院長ブログ

方言

2018.9.23

県外で生活する機会が何度かあったけど、言葉は基本的に関西弁で通させてもらっていた。
当初は、郷に入っては郷に従えで、下手くそなりにその土地の言葉を使おうとしたりする。でもこういうのって、地元の人からすればけっこうイタいキャラに映るんだろうね。
関西人はどこでも関西弁で話すものだというイメージがあるのに、標準語とも何弁ともつかない奇妙な言葉を話すものだから、イメージを裏切られて落ち着かないのかもしれない。
本音でざっくばらんに話すイメージの関西人が、ネイティブではない言葉を使っては、何かそれ自体、嘘をついているような雰囲気が漂うのかもしれない。
友人からすれば、自分に対して打ち解けないで「壁を作っている」と感じるのかもしれない。
「あつしはさぁ、自分の言葉で話せばいいと思うよ」
ありがたい言葉。何か自分のなかで吹っ切れるものがあって、関西弁で通すようになった。

今や、神戸に自分の居場所を据えた。これまでとは逆に、地方出身で神戸に住み始めた人を、むしろおもてなしする側になったわけだ。
「出身は福岡なんだけど、大学進学をきっかけに神戸に来て、就職もこっちで決めた。
博多弁と神戸弁は確かにちょっと似てると思う。『これ、知っとう?』なんて言葉を聞くと、自分が一瞬福岡にいるのかと錯覚する。
でもやっぱり、基本的には全然違う。
僕が話せるのは博多弁と標準語だけ。その二つのチャンネルしか持ってない状態で関西弁を話そうとすると、チャンネルが混線する。「標準語ではないほう」のチャンネルが博多弁しかないから、博多弁が混じったような妙な関西弁になってしまう。
これ、福岡に限らず、他の地方出身者も同じじゃないかな。」
「生まれも育ちも東京。転勤がきっかけで、神戸に住み始めたのが5年前のこと。
異動を希望すれば他の勤務地にも移れるんだけど、神戸のこと気に入っちゃったからさ、できるだけここで勤めたいと思っている。
さっきみんなが話してた、神戸弁と大阪弁、京都弁の違いとか、関西弁ネイティブではない僕には難しい。
下手な関西弁で話すのは滑稽かなって思って、神戸でも標準語で通してる。
でも、ふるさとの言葉、とでも言うのかな、そういうのにはすごく憧れがあるよ。盆や正月に帰省ラッシュで新幹線や高速が混んでいるというニュースを見ると、何かせつないような気持ちになる。東京出身の僕には、帰るふるさとも、なつかしいふるさとの言葉もないんだっていうことが思い出されてね。
ふるさとの訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく、と詠った啄木の心境は、僕には想像でしか分からない感情なんだな、と。」

神戸に開業する前、僕は鳥取に住んでいた。
ありがたいことに、僕を慕ってくれる患者が何人かいた。鳥取での最後の診察のときに、鳥取を離れ神戸で開業をすることを告げた。
患者を引っ張り込もう、なんて意図ではもちろんない。鳥取から神戸まで、通院するには距離がありすぎる。
彼らは僕の治療方針に共感して栄養の重要性を認識し、僕のアドバイスに従って栄養改善に取り組んだ。そして症状が軽快したことを身をもって実感し、僕を信用してくれた。その信用へのせめてもの報いとして、開業する事実を伝えたのだ。
そういう患者の一人が、きのう当クリニックに来院された。僕の鳥取時代を知る人が当院に来たのは初めてのことだった。
時間と交通費をかけてまで来てくれた人なのだから、それ相応の仕事をせねば、とこちらにも気合いが入る。
鳥取の若い人は、こういう医師・患者関係などフォーマルな状況では、標準語を話すことが多い。この人もきれいな標準語を話した。4歳の娘を連れて来ていて、診察室を所狭しと走り回る。僕の足元に立ち、僕の顔を見上げて、言う。
「あんねぇ、ママえらいけぇ、治してあげてね」
ハッとする。
ふるさとの訛りなつかし、の思いは、久しぶりの患者との再会よりも何よりも、4歳児のつぶやきがもたらしてくれた。
方言ってこういうとき、すごくいいなと思う。