院長ブログ

真菌、コレステロール、癌25

2020.3.9

マージャンで勝つコツは、いかに大きな役を上がるか、ではない。
それは、「振り込まないこと」である。
自分の手を作ることも大事だが、それ以上に、相手に手を作らせてはいけない。
マージャンは4人でプレーする。だから、自分が上がる確率は、ざっと4分の1だ(流れることも多いけどね)。
たったの25%、である。全然高くない。
だから、基本、マージャンというのは、「上がれないものなんだ」と認識しておかないといけない。
もちろん攻めの姿勢は重要で、それが根幹ではある。しかし、まずマスターすべきは、降り方のほう。
いかに相手に振り込まず、かつ、自分の手作りもおろそかにせず、回し打ちするか。
誤解されがちだが、マージャンの強い人は、「デカい手をよく上がる人」ではない。確率的にいって、幸運な配牌やツモに恵まれ続けるはずがない。
基本は、苦しい状況をしのぐ防御である。かつ同時に、一方的に殻に閉じこもるわけではなく、ここぞというときには激しく攻める。
その使い分けが、マージャンのうまさなんだな。

このあたりの呼吸は、将棋も似ている。
プロの棋譜を見ていると、玉の守りをおろそかにしている棋士はいない。
美濃囲いや船囲いで玉を固めてから、攻め始める。ときには居玉で殴り合うような将棋もあるが、例外的だ。
もちろん、棋士には個性がある。攻め主体の棋風の人もいれば、受け将棋が持ち味の人もいる。
「相手の玉を詰ませるのが将棋なのだから、受けてばかりでは勝てないのでは?」と思うかもしれないが、もちろん全く攻めないわけではない。
相手の攻めを受けきってから(これを「受け潰す」という)、じっくり反撃に転ずる、というスタイルがあって、やられてみるとけっこう厄介なんだ。

ギャンブルには人生の縮図のようなところがある。
マージャンや将棋から人生に生かせる教訓があるとすれば、そのひとつは、攻めと守りのバランスだろう。(※マージャンも将棋も、リアルのお金を賭けてはいけません^^)
金をかせぐこと(攻め)も重要だが、ムダな出費を抑えること(守り)も重要だ。
健康についても、同様のことが言える。
体にいい健康食材を積極的に食べること(攻め)も重要だが、そもそも体に悪いものを口にしないこと(守り)のほうが、はるかに重要だったりする。
近年ブームの高タンパク食では肉を食べまくり、ベジタリアンでは野菜を食べまくり、オーソモレキュラーでサプリを飲みまくり、という食事法(「何を食うべきか」)がある一方、逆に、糖質制限、グルテンフリー、果ては断食など、忌避を主体とした食事スタイル(「何を食わざるべきか」)もある。
極端に徹すればチンイツや国士無双ができるように、状況によってはバランス派よりも極端派のほうが成果をあげることもあるだろう。

食事に関して、個々人の体質の違いがあることは当然だが、それでも、健康という目標を達成する上で万人に有効な戦略があると、個人的には思っている。
それは、まず、砂糖をはじめとする精製糖質と小麦(有機全粒粉も含め)を摂らないことである。
複合炭水化物(果物、サツマイモなど)も含めた一切の糖質を摂らない「断糖」スタイルは、low T3症候群が起こる可能性があって、さすがに極端すぎる。ときどき適量の米を食ったからといって、バチは当たらないよ。
小麦については、数十年前にロックフェラー財団が大幅な品種改良によりパンコムギを作ったが、今やこれが世界に流通する小麦の99%を占めている。以後、グルテン不耐症など、腸・免疫系機能の破綻に由来する疾患が激増した。もはや小麦の品種自体がアウトなのだから、有機であれ何であれ、基本、「もう小麦は食えない」と諦めることだ(実は、古代種のヒトツブコムギやフタツブコムギなら問題ないが、ほとんど手に入らない)。
実際、小麦を食べないという、ただそれだけのことで、多くの身体不調が改善する。小麦断ちは、一生心がける食事スタイルとして、採用する価値は充分ある。
子供たちが毎日給食で半強制的にパンと牛乳を食べさせられているけど、あれはどうにかならないものかな。

多くの先生が、それぞれの立場から牛乳の危険性を唱えている。
疫学(癌などの慢性疾患の発症率が上昇)、内分泌系(ホルモンバランスの異常をきたし性腺(前立腺、卵巣、乳房)の癌が増加、骨粗鬆症の増加)、食育(「給食でごはんのときも牛乳を飲ませるのは、食事のセンスとしてどうなのか?」)など、どれも一理ある。

James Yoseph氏の主張は、「穀物と牛乳はカビ毒汚染の最大のリスク食材」というもので、この着眼もおもしろい。
「穀物(トウモロコシ、小麦、ナッツなど)にカビ毒(fumonisin、penetrem、territrem)が含まれていることは珍しいことではなく、それどころか極めてありふれたことである。
特に飼料を大量に食べる家畜ではマイコトキシコーシス(真菌中毒症)の罹患率が高く、そうした畜牛のミルクが体に悪影響を及ぼすのは当然のことである」

そう、同氏が提唱する健康法は、まず、「攻撃よりも防御」である。つまり、何かを摂取して治療に努めよう、というよりも、毒物を摂取しないことである。
忌避すべきマイコトキシン毒物源として、彼は以下の5つを挙げている。
1.マイコトキシン(カビ毒)に汚染された食材および建物
2.薬
3.職業曝露
4.血液の酸性pH(特にコーラなどの炭酸清涼飲料)
5.過剰なアルコール

長くなったので、これらの毒物源についての説明は、次回にしよう。

参考
“Proof for the cancer-fungus connection”(James Yoseph著)

国語2

2020.3.7

紳士の実感がこもったグチを聞いた。
ゆとり世代の部下の能力があまりに低いことにうんざりして、その反動として、逆に学歴の重要性を認識された、という。
紳士ご自身は自分の学歴の低さをどこかコンプレックスに思っているふしがあったが、話を聞いていて、ジアタマのよさが伝わってきた。
真剣なグチなんだけど、どこかユーモアを含んだしゃべりで、聞いているこちらとしては、笑いながら相槌を打つ。グチを聞かされている、という不快感はない。
勉強という枠組みでは必ずしも力を発揮せず、代わりにトークやユーモアセンスで才能を感じさせる人がいるものだが、紳士はまさにそういう人だった。

飲み屋のバカ話なので総じて笑いながら流したけれど、紳士の話に内心異議を唱えたいところもないわけではなかった。
紳士は「一周回って、やっぱり学歴大事」という認識に至ったが、僕は「勉強ができるのに無能」という人をけっこう見てきた。学校秀才っていうのかな。学校の勉強ができるっていう、ただそれだけの人。応用力がないし、人間的におもしろくもない人。
そういう人を見ていると、どこかの教育評論家がいう「学歴ではなくて、人間の内容こそ大事」という意見も捨てがたいと思う。

学校のテストというのは、作問者がいる。そういう「誰かの枠組み」のなかでいい成績を目指して競い合うのが学歴社会で、それはそれで、ちょっとした知的トレーニングにはなるのかもしれない。でも世の中の問題には、「答えのない問題」のほうがはるかに多い。
学校で学ぶのは、あくまで基本にすぎず、金科玉条のように押し頂くようなものではない。学校で学んだ知識なんて、リアル社会ではいまいち使えないことが多いもので、個々具体的な状況にどう対処していくかは、自分で知恵をしぼって考えていくしかない。
結局、守破離なんだな。いろいろ試行錯誤して、自分なりのスタイルを作って飛躍していけるかどうか、そこがポイントだと思う。
いうて、僕も全然できてないけどね^^;

個人的には、国語はずっと苦手だった。成績は別にして、国語という科目に得意意識が持てなかった。中学の頃からそうだし、高校でもそう。
得点能力は悪くなかった。センター試験の国語とか、ほぼ満点だった。でも、得点能力と得意意識は、僕の場合、ほとんど相関していない。その点、数学は好きだし、成績もよかったんだけど。国語に関しては、ついに自信を持てないまま、学校教育を終了してしまった。
「あんなにたくさんブログで文章書いてるのに、国語が苦手なんて、嘘やろ」と言われるけど、本当。「筆者の言いたいこと」を客観的に読み取るのではなくて、思いっきり自分に引き寄せて、自分のまな板の上に乗っけてから解釈する、みたいなところがある。誰よりも深く理解したつもりでも、試験問題という形になると、正しい選択肢を選べなかったりする。そういうのが嫌で、得意意識が持てないんだと思う。

森毅先生が、何かのエッセーで書いてた。
どこかの高校の国語の入試問題で自分の文章が使われた。その問題を解いてみたところ、ほぼ全問正解だったが、唯一、最後の一問(「傍線部について、筆者の意図に最も近い選択肢を次の中から選べ」)だけ、間違えた。解答・解説集を読んで、納得した。「なるほど、俺はこういうことが言いたかったのか」と。
すごい話だと思わない?筆者でも満点とれないんだよ?^^;
でも国語という科目は、こういうものなんだと思う。著者の意向を超えたところで展開される忖度合戦、みたいなところがある。評論文ならまだしも、詩となれば、作問者の解釈次第で解答が揺れることはざらにあるだろう。
谷川俊太郎はこういう状況に業を煮やして、学習塾大手(希学園とSAPIX)を訴えた。
『作品、勝手に受験問題集に 谷川俊太郎さんら提訴』
https://blog.goo.ne.jp/kuyan2/e/a7d718fd1c531f38b352c2e1535ac0d5
受験業界関係者のなかには「自分の作品が模試や入試で使われ、多くの学生に読まれることは著者にとって名誉なことだろう」と考える人さえいるが、とんだ思い違いである。
自分の詩を、勝手に一部空欄にされたり、横に傍線引かれたり、「作者の気持ちとして正しいものはどれか、選べ」とか、勝手に気持ちを推測されたり。作者に対して、失礼極まりないことだと思う。
ただ、この一件以後、谷川俊太郎は受験業界から「要注意人物」としてマークされ、彼の詩が受験に出ることはぱったりなくなったという。
これは、谷川さんにとって、よしわるしじゃないかな。僕が谷川俊太郎の詩を知ったのは、塾の国語の問題集を通じてだった。「なんてきれいな言葉を書く人だろう」と思って、そこから彼の詩集を手に取った。今後、受験問題集をきっかけにして谷川俊太郎の魅力に気付く人はいなくなったわけで、それはそれで寂しいことじゃないかな。

国語1

2020.3.7

飲み屋で隣り合った紳士。職場でかなりのストレスがたまっているようで、ビールをあおるピッチも早い。
「はっきり言うが、俺は大した学歴じゃないよ。一応四年制大学だが、誇って名前を出せるような大学じゃない。特に先生みたいなお医者さんの前ではね。
学歴のない俺だが、それでも、学歴は重要だと思う。
よく教育評論家みたいなのが言うだろう。『学歴ではない。企業側は人間の内容を見て採用すべきだ』とか。
違う。まったく現場をわかっていない暴論だよ。
うちの会社の人事にも、『人格重視。学歴は問わない』みたいなスタイルの人がいて、それで何度失敗したことか。一回採用してしまったら、たとえ無能な奴でもなかなか首にできないんだよ。
だから俺は人事には口を酸っぱくして言ってる。
『まず、Fラン大学ははずせ。産近甲龍も要注意。あとAO入試かどうか、入学の仕方もよく見ておけ。出身高校も注意。地元の二番手三番手の公立高校出身者はリスク因子。一見優秀そうな関関同立にも時々ハズレがあるから、注意しておけ』と。
立命館の教授に知り合いがいるんだが、嘆いていたよ。AO入試で入る学生がどんどん増えてきて、ついには6割もAO入試からとるようになった結果、学生の質が、もう、目も覆いたくなるくらいに低下した、と。ろくに勉強せずに大学に入って、大学でもフラフラ過ごし、立命館っていう学歴だけ笠に着て就職する。でも会社は、採用してからそいつの無能さに気付く。
あまりにもそういうバカ学生が多いものだから、企業側もついに懲りた。採用試験で『大学には普通の筆記試験で合格しましたか?AO入試で合格しましたか?』と聞くようになった。AOはずしだよ。

先生、いくつ?40?じゃあ、ゆとりじゃないだろ。
先生よりもっと下の世代はさ、ゆとり世代ど真ん中。大学全入時代で、たいした勉強もせずに大学に入学して、テキトーに学生生活を過ごしている。
びっくりするほど無能なのがいるんだよ、本当に。
ある新卒に指示したんだよ。『取引先が相場の2割引き以上で受注してくれるなら、その仕事、取ってこい』って。そしたら、そいつ、2割の意味が分からなかった。

え、信じられないって?そう。俺も最初、信じられなかった。2割の意味がわからないっていう、そのこと自体がよくわからなかった。
『分数ができない大学生』という本があるが、あれは本当だよ。漢字の読み書きが全然できなくて、契約書もろくに交わせない、っていう奴もいたな。

学歴社会を批判する人がよく言うだろう。『二次方程式の解の公式なんて世の中に出て使ったことは一回もない。因数分解なんて何の役にも立たない』とか。
なるほど、確かにそうだろう。うちの業界の営業職で、数学を使うことは少ないかもしれない。でも、算数は絶対に要る。
うちとしては、ときどき出くわすそういうジョーカーみたいな無能を引くリスクを抱えたくないんだ。『学歴よりも個性重視』みたいなのが世間の風潮だが、俺は断固として、学歴は重視したい。だから人事に必ず言っている。学歴は見ろ、と。
数学ができる奴なら、算数でつまづいていることはないだろう。入社試験でそれなりの文章が書ける奴なら、契約書も読めないなんてことはないだろう。そういう具合に、”最低限”の基本がある人間が欲しいんだ。多くは求めない。せめて、算数と国語ができる。それだけでいい。
もちろん優秀ならそれに越したことはないが、採用において一番大事なのは、”ジョーカー”をひかないこと。これに尽きる。
人事部はもっと責任感を持って選考して欲しい。新卒が入社後に”ジョーカー”だと判明したとするだろう。今ね、その新卒を採用した人事担当者を減給とか何らかのペナルティーを課せないか、真剣に考えている。当然その逆があってもいい。優秀な新卒を見出した担当者には、ボーナスにちょっと反映してやるとかね。

この試験を見てみなよ。君なら何点とれる?

数学というか、算数に毛の生えた程度の問題だ。1個2個の計算ミスは大目に見るが、基本、みんな満点をとる。
しかし今うちの現場で扱いに困っている社員は、この試験で、なんと、4点だった。
もうね、そういう学生は問答無用で不採用にしないといけない。無能な新人が来て一番割りを食うのは、現場なんだ。
数学とか国語ができるというのは、単にそれだけじゃない。頭がいいし、能力が高い、ということだと俺は思っている。学歴は、やはり、重要だ」

真菌、コレステロール、癌24

2020.3.7

以前載せた画像を再掲する。

この図の語るところは多い。
癌細胞は、スタチンのせいであれ何であれ、メバロン酸の合成経路が破綻している。メバロン酸が作れないから、以下のカスケードの産物(イソプレノイド、コレステロールなど)も作れない。
このような状況下では、細胞は健全な機能を維持するために、イソプレノイドを猛烈に求めている。イソプレノイドを得ようとして、リダクターゼを作りまくる。この作り過ぎたリダクターゼが細胞内のゴミとなって、細胞機能はますます異常をきたす。
つまり、「イソプレノイド飢餓」を解消しようとする試みが空回りし、「リダクターゼ毒性」にやられる、というのが根本にある病態生理である。
イソプレノイドを投与すると癌抑制効果があるというのは、だから要するに、フィードバックである。
たとえメバロン酸の供給がなくても、ひとまずイソプレノイドさえあれば、細胞は暴走(癌化あるいはアポトーシス)しない。

だから、「スタチンを飲むのなら、せめて毒消しとしてコエンザイムQ10(ユビキノン)も飲んでおけ」ということである。
そもそもスタチンを飲まないことが第一だけどね。

以前のブログで、この論文を紹介した。
『イソプレノイドを介したメバロン酸合成の抑制〜癌への応用の可能性』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10460692
論文中に、以下のような表がある。

様々な癌細胞に対して増殖を抑えるために、どのイソプレノイドをどれくらいの量使えばいいのか、ということを検証した結果をまとめたものである。
一番左の列に各癌細胞のタイプ、その隣の列には各種イソプレノイド。その隣はIC50(半数阻害濃度)、という具合に並んでいる。
上記のイソプレノイドをざっと列挙すると、、、
リモネン、ペリリン酸化合物(ぺリルアルデヒド、ペリリルアルコール、ペリリン酸メチルエステル)、シネオール、ピネン、メントール、ゲラニオール、β-イオノン、トコフェロール(α、γ、δ)。
いろいろあってややこしい、と思われるかもしれないが、それほどでもない。
これらは、「だいたい似たもの同士」と思ってもらってよい。
化学式を持ち出せば化学の苦手な人はウンザリするかもしれないが、構造式で見たほうが統一的に把握できる。

リモネン(柑橘類の果皮に含まれる)もピネン(松などの針葉樹に含まれる。松(pine)から発見されたからpineneなわけだ)もメントール(ハッカに含まれる)も、メンタンから生成される。
上記研究では挙げられていないが、カンファーにも抗癌作用があり、実際ガストン・ネサンの作った免疫強化剤714-Xはクスノキ由来の樟脳(カンファー)から生成されている。いわゆる”カンフル注射”(強心剤として用いられた)のカンフルは、カンファーが語源であることからわかるように、カンファーはかつて医療現場でも使われていた。
ペリリン酸はリモネンとピネンの中間代謝物。癌患者にリモネンを投与すれば、尿中にはペリリン酸として排出される。もちろん、ペリリン酸にも抗癌作用がある。
β-イオノンは、産業的には香料の原料としてよく用いられる。タバコ、茶、ヘナ(髪染めで有名)に多く含まれている。
ゲラニオールは、その名前から予想できるように、ゼラニウムから発見された。バラに似た芳香があり、香水として広く用いられている。

ざっと見て、「トコフェロール(ビタミンE)以外、どれも”いいにおい”じゃないか」ということに気付かれるだろう。
イソプレノイドが総じて”いいにおい”である、ということが、僕にはとてもおもしろい。

「癌細胞は特有のにおいを放っている」という話を聞いたことがありますか?
というか、そもそも、癌に限らず、病気には固有のにおいがある。歯周病が臭いのは当然だし、蓄膿症も特有のにおいがある。糖尿病患者が甘酸っぱい体臭を放つことは有名だろう。他には、肝臓病患者のネズミ臭、腎不全患者のアンモニア臭、痛風患者のビール臭が知られている。
東洋医学では嗅診(においによる病気診断)を行うように、ある種の病気に特徴的なにおいがあることは常識である。
では、癌のにおいとは?
癌が進行すれば、癌細胞の壊死による腐敗臭がするだろうが、初期の癌患者でも尿中に癌の代謝物が排出されている。嗅覚に優れた犬はそのにおいによって癌患者を識別できるという。
『犬は肺癌を嗅ぎ分けられるのか?肺癌疑い患者における呼気と尿を使った検証』
https://www.tandfonline.com/doi/full/10.3109/0284186X.2013.819996
結果、感度99%で肺癌患者を嗅ぎ分けたというのだから、大したものだ。

癌を真菌感染症だとする立場に立てば、癌から腐敗臭がするのはむしろ当然である。
そして、その癌を抑制するイソプレノイドが総じて”いいにおい”であり、まるでその芳香によって腐敗臭に対抗している構図になっている。
イソプレノイドが、”毒消し”であり、同時に”におい消し”にもなっているところが、自然の妙というか、できすぎたくらいによくできた話だなと思う。

参考
“Proof for the cancer-fungus connection”(James Yoseph著)

2020.3.7

犬が欲しい。
ふと気が付くと、ユーチューブで犬の動画を見ている。
『犬の遊ばせ方』とか『犬とのコミュニケーションのとり方』とか、まるで、すでに犬を飼っている目線で見ている。我ながらヤバいなぁ^^;

こういうときの僕は、多分、人に疲れている。
別に誰かに手ひどく裏切られたとか、ショックなことがあったとか、そういうわけじゃない。
ただ、何となく、犬のピュアさ、人間に対する、疑うことを一切知らない完全な忠実さに、ものすごく憧れたりする。
そういう関係性を、誰か(人でなくてもいい)と築けたら、どれほど素敵なことだろう。
そういう思いで、犬の動画を延々見ている。

現実的には、飼えない。
そもそも、今住んでるところがペット禁止っていうね´Д`
仮にペット可のところに引っ越したとしても、仕事が忙しい。勤務時間が終わっても、ブログだ何だと、いろいろ書いている。
勤務時間のほうは始まりと終わりがきっちり決まっているが、ブログだ何だのほうは、半ば趣味である。書くべきことは、ほとんど無限にある。それだけに、時間をどれだけつぎ込んでも終わりがない。
しかしそういうことに打ち込んでいては、犬の相手をする時間なんて、とてもない。
子犬を飼うとなれば、あちこちにおしっこするだろうから、掃除もしないとけない。散歩はもちろん、遊び相手にもなってあげないといけない。
犬のために時間をとられ、ブログの更新は停滞するだろう。
「時間をとられる」などと思っている時点で、僕には犬を飼う資格がないのだろう。
犬に限らず動物を飼うということは、その命に対して責任を持つということだから、そのときの気分だけで飼うことはできない。

子犬のうちはともかく、3才くらいになってある程度落ち着いてくれば、犬を診察室にいれてやるのもありかもしれない。
これは僕のアイデアではない。フロイトが実践していたことである。

フロイトが患者の診察に際して、愛犬(チャウチャウ犬の「ジョフィ」)を同席させていたことは有名である。
この事実で以て「フロイトは世界で初めて、犬をセラピードッグとして用いた」とする向きもあるが、意味合いがちょっと違う。
フロイトは「犬には人の気持ちを察する能力がある」と考えていた。診察時、ジョフィが患者のそばで座っているときは患者がリラックスしている合図、ジョフィが診察室の床に寝そべっているときは患者がナーバスになっている合図、診察を終わらせるタイミングはジョフィが伸びをするとき、という具合に、診察を進めるヒントとしてジョフィの仕草を参考にしていたという。
犬の賢さを実臨床でリアルに利用していたのであって、治療的な効果を意図していたわけではないようだ。
でも僕が患者の立場なら、診察室に犬がいたら、それだけで何だか気分がやわらぐ感じがすると思う。

そう、犬や猫などの動物と触れ合うことによって、何らかの”癒し”を感じる人は多い。
これは錯覚なのだろうか。それとも、医学的な裏付けがあるのだろうか。
AAT(animal assisted therapy;動物介在療法)の有効性については、すでに多くのエビデンスがある。
たとえばこういう論文。
『動物介在療法(AAT)~メタ分析』
https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.2752/089279307X224773
AATの有効性を調べた250の論文のうち、質の高い49の研究を選び、メタ分析したところ、以下の4領域(自閉症スペクトラムの症状、医学で対処困難な症状、行動障害、情緒的健全性)において中程度の有効性があった、とのこと。
さらにこんな論文。
『動物介在療法~それは魔法なのか、医学なのか』
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0022399900001835
動物介在療法が効くのかどうか、生理学的に客観的な指標で確認したい、ということで、人(n=18)と犬(n=18)の触れ合いの前後で、血圧低下に関連する神経化学物質を6種類測定した。結果、注意喚起に関連する神経化学物質が人、犬両方で有意に増加していた。
「注意喚起に関する神経化学物質(neurochemicals involved with attention-seeking)」というのが何なのか謎だけど^^、犬と遊んでいるときには人間も「かまってちゃん」になるのかもしれない。
他にも、血圧・心拍の低下、通院頻度の減少、コルチゾールの低下(ストレス軽減)、オキシトシン増加(情動安定)、ドーパミン増加(意欲増大)、副交感神経優位(リラックス作用)、うつ症状の軽減、喪の作業(mourning works;親しい人が亡くなった現実を受け入れる心理的過程)の負担軽減、といった効果が報告されている。

喪の作業の負担軽減、というのは非常によくわかる。
母が亡くなったとき、父の悲しみようは並大抵ではなかった。ひどい抑うつで、いっそ母の後を追いたい、という雰囲気さえあった。
そういう父を支えになっていたのは、二匹の飼い猫だったと思う。
猫は、何もしない。一日中寝ているばかり。たまに気まぐれに足元にすり寄り、エサをくれと甘える。
エサやトイレの世話があるから、父も悲しみにひたってばかりはいられない。手間のかかる生き物のおかげで、父はずいぶん救われたと思う。

動物によって癒やされるのは人間ばかりではなく、なんと、動物も癒やされるようなんだ。
今日、こんなニュースを見た。
『重病動物の横で添い寝する癒しの”ナース猫”』
https://www.epochtimes.jp/p/2020/03/52635.html

ゴリラや大型犬が猫をかわいがる動画を見たことがあるけど、猫をかわいいと思うのは人間だけじゃないんだな。
犬の話が、いつのまにか猫になってた(‘Д’)