2020年3月

Why

2020.3.10

男が男に惚れる、ということがある。
もちろん、変な意味ではない。
「この人のビジョンに共感した。自分に何かできることがあるのなら、是が非でもこの人に協力したい」
そういう衝動は、誰しも一度は感じたことがあると思う。

どういう人間が、人を惹きつけるのだろうか?
ルックス(アイドルみたいに恵まれた容姿?)、身体能力(誰にも負けない腕っぷしの強さ?)、宗教家的素質(持って生まれたカリスマ性?)。
いわゆる魅力には、様々な要素があり得るだろう。
しかし、Simon Sinek氏の分析は違う。
人を強く惹きつける人物は、ことごとく「Whyから出発している」。一方、俗物はWhatから始める。
非常におもしろい分析だと思った。

この視点で見れば、確かに、選挙で当選した議員は皆、演説で上手にWhyを主張していた思う。山本太郎しかり、立花孝志しかり。
「あなたを幸せにしたいんだ」「NHKをぶっ壊す」
どちらのメッセージも、簡潔で理解しやすく、”思い”が乗っかっている。冷静に聞けば、How(どうやって)に関して両者ともツッコミどころ満載なんだ。「できるわけないよ」批判することは簡単だろう。
それでも、彼らの主張が大衆の支持を得たのは、彼らのWhyに強い熱意がこもっていたからだ。
最近の立花さんはずいぶん迷走している印象だけどね^^;

キングコングの西野亮廣も、講演家の鴨頭嘉人も、上手にWhyを使っていると思う。西野氏は「ウォルト・ディズニーに勝つ」、鴨頭氏は「日本人全員を話上手にする」ということを目標に掲げている。
まず実現不可能な目標である。でも、それが現実的であるかどうかは、ほぼ関係ない。夢物語であってもかまわない。むしろ「ちょっと背伸びしたら叶うんじゃない?」ぐらいの卑近な目標であってはいけない。
一見荒唐無稽に思える目標の実現に向けて、夢を語り、真剣に活動する。そういう姿にこそ、人々は共感する。
西野氏や鴨頭氏が成功している理由がよくわかる。彼らは確かに、Whyから出発している。

しかし個人的には、最近見た動画で一番胸にグッときたのは、上記の誰の動画でもない。
レペゼン地球のDJ社長の動画『好きなことで、生きていく』に、素朴に感動した。
この人の他の動画はずっと前から見ていた。テキーラを一気飲みしたり、ドッグフードを食ったり食わせたり、しれっと差別用語を連発したり^^ハチャメチャで、おもしろかった。「テレビがユーチューブに負けている」ということの意味が、レペゼン地球を見ているとよくわかる。あんな芸、テレビで絶対放送できないよね^^;
下記の動画は、いつもの彼らと趣向が違って、DJ社長が一人で語る。どんな漫談を聞かせてくれるものだろうと口元に笑顔の準備をしつつ見ていたが、予想は裏切られた。いい意味で。この人がどんなふうに人生を切り開き、今の自分を確立したか、その秘訣を惜しげもなく公開している。
40分以上の長い動画だけど、見終わる頃には、この人のことを好きになっていた。
「人に使われたくない」ずいぶんチャラいWhyだと思う。キング牧師の「私には夢がある」の壮大さとは格が違いすぎる^^
それでも、感動した。人を信じたり人に騙されたり。苦境に陥ってもくじけず、何度でも立ち上がる。何て強い人なんだ、と思った。この人は、ユーチューブという時流に乗ってたまたま成功したのではない。他の分野に行っていたとしても、その芯の強さで、きっと成功していただろう。
Whyに共感すると、ファンになってしまうね。
しかし、こんなにコテコテの博多弁を長時間聞いたのは初めてだった。不思議と、神戸弁に似てるんよねぇ。

https://m.youtube.com/watch?v=PPnbEiXSYM8

僕のWhyは?
やっぱり「患者を救いたい」、これに尽きると思う。
この思いがなければ、お気楽な勤務医の身分を捨てて開業するなんてあり得なかった。毒みたいな薬を処方しないといけない罪悪感に耐えかねて、本当に人を救う医療を求めて、開業に踏み切ったんだ。
なかなか立派なWhyだと思う。でも、誰も共感してくれないけどね^^;

真菌、コレステロール、癌27

2020.3.10

健康とは何なのか、を知るためには、健常者だけを見ていては分からない。健康の意味は、病気との比較によって、明瞭に浮かび上がってくるものである。
このあたりの事情は、トルストイの言葉「幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭は皆それぞれに不幸である」と通じている。作家は、不幸な人々が自分の逆境をどう生き抜こうとするかを描くことで、人生における幸せの意味を提示する。
トルストイの表現を踏まえれば、「健康な人は皆よく似たものであるが、病気の人は皆それぞれに病気である」と言える。
医者の務めは、様々に異なる病気を考察して、健康とは何なのかについて答えを提示することだろう。

これは弁証法的な思考そのものである。
生命とは何か。その対極とされる、死とは何か。一方だけを見つめても、答えは出ない。
しかし、ヘーゲルはそれらのテーゼを突き合わせることで「生命は、その内部に、死を宿している」という止揚(アウフヘーベン)を得た。
「アウフヘーベン?あのおいしいケーキのことか!」いや、それは恐らく、バウムクーヘンのことですね^^;

どういうことか?
生命は、生まれた瞬間から死に向かって走り始める。盛者必衰。生とは、致死率100%の病である。
死は、どこか遠くにあるのではない。僕らの内側にしっかり根っこを張っている。年々大きく膨らんで、やがて僕らを飲み込む。それが死である。
まるで比喩のように思われるかもしれない。しかしこれが比喩どころか、科学的に極めてリアルな実態描写であることを示したのが、ガストン・ネサンである。

レイモンド・ライフやガストン・ネサンは、自身の開発した顕微鏡によって、生命の本質をCWDs(あるいはソマチッド、マイコプラズマ、どのように呼ぶのであれ)に見出した。
病気は、どこか遠くから来るのではない。すでに内側に、その種が用意されている。
体内環境の悪化(酸性化)が、休眠状態にある芽胞(CWDs)の発芽を促し、体の腐敗が始まる。本来健康体であれば7.4に維持されたpHが、病勢とともに低下し、死ぬ頃には7以下になる。
そう、CWDsは、生死を司る番人である。

繰り返すが、死はどこか遠くにあるのではない。
死と生のせめぎ合いは、僕らの体内で毎日行われている。
細胞が生まれては死に、また生まれては死に。
僕らはこの争いに負けるだろう。最終的には死の勢力が生を飲みこんで、僕らの体は腐敗し、土に還るだろう。
そう、「答え」は分かっている。それなのに僕ら、生きようとする。
なぜ生きるのか。
必滅の肉体である。仮の宿に一時泊まって、またどこかに去って行く。何の意味がある?一体人生とは、何なのか?

このテーマはおもしろいが、ここでは深入りしない。
ただ、色即是空 空即是色(実体は空っぽで、空っぽは実体である)を教える般若心経が、最後のほうで、真実不虚と説いているのは、希望のように感じられる。
そう、意味はあるんだよ。簡単にニヒルに陥ってはいけない。

必定の負け戦である。それでも、この人生を生き抜くことには、意味がある。
そして、よりよい生き方(あるいは死に方)というものが、確かにある。どのようにすればよいか?
そのヒントはCWDsにある。
どうすれば健康的に生きることができるか、CWDsの挙動はその答えを示唆している。

ネサンは搾りたてのニンジンジュースのなかに、無数の微小な分子(ソマチッド)が「踊っている」のを発見した。
彼が自家製の顕微鏡の下に見つめていたのは、生命の躍動だった。しかし農薬や化学肥料を散布されて育ったニンジンでは、ソマチッドの躍動が乏しいことにも、彼は気付いた。

野生の草食動物は、癌にならない。そればかりではない。野生動物の群れを観察してみるといい。どれが若い個体で、どれが老齢の個体であるか、ほとんど見当がつかないだろう。
一方、街に出て人間の群れを見よ。若者と老人の区別は、一目瞭然だろう。
ここには、よりよい食へのヒントが隠れている。
老いは不可避だと思われているが、そうではない。加齢(aging)によって、老け込む(senile)とは限らない。両者を分ける要因のひとつは、食事である。
ソマチッドを豊富に含むものを食べていれば、老けることはない。生き生きとした老年を迎え、穏やかな最期を迎える。ピンピンコロリの秘訣は、ソマチッドにあった。

胃潰瘍(および十二指腸潰瘍)は、ピロリ菌(Helicobacter pylori)によって起こるとされている。つまり、感染症であるから、治療として抗菌剤によるピロリ除菌が行われている。
本当だろうか?
1949~1952年にかけて、チェニーは100人以上の消化管潰瘍の患者に対して、生のキャベツジュースを飲むように指示した。
効果は劇的だった。キャベツジュースを飲み始めて6日から9日で、患者の全員が治癒した。
彼はこの治療効果を、キャベツに含まれる何らかのビタミンによるものと考え、それを”ビタミンU”と名付けた(UはUlcer(潰瘍)にちなむ)。
「キャベツを食うだけで、感染症が治ってたまるものか」一般の消化器内科医は言うだろう。
しかし、事実は事実である。「キャベツを食うだけで、感染症が治った」のである。
しかし彼らはこの事実を認めない。彼らにとって「胃潰瘍はピロリ菌感染症である」というのはもはや宗教的教義であり、いまだに堂々とピロリ除菌を行っている。
『胃潰瘍のビタミンU療法』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/13276831

後の研究で、アブラナ科植物(キャベツ、ブロッコリー、カラシナ、チンゲンサイ、カブなど)に含まれるスルフォラファンには抗菌作用、抗酸化作用、抗癌作用があることが示されている。
何も分析的に難しく考えることはない。
新鮮な生野菜に含まれるソマチッドを補充する。結局、野生動物が当たり前に行っていることに立ち返った、というだけの話である。

菜食主義が健康に至る唯一の道、と主張しているわけではない。
ネサンは人間の血液やリンパ液のなかにも、躍動するソマチッドを見出した。
草食動物を屠る肉食動物を見よ。彼らも見事な”ピンピンコロリ”である。多くの現代人が加齢の果てに迎えるみじめな晩年など、彼らにはあり得ない。
飼い犬にはドライのドッグフードばかりではなく、ときどき生の鹿肉やラム肉をあげよう。それだけで”内なる野生”がよみがえり、健康的な老年を迎える一助になるだろう。

参考
“Proof for the cancer-fungus connection”(James Yoseph著)

真菌、コレステロール、癌26

2020.3.9

忌避すべきマイコトキシン毒物源として、James Yoseph氏は以下の5つを挙げている。
1.マイコトキシン(カビ毒)に汚染された食材および建物
2.薬
3.職業曝露
4.血液の酸性pH(特にコーラなどの炭酸清涼飲料)
5.過剰なアルコール

具体的に見ていこう。
1.について。
神経難病(ALS(筋萎縮性側索硬化症)、パーキンソン病、多発性硬化症)の患者は、誤診を受けている。彼らの真の病名は、マイコトキシコーシス(真菌中毒症)である。
医者がしたり顔にいう「遺伝性疾患です」などという説明を、患者本人も家族も、真に受けて不安に思うことはない。
治療は、まず何よりも、カビ毒を含む食品を摂らないことである。

2.について。
カビ毒から作られる薬は多い。「毒を以て毒を制す」ことを意図したアプローチであるが、その結果は、治癒するどころか、「カビ毒にやられるだけ」である。
具体的に挙げるとなれば70種類以上にもなるが、特に以下のものである。
コレステロール降下薬(スタチン系)、降圧薬(メチルドパ、ヒドララジンなど)、抗菌薬(スルファジアジン、ミノサイクリン、イソニアジドなど)、抗不整脈薬(キニジンなど)、麻酔薬(プロカインアミドなど)、免疫抑制剤(シクロスポリンなど)、抗精神病薬(クロルプロマジンなど)

3.について。
マイコトキシンは「真菌由来生物学的防除剤(FBCA)」として、除草剤や殺虫剤として一般に流通している。
FBCAは「天然」の殺虫剤と銘打たれている(なるほど、カビ毒由来のものだから、天然と言って言えなくもないが)。
過去数十年にわたって、収穫後の作物に虫除けのために、果物の賞味期限を延ばすために、運動場の除草のために、我々はあらゆるところにこのカビ毒製品を噴霧している。
当然、FBCAと神経疾患の関係性を示唆する研究は多い。
『イタリアのプロサッカー選手間でのALS発症リスクの大幅な増加について』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15634730
1970~2001年にイタリア1部、2部リーグに所属した男性プロサッカー選手7325人を追いかけたコホート研究。
1980~1989年と1990~2001年にプレーした選手で有意にALSの発症が多かったが、1970~1979年にプレーした選手ではそのような傾向は見られなかった。
この統計をどう読むべきか?
「サッカー選手はヘディングをするせいで、後年神経疾患にかかりやすい」などと言われる。確かに、接触・転倒などでフィジカル面に激しい負担のかかるアメフトの選手ではそういう傾向があるようだ。
しかし、この傾向に、スタジアムの芝生管理に噴霧する除草剤が関与している可能性は?
「1970~1979年にプレーした選手ではそのような傾向は見られなかった」というのが大きなヒントで、80年代以降、けったいな除草剤が導入された可能性は?
スポーツが悪いのではなく、その周辺的な要素が病気の可能性を高めている可能性は、けっこう高いと思う。川渕チェアマン、そのへんも選手に気を遣ってあげて!

『スウェーデンにおける職業とALS』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1887762
オフィスワーカー(会社員)、農業従事者、医療従事者、いずれも職業環境からカビ毒に曝露する可能性はあるだろう(会社のエアコン、農業なら殺虫剤・除草剤、病院など)。

『イタリアフェララ州における農業従事者とALSについて(1964~1998)』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15995797
農業をやっていた人では有意にALSの発症率が高かった。
農家よりもまず、一般の消費者の意識改革が必要だろう。
一般消費者が「虫食いのない、きれいに大きく育った野菜が欲しい」などと言うものだから、農家のほうでも、売れる野菜を作るため、農薬や化学肥料を山ほど使う。
結果、そういう野菜を食べて一般消費者が健康を害するのはもちろんだが、農家のほうでも悪影響を受けずには済まない。
木村秋則さんは、奥さんがリンゴに散布する農薬で体調を崩すことをきっかけに、有機栽培の道を模索し始めた。この話から僕らが汲み取るべき教訓は多いと思う。

『職業曝露とALS~集団ベースの症例対照研究』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9199537
農業従事者におけるALSと農業化学物質(agricultural chemicals)曝露によるALSの増加がはっきり示されている。疫学の威力がこれでもかというくらい説得力を持った研究だと思う。
しかし、誰もこの研究のことを知らない。「これでもか」というくらい黙殺されている。消費者もだけど、農薬の害をモロに受けるのは農家さんだよ。

4.血液の酸性pH
厚労省は、日本国民の健康を思うのなら、妙な薬を許認可するよりも先にまず、コーラの販売を禁止すべきだろう。ダイエットコーラもあかんぞー。
コーラに含まれるリン酸の含有量は飛びぬけていて、健康な血液の1万倍の酸性度である。そもそも心臓はアルカリ性の血液を供給されて機能するアルカリ電池のようなものである。
甘い炭酸飲料を、特にすきっ腹で飲めば、胃壁からすばやく吸収されてすぐに血流に乗る。
「胃液の酸性度はコーラよりも高いんだぞ」などと得意げに説いてコーラの危険性を軽視する人がいる。まったくわかっていない。空腹時に飲むコーラが恐ろしいのは、膵液が分泌されないことだ。
普通の食事を摂りつつコーラを飲むのであれば(それも関心しないが)、消化管の蠕動運動が刺激されて、胃酸が分泌され、次いで膵液が分泌される。膵液は強いアルカリ性酵素を含み、コーラや胃酸などの酸性物質を中和する。
そういうバッファーなしに血中に一気に酸性物質が流入すれば、骨や筋肉に蓄積されているミネラル(カルシウム、マグネシウム)を切り崩して中和に努める。この状態が慢性的に続けばどうなるか?
ミネラルが骨から流出して骨粗鬆症に、筋肉から流出して線維筋痛症を来す。骨や筋肉がダメになって、神経は大丈夫という道理がない。糖尿病からくる末梢神経障害や多発性硬化症、果ては癌も起こり得る。
大人はともかく、子供は癌にならないだろう、と思いますか?とんでもない。身近に白血病のお子さんがいれば、尋ねてみるといい。「一日にどれくらいコーラを飲んでいましたか?」と。
コーラを10秒で一気飲みするハイキングウォーキングのあの芸人さんとか、絶対ヤバいと思うんよね(´Д`)

5.過剰なアルコール
これは僕のことですね^^;機会飲酒者だけど、飲むとなればとことん飲んでしまう。
アルコールの代謝プロセスでビタミンB群や各種ミネラルが消耗するリスクはもちろん、たとえば穀物から醸造したアルコール(ビールなど)であった場合、穀物に付着するカビ毒がそのまま製品に混入している可能性がある。

James Yoseph氏が提唱する「防御」法は以上である。
次回は、「攻撃」、つまり、積極的に摂取したい栄養成分について紹介しよう。

参考
“Proof for the cancer-fungus connection”(James Yoseph著)

真菌、コレステロール、癌25

2020.3.9

マージャンで勝つコツは、いかに大きな役を上がるか、ではない。
それは、「振り込まないこと」である。
自分の手を作ることも大事だが、それ以上に、相手に手を作らせてはいけない。
マージャンは4人でプレーする。だから、自分が上がる確率は、ざっと4分の1だ(流れることも多いけどね)。
たったの25%、である。全然高くない。
だから、基本、マージャンというのは、「上がれないものなんだ」と認識しておかないといけない。
もちろん攻めの姿勢は重要で、それが根幹ではある。しかし、まずマスターすべきは、降り方のほう。
いかに相手に振り込まず、かつ、自分の手作りもおろそかにせず、回し打ちするか。
誤解されがちだが、マージャンの強い人は、「デカい手をよく上がる人」ではない。確率的にいって、幸運な配牌やツモに恵まれ続けるはずがない。
基本は、苦しい状況をしのぐ防御である。かつ同時に、一方的に殻に閉じこもるわけではなく、ここぞというときには激しく攻める。
その使い分けが、マージャンのうまさなんだな。

このあたりの呼吸は、将棋も似ている。
プロの棋譜を見ていると、玉の守りをおろそかにしている棋士はいない。
美濃囲いや船囲いで玉を固めてから、攻め始める。ときには居玉で殴り合うような将棋もあるが、例外的だ。
もちろん、棋士には個性がある。攻め主体の棋風の人もいれば、受け将棋が持ち味の人もいる。
「相手の玉を詰ませるのが将棋なのだから、受けてばかりでは勝てないのでは?」と思うかもしれないが、もちろん全く攻めないわけではない。
相手の攻めを受けきってから(これを「受け潰す」という)、じっくり反撃に転ずる、というスタイルがあって、やられてみるとけっこう厄介なんだ。

ギャンブルには人生の縮図のようなところがある。
マージャンや将棋から人生に生かせる教訓があるとすれば、そのひとつは、攻めと守りのバランスだろう。(※マージャンも将棋も、リアルのお金を賭けてはいけません^^)
金をかせぐこと(攻め)も重要だが、ムダな出費を抑えること(守り)も重要だ。
健康についても、同様のことが言える。
体にいい健康食材を積極的に食べること(攻め)も重要だが、そもそも体に悪いものを口にしないこと(守り)のほうが、はるかに重要だったりする。
近年ブームの高タンパク食では肉を食べまくり、ベジタリアンでは野菜を食べまくり、オーソモレキュラーでサプリを飲みまくり、という食事法(「何を食うべきか」)がある一方、逆に、糖質制限、グルテンフリー、果ては断食など、忌避を主体とした食事スタイル(「何を食わざるべきか」)もある。
極端に徹すればチンイツや国士無双ができるように、状況によってはバランス派よりも極端派のほうが成果をあげることもあるだろう。

食事に関して、個々人の体質の違いがあることは当然だが、それでも、健康という目標を達成する上で万人に有効な戦略があると、個人的には思っている。
それは、まず、砂糖をはじめとする精製糖質と小麦(有機全粒粉も含め)を摂らないことである。
複合炭水化物(果物、サツマイモなど)も含めた一切の糖質を摂らない「断糖」スタイルは、low T3症候群が起こる可能性があって、さすがに極端すぎる。ときどき適量の米を食ったからといって、バチは当たらないよ。
小麦については、数十年前にロックフェラー財団が大幅な品種改良によりパンコムギを作ったが、今やこれが世界に流通する小麦の99%を占めている。以後、グルテン不耐症など、腸・免疫系機能の破綻に由来する疾患が激増した。もはや小麦の品種自体がアウトなのだから、有機であれ何であれ、基本、「もう小麦は食えない」と諦めることだ(実は、古代種のヒトツブコムギやフタツブコムギなら問題ないが、ほとんど手に入らない)。
実際、小麦を食べないという、ただそれだけのことで、多くの身体不調が改善する。小麦断ちは、一生心がける食事スタイルとして、採用する価値は充分ある。
子供たちが毎日給食で半強制的にパンと牛乳を食べさせられているけど、あれはどうにかならないものかな。

多くの先生が、それぞれの立場から牛乳の危険性を唱えている。
疫学(癌などの慢性疾患の発症率が上昇)、内分泌系(ホルモンバランスの異常をきたし性腺(前立腺、卵巣、乳房)の癌が増加、骨粗鬆症の増加)、食育(「給食でごはんのときも牛乳を飲ませるのは、食事のセンスとしてどうなのか?」)など、どれも一理ある。

James Yoseph氏の主張は、「穀物と牛乳はカビ毒汚染の最大のリスク食材」というもので、この着眼もおもしろい。
「穀物(トウモロコシ、小麦、ナッツなど)にカビ毒(fumonisin、penetrem、territrem)が含まれていることは珍しいことではなく、それどころか極めてありふれたことである。
特に飼料を大量に食べる家畜ではマイコトキシコーシス(真菌中毒症)の罹患率が高く、そうした畜牛のミルクが体に悪影響を及ぼすのは当然のことである」

そう、同氏が提唱する健康法は、まず、「攻撃よりも防御」である。つまり、何かを摂取して治療に努めよう、というよりも、毒物を摂取しないことである。
忌避すべきマイコトキシン毒物源として、彼は以下の5つを挙げている。
1.マイコトキシン(カビ毒)に汚染された食材および建物
2.薬
3.職業曝露
4.血液の酸性pH(特にコーラなどの炭酸清涼飲料)
5.過剰なアルコール

長くなったので、これらの毒物源についての説明は、次回にしよう。

参考
“Proof for the cancer-fungus connection”(James Yoseph著)

国語2

2020.3.7

紳士の実感がこもったグチを聞いた。
ゆとり世代の部下の能力があまりに低いことにうんざりして、その反動として、逆に学歴の重要性を認識された、という。
紳士ご自身は自分の学歴の低さをどこかコンプレックスに思っているふしがあったが、話を聞いていて、ジアタマのよさが伝わってきた。
真剣なグチなんだけど、どこかユーモアを含んだしゃべりで、聞いているこちらとしては、笑いながら相槌を打つ。グチを聞かされている、という不快感はない。
勉強という枠組みでは必ずしも力を発揮せず、代わりにトークやユーモアセンスで才能を感じさせる人がいるものだが、紳士はまさにそういう人だった。

飲み屋のバカ話なので総じて笑いながら流したけれど、紳士の話に内心異議を唱えたいところもないわけではなかった。
紳士は「一周回って、やっぱり学歴大事」という認識に至ったが、僕は「勉強ができるのに無能」という人をけっこう見てきた。学校秀才っていうのかな。学校の勉強ができるっていう、ただそれだけの人。応用力がないし、人間的におもしろくもない人。
そういう人を見ていると、どこかの教育評論家がいう「学歴ではなくて、人間の内容こそ大事」という意見も捨てがたいと思う。

学校のテストというのは、作問者がいる。そういう「誰かの枠組み」のなかでいい成績を目指して競い合うのが学歴社会で、それはそれで、ちょっとした知的トレーニングにはなるのかもしれない。でも世の中の問題には、「答えのない問題」のほうがはるかに多い。
学校で学ぶのは、あくまで基本にすぎず、金科玉条のように押し頂くようなものではない。学校で学んだ知識なんて、リアル社会ではいまいち使えないことが多いもので、個々具体的な状況にどう対処していくかは、自分で知恵をしぼって考えていくしかない。
結局、守破離なんだな。いろいろ試行錯誤して、自分なりのスタイルを作って飛躍していけるかどうか、そこがポイントだと思う。
いうて、僕も全然できてないけどね^^;

個人的には、国語はずっと苦手だった。成績は別にして、国語という科目に得意意識が持てなかった。中学の頃からそうだし、高校でもそう。
得点能力は悪くなかった。センター試験の国語とか、ほぼ満点だった。でも、得点能力と得意意識は、僕の場合、ほとんど相関していない。その点、数学は好きだし、成績もよかったんだけど。国語に関しては、ついに自信を持てないまま、学校教育を終了してしまった。
「あんなにたくさんブログで文章書いてるのに、国語が苦手なんて、嘘やろ」と言われるけど、本当。「筆者の言いたいこと」を客観的に読み取るのではなくて、思いっきり自分に引き寄せて、自分のまな板の上に乗っけてから解釈する、みたいなところがある。誰よりも深く理解したつもりでも、試験問題という形になると、正しい選択肢を選べなかったりする。そういうのが嫌で、得意意識が持てないんだと思う。

森毅先生が、何かのエッセーで書いてた。
どこかの高校の国語の入試問題で自分の文章が使われた。その問題を解いてみたところ、ほぼ全問正解だったが、唯一、最後の一問(「傍線部について、筆者の意図に最も近い選択肢を次の中から選べ」)だけ、間違えた。解答・解説集を読んで、納得した。「なるほど、俺はこういうことが言いたかったのか」と。
すごい話だと思わない?筆者でも満点とれないんだよ?^^;
でも国語という科目は、こういうものなんだと思う。著者の意向を超えたところで展開される忖度合戦、みたいなところがある。評論文ならまだしも、詩となれば、作問者の解釈次第で解答が揺れることはざらにあるだろう。
谷川俊太郎はこういう状況に業を煮やして、学習塾大手(希学園とSAPIX)を訴えた。
『作品、勝手に受験問題集に 谷川俊太郎さんら提訴』
https://blog.goo.ne.jp/kuyan2/e/a7d718fd1c531f38b352c2e1535ac0d5
受験業界関係者のなかには「自分の作品が模試や入試で使われ、多くの学生に読まれることは著者にとって名誉なことだろう」と考える人さえいるが、とんだ思い違いである。
自分の詩を、勝手に一部空欄にされたり、横に傍線引かれたり、「作者の気持ちとして正しいものはどれか、選べ」とか、勝手に気持ちを推測されたり。作者に対して、失礼極まりないことだと思う。
ただ、この一件以後、谷川俊太郎は受験業界から「要注意人物」としてマークされ、彼の詩が受験に出ることはぱったりなくなったという。
これは、谷川さんにとって、よしわるしじゃないかな。僕が谷川俊太郎の詩を知ったのは、塾の国語の問題集を通じてだった。「なんてきれいな言葉を書く人だろう」と思って、そこから彼の詩集を手に取った。今後、受験問題集をきっかけにして谷川俊太郎の魅力に気付く人はいなくなったわけで、それはそれで寂しいことじゃないかな。