院長ブログ

ビタミンB1

2018.7.27

ビタミンの発見者はカシミール・フンクということになっている。
彼、1912年に米ぬかから抽出した成分に、生体に不可欠な栄養分が含まれることを示したわけだけど、すでに1911年に鈴木梅太郎が、ビタミンという言葉こそ使っていないものの、ビタミンの概念をはっきり提示していた。

だいたい、米ぬかなんて西洋人にとって全然なじみのない食材で、そこから栄養分を抽出しようなんて発想、西洋人には浮かばないでしょ。
フンクが鈴木の論文を下敷きにしてることは明らかだと思うんだけど、ビタミンの歴史で鈴木梅太郎の名前が言及されることはない。
当時の平均的な西洋人にとってみれば、日本なんて格下の三流国だったから、西洋人がしたならばノーベル賞をもらっておかしくない研究でも、それが日本人によってなされたというだけで正当な栄誉を与えられなかった研究は数多い。北里柴三郎、志賀潔とか。あと、高峰譲吉もひどい目にあったね。アドレナリンの発見者なのに、「あいつ、俺の研究パクりやがった」ってアメリカの研究者に難癖つけられて、で、この主張が通って、アメリカではアドレナリンの呼称は用いられず、エピネフリンって言われてる。その点ヨーロッパは割と良心的で、発見者の高峰に敬意を払って、ちゃんとアドレナリンと呼びましょう、って動きがある。

さて、以下は”Orthomolecular Medicine for Everyone”からの引用。

「チアミン(ビタミンB1)は1912年カシミール・フンクによって初めてビタミンと呼ばれた微少栄養素である。食物に栄養素が欠けているという概念は、当時あり得ないと考えられていて、これは現在、医師にオーソモレキュラー医学の考え方があり得ないと思われているのと同じである。パトリック・マンソン卿は、日本の海軍が船員の食事を改善することで脚気を一掃したことを知っていたが、それでもなお、脚気は感染性疾患だと確信していた。チアミンは食品の加工技術(精米・精白技術)により脚気の原因となる欠乏症が現れたために発見された。精白米を食べていた人々は脚気を発症し、玄米やパーボイルド米(籾米を吸水させ蒸してから乾燥、精白する。胚芽やぬかに含まれるビタミンやミネラルが白米部分に移行して栄養価が高まる等利点がある。)を食べていた人では発症しなかった。湯通しによってチアミンがぬかや胚芽から胚乳部に移行したためである。チアミンは1936年R.R.ウィリアムズによって合成された。
炭水化物はチアミンがなくては代謝されない。ピルビン酸が蓄積して、毒性レベルまで高まり、乳酸アシドーシスを来たす症例もある。脚気は極東の風土病ではあるのだが、それはまた、アルコール依存症、吸収不良、重度の下痢、コントロール不良の嘔吐といった症状を持つその他地域の人々にも起こり得るものである。
欠乏の初期症状は疲労感、体重減少、食欲不振である。後に、消化器症状や、下肢にチクチクする痛みや感覚異常のような神経学的兆候が現れる。食事の改善のないまま何年間も経過すると、慢性的な乾性萎縮性脚気が起こる。患者は下垂足、尖足、声帯の麻痺といった神経筋障害の病理像を示す。頻脈が常に存在する。脚気がよくある国で母乳で育てられた乳幼児は非常に危うい状態にある。便秘、嘔吐、腹部腫脹といった症状に苦しみ、号泣発作や落ち着きのなさも見られる。ひきつけが起こることもある。
脚気はアメリカやカナダでは稀だが、潜在性の状態は恐らく稀ではない。白い小麦粉にはチアミンが添加されているが、これは全粒小麦に含まれるのと同じ水準(小麦1g当たりチアミン4 mcg前後)にまで高めることが目的である。チアミンは全粒穀物(あるいは栄養強化穀物)、レンズ豆、栄養状態のよい動物の肉、イーストに含まれている。潜在性脚気はたいていアルコール依存症者か、砂糖あるいは脂質を食べ過ぎる人か、吸収不良をわずらう人にしか見られない。現代の病院に入院している患者は、恐らくこのリスクが高いだろう。
チアミンはウェルニッケ・コルサコフ症候群に対する特別な治療法だと考えられている。精神的要素に対してはビタミンB3の方が効くが、せん妄の多くのタイプのような神経学的要素にはチアミンが大変有効である。理想的には、あらゆるせん妄は十分量のチアミン、ビタミンB3、アスコルビン酸(抗ストレス作用を期待して)、それにミネラルのサプリメント(特に亜鉛)で治療すべきである。現実には、単一の栄養分だけが欠乏しているということはない。器質性の錯乱状態(せん妄)が起きている状況では、複数のビタミン・ミネラル欠乏(あるいは依存)が起きているはずである。
チアミンはアルコール依存症者の治療に用いられるべきである。J・F・ケイドはマルチビタミンと一緒に少なくとも200㎎のチアミンを経静脈的に投与した。1945年から1950年に86人のアルコール依存症患者が亡くなったが、チアミンを導入した後では、1956年から1960年の間の死亡は8人、その後はアルコール依存症者の入院が増加したにもかかわらず、死亡者はゼロになったことを、彼は発見した。同じくらい劇的な効果はビタミンB3やアスコルビン酸にも見られる。恐らくこれら三つ全てを使用するべきだろう。
オーソモレキュラー精神科医は、アンフェタミンへの欲求を抑えるためにチアミンを使っているし、チアミンは一部のうつ病患者にも有効である。多発性硬化症に対して、マルチビタミン投与の一部として、あるいは単体で、高用量のチアミンが用いられている。

ビタミンB1の摂取
RDA/DRIでは1日2㎎以下となっているが、高用量療法ではチアミンの摂取範囲は1日100㎎から3000㎎と幅がある。たいていは1日1000㎎以下でよい。チアミンの安全性については信頼できる歴史があり、経口で摂取しても毒性はない。チアミンにはナッツのような妙な風味がある。マルチビタミンの瓶をあけてその匂いをかぐと、それは恐らくチアミンの匂いである。高用量療法を行うと、似たような匂いが体からする可能性がある。最も多い副作用は高用量を投与したときの吐き気だが、これさえ稀である。チアミンは注射によっても使用できる。ある種の状況、たとえばアルコール依存症やその関連疾患では、B1を最初から注射で使うのが望ましいかもしれない。」
引用ここまで。

「人はパンのみにて生きるにあらず」というフレーズが聖書にありますが、これは、精製した白パンだけ食べていてはたちまちビタミンB1欠乏に陥ってしまうことをイエス様も知っていたのです。「人はパンのみにて生きるにあらず。酢豚も追加オーダーすべし」というのが旧約聖書に本来見られる記述なのですが、後半が省略されたフレーズが人口に膾炙したというのが本当のところなのです。
もちろんこれはウソだけど笑、ビタミンB1を摂ると子供の頭が良くなる、というのはウソのような本当の話。
ルース・ハレルという先生は、ダウン症児も含め、何らかの精神的症状を示す小児に、大量の栄養素(サプリメント)を投与した。それは成人の1日所要量の数倍以上の量で、具体的にはビタミンB1を150倍、ビタミンB2を100倍、ビタミンB3を37倍、ビタミンEを40倍だった。
その結果、子供の精神症状は消失し、ダウン症児も含め、子供らのIQが大幅にアップした。同時に、栄養摂取量とIQには比例関係があることも見出された。
ダウン症児はIQの増大に加えて、特有の顔貌も消失した。600人以上の子供にサプリメントを投与し、80〜90%で治療効果が見られた。

子供の頭をよくする方法っていうのは、少なくとも栄養療法的には、分かっているわけです。
それを我が子に実践するかどうかは、親次第だ。
でも実践しないからといって、親として不適切かというと、全然そんなことない。
「頭がいいとか悪いとか、そんなもん関係ないわい。うちの子は確かに頭はアホで勉強もできひんけどなぁ、人の心の痛みがわかる子で、こんなええ子はおらへんぞ」と我が子を誇れる親に生まれた子供は、絶対幸せだと思う。
学歴コンプレックスのある親の影響下で、好きでもない勉強に無理やり追いたてられて、というのが子供としては一番きついだろう。

膵臓癌

2018.7.26

「医者になって間もない頃、ある若い女性患者を担当した。
彼女、膵臓癌でね、発見時点ですでにステージ4だった。
若年者でこういう癌を発症するのって珍しいんだけど、若いだけあって進行も早くて、腹膜や肝臓にも転移していた。
ここまで進んでしまっては手術の適応はなくて、抗癌剤や放射線で何とか抑えようということになった。

膵臓癌は本当に難しいんだ。
僕が医者になった三十年ほど前と今とで、治療にどういう進歩があったか。
一年しか持たなかったところが、三年持つようになった。
せいぜいこれだけ。
膵臓癌の治療だけは、まるで取り残されたみたいにほとんど進歩していない。ランゲルハンス島は、現代医学にとっても未だ秘境なんだ。
消化酵素を外分泌し、ホルモンを内分泌するという器官の特性上、治療にはどうしても難渋するんだな。

僕はまだ医者になりたてで、担当患者を持てたことがうれしくてね、何とか治してあげたいって張りきっていた。教科書はもちろん、いろいろな文献や学術書を読んで、ずっと勉強してたよ。
指導医から言われたから勉強する、じゃないんだ。
患者から質問されて「うーん、わかりません」じゃ恥ずかしいし、頼りない。だから勉強するんだ。
本気で自分から勉強し始めたのって、患者に対する責任を背負うようになってからだと思う。

ヒマを見つけてはベッドサイドにも足を運んだ。
彼女、治療に対する不安でいっぱいだったし、独身の人だったからさ、お見舞いに来た家族や友人が帰っちゃうと退屈してるみたいだったから、よく話し相手になってた。
あるとき、病院のラウンジで話していると、
「先生、彼女いるの?」
「いや、いないけど」
「かわいそうだから私が彼女になってあげましょうか」
「ハハハ、何それ」って笑ったら、彼女も笑ってたけど、あの言葉、けっこう本気だったんだな。
正直なところ、彼女の好意は感じていた。
僕と年齢が近いこともあって、タメ口だったし、医師患者関係というよりは友達関係に近かったと思う。そして彼女としては、それ以上の関係を求めていた。

ちょうどその頃、病院でもエコーが導入された。エコー検査をするときに患者には上半身裸になってベッドに横になってもらうんだけど、僕の方はエコーに不慣れだったし、まだ若かったということもあって、裸になった彼女に必要以上にドギマギして、彼女の胸もとを見ないように目をそらしてたぐらいなんだけど、彼女、逆なんだ。
むしろ、胸を張る。
僕の照れを見透かしてさえいるようだった。
自分は若くして死ぬかもしれないという不安と、医療行為とはいえ、自分の裸体を若い男の前にこんなふうにさらすことは自分の人生でもうないだろうという思い。
彼女の内側にあったのは、そういう感情だったと思う。

治療が始まれば、「美しくなくなる」ことは事前に説明していた。抗癌剤の副作用で毛が抜けたり、病的にやせたり、肌の色つやが悪くなることを伝えていた。
だから、このエコー検査が彼女の人生でおそらく最後の場、美しい自分の体を男にさらす最後の場になることを、彼女は覚悟していた。
そして事実、その通りになった。

いや、その前に、実はもうひとつ、話がある。
そのエコー検査の翌日、僕は病院の当直をしていた。
深夜、彼女が僕のところに来て言った。「先生、不安で眠れないんです。しばらく私のそばで話してもらえませんか」
「ああ、そういうことなら構わないよ」と、彼女の入院する個室に行った。
しばらく他愛ない話をしていると、ふと、彼女の顔が僕に近づいてきて、彼女の唇が僕の唇を覆った。「先生、抱いて」

もう三十年前の話だよ。
医者になったばかりの頃にそんなことあったものだからさ、今後もこういうことはちょくちょくあるんだろうな、って思った。でもそれが最初で最後だった。
三十年医者をやってきて、そんなことは、もう二度と起こらなかった。

彼女の気持ちを思うと、今でもつらい。
誰でもいいわけじゃない。でも誰かに抱かれたかった。そしてその相手に僕を選んだ。
でも、僕は医者。彼女を治療する立場であり、その治療の副作用は、彼女の美しさも損なっていく。一度体を許した男に衰えていく容貌を見られることは、きっとつらかった思う。肉体的な苦痛以上につらかったと思うんだ。
そのつらさを思うと、関係を持ったことが正解だったのかどうか、いまだにわからない。」

血液型占い

2018.7.25

「B型?やっぱりね!あつしさんマイペースだから、きっとそうだと思った」みたいなこと言われてもどう反応したらいいのか分からへんから、とりあえず笑っとこ。
血液型は飲み屋で話すネタの定番だから、僕も一応「A型は几帳面、B型はマイペース、O型は大雑把、AB型は二面性がある」程度の知識は持ってて、お姉ちゃんの話に合わせられるようにしているんだけど、まぁ正直、全然信じてません笑
こんなの、バーナム効果そのものでしょ。両義性の間を揺れ動くのが人間だから、どう言われたって当たってるように感じるものなんだ。

そもそも血液型というのは、赤血球表面にある抗原の型のことなんだけど、これが人の性格に影響することがあるのか?
あるとすれば、どういう機序で?白血病の人に骨髄移植をすると血液型が変わることがあるが、それに伴って性格も変化するのか?

血液型と性格の関係がこんなに言われているのって世界中でほとんど日本だけだ(他には日本の影響を受けた韓国や台湾ぐらい)。
この背景には、血液型と性格の関係が初めて本格的に論じられたのが、日本人研究者によるものだったということもあるかもしれない。(1927年『血液型による気質の研究』古川竹二https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/00224545.1930.9714153)
あと、日本人の血液型の割合って、A型38%、B型22%、O型31%、AB型9%と、けっこういい感じにバラけていて、こういうのも血液型占いがウケる一因になりそうだ。たとえば中南米(ボリビア、メキシコ、コロンビア、ジャマイカ)ではほとんどの人がO型だし、ペルーやブラジルに至ってはほぼ100%の人がO型なんだけど、こんな国で血液型占いが流行らないのは明らかだろう。
アメリカはA型41%、B型10%、O型45%、AB型4%と、A型とO型に偏っていて、アメリカ人には自分の血液型を知らない人も多い。というか、「血液型って何?どういうタイプがあるの?」と、その存在自体知らない人もいる。だから、来日したアメリカ人は、日本人の誰もが自分の血液型を知っていることに、非常に驚く。

血液型と性格の関係は日本発祥だけあって、すでに戦前、軍によって詳しく研究された。血液型と性格に本当に相関があるのなら、兵士をどこの部署に配置するかを決めるのに、血液型が参考になる。
たとえば俗説が言うように、O型が本当に大雑把だとすると、O型の人に重要機密の扱いを任せるわけにはいかないし、A型が規律正しく勇猛果敢だとすると、前線にはA型の人員をメインで集めよう、といった具合に、適材適所な配置が可能になるだろう。省庁や企業の人員雇用にしても、血液型による優遇(あるいは差別)が必要悪になるかもしれない。
でも、研究の結果、相関は否定された。つまり、血液型と性格というのは、科学的にはケリのついた話なんだ。

それでも、僕ら日本人は血液型の話が大好きだ。
飲み屋のバカ話として盛り上がっているうちはいいんだけど、こういうのを真に受ける人が一定数出てくるもので、たとえば僕の父は「あいつ、AB型の変人やからな」みたいなことをちょくちょく言う。しかも割とマジなトーンで。
まじめに訂正するのもあれやからスルーしてるけど、血液型による差別なんてのも起こりかねへんのよね。
そういう意味で、血液型の話って、けっこうリスキーな火遊びなんだよ。
「A型はアホ、B型はバカ、O型は頭からっぽ」とかね、こういうシャレにとどめとく分には全然いいと思うんだけど。

認知症

2018.7.24

認知症に対する漢方的なアプローチとしては、抑肝散が有名だけど、これを公式のように「認知症=抑肝散」と棒暗記するのはいまいち。
興奮とか易怒性を伴うタイプの認知症にはバッチリハマるけど、活動性が低下したような認知症には、陰性症状に拍車をかけてしまい、逆効果になる。
アパシーが前面に出ているような認知症には人参養栄湯がいい。
人参養栄湯は統合失調症の陰性症状にも有効だし、食欲不振、倦怠感、手足の冷え、寝汗にも効く。
レビー関連型の認知症で、パーキンソニズムとか抑うつのある人には、柴朴湯が向いている。
という具合に、一口に認知症といってもタイプは様々なので、タイプに応じた漢方処方をすることが必要だ。
大まかに言って、人参養栄湯と抑肝散は逆の働きをしているから、活動性が低下している認知症、陰性症状メインの統合失調症には人参養栄湯を、活動性が高まっている認知症や陽性症状が出ている統合失調症には抑肝散、とおさえておこう。

漢方に加え、サプリや食事改善も含めたアプローチにより、認知症(特にアルツハイマー型)のほとんどはよくなるよ。
このあたりの事情は『アルツハイマー病 真実と終焉』(デール・ブレデセン著)に詳しい。
家族に認知症患者のいる人は、ぜひ読みましょう。
認知症は不治の病ではなく、治る病気なんだ、予防可能なんだと知れば、認知症患者は治癒に希望を持てるし、自分も将来認知症になるのではないかと不必要に恐れることもなくなるからね。

認知症に対して、一般の病院ができることといえば、せいぜい薬(ドネペジル(アリセプト)、ガランタミン(レミニール)、リバスチグミン(イクセロン、リバスタッチ)、メマンチン(同マリー))を処方することぐらいだけど、たとえばアリセプトの添付文書には、このような文言がある。

「効能又は効果に関連する使用上の注意
・アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制
(1)本剤は、アルツハイマー型認知症と診断された患者にのみ使用すること。
・レビー小体型認知症における認知症症状の進行抑制
(1)本剤は、レビー小体型認知症の臨床診断基準に基づき、適切な症状観察や検査等によりレビー小体型認知症と診断された患者にのみ使用すること。
(2)精神症状・行動障害に対する本剤の有効性は確認されていない。
・両効能共通
(1)本剤がアルツハイマー型認知症及びレビー小体型認知症の病態そのものの進行を抑制するという成績は得られていない。
(2)アルツハイマー型認知症及びレビー小体型認知症以外の認知症性疾患において本剤の有効性は確認されていない。」

この説明、納得できる人、いますか。
「症状の進行抑制」という前段の記述と、「病態そのものの進行を抑制するという成績は得られていない」という後段の記述。何ですかこれ。
矛盾以外の何物でもなくないですか。少なくとも僕の国語力では読み解けません。

効かないんだよ、正直。製薬会社はそんなこと、百も承知。
自社製品なんだから、強みも弱みもはっきり理解したうえで、市場に出している。
でも「認知症を治します」なんて謳っちゃうとあからさまな詐欺だから、言えない。そこで、このような禅問答みたいな表現をしている。
まぁ要するに、バカにしてるんですね、患者のことを。

こういうデタラメが通じるのは日本だけで、さすがフランスはしっかりしている。
認知症に効かないということが明らかな以上、こんな薬に保険適用を認めるわけにはいかないと、今年の8月から抗認知症薬が保険でカバーされなくなった。
莫大に膨らむ医療費を抑えようとするのは国家として当然のことで、フランスがすごいというか、日本の医療行政が無策すぎるだけなんだよね。

林郁夫

2018.7.23

林郁夫。
慶応大学医学部を卒業後、心臓外科医として渡米し、最新の術式を学んだ。帰国後、実績を積み、心臓外科の名医としての評判が高まり、石原裕次郎の手術チームの一員にも選ばれた。
しかし、臨床医としてどれだけ最善の努力を尽くしても救えなかった症例を見るたびに、死とは何か、そして生の意義とは何か、といったことを深く考えるようになった。
そんなとき、麻原彰晃の著書に衝撃を受け、次第にオウムに傾倒していく。やがて妻、子供らの一家四人で出家した。

1995年3月20日。営団地下鉄千代田線、北千住駅。
林郁夫は電車を待ちながら、新聞紙でくるんだビニール袋をわきに抱えていた。なかにはサリンが入っていた。
ホームを行きかう人々をぼんやりと眺めた。自分の背後に並ぶ、ランドセルを背負った女の子が目についた。
「オウムを弾圧する国家権力との戦いだったはずが、なぜこんなことになったのだろう。こんな子供を殺して、一体何になる?」

前日に村井から指示を受けていた。
「君たちが乗る地下鉄は5本とも8時10分頃に霞が関に到着する。それぞれ、自分の降りる駅が近づいたら、新聞で包んだサリンを床に落とせ。
そして駅に着き、扉が開く直前、ビニール傘の先端で袋を突き刺し、穴をあけろ。一袋につき、二回突け。
君たちがサリンをまいて降りる駅は逆算して決めた。サリンが穴から漏れ出て、車内で気化するまで10分から15分。霞が関に着く頃、最も被害が大きくなるだろう」

電車に揺られながら、アナウンスの声を聞くともなく聞いていた。「営団地下鉄千代田線をご利用いただき、ありがとうございます。まもなく新御茶ノ水、新御茶ノ水に停まります」
目の前に、若い女がいた。
極力何も考えないようにしていたが、いざ、ビニール袋を落とす段になると、胸が震えた。
サリンをまけば、この女も死ぬんだろうな。
私は人を救うために医者になったはずなのに、今、人を殺そうとしている。何をやっているんだろう、こんなところで。
降りろ、女。この後、大変なことになるぞ。
降りろ、早く降りろ。お願いします、早く降りてください!
女は動かない。ただ、つり革を持って、ぼんやりと窓外を見やっている。
林は首を振った。いけない。考えてはいけないんだ。深く呼吸し、内心にマントラを唱え、何とか平静を取り戻す。もう何も考えまい。
サリン入りの新聞包みを足下に落とした。
「お手荷物などお忘れ物のないようご降車ください。新御茶ノ水、新御茶ノ水です」
申し訳ありません、真理を守るためなのです、戦争なのです。高い世界にポアされてください。
グラインダーで鋭くとがらせたビニール傘の先端が、袋を突き破る手ごたえを感じた。
超えてはならない一線を、今、確かに超えた。林の繊細な指には、その感覚が生々しく残った。いつまでも。

千代田線(我孫子発代々木上原行)
死亡:2人、重症:231人

林郁夫は、地下鉄にサリンをまいた実行犯のなかで唯一極刑をまぬかれた。
裁判官が彼をどのように見ていたかは、たとえばこのサイトに詳しい。(https://ironna.jp/article/1153)
同じ職業だから、というだけの理由ではなくて、僕は彼に、近しいものを感じる。
彼、本気で患者を救いたかった。自分が必死にマスターした外科手技をもってしてなお、救えない患者がたくさんいた。
自分の医学は本当に正しいのだろうか。そういう疑問がふと頭にもたげていたときに、麻原の著書に出会ってしまった。
病院にオウム式の治療法を持ち込み、患者に塩水や湯、糸を飲ませたり、ジャンプさせたりするなどし、トラブルが起こった。
まるで僕の姿を見ているような気がした。
栄養療法を知って衝撃を受け、患者にこっそりナイアシンを飲ませ、それが上司に露呈して大目玉を食らった僕には、彼の気持ちがわかる。わかりすぎて、何だか胸が痛い。
もちろん流儀は違う。でも、現代医学に疑問を持ち、真に患者を救い得る方法はないものかと悩み、模索する思いは、僕と同じだ。
ただ僕は、宗教というのは、教祖とか誰か偉い人の唱える教義に身をゆだね、自分の思考を放棄することだと思っているから、個人的にはそんな生き方、まっぴらごめんだ。
自分の信じる宗教がある人の、その気持ちは尊重するけれど、僕自身は宗教は好まない。
そこは彼との大きな相違点だけど、それでも、救いたい、の思いは僕と共通で、彼、その思いで突っ走ってきたはずだった。
でも、どこでどう道を誤ったか、地下鉄でサリンまくことになってしまった。
人を救うために必死になって外科技術を身につけた彼が、人を殺すためにサリンをまく。これほどの方向転換はそうそうあるものではない。
こんなの絶対に間違っている、って良心は叫んでいるんだけど、教義のため、教団のためだ、と理性で納得しようとする。
こういう極限状態の心理は、興味深いと思う。

彼が栄養療法と出会っていれば、と思う。ビタミンEやD、Cなどの投与で心血管系の病気の発症率が下がることにはエビデンスがある。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15753154)
現代医学に失望した頃には、林先生、病気に対しては治療よりも予防が重要だ、という考え方になっていたというから、栄養療法はきっとアピールしたと思うんだな。
純粋な思いも、手段の選択を誤っては、大きな悲劇になってしまう。

参考:『オウムと私』林郁夫著