院長ブログ

大統領と健康

2019.10.24

言うまでもなく、アメリカは超大国(経済的、軍事的な意味で)なのだから、その政治的トップの判断は世界中に大きな影響を与える。
そういう超VIPのアメリカ大統領は、毎日どんなものを食べ、どんなふうに健康に気を遣っているのだろうか。医師として興味のあるところだ。

トランプ大統領の食事について、よくまとまったページを見つけた。
https://www.mashed.com/98969/president-eats/
まず、基本的にはお付きのシェフがいる。
しかしそれは、トランプ大統領専属というよりも、ホワイトハウス専属のシェフ(White House Executive Chef)で、大統領とその家族のために食事を作っている。
日本だと、『天皇の料理番』に見られるように皇室お付きの料理人はいるけど、多分、総理大臣お付きの料理人というのはいない。安倍総理は昭恵夫人の手料理を食べていると思う。
つまり、アメリカの政治のトップは、日本でいう皇室並みの待遇を受けているわけで、このあたりは、さすがアメリカという感じだ。

栄養バランスに細心の注意を払うのはもちろん、毒殺のリスクなどがないよう、食材の流通経路も配慮されているはずだが、当の大統領本人はそういう食事にあまり関心がないようだ。
そもそも、基本的に朝食をとらない。朝昼兼用のブランチと夕食をしっかりとる。
しかしファストフードが好物で、マクドナルド、ケンタッキー、バーガーキングが好きだとツイッターで公言している。
マクドナルドでするお決まりの注文は「ビッグマック2個、フィレオフィッシュ2個、チョコレートシェイク(小)」とのこと。ホワイトハウスの厨房でマクドナルドのハンバーガーを似せて作らせたが「やはり本家の味には及ばない」と語ったとも。
裏からお金をもらった上でのリップサービスだと思うんだけど、本気で言ってる節もある。

肉は、ウェルダンが好み。表面がカリカリになって、ちょっと焦げているぐらいが、大統領のお気に入りだ。そこにケチャップをかけて食べたりする。
高級な肉をウェルダンで調理し、しかもそこにケチャップをかけるというのは、一流料理人からすれば「何てセンスのない食べ方だろう」ということになるが、大統領は意に介さない。

意外にも、酒は飲まない。兄がアルコール依存症で41歳で亡くなったことが影響しているという(しかし、飲酒現場に居合わせた人の目撃談は多数ある)。
代わりに、というわけでもないだろうが、ダイエットコーラを飲む。1日12本飲むという話もある。お菓子も好きで、大統領専用の飛行機にはオレオが大量にストックされている。これが本当なら、糖尿病はもちろん、人工甘味料などの添加物の毒性から様々な病気を発症するだろう。

「健康のために食の楽しみを犠牲にするなんて、バカバカしい。自分の食べたいものを、自分の食べたいように食べる」これが彼の流儀ということだろう。
トランプがアメリカの中下層の白人から支持を集める理由が、彼の食事を見ていればわかる気がする。大富豪ではあるけれど、彼の気質はアメリカの中下層の白人そのものなんだな。

しかし、絶対的な違いもある。
アメリカの一般庶民は、政府の指示に唯々諾々と従って、ワクチンを打つ。しかしトランプ大統領本人は、決してワクチンを打たない。
これ、おかしな話だよね。
たとえばインフルエンザの予防接種。アメリカの大統領がインフルエンザで数日間寝込んでしまうとなっては、各方面への影響は計り知れない。だから、予防接種に効果があるのなら、大統領は一番最初に打つべき人だ。
しかし、事実はそうではない。トランプは嘘の下手な人だから「あんなもん、打つもんじゃない」って本当のところをぶっちゃけてしまった。

「ワクチンなんて打ったことがない。でも今までインフルエンザにかかったこともないよ。けったいなもんを注射で体の中に入れるっていう、その発想が気に食わない。でもワクチンって、基本的にそういうことだろ?しかもさ、今回のインフルエンザワクチンはあまり効果がないって言われてるし。
俺の友達にもいるんだよ。もう宗教みたいにワクチン打ちまくってる人が。で、そういう人に限ってしょっちゅうインフルエンザにかかってるからね。そういうアホを見てたら参考になるよ。やっぱ効かないんだなって。それにさ、報告書が上がってくるんだよ。インフルエンザワクチンの注射はほとんど無意味だ、っていう」

食事がテキトーでも、ここ一番、本当にやばいものはきちんと避けている。
やっぱり大統領になる人だけあって、”持ってる”っていうのかな、そういう嗅覚はちゃんとしてるんだねぇ。

ファウスト

2019.10.24

「旦那がせっかく理性を与えてやったのにね、人間はろくな使い方をしない。自分の欲望や快楽の追求ばかりで、裏切ったり盗んだり、ときには殺したり。まったく、理性なんてろくなもんじゃない。旦那、そう思いませんか?」と悪魔メフィストフェレスが言う。
神が答えて、「いや、そんなことはない。使い方を誤る者もいるが、私は人間を信じたい」
メフィストが笑いながら言う。「旦那は甘いね。人間を買いかぶりすぎです。なるほど、理性というのはきちんと使えば素晴らしいものでしょう。でもね、人間は弱くてバカで救いようがありません。誘惑されやすく、快楽に耽溺して、どこまでも堕落する。理性は、人間には危険なおもちゃです。使いこなすなんて、できるはずがありません」
「いや、お前が何と言おうと、私は人間を信じている」と言いながら、神は地上を示した。「たとえば、この男を見るがいい。ファウストという老学者だ。私の与えた理性をフル活用して、すべての学問を修めた。絶えず自己研鑽に努め、向上心を忘れない。よりよき社会のために自分に何ができるのか、常に考えをめぐらしている。こういう人間もいるのだ」
メフィストは一段と高く笑った。「ご冗談でしょう。この男だって、煩悩にまみれている。理性が一体、彼の幸せに、そして社会の幸せに、少しでもつながったでしょうか。とんでもない。理性ゆえに、彼の悩みはいっそう深くなった。答えのない問いに苛まれて、苦しんで死んでいく。彼も、その他大勢の人間同様、あなたの哀れな作品のひとつです」
「人間は生きている限り、迷うものだ。迷いながら、それでも手探りで進んでいく。それでいいのだよ。彼は今混迷のさなかにいるが、きっと正しい方向へ進むことだろう」
「旦那、ひとつ、賭けをしませんか。旦那がえらく気に入ってるこのファウストという男をね、私が悪の道に誘惑します。”永遠の若さ、万能の知性、若い女、あらゆる快楽など、望むものは何でも与えてやるが、その代わり、お前の魂をもらう”という契約を持ちかけます。この話を彼が突っぱねれば、旦那の勝ちです。話を飲めば、私の勝ちです。どうですか?」

僕は基本的には、神も悪魔もいないと思っている。
ただ、僕の心だけがあって、その心こそが、神と悪魔がしのぎを削る主戦場なんだ。
神のような崇高な理想と、悪魔のような煩悩が同居する、この心。
こんな両極端を包括して、端と端を行ったり来たりしてるのに、破裂もしないで平然としているのが、心の実に不思議なところだ。

ファウスト博士は、悪魔の誘惑に屈した。”少年老い易く学成り難し”というが、学問を大成しながら同時に若さをも併せ持つという、無敵の魅力を手に入れた。美女と結ばれ、多くの罪を犯した。しかし彼の魂は、最終的には救われる。

ファウストがメフィストの誘惑に乗った気持ちがわかる。
学業を成し遂げ、人間として成熟する頃には、もう若さが失われている。たとえ経済的に成功していても、どれだけ大枚叩いても、若さだけは買えない。人生のこの矛盾!この矛盾を解消してくれるというのなら、悪魔とでも契約したい。

しかし幸か不幸か、僕のところにメフィストは来ないだろう。ただ、ひとつ、確かにわかっていることは、僕は着実に老いていく。生きている限り、迷い、そして老いていく。
老境にさしかかったとき、僕は一体どういうことに後悔するだろうか。

『選ばなかった道〜後悔にまつわる自己矛盾』という論文がある。
https://psycnet.apa.org/doiLanding?doi=10.1037%2Femo0000326
人間が人生の終わりに近づいたとき、後悔するのは何に対してだろう。大失敗をしてしまったことか。自分の夢を追いかけなかったことか。
こういうテーマを真っ正面からとりあげた研究だ。
「人の心に最も長く残る後悔の特徴に関する研究は、その後悔が”やったこと”に起因するものか、あるいは”やらなかったこと”に起因するものか、に焦点があるのが従来の研究である。
しかし本研究では、我々は自己概念に注目した。我々は、人が最も強く後悔するのは、実際の自分と義務自己(ought-self)の乖離よりは、実際の自分と理想自己(ideal-self)との乖離であることを発見した。
また、実際の自分と理想自己との非対称性は、少なくとも部分的には、その後悔をどのように対処するのか、その方法の違いによってもたらされることを、エビデンスを以って示した。
人間は、目標や夢をまっとうできなかった失敗(理想自己的後悔)よりも、義務や責任をまっとうできなかった失敗(義務自己的後悔)のほうに対して、対処がすばやいのである。
結果、理想自己的後悔は、未解決のまま心に残りがちである。こうして、”こういうふうになるべきだったのになぁ”という後悔よりは、”こういうふうになりたかったなぁ”という後悔に苛まれるのである」

翻訳でお固い表現だけど、もっと噛み砕いていうと、
「人が最も後悔するのは、義務や責任を果たさなかったことではなく、理想の自分として生きることができなかったこと」というのがポイントだ。

老境に達したファウストが不幸だったのは、明確な自分の理想像がなかったから、じゃないかな。単なるストイックな勉強家に過ぎなかったんだ。
これじゃいけない。人生が、苦しいだけの修行になってしまう。
まず、目標や夢を持つこと。そして、それに向かって努力すること。後悔のない人生の歩み方は、結局これしかないと思う。
夢に向かって努力している人に対しては、さすがのメフィストも付け入る隙がないだろう。

ラグビーワールドカップ

2019.10.22

ラグビーの試合なんて、これまで一回も見たことがなかった。
でも日本主催のワールドカップということで、皆、熱狂する。こういうお祭りごとは好きだから、ちゃっかり”にわかファン”として、日本代表の試合は一通り全部見た。

前回のサッカーワールドカップのときは、外国で開かれていたせいで、日本代表の試合が深夜3時からキックオフとか、いまいち盛り上がりに欠けた記憶がある。深夜3時なんて、まともな社会人は寝てる時間だよねぇ。
その点、今回は日本主催だから、どの試合も週末の夜7時過ぎとかが多かったと思う。仕事明けのサラリーマンが、ビール片手にバーやパブリックビューイングで応援するのに絶妙の時間だった。この辺は日本主催のメリットだな。
でも、今回のワールドカップが盛り上がったのは、それだけじゃない。
日本が予選の4試合を全勝するという、誰もが予想しなかった快進撃を見せたことが最大の要因だろう。
しかも、勝っただけじゃなく、内容もすごくよかった。ホーム開催だから強い、のではなく、日本代表の強さがしっかり出ている勝ち方だった。
ロシアに勝ったのは順当だとして、アイルランドに勝つ番狂わせを演じ、サモアを圧倒し、スコットランドとの激戦を制した。試合にひとつひとつ勝つにつれ、皆の注目度が倍々ゲームで増えた。それは視聴率に如実に表れていて、熱狂がピークに達した南アフリカ戦では、関東地区で49.1%、関西地区で47.9%を記録した。負け戦でこの数字。勝ってたら50%は確実に超えてたと思う。

南アフリカ戦は、なんばヒップスのスポーツバーで見た。
写真のように、会場は満員。座れた人は幸運で、立ち見が基本。何百人いたことやら、見当もつかない。好プレーのたびに、日本コールが沸き起こる。ゲームが拮抗していた前半の緊迫感はすごかった。南アに押し込まれた後半はちょっと冷めた感じがあったけど。

日本代表の最初の試合はロシア戦で、近所のバーで見ていた。
確か、ロシアにいきなり先制のトライを決められて、「やっぱ日本弱いわ」って雰囲気になった。見てて痛い気分になって、帰りたくなった。弱いチームは応援したくないな。
でも隣にラグビー通のおじさんがいて、「いや、ロシアは格下だから、このままでは終わらないはず」って言ってて、本当にその通りになった。
この人が、いろいろラグビーの初歩を教えてくれた。
今何で止められたの?ノックオン?何それ?というところから始まって、そもそもトライで5点入って、その後のキックが決まれば2点入って、ということさえ知らない。そのあたりの基本的なルールや反則を、簡単に説明してくれた。
ワールドカップの期間中、同じような風景が全国の飲み屋で展開されていたと思う。飲み屋のプチ解説者として、ラグビー経験者の需要がこんなに高まるなんて、一体誰が予想しただろうか^^

こんなふうに日本代表の試合を全部で5つ見て、ラグビーのおおよそのルールと楽しみ方はわかった。
それで思ったのは、ラグビーの魅力は、相撲取りとサッカー選手が同じチームでプレーしてるようなごちゃ混ぜ感だと思う。スクラムやモール、タックルなんかはとても相撲的で、サイドにボールを次々展開するスピード感はサッカーのようだ。
サッカー選手が求められるうまさというのは、ボールコントロール、ポジション取り、突破力とか、どこのポジションであれ、割と均一だと思う。でもラグビーは、ポジションによって、求められるものが相当違う。自分の持ち味を生かせるポジションで自分の仕事をすればいいわけで、そういう意味で、社会の縮図のようだ。

敵陣でスクラムを組む。しかし相手側に粘られて、思うように得点できない。そんな中、相手の守備を突破して、一気に疾走して、トライを決める。あの疾走感がすごい。感動して、何か泣きそうになる。松島はそういうトライをいくつも見せてくれたし、スコットランド戦の稲垣のトライは芸術的だと思った。
こんなスポーツがあることを、僕はこの年齢まで知らなかったんだ。世の中には、僕の知らない楽しいことが、きっともっといっぱいあるんだろうな。

『オーソモレキュラー医学入門』

2019.10.15

本が届いた。
思った以上に分厚くて、写真のように、なんと、立つ∑(゚Д゚)
見た目のボリュームだけでなく、内容的にも盛り沢山だ。
通読すれば、読者はオーソモレキュラー栄養療法の何たるかについて、概要をつかむことができるはずで、本書はまさに、『オーソモレキュラー栄養療法の教科書』と言っても過言ではない。

本書は、研究者として、同時に臨床医として、半世紀以上の経験のあるホッファーが、最晩年に自身の仕事の集大成として著したものである。
半世紀分の経験と考察、そして魂が、この本に込められている。決して片手間に書いた、そこらのペラペラな本ではない。
だから当然、本書を通読しようとする読者には、それ相応の時間とエネルギー、忍耐が求められるだろう。
しかし何も、律儀に最初の1ページ目から順番に読んでいく必要はない。読者は自分の関心のある箇所だけを拾い読みすればいい。
著者のホッファーとソールの希望は、読者をオーソモレキュラー実践医にすることではない。「オーソモレキュラー栄養療法を日常生活に気軽に取り込んで、日々の健康管理に役立てて欲しい」それが彼らの願いだ。

本書の知識が一般の人に広まれば、大げさではなく、世界が変わると思う。
たとえば、風邪をひいたら、うつ病になったら、癌になったら、どうするか。病院で風邪薬や抗うつ薬をもらったり、抗癌剤の投与を受ける、というのが常識だろう。
しかし本書を読めば、その常識が大きく揺さぶられることになる。
なぜ既存の医学会や製薬会社が目の色を変えてオーソモレキュラー栄養療法を叩くのか、読者はそのあたりの事情についても理解を深めるだろう。

さて、僕のミッションは本書の翻訳まで、である。
そこから先のこと(たとえばこの本を広告媒体などで宣伝したり、各所に営業をかけたり)は、僕ではなく出版社の仕事だ。
本の値段を決めるのも出版社で、僕としては「本はできるだけ安くして欲しい。翻訳者としての印税とか、そんなのどうでもいい。できるだけ安くして、少しでも多くの人が読めるようにして欲しい」と出版社にお願いしていたんだけど、4800円という価格設定はその希望が入れられたのかどうなのか( ゚д゚)

僕の手元に100部届いている。
この100部に関しては、僕がみなさんにお届けするべきだと感じている。
100部くらいなら、クリニックに来院した患者で、この本が欲しいという人に窓口で販売していれば、そのうち完売しそうな気もする。
しかし遠方で来院が困難という人にも、お届けしたい。
そこで、スタッフから、本書の購入希望をメールで受け付けて販売してはどうか、とのアイデアをもらった。
・メールによる受け付け販売
メールアドレス(nakamuraclinic.3388@gmail.com)に、氏名、住所、連絡先(電話番号)の記入を頂き、その返信で振込先口座をお伝えします。
代金は5320円(書籍代4800円+レターパック代520円)です。
口座への入金確認後、郵送します(納品書と領収書を同封します)。

※現在はメールにての受付販売は行っていません。各所書店、Amazon、クリニックにて販売しております。

僕もスタッフもこういうことには不慣れですが、手落ちのないよう、頑張って対応します。購入希望の方はメールをください。
近くにお住まいの人は、もちろん、クリニックに直接来られても販売します。

話すための英語

2019.10.12

ロンドンに行こうと思って、窓口で「チケット トゥー ロンドン、プリーズ」って言ったら、トゥーの発音が悪かったせいかな、チケットが2枚出てきた。
それなら、と思って、「チケット フォー ロンドン、プリーズ」って言ったら、今度は4枚出てきた。
うわー、困ったな、こういうときどう言えばいいのかなと思って、「えーと、えーと」って言ってたら、チケットが8枚出てきた。

僕としては笑わそうとして言ってるんだけど、「One ticket for London, please.で問題ないはずだけど。どこの窓口であった話?」とか大真面目に返す人がいる。
頭固くて、生きづらいやろうなぁ(‘Д’)

さて、英語の話である。
英語を読むのは得意なほうだけど、話すのはかなり苦手だ。
それでも、一時のことを思うと、多少は話せるようになった。
きっかけは去年の4月に東京で開かれた国際オーソモレキュラー医学会である。
世界中のオーソモレキュラー実践医が東京に集結する。あのソール先生も来る。”Orthomolecular Medicine For Everyone”の著者のソールだ。
この本の日本語版の翻訳者として、彼に話しかけよう、と僕は心に決めた。
そして英会話の勉強を熱心に始めた。

「英語の勉強」と「英会話の勉強」、一見同じようなものに思えるけど、これはもう、全然違う。
前者は、英文法を理解し、英単語を増やし、長文読解のトレーニングをする、みたいな勉強。受験に必要なのは、こっち系の勉強だ。
一応大事な基礎ではあるけど、こういう勉強をコツコツ続けた向こう側に、英語を流暢に話せる未来が待っているかというと、それは絶対にない。
中学生で英語を学び始めて以来、20年以上英語を勉強してきたのにろくに話せない僕が言うんだから、間違いない。

ここに5歳のアメリカ人(マイケル)がいるとする。
マイケルよりも僕の方が、英語での読書など、英語に触れている総時間は長いはずだ。さらに、語彙や英文法の知識も、僕の方が上だ。
マイケルは、たとえばpneumonia(肺炎)とかinduction(帰納)なんて言葉も知らなければ、syntax(統語論)やphonology(音韻額)の知識もないだろう。
しかし、ソール先生と淀みなく自由に話すことができるのは、僕ではなく、マイケルだ。
僕は思っていること、言いたいことの十分の一も言えないだろう。

なぜ、僕はマイケルに敵わないのか。
それは僕が、話すための勉強をまったくしてこなかったせいだ。
5歳児が使うボキャブラリーなんて、たかが知れている。
それでも、その「たかが知れた」ボキャブラリーをフル活用すれば、マイケルは自分の言いたいことを自由に話せるんだ。

アメリカの学者Charles Ogden の発表した”Basic English”という研究によると、英単語は850語も知っていれば日常の用をたすには充分だという。
https://en.wikipedia.org/wiki/Basic_English
そして、簡単な動詞の使い方をマスターすることが非常に重要だとして、”18 vital verbs”(18の必須動詞)をOgden氏は提唱している。
具体的には、以下の動詞である。
be, come, do, get, give, go, have, keep, let, make, may, put, say, see, seem, send, take, will
どれも中学1年で習った単語ばかりだ。
これらの動詞と、前置詞(あるいは副詞)を組み合わせて、様々なフレーズが生まれる。
ここがポイントだ。
まず、簡単な動詞のイメージをしっかりつかむことだ。
そして、前置詞(あるいは副詞)と組み合わせた句動詞を、できるだけたくさん覚えていく。
これが英語を使いこなす秘訣、ということらしい。

たとえば、give。「与える」とだけ覚えていては、浅い。
「与えるから、放す、放つ」と広いイメージで押さえておくと、応用がきく。
give upというフレーズをみたときに、「すっかり放す→お手上げ→あきらめる」と連想で自然と覚えていくのが、英会話の勉強。
「give upと同じ意味の単語としては、abdicateとかabjureというのがあるんだな」と記憶していくのは、英検1級を目指す人の勉強。
後者の勉強は、英字新聞を読むトレーニングとしては適切でも、英会話は一生できるようにならない。

基礎的な意味の動詞を深く理解し、かつ、簡単な動詞+前置詞のフレーズをいかに増やすか。
そしてこの簡単な句動詞がすぐ口をついて出るようにする反復訓練。これが話すための勉強だ。
こういう勉強を数か月続けたおかげで、当日ソールに会ったときには、まずまず思い通りのことを言うことができた。
しかし「ソールと話すこと」を目的にした勉強だっただけに、それが終わると、僕の中で「話すための英語」への情熱は消えてしまった。
僕にとって一番大事なのは、「英語文献を能率よく読むための英語」で、それは今も毎日続けてるんだけど。
やっぱりモチベーションというのは重要だよなぁ。