2020.1.5
物理学的には、力は、強い力(核力)、弱い力、電磁気力、重力の4種類ある。
この四つのうち、一番強いのは核力、次に核力の100分の1くらいの電磁気力、それより10桁以上小さいのが弱い力、重力はもっと小さくて電磁気力の10のマイナス40乗ほど。重力は、実質的にはほとんど存在していないくらいに小さい。
こんなに小さいものを、他の力(強い力、弱い力、電磁気力)と等しく位置付けることは、本当に正しいのか。教科書を鵜呑みにしないで自分の頭で考える学者は、疑問を感じている。
そんな学者のひとりに、早坂秀雄がいる。反重力の発見者である。
1950年代に中国の物理学者がこんな実験を行った。コバルト60に上向きの磁場をかけると、コバルト60の原子核のスピンが外部磁場に対して逆向きにそろう。そしてコバルト60の原子核から出てくる電子の流れは、上向きになる。つまり磁界と同じ方向に出ている。
これは衝撃的な研究だった。弱い力のベータ崩壊に際して電子線がどの方向にも確率的に等しく飛び出すはず、というこれまでの考え方が成立しないことを示していたからだ。つまり、弱い力において、パリティ(等価性、対称性)が破れているのだった。
弱い力で左右の対称性が破れているのだから、それよりはるかに小さい重力においても左右の対称性が破れているに違いない。早坂はそう直感した。
『地球に対して垂直な軸で右回転するジャイロスコープでは重量が減少している』
https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.63.2701
「ジャイロスコープ(重量は百数十グラム程度)を上から見て右回転させながら垂直落下させると、回転のスピードに比例して、ジャイロスコープの重量がミリグラム単位で減少している。しかし左回転ではそのような変化は起こらなかった」
実にシンプルな研究だ。しかしこの研究が持つ意味はとてつもないものだった。ニュートン力学でもアインシュタインの相対性理論でも、回転で生じる重力は右回りであれ左回りであれ、等しいとされている。この研究はニュートンとアインシュタイン両方に対して真っ向から疑義を呈するものだった。
なぜ重量の減少が起こるのか。右回転に落下させたときに重さが軽くなったということは、上向きの力が働いたということだ。重力場のねじれによって、真空が励起される。つまり、エネルギー状態がプラスの方向になる。ここから何か未知のエネルギーを取り出せないか。反重力の本質をつかみ、人為的な方法で反重力を発生させることができれば、物体を空間移動させることもできるし、エーテルエネルギーの利用も可能になってくる。石油や原子力に頼らない無尽蔵のエネルギー利用が可能になれば、すばらしい世界が実現するだろう。
こういうことを考える早坂の心の中には、明らかにUFOの残像があった。
昭和32年。まだUFOなどという言葉がなかった頃である。千歳空港の上空に、不思議な飛行物体が浮かんでいるのをは早坂は見た。
何も早坂一人の幻覚ではない。空港関係者や周囲の客たちもそれを見ていた。その物体は10分ほど上空で静止した後、突然ものすごいスピードでどこかへ消え去った。気になって翌日の北海道新聞を読んだところ「未知の飛行物体が千歳に現れた」という記事が出ていた。
早坂は根っからの研究者である。「なぜ、あんなふうに飛べるのだろう」あの物体の飛行原理に思索をめぐらせた。明らかに通常のジェット機やヘリコプターではない。あのように空中の一点に静止する技術は、どこの国にも存在しないはずだ。あれは「飛んでいる」というよりも「重力を消している」のではないだろうか。若い早坂はそのように推測した。
30年後、右回転するジャイロスコープの落下実験でこの推測の正しさを自ら証明することになった。さらに、「反重力の基礎研究」をベースにして、宇宙空間における新しい推進技術の開発に取り組んだ。非常に先進的な取り組みだった。しかし、あくまで個人である。理論を実際の技術として適応するには莫大な資金が必要になるが、国はこの研究の重要性を認識していなかった。つまり、国産UFOを生み出そうとする早坂の夢は、夢のまま終わってしまった。
一方、アメリカは国をあげて反重力の研究に取り組んでいる。
ただ、反重力に気付いたきっかけが、日本の場合と異なっている。日本は、早坂という一人の天才を得たことによるが、アメリカは墜落したUFOの残骸物の分析から反重力を発見した。
リバース・エンジニアリング(物体を分解したり解析することで、その動作原理や製造方法、構成要素などを明らかにすること)によって、UFOの飛行原理がモスコビウム(原子番号115)によって発生する反重力機構であることを突き止めた。もちろん、こうした技術は高度な軍事機密に属することから、一般の学会などで公表されることはない。
いつもこういう感じだなと思う。
日本にもちゃんと天才が出て、革新的なことをやろうとするんだけど、結局いろいろな力学が働いて、ぽしゃる。それでアメリカにやられっぱなし。何とかならないものかな。
参考:『反重力はやはり存在した』(早坂秀雄著)
Bob Lazar: Area 51 & Flying Saucers
2020.1.4
盆と正月には、祖父母と母が眠る須磨寺に行って、坊主にお経を読んでもらう。
きのうも行ってきた。
すばらしい快晴。新年の始まり。そういう日に死者に手を合わせるというのは、しんきくさいかと思いきや、不思議と悪い気はしない。
護摩木に干支、年齢(数え年)、性別、名前を書いて、さらに祈願を書く。
そばの父が「うわ、俺もう68歳か。信じられへんな」とつぶやく。
数え年では、0歳が存在せず、1歳でスタートする。また、何月生まれであっても、元旦でひとつ年をとる。だから「今年の数え年」は、自分の認識より2個年上になる。
それでいうと僕も41歳で、確かに信じられへん感じがする。まだぎりぎり三十代のつもりでいるからね^^;
しかし西洋風の満年齢でいっても、僕は今年40歳になる。平均年齢的には、人生の折り返し地点。つまり僕の人生は、残りあと半分。
僕の人生の前半は、もっぱら自分のためにばかり生きてきたと思う。後半は、社会のために、という意識も持ちたい。
医療といえば西洋医学しかないと思われているこの国で、栄養療法を広めることは、ちょっとした社会貢献にもなっているはずだと信じよう。
ネットで見つけた書き込み。
「2050年は1990年と同じくらいの距離だ」
なるほど確かに。
2050年なんて聞くと、遥かかなたの未来のような感じがするけど、現在と1990年のへだたりと同じ程度なんだな。
今から30年前。
スマホもインターネットもなかったけれど、日本経済は絶好調だった。
これから30年後。
少子高齢化が加速して、日本経済の衰退は止まらない。その少数の若者も、AIに仕事を奪われて、定職を持つ者さえ珍しい。貧困家庭の増加は天井知らず。
そういう具合に、経済的に悲惨な状況になっている可能性はけっこう高い。
でも、それが「不幸な未来」かというと、必ずしもそうじゃないと思うんだな。今周囲を見回しても、お金持ちで不幸せそうな人はいるし、金がなくても幸せそうな人はいるでしょう?
人を真に幸せにするのは、物質的豊かさではなくて精神的豊かさなんだ、ということを実感するいいきっかけになるかもしれない。
坊主の法話を聞いた。
しゃべるのがうまいなと思っていたら、なんと、このお坊さん、自分の法話をユーチューブにアップしているという。つまり、坊主ユーチューバー^^
すごい時代だ。そのうち、お経もネットで配信されたりするのかな^^;
しかし、法話をネットにあげちゃっていいのかな。
レコードが出てきたとき、落語家たちは憤慨した。自分の高座を録音されて、それが人々に広く聞かれてしまっては、同じネタができなくなる。ネタは生き物。ウケるときもあればすべるときもあるし、その場でネタをアレンジすることもある。それが、録音という形で標本みたいに押さえられては、かなわない。
このお坊さんも、いわば自分の持ちネタをネットにさらしているようなものだから、不都合なところもあると思うんだけどね。
坊主ユーチューバーというのも相当違和感あるけど、もっと違和感があるのは、この寺、お布施のネット振り込みにも対応しているんだよね。
なんていうかな、お布施とかお賽銭というのは現金で直接やるからこそ、ありがたみがあるような気がする。お賽銭をメルペイ決済とか、何かすごく嫌だな^^;
盆と正月に直接寺に出向いて、お経やら法話やらを生で聞くことに意味があると思う。
ネット配信とかネット振り込み対応とか、あんまり興ざめなことをやらないで欲しいんだけど、2050年にはそういうのが当たり前になっているのかもしれないな。
2019.12.23
冬至が過ぎた。つまり、夜の最も長い日は終わり、これからどんどん日が長くなっていく。しかし寒さのピークはまだまだこれからだ。
このズレには、毎年妙な感じがする。日照時間の長短と気温の寒暖が、そのまま直結しているわけではなく、タイムラグでピークがくる、このズレ。
もちろん、科学的な理由は充分理解できる。
太陽から受けるエネルギーによって温度が変化していて、そのエネルギーが最大になるのが夏至、最小になるのが冬至。しかしそのエネルギーの多寡の影響が出るのに、1か月ほどかかるから、というのがズレの生じる理由だ。夏至のあとに大暑がきて、冬至のあとに大寒がくる。実に、筋が通っている。
でも感覚としては、なかなか腑に落ちない。だって、今日から毎日、日照時間がどんどん長くなっていくのに、温度のほうはどんどん下がっていくんだよ?太陽というエネルギーの象徴が、空に君臨する時間がどんどん長くなるのに、その影響力の指標である温度がどんどん下がっていく。何か奇妙な感じがするじゃない。
現象のピークとその影響力のピークのズレ、というのは、あちこちにあるような気がしている。
たとえば、母が死んだ。僕のすぐそばで。事態がよく飲み込めなかった。いや、僕は一応医者だから、心停止、呼吸停止、瞳孔の散大という死の三兆を満たしたことがわかった。その場にいた僕は、父よりも姉よりも冷静で、すぐに主治医を呼ぶように指示した。しかし、理解と納得は違う。
僕をおなかの中で育て、生まれてからは抱っこしたりご飯を作ってくれたりした人が、もうこの世にはいないのだということを受け入れること。これは、死の三兆を確認することとは違う。
ちゃんと悲しんで、涙を流して、そして受け入れて、また立ち上がる。時間差があるのは当然だろう。
精神科というのは、こういう時間差を経て訪れる衝撃を、うまく処理することができなかった人を診る科だともいえる。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)はその最たるものだろう。ショッキングな体験をうまく消化することができず、延々尾を引いている。
うつ病は過去にとらわれ、不安神経症は未来にとらわれている。共通するのは「今、ここ」を生きることができていない、ということだ。
こうした病態に対して、禅やマインドフルネスによってアプローチする方法がある。呼吸に意識を向けることで、他でもない、「今、ここ」を感じる。普段当たり前にしている呼吸を数えているうちに、過去や未来への執着がいつのまにか消えている。
おもしろい治療法だと思うけど、当院ではやっていません^^;
そう、寒さのピークはこれからで、風邪やインフルエンザのシーズンもこれからだ。受験生は絶対に風邪をひきたくない時期だし、受験生を抱える家族もそうだろう。
個人的には「インフルエンザワクチンを打っておこう」というスタンスは推奨しない。こういうときこそ、栄養療法ですぞ。
『風邪に対するセルフケア~三つの免疫相互作用群(身体的バリア、先天免疫、適応免疫)におけるビタミンD、C、亜鉛、エキナセアの重要な役割』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5949172/
「通常の健康な免疫防御系を維持できれば、風邪の発症率、症状の重篤さ、持続期間を軽減することができる。身体的バリアと生得免疫、適応免疫が風邪エピソードに関わっている。ビタミンC、D、亜鉛、エキナセアには、これらの免疫系バリアに対する有効性のエビデンスがある。このレビューは82の研究について、免疫群におけるこれらの栄養素の役割を考察した。ビタミンCについて、毎日サプリ(1日1~2g)をとると風邪の罹病期間が短縮(成人で8%、小児で14%)し、重症度も軽減することが示されている。
亜鉛について、サプリによって風邪の罹病期間を33%短縮できる可能性がある。すでに風邪を引いた場合、発症から24時間以内に亜鉛を服用するとよい。
ビタミンDに関して、サプリによって風邪全般に効果があった。ビタミンD欠乏の患者で普段全然Dを摂取していない人では、一番著明な効果があった。エキナセアについて、エキナセア抽出物(1日2400㎎)を4か月以上にわたって服用している人では予防・治療効果があった。結論として、亜鉛、ビタミンD、C、エキナセアは有効性を示すエビデンスがあるため、予防および治療のためにこれらを服用するとよい」
レビューだからエビデンスレベルは高い。
ちなみに、エキナセアはなじみのない人もいるかもしれない。
北米インディアンがハーブとして重宝していたことで有名だ。サプリとして誰でも買えるから、興味のある人は試してみるといい。
花としてもきれいだからガーデニングでも人気の植物で、ホームセンターなんかでも苗木が売られている。
僕の母は花の好きな人で、実家の庭にもエキナセアが植えてあった。エキナセアの医学的な実用性についてはまったく知らず、単純にきれいだから育てていたようだ。もともと雑草みたいにタフな植物だから、誰も庭を世話しない今でも、季節になると花が咲く。
植えた人がもうこの世にいないのに、その人が愛でていた花が毎年咲くというのは、何か不思議な感じがする。
こういうパターンのタイムラグもあるんよねぇ。
2019.12.23
統計によると、男性の平均寿命が最も長いのは長野県(79.84歳)、逆に最も短いのは青森県(76.27歳)である(平成17年厚労省調査)。
奇しくも、トップと最下位がいずれも”リンゴ県”となった。
リンゴの消費量は両県ともに高いから、「リンゴが赤くなると医者が青くなる」「1日1個のリンゴで医者要らず」という格言は必ずしも真ではないようだ。
人生の一時期を長野県で過ごしていたから、長野のことはまんざら知らないでもない。
この統計を見て直感的に思った。温泉のおかげじゃないの?
松本市に住んでいたけど、市内だけでもあちこちに源泉かけ流しの天然温泉があった。それが確か、300円くらいで入れたと思う。すぐ近所にあったから、毎日のように通っていた。今思えば、ずいぶんぜいたくなことだったなぁ。
寒い冬には温泉がものすごくありがたかった。市も温泉の健康への効用を意識しているようで、高齢者に対しては格安で利用できるチケットを配布していた。
そういう経験からすると、長野県民の健康を下支えし長寿をもたらしているのは、温泉のおかげのような気がする。
しかし、青森のほうから反論の声が聞こえる。
「温泉が名物ということでは、青森も引けを取らない。酸ヶ湯温泉、浅虫温泉、古牧温泉など、名湯が無数にある。特に酸ヶ湯温泉には末期癌で医者から見放された患者が県外からも数多く訪れる。もちろん、地元の人も温泉を楽しんでいる。温泉の恩恵に浴しているという点では、長野も青森も違いはない」
酸ヶ湯温泉は僕も行ったことがあるけど、本当に気持ちよかったな。
なるほど、どちらの県民も温泉の効用を享受しているのであれば、そこが原因ではなさそうだ。厳密には、県民1人あたり週に何回温泉に行くかを数字で出さないとちゃんとした比較にはならないんだけど、まぁ温泉については引き分けとしよう。
ある研究者は、長野県の長寿の原因として、寒暖差を挙げている。
「長野市、松本市、いずれも盆地で、一日の気温変動が激しい。ミトコンドリアは寒冷刺激によって活性化することが知られているが、冬の寒さはもちろん、あたたかい季節の急な温度低下など、皮膚への適度な寒冷刺激が好ましい効果を生み出しているのではないか。また、一日の激しい寒暖差のもとで育った野菜は、一定温度の室内栽培よりもフィトケミカルの含有量がはるかに多い。つまり、長野県民は他県民よりも抗酸化作用の強い野菜を食べているおかげで、寿命が長いのではないか」
これは同じことが青森にも言えると思う。青森は本州最北端の寒冷地であり、寒冷刺激としては充分。それに一次産業が盛んな農業県でもあるから、この点も長野と同じ。
でも、一方は長寿、一方は短命。だから分析の説得力は乏しいね。
長野県の標高を指摘する声もある。
「長野県はアルプスのすきまの盆地に細々と人間が暮らしているようなところで、市街地でもだいたい標高300メートルくらいの高度である。つまり、気圧が低い。すると肺胞内の酸素分圧も低くなり、血中酸素濃度も低下する。すると、細胞への酸素供給量も低下することになる。この状況に対して、ミトコンドリアは少ない酸素で効率的にエネルギーを産生せざるを得ない状況に追い込まれ、結果、活性が上がる。つまり、長野県民のミトコンドリア活性は他県(標高の低い土地に住む県民)よりも高いはずで、これが長寿の核心ではないか」
なるほど、説得力を感じる。理屈としてはマラソン選手の高地トレーニングと同じことだ。
しかし、あえて反論しようと思えば、できなくもない。
「沖縄県を見よ。沖縄は土地の成り立ちから言って、島自体、サンゴの巨大なカタマリのようなもので、つまり、ほとんど海抜ゼロメートル。長野県の標高300メートルとは比較にならない。しかしかつて男性の長寿日本一は沖縄県だった。さらに言うと、たとえば昭和40年の長野県男性の平均寿命は9位(68.45歳)と、ぱっとしない。高地トレーニングの効果は疑問だね」
結論:長野県の長寿日本一の理由は、よくわかりません笑
ただ、以下の論文によると「高地に住んでいる人ほど癌になりにくい」ということは言えそうなんだ。
『高地と癌死亡率』
https://www.liebertpub.com/doi/full/10.1089/ham.2017.0061
要約
「高地に住む人は、慢性的に低酸素にさらされている。この永続的な低酸素状態にもかかわらず、高地在住者ではすべての癌の死亡率が低下している。
高地で低酸素に適応しようとする生理的プロセスが、癌死亡率を減少させる駆動力になっている可能性がある。本レビューでは、疫学研究および動物実験を要約し、低地在住者と高地在住者、低酸素状態と普通の酸素状態の違いが、癌発生率と癌死亡率にそれぞれどのような影響を与えるのかを比較した。
高地での癌死亡率減少に寄与しているのは、酸素に無関係な機序によるものか酸素依存性の機序によるものかを考察した。低酸素によって誘導される因子だけでなく、活性酸素種とその除去は、特にポイントであり、高地での癌死亡率の低下に関連している可能性がある。さらに、腫瘍発生(つまり、免疫系による腫瘍の監視)への影響も考察した。
高地でなぜ癌死亡率が低下するのか、また、高地への転地や低酸素状態にする治療アプローチによって癌を抑制できるのか、動物実験や臨床研究ではいまだ説明できていない。しかし少なくとも、高地に住むことによって複数の適応メカニズム(酸素独立性も酸素依存性も)が活性化することがわかっている。このメカニズムには共通の経路もあれば、互いに拮抗するような経路もあって、そのせいで、高地に住むことによる腫瘍抑制のメカニズムを特定することが困難になっている」
要約を読んでも、いまいち煮え切らない感じで、これは要するに、研究者も答えが出てないんだ。現象として「高地に住んでいる人には癌が少ない」ということは言える。ただ、そのメカニズムがよくわからない。
本来、低酸素は体にとって好ましくない。しかし「何らか」の適応をすることで、低酸素血症を起こすどころか、癌にかかりにくくなるというオマケまでついてくる。しかしこの「何らか」が何なのか、それはわかりません、という論文。
こんな単純なこともわからないんだから、医学はまだまだ発展途上なんだな。
2019.12.22
ペータ・コーエン博士の発見について紹介した。
博士の説をおおざっぱにまとめると、
ワクチン接種など→体内に重金属流入→腸内でバイオフィルム形成→慢性感染症→各種神経疾患
という流れで、自閉症を始め様々な病気の背景にバイオフィルムがある、というのが主張の骨子。
一見すると、バイオフィルムを形成する細菌がたいへんな悪役のように見えるけど、必ずしもそうではないと思う。ワクチン接種などで体内に不必要に水銀を入れる愚行であったり、重金属を体内に取り込む生活習慣(食生活など)こそが根本的な原因だろう。
体内に重金属が入ってくることは、体にとって一大事である。それが心臓や脳の細胞に直接取り込まれたら、致死的な事態にもなりかねない。宿主に死なれることは、寄生している細菌たちにとっても困るんだ。そこで細菌たちは、それらの重金属をバイオフィルムの構成材料として取り込む。こうすることで重金属の拡散を少しでもとどめようとする。慢性的な感染症として自閉症や統合失調症になってしまうかもしれないが、宿主に急死されるよりはマシである。こういうふうに考えれば、バイオフィルムの形成は、むしろ細菌の慈悲深い献身だとさえ解釈できる。
だから、根本は、そもそも重金属を取り込まない生活習慣を意識することである。
バイオフィルムが形成され、不幸にも何らかの症状が出たら、コーエン博士が提唱するバイオフィルム溶解プログラムに取り組めばいい。
ナットウキナーゼやルンブロキナーゼ(個人的には、ここにさらにセラペプターゼをたすともっと効くと感じている)でバイオフィルムのセメント(フィブリン塊)を溶かし、さらに、コーエン博士オススメの”抗菌ブレンド”を追加する。
秘伝として独占すれば一儲けできただろうに、ブレンドの手の内をすべて明かしてくれるのだから、まったく博士には頭が下がる。
ざっと再掲しよう。
「ベルベリン(黄檗や黄蓮に含まれる成分)、アルテミシニン(よもぎに含まれる成分)、柑橘類種子抽出物、黒クルミの外皮、よもぎ、エキナセア、ゴールデンシール(ヒドラスチスの成分)、ゲンチアナ(リンドウ)、ティーツリーオイル、カラクサケマン、ガルバナムオイル、オレガノオイル、ニーム」
さらに、”吸収剤”として、
「キトサン、柑橘類ペクチン、特製の重炭酸塩、有機ゲルマニウム、クロレラ」
これら、挙げられている個々の成分は、生理学的にはそれぞれの作用機序があるだろう。
ベルベリンは漢方薬(オウバク、オウレン)の成分として古代中国の時代から用いられてきたし、よもぎは日本で民間療法として、エキナセアは北米インディアンが、ティーツリーはオーストラリアのアボリジニーが、伝統的に使ってきた。どの成分一つとっても、単純に、「体にいい」と言われているものである。
しかしこうした成分の共通項として、腸内でバイオフィルムの溶解を促進する作用があるというのは、切り口としておもしろい。
古来から使われてきた様々なハーブに加えて、最近の科学者の努力が生み出した成分(美原博士のルンブロキナーゼ、須見博士のナットウキナーゼ、浅井博士の有機ゲルマニウムなど)をも合わせて、つまり、古今の人類の知恵の集大成で以て、バイオフィルムとの総力戦に立ち向かっているようだ。
個人的には、EDTAといえば何となく点滴のイメージがあるが、サプリメントとしても利用できるから、興味のある人は検索してみるといい。
医者にとってのきつい記憶は、自分を頼ってきてくれたのに、治せなかった患者のことである。
ある強迫性障害の男性が来院した。持てる限りの知恵をしぼって、様々なビタミンやミネラルを試した。症状はほとんど軽快せず、数回来院した後、失望して来なくなった。
オーソモレキュラー栄養療法は、万能ではない。メガビタミンをいれても、糖質制限をしても、高タンパク食をしても、効かない人には効かない。「打率10割。どんな患者でも治します」なんて栄養療法実践医は、いないんじゃないかな。
強迫性障害の背景に腸内でのバイオフィルム形成があって、そのせいでどんな栄養素をいれても効かなかったのではないか?まず行うべきは、バイオフィルムを意識した治療プログラムではなかったか?
去って行った患者は僕の心に苦みを残していくが、「次同じような主訴の患者が来たときには、今度こそ」の教訓もくれる。
結局、苦い経験を次に生かしていくしかないんだよね。