院長ブログ

ラグビーワールドカップ

2019.10.22

ラグビーの試合なんて、これまで一回も見たことがなかった。
でも日本主催のワールドカップということで、皆、熱狂する。こういうお祭りごとは好きだから、ちゃっかり”にわかファン”として、日本代表の試合は一通り全部見た。

前回のサッカーワールドカップのときは、外国で開かれていたせいで、日本代表の試合が深夜3時からキックオフとか、いまいち盛り上がりに欠けた記憶がある。深夜3時なんて、まともな社会人は寝てる時間だよねぇ。
その点、今回は日本主催だから、どの試合も週末の夜7時過ぎとかが多かったと思う。仕事明けのサラリーマンが、ビール片手にバーやパブリックビューイングで応援するのに絶妙の時間だった。この辺は日本主催のメリットだな。
でも、今回のワールドカップが盛り上がったのは、それだけじゃない。
日本が予選の4試合を全勝するという、誰もが予想しなかった快進撃を見せたことが最大の要因だろう。
しかも、勝っただけじゃなく、内容もすごくよかった。ホーム開催だから強い、のではなく、日本代表の強さがしっかり出ている勝ち方だった。
ロシアに勝ったのは順当だとして、アイルランドに勝つ番狂わせを演じ、サモアを圧倒し、スコットランドとの激戦を制した。試合にひとつひとつ勝つにつれ、皆の注目度が倍々ゲームで増えた。それは視聴率に如実に表れていて、熱狂がピークに達した南アフリカ戦では、関東地区で49.1%、関西地区で47.9%を記録した。負け戦でこの数字。勝ってたら50%は確実に超えてたと思う。

南アフリカ戦は、なんばヒップスのスポーツバーで見た。
写真のように、会場は満員。座れた人は幸運で、立ち見が基本。何百人いたことやら、見当もつかない。好プレーのたびに、日本コールが沸き起こる。ゲームが拮抗していた前半の緊迫感はすごかった。南アに押し込まれた後半はちょっと冷めた感じがあったけど。

日本代表の最初の試合はロシア戦で、近所のバーで見ていた。
確か、ロシアにいきなり先制のトライを決められて、「やっぱ日本弱いわ」って雰囲気になった。見てて痛い気分になって、帰りたくなった。弱いチームは応援したくないな。
でも隣にラグビー通のおじさんがいて、「いや、ロシアは格下だから、このままでは終わらないはず」って言ってて、本当にその通りになった。
この人が、いろいろラグビーの初歩を教えてくれた。
今何で止められたの?ノックオン?何それ?というところから始まって、そもそもトライで5点入って、その後のキックが決まれば2点入って、ということさえ知らない。そのあたりの基本的なルールや反則を、簡単に説明してくれた。
ワールドカップの期間中、同じような風景が全国の飲み屋で展開されていたと思う。飲み屋のプチ解説者として、ラグビー経験者の需要がこんなに高まるなんて、一体誰が予想しただろうか^^

こんなふうに日本代表の試合を全部で5つ見て、ラグビーのおおよそのルールと楽しみ方はわかった。
それで思ったのは、ラグビーの魅力は、相撲取りとサッカー選手が同じチームでプレーしてるようなごちゃ混ぜ感だと思う。スクラムやモール、タックルなんかはとても相撲的で、サイドにボールを次々展開するスピード感はサッカーのようだ。
サッカー選手が求められるうまさというのは、ボールコントロール、ポジション取り、突破力とか、どこのポジションであれ、割と均一だと思う。でもラグビーは、ポジションによって、求められるものが相当違う。自分の持ち味を生かせるポジションで自分の仕事をすればいいわけで、そういう意味で、社会の縮図のようだ。

敵陣でスクラムを組む。しかし相手側に粘られて、思うように得点できない。そんな中、相手の守備を突破して、一気に疾走して、トライを決める。あの疾走感がすごい。感動して、何か泣きそうになる。松島はそういうトライをいくつも見せてくれたし、スコットランド戦の稲垣のトライは芸術的だと思った。
こんなスポーツがあることを、僕はこの年齢まで知らなかったんだ。世の中には、僕の知らない楽しいことが、きっともっといっぱいあるんだろうな。

『オーソモレキュラー医学入門』

2019.10.15

本が届いた。
思った以上に分厚くて、写真のように、なんと、立つ∑(゚Д゚)
見た目のボリュームだけでなく、内容的にも盛り沢山だ。
通読すれば、読者はオーソモレキュラー栄養療法の何たるかについて、概要をつかむことができるはずで、本書はまさに、『オーソモレキュラー栄養療法の教科書』と言っても過言ではない。

本書は、研究者として、同時に臨床医として、半世紀以上の経験のあるホッファーが、最晩年に自身の仕事の集大成として著したものである。
半世紀分の経験と考察、そして魂が、この本に込められている。決して片手間に書いた、そこらのペラペラな本ではない。
だから当然、本書を通読しようとする読者には、それ相応の時間とエネルギー、忍耐が求められるだろう。
しかし何も、律儀に最初の1ページ目から順番に読んでいく必要はない。読者は自分の関心のある箇所だけを拾い読みすればいい。
著者のホッファーとソールの希望は、読者をオーソモレキュラー実践医にすることではない。「オーソモレキュラー栄養療法を日常生活に気軽に取り込んで、日々の健康管理に役立てて欲しい」それが彼らの願いだ。

本書の知識が一般の人に広まれば、大げさではなく、世界が変わると思う。
たとえば、風邪をひいたら、うつ病になったら、癌になったら、どうするか。病院で風邪薬や抗うつ薬をもらったり、抗癌剤の投与を受ける、というのが常識だろう。
しかし本書を読めば、その常識が大きく揺さぶられることになる。
なぜ既存の医学会や製薬会社が目の色を変えてオーソモレキュラー栄養療法を叩くのか、読者はそのあたりの事情についても理解を深めるだろう。

さて、僕のミッションは本書の翻訳まで、である。
そこから先のこと(たとえばこの本を広告媒体などで宣伝したり、各所に営業をかけたり)は、僕ではなく出版社の仕事だ。
本の値段を決めるのも出版社で、僕としては「本はできるだけ安くして欲しい。翻訳者としての印税とか、そんなのどうでもいい。できるだけ安くして、少しでも多くの人が読めるようにして欲しい」と出版社にお願いしていたんだけど、4800円という価格設定はその希望が入れられたのかどうなのか( ゚д゚)

僕の手元に100部届いている。
この100部に関しては、僕がみなさんにお届けするべきだと感じている。
100部くらいなら、クリニックに来院した患者で、この本が欲しいという人に窓口で販売していれば、そのうち完売しそうな気もする。
しかし遠方で来院が困難という人にも、お届けしたい。
そこで、スタッフから、本書の購入希望をメールで受け付けて販売してはどうか、とのアイデアをもらった。
・メールによる受け付け販売
メールアドレス(nakamuraclinic.3388@gmail.com)に、氏名、住所、連絡先(電話番号)の記入を頂き、その返信で振込先口座をお伝えします。
代金は5320円(書籍代4800円+レターパック代520円)です。
口座への入金確認後、郵送します(納品書と領収書を同封します)。

僕もスタッフもこういうことには不慣れですが、手落ちのないよう、頑張って対応します。購入希望の方はメールをください。
近くにお住まいの人は、もちろん、クリニックに直接来られても販売します。

話すための英語

2019.10.12

ロンドンに行こうと思って、窓口で「チケット トゥー ロンドン、プリーズ」って言ったら、トゥーの発音が悪かったせいかな、チケットが2枚出てきた。
それなら、と思って、「チケット フォー ロンドン、プリーズ」って言ったら、今度は4枚出てきた。
うわー、困ったな、こういうときどう言えばいいのかなと思って、「えーと、えーと」って言ってたら、チケットが8枚出てきた。

僕としては笑わそうとして言ってるんだけど、「One ticket for London, please.で問題ないはずだけど。どこの窓口であった話?」とか大真面目に返す人がいる。
頭固くて、生きづらいやろうなぁ(‘Д’)

さて、英語の話である。
英語を読むのは得意なほうだけど、話すのはかなり苦手だ。
それでも、一時のことを思うと、多少は話せるようになった。
きっかけは去年の4月に東京で開かれた国際オーソモレキュラー医学会である。
世界中のオーソモレキュラー実践医が東京に集結する。あのソール先生も来る。”Orthomolecular Medicine For Everyone”の著者のソールだ。
この本の日本語版の翻訳者として、彼に話しかけよう、と僕は心に決めた。
そして英会話の勉強を熱心に始めた。

「英語の勉強」と「英会話の勉強」、一見同じようなものに思えるけど、これはもう、全然違う。
前者は、英文法を理解し、英単語を増やし、長文読解のトレーニングをする、みたいな勉強。受験に必要なのは、こっち系の勉強だ。
一応大事な基礎ではあるけど、こういう勉強をコツコツ続けた向こう側に、英語を流暢に話せる未来が待っているかというと、それは絶対にない。
中学生で英語を学び始めて以来、20年以上英語を勉強してきたのにろくに話せない僕が言うんだから、間違いない。

ここに5歳のアメリカ人(マイケル)がいるとする。
マイケルよりも僕の方が、英語での読書など、英語に触れている総時間は長いはずだ。さらに、語彙や英文法の知識も、僕の方が上だ。
マイケルは、たとえばpneumonia(肺炎)とかinduction(帰納)なんて言葉も知らなければ、syntax(統語論)やphonology(音韻額)の知識もないだろう。
しかし、ソール先生と淀みなく自由に話すことができるのは、僕ではなく、マイケルだ。
僕は思っていること、言いたいことの十分の一も言えないだろう。

なぜ、僕はマイケルに敵わないのか。
それは僕が、話すための勉強をまったくしてこなかったせいだ。
5歳児が使うボキャブラリーなんて、たかが知れている。
それでも、その「たかが知れた」ボキャブラリーをフル活用すれば、マイケルは自分の言いたいことを自由に話せるんだ。

アメリカの学者Charles Ogden の発表した”Basic English”という研究によると、英単語は850語も知っていれば日常の用をたすには充分だという。
https://en.wikipedia.org/wiki/Basic_English
そして、簡単な動詞の使い方をマスターすることが非常に重要だとして、”18 vital verbs”(18の必須動詞)をOgden氏は提唱している。
具体的には、以下の動詞である。
be, come, do, get, give, go, have, keep, let, make, may, put, say, see, seem, send, take, will
どれも中学1年で習った単語ばかりだ。
これらの動詞と、前置詞(あるいは副詞)を組み合わせて、様々なフレーズが生まれる。
ここがポイントだ。
まず、簡単な動詞のイメージをしっかりつかむことだ。
そして、前置詞(あるいは副詞)と組み合わせた句動詞を、できるだけたくさん覚えていく。
これが英語を使いこなす秘訣、ということらしい。

たとえば、give。「与える」とだけ覚えていては、浅い。
「与えるから、放す、放つ」と広いイメージで押さえておくと、応用がきく。
give upというフレーズをみたときに、「すっかり放す→お手上げ→あきらめる」と連想で自然と覚えていくのが、英会話の勉強。
「give upと同じ意味の単語としては、abdicateとかabjureというのがあるんだな」と記憶していくのは、英検1級を目指す人の勉強。
後者の勉強は、英字新聞を読むトレーニングとしては適切でも、英会話は一生できるようにならない。

基礎的な意味の動詞を深く理解し、かつ、簡単な動詞+前置詞のフレーズをいかに増やすか。
そしてこの簡単な句動詞がすぐ口をついて出るようにする反復訓練。これが話すための勉強だ。
こういう勉強を数か月続けたおかげで、当日ソールに会ったときには、まずまず思い通りのことを言うことができた。
しかし「ソールと話すこと」を目的にした勉強だっただけに、それが終わると、僕の中で「話すための英語」への情熱は消えてしまった。
僕にとって一番大事なのは、「英語文献を能率よく読むための英語」で、それは今も毎日続けてるんだけど。
やっぱりモチベーションというのは重要だよなぁ。

知能と有機ゲルマニウム

2019.10.11

40代女性。3歳の娘を連れて来院した。
「知的障害というわけでもないと思うんですけど、言葉が遅いです。もう4歳になろうかというのに、まだ自分の名前が言えません。
偏食で、食べる量も少ないと思います。お菓子はよく食べるんですけど。
小児科の先生に尿路奇形があると指摘されました。そのせいで尿路感染症にかかりやすいようで、毎日バクタ(抗生剤)を飲んでいます。主治医には『もう少し大きくなったら手術しましょう』と言われています。
何かと病気がちで、一回風邪をひいたらずいぶん長引きます。
夜は寝つきが悪くてなかなか寝てくれないし、寝起きも悪いです。
ここのクリニックは、普通の病院と違って、サプリとかで治してくれるんですよね?
この子に何かお勧めのサプリはありますか?
あと、私も最近何かと調子が悪くて。疲れやすくて、気分の波が激しいです。
仕事は何とかできてますけど、一日が終わるとヘトヘトになります。疲れ切ってるのになかなか寝つけないので、お酒で寝ています。食欲も落ちてます。
私にも何かお勧めのサプリを教えてください」

ふむー、なかなか手強そうなお母さんだ。
「サプリね、もちろんお勧めできますけど、まず何よりも、食事が基本ですからね」と食事指導から始める。
さて、その上でさらにサプリを、ということになれば、何を勧めるか。
採血して栄養状態を把握することが大きなヒントになるけど、お母さんの採血はともかく、三つ四つの子供の採血は気がひける。小児の採血は難しくて、大泣きすることは見えている。この世に一人、また新たな白衣高血圧患者を作るのもなぁ。
採血は別にマストじゃない。問診だけでおおよその”当たり”はつけられるものだ。

・風邪や尿路感染症など、免疫系が弱そうなので、とりあえずビタミンCは最優先で使いたい。

・バクタを使っているということは、腸内細菌は大きなダメージを受けていて、ビタミン産生菌など有用な菌種も大幅に減少しているはず。特にバクタは葉酸の代謝プロセスを阻害することで抗菌性を発揮する。特に葉酸を補う、という形でもいいが、お菓子の多食もあいまってB群全体が不足しているはずだから、天然由来のビタミンB群のサプリを使おう。

・『子供の健全な成長には脂溶性ビタミン』というのがプライス博士の教えだ。特にプライス流は「ビタミンK推し」だ。抗生剤で腸内細菌がダメになっているから自前のK産生が落ちているだろうし、偏食で納豆なんて食べない子だから、Kを補うのはプラスになるだろう。

・『脂溶性ビタミンは協調して働く』という原則もある。Kと一緒に使うなら、断然Dがいい。知的成長にも有益だろう。さらにいうと、脂溶性ビタミンは粉末錠剤よりは液体かジェルカプセルが吸収がいいから、この点も配慮する。

・最後に、忘れちゃいけないのが、有機ゲルマニウム。
以前紹介したように、有機ゲルマニウムが脳神経系の障害(運動障害、てんかん、知的障害など)に効果があることにはエビデンスがあるし、僕も自分の患者でこの効果を確認している。
ADHD傾向のある小学生男児に有機ゲルマニウムやタラの肝油などの知的成長を促進する栄養素を使ったところ、授業中の問題行動がなくなり成績が伸びた。
さらにいうと、この男児は顔つきまで男前になった。口呼吸でポカンとした表情がなくなって、鼻呼吸になって口元が引き締まったし、目力というのか、目元に知性が漂うようになった。

さて、お母さんには何を勧めようか。
・疲労の極みにありながら、眠れない。ストレスによる交感神経の過剰興奮だ。CBDオイルでゆっくり休めるようになるだろう。
・仕事でずっとインドアで日光に当たらないということは、血中ビタミンD濃度も低いはずだから、D/Kもお勧め。
・交感神経優位に起因する代謝低下があるから、赤血球の「破壊と創造」もうまくいっていないはず。疲労感はここが原因だと踏んで、有機ゲルマニウムも勧めよう。子供さんにお出しするのを、お母さんも一緒に摂るといい。食間に、耳かき一杯程度のごく少量でいいからね。
・寝るために酒を飲み始めたとなると、かなり危うい。アルコールの代謝プロセスで消耗するビタミンB1を、ベンフォチアミンで補おう。

さて、1ヶ月後。
来院したお母さん、声に喜びがにじみ出ている。
「娘が急にしゃべるようになりました。言葉が一気に増えた印象です。もちろん、自分の名前も言えるようになりました。
食べる量が増えたし、寝つきもよくなりました。
前回来院したとき以後、バクタをあまり使わないようにしています。それなのに調子がいいです。いつも風邪をしょっちゅうひいてるのに、この1ヶ月はひいていません。
私の調子もいいです。
よく寝れるようになったし、疲れやすさも前ほどではありません。
でも、何より一番驚いたのは、お酒をそんなに飲みたいと思わなくなったこと。お酒は好きなほうだから、会社の飲み会では、同僚にも驚かれるぐらい飲みます。
そんな私なんですけど、最初の乾杯でビールを1杯飲めば『もういいかな』って思うんです。飲もうと思えば飲める。でも、もういいかなって。
不思議です。成人してお酒を飲み始めて以後、こんな感覚になったことはありません。飲むとなったら、飲み疲れるまで飲む、というのが私のスタイルですから。
私、どうしちゃったんだろう、って心配になったくらいです笑」

やはり、と確信を深めた。子供の知的発達には有機ゲルマニウムがてきめんに効く。
お母さんの言葉「バクタを使ってないのに、調子がいい」は論理的に誤りで、正しくは「バクタを使ってないから、調子がいい」である。尿路感染症予防という大義のために、腸内細菌にも大打撃を与える抗生剤は、長く飲み続ける薬じゃない。抗生剤の使用頻度を減らし、それに伴って腸内細菌叢が回復したことで、腸で自前のビタミン産生ができるようになったのだろう。
お母さんに見られた飲酒欲求の消失は、CBDオイルによる衝動性の抑制効果によるところが大きいか。
おおむね想定内の回復ではあるけど、こんなふうに実地に喜びの声を聞くと、やっぱりうれしいな。

Orthomolecular Medicine For Everyone

2019.10.7

哲学者のホワイトヘッドの言葉に「すべての哲学は、プラトンの脚注に過ぎない」というのがある。
哲学という学問は、すでに二千数百年前、古代ギリシャのプラトンにおいて大成されていた。
言葉の本質を喝破し、イデアという概念を提出するなど、プラトンの思想のなかにその後出現する哲学的思考のすべてが含まれている。
だから、たとえばデカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェらの思想さえ、プラトンの思想の単なる脚注レベル、というわけだ。
プラトンに対しては最大限の賛辞ということになるだろうが、その後の偉大な哲学者全員をばっさり切り捨てる格好で、なかなか毒のある表現だ。

ホワイトヘッドのこの言葉にならって、僕はこう言おう。
「すべての栄養療法は、ホッファーの脚注に過ぎない」
ホッファー以後、様々な栄養療法の亜種が出現したし、今も現れ続けている。
「ホッファーにはメチレーションの発想がまったくなかった」
「ホッファーはビタミンKの働きをずいぶん軽視している」
新たな栄養療法の提唱者は、こうしてホッファーを批判する。確かに、彼らのメソッドには、彼らなりの新味や独自性がある。
しかしホッファーを前にしては批判は批判にならず、かえってホッファーの偉大さが際立つようだ。
結局大枠では、全員「ホッファーの手のひらのなか」という印象だ。

ホッファーとソールの共著”Orthomolecular Medicine For Everyone”は、栄養療法の金字塔ともいうべき本だ。
哲学でいうところのプラトンの『ソクラテスの弁明』に比肩すべき著書で、歴史に残る傑作、といっても過言ではないと思っている。
しかし同時に、この本は絶対的な経典ではない、とも思う。
なぜなら栄養療法は宗教ではなくて科学だから、科学の進歩によって新たな知見が出現すれば、訂正すべき事項も出てくる。これは科学の宿命だ。
実際、僕もこの本を翻訳しながら「この記述はすでに古びているな」と思う箇所もいくつかあった。

しかし、である。
しかしそれにもかかわらず、この本の偉大さは変わらない。
それは、この本が単なる栄養療法のハウツー本ではなく、栄養療法を科学的に確立しようとしてきた先人たちの苦闘の軌跡を記した本だからだ。
不治とされる統合失調症や癌、ハンチントン舞踏病などが各種ビタミンの投与で軽快した衝撃的な症例。
患者を何とか救おうとする医学者らの苦悩。
死の淵から生還し健康を取り戻した患者の喜び。
そんな素晴らしい治療法でありながら、既存の医学会から目の敵にされ、徹底的に弾圧された過去(および現在)。
それは今後新たな知見がどれだけ登場しようとも変わらない歴史である。
「こんなふうにして栄養療法が作られてきたのか」という感慨とともに、読者は各種の栄養についての理解を深めるだろう。

初めてこの本を読んだとき、僕はすぐに確信した。「この本の知識は、公共のものたるべきだ」と。
すでにホッファーは故人だったから、共著者のソールにメールで連絡をとった。
自分は日本人の医師でこの本をぜひとも翻訳したい、という旨を伝えた。
すぐに返信が来た。出版社を自分で見つけられるなら、という条件付きながら、好意的な内容だった。

いろいろな出版社を当たった。ことごとく拒否された。
出版不況の時代である。紙の本なんて、もう誰も読まない。
あきらめかけたとき、一社だけ、色よい返事をくれた出版社があった。
よかった。これで出版できる。迷いなく、契約を結んだ。

あとは、僕が翻訳するだけだ。猛烈な勢いで翻訳にとりかかった。
そのときの僕は、仕事と食事とトイレと睡眠以外、ずっと翻訳作業に没頭していた。
いや、食事しながらも、トイレしながらも、眠りながらも、翻訳していた。
夜遊びをやめたのは当然として、酒もやめたし、仲のいい女の子とも疎遠になった。

苦しかった。受験生時代だってこんなに勉強したことはない。
でも、耐えられた。
なぜって、こんなにやりがいのあることは他になかったから。
僕の作業がひとつ進むたび、それだけ日本人読者とこの本が近づく。
僕が一日さぼれば、日本人読者とこの本の出会う日が一日遠のく。
どんなにつらかろうが、こんなにやりがいのある作業、他にあるわけがない。

誰かのために頑張る、という感覚に、僕は胸が震えた。
車の運転がいつもより慎重になった。
生に執着するつもりのない自分だけど、「今不慮の事故で死んだら、無念で成仏できない」と思った笑

一日も早く仕上げたい、という思いと同時に、翻訳のクオリティにもこだわりたかった。
僕の任務は、著者のホッファーとソールの声を伝えることだ。
その過程で、僕の味が出てはいけない。「僕の文章」になってはいけないんだ。
僕はあくまで黒子で、彼らの声を伝えるナチュラルな翻訳機、でなければならない。
しかしこの作業には難渋した。

原著には「どの章はホッファーが担当した」とも「ここの文章はソールが書いた」とも書かれていない。
しかし、文体から察することができる。ホッファーは研究一筋の人で、文章も理路整然としている。
一方ソールは文学の素養があって、凝った言い回しを好んで使う。去年4月にソールに会ったときに、彼から直接聞いた。「エイブラムに文章の腕を見込まれて、共著を書くことになったんだ」と。
だから、ホッファーは比較的訳しやすく、ソールは訳しにくい文章が多かった。
訳しにくい文章をどう訳すか。
「わかりにくい直訳よりは、わかりやすい意訳」にするのが基本だが、それが過ぎては「僕の文章」になってしまう。
僕の役割は英語と日本語をつなぐパイプ役だから、できるだけ透明であるよう心がけたが、それがうまくいったかどうかはわからない。そのあたりは読者の判断に任せよう。

翻訳は編集者も驚くスピードで完成させたものの、出版社の仕事が遅々として進まない。最初はやきもきして何かと催促したが、のらりくらりとかわされる。
僕の方でも開業したこともあって、日々の忙しさに何かとかまけているうちに、やがて出版の件は忘れた。
動いてくれたのは僕の周囲の人たちだ。彼らが出版社をせっついてくれた。
そうしていよいよ、今月中に出版される運びとなった。

こんな表紙になるという。

当たり前だけど、この本は僕の本ではない。
栄養療法の大家ホッファーとソールの著書だ。
しかし彼らの声を伝える役割を担えたことは、僕にとってのささやかな誇りになっている。
興味のある人は一読頂ければ、と思います。
実際に出版されて皆さんが購入可能になったとき、またブログに書きます。