院長ブログ

刑法39条

2019.1.5

勤務医の頃は、人間関係とかいろいろすごく面倒だった。
「それ、パワハラでしょ」と言いたくなるような上司の言動は無数にあった。
一番ひどいと思ったのは有給取得を認めてくれなかったこと。
基本的に角を立てたくない性格だから、理不尽な要求もグッとこらえて飲むようにしてたけど、さすがにこれには我慢できなかった。
「何も直前に休ませてくれと言っているわけじゃないんです。
一か月以上前に、事前にお伺いを立てているんです。どうしても、認めてもらえないのですか」
「少ない医者で職場が回ってるんだ。年齢的にはいい年したおっさんだが、ここではお前が一番下っ端なんだぞ。
下っ端が有給とか、何ぜいたくなこと言っている。俺だって有給取りたいよ。でも取らずに頑張っているんだぞ」
こんな具合に混ぜ返してくることはわかっていた。
議論の泥沼に巻き込まれるつもりはない。
単刀直入に、用意の言葉を言う。
「わかりました。話が通じないようなので、病院長宛てに内容証明郵便で有給願いを出します。
それでも通じないようであれば、労基に現状を話しに行きますので」
さすがに面食らったようで、急に態度が軟化した。
「いや、しかし、四日というのは、さすがに長いね。二日でどうだ。二日なら認めよう」
本当はこんな提案も突っぱねて、黙って四日休めばよかったんだと思う。
そうしたところで、病院規則に従って行動しているんだから、何も僕を咎めることはできないことは分かっていた。
でも、相手にもプライドがある。
こちらの思いのままになる、というのが、彼には許せないんだな。
このあたりが落としどころか。妥協して、二日の有給取得となった。
これでも、僕としては相当頑張ったほうだ。
しかし、こんなことを言わせるなよ。
言わせるほど、追い込まないでくれ。

いい上司、嫌な上司、なんて白黒はつけないのが基本方針。
いわゆる「いい上司」にも、生理的に受け付けない不快な癖があったりするし、「嫌な上司」にも、何とも憎めないかわいいところがあったりする。
人間は多分、どんなことからだって学べると思う。
嫌な上司も、ときにはハッとすることを言う。
「ほら、今日の措置の患者に限らないけどね、ああいう患者見て、君、どう思う?
完全に見当識がぶっ飛んでて、まったく自分を失ってると思う?
俺、そうは思わないんだな。
なるほど、疎通はできないし制止がきかない。放っておいては自傷他害の恐れのある危険な状態だ。
それでも、一抹の自分は残ってるんじゃないかな。
心が10あるとして、9はぶっ飛んでいるかもしれない。
でも1は、自分の精神の1割くらいは残っているんじゃないか。
心神喪失と心神耗弱って言葉がある。医学用語というよりは法律用語だけどね。
心神喪失状態にある人が罪を犯しても、罰せられず、心神耗弱状態にある人が罪を犯せば、減刑。刑法39条で決められてるんだ。
医者だから法律の専門家である必要はないけど、これくらいは知っておくといい。警察とか裁判所から、診断書やら鑑定書を書いてくれと求められることもあるかもしれないからな。
たとえば精神科通院歴のある患者が、駅のホームで電車を待っているときに前の人を線路上に突き落とした、みたいなニュースがときどきあるだろう。
ああいう事件の精神鑑定を頼まれたら、どうする?
『被告は犯行当時心神喪失状態にあり、理非の分別がつかず、従って被告の行為は犯罪を構成しない』と、あっさり書いていいものかどうか。
精神障害者だから無罪放免、という刑法39条の規定は、ちょっとどうなんだ、と俺は思っている。
この規則が言っていることは、要するに、『気違いを刑務所にぶち込んでも仕方ない』ということだ。
冷たくないか。
逆差別のように感じるんだ。
『罰するということは、許してやることだ』という言葉がある。
罰してもらえない彼らは、一体何なんだ、と思う。
そもそも俺は、本当の意味で『心神喪失』という状態があり得るのか疑問に思っている。
どんなにぶっ飛んで見えようが、一抹の自分は残っていたはずで、その残っていた量に応じて、多少なりとも罪を負わせてやる。
そちらのほうがよほど精神病者を対等に扱っていると思わないか」

個人的には、完全な心身喪失状態はあり得ると思う。
たとえば酒に泥酔して、記憶が飛ぶなんてことはよく経験するところで、僕の場合はそういう状況でも案外普通に会話したり受け答えしたりしているようなんだけど、酒乱で暴力的になる人もいる。
ただ、上司の言っていることもよくわかる。
「病気だから、仕方ない」という論理は、どんな罪も正当化してしまう無敵の印籠のようで、これは一見、精神病者を守っているようでいて、実は精神病者を排除する論理になっていないか。
考える価値のある深いテーマだと思う。

リフィーディング症候群

2019.1.4

1580年というのは、戦国の真っ只中で、日本中が混沌としていた。http://www.geocities.jp/seiryokuzu/c1580.jpg
近畿から東海にかけてのメインどころは大体信長が抑えていたけど、四国の長曾我部は強かったし、中国の毛利陣営の結束も固く、まだまだ天下統一は遠かった。
そんななか、信長から中国平定の命を受けたのが、羽柴秀吉だった。
西進し毛利の牙城に近づくにつれ、兵士の統率力も高く、抵抗が強くなる。
正面突破の正攻法で大戦を交えるのも一法だが、それで敵方を落としたとて、こちらの被害が大きくては意味がない。
こちらは道の途中、天下統一の大目標に進んでいるところなのだ。
そこで秀吉、黒田官兵衛の助言のもと、様々な策をこらすようになった。
三木の干し殺し、備中の水攻めなど、相手の意表を突く作戦は見事に当たり、次々と城を攻め落とした。

さて、1580年。
鳥取城は2万の大軍を率いる秀吉軍に包囲された。
城主山名豊国は3ヶ月籠城したものの、ついに多勢に無勢と思い立った。徹底抗戦を主張する家臣を尻目に、単身秀吉の陣中に赴き、降伏を申し入れた。
秀吉はこれを容れた。自分の配下となって中国攻めに協力することと引き換えに、豊国の助命を約束した。
驚いたのは家臣たちである。降伏?断じて受け入れられない。
重臣の森下道誉、中村春続らは新たな城主として毛利家の家臣吉川経家を迎え、秀吉軍との対峙を継続した。
ここで秀吉、一計を案じた。
城の周辺の農民を追い込み、わざと城に逃げ込ませた。
通常、城には2000人ほどの兵士や家臣がいたが、そこに2000人の農民が庇護を求めて流入した。
当然多くの食糧が必要になるが、圧倒的な経済力のもと、秀吉は若狭から商船団を派遣し、米を高値で買い占めた。これにつられて、鳥取城の兵糧米ですら、売る者があった。
城内の20日分の兵糧の備蓄は瞬く間に尽きた。
そして、飢餓地獄が始まった。

城内の雑草はもちろん、虫も食べた。
馬や牛を食べ尽くした後は、犬、猫、ネズミさえ人々の胃袋に消えた。
それでも、兵糧攻めは続く。
空腹に耐えかねて、城から飛び出そうとする者もいたが、周囲は秀吉軍に包囲されていて、ネズミ一匹逃すことはない。鉄砲の一斉放射を浴びて絶命することになった。
留まるも地獄、飛び出すも地獄。
食えるものは、何一つとしてない。
いや、一つあった。
人間。
城から脱出しようとして鉄砲で打たれて傷を負った者に、人々は群がった。
無論、助けるためではない。生きたままナタでさばき、その肉で空腹を満たすためである。
そもそも明治以前の日本人にとって肉食は一般的ではなかった。肉を食べることにさえ抵抗感があるところ、人肉を食わざるを得ない極限状況だった。

ところで、人間は断食状態でどれくらい生存できるのか。
これについては731部隊による人体実験がある。水だけは可とする実験なんだけど、普通の水だと45日、蒸留水だと33日生存する。
水だけは飲める静かな実験室と、水も何もない阿鼻叫喚の城内とでは、相当状況が違うだろうけど、人間って意外にタフなんだね。
ブッダも修行の一環として、20日ほどの断食を何度も繰り返したというし、断食修行の最中に亡くなったというお坊さんの話は聞かない。
デトックスのために3日ぐらい断食したって、大して心配いらない。
3日食わない程度の苦しみは、苦しみのうちに入らない。
鳥取城の兵糧攻めは、4ヶ月続いた。

「私さぁ、鳥取城、登れないの」
とある場末のバーで、女が言う。
「小学校の遠足とかで、地元の子供たちはみんな登らされるの。
ちょうどピクニック感覚で登れて、久松山の頂上にある城跡からは鳥取市が一望できて、晴れた日なんかはすごく気持ちいい場所なんだけど。
でも私って、ほら、『見える』から。そういう人にはあの城、マジで無理なんだよね」
「何か霊みたいなのがいるの?」
「いるよ。たくさんいる。
遠足だから、おにぎりとかお弁当持っていくでしょ。
で、頂上で開けて食べるんだけどね、全然味がしないの」
「どういうこと?」
「私が食べる前に、食べられちゃうの。
あのさ、仏壇にお供え物としてご飯とか果物、お菓子を置くでしょ。あれはね、ただの飾りじゃないの。ご先祖さま、本当に食べているからね」

断食で難しいのは、食を抜くことよりも、復食のほうだ、という。
つまり、食事をとらないことによる空腹感は、案外すぐ慣れる。やってみるとわかるけど、「このまま何日でも我慢できそうだ」ぐらいな感じさえする。
でも一番難しいのは断食の納め方、復食で、休息状態にある胃腸をゆっくりと活動させていかないといけないんだけど、最初の一口を食べるやいなや、それまで眠っていた食欲が爆発して、一気にドカ食いしてしまったりする。
実はこれは非常に危険な行為だ。
断食が危険というよりも、この復食の失敗が危険なんだ。
リフィーディング症候群という病態がある。
慢性的な栄養失調状態にある人に、輸液などで急激に栄養補給すると、心不全を起こし、最悪死亡することがある。

城内の惨状を見かねて、ついに吉川経家、秀吉に降伏を申し出た。
自分の切腹と引き換えに、領民の命は助けてやってくれ、と。
秀吉、これを認めた。
こうして飢えに苦しみ抜いた人々は、城の生き地獄からようやく解放された。
戦が終われば、ノーサイド。
秀吉は大きな鍋に大量の米を炊き、これを飢えた人々にふるまった。「さぁ、好きなだけ、たらふく食べるがよい」と。
4ヶ月ぶりの米の味!
人々は咀嚼するさえもどかしく、大量の飯を腹いっぱいにかきこんだ。

人体はよくできたもので、栄養の供給がない状態ではちゃんと省エネモードになっている。グルコースの代わりに体内のタンパク質や脂肪を主体にしたエネルギー産生になっている。
血中のビタミンやミネラルは当然欠乏している。
そこに糖質が急激に大量に流入するとどうなるか。
血糖値の上昇に呼応してインスリンが分泌され、細胞内に糖が取り込まれ、ATP回路が回り始め、大量のリンが消費される。
また同時に、カリウムやマグネシウムが細胞内に流入する。
しかし血中には充分なリンもカリウムもマグネシウムもないし、糖を代謝するだけのビタミンB1もない。ウェルニッケ脳症から意識障害をきたす。
また、リン欠乏がATP不足に拍車をかけ、致死的な不整脈を起こす。

4ヶ月の兵糧攻めを耐え抜いたものの、その後に秀吉から賜わったこの大盤振る舞いのために死亡した人々もあったという。
解放後にこんな罠があったとは。
リフィーディング症候群というのは、断食よりもはるかに怖いものなのだ。

ALT

2019.1.3

正月くらいはいいだろう、という甘えが出て、つい酒が増えてしまう。
しかし三が日も今日で終わり。
そろそろ日常に復帰せねば。

アルコール多飲で上昇する血液マーカーの一つに、ALTがある。
似たようなマーカーにASTというのもあるが、ASTは肝臓に限らず心筋、骨格筋、赤血球など広く分布している。
一方、ALTは主に肝臓に分布しているため、とりあえず肝臓の負担を知るには、まずALTを見る。
医学生は「ALTのLはLiverのL」などと引っかけて覚え、試験に備えるわけだけど、学生が臨床検査の授業で習うのは、せいぜい「ALTが35以上だと肝障害の疑いあり」程度のこと。
この検査項目の生理的意味は?低ければ低いほど、肝臓の健全さを示している?
これはASTも同じだけど、「数字が高ければ危険」ということしか学んでいないものだから、一般の医者はこうした問いに何とも答えようがない。

わりと最近の論文に、こんなのがあった。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/28633440
タイトルは、「高齢者におけるALT(アラニンアミノ転移酵素)低値と虚弱、障害、筋肉減少、生存率低下について」
要約をざっと訳してみると、、
高齢者におけるALT低値は予後不良であることが示されていたものの、この関連性については詳しく調べられていない。
この問題に切り込むため、我々は前向きデータベース(InCHIANTI study。虚弱、障害、筋肉減少、血中ピリドキシン濃度を系統的に調べた研究)を分析した。
データは、慢性肝臓病、悪性疾患、アルコール依存症のない65歳以上の765人(平均75.3歳、女性は61.8%)から集めた。
「虚弱」はFriedの基準、「筋肉減少」はCTを使った評価(身長と脂肪量から筋肉量を線形回帰し三分位で最も少ないグループ)、「障害」は日常生活の動作で少なくとも一つ介助を必要とすること、とそれぞれ定義した。
ALTと全死亡率、心血管系疾患による死亡率の関連は、時間依存型共変量を伴うCoxモデルで評価した。
結果、ALT活性は虚弱、筋肉減少、障害、ピリドキシン欠乏と逆相関していた。
これらすべての共変量を含めた多変量調節モデルにおいても、ALTが高いほど、全死亡率および心血管系疾患による死亡率は低下していることが確認された。 (全死亡率: ハザード比 0.98 [0.96-1], p = .02; 心血管系死亡率: 0.94 [0.9-0.98], p < .01) ALT活性と死亡率の関連は、非直線的(Jカーブ型)で、血中ALT濃度の下位5分位の人々では全死亡率、心血管系死亡率の急激な上昇が見られた。 これらの結果によると、高齢者におけるALTレベル低値は、虚弱、障害、筋肉減少のマーカーとして、また、有害事象に対する独立した予測因子として、利用できることを示している。 ALT低値と肝代謝能低下の関連性について、今後のさらなる研究が待たれる。 要するに、アルコール依存症とか慢性の肝臓病とか、そういう病気がない限り、ALTは正常範囲内高めのほうがむしろ健康的なんだ。 栄養療法的には、20~22とか言われてる。(この数字の根拠はよくわからんけど。) でもとにかく、ALT一桁とか、決して好ましくない。 一般の先生は「ALT 6かぁ。肝臓はまったく問題ないね」で済ませてしまってるのが現状だろう。 数字は多くの情報を与えてくれるのに、受け手(医者)の側がそのデータの読み方を知らなければ、豚に真珠、宝の持ち腐れということになってしまう。

価値

2019.1.2

正月で実家に帰っていて、久しぶりにテレビを見た。
『芸能人 格付けチェック』はさすがにそろそろヤラセのにおいが漂い始めてると思う。
ガクトはうまく隠してるけど、ヨシキはあんまり隠す気ないんちゃうかな笑
ミュージシャンとして超一流なのは誰しも認めるところだから、こんな番組公認の『一流芸能人』の称号なんてヨシキにしたらどうでもよくて、お気楽に楽しんでる感じだった。
昔は叶姉妹が「全問正解枠」で、いつの間にかフェードアウトして、その後任がガクトだった。
あの番組のおもしろさは、ふだん通ぶってる一流気取りの芸能人の化けの皮がものの見事に剥がれるところにある。
その落差を際立たせるには、全員が二流三流に落ちてはダメで、絶対強者が一人は必要だ。
ガクトは、そういう番組の要請にドンピシャではまったということだろう。
バラエティーなんだからヤラセは全然あっていいと思うんだけど、もっと上手にだましてくれないと、視聴者としてはしらけちゃうな。

ワインの飲み比べ。
一方は1959年産の一本百万円の高級ワイン。もう一方は、一本五千円のハウスワイン。
浜田がどこかで「すっぱいほうを言っといたらええねん」って言ってたけど、これはけっこう核心ついてると思う。
発酵年数が長いってことは、その分、酢に近づいてるってことだから。
どっちがおいしいかで言ったら、断然五千円のほうでしょ。
でも金額的にケタ違いに高いのは、すっぱくてマズいほうだっていう。
金持ちのワイン道楽って、バカみたいだね。
スーパーに行ったら一本千円切ってるようなワインもたくさんあることを思えば、五千円のワインでも庶民には十分高級品で、案外このあたりがコスパも味も一番いいんだと思う。
しかし、一本ン万円の高級ワインを複数並べて、本気で「利きワイン」をやったとしたら、実はプロのソムリエでも当てるのは至難の技なんだって、田崎真也が言ってた。「正直けっこう間違える」と。
ガクト様なら当てられるのかなぁ^^

音楽の聞き比べ。
ストラディバリのバイオリンとチェロ、スタインウェイのピアノなど、総額ン億円の楽器で奏でる四重奏と、一般的な練習用バイオリンとピアノなどで演奏する四重奏。
どちらが高額な楽器で演奏しているか当てる。
実は、これに関してはエビデンスがある。
「一流の音楽家でさえ、超高級なバイオリンと一般的なバイオリンを聞き分けることはできない」と。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/photogrst1964/48/6/48_6_450/_pdf/-char/ja
プロのオーケストラ関係者にとって、これはそれなりに切実な疑問だった。
楽器の値段というのは天井知らずで、良質な楽器にこだわり始めたら、キリがない。
そのこだわりの分だけ、オーケストラの質が向上し、観客の満足度も上がるのなら、こだわることにも意味があるだろう。
楽器の値段とその音質に相関があるのなら、楽器への投資もムダではない。
しかし、そうでないのなら、どうだろう。
一本1億円のストラディバリで演奏しようが、一本100万円の一般的なバイオリンで演奏しようが、音質に何らの違いがないのなら、楽器へのこだわりは無意味ということになる。
で、プロの音楽家に聞き比べをしてもらったところ、有意差はなかった、というのが結論だ。
だから、この「聞き分け問題」で間違えた人は、何ら恥ずかしがる必要はない。
違いはないんだから、わからなくて当然なんだ。
むしろ当てちゃう方が不自然なんだよね。

この番組を見ていると、価値とは何か、ということを考えてしまう。
「価値とは、希少性のことだ」と経済学は教えている。
なるほど、希少だからこそ、ダイヤモンドやゴールドには価値があるのだ。
今僕の目の前にある窓ガラスが世界に唯一存在するガラスだとすれば、このガラスに何億円という値段がついて、博物館に収められ、鑑賞する人々はその透明な美しさをほめたたえるだろう。
頻度としての希少性も、価値を生ずる。
ときどき、きれいな夕日を見ることがある。その美しさに打たれて、しばし立ち止まって、じっと沈む夕日を見つめたりする。でもそういう夕日が毎日当たり前に見れるものだったら、何も感じなくなる。
宇宙飛行士は、当初、宇宙から見る星の圧倒的な美しさに感動するが、次第にそれは日々の風景になり、やがて何も感じなくなるという。

僕の叔父は寿司屋をやっているんだけど、アコウやクエを仕入れてきて、僕に食べさせてくれたりする。
まぁ、それなりにうまい。でも、あえて自分で高い金を出して食べようとまで思わない。
イワシとアコウ、値段が百倍違うとしても、アコウが百倍うまいかといえば、全然そうじゃない。
それは単に、味が違うというだけで、どっちがうまいという話じゃない。
でもお金持ちのお客さんなんかは、喜んで百倍の金を払う。
彼らがお金を払っているのは、希少性に対してなんだな。

高級レストランのシェフが、高級食材を使た料理と、ニセモノを使って同じような味に仕上げた料理。
食べ比べて、どちらが高級食材を使った料理かを当てる。
出演者はみんな苦戦してたけど、あれはすごいな。
何がすごいって、料理人の腕がすごいわ。
工夫次第で、高級食材の味が再現できちゃうってことだもんな。
希少性が売りの高級食材を、別の安価な食材で再現できてしまうということは、その高級食材の「価値」を下げることにもつながりかねない。
でもそれを可能にしているのはシェフの腕で、その技術自体が、やはり、また別の価値だと思う。

僕は栄養療法をメインでやっている。
栄養療法というのは、今の日本では全然一般的な医療ではない。
一般的な医療といえば、対症療法のことだ。
対症療法というのは、血圧が高いなら、はい、降圧薬、癌ができたなら、はい、手術、というような、症状を抑えることに特化した治療のことだ。
症状を引き起こす原因には目もくれず、無理矢理症状を抑えるだけでは全然治療になっていないと個人的には思っているんだけど、僕みたいな考え方は一般的ではない。
つまり、一般的でははない僕の医療スタイルは、市場において本来、希少性があるはずなんだけど、その希少性を求めて当院に来られる方は多くはありません^^;
希少であるというだけで、そこに価値を見出してもらえなかったら、ダイヤモンドもただの石ころなんだよなぁ´Д`

ミトコンドリア

2018.12.31

かつて地球上には酸素が乏しく、そこで生きている生物といえばすべて嫌気性生物だった。
6単糖のブドウ糖を3単糖のピルビン酸(あるいは乳酸)に分解する解糖系でエネルギーを得ていた。
そこに突如、太陽の光をもとにしてエネルギーを作る光合成細菌が生まれ、酸素を作り始めた。
せっせと活動を続け、地球に大量の酸素が蓄積していった。
これは地球の従来の住民たる嫌気性細菌にとって一大事である。酸素は彼らには毒物だったからだ。
やがて、この毒物たる酸素を有効利用する好気性生物が出現した。ミトコンドリアはそうした生物の一種だった。
嫌気性細菌と好気性細菌、異質ながらも、彼らは互いに魅かれるものを感じていた。
「双方それぞれに長所、短所があるが、両者が合体すれば、我々はすばらしい生命体になれるだろう」
彼らはそう考えた。融合を目指し、折衝、交渉、衝突が繰り返された。
好気性細菌は嫌気性細菌のなかへの侵入を試みては、何度も失敗した。
侵入に成功しても、共生関係を築き上げるのがまた大変で、やはり何度も失敗した。
8億年かけてようやく共生に成功した。
関係性がうまくまわりはじめるまで大変な苦労をした夫婦のようだ。
しかし8億年かけて実った共同生活は、彼らの長所を生かし合い短所を補い合ったもので、彼らの当初の目論見通り、見事に当たった。
この共生スタイルは生物界を席巻し、一つのスタンダードになった。

もちろん人間もこの系譜を継ぐ生物だ。
つまり人間の細胞は、嫌気性細胞が細胞質としてベースにあり、そこに好気性細胞たるミトコンドリアが侵入した形で、両者の特色を併せ持つ細胞だということだ。
両者の違いのうち、最も重要なのは、エネルギーの産生方式の違いである。
1分子のグルコースあたり、細胞質で行われる解糖系では2ATPのエネルギーが生み出されるのに対し、ミトコンドリアでは36ATPとはるかに能率のいいエネルギー産生が行われる。
ただし、エネルギー産生の速さは解糖系のほうが、ミトコンドリアよりも100倍はやい。
甘いもの食っとけば手っ取り早く元気になる(シュガーハイ)のは、この辺りが関連している。
そう、解糖系の強みは瞬発力で、ミトコンドリアの強みは持続力だ。
短距離走とか格闘技の選手というのは、どちらかというと息を止めてプレーしている。
解糖系の瞬発力で勝負する競技だから、酸素を遮断したほうがむしろ有利なんだ。
一方、マラソンとか、あるいはジョギングやウォーキングでもそうだけど、長時間のエネルギー供給が要求されるスポーツはミトコンドリア主体だ。
ミトコンドリアが機能し続けるには酸素が必要だ。
10年位前にオリンピックの水泳で、スピード社の開発した水着を着た選手が世界記録を塗り替えまくったことがあったでしょ?
たかが水着を変えるだけで、なぜこんなに記録が伸びたのか。
一般には、きつい水着で体をしめつけることによって、水の抵抗が減ったからだといわれている。
流体力学的には確かにそういう面もあるだろうけど、生理学的な説明としては、きつい水着によって血流が遮断され(つまり、酸素供給が遮断され)、それが解糖系の瞬発力を生み出す上で有利に働いたからだ。
このメカニズムを踏まえて考えれば、スピード社の水着は長距離の遠泳には恐らく向いていない。
マラソン選手は皆、ラフなゆるい格好で走っているでしょ。
あれと同じことで、持続力の維持には酸素(血流)が必要なんだ。

解糖系は細胞分裂が得意で、ミトコンドリア系は細胞分裂をむしろ抑制する、という特徴がある。
そもそも、嫌気性細菌と好気性細菌(ミトコンドリア)の合体がうまくいったポイントは、ミトコンドリアが分裂抑制遺伝子を持ち込むことによって、嫌気性細菌の分裂にブレーキをかけたことだった。
この名残は今でもあって、ミトコンドリアの多い細胞は分裂しにくく、少ない細胞は分裂しやすい。
ミトコンドリアが多いのは、休みなく働き続けられる組織、たとえば心筋、脳、横隔膜、肝細胞、赤筋だ。
これらは酸素あってこそ機能が発揮できるから、虚血に弱い。心筋梗塞や脳梗塞のことを考えれば合点がいく。
一方、ミトコンドリアの少ない細胞の例としては、精子、上皮(腸、皮膚)、骨髄、癌細胞、白筋がある。
これらは虚血、低温に比較的強い。
癌患者の平熱は総じて低い(35度台)ものだけど、そのほうが増殖に好都合なわけだ。
逆に、適切な血流が保たれ平熱が高めの人は癌になりにくい。

さらに、もう少し細かいメカニズムまでいうと、ミトコンドリアの内部(水素伝達系)で水素がプロトンと電子に分かれるんだけど、このプロセスで電磁波が使われる。
地球上で最大の電磁波供給源は、太陽の光だ。
だから、日光浴で元気になるのは理にかなっている。
日焼けサロンとか、人工的な紫外線を長時間浴びると癌になるのは確かだけど、その事実だけで以って「日光は皮膚癌の原因だ」と紫外線対策をやりすぎるのも問題だ。
日光に当たらないとミトコンドリア由来の分裂抑制遺伝子が機能しないので、たとえばロシア人とか北国の人は背が高いよね。
ベルクマンの法則(近縁種の動物の場合、寒冷地に住む種ほどデカい)はこの辺りの理屈で説明がつくと思う。
日陰で育てた植物がひょろ長くなる徒長も、植物の細胞にもミトコンドリアがあるのだから、関係してそうだ。

嫌気性細菌を男、好気性細菌を女とすると、この比喩はけっこううまく機能する。
互いに魅かれあった二人だが、同棲生活はなかなかうまくいかなかった。
試行錯誤の末にようやく共生に成功したわけだけど、受精という現象は20億年前の細胞内共生の瞬間のやり直しのようだ。
精子はミトコンドリアをほとんど含まず、まるで嫌気性細菌そのもので、一方の卵子はミトコンドリアを豊富に含み、好気性細菌のカタマリのようだ。
「個体発生は系統発生を繰り返す」の法則がここにも顔を出す。
遠い昔の交合を、今、また、繰り返す。
セックスというのは、実に、よくできている。

ミトコンドリアのことが分かれば、健康の秘訣が見えてくる。
ミトコンドリアは日々の心がけによって増やすことが可能だ。
具体的には、運動したり頭を使うなど、適切に肉体的、知的負荷をかけることで、筋肉(赤筋)や脳神経のミトコンドリアが増える。
逆に、発癌物質(食品添加物、農薬など)や過剰なストレスなどによって、血流が低下し、細胞内環境が悪化するとどうなるか。
ミトコンドリアの機能不全が起こる。ミトコンドリアという連れ合いが出て行ってしまい、20億年前の独身時代に戻った格好だ。
いわば先祖返り現象で、具体的には、ミトコンドリアを削る遺伝子変異が起こっている。
20億年前、嫌気性細菌時代のライフスタイルに戻れば、無酸素状態でも生きられるからだ。
一般的な医学は、癌は遺伝子の変異が背景にあると教えているけど、これは正しくないよ。
因果関係がむしろ逆。遺伝子の変異は癌の原因ではなくて、過酷な内部環境への適応の結果だ。
そもそも、ストレスに対する反応は病気ではない。
体は実に巧妙で、間違えないようにできている。
症状即治療であり、症状自体は体の適応の結果なんだ。
現れている症状を原因とみなして叩く治療は、本当の原因に目を向けていない。
だから、癌に対して手術や放射線、抗癌剤でアプローチしたって、治るわけないんだよね。