2018.7.13
「医学部に入学したって、一年生のうちは一般教養の授業ばかりでしょ。
2年生、3年生と上の学年に進むにつれ、専門性の高い授業が始まって、ようやく「自分は医者になるんだな」という意識も高まっていくものだが、何と言っても一番大きな通過儀礼は、解剖実習だろう。
本から学ぶ机上の知識だけではなくて、実際のご献体から、解剖的知識を実地に学ばせてもらうわけだ。
実習初日の風景はかなりショッキングだ。
学生は5人とか6人で一組の班に分けられるんだけど、各班それぞれのテーブルに、カバーをかけられたご遺体がズラリと並んでいる。あんなシュールな光景は、解剖学教室以外には、現実世界になかなかないだろう。
嗅ぎ慣れないホルマリンの臭気もあいまって、初日には気分が悪くなって実習を途中退室してしまう学生が一人二人出るものだが、人間たくましいもので、そういう彼らもやがて慣れて、率先してご遺体にメスを入れるようになる。
全裸のご遺体は、個人情報の剥ぎ取られた、完全に匿名的な存在だ。
名前はもちろん、生前どこで暮らすどんな人だったか、一切明かされない。
ただ唯一、死因と死亡年齢だけは分かる。これは個人情報というより、医学的情報だからね。学生への教育的目的もあって、そこだけは教えられることになっている。
ところが、僕の班に割り当てられたご遺体には、重大な手違いがあった。
七十代で亡くなった女性のご遺体だったのだが、口腔内の解剖のときに、その女性が入れ歯をしていることが分かった。
で、なんと、その入れ歯に名前が書いてあったんだ。
入れ歯に名前を刻印するということは、それほど珍しいことでもないらしい。ほら、老人会で一泊旅行とか行ったときに、洗面所で入れ歯の取り違えがけっこう起こるんだよ。そういうトラブル回避のために、入れ歯に名前が入れてあるわけだ。
一切の個人情報を取り除くべき大学当局にとっても、入れ歯は盲点だったんだな。
思いもかけず、僕ら班員はそのご遺体の名前を知ることになってしまった。
しかもね、その名前、佐藤とか鈴木みたいなよくある名前なら、特に印象に残ることもなく記憶を素通りしたと思うんだけど、なんていうのかな、すごく珍しい名字だった。たとえば、そうだな、仮名だけど、東雲(しののめ)さん、みたいなね。
で、僕らも解剖実習やりながら、「しののめさん、胸鎖乳突筋、メス入れさせてもらいますね」とか「しののめさんの反回神経って、バリエーションですね」とか、冗談交じりというわけでもないんだけど、そんなふうに、匿名のご遺体じゃなくて、名前を持った個人として接している節があった。
そのせいでね、テスト対策のために無理やり頭に叩き込んだような解剖学用語は全部忘れちゃったけど、しののめさんっていう名前だけは、僕の記憶の中にしっかりと残ることになった。
やがて時が流れた。
ポリクリを終え、卒業試験をクリアし、国家試験も合格し、僕もようやく医者になった。
医者になってから、さらに数年の時が流れた、ある四月のこと。
僕は大学の頃からずっとテニスをしていてね、当時もあるテニスサークルに所属していたんだけど、そこに入会したいという人が何人か来た。
で、彼ら、一人一人自己紹介していくんだけど、そのなかの一人の女性が自分の名前を「しののめゆうこです」と名乗ったとき、僕の心は急に、学生時代の解剖実習に引き戻されたようだった。
どうしてもその人と話したいと思って、後で話しかけるきっかけ作って、言った。
「僕が学生時代に解剖させて頂いたご遺体もしののめさんでしたよ」
「え!」と彼女、驚いてから、「それはきっと私の祖母だと思います。祖母は医学のためになるのなら、と自ら献体になることを希望していましたから」
「不思議ですね。こんな偶然があるんですね」
それがきっかけで、僕ら、いろいろ話をした。
出会った最初の日からお互い他人のような気がしなくて、親しく話すようになって、やがて交際し始めた。
そして彼女は、今の僕の妻でもある。
名前入りの入れ歯がつないでくれた不思議な縁を思うたびに、僕はある種の感慨に打たれる。
人間は死んだら終わり、じゃない。
死んでなお、孫娘の恋愛を成就させるキューピッド役になることもあるんだ。」
2018.7.13
「オーソモレキュラー療法?ああ、何か聞いたことあるな。ビタミンをバカみたいにたくさん飲む治療法でしょ」
まぁ、メガビタミン療法とかいうぐらいだから大雑把にはその通りなんだけど、言い方にちょっとトゲがあるね^^;
国はビタミンの摂取量に一応の基準を設けているんだけど、その基準値は本当に最低限で、「それを下回ればビタミン欠乏性の病気になっちゃうよ」ぐらいのぎりぎりの下限値なわけです。
脚気にならない最低限のビタミンB1摂取量とか、ペラグラにならないための最低限のビタミンB3摂取量とかが基準値として設定されている。
一方、栄養療法はそういう発想とはまったく違ってて、ビタミンの大量摂取によって病気を治してしまおう、というのがこの治療法のキモなんだ。
だから場合によっては、国の推奨基準値よりもケタが二つ多い量のサプリをとることもざらにある。
ビタミンの乏しい現代の食事が原因で病気になっている患者の体は、そのなけなしのビタミンで何とかやりくりしようと頑張っているものの、症状という形で悲鳴をあげている。
そういう患者の問診を通じて、体が必要としているビタミンを見抜き、そのビタミンを十分量投与するとどうなるか。
びっくりするぐらい調子がよくなるよ。
その回復ぶりに患者自身も驚くし、治療者としてそういう回復を見慣れている僕にとっても、患者の回復を見るのはいつも新鮮な気持ちがする。
「そんなに大量に投与することに、果たして意味があるのか?水溶性ビタミンの場合、過剰量は結局、尿中排出されるわけで、治療として意味をなさないのではないか」
なるほど、筋の通った反論だ。確かにそうかもしれない。
でもこういう反論をする人は、自分たちが患者に投与する抗生剤について、同じことは言わない。抗生剤の投与量に比例して尿中の抗生剤排出量も多くなるが、だからといって抗生剤は無意味だ、というふうには考えないだろう。
論より証拠。栄養療法、実際にやってみるといいんだよ。
一般の処方薬でまったく改善しなかった症状が、サプリで見事に回復する症例を実地に経験すれば、自分の今までやってた医療がバカバカしくなるだろう。
「過剰症は大丈夫なのか。脂溶性ビタミンはもちろん、水溶性ビタミンでも不必要に多い量を長期に投与することで何らかの弊害が起こるのではないか」
これが患者から聞かれた質問なら、基本的には、「心配いらない」と答えるようにしている。
唯一メガドースでいくべきではない脂溶性ビタミンは、ビタミンAだけだと思っている。
Kは摂取上限を決めようにも決められないぐらい安全性が高いし、Dも30000IUとかまでは全然平気だし、Eもホッファー先生は症例によっては5000IUとか普通に使ってた。
だから、まず心配いらない。
水溶性ビタミンも、もちろん心配いらない。それが原因で何らかのひどい副作用が起きるということはまずあり得ない。
ただ、ここからは患者にあえて説明しないところだけど、まったく副作用がないかというとそうじゃないとも思っている。
これは僕自身の話なんだけど、栄養療法のすばらしさを知って、僕もビタミンを飲み始めた。別に大量というわけでもなくて、マルチビタミンを1日3錠とかぐらいだけど。
体調は確かにいいと感じていた。
でもあるとき、おでこにニキビができ始めた。ニキビなんて思春期以来できたことがなかったから、これは明らかにビタミンの大量摂取を始めたせいだと思って、いろいろと文献をあさった。
すると、ほら、やっぱり思った通りだった。(https://europepmc.org/abstract/med/1834437)
ビタミンB6、B12、ビオチンあたりを過剰摂取すると、人によっては皮膚の常在菌叢が変化して、propionibacterium acnes(いわゆるアクネ菌)が増えるというんだな。
そこで、マルチビタミン(ビタミンB群)をいったんやめた。すると、ニキビはすっかり治った。
以来、僕は身をもって、ビタミンにも副作用がないわけじゃないんだ、ということを知った。
でも同時に、あつものに懲りてなますを吹くようなこともすまい、と思っていた。もうビタミンを飲むのなんてやめよう、とはならず、違うメーカーのマルチビタミンを使うようにした。
B6はピリドキシン塩酸塩ではなくてp5pを、B12はシアノコバラミンではなくてメチルコバラミンを使っているメーカーのサプリを使うようにし、1日1錠だけ飲むようにしたところ、以後、何の副作用も出ていない。
サプリの値段は高くなったけど、それだけの価値はあると思う。やっぱ安物のサプリは、その値段相応ってところがあるね。
で、いったんお高めのサプリのよさを知ってしまうと、患者にも良質なほうのサプリをすすめてあげたくなるんだけど、患者はあんまりいい顔しないな。「たけえよ」ってなるんだな。
僕はホッファーやソールの本から栄養療法の存在を知ったわけだけど、何も彼らの説が絶対だとは考えていない。現代の目から見て、正直、ちょくちょく間違った記述もあるからね。
これはまずいな、と思うところは僕なりに修正を加えるようにしているし、アダプトゲン(抗酸化作用のあるハーブ)の利用など、ホッファーやソールが全然言及していないサプリメントも僕は使っている。
だからといってホッファーやソールをリスペクトしていないかというと、決してそんなことはない。
守破離という言葉がある。最初はお師匠の教えを忠実に守るんだけど、試行錯誤重ねつつ、だんだん自分流にアレンジしていくのが、進歩ということだと思う。
アメリカには栄養療法を臨床現場で実践している医者がたくさんいて、それぞれの先生が自分なりの「守破離」を経たアレンジをしていて、そういう先生からも学ぶべきものがたくさんあると思っている。
たとえばThomas Levy先生もその一人で、彼の”Hidden Epidemic”という本は刺激的だった。
虫歯、歯周病など、口腔内の病気がいかに全身性の慢性疾患に影響を及ぼしているかについて詳しく書かれた本なんだけど、本の中にLevy先生オススメのサプリとその使い方が紹介されてて、参考になった。
またいずれ稿を改めて紹介するかもしれない。
今日はこの辺で。
2018.7.12
村上春樹の『アンダーグラウンド』は、地下鉄サリン事件の被害者に著者自身が直接話を聞いて、それをまとめたインタビュー集だ。
被害者たちは、自分自身の体験を語っている。
「酸のようなにおいを感じました」
「それは刺激的なにおいではなく、ちょっと甘い感じのする、何かが腐ったみたいなにおいでした。でもまぁ座れるんだから多少臭くてもいいやという感じで、そのまま座席に座りました」
サリンは無臭である、というのが化学文献の教えるところである。
しかし被害者たちは、上記のように、自分たちが地下鉄で遭遇した異様なにおいのことを克明に覚えている。
被害者たちがウソの証言をしているとは考えられない。
この本を読んだ人は分かるだろうが、著者の描写は非常に客観的で、著者は被害者から話を引き出すだけの黒子に徹しているような印象を受ける。
ありもしなかった臭気をあったと嘘をつく理由は、被害者にも著者にもない。
被害者は、ただ自分が感じ、見聞きし、体験したことを語っているだけで、村上春樹はそれを淡々と拾い上げただけだ。
とすれば、疑問が浮かぶ。
地下鉄で使用された毒ガスは、本当にサリンだったのだろうか。
実際には何らかの別の化学兵器が用いられたのだが、何らかの事情で、サリンが使用されたということに便宜上なっているだけではないか。
上九一色村にあった第7サティアンはサリンの製造プラントだったとされている。
しかし、サリンの製造には高度な設備が必要で、排気設備もない第7サティアンでサリンを作ることなど不可能だ、と内外の専門家が指摘している。
毒ガスに詳しい専門家によると、被害者の症状はサリン中毒と合致しない。視野狭窄、瞳孔収縮、けいれん、鼻や口からの出血。これらの症状から使用された毒ガスを推測するならば、それはタブンである。
また、科捜研の化学検出班の誰一人として、使用された毒ガスがサリンだとは証言していない。いまだに誰がサリンだと証言したのか、わかっていない。
使用された毒ガスがサリンであれタブンであれ、それらを製造する施設さえ持たない教団は、一体それらをどういった経路で入手したのだろうか。
オウムが関与した一連の事件には未解明の部分も多いが、結局未解明のまま、教祖と6人の幹部に死刑が執行された。
解明できなかった、のではないと思う。解明されては不都合だ、と思っている人が権力上層部にいて、全容の解明が阻まれた、というだけのことだと思う。
オウムの闇に迫ることは、実は芋づる式に、日本の闇に迫ることにもつながっていて、非常に大きな話になるようだ。
個人的には、そういう真相には大して興味はない。
このネット時代、そういう興味に答えてくれるサイトはたくさんあるから、各自検索すればいい。
でも、医学的な事柄が関わってくることに関しては、できるだけ正確な事実を知りたいと思っている。
毒ガス兵器で攻撃された患者を診察することなんて、医者人生でまずあり得ないことだとは思うけど、それは松本市でも東京でも実際に起こったことなんだ。
何が起こってもおかしくない時代なんだ。
それが医学的なことに関係している限り、できるだけ真実が知りたい。
医学部や製薬会社の提供する知識を真に受けて、患者に害を与えるだけの医療を実践するのは、個人的にはもうコリゴリなんだ。
医学的な真実。患者の体に何が起こっているのかについての正確な把握と、その適切な治療法。
僕が興味があるのはそこだけだ。
2018.7.12
かつて宗教団体として活動していた集団のトップとその側近6人が、死刑執行された。
死刑制度というのは世界的には廃止の方向のようで、国際的な死刑廃止団体も今回の日本の一斉死刑執行に対し、否定的な見解を示している。
死刑は存続すべきか廃止すべきか。
難しい問題だけど、個人的には、存続せざるを得ないんじゃないかと思う。
自分の大事な身内を殺されて、その殺人犯が税金で食わせてもらいながら刑務所でのうのうと生きていると思えば、遺族としてはたまらない気持ちになるかもしれない。
死刑が極刑であるのは、死が人間にとって最も強い苦痛である、ということが暗黙の前提になっている。
でも本当にそうか。
この日本では、年間2万人以上の人が自殺者がいる。
彼ら、何の犯罪を犯したわけでもない。自分の好きなように自由に生きられる身の上なのに、あえて自ら命を絶つ。そういう判断をする人が年間2万人以上いるということだ。
そういう人にとっては、死ぬことよりも生きることのほうが苦痛だった、ということだろう。
「死んだらどうなるか、わからない。でも今のこの生の苦痛よりは、未知なる死に飛び込んだほうがマシだ」
そういう思いだったのだと思う。
つまり、ある種の精神状態の人にとって、死は解放であり、救いでもあり得る、ということだ。
死刑を執行された人が、もしそういう精神状態にあったなら、それはその人にとって苦痛どころか、むしろ願ったり叶ったり、であって、刑罰が刑罰として機能していないと思う。
僕が死刑に反対するとすれば、それが世間で言われているところの「残虐な制度」だからではない。
生きることは死以上に苦痛になり得るのだから、犯人を死刑にしてそれで終わり、ではなく、苦しみに満ちた生を生きてもらうほうが、刑罰としてはむしろ適切である可能性があるからだ。
個人的な話1
僕は長野県松本市にある信州大学で医学生時代を過ごした。
松本市は、あの「松本サリン事件」が起こったところで、オウムとの関係は深い。
松本駅から信州大学まで行く途中に、容疑者とされた河野さんの家があって、僕も何度もその道を通ったことがあるし、事件によって医学部の女学生がサリンの影響で死亡している。
僕の先輩が、あの事件で亡くなっているわけだ。
救急の先生のなかには、あの事件を実地に経験している人もいた。
「化学兵器クラスの毒物が一般市街地にまかれたわけで、そんな例はこれまでにない。日本だけじゃなくて、世界中で例がない。当然、僕ら救急医も、そんな毒物に対するトレーニングは受けていない。
あの日の夜の救急現場の雰囲気は異様だったよ。次々に同じような症状のぐったりした患者が何十人と運ばれてきて、しかもこちらにはまったくなすすべもない。
頭痛、ふるえ、けいれん、発汗、嘔吐。一体何なんだ、と思ったよ。妙な農薬でもまかれたんじゃないか、ということは思ったけど、まさかサリンとはね。そんな言葉も知らなかったよ。
死亡確認にも手間取った。
死の三徴は知ってる?そう、心拍停止、呼吸停止、瞳孔散大だ。
サリンは副交感神経に作用して、瞳孔を収縮させる。心臓止まってて呼吸もしてなくて、明らかにお亡くなりなんだが、でも瞳孔は開いていない。
だから従来の死亡の定義からは、死亡と診断していいものかどうか、何とも悩ましかった。
松本サリン事件から数か月後、テレビで緊急速報が流れた。東京の地下鉄で妙な症状を訴える乗客が多発し、パニックが起こっているというニュースだった。
松本サリン事件でサリン中毒患者を診ていた柳澤信夫先生は、このニュースを見て、すぐにピンときた。サリンの症状そのものだ、と。
すぐに聖路加病院など救急指定病院に電話をかけ、FAXを送った。『おそらくはサリン中毒だと思われます。PAM(ヨウ化プラリドキシム)あるいはアトロピンの投与が奏功します』と。
柳澤先生のこの行動によって、多くの人が救われたはずだよ」
個人的な話2
地下鉄でサリンをまいた実行犯の一人、豊田亨死刑囚は、僕の高校の先輩にあたる。戦後、東大出身で死刑判決を受けた、初めての人物ということになる。
高校の体育の先生に、豊田先生という人がいた。豊田亨死刑囚のお父さんだ。
地下鉄サリン事件の実行犯として我が子が逮捕されたとき、豊田先生は高校の学長に辞表を出した。
「我が子がこんな事件を起こしたんです。どんな顔をして生徒に向き合えばいいのか、私にはわかりません。
それに、このままこの学校で教職を続けては、学校の看板に泥を塗るように思います。どうか辞表を受理してください」
普通の学長なら、「あ、そう。いいよ」と二つ返事でOKするところだろう。しかし、学長はなかなかに気骨のある人だった。
「なるほど、確かに彼がしたことは大変なことかもしれないが、しかしそれは君の子供であって、君ではない。
すでに成人した社会人なんだから、君が責任を取ってどうのこうの、というのは話が違う。
それも東大理学部で素粒子物理学を学んでいたという、平均以上の頭脳を備えた人物なんだ。
自分のしたことの重大さを今は後悔しているだろうし、彼に対する刑罰は司法が与えるのであって、君にはまったく関係のない話だ。
学校の看板?そんなことはさらに関係がない。
君の息子が起こした事件のために、我が校の評判が地に落ちる、と本当にお思いか。一体我が校の価値は、たったそれだけのことで損なわれてしまうほど、貧弱なものなのか」
こう諫められると、豊田先生としても、あえて強硬に辞意を示すことはできず、教員を続けることになった。
そして、僕も豊田先生の授業を受けることになった。
授業中にもよく冗談を言う明るい先生だった。豊田死刑囚も関西弁でジョークをとばす明るい性格だったというが、そういうところはお父さんに似たのだと思う。
しかし豊田先生は、内心非常に苦しんでいた。
学長にはそのように慰留され、教員として踏みとどまったが、息子のしでかしたことの重大さを思うと、正気でいられなかった。
東大卒業した自慢の息子が一転、取り返しのつかない殺人を犯してしまったのだから、それも無理のないことだろう。
アルコールだけが、その辛さを忘れさせてくれて、次第にその量に歯止めが利かなくなった。
僕ら生徒の前では明るく振舞いながら、先生、常に心は泣いていたのだった。
その後、豊田先生がどうなったのかは寡聞にして知らない。
多量のアルコールで命を縮めてすでに鬼籍に入っておられるか、あるいは今もご存命中で、我が子の死刑がいつ行われることかと心配しておられるか。
もし豊田先生がご存命中で、我が子が死刑に処され、遺骨を引き取るとなれば、先生はきっと、ほっとすると思う。
「亨よ、久しぶりやなぁ。ようやく家に帰ってきてくれたなぁ」と。
豊田死刑囚はオウムに入信して以来、実家に帰ったことがない。
我が子の遺骨が帰ってきて初めて、先生のなかで、ひとつの大きな区切りがつくと思う。
2018.7.11
憩室、という言葉は、一般の人が聞いてもまず知らない言葉だろうけど、消化器内科の先生にとっては毎日臨床現場で当たり前に見ている病気だ。
これは典型的な現代病で、19世紀にはほとんど存在しなかったが、20世紀以降急激に増加した。
原因ははっきりしていて、食物繊維が少なく、かつ、糖質が多い食事だ。糖質の摂取量と比例して、発症率が増加している。
以下、”Orthomolecular Medicine for Everyone”からの引用です。
「結腸の憩室性疾患は糖質代謝症候群の主要な症状であり。これは1900年以前には極めて稀だったが、20年も経たないうちに西洋ではよくある病気になった。1930年には40歳以上の人々の約5%に憩室があると推測された。今や結腸で最も多い病気となっている。80歳になるまでに3分の2がこの病気になっている。対照的に、いまだに食物繊維の豊富な食事をしている人では、極めて稀な病気である。しかしそういう人も、低繊維・高糖質食を食べるようになると、その罹患率が急激に上昇する。食物繊維を豊富に含む小麦粉の使用が余儀なくされ、砂糖の入手が困難となった第二次大戦中にはこの病気の発生率の増加がピタリと止まった。
憩室症は筋線維の間で腸壁が絞られることにより発症する。腸内容が豊富で柔らかいと(つまり、食物繊維でかさが多いと)、圧力が少なくて済み、結腸でそれほどきつく締められない。腸内容を蠕動で送り出すのに大きな圧力や負担が必要でないのだ。それでは、腸疾患の治療に無刺激な柔らかい食事が非常に長く用いられてきたのはなぜなのか。食事中に粗い粒子が含まれていると、憩室に刺激を与えたり、憩室の中に入り込んで、穿孔を引き起こすと信じられていたのだった。きめの粗い食物や食物繊維は腸の過敏性の原因だと考えられていた。実際には人々の食事の大半はすでに柔らかくて食物繊維が少なかったのだが、食物繊維豊富な食事は問題の原因とされたため、治療としてそういう食事が供されることはほとんどなかった。食物繊維の乏しい食事では症状を悪化させるだけのことであって、この病気を慢性化させることにしか役立たなかった。
大腸や直腸の癌は糖質代謝症候群を起こす食事と関係性がある。北アメリカおよびヨーロッパの国々では、この癌は他のどの癌よりも多くの人命を奪っている。アメリカでは毎年7万人の新規症例が報告されているが、発展途上国では稀な病気である。発展途上国ではポリープも稀であるが、西洋諸国では非常によく見られる。発展途上国で生まれ育った人が、自国においてであれ、西洋諸国に移住するのであれ、低食物繊維食を摂るようになると、ポリープや癌の発生率が増加する。いくつかの要因が関与しているが、一つの大きな要因は、細菌の作用による発癌物質や胆汁酸塩の濃縮による発癌物質である。通過するのが遅いため、大腸に発癌物質が長くとどまることももう一つの要因である。食物繊維が豊富でかさがある便は腸の通過時間がすみやかであるため、癌を発生させるリスク因子全てを軽減する。
潰瘍性大腸炎は西洋化した国民にとってもう一つのよくある問題である。糖質代謝症候群の他の症状にも言えることだが、本症の存在も低食物繊維、高糖質の食事が原因である。これはいまだ食物繊維豊富な食物を常食している発展途上国では極めて稀な病気であり、先進国ではありふれた病気である。クローン病にも同じことが言える。」
大腸癌、潰瘍性大腸炎、クローン病も、やっぱり食事が原因の現代病ということだ。
腸は食事の通過する部分だけあって、食事の影響がもろに反映されるんだな。
人間は本来何を食べるべきか、というのはこれまでいろんな学者が考察してきたことで、「バランスのとれた食生活が大事だ」などと言われるけど、じゃ、バランスのとれた食事とは何なのか。
たとえば肉食獣のライオンはガゼルとかの草食獣を捕まえて食べるわけで、彼ら、基本的には肉ばっかり食べている。
で、一方の草食獣は、地面に生えた草ばっかり食べている。
肉食獣も草食獣も、「ばっかり食い」なんだな。
では人間の食性はどうか。
肉も草も食べる雑食、というのが答えだから、肉も野菜も両方食べればいいんだけど、その野菜のなかに、穀物(特に精製穀物)を含めてしまっては、かなり危ういことになりそう、というのが研究者の示唆するところだ。
500万年前に発生した人類は、基本的に狩猟採集の生活をしていて、肉とか葉っぱとか食ってた。それが、1万年ほど前から農耕という技術を編み出し、小麦や米を大量に能率的に収穫できるようになった。
炭水化物のもたらす甘味に人々は夢中になったし、穀物を発酵させて生じるアルコールの魅力にもハマり始めた。食生活の変化に伴い、これまでにはほとんどなかった病気もいろいろと出てきた。
さらに革命的だったのは、19世紀後半に進歩した穀物の精製技術だ。それまではパンといえば、黒パンが当たり前だった。
ところが食物繊維を能率的に除去して、黒いパンを白くする技術が次第に洗練されるにつれて、新たな病気がますます増えていった。
たかが食物繊維、じゃないんだ。
小麦のふすま、米のぬかには、食物繊維だけじゃなくてビタミンやミネラルが豊富に含まれていて、それが人々の健康の支えになっていたのに、みんなそれと気付かず、一番大事な部分を捨ててしまうようになったわけだ。
食生活の多様化は、病気の多様化でもあった、というのが歴史を振り返ったときに見えてくる事実のようだ。
では、病気の治し方は?
昔のシンプルな食事に戻してやればいい。
人工的な加工プロセスを経た食材は極力使わず、自然なとれたての野菜や魚を食べる。
でもこれ、一見簡単なようだけど、現代文明の恩恵にどっぷり漬かっている僕らには、なかなか難しいことなんだな。
この食生活の改善の難しさが、つまり、現代病の治療の難しさだと思う。
ここの難関をクリアできた人、つまり、食生活の改善をきちんとできた人は、確実に病気から回復していきます。
そうではなくて、一般的な薬に頼るだけで食生活の根本的なところがそのままであったり、あるいは「サプリさえ飲んどきゃ何とかなるでしょ」というスタンスの人は、根治に至るのはなかなか難しい、というのが僕の率直な思いです。