院長ブログ

講演会

2018.9.29

今日は兵庫県高砂市にある公共施設で講演会を行ってきた。
講演会を聞きに行った、のではない。医師として、講演をやりに行ったのだ。
こんなことは僕の人生で初めてのことだ。

自分はまだまだ知識を吸収する側であって、偉そうに教えを垂れる側の人間ではないと思っている。
だから、最初にこの講演のオファーを頂いたときには、とても引き受けられないと思った。
院長ブログでちょくちょく医学ネタの話は書いているものの、実際の人様を目の前にして話すとなれば、ずいぶん勝手が違うだろう。
文章は何度でも書き直したり推敲できるが、講演というナマのしゃべり場では、そういう訂正はきかない。
自信をもって堂々と語りかけることができるだろうか。人々の視線が集中し、緊張のあまり固まってしまうことはないだろうか。
出席者に医学知識を持ち合わせた人がいて、議論を吹っ掛けられたら、どうするのか。
不安要素は無数にある。
できない理由をあげれば、きりがない。
でも、せっかくの機会なんだ。これも自分の成長に資する経験になるだろうと思って、お受けすることにした。

テーマは、『栄養の大切さ 栄養のとり方で人生が変わる』とした。
自分が実践しているオーソモレキュラー栄養療法の概要、栄養欠乏と病気の関係、食事の重要性、どんなビタミンがどういう病気に有効なのか、精製糖質や小麦、牛乳がどのように体に悪影響を与えるのか、栄養と子供のIQ、アダプトゲンの有効性など、自分の知識を広く浅く紹介する内容にしようと思った。
スライドを作るのはごうちゃんに手伝ってもらった。
3か月ほど前に講演の話を受けて以来、時間のすきまを見つけてはごうちゃんと共同で作業を進めた。

そして、今日、本番。
台風が近付いているにも関わらず、わざわざ来てくれたお客さんを前に、1時間話した。
ほとんど緊張しなかった。ロディオラを飲んでいるおかげで、ストレスにタフになっているのかもしれない笑
別段飾るでもなく、自分のしている医療、その背景となる理論について、できるだけ医学用語を使わずに説明した。
一通り話し終えると、フロアからたくさんの質問を頂いた。
たくさんの質問をされるということは、それだけ関心を持って聞いてもらった、ということで、ありがたいことだ。
たとえばこんな質問をもらった。
9カ月の乳児を抱っこしながら講演を聞いていた女性。「牛乳が体によくないということはわかりました。では、ヨーグルトはどうですか」
50代男性。「糖質のとりすぎはよくないっていうことだけど、じゃ、炭水化物として何を食べればいいのかな。パンはよくない?ごはんは?」
40代女性。「フッ素が危ないって言われてましたけど、歯磨き粉は当然フッ素入りのを使っているし、歯医者で歯のフッ素コーティングとかしてもらってるぐらいなんだけど、やばいですか」
別の40代女性。「検診は患者の掘り起こしっていうのは確かにそうかもしれないけど、市がやってる無料の検診をあえて行かないっていうのは、けっこう勇気がいると思いますが、どうでしょうか」

作ったスライドは、盛りだくさんすぎて、半分も紹介できないまま終わった。
お客さんからは、「もっと聞きたかった。まだ半分残ってるのなら、別の講演の機会にまたぜひ聞きたい」という声も頂いた。
初めての講演にしては、大成功というべきだろう。
しかしまぁ、高砂で好評を頂いても、わざわざ神戸のクリニックまで来てくれるわけでもなくて、集客には結びつかへんのよなぁ笑
でもそんなことは、もちろんどうでもいい。
日々の栄養の重要性や、安易に薬に頼らない意識を持つ人が少しでも増えれば、この講演会にも意味があったと思えて、僕はなによりそれがうれしい。

筋トレ

2018.9.27

ジムに通い始めて3カ月が経った。仕事などでどうしても無理な日を除けば、だいたい毎日行っている。
ただ、行ってもそんなに長時間トレーニングをやりこむわけではない。いくつかのマシンを使った筋トレをして、最後に柔軟体操をして、それで終わり。
時間にして、せいぜい30分といったところ。

それでも、継続は力だね。体格が目に見えて変わってきた。
飲み屋で初めて会う人なんかに、「何か運動やってる?」とよく聞かれる。
「お仕事、当てて見せましょうか。スポーツのインストラクターでしょ?」
日焼けで肌が黒いこともあって、まさか医者だと思う人はいない笑

ジムに行く前に65kgだった体重は、一か月ほどで63kgまで減り、その後、64kg台にまで増えてきた。
むくみや脂肪が落ちて、今度は筋肉がつき始めたのだと思う。
別段筋肉に特化した食事をしているわけじゃない。
プロテインを飲みだしたとか卵の白身や鳥のささみばかり食べているとか、そんなのは全然していない。
ただ、食欲は増えた。食べようと思えば、いつもの倍量食べられるだろう。
ボディビルダーは運動、食事、運動、食事の繰り返しで、バルクアップをはかるという。
別にそういうのを目指しているわけじゃないから、そこまでやりこまないけどね。

ところで、プロテインを飲んでも筋肥大にはつながらない、という論文を見つけたよ。
(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22806076)
運動習慣のない若年成人を対象にした研究。彼らをホエイプロテインを摂取してもらう群、プラセボ(トウモロコシでんぷんのマルトデキストリン、ショ糖)摂取群の二群に分けて、レジスタンス・エクササイズ(要するに筋トレ)の前後にそれを飲んでもらう。彼らに、週に4日の筋トレを8週間続けてもらった。
8週間後、肘や膝の屈筋、伸筋、足の背屈筋、足底屈筋のサイズをエコーで計測し、筋肉の容量をX線吸収測定法で調べ、チェスト・プレスの限界回数で筋力を調べた。
結果、研究開始前と後とで、筋肉の大きさ、筋肉の容量、筋力、いずれも有意に増加していたが、その増加に両群で有意差はなかった。
つまり、プロテイン飲んでても砂糖飲んでても、筋肉のつき方に違いはなかったということだ。

そもそも、ホエイプロテインは製造のプロセスで加熱されて、粉末になって、さらに加熱されて、アミノ酸がかなり変性しているだろう。
体に悪いものではないのかもしれないけど、少なくともバルクアップをはかる上で全くプラスになっていないことが、この実験で証明されてしまったわけだ。
ジムの更衣室で、シェイカーに入れたプロテインを飲んでいる人をよく見るけど、プラセボ以上の効果はないということなんだな。
トップクラスの自転車選手に練習中にプロテイン(あるいはプラセボ)を飲んでもらって、そのパフォーマンスを比較した、っていう研究もあるよ。
(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4779585/)
ここでも有意差は出なかった。
プロテインに頼るぐらいなら、普通に肉とか卵食べてるほうがよっぽど効くんじゃないかな。

「よく続いてるなぁ。三日坊主で終わるかと思った。頑張り屋だね」と友人が言う。
いや、別に「頑張っている」という意識じゃない。
もはや日課になっていて、「やらないと不快だから」というのが実感に近い。
通い始めの頃は、運動ということ自体が久しぶりで、まずは体を運動になじませる、という感じだった。
だんだん余裕ができてきて、筋肉を限界までいじめる苦しさのなかに、ある種の喜びを感じるようになってきた。
そう、筋トレは、「快感」なんだ。
これは比喩的な意味じゃなくて、文字通りの意味だ。
脳の報酬系が刺激されて、ドーパミンなどの快楽ホルモンが出ている。ニコチン、性的絶頂、食事、ギャンブルなんかがもたらす快感と、生理的には違いはない。
マラソンで40㎞も走るなんて、運動習慣のない人から見れば狂気の沙汰に思えるけど、走ってる本人は苦痛一色というわけでは決してなくて、ランナーズハイで恍惚としてるものなんだ。
運動がもたらすこの精神的快楽は、肉体的にも好ましい影響を与える。
file:///C:/Users/user/Downloads/520258.pdf
この論文、ざっとかいつまんで説明すると、、、
インスリン抵抗性、動脈硬化、神経変性、癌など、様々な病気の背景には、慢性的な炎症がある。定期的に運動をすることによって、2型糖尿病、心血管系疾患、大腸癌、乳癌、認知症を予防することができる。この理由は、定期的な運動には抗炎症作用があるからだ、というのがエビデンスの示すところである。
その抗炎症作用は、内臓脂肪の減少を介してか、あるいは、運動に応じて生じる抗炎症作用を持った何らかの物質によるものではないか、と我々は考えている。
我々の理論では、その抗炎症作用は、筋肉に由来するペプチド、いわゆる「マイオカイン」の影響である可能性がある。
骨格筋の収縮によってマイオカインが分泌され、直接的に抗炎症作用を発揮し、あるいは内臓脂肪に特異的に作用しているのかもしれない。また、脂肪酸の酸化やグルコースの取り込みに際して、マイオカインが役割を果たしている可能性もある。マイオカインはTNF(腫瘍壊死因子)によるインスリン抵抗性に対しても改善効果があるようだ。運動することによって分泌されるマイオカインは、局所的な炎症のみならず全身的な炎症にも、抑制効果があるだろう。

運動がうつ病にも効くというエビデンスは多い。(https://journals.lww.com/psychosomaticmedicine/Abstract/2000/09000/Exercise_Treatment_for_Major_Depression_.6.aspx)
抗うつ薬飲むぐらいなら、運動すればいい、というのがエビデンスの示すところだ。
投薬群、運動群、いずれも改善したが、長期的には投薬群では再発のリスクがあるが、運動群ではそのリスクが低かった。
当然だけど、運動には、薬のような副作用がない。というか、メリットしかない。
ボディビルダーでうつ病の人って、絶対いないものな。経験的には明らかだったことが、研究で裏付けられた形だ。
これはもう、うつ病の人は運動をやらない手はないでしょう。

IQ

2018.9.25

IQが高い人ほど、社会的地位が高く収入が多く学問的に成功し、逆にIQの低い人ほど、失業したり貧困に陥る可能性が高いということが統計的に示されている。(Cattell,1983; Itzkoff,1991,1994)
では、どういうふうにIQを上げればいいのか。
政府の大々的な支援のもと、環境因子の調整によってIQを上げようという試みが、かつてアメリカで行われた。Head Start Programである。
「5,6歳の子供たちは貧困階級に生まれただけであって、自らの失敗のせいで貧困に陥ったわけではない」とリンドン・ジョンソン元大統領は話し、公立学校の教育内容の抜本的な改革に取り組むことを宣言した。
112億ドルもの予算が投じられた。結果はどうだったか。
学業成績の短期的な向上は見られた。でもそれだけだった。IQの上昇もなく、ましてや貧困階級から抜け出せるでもなく、まったくの失敗に終わった。(Spitz, 1986)

この結果は、一部の専門家にとっては別段予想外のことでも何でもなかった。
IQに大きく影響するのは、遺伝的要因あるいは生物的要因であって、環境要因ではないことをすでに彼らは知っていたのだ。(Brody, 1992; Plomin, 1993; Vernon, 1989)
環境要因こそがIQを左右する原因だ、という思い込みのために、政府は莫大な予算をつぎ込みながらも、生物的要因へのアプローチは一顧だにしなかった。

ビタミンやミネラルのサプリを使った生物的要因へのアプローチのほうが、はるかに有効性が期待できる。(Schoenthaler, 1991)
ビタミンやミネラルは身体的、精神的な機能に直接的に影響する。たとえば不摂生な食生活をすれば、カロリーだけは過剰でありながらある種のビタミンやミネラルが欠乏する。(Axelson & Brinberg, 1989)
逆に、そうした栄養素をサプリで補うことによって、IQが向上することが示されている。(Dean & Morgenthaler, 1990; Dean, Morgenthaler & Fowkes, 1993)
IQの向上ばかりではない。栄養面の改善によって、犯罪者の反社会的行動さえ大幅に改善することが見出されている。(Eysenck, 1991)

栄養が身体的にも精神的にも重要であることは、何も新しい考え方ではない。「人は、食べ物でできている」とは昔からある言葉である。
学者が追及すべきは、「各個人間のIQのばらつきは、ビタミンやミネラルの摂取量の違いによるものである、と統計的に言えるかどうか」である。
栄養学者はこの問いにNOと言っている。政府の定める栄養摂取量(RDA)さえ守っていれば、栄養的に万全である、と。しかしRDAは、栄養欠乏症に陥らないためのギリギリの値に過ぎないのである。
たとえば脚気にならないための最低限のビタミンB1摂取量であり、壊血病にならないための最低限のビタミンC摂取量が基準値になっている。
つまり、基準値の決定に際して、体の症状の有無を目安にしているわけで、精神面での必要量はまったく考慮されていない。

精神面でのパフォーマンスを調べるのに、学者たちは記憶力に注目した。(Cherkin, 1987)
ナイアシン、コリン、葉酸の欠乏によって認知症になり得るが、これらをサプリで摂取することで症状が改善することが示された。
ナイアシンは健康な人においてさえ、短期記憶を大幅に強化した。(Loriaux, Deijin, Orleheke, & De Swart, 1985)
また、アミノ酸(チロシン、トリプトファン)や、コリンやアセチルCo Aといったアセチルコリン前駆体にも同様の効果がある。
「極度に栄養失調の子供はIQが低い傾向がある」ことは事実として分かっている(Stein & Kassab, 1970; Winick, Meyer, & Harris, 1975)。
ただし、極度の栄養失調児には虐待や貧困など、IQを下げる交絡因子が多いため、ここから結論めいたものを引き出すことはできない。

上記は、以下のサイトから僕がテキトーに訳しました。
https://books.google.co.jp/books?hl=ja&lr=lang_ja|lang_en&id=BMXVZzvLXz8C&oi=fnd&pg=PA363&dq=vitamin+iq+&ots=K0kWqG0SsD&sig=8zKmWrSxkdjSzpiiFVO9yt79Et8#v=onepage&q=vitamin%20iq&f=false
1999年出版だから、20年近く前の本ということになる。
データがどれも古いけど、今でも学ぶべきものがあると思う。
遺伝子組み換え食品が当たり前のように食卓に上るようになり、砂糖ばかりでなく人工甘味料もバンバン使われるようになり、グリホサートとか新たな農薬も使われるようになり、医学と製薬業界のタイアップはますます強固になり、、、
つまり、現在の状況は20年前より悪化している。
昔から栄養の重要性は言われているのに、僕らの食事はひどくなっているし、医学は相変わらず栄養よりも薬だし、医者がサプリを嘲笑するのも相変わらずだし。
時代が進むにつれ、科学も進歩し、それにつれて人間は賢くなっていかなきゃいけないのに、相変わらずバカなまま。
栄養が足りてなくて、IQが低いせいかもね笑

もう少し新しい論文から。
http://pediatrics.aappublications.org/content/111/1/e39.short
ドコサヘキサエン酸(DHA)やアラキドン酸(AA)は哺乳類の神経系の発育に重要である。特に、ヒトでは妊娠中の第4四半期から生後数か月の期間に、脳におけるAAやDHAの容量が急速に増大する。
胎児(あるいは新生児)は、AAやDHAを完全に外部からの供給に依存している。
「妊娠中あるいは授乳期間に、母体が高用量の脂肪酸(DHA、EPA)を摂ることによって、児の知的発育に好影響を与えるのではないか」という仮説のもと、実験を行った。
妊婦あるいは授乳中の母親を2群に分け、一方にはn3系超長鎖多価不飽和脂肪酸(PUFA。タラの肝油)を、もう一方にはn6系長鎖PUFA(コーン油)を与えた。
結果、4歳時点で知能検査を行ったところ、タラ肝油摂取群はコーン油摂取群よりも有意に高いスコアを示した。頭部の周囲径にも有意な差が見られたが、誕生時の体重や胎児径に相関はなかった。
児の4歳時の知能スコアは母体のDHAおよびEPAの摂取と有意な相関が見られた。重回帰モデルにおいて、妊娠中のDHAの摂取が子供の4歳時点での知的スコアの統計的有意差を説明する唯一の変数であることが示された。

みなさん、頭のいい子供ってどう思いますか。
個人的には、別に頭がいいからかわいい、ってわけでもないと思うんだな。
実家で猫飼ってて、その猫、畳で爪とぎするなって何べん言ってもガリガリするアホ猫なんだけど笑、もう、すごくかわいくて。
知能が高いということと、その子が我が子としてかわいいか、愛着が持てるか、っていうのは別の話な気がする。
あ、猫と人間を一緒にしたらアカンか笑
でも、IQ低くて社会的に成功しなくても、人間として愛すべき人柄とか性質を備えてさえいれば、そっちのほうが本当の幸せをつかむ可能性が高いんじゃないかな。

ちなみに、子供が飲めばIQが高くなるというエビデンスのあるサプリを、僕もしばらく飲んでみた。
個人的な感想としては、IQが上昇したかどうかは分からないけど、僕の場合は、やたらと数学や統計学の問題を解きたい気分になった。
ロジックを使う知的作業に打ち込みたくなるような感覚。脳に負荷を与えて、かつ、それに耐え抜いて見せるぞ、という意欲がわいてくる感覚があった。
こういうのを子供のときに飲んでれば、確かに人生が変わってたかもなぁ。

方言

2018.9.23

県外で生活する機会が何度かあったけど、言葉は基本的に関西弁で通させてもらっていた。
当初は、郷に入っては郷に従えで、下手くそなりにその土地の言葉を使おうとしたりする。でもこういうのって、地元の人からすればけっこうイタいキャラに映るんだろうね。
関西人はどこでも関西弁で話すものだというイメージがあるのに、標準語とも何弁ともつかない奇妙な言葉を話すものだから、イメージを裏切られて落ち着かないのかもしれない。
本音でざっくばらんに話すイメージの関西人が、ネイティブではない言葉を使っては、何かそれ自体、嘘をついているような雰囲気が漂うのかもしれない。
友人からすれば、自分に対して打ち解けないで「壁を作っている」と感じるのかもしれない。
「あつしはさぁ、自分の言葉で話せばいいと思うよ」
ありがたい言葉。何か自分のなかで吹っ切れるものがあって、関西弁で通すようになった。

今や、神戸に自分の居場所を据えた。これまでとは逆に、地方出身で神戸に住み始めた人を、むしろおもてなしする側になったわけだ。
「出身は福岡なんだけど、大学進学をきっかけに神戸に来て、就職もこっちで決めた。
博多弁と神戸弁は確かにちょっと似てると思う。『これ、知っとう?』なんて言葉を聞くと、自分が一瞬福岡にいるのかと錯覚する。
でもやっぱり、基本的には全然違う。
僕が話せるのは博多弁と標準語だけ。その二つのチャンネルしか持ってない状態で関西弁を話そうとすると、チャンネルが混線する。「標準語ではないほう」のチャンネルが博多弁しかないから、博多弁が混じったような妙な関西弁になってしまう。
これ、福岡に限らず、他の地方出身者も同じじゃないかな。」
「生まれも育ちも東京。転勤がきっかけで、神戸に住み始めたのが5年前のこと。
異動を希望すれば他の勤務地にも移れるんだけど、神戸のこと気に入っちゃったからさ、できるだけここで勤めたいと思っている。
さっきみんなが話してた、神戸弁と大阪弁、京都弁の違いとか、関西弁ネイティブではない僕には難しい。
下手な関西弁で話すのは滑稽かなって思って、神戸でも標準語で通してる。
でも、ふるさとの言葉、とでも言うのかな、そういうのにはすごく憧れがあるよ。盆や正月に帰省ラッシュで新幹線や高速が混んでいるというニュースを見ると、何かせつないような気持ちになる。東京出身の僕には、帰るふるさとも、なつかしいふるさとの言葉もないんだっていうことが思い出されてね。
ふるさとの訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく、と詠った啄木の心境は、僕には想像でしか分からない感情なんだな、と。」

神戸に開業する前、僕は鳥取に住んでいた。
ありがたいことに、僕を慕ってくれる患者が何人かいた。鳥取での最後の診察のときに、鳥取を離れ神戸で開業をすることを告げた。
患者を引っ張り込もう、なんて意図ではもちろんない。鳥取から神戸まで、通院するには距離がありすぎる。
彼らは僕の治療方針に共感して栄養の重要性を認識し、僕のアドバイスに従って栄養改善に取り組んだ。そして症状が軽快したことを身をもって実感し、僕を信用してくれた。その信用へのせめてもの報いとして、開業する事実を伝えたのだ。
そういう患者の一人が、きのう当クリニックに来院された。僕の鳥取時代を知る人が当院に来たのは初めてのことだった。
時間と交通費をかけてまで来てくれた人なのだから、それ相応の仕事をせねば、とこちらにも気合いが入る。
鳥取の若い人は、こういう医師・患者関係などフォーマルな状況では、標準語を話すことが多い。この人もきれいな標準語を話した。4歳の娘を連れて来ていて、診察室を所狭しと走り回る。僕の足元に立ち、僕の顔を見上げて、言う。
「あんねぇ、ママえらいけぇ、治してあげてね」
ハッとする。
ふるさとの訛りなつかし、の思いは、久しぶりの患者との再会よりも何よりも、4歳児のつぶやきがもたらしてくれた。
方言ってこういうとき、すごくいいなと思う。

ライブ

2018.9.16

きのうは姉とごうちゃんと一緒に、エグザイルのライブを見に行って来た。
別にエグザイルのファンというわけでもないんだけど^^;

すごくいい席だった。アリーナ席で、通路側。
手を伸ばせば、エグザイルに触れられる、とまではいかないけど、掛け声をかければ確実に届く距離。
ライブ前日にはこのライブのチケット、ネットのオークションで12万円とか、あり得ない金額がついててビビったなぁ。
ファンはこれだけのお金を出しても見たい、ってことだよね。
全然ファンでもない僕がこんなにいい席に座って、何か申し訳ない感じがしたよ^^;

僕の座っている席から会場を見上げると、5階席あたりなんて米粒のように見える。
逆に、5階席の人から見れば、舞台の上のエグザイルも米粒のようにしか見えない、ということだろう。
野球やサッカーをスタジアムで見た経験のある人ならわかると思うけど、客席からの観戦って、俯瞰で見るにはいいけど、選手の表情とか得点の経緯とかよく分からなくて、テレビこそが正直一番のアリーナ席だよね。
こういうライブでも同じだと思う。
でも、ファンはあえて高い金を払って、ライブに来る。あとでDVDで見るほうがよっぽど質の高い映像楽しめるのに、ファンは会場までわざわざ足を運ぶ。
なぜか。
場の空気を共有したい、ということなんだろうね。
たとえ米粒ほどのサイズにしか見えなくても、目の前で、ATSUSHIが、TAKAHIROが歌っていて、その声が自分の耳に届いている。憧れのエグザイルと、今、同じ時間を共有している。これこそがライブの魅力なんだと思う。

会場はものすごい人だかりだった。
すでに開演の2時間ぐらい前から、京セラドーム前駅からドームまで行列ができているような状態で、お祭り騒ぎだった。
何と、4万8千人がこのライブを見に集まったという。
しかもほとんどが女性客。男の客はいないことはないけど、チラホラいるぐらい。

ライブ中、女性客たちが熱狂的に旗を振ったり叫び声をあげているなかで、僕は冷静に舞台を見つめているものだから、周囲からちょっと浮いてたと思う。
別に気持ちが冷めているわけじゃない。体揺らしたり掛け声かけたりはしないけど、統率のとれたダンスの見事さに感心したり、歌に耳をすませたり。じっと静かに楽しむのが僕なりの楽しみ方なんだ。
でもアリーナ席の通路側という、演者からもよく見える席で、こういう男性客は、演者にとっても異質に見えるようで、僕の前で踊るメンディーとやたら目があったな笑。『ki.mi.ni.mu.chu』って曲のサビにあわせて指差されるもんやから、俺に夢中なんか思った笑

バラードのような静かな曲は楽しめた。でもダンス調の激しい曲は、すぐ目の前に音響装置があってそこから爆音が出ているものだから、ほとんど「耳への暴力」といった感じで、あんまり楽しめなかった。音がデカすぎて割れてるし。
舞台を照らす光やレーザーの演出は見事だったし、舞台の上方にある液晶画面に映る映像もすごい迫力だった。
ただ、アリーナ席のデメリットか、デカすぎる音だけはきつかった。
一応医者のブログだから医学的なことに触れておくと、こういう音に毎日被曝していると(そう、「被曝」って表現が適切なレベル)、難聴になるよ。
自衛隊での射撃訓練が原因で音響外傷を呈したっていう症例報告。(https://www.jstage.jst.go.jp/article/audiology1968/38/1/38_1_54/_pdf)

目の前を、エグザイルというスーパースター達が普通に行き交って、踊ったり歌ったりしているのを見るのは、妙な気分だった。
目の前にTAKAHIROがいる。確かに男前なんだけど、街ですれ違ってもその人と知らなければ、何も感じないだろう。
でも同時に、彼の映像が舞台中央上方の液晶画面にも映っているんだけど、それを見ると確かにスターって感じがする。
肉眼で見た姿は特にオーラも感じない普通の人で、画像越しに見ると芸能人のオーラを確かに放っているような感じがする。
この感覚がすごく不思議だった。
職業的に人間の体を物質的なものとして見ることに慣れすぎてしまって、生身の体に物語とかスター性とかを見出すことができなくなったのかな。
むしろ物語はテレビや画像のなかにこそあって、物理的な肉体にはドラマなんてないんだ、という考え方になじみすぎてしまったのかな。

ライブ終盤、ドーム上空から、キラキラ光る無数のテープが降ってきた。皆、そのテープを奪い合った。何であんなもん取り合うのかな、と思ったけど、横にいた姉もそのテープの奪い合いに参戦している。なんでそんなの拾ってるの?
「売れるねん、これ。ネットオークションで」

もうね、なんだかいろんな意味でもういいかなと思った^^;
ライブはお腹いっぱい。
多分、僕にはこういうライブは性に合っていなくて、家で静かに鑑賞するほうが好きなんだと気付かされました笑