院長ブログ

ライナス・ポーリング2

2019.6.17

こんな具合に、ポーリングは化学のフロンティアを切り開く重要論文を量産した。
彼が授与されたノーベル賞は化学賞と平和賞の二つだが、平和賞が医学生理学賞であっても、また、二個目の化学賞であっても何ら不思議はなかった。それぐらい、化学の世界に巨大な足跡を残した人物だ。

63歳のとき、ポーリングは漠然と引退を考えていた。「老兵は去るのみ。自分がいなくとも、優秀な後進が化学を進歩させていくことだろう。」
ふと、一冊の本を手にとった。エイブラム・ホッファーの著書『統合失調症におけるナイアシン療法』だった。これまで、ビタミンの投与は欠乏症の予防にのみ意味があると考えられていた。ところが、ホッファーの研究によると、ペラグラの予防に必要な量をはるかに上回る量を投与することで、不治とされる統合失調症が見事に改善するのだった。
本をパラパラとめくり始め、やがて引き込まれ、夢中になった。ほんの1ページ読むつもりが、そのまま徹夜して、一気に通読してしまった。老学者は興奮し、自身のなかに新しい意欲が湧き上がるのを感じた。引退の思いは、すっかり霧消していた。「ここには、紛れもなく科学がある!これこそ、私が探し求めていた科学だ!」
分子病の概念を提唱したポーリングは、この本に触発された。自説をさらに一歩進めて、こう考えた。
「異常な分子の働きを矯正し、疾患の治癒につなげることができないか、そのための有効な手立ての一つは、ビタミンではないか」
このアイデアのもとに、分子整合医学(オーソモレキュラー医学)という言葉を作り、疾患と栄養の関係を研究し始めた。

彼はビタミンCの研究においても成果をあげた。ビタミンCの大量投与によって癌の腫瘍退縮・延命効果があることを、RCT(無作為化比較試験)で見事に示したのだった。
しかし、この頃からマスメディアの論調に変化が見られ始めた。
斬新な論文を次々と生み出した天才化学者であり、反核運動にも邁進した平和主義者、アメリカの誇る良心ともいうべきポーリングに対して、批判の声が出始めたのだった。
「ビタミンで病気が治るなどと、おかしなことを言い始めた」
「かつての俊才いまやすっかり耄碌し、晩節を汚している」
医学界は決してポーリングの学説を受け入れようとしなかったし、そればかりか、ポーリングの投稿する論文を学術誌に掲載しなくなった。
さらに、自身の運営するライナス・ポーリング研究所に不可解な理由で研究資金が配当されなくなった。
ポーリングは決してバカではない。マスメディアの的外れな批判や、研究資金の停止などの不当な待遇が、どういう組織の差配によるものか、当然わかっていた。自分が敵に回している存在が、利益のためには文字通り何だってすることもわかっていた。実際、身の危険を感じたことさえある。
「どんな組織であれ、学問的真実を曲げることはできないはずだ」という信念はもちろんある。しかしポーリングも人間。自説をあまり声高に叫ぶことに、多少の躊躇を感じざるを得なかった。

そんなとき、妻のエバ・ヘレンが亡くなった。愛妻の死は彼を打ちのめした。
21歳で出会って以来、彼女だけを愛し、お互いに支え合ってきた。このときポーリングはすでに80歳。年齢からくる体の衰えに加えて、妻を失ったショックで、生きる意味を失い、本を読むことはおろか、食事さえのどを通らなくなった。このまま妻の後を追うように、亡くなっても不思議ではなかった。
しかし、この天才化学者は再び立ち上がった。妻を失った悲しみを忘れるために、むしろ執筆に没頭した。
これまで書いていたのは論文ばかりだったが、学術誌が受け入れてくれないなら、一般向けの書籍として、広くビタミンCの効用を知らしめよう。そして、世界を変えよう。巨大な組織に命を狙われることになっても構わない。いわれのない誹謗中傷を受け、自分の名声が傷ついても構わない。ビタミンCのすばらしさを、一人でも多くの人に伝えるんだ。
ポーリングの人生の最後の十年はこの思いに支えられていた。次々と一般向け書籍を出版し、テレビや雑誌のインタビューの仕事も引き受け、全米のあちこちを講演してまわった。

ポーリングというのは、実に、そういう人です。
保身を第一に考える人なら、もっとうまく立ち回ることもできただろう。反核運動に参加したせいでアカだ共産主義者だと散々批判されることはなかっただろうし、ビタミンCの有効性(および抗癌剤の有害性)を唱えたことで製薬会社の逆鱗に触れることもなかっただろう。
それでも彼は自分の正義を貫いた。世界平和を本気で願っていたし、人々の真の健康を願っていた。
こんなまっすぐな男が創始したオーソモレキュラー栄養療法を、僕も末端ながら実践していることは、僕にとってちょっとした誇りです。

参考
How to Live Longer and Feel Better (Linus Pauling著)