院長ブログ

須磨

2018.8.14

盆で実家に帰っている。
て、いうても、別に元町から明石に帰るだけだから、電車で30分の話。帰省ってほど大したものじゃない。
実家には父と老いた猫が二匹いるだけ。
父とはちょくちょく会ってるから、実家に帰ったのは猫に会いに帰ったようなもの。
久しぶりに猫をなでたら、もう実家ですることはなくなってしまった。
実家は確かに落ち着くけど、それだけなんだよね。
自分の部屋には昔読んだ本とか書いてた日記とか、山ほどあるんだけど、僕の昔の抜け殻みたい。僕を成長させてくれる新しい刺激とか、ここには皆無なんよね。
ときどき充電しに帰ってくる、ぐらいでちょうどいい。

盆ということで、母の菩提のある須磨寺に行き、その後、久しぶりに須磨海岸に行った。

ものすごく混んでた。
いかにもナンパ待ち、って感じの姉ちゃんもたくさんいた。
高校生のときには友人と連れ立って女の子に声をかけたりしたけど、もうそういうの、できひんわ笑。あれから二十年かぁ。
さっきまでは寺にいて、坊主のお経の声と焼香のにおいに包まれていたのに、今や海水浴客の若い騒ぎ声と海のにおいに囲まれてる。
時間の流れとか、空間の対比のなかに、何とも言えない諸行無常を感じた。
生と死は、須磨寺と須磨海岸くらいの距離しかないんちゃうかな。
二十年前も今もナンパ待ちの姉ちゃんがおるように、二十年後もその風景は変わらへんのやろうな。
で、かつての若者はおっさんおばさんになって、段々人生からフェードアウトしていくんやろうな。
そういうこと思うとね、何か、せつないような気持ちになったんよ。

とまぁ、感傷にひたっていても切りがないね。
前向きに行きましょう。
老いや死は、そんなに恐れることもないよ。
栄養療法を実践している人は皆、健康な老いを迎えることができます。
さすがに不老不死、とまでは行かないけど笑、抗老化作用によって、「人生からのフェードアウト」を遅らせてくれて、いつまでも若々しくいられます。

今、この海岸にはウン百人っていう人がいるわけだけど、みんながみんな、適切な日焼け対策をしてるわけじゃないと思う。
せいぜい、体によからぬ添加物てんこ盛りの日焼け止めクリームを塗ってるくらいだろう。皮膚癌の原因は太陽というよりはむしろ、粗悪な日焼け止めクリームじゃないか、って説もあるよ。
この炎天下で一日を過ごせば、翌日にはいい感じに黒く日焼けする人もいれば、真っ赤になってヤケドのようになる人もいる。
この差を分けるものは何か。
これは血中の抗酸化物質濃度の違いによります。抗酸化力の高い人は日焼けに対してもタフだ。
逆に抗酸化力の弱い人は、海水浴に行く数日前に(というか理想的には、普段から毎日の習慣として)、抗酸化作用のあるサプリをとっておくといいよ。具体的には、ビタミンE、C、コエンザイムQ10、αリポ酸、βカロテン、亜鉛、ビタミンDといったところだ。
ビタミンEやDは事後的にとってもいい。日焼け後1時間以内に摂取したビタミンDには、抗炎症作用が確認されている。(https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0022202X17315580)
ただ、脂溶性ビタミンは水溶性ビタミンに比べてメーカー間の質の差異が大きいから、多少お高めでも良質のものを買いましょう。

平敦盛が熊谷直実に首をはねられたとき、彼は17歳の美少年だった。
そして須磨寺には、敦盛の首塚がある。
そういう意味で、須磨寺は諸行無常の代名詞、平家物語の一節の舞台でもあるんよね。
17歳の美少年のまま壮絶な人生の最期を迎え、歴史に永遠に名前を残すっていう生き方は、これはこれで幸せなことかもしれない。
でも普通の人には、幸か不幸か、そんな人生は与えられていない。徐々に忍び寄る老いを受け入れて生きていかないといけない。
そんな老いの負担を軽減してくれるのが、栄養療法です。使わないと損ですよー。

調和

2018.8.13

「たとえば温清飲(うんせいいん)という漢方薬は、シャクヤク、トウキ、オウゴン、オウバク、オウレン、サンザシ、センキュウを混ぜて作る。
温清飲の配合にさらに、カンゾウ、サイコ、キキョウ、ケイガイをプラスしたのが、荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)。
つまり、荊芥連翹湯のほうがたくさん生薬が入っているわけだけど、その分、効能も強いかっていうと、別にそういうことはない。
効く効かないは、患者の証次第であって、生薬の種類の多さで決まるんじゃない。
こういうのを、僕ら漢方医は、切れ味、と表現する。
少数精鋭の生薬はナイフのような鋭さがあるが、一方、多種類の生薬は鈍器のようにじんわりと効く。
西洋薬は前者の方法論を極限まで高めたものだという見方もできる。
たとえば柳の樹皮に解熱鎮痛作用があることは古代ギリシャの時代から知られていたが、19世紀になってそこからアセチルサリチル酸が合成され、アスピリンができた。
さらに、化学的な組成を把握することで、実際に柳から抽出する必要さえなくなった。
こうしてアスピリンは、薬と言えば生薬やハーブが当たり前だった時代に、世界で初めて人工的に合成された最初の薬になった。
痛みを手っ取り早くなくしたいときには、アスピリンが重宝するだろうが、認識しておくべきは、その副作用だ。
人間の体は陰と陽、気・血・水、五臓六腑の絶妙な調和のもとに成り立っている。そこに、あまりにも切れ味の鋭い薬を入れると、バランスが崩れてしまう。
なるほど、痛みに関しては緩和されるかもしれないが、その他の面で何らかの悪影響が出ることは覚悟しておかないといけない。
かといって、生薬の種類が多ければ多いほどいいのか、というとそんな単純な話じゃない。
たくさんの食材を使った料理が必ずしもおいしいとは限らないのと同じことだ。
必要にして十分な生薬を使った漢方薬を選択する。それが僕ら漢方医の腕の見せ所だよ」

この話を聞いたときに、何か示唆的なものを感じた。
たとえば飲み会のとき、明るい人をたくさん呼んだらそれだけ楽しくなるかというと、意外に大して盛り上がらなかったりする。
気心知れた二人、三人ぐらいで深い話をするほうが余程楽しいということは多々あることだ。
楽しさを高めるためには、ここでもやはり、調和が大事ということだろう。

ダウンタウンの松本人志がある番組で語っていたエピソード。
小学生の頃、ボケの松本、ツッコミの伊藤、いじられ役の森岡、の三人でトリオ漫才をやっていた。漫才をやるたびに、クラスの皆を大爆笑させていた。
特に松本と伊藤の笑いのセンスはずば抜けていた。「俺ら二人だけのほうがよくない?森岡、全然おもろいこと言わへんしいじられてるだけやから、いらんやろ」
そこで、トリオではなく、松本と伊藤のコンビで漫才をした。
ところが、意外や意外、全くウケない。
ここに至って、二人はようやく気付いた。一見何もしてないかのように見える森岡だったが、松本と伊藤を生かす絶妙の仕事をしていたのだ。
おもしろい奴だけが集まっても、笑いは生まれない。笑いは、調和のもとに成り立っているということを、この経験を通じて松本は学んだという。

患者の治療に際して、漢方=東洋医学、手術=西洋医学、という公式にとらわれる必要はまったくない。
漢方医院の先生が、「これはうちには手が負えない。外科の仕事だ」と外科に紹介することは当然あるだろうし、逆に、外科の先生が漢方処方を使うことも全然あっていいと思う。
ある外科の先生、手術後にしつこいしゃっくりに悩む患者がいることに気付いた。
おそらくは開腹によって横隔膜に分布する迷走神経に何らかの影響があって、そのせいでしゃっくりが出ているのだろうが、こうしたしゃっくりの訴えに対して、西洋医学はなす術がない。
そこで先生、東洋医学的なアプローチを試みた。半夏厚朴湯、芍薬甘草湯など、いろいろ試したが、最も効いたのが柿蒂湯(していとう)だった。(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjphcs2001/27/1/27_1_29/_article/-char/ja)
柿の蒂(へた)、生姜、クローブの入った漢方だが、自分で柿のへたを集めてそれをお茶のように煮出しても、十分効果が出る。
外科手術という外からの強い侵襲の後遺症に対しては、切れ味の良い単剤の生薬で対応する、というのが、うまいバランスのとり方ということかもしれない。

調和の必要性というのは、僕らが気付いているいないにかかわらず、生活のあちこちで現れているのだと思う。
うまい調和は互いを高め合うだろうが、不調和は互いを相殺してしまうかもしれない。
一般に、調和の高め方には公式はなくて、自分なりに試行錯誤していくしかないと思う。
しかし、こと漢方薬に関しては、調和を高める先人の知恵が凝縮されている。
どの患者にどの漢方薬を適応するか、という判断は医療者にゆだねられているが、そこの判断が見事にはまれば、患者は大きな利益を得るはずだ。

レーダー

2018.8.12

目にいい食材、と聞いて真っ先に何が思い浮かんだ?
そう、ブルーベリーだろう。
しかし『目にいい』とは、ずいぶんアバウト表現だね。具体的にどんなふうに『目にいい』のか。
おそらくは、眼精疲労や近視に有効、といった程度の意味だろうけど、実はこれらの症状への有効性を示すエビデンスは存在しない。
唯一、ブルーベリーの品種の一つであるビルベリーには、網膜症に対する有効性が示唆されているが、視力改善に対する有効性は確認されていない。(https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0039625703001280)
ブルーベリーの成分にはアントシアニンが多く含まれている。アントシアニンは網膜上に存在するロドプシンという光感知タンパク質の再合成に関与し、このロドプシンが分解・再合成を繰り返すことで「ものが見える」という状態が維持されている。そこで、アントシアニンを積極的に摂取することにより、目の健康を維持できる、というのが、ブルーベリーが「目にいい」ことの理屈なんだけど、、、
目の不調といったって、全部が全部、アントシアニン不足によるロドプシンの分解・再合成障害にのみ起因するものじゃない。事実、二重盲検を行っても有効性は確認できなかった。
もちろん、ブルーベリーは体に悪いものではないだろうから、毎日適量食べる分には何ら問題はない。ただし、目の健康のために食べるのであれば、期待した効能は望めない、ということだ。

では、なぜ、ブルーベリーが目にいい、という俗説が生まれたのだろうか。
これにはれっきとした由来がある。
1941年、イギリス軍はレーダーの開発に成功した。レーダーはドイツ軍によるイギリス本土空襲に対する迎撃に見事な威力を発揮し、夜の闇に紛れて空爆しようとするドイツ空軍の戦闘機が、次々に撃墜された。
こうして、レーダーはイギリス本土を守るのに大いに役立ったわけだが、このレーダーの存在は、当然のことながら、当時のイギリス軍にとって絶対漏れてはならない軍事機密だった。
ドイツ軍もバカではない。なぜ急に、我が軍の戦闘機が撃墜されるようになったのか。その原因を必死に考える。
まさか、エニグマが解読された?エニグマ経由で送信する情報(爆撃の場所と日時等)がイギリスに筒抜けだったとしたら?
いや、それだけは決してありえない。1京通りの暗号パターンを解読できる方法はこの世に存在しない。何か他の方法で、我が軍の行動を探知しているはずだ。
ドイツ軍はスパイを潜り込ませてまで、何とかイギリス軍の機密をつかもうとする。

そこでイギリス側は、情報戦を仕掛けた。
『どうもイギリスの迎撃部隊では、スナイパー養成のため、ブルーベリーを大量に食べさせているらしい。ブルーベリーのおかげで夜目のきく腕利きの狙撃兵が、ドイツの戦闘機をバタバタと撃ち落としているようだ』
さりげなく流す情報に、ドイツ側、見事に食いついた。
撃墜率の増加は兵士の夜間視力改善によるものと軍上層部に判断され、ついに戦後になるまで、ドイツ側はレーダーの存在など思いもしなかった。
さらに、エニグマが解読されていたと明かされたのは、ようやく1970年代になってからのことだった。

終戦。
ひとまず訪れた平穏のときに、ドイツの研究者たち、先の戦争を振り返る。戦時中には忙しさのあまり見えなかったものを、今、改めて見つめなおし、自国の敗戦を彼らなりに分析しようとする。
『スナイパーの夜間視力向上のために、ブルーベリーを食べさせたという話があった。そもそもあれは本当なのか』
二重盲検を行う。4週間もすれば、結果が出る。有意差なし。
研究者たち、情報戦を仕掛けられたのだとそのとき初めて気付き、歯噛みして悔しがった。
しかし、今や戦後。平和の時代である。彼らの悔しさは、別の方向への情熱に向かった。
「ブルーベリーというバッタもんをつかまされた我々ではあるが、本当に目にいい食材は何なのか。それを究明しようじゃないか」

こういうとき、学者は世界中の文献や食生活を調べる。
彼ら、東洋医学の古い文献に、キク科植物の花弁が『肝を強くし、目を陽にす』との記述を見つけた。ここに研究の端緒を見出した彼ら、ついにキク科植物(マリーゴールド)から抽出した成分、ルテインが見事に視力を回復させることを証明した。
どうだい、壮大な話だと思わないか。レーダーの存在を秘匿しようとするイギリス軍のデマから始まった情報戦に対して、一度騙されはしたものの、その屈辱をバネに、ドイツは科学的な手法で見事に『本当に目にいい食材』を明らかにして見せた、という話だ。ウソからでたマコト、という感じだね。
だから、ブルーベリーが目にいいというのは、ウソなんだよ。
ブルーベリーを含有するサプリを扱う国内最大手『わかさ生活』のホームページを読んでごらん。どこを読んでも、「ブルーベリーが目にいい」「ブルーベリーが視力改善にいい」というフレーズは出てこないだろう。
というか、ホームページの宣伝文句だけ読んでいると、この会社の主力商品『ブルーベリーアイ』が一体何に効くのか、いまいちピンとこない。
「目にいい」って言っちゃうと、景品表示法とか、何か法律に引っかかるんだろうね。
『ブルーベリーアイ』っていう、何となく目によさそうな商品名で、はっきり効能はうたわずに、何となくのイメージで売る。
これはこれでうまい商売戦略だと思う。体に悪いもんじゃないしね。
プラセボ効果でもいい。信じる者は救われる、で、治した者勝ち、っていうのも全然ありだと思う。
個人的には、メグスリノキ、ケツメイシ、アイブライト、ビタミンE、Cなんかも併せて使えばもっと効果が出ると思う。要は抗酸化なんだよね。

網膜症

2018.8.11

今日も姉とごうちゃんと一緒。
盆ということで、養父にあるごうちゃんのご先祖の眠るお墓にご挨拶に。
その後、神崎郡にある古民家を改築したレストランで食事。
さすがごうちゃん、いつも通りの変顔。

その後、越知川というとてもきれいな清流で遊んだ。
川面を覗くと、アユがたくさんいた。


スイカを食べ過ぎたせいで、帰りにやたらと小便が近くなった。
トイレに何度か寄ってもらいつつの帰り道の車中、ごうちゃん、
「ほら、暗順応、明順応ってあるでしょ。たとえばこうやって高速を運転してて、トンネルに入れば、目はその暗さに対応するし、トンネルを抜けたときには明るさに対応する。でも最近、その調節がうまいことできてないねん。普通より時間がかかる感じ。なんでやろ?
いや、視力は何も問題ないよ。目は普通の人より断然いいほう。
何かオススメのサプリメントある?」

こういうことを尋ねられたとき、いわゆる目にいいサプリメントをオススメすることはできるんだけど、たし算よりはまず引き算をすべきことが多い。
つまり、現時点の生活習慣、食習慣のなかに、目に良からぬことをやってる可能性がないかどうか、というのをまず聞きたいところ。
たとえば外食ばかりしていて、化学調味料満載の食事を摂り続けると、目にどのような影響が現れるか。ネズミで実験をすると、網膜の形態と機能に異常が現れたという。(https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0014483502920178?via%3Dihub)
著者は、欧米よりもアジアに緑内障が多いのは味の素の消費量と相関してるのではないか、としているけど、おもしろい指摘だと思う。一般的な眼科の先生で、緑内障の原因として、MSGの過剰摂取を疑う人はまずいないだろう。でも、動物実験の結果からは、絶対鑑別にあげるべきなんだけどね。
あと、人工甘味料もよくないよ。たとえばアスパルテームは網膜症の原因になる。機序としては、アスパルテームに含まれるアスパラギン酸の神経興奮毒性とか、やはりアスパルテームに含まれるメタノールがホルムアルデヒドに変換されて、これが視神経に悪影響を及ぼしている可能性が考えられる。(https://www.nature.com/articles/1602866)

ごうちゃんはバッチリこの条件に当てはまっている。独り身で外食することが多いし、お客さん相手の仕事柄、口臭が絶対あったらダメだから、フリスクとかガムなんかの口中清涼剤(人工甘味料満載)をしょっちゅう食べている。

こういう人には、まず引き算、というのが基本。
外食に慣れた人にとって自炊を始めることは難しいだろうけど、フリスクをやめることはまだしもできるだろうから、そのへんから始めることを勧める。
同時に、目にいいサプリメントをオススメすることもできて、それは確かにお助けになるかもしれないけど、生活習慣の改善がないのに症状自体が軽快してしまうことは、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるようなものだ。原因の除去がなくては根治には至らないから、長い目で見ると結局本人のプラスにならないと思う。
だから、まず、引き算。
目にどのような栄養素が有効かということについては、また後日ね。

リンパ腫

2018.8.10

「水戸黄門の話ね、あれ、わかるよ。お約束の様式美、といったものだね。
人生の一時期、暴れん坊将軍を毎日2話ずつ見てた頃があるんだけど(←なんで笑)、この経験を通じて、様式美の何たるかを知ったと思う。
毎回見てると、話の流れのパターンが数種類しかないことに気付く。
で、今日の脚本家は誰々だな、みたいなことまで察しがつく。
パターンが読めるからつまらない、ではなく、パターンが読めるからこそ、何とも言えない愛着がわくんだ。
古くはドリフ、今なら吉本新喜劇もそうだろう。
志村の後ろに人が通っても気付かないのがおもしろいし、ここでタライが降ってくるって知っててもおもしろい。「志村、うしろー」ってね、今や伝説の定番フレーズだ。
新喜劇で、辻本がしげぞう役で出てたら、「許してやったらどうや」っていうギャグが出るだろう、そのギャグが出てくるとしたら、話の流れはこのパターンだろう、みたいなね。
俳句は、五七五というたった17文字のなかに、季語や切れを入れる制約まであるのに、表現形式としてほとんど無限の可能性を秘めている。同じように、劇の進行パターンが決まっているからといって、同じ劇は一つとしてない。むしろ、いつも同じ大枠のなかで、その回特有の違いを楽しむという、通な楽しみ方をする人もいるだろう」
友人からのフィードバック。
「新喜劇=時代劇」説とは、なかなか新鮮だ。
新喜劇の話を聞いて、ふと、小藪のことを思い出した。いつもは人を笑わせる話をする彼が、笑いと真逆の話をするものだから、印象に残った。
「僕のオカンは決して弱音を吐かない、さっぱりした人なんだけど、あるとき僕に電話があった。『一応言うとくけど、私入院することになった』と。僕はこのとき、『あ、これ、危ないな』と思った。一人で勝手に病院行って、さっさと治してしまうのがいつものオカンだ。僕にわざわざ電話をよこすなんて、おかしい。そこで僕は父に電話した。『オカン、死ぬんちゃう?』と聞いたら、オヤジ、『うん、死ぬで。悪性リンパ腫や』
それから闘病生活が一年ほど続いた。最後の頃には痛みがひどくて、モルヒネで何とか平穏を保っているような有様だった。
あるとき、意識朦朧としたオカンが何か言う。
「え、なんて?」
また何か言う。でもうまく聞き取れない。何度も聞き直して、ようやく、「ヘリコプター」と言っているらしいことがわかった。
その瞬間、僕はハッとした。子供の頃の記憶がよみがえった。
僕が小学生の頃、ある催し物で、「大阪上空を一周 ヘリコプター搭乗体験」というのをやっていた。乗ってみたいなと思ったけど、僕におもちゃとかクリスマスプレゼントとか買ってくれないオカンだったし、確か搭乗料が五千円とか、けっこう高かったから、僕のほうからは「乗りたい」なんてねだったりしなかったんだけど、「あんた、乗り」って、オカンのほうから勧めてくれた。僕は大はしゃぎで、空からの眺めを楽しんだ。「みんなが買ってもらって持ってるようなおもちゃはいらんねん。ヘリコプターなんか、普通に生きてても一生乗る機会ないで。あんたには、誰もが経験してないようなことを経験してほしい。」オカンは僕をそういうふうに育ててくれた。
生と死の境界線上にいるオカンの口から出た言葉が、「ヘリコプター」だった。
子供の僕にとってヘリコプターに乗れたことは、ワクワクする経験だったことは間違いないけど、同時に、オカンにとっても、我が子にそういう経験をさせることは、自分の誇りだったのだ。死の間際になって、自分が母から深い愛情を注がれていたことに、僕はようやく気付いた。
ふと、もうすぐ死にそうなオカンが「プリン食べたい」とつぶやいた。最後の親孝行の機会だ。僕はすぐ病院を飛び出して、バイクに乗って、百貨店に向かった。もう閉店の時間だったけど、サングラスとマスクを外せば、大阪だからみんな僕を知っているから、何とかお願いして、かろうじてプリンを買うことができた。病院へバイクを走らせながら、何とか生きていてくれ、と祈った。病室に着くと、生きていたが、プリンをスプーンですくって口元に運んでも、もう食べる元気もなく、そのまま息を引き取った。
オカンが好きだったモロゾフのプリン。好きだったことは知っていたが、僕が自分から買っていったことは一度もなかった。最後に買って行ったときには、食べてもらえなかった。だから僕は、後輩とかに言うんです。親孝行は親が生きてるうちにしとかなあかんぞ、と」

こういう話を聞いても、リンパ腫というところに引っかかるのが医者の悲しい悪癖で笑、お母さん、生活習慣に偏りはなかったかな、とか考える。
電磁波がリンパ腫の原因であることはマウスを使った実験(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8697452)や疫学的にも明らかで、たとえば高圧送電線の近くに住むことは健康へのリスクだよ。
外国だと人の立ち入りが禁止されるようなレベルの電磁波が検出される地域にも、普通に住宅街があるのがこの国土の狭い日本だからね。家賃が妙に安いアパート物件とか見付けても、飛びついて契約せずに、周囲に高圧送電線とかがないか確認しよう。安い家賃のために健康を失っては割に合わないよ。

プリンについては、僕はそんなに共感しないな。
僕の母は、もともとは甘いものはむしろ苦手なほうだったのに、 癌の転移に全身をむしばまれてからは、別人のように甘いお菓子をむさぼっていた。癌細胞は成長に糖質を要求する。母はその「体の声」に答えて、糖質をガンガン供給し、癌を肥え太らせていたわけだ。
「助けてあげたい。でもそのためには、この甘いもののドカ食いをやめさせないといけない」と思う一方で、「もう母は助からないだろう。最後くらいは好きなものを好きなだけ食べさせるのも、子としての情か」との思いもあって揺れたが、結局は現状維持が勝を占めた。僕はあえて甘いものをやめさせることをしなかった。

小藪の話には続きがある。
「モロゾフのプリンって、安物のプラスチックじゃなくて、ちょっとオシャレなガラス瓶に入ってるから、食べ終わった後も、洗って、めんつゆ入れる瓶として使ったりする。オカンがモロゾフ買ってくるたびに、捨てられないで、どんどんたまっていく。子供ながらに貧乏くさいなと思ってた。死後に残った大量のモロゾフの空き容器が、オカンの忘れ形見のようだった。」
僕の母の死後に残ったのは、大量のお菓子のストックだった。
今にして思うのは、当時僕がすべきことは、糖質摂取を放任することではなくて、ビタミンCの大量投与だった。
グルコースの分子式と、ビタミンCの分子式を見比べてみるといい。よく似ている。
似てはいるが、がん細胞に対するその作用は正反対で、糖質が癌細胞の増殖を促す一方、ビタミンCは癌細胞を破壊する。
死んだ人に、「こうしてあげるべきだった」の思いは、もはやどこにも行き場がない。同じ悲劇を繰り返さないよう、今日も僕は、患者にビタミンCをオススメしている。