2018.7.22
ソニータイマーって言葉をご存知ですか。
ソニーの商品は保証期間をちょうど一か月ほど過ぎた頃に、まるでタイミングを見計らったかのように故障する。修理なり返品なりしようにも保証期間を過ぎているものだから、自腹を切らないといけない。あこぎな商売やってるね。
という具合に、ソニー製品を揶揄する言葉なんだけど、いったい、本当にソニータイマーなるものが存在するのだろうか。根も葉もないうわさだろうか。
カリフォルニアのリバモア消防署に、とある電球がある。
この電球は1901年に製造され、24時間点灯しっぱなしで、117年経った今なお、明かりを灯し続けている。長寿命の電球としてギネスブックにも載っている。
100年以上前に作られた電球がつけっぱなしで今なお輝き続けているわけだけど、一般の白熱電球の寿命は1000~2000時間、蛍光灯の寿命は6000~12000時間、LEDの寿命は40000~50000時間。仮に40000時間だとしても、1日10時間の使用で10年以上使える計算になるが、100年には遠く及ばない。
どういうことだろう?
技術というのは、日々進歩し、我々の身の回りにある電化製品は、より高性能に、より頑丈に、なっていくものではないのか?
答えはNO。
タフでなかなか壊れない商品が出回ってしまっては、人々はそれを買い替えなくなる、ということに、業界は気付いたんだ。
で、そういう、うまくできすぎている技術は、業界から封印される。
電球に関していうと、エジソンが発明したすぐ切れる粗悪なタイプの電球をカルテルは採用し、世界に普及させた。1950年代、このカルテルはさらに短命の電球を開発し、人々はしょっちゅう買い替えをせねばならなくなった。
同じような話はストッキングにもある。最初にデュポン社が開発したストッキングは全く破れなかったので、わざと伝線しやすいものを開発し、オリジナルの技術は葬り去られた。
業界としては、ストッキングが一生に一度の買い物でいい、という具合では困るのだ。しょっちゅう破れて、しょっちゅう買い替えてもらってこそ、業界が潤い、経済が回る。
大量生産、大量消費に背く技術は、業界にとっては有難迷惑なんだ。
こういう、あえての手抜き工事みたいなやり口を、計画的陳腐化、といいます。
本当に長持ちするような、良質の職人技はいらない。消費者には、すぐ壊れるバッタもん掴ませときゃ充分だ。
モノを大切にして長く愛用する、なんて価値観が美徳であってはならない。
流行やブームをしかけろ。まだ使えるものであっても、こんなの使ってちゃダサくて恥ずかしい、という空気を作るんだ。
CMや広告をバンバン流せ。ウソも百回言えば真実になるというが、数百万人、数千万人が視聴するテレビを使って、ありもしないブームを作り出すんだ。
虚から実を作り出す錬金術。見事に踊らされているのが、我々小市民ということだ。
ソニータイマーが実在するかどうかって?
そんなもん、あるに決まってるやんか!
でも、ソニータイマーって言葉は、ソニーにはちょっと気の毒だね。だって、そういうタイマーを仕込んでるのは、ソニーだけじゃなくて他のどの企業も同じなんだから。
このあたりの事情は、本当に人々を健康にしてしまう技術が隠蔽されているのと似ている。
病気が簡単に治ってしまっては、医療業界が潤わない。ときどき独創的な天才が現れて、副作用のまったくない癌の特効薬とか発明してしまうんだけど、そのたびに業界はそういう技術を闇に葬ってきた。
小市民には、生かさぬよう、死なぬよう、ぐらいの半分毒みたいな薬を飲ませてればそれで十分、というところだろう。
栄養療法も見事に抑圧の憂き目にあっている。
僕が一般的な内科の先生に、栄養療法のことを話したら、その先生はどんな返事をすると思いますか?
「ナイアシンで統合失調症が治る?ビタミンCで癌が治る?
知らんけどよ、とにかくお前、変な宗教にだけはハマるなよ。とりあえず、もう一回医学部で勉強しなおしてこい」ってなもんだろう。
自分たちが医学部で教わった教育が、偏向したフィルターでふるいにかけられた情報でしかないということなんて、想像もつかない。
悲しいことだけど、水と油だからね、説得しよう、わかってもらおう、なんて努力ははなからしない。
分かる人だけ分かってくれればいい。そして縁あって僕のクリニックに来てくれた人には、本当の回復をさせてあげたいと思う。
2018.7.22
ベンゾジアゼピン系の睡眠薬・抗不安薬はいろいろと問題の多い薬だけど、一番大きいのは、依存性と耐性の問題だ。
依存性というのは、平たくいうと、それなしではやっていけない、ということ。
「君のいない人生なんて考えられないよ」という恋人が耳元にささやく甘い言葉は、医学的に表現すると、「私は君の存在に対して心理的依存を形成している」ということだけど、こんな言い方では異性はキュンと来ません笑
ベンゾにハマる依存は、主には身体依存だ。
高校の生物の授業で、恒常性(ホメオスタシス)の維持が生物の特徴だ、と習ったでしょ。ベンゾにハマるということは、恒常性を保つメカニズムにベンゾが組み込まれてしまうということです。
GABA受容体という抑制性神経伝達物質が作用する受容体に結合することで、ベンゾはGABAの効果を増強する。それで、不安が消えたり、眠気を催したりするわけ。
最初はいいんです。
「ベンゾのおかげで発表会を緊張せずに乗り切れた」とか「最近寝つきが悪かったけど、ベンゾで一瞬にして眠りに落ちることができた」とか、ベンゾを初めて飲んだ人は、その効果のすばらしさを実感する。
でも長く服用を続けると、だんだん効かなくなってくる。最初に感じたのと同じキックを感じるには、量を増やさないといけなくなる。これが耐性です。
依存性と耐性にからめとられて、体はベンゾなしでは機能しなくなる。
この時点で患者はベンゾの副作用による様々な体調不良を自覚しているし、ベンゾへの依存も自覚している。「もはや、この薬なしでは生きていけなくなっている。さすがにまずいんじゃないか」
思い立って、一気に断薬するとどうなるか。
体がガタガタと震え出す。汗が全身から滝のように流れ出す。耐え難い不安と緊張、激しい頭痛。致命的な発作が起こることもあるし、離脱症状の激しさに耐えかねて自殺する人さえいる。
急な断薬や減薬は命に関わるので、減薬指導に慣れた医師のもとで、慎重に減らしていかないといけない。
ベンゾ依存は気合とか根性で治せるような、そんな生やさしいもんじゃないんだよ。
海外ではベンゾの危険性が認識されているため、漫然と長期間処方することができないようになっている。
イギリス…4週間以上の処方は禁止
アメリカ…医療保険給付対象外(薬というか「ドラッグ」という認識に近く、欲しい方は自費でどうぞ、といった具合)
デンマーク…不安障害には4週、不眠には2週まで
オランダ…医療給付対象外
イタリア…不安障害には12週、不眠には2週まで
フランス…不安障害には12週、不眠に4週まで
日本では、3種類以上の抗不安薬、3種類以上の睡眠薬は減点されるという、多剤処方を戒めるルールはあるんだけど、期間についてのルールはなかった。
国もさすがに野放しではまずいと思ったのか、2018年から12ヶ月以上の処方が続けば減点ということになったけど、諸外国に比べれば全然ゆるい。
そもそも、医者は薬の始め方については知っているけど、抜き方は知らない。
ベンゾ依存で悲惨な状況になっている人を僕はたくさん見て来たけど、大学病院でも市中病院でも、ベンゾの減薬方法を僕に指導してくれる先生はいなかった。当然の話で、彼らも知らないんだから。
ネットで自分で情報を探していくなかで、アシュトンマニュアルの存在を知ったし、栄養療法的に断薬サポートできることも知った。
個人的に一番役立ったのは、”Evidence-Based Herbal and Nutritional Treatment for Anxiety in Psychiatric Disorders” (David Camfield)という本。ハーブの有効性がエビデンスに基づいて体系的にまとまっている。でも電子書籍なのが難点だなぁ。手元に辞書的に置いておきたい本は、電子書籍じゃなくリアルの本がいい。
減薬を急ぎすぎて患者に苦しい思いをさせてしまったこともあるが、総じてどの患者も僕によくついて来てくれたし、彼らの観察を通じて僕も学ぶことが大いにあった。
どうやって減薬していけばいいか、試行錯誤を通じて徐々に自分なりのスタイルができてきたが、決して完成したとは思っていない。今なお発展途上だと思っている。
たとえばちょっと前に、こんな論文の存在を知った。
(https://www.omicsonline.org/peer-reviewed/efficacy-and-safety-of-sansoninto-in-insomnia-with-psychiatric-disorder-an-openlabel-studyp-40749.html)
酸棗仁湯(さんそうにんとう)という漢方薬でベンゾジアゼピン系睡眠薬の使用量が大幅に減らせたという研究。素晴らしい仕事だと思う。
耐えざる知識の更新が医学であって、常に完成がない。医者であるということは、一生勉強やなぁ。
2018.7.21
ミノサイクリンが統合失調症に効く、などと聞くと、ホンマかいなと思うんだけど、確かにそういうエビデンスはあるんだな。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18991666)
抗精神病薬単体投与群に比べて、ミノサイクリンも併用した方が良好なアウトカムが得られたという。
これは突拍子もないことではないと思う。
たとえば抗うつ薬は、抗結核薬の新薬を治験しているときに患者が陽気に踊り出したことから研究開発が進んだ経緯があるように、抗菌薬が何らかの機序で精神疾患に影響を与える可能性は大いにありそうな話である。
すぐ思い浮かぶ機序としては、たとえば腸内細菌叢にアンバランスがあっていわゆる悪玉菌が炎症性物質を作っていることが精神疾患の増悪因子だとすると、抗菌薬によってそこが改善されるのかもしれない。
この仕事は2007年に日本の研究者によって報告されて、その後世界各国で追試され、結果が裏付けられた。
2012年には、同じ研究者が「SSRIにミノサイクリンを併用することでうつ病の治療効果が高まる」ことを報告した。単体投与群よりも併用群のほうで、有意に改善した。
提唱されている機序としては、ミノサイクリンの抗炎症作用である。ミクログリア細胞(小膠細胞)の働きを抑えることによって、脳内の炎症が軽減されるのではないかと考えられている。
安保徹先生によると、脳のグリア細胞も肝臓のクッパー細胞も、要するにマクロファージ由来だから、ミノサイクリンが白血球を介した免疫系の暴走を抑えているのかもしれない。
ミノサイクリンに限らず、テトラサイクリン系の抗生剤には抗炎症作用があって、アトピー性皮膚炎にも効くんじゃないかという話もある。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4910375/)
こういう論文はおもしろいけど、実用的にはあんまり意味がないようにも思う。
甘いものドカ食いしてる統合失調症の患者がいるとして、抗精神病薬とミノサイクリンを併用して、見事、幻覚妄想の陽性症状が消失したとして、さて、それで一件落着と言えるのか。
「症状が軽快しましたね。お薬をやめて様子を見ましょう」とは当然ならない。治癒ではなくて寛解だから、この2種類の投薬は続くことになるだろう。そうだとして、長期的なアウトカムはどうなのか。長く抗生剤を飲み続けるリスクは?
食事含め生活習慣の改善が手付かずだとすれば、結局何も変わらないどころか、長期的には余計ひどいことにならないか。
カスケードの上流を抑える治療ほど、ベターだと思うんだ。
つまり、なるほど、病態の発症機転に炎症が関与しているとして、じゃ、抗炎症薬を投与しましょう、というのでは、火事のところに消防車を送り込むような治療であって、ちっとも根本的じゃない。
そもそも火事を起こさないようにすることのほうが大事なのは明らかで、だからこその食事改善であり、栄養療法なんだ。
2018.7.20
どこ出身だろうがどういう家庭で育とうが、その人の人間としての価値とは無関係だ、というのが現代の当たり障りのない考え方だろうけど、上岡龍太郎は真逆のスタイルだった。
東北なんて人外の土地だと思っていたし、東京出身を鼻にかける人を見れば心底軽蔑した。「東京は田舎者の集まりやろう。生粋の東京人でない人が、東京人ぶってるのが腹が立つ。」そういうことを番組で堂々と言う。
こんなタレントは、今絶対にいない。みんな、自分の好感度を上げるのに必死だからね。
攻撃するのは何も東京だけではない。自分の番組が放送されている関西も攻撃する。「大阪のひったくりは奈良と和歌山から来た奴ら」などというものだから、奈良や和歌山の県議や知事から抗議されたこともある。
自分の出身の京都にも容赦せず、「宇治は京都と認めない」と言った。南の山ばかりの田舎のくせに、平等院があるというだけで都人です、というでかい顔をしている、と。この発言で、宇治市出身のプロデューサーの反感を買い、番組を短期間で降板させられた。
東京に番組を持つようになってからはさすがにそういう露骨な発言はしなくなったけど、基本的にずっとそういう考え方の人だったと思う。というか、彼に限ったことではなくて、京都(特に京都市)出身者には、程度の差はあれ、こういう『京都中心主義』の傾向はあると思う。
ある土地で生まれ育つということは、その土地の言葉や文化、考え方をも吸収するということで、千年の都で生まれ育つということは、いい意味でも悪い意味でも、日本文化のエッセンスの洗礼を受ける、ということかもしれない。
東側に対しては総じて辛口の彼だったけど、西側には別段ノーコメントといった感じで、なぜだろうって思ったら、この人、お母さんは九州出身、お父さんは四国の出身なんだね。それなら悪口も言わんわなぁ。
保身に汲々としているようなタレントばかりのなかで、彼の歯に衣着せぬ物言いは、明らかに光っていた。
見ていて気持ちいいんだな。ズバッと言い切ってくれる爽快感。そして芸人だけあって、シャレも効いている。紳助が師匠と仰いだのもわかるよ。
超能力、占い、霊能力など、非科学的なことが大嫌いな人だった。
オウムによる一連の事件が起こる以前には、視聴率が稼げることからテレビ業界はそういう超能力系の特番をしばしば作ったものだが、上岡龍太郎はそういう風潮に一人、敢然と立ち向かった。
自分の番組にたくさんの占い師を呼んで、いきなりその一人の顔に油性ペンで、×と書いた。「今日、顔に×って書かれると予言できたか?」
占い師は屈辱で顔を真っ赤にして叫んだ。「予言してました!」
別の占い師に、「僕が今からあなたを殴るか殴らないか、わかりますか?」
「上岡さんは常識のある人だから殴らないと思います」
その言葉を聞いた瞬間、「それなら殴る」と殴りつけた。
彼には、霊や超能力など、ありもしないものを持ち出して、人々の不安につけ込んで金を巻き上げている人たちが許せなかった。
この考え方の背景には、彼の子供時代の経験がある。母が乳癌になった。霊媒師や占い師が病床の母に近づき、治りたい一心の弱みにつけこんで、病気の治療と称して多額の金品を奪っていった。結局母は彼が10歳の時に亡くなった。この経験は彼の中でトラウマとなり、非科学的なものに対するいわく言い難い嫌悪感を持つ原因となった。
霊能力者と称する人たちを番組に呼んで、
「霊というものが存在するのなら、なぜバースは広島球場でホームランを打てるのか。おかしいでしょう。原爆で亡くなった怨霊がアメリカ人の活躍を許すなんて、あり得ますか」
と笑いの効いた批判もあれば、
「ここの交差点には交通事故で亡くなったある少年の霊がとり憑いていて、しばしば出没する、と以前番組で霊能力者が言いました。そしたら、なんと、その少年のお母さん、たまたまオンエアを見ていて、以来、その交差点にしょっちゅう行くようになった。なぜだか分かりますか。我が子に会いたいんです。たとえそれが霊であってもいい。霊であってもいいから、我が子に会いたい、その一心で。でももちろん、会えません。いいですか、あなた方が公共の電波を使って垂れ流すデタラメをこんなふうに真に受けて、余計に心を傷つけている人がいるんです」
これはなかなか気持ちの乗った言葉。子供の時に母を亡くした彼には、子供を亡くした母の悲しみが、逆の立場ながらよく分かって、それだけ一層霊能力者が許せない。
「細木数子が幅を利かせているような芸能界には、もう愛想が尽きた」と2000年、芸能界を引退。
以後、公の場にほとんど顔を見せていない。
僕自身は、霊的なこととか超能力の類は信じていないんだけど、そういうのを信じる人は当然いてもいいと思うし、医者目線で言うなら、それを信じることで本当に病気が治るのであれば、大いに活用すればいい。
信じることの力、ってすごく大きくて、EBMで実薬とプラセボ使うのもそれが理由だ。プラセボなのに「よく効く薬だ」と信じて飲んだら、本当に治ってしまう人がいるんよね。
そういう具合に、いわゆる霊能力者の人が、依頼者から信心を引き出して、病気を治したり、人生をいい方向に導くのであれば、それはすばらしいことだと思うんだ。
ただし、そういう信仰の代価として、高額なお布施だとか浄財を払わないといけないとなれば、ちょっとヤバそうだ。
ちなみに、現代人の誰もが信じ込んでいる最強の宗教って何か知っていますか?キリスト教?イスラム教?違います。
それは、現代医学です。
癌ともなれば、高額なお布施と引き換えに、白衣を着た祭司が、メスとか抗癌剤という宗教道具を使って、大真面目な顔して儀式を行います。
そういう儀式から生還する人はごくまれで、多くの方はそのまま人身御供となります。
人間が死んだらどうなるのか知らないけど、仮に死後の生というものがあるとして、あの世の友人らに「いわゆる代替療法をやってたら治ってたのにね。抗癌剤なんか使ったがために寿命縮めちゃったね」って本当のことを言われたら、どう思うだろう。「死んでも死に切れん。あの医者、許せん。化けて出てやる」ってならないのだろうか。
僕の母の癌を担当した先生は、フェラーリの最新型が出るたびに買い替えたり、冬場は南国でバカンスを楽しんだりっていう具合に、人生をこの上なく満喫してるみたいだから、患者の霊に呪われているなんてことはなさそうだ。
ちょっとぐらい霊からお灸据えられたらええねん、って思うんだけど、人間いっぺん死んだら、誰のせいで自分は死んだとか、もうどうでもいいのかもしれないな。原爆の霊にとったらバースがホームラン打とうがどうでもいいように。
2018.7.19
アルコール依存症の人というのは、世間の人が想像している以上に多い。
厚労省の統計によると、ICD-10診断基準によるアルコール依存症者は109万人、アルコール依存症予備軍(AUDIT15点以上)が294万人、多量飲酒者(飲酒する日には純アルコール60g以上)が980万人、リスクの高い飲酒者(1日平均男性で40g以上、女性で20g以上)が1039万人である。
つまり、「診断上、明らかにアルコール依存症ですよ」と言われた人は、ざっと100人に1人。
アルコール依存症になるリスクのある人というのは、2000万人以上、おおよそ6人に1人もいるということだ。
6人に1人ってすごいと思いませんか。家族や親戚の顔を思い浮かべてください。6人ぐらいすぐ思い浮かぶでしょ。そのうち誰かがアルコール依存症になるかも、ってことです。
世間一般の人は「精神的に弱い人とか自制心のない人がなる病気だ」と思っているかもしれないけど、アルコール依存症は決して特殊な病気じゃない。
お酒は全くダメで、一滴も飲まない、という人はさすがにならないけど、そうでもない限り、基本的には僕らの誰しもがなりうる可能性のある病気だ、ということは認識しておくべきだろう。
個人的には、アルコール依存症に対して精神療法やAA(断酒会)はあまり意味がないと思っている。意味が全くない、とは言わない。特に断酒会の場で、自分と同じような症状で苦しんでいる人の言葉は、本人にとって重く響くことだろう。
しかし、「お酒飲んじゃダメですよ」「うん、わかった。頑張ります」的な、ただの言葉で治るほどこの病気は甘くない。
ダメと分かっていても飲んでしまう。仕事を失い、家族がバラバラになり、金銭的にも破滅する、そういうことが分かっていてなおやめられない。
それがこの病気の恐ろしいところなんだ。
酒をやめるためには、意思の力はもちろん要るが、それだけでは治らない。
一時的に我慢できたとしても、いつかスリップ(飲酒再開)するだろう。
アルコール依存症は精神疾患ではなく、内科的疾患だ。(というか、すべての精神疾患は内科的疾患だ。)
だから、AAに通い続けてどんなに内省を深めたところで、栄養状態の改善に取り組まなければ、根本的な回復は見込めない。
「アルコール依存症というのは、ペラグラ(ビタミンB3欠乏症)のことだ」と指摘している論文もある。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24627570)
アルコール依存症にはナイアシン(ビタミンB3)が著効する。これは、プラセボを使った比較試験がたくさんあって、科学的なエビデンスは十分に確立している。
ホッファー先生によると、ナイアシンのサプリがアルコール依存症に有効であることは、患者の臨床経過を見ていれば明らかだった。
しかし、「私がナイアシンを投与した患者は皆、アルコール依存症から見事に回復した」とどれだけ主張したところで、反対派は納得しない。「そんなものはただの症例報告であって、科学ではない」というわけだ。
だから、反対派を黙らせるには、実薬とプラセボを使った比較試験というのがどうしても必要になる。
「実薬(ナイアシン)投与群の何人中何人が回復し、プラセボ投与群の何人中何人が回復した。だから、明らかに実薬が有効でしょ」という具合に証明しないといけない。
ここで、ホッファー先生、頭を抱えた。なぜって、ナイアシンには、ホットフラッシュの副作用があるから。
ナイアシンを初めて飲んだ患者の多くは、顔や首もとがポッと赤くなってしまう。これはナイアシンが末梢でヒスタミンの遊離を促し、血管が拡張することによるもので、実害は特にないんだけど、初めてこれを経験した人は事前にこの副作用が起こり得ることを知らないと、びっくりする。半減期は90分くらいだから、数時間もたてば消えるし、初めて使った時が一番強く出て、その後は段々出なくなる。
そういうわけだから、ナイアシンの有効性を示すためにプラセボ対照二重盲検を行いたいんだけど、実薬(ナイアシン)群にはホットフラッシュの副作用が出るから、患者にも観察者にも、誰がどっちを投与されているのかがばれてしまう。これでは対照試験の意味がない。
悩んでいたホッファー先生のもとに、新しいニュースが入ってきた。ナイアシンアミドのサプリメントが大量生産できるようになった、という知らせだ。
ナイアシンアミドは、ナイアシンの副作用であるホットフラッシュが出ないように修飾されている。これなら二重盲検が可能だということで、ようやく実薬群の有効性を確認できた。
ナイアシンアミドは、ナイアシンの唯一の副作用であるホットフラッシュが出ないのがメリットだけど、ナイアシンより全般的に優れているかというと、実はそうではない。(そうでなければ、ナイアシンのサプリは市場から淘汰され、かわりにナイアシンアミド一色になっているだろう。)
たとえばナイアシンにはコレステロールを適正化する作用があるが、この作用はナイアシンアミドにはない。
コレステロールとか中性脂肪が高い患者には、副作用の多いスタチンよりも、断然ナイアシンがおすすめだ。ナイアシンには副作用どころか、メリットしかない、と言ってもいいぐらいだからね。(ホッファー先生は、ナイアシンの副作用は「長生きしてしまうところ」と言っている。)
それに、ナイアシンのすごいところは、コレステロールが病的に低い人に対しては、コレステロールをむしろ上昇させるところだ。スタチンみたいに、下げる一方、というんじゃないんだ。だから、健康のためにナイアシンをとり続けたとしても、コレステロールが下がりすぎて困る、ということはない。適正値に落ち着くはずだ。
「アルコール依存症に効くことが明らか?じゃあ、何で私は、ナイアシンのことを他の先生から聞いたことがないの?」というのは、当然の疑問だろう。
1973年、APA(アメリカ精神医学会)は、ホッファーの提出したデータを棄却し、精神疾患(アルコール依存症、統合失調症含め)に対するナイアシンによる治療法は承認しない、と表明した。むしろ肝臓への毒性がある、と。
ホッファーは当然反論したが、まともに取り合ってもらえなかった。
有効性を示すエビデンスは無数にある。(google scholarで「niacin schizophrenia」とか「niacin alcoholism treatment」で検索すると、山ほど文献が出てきます。)
でも、公的な治療としては認められていない。
ひどい話だと思いませんか。
ビタミンで病気が治っては困る人たちがいて、彼らは、患者を真に救う治療法は認めない。もちろん背景には、抗精神病薬を売りたい、コレステロール降下薬を売りたい、っていう経済的動機がある。
これってね、患者の皆さん、怒っていいレベルの話なんですよ。
ベターチョイスがあるにもかかわらず、それを使っていないという、医療の不作為なわけだから。
そもそも医者は学校教育でナイアシンが統合失調症やアルコール依存症に効くということを教わっていない。仮に患者から集団訴訟みたいなのを起こされても、悪意による不作為ではないから医者側が負けることはないだろうけど、医者は自分の無知を恥じるべきだとは思う。ネットのあるこの時代、医者よりも患者のほうが自分の病気のことをよく調べてて、医者よりもはるかにビタミンのことに詳しいことも多い。
いい加減、医者のほうが自分で気付かないといけないと思う。自分たちの受けてきた教育は、本当に正しいのか。本当に患者のためになっているのか。
でないと、患者に置いて行かれると思う。