院長ブログ

有機ゲルマニウムと癌

2019.6.21

以前有機ゲルマニウム(Ge-132)について、癌に対する有効性は細胞レベルや動物実験では示されているが、人での有効性のエビデンスは乏しい、みたいなことを書いた。
しかしその後、”Germanium: The health and life enhancer”(Sandra Goodman著)を読んでいて、RCT(無作為化比較試験)も含めいくつかの研究があることを知った。ここで紹介しよう。

切除不能の肺癌患者を対象として、Ge-132の有効性を調べた治験。
患者を化学療法+Ge-132投与群と化学療法+プラセボ群に無作為に振り分ける二重盲検を行った。
チェック項目として、余命期間、腫瘍径、QOL(生活の質)、免疫学的マーカーを評価した。
Ge-132の投与によってこれらすべての項目で統計的に有意な改善が見られた。
‘Some pharmacological and clinical aspects of a novel organic germanium compound Ge-132′(Mizushima at al. 1984)

Sanumgerman(乳酸クエン酸ゲルマニウム。西ドイツのSanum-Kehibeck社により開発された有機ゲルマニウム化合物)を卵巣癌患者に投与した研究がある。
卵巣癌で卵巣と子宮を摘出した6人の女性(44~64歳)にSanumgermanを投与し、術後の健康度、痛み、傷の性状を調べた。
6人全員で健康度が著明に上昇し、痛みが軽減していた。6人中5人で腹部およびダグラス窩に浸出液の貯留が認められなかった。1人ではわずかに貯留が認められた。
‘Experience with Sanumgerman in Poland and Germany'(Samochowiec et al. 1984)

Spirogermanium(Smith Kline社のRiceらによって合成された有機ゲルマニウム化合物。同社により抗癌作用および抗関節炎作用が確認されているが、神経毒性もある)を癌患者に投与した第1相試験(目的は治療効果の検証ではなく、安全性の確認)がある。
癌患者(種類は様々)35人に対してSpirogermaniumを静脈投与した。めまいなど軽度の副作用を生じる患者が数人したが、いずれの副作用も数分から数時間で消失した。蓄積による毒性や骨髄抑制といった副作用は見られなかった。
第2相試験(治療効果を検証)で、リンパ腫(非ホジキンリンパ腫とホジキン病)の患者を対象にSpirogermaniumを投与した。17人の患者中、5人(30%)で客観的に症状が好転し、2人では寛解した。血液毒性は見られなかった。
‘The clinical pharmacology of Spirogermanium, a unique anti cancer agent'(Schein et al. 1984)

症例報告として、以下のようなものがある。
1.骨髄増殖性疾患の62歳女性にSanumgermanを経口投与したところ、3週間で脾臓腫瘍の縮小が認められた。
“Biophysical results with germanium and Sanumgerman”(Kokoschinegg et al. 1984)

2.精巣および肺の胎児性癌の18歳男性に、Sanumgermanを含む様々な抗癌治療を行ったところ著明に改善し、1985年現在、転移なく良好に経過している。
‘Experience with Sanumgerman in Poland and Germany'(Samochowiec et al. 1984)

3.癌の摘出術を受けた55歳女性が、胃、腎臓、腸間膜、肝臓に癌の転移を生じた。抗癌剤治療を受けた後、Sanumgermanの服用を開始した。血液データなど、症状の変化を詳細にモニターした。手術から4年後、肝臓への転移巣が消失した。しかし、リンパ節の径はわずかに増大した。
‘Case study: adenocarcinoma with liver metastases’ (Paetz et al. 1984)

4.78歳男性の大腸癌に対して、1978年、1979年に手術を行った。1982年に肝臓への転移が見つかったため、癌に対する厳格な食事療法とともにSanumgermanの服用を開始した。その後4年経っても転移は見られていない。
‘The Sanumgerman therapy in biological medicine’ (Zoubek et al. 1984)

5.右肺に癌を生じた54歳男性が、抗癌剤による治療を受けた。しかし食欲が低下し、気力、体力も低下した。そこでGe-132を1日500mg服用を開始したところ、5ヶ月後には癌が消滅し、空咳が出なくなり、体調も以前のように元気になった。

1988年出版の本なので、データがどれも古いのが難点だ。
それに、有機ゲルマニウムと抗癌剤の併用でのRCTはあるが、有機ゲルマニウム単体投与でのRCTはやはり見当たらない。
腫瘍の縮小効果に限って見れば、抗癌剤は有効かもしれない。しかし長期的にはどうなのか。抗癌剤はむしろ余計で、有機ゲルマニウム単体投与で治療したほうが長期的な予後は良好だという可能性は、けっこう高いと思う。「思う」としか言えないところが、RCTのない辛いところだ。

RCTはなくても、上記のように、有効性を示す症例報告は多数ある。この報告を見てなお、有機ゲルマニウムを「エビデンスゼロの民間療法」と批判することはできないはずだ。
というか、そもそも浅井一彦博士は有機ゲルマニウムを抗癌剤として国に認可してもらいたいと考えていた。しかしその思いは結局叶わなかった。なぜか?それは、有機ゲルマニウムの有効性が否定されたからというよりは、政治的・経済的理由によるものだ。だから、当然、効く。高濃度ビタミンC点滴と併用して、そこにさらにαリポ酸、コエンザイムQ10、ビタミンK2なんかも一緒にとればいい。
癌になったからといって恐れることはない。大事なのは、医者の言うがままに抗癌剤治療に飛びつくのではなくて、他の選択肢があることを知っておくことだ。

勉強

2019.6.20

縁あって、小学生向けの進学塾にときどき出向く。
本棚に備え付けの算数の参考書があるから、手にとってぱらぱらとめくってみる。
難関中学の入試問題が並んでいる。
おもしろそうだ。ひとつ、時間潰しに解いてみるか。

下の問題、簡単そうでしょう?
皆さんもいったんスマホをわきに置いて、紙とペンを用意して、ちょっと考えてみてください。

こんなの楽勝だろ、と思いながら解き始めて、途中で、あれ、おかしいな、と行き詰まる。
だんだんこの問題の恐ろしさに気付き始める。
「子供のケンカに大人が出ていくようだが」と思いながらも、三角関数やらベクトルやらを持ち出す。それでも、うまくいかない。
なぜだ?頭を抱えつつ、延々考える。
長々考えて結局答えが出ず、あきらめた。

解答をみる。
補助線一閃。
なるほど、確かに小学生の知識でも十分に解ける問題だ。
しかこんな補助線、思い浮かばないな。

かつて灘中学の入試で同様の問題が出題されたことがある。
もともとの出典をさかのぼれば、1922年に発表された「ラングレーの問題」という有名問題だ。検索すれば、解法を載せたサイトがたくさんヒットする。この問題は具体的な角度だけど、一般化されて十分に研究されている。

この問題を初見で解ける小学生は、間違いなく才能があるから、数学者を目指すといい。
間違っても医者になんてなっちゃダメだよ^^;
本当に理系的才能のある人は、理学部か工学部に行って研究者になるべきで、医学部になんて行っちゃいけない。
医者って給料はそれなりにいいかもしれないけど、仕事の内容は創造性もへったくれもない製薬会社の手先みたいな雑務だから、才能のある人がこんな仕事に埋もれてはもったいない。

親御さんから僕に寄せられる相談は、「子供にどんなものを食べさせるといいですか」「知能の発達に役立つ栄養素は何ですか」など、栄養のことがほとんどだけど、子供の将来の進路についての相談を受けたことがある。

なりたい仕事があるのなら、それに向かって進めばいい。夢があるのは幸せなことだ。
ほとんどの子供はそうではなくて、将来なりたい職業なんて、ない。塾に行けと親に言われてるから、仕方なく塾に通っている。
でもそれでいいと思う。どうせ家にいても、テレビゲームしたりユーチューブ見てるだけでしょ。それぐらいなら、塾で勉強するといい。最初はイヤイヤながら始めた勉強でも、だんだん楽しくなってくるというのは、普通にあることだから。
子供にやりたいことがあるなら話は別だよ。将棋が楽しくて仕方ない、昆虫採集をしてるときが一番幸せだ、無類の読書好きだ、とか。こういう、いわば「ちゃんと遊べる」子供は、将来伸びる。勉強は後でいい。塾でダラダラ勉強してる子供たちにすぐ追いつくから大丈夫。

あくまでひとつの目安だけど、子供の将来性を予見するポイントとして、算数(数学)ができるかどうか、が挙げられると思う。
理系に限らず文系の学科も含めて、全て学問というのは、論理の積み重ねから成り立っている。文学や語学、史学、社会学、文化人類学はもちろん、音楽や芸術にさえ、ロジックは必要だ。
算数(数学)というのは、論理とその運用(主に演繹法)がすごく純粋な形で構成された学問だから、算数が好きな子供は、算数に限らず、学問全般に向いている可能性が高い。
逆に、ロジックの運用が拙いということは、そもそも学問に向いていない可能性がある。
でも、小学生時点で算数が苦手だとしても、学問の道をあきらめるのはまだ早いよ。中学生で数学のおもしろさに目覚める人もいるし、高校で目覚める人もいる(大学で目覚めるのはさすがに遅いかな^^;)
「数学が苦手だから文系」っていう選択は、正直ちょっと寒いな。文系学問の論理性というのをなめてると思う。
純粋現象学(哲学の一分野)の創始者のフッサールは、もともと数学者だった。文系学問でも一流どころの学者は、皆例外なく数学が得意なはずだ。
「数学が得意なのに文系に行く」じゃない。「数学が得意だからこそ文系に行く」であっても、全然おかしくない。

数学者になるようなセンスは僕には全然ないけど、数学の問題を解くことはいまでも好きだ。うんうん唸って難問を解きほぐすのが、すごく楽しい。
論理には人を酔わせる力がある。微積分を大成したニュートンは、ロケットのない時代に、初速いくらで飛ばせば地球の重力を振り切って月に到達するはずだ、とか計算していた。周りの人がどうしようもないバカに見えていたし、神のような万能感に浸っていたのも無理はない。
ニーチェも自分のことを天才だと思っていて、「自分はなぜ、こんなにすばらしい作品が書けるのか」という自画自賛丸出しの文章を書いている。梅毒の末期で、自制心がなくなっていたせいもあるだろうけど。
ニーチェとはスケールが違うけど、文章を書いてハイになる気持ちは僕にもちょっとわかる。数学を解くのも文章を書くのも、要するにどっちも論理の運用で、論理の運用というのは、きっと快感なんだ。

中学、高校と勉強しながら、「自分はそもそも勉強に向いていない」と気付く人もいるかもしれない。これはこれで、有意義なことだ。
そもそも、何のための勉強なのか。
理想は「楽しいから勉強する」だけど、そういう人ばかりではない。学歴を得て有名企業に就職するための「手段としての勉強」の人も多いはずだ。
でも、勉強だけが成り上がる道じゃない。高校を卒業して、専門学校に行って手に職つける生き方が向いている人も、きっといるはずだ。料理人として大成するかもしれないし、美容師として成功する未来が待っているかもしれない。その人だけが持った技術やセンスというのがあるはずで、そこを生かす人生もすばらしいと思う。

「勉強がしんどいならさ、塾なんてやめればいい。勉強だけが生きる道じゃないからね」って子供に言ったら、塾の担当者からたしなめられた。「さすがにそういうアドバイスはちょっと。もっと前向きなメッセージをお願いします」と。
まぁ、担当者の気持ちもわかる^^

ライナス・ポーリング2

2019.6.17

こんな具合に、ポーリングは化学のフロンティアを切り開く重要論文を量産した。
彼が授与されたノーベル賞は化学賞と平和賞の二つだが、平和賞が医学生理学賞であっても、また、二個目の化学賞であっても何ら不思議はなかった。それぐらい、化学の世界に巨大な足跡を残した人物だ。

63歳のとき、ポーリングは漠然と引退を考えていた。「老兵は去るのみ。自分がいなくとも、優秀な後進が化学を進歩させていくことだろう。」
ふと、一冊の本を手にとった。エイブラム・ホッファーの著書『統合失調症におけるナイアシン療法』だった。これまで、ビタミンの投与は欠乏症の予防にのみ意味があると考えられていた。ところが、ホッファーの研究によると、ペラグラの予防に必要な量をはるかに上回る量を投与することで、不治とされる統合失調症が見事に改善するのだった。
本をパラパラとめくり始め、やがて引き込まれ、夢中になった。ほんの1ページ読むつもりが、そのまま徹夜して、一気に通読してしまった。老学者は興奮し、自身のなかに新しい意欲が湧き上がるのを感じた。引退の思いは、すっかり霧消していた。「ここには、紛れもなく科学がある!これこそ、私が探し求めていた科学だ!」
分子病の概念を提唱したポーリングは、この本に触発された。自説をさらに一歩進めて、こう考えた。
「異常な分子の働きを矯正し、疾患の治癒につなげることができないか、そのための有効な手立ての一つは、ビタミンではないか」
このアイデアのもとに、分子整合医学(オーソモレキュラー医学)という言葉を作り、疾患と栄養の関係を研究し始めた。

彼はビタミンCの研究においても成果をあげた。ビタミンCの大量投与によって癌の腫瘍退縮・延命効果があることを、RCT(無作為化比較試験)で見事に示したのだった。
しかし、この頃からマスメディアの論調に変化が見られ始めた。
斬新な論文を次々と生み出した天才化学者であり、反核運動にも邁進した平和主義者、アメリカの誇る良心ともいうべきポーリングに対して、批判の声が出始めたのだった。
「ビタミンで病気が治るなどと、おかしなことを言い始めた」
「かつての俊才いまやすっかり耄碌し、晩節を汚している」
医学界は決してポーリングの学説を受け入れようとしなかったし、そればかりか、ポーリングの投稿する論文を学術誌に掲載しなくなった。
さらに、自身の運営するライナス・ポーリング研究所に不可解な理由で研究資金が配当されなくなった。
ポーリングは決してバカではない。マスメディアの的外れな批判や、研究資金の停止などの不当な待遇が、どういう組織の差配によるものか、当然わかっていた。自分が敵に回している存在が、利益のためには文字通り何だってすることもわかっていた。実際、身の危険を感じたことさえある。
「どんな組織であれ、学問的真実を曲げることはできないはずだ」という信念はもちろんある。しかしポーリングも人間。自説をあまり声高に叫ぶことに、多少の躊躇を感じざるを得なかった。

そんなとき、妻のエバ・ヘレンが亡くなった。愛妻の死は彼を打ちのめした。
21歳で出会って以来、彼女だけを愛し、お互いに支え合ってきた。このときポーリングはすでに80歳。年齢からくる体の衰えに加えて、妻を失ったショックで、生きる意味を失い、本を読むことはおろか、食事さえのどを通らなくなった。このまま妻の後を追うように、亡くなっても不思議ではなかった。
しかし、この天才化学者は再び立ち上がった。妻を失った悲しみを忘れるために、むしろ執筆に没頭した。
これまで書いていたのは論文ばかりだったが、学術誌が受け入れてくれないなら、一般向けの書籍として、広くビタミンCの効用を知らしめよう。そして、世界を変えよう。巨大な組織に命を狙われることになっても構わない。いわれのない誹謗中傷を受け、自分の名声が傷ついても構わない。ビタミンCのすばらしさを、一人でも多くの人に伝えるんだ。
ポーリングの人生の最後の十年はこの思いに支えられていた。次々と一般向け書籍を出版し、テレビや雑誌のインタビューの仕事も引き受け、全米のあちこちを講演してまわった。

ポーリングというのは、実に、そういう人です。
保身を第一に考える人なら、もっとうまく立ち回ることもできただろう。反核運動に参加したせいでアカだ共産主義者だと散々批判されることはなかっただろうし、ビタミンCの有効性(および抗癌剤の有害性)を唱えたことで製薬会社の逆鱗に触れることもなかっただろう。
それでも彼は自分の正義を貫いた。世界平和を本気で願っていたし、人々の真の健康を願っていた。
こんなまっすぐな男が創始したオーソモレキュラー栄養療法を、僕も末端ながら実践していることは、僕にとってちょっとした誇りです。

参考
How to Live Longer and Feel Better (Linus Pauling著)

ライナス・ポーリング1

2019.6.17

高校で化学を選択した人なら、ポーリングの電気陰性度、というのを習ったはずだ。
高校生が習う基礎化学にさえその名前が登場するくらいだから、彼の業績の偉大さがわかるだろう。

ポーリングは極めて明晰な頭脳の持ち主だったが、それだけの人物ではない。
彼は、本気で世界平和を願う『愛の人』でもあった。
オッペンハイマーが、ポーリングに原爆研究の化学部門のトップとして参加するよう呼びかけた。国家機密の研究に招聘されるというのは超一流の科学者の証で、この上なく名誉なことであるはずだが、平和主義者の彼はこの招聘をきっぱり辞退した。
とはいえ、戦時中のことである。こんな優秀な天才化学者を、軍部が放っておいてくれるわけがない。
軍の研究施設で勤めることを余儀なくされたが、「せめて人を殺すのではなく、人を治療する仕事がしたい」と彼は思った。
兵士が大量出血したときに、都合よく輸血できるとは限らない。そこで彼は、oxypolygelatinという代替血液を開発した。
これは画期的な仕事だったが、完成されたのがすでに戦争末期、アメリカの勝利がほぼ確定的になっていたときであったため、現場で実用化されることはなかった。戦後には赤十字社が輸血の供給体制を整えたため(また、赤十字社の利益に大打撃となる発明であったため)、oxypolygelatinはついに歴史の闇に埋もれることになった。
さらに彼は、ヘモグロビンについての研究に取り組み、ヘモグロビンの磁性によって空気中の酸素レベルを計測する機械を開発した。この酸素メーターは軍に採用され、戦闘機や潜水艦に欠かせないものとなった。
広島と長崎に原爆が投下されたニュースを聞いて、彼は胸を痛めた。「本来人の幸福に貢献するべき科学が、一般市民の大量殺戮に使われてしまった。もう二度と、核兵器が人を殺すことがあってはならない」という思いで核実験反対運動を展開し、その功績からノーベル平和賞を授与された。

軍に化学部隊があるように、化学は使い方次第では、人を殺傷する兵器を生み出すことができる。しかし化学者ポーリングの仕事は、人を殺すことではなく、生かすことに向けられている。
この背景には、彼の若い頃の経験が影響を及ぼしているようだ。
ライナス・ポーリングは1901年、オレゴン州で生まれた。オレゴンといえば多くのアメリカ人は田舎をイメージするが、ポーリングはそのなかでもとびっきりど田舎のコンドンという村で生まれ育った。少年時代の彼は、豊かな自然のなかで、昆虫採集やきれいな石を集めることに熱中した。
父のハーマン・ポーリングは薬剤師で、幼いライナス少年は父が薬局で薬を調合する様を身近にいつも見ていた。この環境が、彼に化学の素地を与えることになった。
しかし、この父はライナスが10歳のときに亡くなった。
一方、ライナスの母ルーシー・ポーリングは心身ともにいつも病弱で、うつ病で無気力に陥っているか、そうでなければ疲労感で伏せっていた。母は持病の悪性貧血(ビタミンB12の欠乏による貧血)が次第に進行し、最終的には精神がすっかり荒廃して、ポーリングが25歳のとき、ついに死去した。
若くして亡くなった父から受け継いだ化学への興味と、常に病床に横たわる母の姿は、少年の心に深い印象を残した。

1931年から1933年にかけて、ポーリングは化学結合の性質に関する一連の7本の論文を発表した。なぜ元素や化合物が特定の三次元構造をとるのか、そのメカニズムを電子の相互作用から説明するものだった。原子軌道の混成の概念を初めて打ち出すなど、量子化学による発想は、従来の化学の地平を開くのみならず、物理学、数学、生物学、医学の融合を促すもので、極めて斬新だった。
自らの考案したこの化学モデルを使って、ポーリングはその後も様々な業績をあげた。たとえば、タンパク質の構造解析に取り組み、αヘリックス、βヘリックス、γヘリックスなどの形態を解明した。

ポーリングが特に興味を持ったタンパク質は、ヘモグロビンである。鉄を含むヘムタンパクと、グロビンを詳細に研究することで、ヘモグロビンと同等の働きをする人工血液oxypolygelatinの開発に成功したことは上記の通りであるが、ポーリングの成果はそれだけではない。鎌状赤血球(黒人に多い遺伝性血液疾患。赤血球は通常円盤状だが、この患者では三日月型で酸素運搬能が低下しており、貧血を呈する)による貧血が、ヘモグロビン分子の形態異常に起因することを初めて突き止めた。健常者では二つの優性アレルを持つところ、鎌状赤血球貧血患者では二つの劣性アレルを持つことを示した。
ポーリングは、このように分子の形態異常による疾患を『分子病』と呼び、新たな疾患概念として提唱した。

参考
How to Live Longer and Feel Better (Linus Pauling著)

製薬会社

2019.6.14

サバンナの動物を取り上げたテレビ番組で、捕食の場面をライオンの立場で見るのかガゼルの立場で見るのかで、視聴者の印象はまったく違うものになる。
何日も食べ物にありつけず、段々やせ細ってきたライオンの姿をカメラが追う。ようやく狩りに成功し、ガゼルを一匹仕留めた。飢えに苦しんでいた子ライオンたちも大喜びで肉にかじりついている。久々に飯が食えてよかったなぁ、とテレビを見る視聴者は安堵する。
しかし同じ場面をガゼル目線で描けば、ライオンは恐ろしい殺戮者になる。ライオンに追いかけられる場面を、「何とか逃げ切れ!」なんて思いながら見ていたりする。

相手の立場になってみて、気持ちを推しはかる。
人間関係において重要なことだと、道徳の授業が教えている。
この教えにならって、今回のブログは製薬会社の気持ちになって書いてみよう。

投薬一辺倒の西洋医学に嫌気がさして、本当に患者を救いたいと思って栄養療法をやり始めたときには、僕は徹底したアンチ製薬会社だった。勤務先の病院で、医局の前でMRからペコペコ頭を下げられるのが心底うっとうしかった。(医局の前どころか、医局の僕の机の前にまで来て「お話聞いてもらえませんか」なんてしつこいのがいて、あれには参ったわ)
開業して自分のやりたいスタンスで医療を提供できるようになって、ある程度冷静に、客観的に製薬会社を見れるようになったと思う。今でも基本的には好きじゃないけどね。

新薬の開発、というのは製薬会社にとってはけっこう大きなバクチなんだ。
何らかの物質が発見されたり開発されたりして、将来的に新薬の成分として有望だと見れば、すぐさま特許を申請する。
特許が認められたとして、その期間は20年だ。その20年間、他の製薬会社はその物質に手出しすることはできない。だから何とか、その期間内に売りまくって儲けを出したい。
しかし薬を新たに売り出すというのは、決して簡単なことじゃない。
ネズミや犬などの動物実験で有効性を確認し、人を相手に臨床治験を行なって有効性を確認し、さらに毒性の有無も確認する。成人に異常がなくとも、妊婦では胎児に催奇形性があるかもしれない。このあたりは直接人で確認できないが、動物実験でチェックする。
こういう問題をひとまずクリアしないといけない。
仮にクリアしたとしても、あくまで治験の期間中は大きな問題がなかったというだけのこと。いざ市場に流通したら想定外の副作用が報告されるは当然あり得るし、実際、ある。数年間とか、長期間にわたる投与は製薬会社のほうでもやっていないのだから、新薬の投与には人体実験的要素が付きまとうことは避けられない。

ともかく、新薬の成分の特許取得から、それが市場に出るまでに、平均7年かかる。
20年の特許が切れるまで、残りは13年。この間にどれだけたくさん売ることができるか、そこが製薬会社の勝負どころだ。
全国の大学病院、総合病院にMRを派遣して、薬の説明会をバンバンやる。末端のMRたちは、上司から散々ハッパをかけられている。一人でも多くの医者にその薬を使ってもらおうと、ペコペコと頭を下げまくる。
何しろ開発には、平均600億円の費用がかかっているのだから、何が何でも、元はとらないといけない。

妙に薬価が高い薬がある。
処方薬としての許可がおりるまでに、たとえば10年もかかってしまったとなれば、製薬会社はますます必死になる。その必死さが、薬価に反映されるわけだ。
誤解しちゃいけないよ。「高い薬」は、「効く薬」というわけではない。
「製薬会社が必死に売りたい薬」だという、ただそれだけの意味しかないんだよ。

製薬会社側のこんな事情を知れば、しつこいMRを見ても、「この人も大変なんやな」と優しい気持ちになれます^^;

さらに踏み込んで考えよう。
こういう製薬会社が売る薬って、どんな薬だと思いますか?
たとえば抗癌剤。「癌が治る薬」だと思いますか?
たとえば降圧薬。「高血圧が治る薬」だと思いますか?
たとえばコレステロール降下薬。「高脂血症が治る薬」だと思いますか?
とんでもない。
数回飲んだだけで本当に治ってしまって、「病気から解放されたよ、ありがとう」なんて具合に、薬からおさらばしてもらっちゃ困るんだ。開発にいくらかかったと思ってる?600億だぞ。
一度掴んだ客は、絶対に逃しちゃいけない。一生顧客として引っ張らないといけない。
治る薬?
はっきりいうが、そんなものは存在しない(少なくとも製薬会社のラインナップには)。
あるのは、症状を抑える薬だけだ。

ライナス・ポーリングがビタミンCの各種疾患(癌、風邪など)に対する有効性を示したとき、医学界の反発はすさまじかった。
「かつての秀才も今やすっかり耄碌して、ビタミンが癌に効くなどと言い出した。晩節を汚す様を見るのは実に痛ましい」
「ノーベル賞を2回とった科学者も、年をとればこの通り。狂人のたわごとにまどわされて、受けるべき治療を受けずに、ビタミンなどに頼っては、助かるはずの命も助からない」
ポーリングがビタミンCの有効性を示す論文を学術誌に提出しても、不可解な理由をつけて却下される。
医学界は、本気を出してこの学者の口を封じようとした。
なぜそこまで必死になったのか。
医学界の背後には、当然製薬会社が控えている。
製薬会社があらゆる手を使って、ビタミンの有効性に難癖をつけてきた。
栄養療法は、彼らにとってそれくらい不都合な存在だったからだ。

ビタミンは自然のものだから、特許がとれない。
特許がとれないものでは、商売できない。それどころか、ビタミンで治癒してしまっては、自社の薬が売れなくなり、大打撃を被ることになる。
どうしてもビタミンの有効性を隠しきれない、となれば、巧みな製薬会社は、ビタミンの分子に多少の修飾を加えて特許をとって、自社の薬に取り込んでしまうんだな。
たとえば、骨粗鬆症治療薬のアルファカルシドールは、ほぼビタミンD3だし、ラネル酸ストロンチウム(日本では未発売)は、ほぼクエン酸ストロンチウムだ。慢性肝炎治療薬のプロパゲルマニウムは、ほぼ有機ゲルマニウムだ。こんな例はいくつもある。「ほぼ」というところがポイントで、特許をとるために無理やり分子構造を変えているので、ほとんどの場合、オリジナルの劣化コピーになっている。
たとえば、ラネル酸ストロンチウムには血栓塞栓の副作用があるが、クエン酸ストロンチウムにはそういう副作用はない。
降圧薬とかコレステロール降下薬とか、救いようのない薬に比べれば、こういう劣化コピーみたいな薬を飲んでるのは、まだしもマシだと思う。
でも同じ飲むのなら、結局ビタミン飲んだほうが話が早いよね。安上がりで、しかも効果も高いし。

相手の立場になってみることで、結局、やっぱり、ビタミンが正解、ということになりました^^