワーを感じる。

さらに興味深い指摘として、本からマイナスエネルギーを受けることもあるという。
「文字(およびその組み合わせからなる文章)とは、デジタルな記号である」と思っている僕にとっては、まったく異質な考え方である。
異質ではあるけれど、わからなくはない。
「すべて読書とは、著者との対話である」という言葉がある。著者にマイナスの気が宿っていた場合、その読者にも好ましくない影響が出るということは、当然あり得るだろう、という気もする。
翻って、僕のブログはどうなんだろう?
波動とか気とか、”そっち系”の目線で見たとき、僕の文章にはどのようなエネルギーが宿っているのだろうか?
僕の訳書『オーソモレキュラー医学入門』も含め、僕の情報発信にはプラスの気がこもっていると信じたいのだけど、こればっかりは祈るしかありません^^;