2018.7.6
我が子が何らかの精神疾患(統合失調症、うつ病、ADHDなど)にかかったとき、親御さんは「私の育て方が間違っていたのだろうか」と自責の念に駆られたりする。
これは、親御さんのいう「育て方」の定義にもよるけど、道徳的な意味での育て方が間違っていたのかどうかということなら、答えはノー。
子供を虐待していたとか、親である前に人としてどうなのかというタイプの親であった場合、その育て方が原因で精神疾患を発症することもあるだろう。
でもほとんどの親御さんは、子供に愛情かけて育てていて、そういう点では問題ない。
ただ、そういう普通の親御さんでも、食事の重要性をまったく認識していないことがあって、食育についての育て方を誤ったという意味でなら、答えはイエス。
食事だけが発症要因ではないが、大きな一因であることは間違いない。
もちろん、「お母さん、あなたの食育が間違っていたから子供さんのこのような不幸を招いたのです」なんて直球では決して言わないけど、少なくとも、食事に関する無知については、認識を改めてもらう必要がある。
子供の欲しがるままに甘いものを与えていたり、牛乳をたっぷり飲ませているお母さんに、食事の改善をアドバイスする。
「いえ、先生。それは違うと思います。体が必要としているからこそ、欲しがるんだと思います。疲れたときには甘いものが欲しい。人間として自然なことではありませんか。
牛乳がダメ?何ですかそれ。給食でも普通に毎日出てるじゃないですか。それが体に悪いっていうんですか。
先生は先ほど、たんぱく質が必要だと言いましたね。牛乳ってまさにたんぱく質そのものでしょ。なのに牛乳がダメって、矛盾してませんか」
たまに熱くなる人がいる。
こういう人にとっては、我が子が精神疾患を発症したのは、「遺伝の影響」あるいは「もっと精神病理的に根深い何かが、先天的にあったからだ」などと言われるほうが、まだしも楽なのだと思う。
「僕はかつて精神科病院でアルコール依存症の患者さんをたくさん見てきました。彼ら、酒が欲しくて欲しくてたまらない。酒のためなら、犯罪をも厭わない。それぐらい体がアルコールを必要としているんですが、僕は医師として、彼らの『体の声』に素直に耳傾けて、お酒を飲ませてあげるべきでしたか」
「極論です。先生は論点をすり替えています」
いや、要するにドーパミンの刺激を得る手段が、お菓子なのか酒なのか、あるいは人によってはギャンブルだったりするというその違いだけで、依存の生理的メカニズムは共通なんだ、だからこそゆるやかなドーパミン刺激作用のあるナイアシンが有効なんだ、と言おうとしたが、僕は言葉を飲み込んだ。言ってもムダだと思ったからだ。
こういうお母さんは、どうすれば子供の症状がよくなるか、という解決策を真剣に求めてるんじゃない。自分を肯定してくれる論理が欲しいだけなんだ。
食べさせるものが間違っていた、となれば、非が自分にあったと認めないといけないんだけど、こういうお母さん自身、糖質依存のことが多い。子供の食を変えるとなれば、自分の食生活まで改めざるを得ない。家族で食べに行くスィーツバイキングが何よりの楽しみのお母さんにとって、糖質悪玉論は、何とも受け入れがたい。
この人が僕の身近な大事な人だったら、僕も本音で言ったと思う。
「スィーツバイキング?カタカナでええかっこ抜かすな。ただの甘いもんのドカ食いじゃねえか。自分の食事を変える気もないんやから、そりゃ子供の食事も変えられへんわな」
相手はお客さんだから、もちろんこういう言葉は出ない。極力争わず、「それぞれの考え方があっていいと思います。どうぞ、お母さんがベストだと思う子育てを実践してください」と穏やかに言って場を丸めて、お引き取り願う。
実は統合失調症に関して言えば、遺伝的要因は確かにある。一卵性双生児の研究など、精神疾患の遺伝性を示唆するデータは多い。
最近でこそ精神科への敷居が低くなったものの、昔は家系に精神病者が出たら必死にその存在を隠したものだった。本人のみならず、身内に精神病者がいるだけで就職とか結婚にもろに影響が出たという。
今でもそういう面はあるのかもしれない。
履歴書に「うつ病の既往あり」と正直に書けば、採用される可能性はどうなるか。社員がうつを発症して仕事を休んだ場合、会社としてはその間の有給の保証などせねばならず、できればそういう負担は避けて、心身ともに健康な人材を採りたい。会社は営利団体であってボランティア団体ではない。会社が精神疾患の既往のある人の採用を避ける傾向があるのは、ある意味当然だろう。
結婚に関しても、好きになった人とお付き合いして、いよいよ結婚となったときに、「実は…」と精神疾患の既往があることを打ち明けられたら、どうすればいいか。「この人のことは好きだけど、子供までそういう病気を引き継いだとしたら」と思って、結婚を見送ることもあるかもしれない。
こういう人たちにぜひ伝えたいのは、栄養療法なら精神疾患の発症を予防できる(もちろん治療もできる)ということだ。
適切な栄養の摂取によって、遺伝性のある精神疾患含めあらゆる病気と無縁でいられる、というのが栄養療法の信条で、この栄養療法の知識が広く普及すれば、精神疾患も恐れるに足りないということが分かって、精神疾患の既往があるというだけで不採用になったり破談になったり、という不幸が減るはずだと僕は思っている。
2018.7.5
「CTを一回とれば、レントゲン百回分とも言われる線量の被爆をする。
MRIは造影剤を使えば腎性全身性線維症になるリスクがある。
でも、エコーは無害。
妊婦のおなかの中にいる赤ちゃんの様子を見るために使われてるぐらいなんだから、心配いらない」
医学部ではそんな具合に教わった。
侵襲性が低く、無害なのがエコーの売りだから、そこだけは心配しなくていい、と。
日本超音波医学会も、安全性について「装置機能や動作モードの多様化に伴い、音響出力は増加傾向にある」ことを認めながらも、「診断用超音波のレベルで明確に有害な作用が生じたという報告例は、過去数十年間ない」としている。
本当だろうか。
実は、エコーの危険性を示唆する研究はずいぶん前からあった。
Liebeskind(1979-1981)、AndersonとBarret(1979-1981)、Ang(2006)、Ellisman(1987)、SaadとWilliams(1982)などはエコーの危険性について警鐘を鳴らしたが、医学会はこれらをことごとく無視してきた。
「有害性が示されたとはいっても、あくまで動物実験や細胞レベルでの結果だし、しかも実際の臨床現場で使われているエコー強度よりも強い音響出力を使ったから、そういう有害事象が生じたんでしょ?そんな実験結果は無意味だ」というのが彼らのお決まりの言葉。
害があるのかないのか、人を使って実験できれば一番手っ取り早いのだが、それは人体実験であって、倫理的に許されるものではない。
仮にマッドサイエンティストみたいな研究者がいて、人体実験を行ったとしても、そんな研究論文はどの科学雑誌もアクセプトしないだろう。
それどころか、「この研究は人間の尊厳を冒涜するものであり、重大な犯罪でもある」ということで、世界中から批判されることになるだろう。
そう。欧米の倫理では、許容されない。
では、どこか価値観の違う国でなら?
実は中国では、経腹エコーの胎児への影響を調べるため、多くの人体実験が行われていた。
一人っ子政策のため、二人目以降にできてしまった子供はおろさざるを得ない。でもそんなときに、エコーを腹部に当てる研究に協力すれば、無料で堕胎手術を受けられるばかりか、ちょっとした謝礼までもらえるのだから、研究への参加者を集めるのに苦労はない。
こんな具合に、1988年から2011年にかけて、人体実験に基づく研究論文がおよそ60本上梓された。関与した科学者はおおよそ100人。協力した妊婦は総計3500人、胎児も含むならば約7200人がこれらの研究の被験者となった。
そういう人体実験のデータって、別に中国の研究者は隠しているわけではなくて、堂々と中国の学術誌に投稿されていたんだけど、言葉が中国語だから、欧米の研究者の目に触れなかった。
でも、最近のgoogleの自動翻訳の技術って精度もすごく上がってきてて、そのおかげで欧米の研究者もそういう中国語文献にアクセスできるようになって、その存在が知られ始めたわけ。
中国と言えば、漢方薬発症の地。漢方薬というのは5000年間にわたる経験的知見の積み重ね、つまり人体実験の集大成に他ならない。
だからあの国にとっては、ある意味、人体実験はお家芸、とも言えるんだけど、エコーの胎児への影響を分析するための科学的な技術力はどうなのか、と思われるかもしれない。
はっきり言って、現在の中国の科学技術力は欧米と比べてもまったく遜色ありません。エコーを一定時間胎児に照射して、その後、中絶児の組織(たとえば脳、腎臓、目、絨毛膜羊膜など)を調べるんだけど、フローサイトメトリーや電気泳動など、最新の生化学的分析も使えば電子顕微鏡も使う。
むしろ欧米の研究よりも技術的に洗練されているし、被験者の数、時期やテーマの妥当性、研究の量、いずれにおいても欧米を上回っている。
中国の研究者たちを動かしていたのは、純粋に科学的な好奇心だと思われる。
日本も含め欧米では、「現在のところ、人で確認されたエコーによる有害事象は存在しない」ということになっている。かといって、人を使って有害事象の有無を確認しようにも「それは人体実験だ」という批判が来ることが見え透いているから、実験を行うこともできない。結果、「害は多分ないから、使ってオッケーってことにしちゃいましょう」ということでなし崩し的にズルズルとここまで来た感じだ。
でも中国はそういう倫理観の点ではぶっ飛んだところがあるから、とっくの昔に人体実験をやっている。しかも重要なのは「エコーの照射時間、音響出力なども、実際の臨床現場で使われているエコーと同じような条件で行った」ということだ。
彼ら、実臨床でのエコー使用がどんな悪影響を与えるか、純粋に知りたかったんだな。
具体的に、そうした研究のひとつを、ここに例としてあげよう。
妊娠中期におけるヒト胎児脳神経の超微細構造に対する診断用Bモードエコーの影響についての研究
目的:診断用Bモードエコー照射後の妊娠中期ヒト胎児脳神経での超微細構造の変化を研究すること
方法:健康な8人のボランティアの女性(単生児を妊娠中の妊娠18週から25週で、中絶希望の女性)が無作為に2群に分けられた。コントロール群(n=4)にはエコー照射は行わなかった。実験群(n=4)に対して陣痛誘発する30分前に、胎児側頭部に連続して10分のエコー照射を経腹で行った(周波数3.5Hzで70%の出力、SPTA=124.1mW/cm2)。
電子顕微鏡で調べるために、手順通りの手技によって全ての胎児大脳から標本が取られ、透過型電子顕微鏡で観察した。
結果:エコーを10分間連続照射した後では、胎児の脳神経細胞は、コントロール群に比べて以下のように変化していた。
(1)クロマチンの分布が不規則で、凝集していたり辺縁へ移動していた。
(2)細胞質内にグリコーゲン分子がほとんど見られなかった。
(3)一部のミトコンドリアに軽度の膨張あるいは空洞化が見られた。
(4)リソソームがしばしば観察された。
結論:胎児大脳の神経細胞の超微細構造は、診断的Bモードを10分間照射した後では形態学的に変性していた。変性した神経細胞はほとんど再生しないため、胎児の脳をモニターするために診断用エコーを用いるのは、特に妊娠初期から中期には、10分を超えるべきではない。
この研究で重要なのは、使用されたエコーが経腹のBモードという比較的安全なタイプだということである。当てていた時間はわずか10分だった。エコー強度は母体の組織や体液により実質弱められている。経膣エコー(胎児にもっと近く、もっと強度が高い)あるいはドップラーモード(高強度)では、危険性ははるかに大きいということである。
どのような機序でエコーが人体に影響するのか。この実験によると、「エコー照射によって胎児細胞中のミトコンドリアが破壊され、アポトーシスが誘導されるから」ということだ。あるいは、アポトーシスというよりも、はっきりネクローシスと言ってしまったほうがいいかもしれない。
エコー操作のうまい産婦人科医に、ほんの数秒だけ経腹エコーを受けたぐらいなら、胎児に影響はないと思う。
でも、たとえば大学病院に通院してる妊婦さんが、医学生の実習に付き合わされて、ドップラーエコーで10分とか胎児照射されたりすると、これはもう、極めて危険性が高い。
妊婦の皆さん、産婦人科の先生はきっと「エコーは無害」って言いますけど、中国の人体実験のデータによると、この発言は正しくありません。
正しくは、「ごく短時間のエコー曝露ならば、有害事象は確認されていない」ということであって、無害ということでは決してありません。
大学病院とか研修医の訓練病院で、「教育のために協力してもらえませんか」とお願いされても、勇気をもって断りましょう。
学生や研修医の下手なエコー照射を長時間腹部に当てられては、おなかの中の赤ちゃんは相当な苦しみを味わっているはずです。
今やエコーは産婦人科にとって必須アイテムだから、「うちの病院ではエコーは使いません」なんて産婦人科はまずあり得ない。
妊婦さんのほうでも、「エコーで我が子の顔を見て初めて、我が子への愛おしさがわいた」とか言うし、エコーが母と胎児のきずなを深める橋渡し、みたいな印象を持っている人も多い。
男の子か女の子か、出産前にエコーで性別を調べるのは今や常識になっているし、おなかの中の赤ちゃんの写真を撮って、将来の記念に置いておく、というのも一般的になっている。
実はそうしたことは、胎児を不必要に長時間エコー照射にさらす非常にリスキーな行為なんだということは認識しておくべきだ。
参考文献
Jim West “50 Human Studies”
2018.7.4
「君たちね、学生時代の友人は大切にしたほうがいいよ。
なぜって、医者になるとね、周りは君らのことを『先生、先生』って立ててくれる。患者からはぺこぺこ頭下げられたり、業者からおべっか使われることもあるだろう。
そういう環境に長くいると、つい勘違いしちゃいがちなんだよ。何か自分が、すごく偉い存在になったような気になってしまう。
でも違うからね。
言ってくれないだけなんだ。
君たちはお医者様になる。お医者様相手に、『それは間違っているよ』とかピシャリと言ってくれる人なんて、まぁなかなかいないよ。
そういうときに大事なのが、学生時代の友人だよ。
『アホやなぁ』とか軽く言って、自分をたしなめてくれたり、冗談まじりにいじってくれたり。
今後の君らの人生でそういう友人ができるのは、学生時代が最後のチャンスだろう」
医学生の頃に、何かの授業中、講師が雑談めかして言ってた言葉。
どんな講師だったか、名前も顔も忘れたけど、この言葉だけは覚えている。
それはこの言葉に、講師の実感がこもっていたからだと思う。
無味乾燥な医学用語はろくすっぽ記憶に残らないけど、こういう、気持ちの乗った言葉って、案外心に残る。
それどころか、この言葉は僕の中でますます重みを増している。
本当に講師の言った通りだと、僕も実感しているからだ。
自分の専門とする科を選んで、その専門の中で勉強し経験を深めていくわけだけど、そうなると、他科のことはもう分からない。
自分と同じ専門分野であれば、相手の知識、経験、力量を推し量ることもできるけど、他科の先生となれば、実力は未知数だ。
そこで、ひとまず、他科の先生への敬意、という大前提のマナーが生まれる。
経験年数の浅い若手の先生であれ、自分とは別の科の先生なのだから、まずは相手を立てる、というのが、医者間での暗黙のルールなんだ。
でも、学生時代を共に過ごした友人は違う。
面識のない医者にはとても言えないようなことも、軽く言いあえたりする。
きのう、中学校の同級生と一緒に飲みに行った。
彼も開業医をしている。
彼と話していると、白衣を強制的に脱がされるような感覚になる。
いや、もちろん、白衣でバーに飲みに行っているわけないんだけどね笑
医者になった当初は意識してかぶっていたはずの『医者の仮面』が、自分でも知らぬ間に素顔に食い込んでいるようなところがあって、彼と話していると、その仮面を一挙にひっぺがされるんだ。
「14歳のときのあつしは、ホンマ下品やったわー」とか昔の話をされると、医者としてのプライドとか職業意識とか、一瞬のうちに雲散霧消して、声出して笑わざるを得ない。
しかもこの感覚、不思議と不快じゃない。白衣という虚飾から解放されて、中学生のときの気持ちに戻れるようで、こういう感覚っていいものなんだ。
案外彼のほうでも同じものを感じてるんじゃないかな。
「子供がね、受験するって言ってる。どこの学校狙ってると思う?俺らの母校やってさ」
この言葉を聞いたとき、 僕は何て遠くまで来たんだろう、って思った。
子供世代が、僕らの出身校を受験しようとしている。
本当に一世代、回ったんだなぁと。僕も彼も、もうそういう年代なんだなぁと。
そして何か、せつないような、たまらない気持ちになった。
「こうやって次の世代が出てきてさ、何か、俺ら押し出されていくみたいやね」
と僕が言うと、彼、そういう感傷にはひたらず、ややぶっきらぼうに、
「とりあえずあつしは、まず結婚して、子供作ったほうがええわ」
こういう直球も、医者としての自分には言ってくれる人はなく、かつての同級生だからこその言葉であって、言われて僕も、大きな声出して笑う。
2018.7.3
森毅先生、授業の始めにいきなり学生の一人を指差して、「数学において数とはいくらまで勘定できたら偉いか答えよ」
「えーと、自分は無量大数という位まで知ってます」
「アホウ、死ぬまで勘定しとれ。君が言うてるのは算数。数学における数というのは3つでええ。0、1、ぎょうさん、この3つや」
0か1か。つまり、有るのか無いのか。あるとしたら、単数か複数か。「ぎょうさん」という関西弁は便利で、無限大のニュアンスもある。
0と1とぎょうさん。この三つの概念さえ与えられれば、数学を構築できるのだ、という指摘。おもしろいね。
森先生の本は何冊か読んだことがあるけど、実際にお会いしたことはもちろんない。
でも、京大数学科出身で森先生の講義を受講していた人の話によると、教壇の上で横になったり、学生からの要望にこたえて三味線を披露して見せたり、型破りなスタイルの授業をする人気教授だった。
森先生、晩年は気の毒で、料理中に服にコンロの火が引火して、全身に大やけどを負った。
生死の境を長らくさまよって、翌年に亡くなられた。
栄養療法を実践している身として非常に気になるのは、重度の熱傷に対して、きちんとビタミンEによる治療が行われたかどうか、ということ。
でも、日本熱傷学会の熱傷に対するガイドラインを見ても、「ビタミンE」という言葉自体が出てこないぐらいだから、恐らくビタミンEは用いられなかったと思う。
皮膚の熱傷とか気道熱傷で血中ビタミンE濃度が減ることも、ビタミンEの内服や患部への塗布が熱傷の治癒に有効だということも、十分に分かっている。
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0891584907000846
それでも、標準治療になっていない。信じられない話だけど、効くとわかっているものが、使われていないんだ。
何ともやるせないものを感じる。
ソール先生も同じ思いを抱いてて、「救急病院の備品に、ビタミンEの局所塗布スプレーの一本さえも置いていない。オーソモレキュラー医学がいかに軽く見られているのかの証拠だよ」と嘆いている。
何もこういうデタラメはビタミンEに限ったことじゃなくて、一般医療では、風邪にビタミンCが処方されることはないし、統合失調症にナイアシンが処方されることもない。
もう一度言うけれど、「効くとわかっているのに、使われていない」んだ。
栄養療法的な救急対応を受けていれば、僕の敬愛する先生も亡くならずに済んだのではないかと思うと、本当に悔やまれる。
あともう一つ、著名人がこういう亡くなり方をすると、テレビのコメンテーターが「ほら、やっぱりガスの調理器具は危険でしょ。IHを使いましょう」みたいなことを言うんだけど、この発言には同調できない。
森先生は気の毒だったとは思うけど、ガスコンロが悪いんだ、というのは話が違う。
IH調理器具、あるいはもっと言えば、オール電化の住宅が、どれほど強烈な電磁波を発するか、一般の人は知らなさすぎだと思う。
今僕の手元には、『Cross Currents』(Robert O. Becker著)という本があるんだけど、電磁波がなぜ、どのように体に悪いのか、非常にわかりやすく書かれている。
本の内容をものすごく大雑把に要約すると、「人間の体とは電気のカタマリであって、電気の流れに異常が起こると、病気になる」ということなんだけど、これって、Thomas Levy先生の言ってることと似てて、Levy先生は「体内では常に電子の奪い合い、つまり酸化と還元のせめぎ合いが起こっていて、酸化に傾くと病気になる。ビタミンCが健康にいいのは、体に電子を与える、つまり還元することによって、体の電気の流れを整えるからだ」と言っている。
このBeckerの本、英語だと2000円ぐらいで買えるんだけど、翻訳本は、なんと、アマゾンで14万4千円!
出品者は、「これぐらいの高値を付けても売れる」と踏んでるからこそ、強気の値段設定なんだろうね。
確かにそれだけの価値のある内容だとは思うけど、それにしても高いなぁ。でも買う人は「この値段で健康を健康を買えるとなれば安いものだ」という思いで買うのだと思う。
みなさん、僕の『院長ブログ』は14万円ぐらいの価値のある情報を発信していると自負していますけど、なんと、タダですよ笑
2018.7.2
肺癌には、まず、小細胞癌と非小細胞癌の二通りがある。
癌の組織型を見て、「この患者、スモールかぁ、かわいそうになぁ」とか先生が言うわけ。標準治療的には、小細胞癌はなかなか難しいんだ。
非小細胞癌は扁平上皮癌、大細胞癌、腺癌に分けられるんだけど、妙なことに、腺癌だけは、女性の発症率が高い。
なぜか。
性差があるということは、まず、発癌の機序にホルモンが関与しているのではないか、と疑うのが素朴な直感。
そこで、エストロゲン補充療法してる人とかタモキシフェンを飲んでる人で腺癌の発症率がどうなっているか調べたけど、どうも無関係らしい。
じゃ、何だろう。
女性特有の生活習慣が関与しているのではないか。
男はしないけど、女性は日常生活で習慣的に行うもの。
シャンプーとかリンス?
なるほど、頭皮は皮膚の中でも一番吸収力が高くて、シャンプーやリンスに何らかの有害成分が含まれていた場合、男性よりは女性にその影響が強く出るだろう。
シャンプーに含まれているラウリル硫酸ナトリウムには確かに細胞毒性があるが、しかし、特に肺に特異的に悪さをすることはなさそうだ。
化粧?
化粧品にはタルクが含まれている。タルクの分子式は 3MgO・4SiO2・H2O。一方、アスベストの分子式は 3MgO・2SiO2・2H2O。
うーむ、実に似ている。
アスベストは時限爆弾。急性の毒性はない。アスベストへの曝露から数十年の時を置いて、肺癌や中皮腫を発症する。
タルクも同様で、二十歳頃から女性としてのおしゃれに目覚め、化粧を始めたとして、それから40年。
それは、経皮吸収されたタルクが肺野末梢で目詰まりを起こし、蓄積し続けた40年でもある。
加齢による抗酸化力の低下に伴って、ついに癌化するのではないか?
よし、仮説の検討だ。
ネズミとか使って実験したり、あるいは前向きコホートを設定して有意差を見たりして、発癌性の有無をいろいろ調べるわけ。
https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/08958370701497903
で、どうもこれが当たりっぽい。
そこで、医学界としては、世間に強く警告しないといけない。「女性の皆さん、化粧品にはタルクが含まれていて、肺癌や卵巣癌の原因ですよ」と。
でもこれ、化粧品メーカーとしては死活問題。商品のラインナップを一からごっそり変えないといけないし、下手したら女性の癌患者から集団訴訟を起こされて、会社が破産しかねない。
だから、彼らとしては、認めるわけにはいかないんだ。
そういうわけで、タルク入りの化粧品、今でもフツーに売ってます。化粧の原材料にタルク、って堂々と書いてます。
僕は生来ずぼらで、身だしなみとかファッションに気を遣うのはめんどくさいと思うタチだから、女性が出勤前とかに「最低限のマナーとして化粧をしないといけない」みたいな暗黙のルールのなかで生きているのを見ると、男に生まれてよかった、とつくづく思う。
でも同時に、女性には化粧という、いわば変身の方法があるわけで、そこはうらやましくも思う。
すっぴんでいまいちさえない女の子が、少し口紅をさし、軽くおしろいをはたくだけで、見違えるように可愛くなったりする。
ああいう激変は男にはないもので、化粧を楽しむことができるのは、女性としての特権だと思う。
昔見たドキュメンタリー番組。
ある老人施設で、ボランティアの人たちが女性の利用者に化粧をした。
僕はその変化に目を見張った。
化粧をする前には腰が曲がって歩くのもおぼつかないようなおばあちゃんたちが、化粧をした途端、背筋がすっと伸びて、表情が一気に明るくなった。
単に見た目が変わっただけじゃない。明らかに、内面まで若くなった。
化粧のパワーを思い知ると同時に、僕は気付いたよ。
「ああ、このおばあちゃんたちも、女の子なんだな」と。
化粧の魔力を身に装うことができる。これが女の子の定義だとすると、老人施設で晩年を過ごす利用者たちも、まさに女の子だった。
そういう、女の子の重大な変身アイテムである化粧品に、発癌性があるとしたら、、、
女の子が、素の自分以上に美しくあろうとする思いって、すばらしいと思う。
でもその思いのために、癌のリスクを高めてしまうということであれば、さすがにためらうよね。
こういう社会毒の問題は、何とも難しいなぁ。