2019.1.10
進化的に見ると、脳は建て増しに次ぐ建て増しを経て作られてきた。
まず視床下部は、脳というビルの地階にあって、いわば、空調や電気、ガス、水道などの調整をしている。
具体的には、体温、浸透圧の調整、摂食行動、性行動など、生きるための基本となる機能を担当していて、自律神経の中枢だといえる。
ここがダメにになっては、生存にモロに影響する。
だから、視床下部にできる脳腫瘍って、脳外科医泣かせなんだ。すごく難しいから、外科医もできればこの辺りはいじりたくない。
ビルのさらに上には、大脳辺縁系があり、これは感情の中枢だ。情動(喜怒哀楽、好きか嫌いか、快か不快か)、意欲、記憶などを司っている。
ビルのそれなりに高いところにあるから、仮にここがダメになっても(たとえばうつ病やアルツハイマー病)、死に直結するようなダメージがあるわけではない。
ビルの最上階、最も見通しの良い部屋が、大脳皮質だ。理性、その人らしい思考や行動など、いわゆる脳の高次機能はここが担当している。
人間が他の生物との生存競争に抜きんでることができたのは、大脳皮質のおかげだ。
簡単にまとめると、視床下部「体」、大脳辺縁系「感情」、大脳皮質「考え」ということで、「か」の頭韻でうまくまとまりました笑
これら三つのパートが脳を形作っているわけだけど、これらは相互に影響し合っている。
「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、大脳皮質と大脳辺縁系のつなひきの結果、大脳辺縁系が勝ったということ。
座禅を組んで呼吸に意識を集中すれば、心のもやもやがとれて冷静になる。これは大脳皮質が大脳辺縁系や視床下部の暴走をしっかり制御したということだ。
そう、禅による瞑想は極めて人間的な行為だ。
瞑想している犬や猫って見たことないでしょう?これは人間以外の動物では、大脳皮質の形成が乏しいためだ。
豊富な大脳皮質は、人間の特権だ。
「人間らしく生きる」とはどういうことか。哲学的な問いだから、答えは百人百様だろう。
しかし脳科学的には、「大脳皮質の機能を活用して、原始的な脳(視床下部、大脳辺縁系)に左右されないで生きること」と言えるかもしれない。
人間は迷走しがちなものだけど、瞑想で以って迷走から脱却できるのです笑
「わかっちゃいるけどやめられない」という生き方も、ある意味人間らしいと思うんだよね。
でも、自分の本能や欲求の声に負けてばかりの人は、多分、社会的に成功できない。
スティーブ・ジョブズが禅の愛好者だったという話は有名だけど、いわゆる成功者のなかには習慣的に瞑想を行っている人が多い。
瞑想の実践者が言っている。「自分の体さえ思うようにならない人が、自分の人生を思うように切り開けるわけがない」と。
瞑想では呼吸を意識する。
吸う息を何秒、息を止めて何秒、そして何秒かけて吐く、みたいな感じで、何秒かけるかはそれぞれの瞑想の流儀によってまちまちだろうけど、呼吸を意識しない瞑想はあり得ない。
考えてみれば、肺というのは不思議な器官だ。
大きな臓器のなかで、唯一随意的なコントロールがきく。
肝臓や腸だとこうはいかない。
「二日酔いでしんどいから、肝臓の代謝能を高めよう」とか「腸の蠕動を高めて、今のうちにうんこしておこう」とか、できない。
でも肺は非常に特殊で、呼吸のペースを自分で調整することができる。
体をコントロールする秘訣はここにあって、それは人生をコントロールする極意にも通じているのだから、おもしろい。
コントロールできるのは人生だけではない。健康さえもコントロールできる、という論文がある。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2048830/
表題は、『慢性心疾患(CHF)を持つアフリカ系アメリカ人の心機能およびQOLに対する瞑想の効用』。
ざっと訳してみよう。
CHFを持つアフリカ系アメリカ人に対し、瞑想によるストレス軽減プログラムを行い、無作為化対照試験でその有効性を調べた。
ニューヨーク分類でクラス2あるいは3であり、心駆出率が0.4未満のCHFで最近まで入院していた23人のアフリカ系アメリカ人(55歳以上)を選んだ。
参加者は瞑想群と健康教育群に振り分けられた。
結果の測定は、6分間の歩行テスト、QOL、幸福度、ストレス度、うつ病評価尺度(CES-D)、再入院率、脳性神経利尿ペプチド、コルチゾルで行った。
治療して3か月後および6カ月後のスコアを最初のベースラインのスコアと比較し、変化を評価した。
結果、治療後6カ月で、瞑想群は健康教育群に比べて、6分間歩行テストはじめ、その他各種の検査項目で有意に改善していた。
昔から、「病は気から」という。
気の乱れが病を引き起こすということを、昔の人は知っていたということだ。
逆に、瞑想することで気の流れを整えれば、病気が遠ざかる。
上記の論文では、動脈硬化にはビタミンEがいいとかトランス脂肪酸は避けるべきとか、慢性心疾患に対する栄養的な面への言及は全くない。
瞑想によって心身が研ぎ澄まされれば、自分がどういう食べ物を口にすべきか、自然とわかるんだと思う。
2019.1.8
去年(といっても、2週間ほど前のことだけど)、アメリカで最高齢の男性が亡くなった。
リチャード・オーバトンという112歳の退役軍人。
この人が109歳のときに、以下のようなショートフィルムが作られた。
ここで述べられている彼の食生活、ライフスタイルが興味深い。
タバコは吸うし、毎朝のコーヒーは欠かさない。コーヒーは多いときには朝だけで4杯も飲む。ときには朝からウィスキーさえ飲む。
牛乳が好きで、「生まれてからずっと飲んでいる」という。
スープが好きだというんだけど、映像を見れば明らかなように、キャンベル社のスープで、添加物がてんこ盛りの缶詰。
さらに、毎晩アイスクリーム(バター・ピーカン)まで食べる。
日々健康に気を使って、食べたいものも我慢している人からすれば、卒倒するような食生活だろう。
食事と長寿の関係を調べる学者の努力を、あざ笑うかのような実例だ。
ただ、1日12本のタバコを吸っているとはいっても、映像を見れば分かる通り、一般的な紙巻きタバコではなく葉巻(シガー)を吸っている。
それに、「吸っている」とはいっても、肺まで入れているのではなく、ふかしているだけだ。
「なぜ吸うの?って聞かれるけど、気分がよくなるからだ。
でも、ふかしているだけだよ。肺まで入れたってまずいし、咳きこんじゃうからね」
「タバコは体に悪い」ということは、世間一般の常識になっているけど、これはちょっと不正確だと思う。
正しくは、「タバコに含まれている添加物が体に悪い」というべきだろう。
かつてネイティブアメリカンにとって、タバコは薬であり、また、儀式に不可欠なハーブだった。
タバコの葉を煮詰めた汁を飲む部族さえ存在した。https://www.nicotianarustica.org/blog/2015/9/8/magico-religious-use-of-tobacco-among-south-american-indians
幼児がタバコを誤嚥したとなれば一大事で、吐かせたり中和したり、救急対応が必要なんだけど、実は危険なのはタバコというより、タバコに含まれている添加物なんだ。
だから、この人が吸っているのが大量の化学物質が添加されている紙巻きタバコだったなら、果たして112歳の長寿を保ち得たか、けっこう微妙だと思う。
吸っていたのがシガーだということがポイントじゃないかな。あと、ふかしてるだけで、肺まではいれないっていうのも。
動画で直接的な言及はないけど、きっとこの人、少食だろう。
大食らいで長生きの人はいない。食事量の制限によって寿命が伸びるということは、動物実験でも示されている。
人は高齢になるにつれ、解糖系よりもミトコンドリア系が優位になる。つまり、エネルギー産生の能率が高まるから、少ない食事量でやっていけるようになる。
こういう老化の自然な流れに反して暴飲暴食するような生活だと、長生きなんてできない。
アイスクリームとか添加物満載のスープとかを毎日食べているとしても、少量であれば、肝臓がきちんとデトックスしてくれて、悪影響は少ない、ということだろう。
あと、他の百歳越えの長寿者と共通してることだけど、この人もしっかり、毎日の生活を楽しんでいた。
運転することを楽しんでいるし、猫を見ることを楽しんでいる。
アイスクリームを遠慮なく楽しんでいるし、教会で人と交流したり歌ったりすることを楽しんでいる。
ただ、人生を楽しむこと。
これに勝る健康長寿の秘訣はないのかもしれないな。
2019.1.8
「幼稚園のときからピアノを習い始めて、高校2年生まで続けた。
それも単なるお稽古ごとっていうレベルではなくてね。私の青春のすべてのエネルギーを捧げるぐらい、熱心に。
毎日学校から帰ればすぐに練習するのは当然の日課で、5時間はひいてたかな。
定期的にコンクールに出て、ライバルたちと切磋琢磨してた。
誰よりも上手にひきたいって、いつも思ってた。母も協力的で、私がうまくなるためになら、出費は惜しまなかった。
小学校2年生のときに、世界的なピアニストが来日した。
その人、浅田真央ちゃんのすべる協奏曲のピアノ演奏を担当しているぐらいすごい人なんだけど、その人のレッスンを受ける機会があった。
東京のとあるホテルの一室で、通訳の人を介しての1時間の個人レッスン。ちょっと驚くぐらいの授業料だったけど、お母さん、受けさせてくれた。
ベートーベンの『エリーゼのために』を事前にみっちり練習して、それを先生の前で披露した。
もう、ダメ出しの連続。
運指法からしてなっていない、いや、そもそもピアノを通じて表現するとはどういうことか、ということから始まって、1時間のレッスンのほとんどは、そういう根本的なところの指導だった。
曲の譜面で具体的な指導があったのは、最初の5小節だけっていう笑
でもすごく勉強になったし、刺激になった。ますますピアノの練習にのめりこんだ。
それだけ練習してもね、私よりうまい人ってたくさんいるの。
コンサートに出ても、優勝はできない。
コンサートには複数の審査員がいて、彼らがどういうふうに演奏を聴いたのか、あとで評価をくれるんだけど、よく言われたのが、
『表現力はすばらしい。ただ、ミスタッチの多さなど、技術的にはまだまだ進歩の余地がある』みたいな言葉。
練習量なら誰にも負けない自信がある。それでも、技術面でまだまだ未熟だっていう。
正直、伸び悩んでた。
才能ないのかな、もうピアノやめようかな、って。
高校1年生のときに決心した。東京にある音大の先生について、週に1回、レッスンを受けよう。
それで1年、必死に頑張って、それでも芽が出ないようなら、もう音楽の道はあきらめよう、って。
1年間、仙台から新幹線で先生のもとへ通い続けた。家でも当然、ずっと練習していた。
そして最後のレッスンのとき、先生から言われた。
『プロになることだけが人生じゃない。君は音楽を通じて多くのことを学んだ。それは今度の人生を生きていく上で、すばらしい財産になるだろう』
遠回しな表現だけど、要するに、プロは無理だっていうこと。
ショックだったかって?
うーん、ショックというほどでもないのかな。
たくさんのコンサートに出ていれば、自分の力量がどの程度なのか、だいたい分かる。
才能のある人ってね、本当にすごいんだよ。ああ、かなわないな、優勝はこの人だろうな、って、審査員の結果発表を聞かなくてもわかる。
そういう人を見てきたから、努力だけでは超えられない、才能の壁があるということは、もうわかってた。
すごい人は壁の向こう側にいて、私はこちら側。練習だけでは超えられないんだろうなって。
1年間、音大の先生について徹底的に頑張ったのは、自分の才能に見切りをつけるため。
これだけ頑張ったのにダメだったんだ、もういいじゃない、ってあきらめるための1年だったから、先生に言われたときにも、ああやっぱり、という感じ。
私がピアノをやめるといったら、お母さんのほうが戸惑ってた。
『東京芸大が無理でも、せめて別の音大に行ったらいいじゃない。東京学芸の音楽科とか、他にもいろいろあるじゃないの』って、引き留めてくれたけど、私としてはもういいかな、って。
私の今の仕事?
普通にOLしてる笑
もうピアノはいいや、って思ってたんだけど、あるとき、ふと、ピアノがすごくひきたくなって。
給料ためて、電子ピアノを買った。
今の電子ピアノってすごいんだよ。一昔前の電子ピアノって、鍵盤を強く叩いても弱く叩いても強弱をつけられなかったんだけど、今のは強弱がつけられる。
音質もよくて、グランドピアノと遜色ないぐらい。
仕事から帰ってきてからとか休日とか、イヤホンつけて一人でひいて、楽しんでる。今はね、そういうふうにピアノをひくのが純粋に楽しい。
腕前はもちろん落ちたよ。『月光』の第3楽章とか、ああいう難度の高い曲は、指が動かなくて、もうひけなくなっちゃった。でもね、それでいいの」
↑
きのう飲み屋でたまたま隣り合った姉ちゃんから聞いた話。
世の中には、すごい人がそのへんに転がっているものだね。
努力の上になお努力を重ねて、それでも超えられなかった才能の壁。
こういう壁の存在を知り、挫折を経験しても、人間は意外にあっさりとあきらめることができるんだな。
「これだけ頑張ってダメだったんだから、もういい」
そういう心境って、ほとんど「悟り」に近い感覚で、人生の中でなかなか経験できるものじゃないと思うよ。
2019.1.7
仕事始めで、あけましておめでとうございます、とか紋切り型のあいさつをして、事務員と雑談しているときに、こんな質問を受けた。
「先生、ナイアシンってアレルギーにもいいんですよね。
私の兄がアレルギーで、ナイアシンに興味持ってるんです。でも痛風もあって、お薬飲んでます。
で、ネットで調べてみたら、ナイアシンは痛風にはあまりよくないって書いてあるんですけど、先生、どう思いますか。ナイアシン、飲んでも問題ないですか」
結論から言うと、問題ない。飲んでもらってオッケー。ただ、尿酸値は上がるよ。
「どういうことですか。尿酸を下げるための薬を飲んでるのに、尿酸が上がったらよくないんじゃないですか」
当然の疑問だろう。
これに対しては、大御所ホッファー先生の言葉をお借りして答えよう。
http://orthomolecular.org/library/jom/2003/pdf/2003-v18n0304-p144.pdf
この論文は、ホッファーがナイアシンの副作用に真正面から向き合ったものだ。
ホッファーは誰もが認めるナイアシンの第一人者である。ナイアシンが統合失調症、アルコール依存症にいかに効果的であるかをエビデンスで以って証明し、また、なぜ効果的なのかそのメカニズムを解き明かした人だ。
その彼が、ナイアシンの副作用をメインテーマに据えて書いた論文である。
栄養療法を実践する人なら、まず読んでおきたい論文だろう。
この論文のなかに、ナイアシンと痛風の関係性についての一項目がある。
ざっと要約しよう。
「痛風に対するナイアシンの効用
ナイアシンによって尿酸値が軽度の上昇を示すことは分かっていたが、これがためにナイアシン療法を忌避すべきではない、ということもはっきりしている。
疫学研究(the Coronary Drug Project)では、この介入研究に入る前の尿酸値は平均6.75だったが、ナイアシンを5年継続した後では平均6.80だった。
ナイアシンを服用した人々では、8.0を超える尿酸値だった。
しかしこれは、痛風の症状(尿酸結石の増加、急性痛風関節炎)がまったく増加していないことを考えれば、大したことではない。これは私の結論でもある。
私はナイアシンを痛風の危険因子とは考えていない。私の義父は関節炎と痛風の両方に罹患していたが、それらの疾患の間に関連性はなかった。
ナイアシンを摂るようになると、彼の関節炎は消失したものの、痛風発作には以前と変わらず苦しんでいた。
ナイアシンは、痛風エピソードを増やしも減らしもしない。
血中尿酸値の軽度上昇は、好ましい副作用だとさえ言えるかもしれない。
McCrackenによると、尿酸は中枢に対する刺激物質であり、尿酸の活性化(2000万年前に起こった遺伝子変異による)はこの点でむしろ有益だった。
大学教授(知的職業に従事する人)では、そうではない対照群と比べて、尿酸値が高い。
尿酸は抗酸化物質でもあり、これは体にとって、当然、非常に有益である。
従って、痛風が怖いからといって、ナイアシンの使用を控えるというのはナンセンスである。
万が一痛風が発症したとしても、その治療は極めて簡単である」
そもそも尿酸値は、現代医学では悪者ということになっている。
それは痛風発作、痛風結石を引き起こす憎むべき悪であり、数字が高ければすぐに下げねばならない、と。
コレステロールや血圧と同じ扱いだ。
コレステロールが高い?危険だ!動脈硬化が進み、心筋梗塞や脳梗塞になるぞ。すぐに下げろ!
高血圧?危険だ!心血管系への負担が極めて大きく、やはり脳梗塞や心筋梗塞の発症リスクが上がるだろう。すぐに下げろ!
なぜ、コレステロールが血中にあるのか、なぜ血圧が高いのか。その必要性には一切目もくれず、とにかく下げろ下げろの大合唱。
もういい加減、こういう医療はやめときなよ。
クリニックをやり始めてからつくづく分かったんだけど、薬の売り上げって、経営的にすごく大きいんだよね。
医者も商売、やっぱりお客さんが欲しいから、「とりあえず薬を出しますね」、ということになりがちだ。
実際、一般的な内科の先生にとって、薬を出す以外にやってあげられることって、実質何もないんだよね。
医者であるからには、何かやってあげたい、と思う。
患者も、何かしてもらおう、という気持ちで来院している。
両者の思惑が合致して、一生続く投薬治療が始まる、というのが、病院の日常風景だ。
尿酸もそういうヒール役を引き受けていて、「高ければ下げろ!」的な立ち位置に置かれている。
ホッファーの論文にあるように、尿酸は本来抗酸化物質だ。
ビタミンCの体内合成ができなくなった人間にとっての、抗酸化力を保つ代替手段。それが尿酸だった。
だから、ナイアシンの服用によって尿酸が上がるということは、抗酸化力の上昇ということであり(ナイアシン自体、抗酸化ビタミンである)、本当は歓迎すべきこと、喜ぶべきことであるはず。
ところが事態はあべこべなんだ。
「尿酸が高いことは悪いこと」だと医者は学校で学んで信じているし、患者もしっかり洗脳されている。
でも、事実は違う。
単に尿酸が高いだけでは痛風発作の原因にはならない。
本当の原因は、もっと別のところにある。
そのあたりの真相をお見せしましょう。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yoken1952/24/5/24_5_271/_pdf
1971年と古い論文だけど、いまだに説得力を失っていない。
要約部分をざっと訳すと、、、
MSG(グルタミン酸ナトリウム。要するに、味の素のこと)のナトリウム毒性を証明するために、塩化ナトリウムへの感受性が高いことで知られるヒヨコを実験動物として選んだ。
MSG、塩化ナトリウム、グルタミン酸カリウム(それぞれ、ほぼ等張液)を飲み水の唯一の供給源として、ヒヨコに自由に飲ませた。
MSGを与えられた二日齢のヒヨコは痛風のため数日後に死んだ。生理食塩水を与えられたヒヨコよりも高い死亡率を示し、病変部の症状が重かった。
一方、グルタミン酸カリウムを与えたヒヨコでは死亡や衰弱する個体はなかった。
MSGを与えたことによる二つの主な特徴は、腎臓病の急性発症と大量の尿酸塩の蓄積であり、主な組織学的変化としては、腎尿細管の変性と集合管の結石による閉塞だった。
半分の濃度で実験しても、MSGの投与によって、腎葉の萎縮が見られ、痛風で死亡する個体もあった。
ナトリウム毒性のみならず、グルタミン酸も尿酸形成に何らかの影響を及ぼしていると思われる。
プリン体を避けるよりも、まずは味の素を避ける。
このほうがはるかに実際的で効果的だと思う。
そのためには、外食も極力控えたほうがいい。食事は、加工食品ではなく、自分で作って食べよう。
家で使っている調味料とかも案外盲点で、まず、裏の原材料表示を見よう。
「調味料(アミノ酸等)」というのは、要するに、「毒が入っています」というのの婉曲表現だよ笑
味の素社も、もっと自社商品に自信があるのなら、こんな遠回しな表現をやめて、しっかり「味の素」って表記すればいい。
なぜそれができないか。
自社商品が体に悪いってことは、とっくの昔から彼らにも分かってるんだよね。
2019.1.6
ミトコンドリアには電気が流れる。
ウソだと思いますか?
本当です。
心電図や筋電図、あるいは脳波もだけど、ああいう計測が可能なのは、筋肉(心筋含め)や脳にミトコンドリアが多く含まれているからだ。
ミトコンドリアの電子伝達系で効率の良いエネルギー産生が行われているというのは、高校の生物の授業で習っただろう。
電子伝達系では、その名の通り、電子が大量に発生している。
電子の集まりというのは、いわゆる電気に他ならない。(電子がどの程度集まれば「電気」と呼べるのか、その定義はよくわからないけど。)
この発想に基づいて、ミトコンドリアを使って電池を作ろうという研究さえある。
https://link.springer.com/article/10.1007/s11356-015-4744-8
この論文は中国の研究者が2015年に書いたものだけど、ミトコンドリア・バッテリーのアイデアは2010年アメリカの研究者により初めて発表された。
発想のエッセンスを深く理解し、なおかつ、そこに新たな知見を加えて論文を発表するには、相応の技術力が必要なわけだけど、最近の中国の科学技術の進展はすさまじく、すでに日本を追い抜き、米中2強の様相を呈している。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0913.html
中国政府による潤沢な金銭的バックアップを背景に、今の中国の躍進があるという。
金だけがすべてじゃないだろう。金がなくても、ないなりに、発想力勝負でおもしろい研究をしている人は日本にもたくさんいると思う。
本当に問題なのは、新しい発想の研究に対して、「今までの定説と違う」と新しい芽を摘んでしまう日本の旧弊な体質じゃないかな。
ミトコンドリアの研究は、健康とは何か、もっと広く、生物とは何か、ということを探求する上で、多くの示唆を与えてくれる。
細胞内共生説によると、真核生物というのは、嫌気性生物のなかに好気性生物(ミトコンドリア)が住んでいるという、初手からボタンを掛け違えているような矛盾から話が始まる。
事実、異質な両者の融合はなかなかうまくいかなかった。
ミトコンドリアが分裂抑制遺伝子を持ち込み、嫌気性細胞の細胞分裂を遅くするなど、様々な工夫をこらすことによって、何とか共生を達成したものの、根本の矛盾が解決したわけじゃない。
実際最終的には、細胞はミトコンドリアの放出するフリーラジカルに身を焼かれ、つまり老化し、死を迎える。
そう、物語の最初から、結論はわかっている。細胞はみんな、死ぬ。
それでも細胞は、たとえ死ぬことがわかっていようと、実りのある豊かな生を生きようと思った。
こうして生物は、解糖系とミトコンドリアという、二つの異なるエネルギー産生システムを持つに至った。
胎生期は解糖系のピークだが、成長期の子供時代も解糖系が優位だ。
子供の特徴は瞬発力。子供は突発的に行動するものだし、集中力は大人みたいに長く続かないものだ。ADHDとなればまた話は違うけどね。
それに、細胞分裂を繰り返して体を作っていかないといけない時期だから、ミトコンドリアが多すぎて細胞分裂を抑制しちゃっても困るわけだ。
成長期もひと段落し、大人になれば、調和の時代。
解糖系とミトコンドリアのバランスが絶妙に保たれている。生産的に働き、家庭を作り、人生を作っていく時期でもある。
若者がやがて中年へ、そして老年へとさしかかるにつれ、解糖系が縮小し、ミトコンドリア系が優位になり始める。
解糖系が与えてくれた瞬発力は衰え、機敏な動作ができなくなってくる。
活性酸素を出すミトコンドリアの勢いを抑えられなくなる。肌には無数のシミやしわが刻まれる。
こうして老い、やがて死んでいく。
しかし、これは不測の事態ではない。当初からの契約だったのだ。
必滅の体となることを知ってなお、ミトコンドリアとの共生を選び、短くも輝かしい生を生きようとした。
それが僕らが12億年前にした選択だった。
共生ゆえの脆弱さ、というのもある。
ミトコンドリアは好気性呼吸で、酸素があってこそ本領を発揮できるんだけど、それゆえに、虚血に弱い。
適切な血流(酸素供給)が保たれていれば長時間働き続けられる箇所にミトコンドリアは多く分布している。
赤筋(40㎞とか走れる)、心筋(止まるときは、死ぬときだ)、脳神経(寝ているときでさえ休まない)などは、ミトコンドリアなしでは成立しえない臓器だ。
肩こりや腰痛を軽く見てはいけないよ。あれは虚血にあえぐ赤筋の悲鳴だからね。
脳梗塞や心筋梗塞で数分血流が途絶するだけで、体は大きなダメージを負う。
上手に生きれば100年以上機能する器官が、たった数分の虚血で永続的な機能不全に陥るって、考えてみればすごい話だよね。
ミトコンドリアを語る上で、血流というのも大事なテーマだ。
血流。
血の流れ。
福岡伸一先生によると、僕らは「動的平衡」のなかで生きている。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
目の前を流れる河は、きのうと同じ河ではない。違う水が流れているわけだから。
同化と異化を繰り返す僕らの体は日々変化していて、実際二十年もすれば細胞的にはすっかり入れ替わっているという。
一見不動の存在に思える僕らの体のなかを、血流という流れが常にめぐっているのは、何か比喩的なものを感じる。
毛細血管の径は7.5~8μm、赤血球の径も大体同じで7~8μmぐらい。
この一致は不思議だ。
血管が血を流すためだけにあるのなら、もっと血管径に余裕があるべきだろう。そうでないのはなぜか。
ときには血流を止めることも必要だからだ。
怒りや興奮などによって交感神経が緊張すると、血管径が縮み、血流が低下する。
そうすることによって、解糖系が瞬発力を発揮できるからだ。
人生、進んだり立ち止まったり、だけど、これは血流も同じようなんだ。
ただし、「ときには」止めることも必要、ということであって、交感神経の興奮が続いてしまってはいけない。
基本的には血流、ゆく河の流れを保つことが重要だ。
こういうメカニズムにのっとって考えると、痛みに対して痛み止めを投与することの不自然さが見えてくる。
「痛み」というのは局所で発痛物質(プロスタグランジン)の産生が起こり、血管拡張させて、何とか血流を呼び込もうという反応だ。
その痛みの不快感を鎮めようとして、アスピリンやバファリンを飲んでも、実は根本的な解決にはなっていない。それは、人工的に「流れ」を止めたに過ぎないんだ。
体はよくできていて、症状即治療、痛みこそ実は治癒反応だったのにね。
対症療法に終始する医学は、動的平衡の考え方の真逆を行くものだろう。
ゆく河の流れを永続的に止めようとしたところで、成功するわけがない。