2020.2.27
折田翔吾さんが将棋のプロになった。すごいことだ。こんなことがあるんだな。
プロとアマチュアで絶対的な壁がある競技として、相撲と将棋がよく挙げられる。
相撲の学生チャンピオンは、大相撲の十両にも勝てないという。
逆に、野球はアマとプロの壁が比較的低いと言われる。
甲子園で活躍した高校生が、そのままプロに行ってすぐに活躍する例は多い。
桑田、清原を擁し無敵を誇ったPL学園は、当時万年最下位だった阪神タイガースよりも強いのではないか、とまことしやかに言われたものだ^^
アマとプロの力量差が圧倒的と長らく言われてきた将棋だが、しかし最近は風向きが変わってきた。アマチュア参加枠のある棋戦(竜王戦、棋王戦)で、近年アマチュアの善戦が目立つ。アマチュアがプロにワンパン入れることも珍しくなくなってきた。
これは将棋ソフトの出現が大きい。かつては、局面の最善手を導き出すのはプロ棋士だった。しかもその真偽は「神のみぞ知る」だった。しかし今は、ソフトがあっさりと最善手を提示する。
プロ棋士を将棋の家庭教師として1時間でも授業をお願いするとなれば、本来ン万円の授業料がいるところだろう。それが今や、プロ棋士よりも強い将棋ソフトを使って自分の棋譜を解析して、家で一人で研究できてしまうのだから、これを”革命”と言わずして何と言おう。
奨励会(プロ棋士の養成機関)を年齢制限で退会した瀬川晶司さんや今泉健司さんがプロ棋士になれたのも、ソフトを上手に活用していたことが大きいと思う。もともとムチャクチャ強い人が、ソフトを使って検討すれば、鬼に金棒に違いない。
日本将棋連盟の会長を務めた米長邦雄という人は、本とか言動を見ていると、なんて下品な俗物だろうと思う。本人もそういう下品なふるまいを、確信犯的にやっていた。
週刊誌に自分のヌード写真を撮らせて掲載させるぐらいなのだから、頭のねじが一本とんでいることは自他ともに知っている。女関係の放埓さは、隠すどころか、むしろ誇っていた。升田幸三や藤沢秀行への憧れがあったというから、無頼派を気取っていたところもあるのだろう。
金、地位、名誉。どれに対しても貪欲で、ある意味、実に人間らしい、愛すべき俗物だったということもできるだろう。
ただ、桐谷広人とか弟子は米長にいいように使われて気の毒だったな。ああいうところは全然笑えない。最低の人だったと思う。
米長が将棋界に残した、唯一のすばらしい精神的遺産は、勝負にまつわる”米長イズム”だと思う。
これは「自分にとっては”消化試合”、つまり、勝っても負けてもどちらでもいいような勝負だが、相手にとっては”人生がかかっている”ほどの大きな勝負であるときには、相手を全力で叩き潰せ」という勝負哲学である。
将棋界は狭い世界だから、互いが互いのことをよく知っていて、プライベートでも付き合いがあったりする。
順位戦とかで、自分は残留確定で特に昇級も降格もかかってない安定の立場、相手があと一敗で降格する立場であった場合、相手としては「まぁここでちょっと花を持たせてくれよ」という気持ちである。あからさまに八百長を要求するわけにもいかないが、ちょっと「抜く」ぐらいはしてくれないか。
しかし米長イズムは、ここで一切の恩情なく「相手を突き落とせ」と教える。
米長はその理由を「こういう状況で相手に恩情をかけることは、究極的には、自分にとっても相手にとっても、メリットがないから」としている。もう少し詳しい解説が欲しいところで、僕にもその真意はわからない。
ただ、この米長イズムは将棋界に広く浸透した。
相撲界に八百長が多いことと比べて、将棋界ではそういう話は聞かない。これを米長イズムのおかげとする人もいる。
もともとプロ棋士という人種は、ムチャクチャに頭の回転がはやく、かつ、猛烈に負けず嫌い、という二つの特性を持っているものである。そして、そういう人種の集合体が将棋界である。そこに、大御所米長が「棋士同士の縁故とか上下関係とか忖度せず、重要な対局では相手を叩き潰せ」という米長イズムを注入した。このイズムは、彼らの勝ちにこだわる姿勢と絶妙に調和し、将棋界にいまだに根強く残っている。
さて、折田翔吾アマにとって、プロ棋士になれるかどうか、運命を賭けた五番勝負である。
試験管を務めるプロ棋士5人にとっては、結局のところ、勝っても負けてもどっちでもいい。マスコミの注目度が高いことはわかっている。しかし勝敗は彼らの人生に何ら影響しない。
しかし「こういうときこそ、全力で勝ちに行かねばならない」と教えるのが米長イズムである。
世間は「ユーチューバーからプロ棋士に」という物語を求めている。ここでその夢を阻むことは、いわば世間の目からは、悪役になるだろう。彼らも当然そういうことは意識している。しかし、それにもかかわらず、彼らは折田アマを全力で潰しにかかるだろう。この五番勝負、八百長はあり得ない。
そういうプロ棋士心理を知っていたから、さすがの折田アマもプロ入りは難しいのではないかと、個人的には思っていた。ところが見事に勝ち越し、プロ入りを決めた。
本当にすごいことで、胸が熱くなった。
ここ数年、僕は将棋のネット対局をするのが日課になっている。勝ったり負けたりだが、ときどき、あまりにも不甲斐ない負け方をして、ふと、自分でも思いがけず、涙がこみ上げるときがある。
そういうときは、ソッコーで将棋アプリを終了して、バックギャモンを始める。
僕は、頭の回転自体はそれほど悪いほうではないかもしれない。でも、プロになんか、絶対になれない。そんなに強くなるはずがないんだ。その理由は、僕自身にもわかっている。
自分の感情から逃げている。将棋に負けて泣きそうになるほど悔しいときにさえ、その悔しさに向かい合わない。
折田アマ、いや、折田四段はじめ、プロ棋士になった人は皆、子供のときからそういう悔しさから目をそらさず、研究に打ち込み、強くなってきた。
そう、プロというのは、自分の気持ちから逃げない人のことをいうんだよね。
2020.2.27
どの医者でもいいから捕まえて、「マイコプラズマってどういう病気を起こしますか?」と聞いてみるといい。
捕まえたのが整形外科医なら「うーん、学生のときに勉強して以来そういう知識はご無沙汰で、もうすっかり忘れちゃったなぁ」と遠い目で言うだろう^^
捕まえたのが消化器内科医なら、かろうじて「肺炎かなぁ」くらいの答えは絞り出すはずだ。自戒を込めて言うけど、医者なんて、自分の専門以外の知識はすっかり忘れているものだよ^^
しかし捕まえたのが呼吸器内科の先生なら、もうちょっと気の利いた答えが返ってくるかもしれない。「マイコプラズマは肺炎の起炎菌のひとつです。特徴としては、痰を伴わない乾咳ですね。風邪様症状と同時に、下痢などの消化器症状を併発することもあります。一応細菌に分類されていますが細胞壁がなく、自前のエネルギー産生系を持ちません。しかもサイズが細菌よりはるかに小さくてナノのオーダーで、かといってウイルスかというとそうではありません」
そう、細菌のようでもあればウイルスのようでもあり、同時にどちらでもない。
現代医学がCWDs(あるいはソマチッド)の概念を認めていれば、「マイコプラズマはCWDsそのものじゃないか」となって、病気の本質をより深く、統一的に把握できるのだが、パスツール医学(『病因は外部にあり』)に囚われた現代医学が、いまさらCWDsを認めることはないだろう。
もう医者に妙な期待をするのはやめておくことだ。本当の知識を仕入れて、我が身は自分で守るようにしよう。
マイコプラズマが関わっている病気は、何も肺炎に限らない。というか、あらゆる慢性疾患(自己免疫疾患、炎症性疾患、癌、慢性疲労症候群など)に関係している。呼吸器内科の先生でさえ、案外このことを知らない。マイコプラズマは、すべての診療科の疾患に関与していると言っても過言ではない。
これは何も特殊な主張ではない。一般的な医学もこの可能性を認めている。論文を挙げればキリがないが、あえて一部を列挙すると、、、
『炎症性腸疾患とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11713965
『クローン病とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11872112
『ムズムズ脚症候群とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15301831
『心筋梗塞とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12528760
『脳神経障害、脊髄神経根障害、筋炎とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/116630
『関節リウマチとマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10402069
『多発性関節炎とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3128197
『炎症性疾患、癌とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9716980
『癌とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11819772
『心炎とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3083673
『神経疾患とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC490708/
『神経症状とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11170938
『脳卒中とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3614676
『多発性神経根炎、脳幹脳炎とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12220390
『脳幹脳炎とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/14676065
『不明熱とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/7149873
『胆汁うっ滞性肝硬変とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC149592/
『肺外疾患とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/6433568
『横紋筋融解症とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10654971
『腎炎とマイコプラズマ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10100287
さすがにこれらの論文すべてを訳すことはしません^^;
ただわかって欲しいのは、「病原性を持ったCWDs(マイコプラズマ)が万病のもと」というライフやネサンの主張を、主流派医学(少なくとも研究部門)も認識し始めている、ということだ。
しかしかえすがえすも悲しいのは、現代医学がパスツールの呪縛から逃れられず、「体内環境の悪化によってCWDsが病原性マイコプラズマに変化した」つまり「病気は体の内側から来る」という説を決して認めないことである。
それどころか、上記のような知見に対して「ほう!リウマチにも細菌(マイコプラズマ)感染という側面があるのか!真の原因見つけたり!」となって、マクロライド系やテトラサイクリン系などの抗生剤を投与したりすることにもなりかねない(さすがにβラクタム系を使う医者はいない(はず)。細胞壁がないから)。
もっと話がややこしくなるのは、こういうマクロライド系の投与によって、一瞬確かに症状が改善し得ることだ。
たとえば、アトピー性皮膚炎の背景にも当然CWDsが絡んでいる。そこにタクロリムス(23員環マクロライド)を投与すると、改善する可能性は確かにある。悪化した体内環境の清掃に努めるCWDsがマクロライド系によって追い出される格好になるからだ。しかしこれは、決して治癒ではない。単なる「掃除の中断」である。体内環境の根本的な改善(これについてはまたいずれ説明します)に取り組まない限り、真の治癒があろうはずがない。
参考
“Proof for the cancer-fungus connection”(James Yoseph 著)
2020.2.26
「風邪の引き始めには葛根湯」というのは、テレビCMなんかで宣伝されたことがあるせいか、一般の人でも何となく聞いたことがある。
しかし、風邪とはそもそも、ウイルス感染症だということはご存知ですか?
その原因ウイルスとして一番多いのは、ライノウイルスだが、その他には、コロナウイルス(今問題になっているのは”新型”コロナウイルス)、インフルエンザウイルス、アデノウイルス、パラインフルエンザウイルス、RSウイルス、エンテロウイルスが挙げられる。
さて、「風邪に葛根湯が効く」ということは、葛根湯がウイルス感染症全般に効く可能性はないだろうか?
今、新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されている。しかし葛根湯がウイルス感染症全般に効くとすれば、今回の新型コロナウイルスにも有効かもしれない。
葛根湯は処方薬としては安価である。ちなみに、シナール(ビタミンC)も安い。
予防は治療に勝るものである。かかりつけの先生にお願いして、葛根湯(朝1包 食前)、シナール(毎食後)を出してもらって新型コロナウイルスの罹患率が減少するのであれば、やっておいて損はない。
何も「ずっと飲み続けないといけない」わけではない。寒さの厳しいここ1、2か月の間だけでいい。
4月5月にもなれば暖かくなって、ウイルス感染症の罹患率は全般的に低下する。新型コロナウイルスもこの傾向にならうと信じたい。
ところで、葛根湯が風邪に効くという、その根拠は?
僕ら医者も「なんとなく聞いたことがあるな」程度で、その根拠となる元論文に当たったことがある人はそれほど多くはないと思う。
そこでエビデンスについて、調べてみたところ、いくつか論文が見つかった。たとえばこんなの。
『葛根湯(GGT)はヒト呼吸器細胞内のRSウイルスに対して抗ウイルス活性がある』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22120014
長いので【目的】も【方法】も省略して【結果】だけ書くと、
「GGTは用量依存性にHRSV(RSウイルス)が産生するプラーク形成を抑制した。GGTはウイルス感染の前に投与するとより効果的だった。
GGTはヘパリン(抗凝固分子)の有無にかかわらず、用量依存的にウイルスの接着を抑制した。また、GGTはHRSVの侵入を時間依存性および用量依存性に抑制した。GGTは粘膜細胞を刺激してIFNβの分泌を促進し、ウイルス感染を抑制した」
『葛根煎じ液(GGD)のインフルエンザウイルスA型感染に対する作用機序の考察』
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1875536419300792
「ウイルス活性を抑えることはわかっているが、その機序は不明だった。今回の研究でわかったことは、まず、GGDはin vitro(試験管内)で中程度の抗インフルエンザウイルス活性を持つこと。
さらに、GGDはウイルス感染が成立する前に投与したほうが効果が高いことがわかった。これは、GGDが細胞内に侵入したウイルスに対して効くというより、ウイルスの細胞への接着や複製段階に作用しているということである。さらに、in vivo(生体内)の実験で、インフルエンザH1N1型に感染させたマウスにおいて、GGDを投与すると肺組織のウイルス力価が有意に低下し、かつ、マウスの生存率、肺指数(lung index)、肺組織病理所見が改善した。 GGDの投与によって、TNFαの発現が低下し、Th1/Th2の免疫バランスが改善して過剰な免疫応答が抑制された。さらに、GGD投与によって、ウイルス感染マウスのtoll様受容体7伝達経路の発現が減少した。これらの機序によって、GGDは抗ウイルス作用を持ち、肺の炎症を軽減する免疫調整を行っているものと考えられる」
『升麻葛根湯はヒト表皮線維芽細胞内のエンテロウイルス71型を抑制した』
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0378874108003061
タイトルの通り。詳細は省略。
他にもいくつか論文があったけど、こんなところで充分だろう。
そう、葛根湯がインフルエンザウイルスを始め複数のウイルスに効果があることは間違いない。
「風邪のひきはじめに飲むのが肝心」というように、感染が成立したあとでも決して無効ではないが、事前投与のほうが有効性が高い、ということにも実験的な根拠があるということがわかった。
さて、漢方薬というのは複数の生薬の組み合わせから成り立っているものだけど、葛根湯がどのような生薬から成り立っているか、みなさんご存知か?
葛根湯、というぐらいだから、葛根(クズの根っこ。トロミつけに使ったりする)が入っているのは当然予想がつくが、その他には、以下のものが入っている。
麻黄・・・エフェドリンという交感神経を高める成分が含まれている。高濃度に精製したエフェドリンは、覚醒剤的な作用をするヤバいクスリ。
桂皮・・・シナモンのこと。おなじみ、八つ橋の風味。
芍薬・・・立てば芍薬座れば牡丹、とは美しい女性の立ち居振る舞いを指す。生薬には芍薬の根っこが用いられる。
生姜・・・生薬的には「ショウキョウ」と読むが、要するにショウガのこと。
大棗・・・ナツメのこと。僕の昔住んでた長野では、あちこちに自生していた。ほのかに甘い実。
甘草・・・むしろこれが入ってない漢方薬のほうが少ないくらいの、超定番の生薬。
どうですか。これが葛根湯の内訳です。
葛根(クズ)、桂皮(シナモン)、生姜(ショウガ)はスーパーで普通に買えるし、その他のもネットで買える。
つまり、葛根湯の生薬は自分でコンプリートできる、ということです^^
「ツムラやクラシエの精製した剤型の漢方薬はどうもちょっとなぁ」という人は、生薬を取り寄せて自分で葛根湯を作るのもいいだろう。
2020.2.26
昨夜、大学時代の同級生から急にラインがあった。
「今実家に戻ってるねんけど、飲まへん?」
普段は東京で医者をしているが、先週末の連休から実家の京都に帰っているという。
ブログを書きたいと思っていたが、友人付き合い優先である。二つ返事でOKした。
「最近は、仕事以外はポーカー三昧の日々。新宿、渋谷、池袋、あちこちのポーカーバーに道場破りみたいな感じで遊びに行っている。
勝ったり負けたり。強い人がいると勝てないな。カードが弱いときは基本的には降りるよ。手札にエースがあっても、もう一枚が5とかだと、たいてい降りる。5くらいだとキッカーで負けるし。
勝負に行くときは自信のあるときが8割。残り2割がブラフかな。
あつし、最近ポーカーどうなの?え!やめたん!?なんで?
ああ、ブログに書いてたね。ああいうところで運を使いたくない、みたいなこと。
あれはね、違うと思うよ。バックギャモンはともかく、ポーカーは完全に心理戦だよ。運を消耗する、とかじゃない。
いや、もちろん運は必要だよ。でも確率的に、悪い手札が続くわけがない。強い手札が来ることが確実にある。それは”祈り”とか”願い”とかじゃない。単純に、確率の話だよ。
カードが弱いときは、降りればいい。弱いカードで変に突っ張ろうとするから、頭が熱くなって、願ったり祈ったり、ということをやりだす。
ポーカーに強い人は、必ず冷静だ。考えているのは、期待値のことだけ。あんまり祈ったり願ったり、ってしてないよ。
あとは、ポーカーフェイス。プレースタイルを読まれちゃいけない。ときにはブラフも必要。
なんていうか、ポーカーバーに「神様」はいないよ。ディーラーがいて、プレイヤーがいる。ただそれだけの話。
読み合いや駆け引きがあって、ものすごく人間臭い世界だよ。またポーカー、やりに行こうよ。
あと、そうそう。神様とか霊能力的なことについても書いてたね。
そういうのでいうとね、俺にもひとつ、話がある。
俺、甥っ子がおるんよ。ほら、妹の陽子の子供。その甥っ子がね、5歳なんだけど、もう、明らかに「見える子」なんだよ。
たとえば、実家では親父とかがお札を張ったり神棚を置いてたりするんだけど、それを見て甥っ子が「そこに火の神様のためにお供えしても意味ないよ」とか「神棚のまつり方が違う」とかいう。
じゃあどうすればいいんだと親父が聞くと、「そこにしめ縄をかけて、そこに鏡を置いて」みたいに具体的にアドバイスする。
陽子が甥っ子の手を引いて散歩していて、たまたま稲荷神社の前を通り過ぎた。すると、甥っ子が「ここのおいなりさん、全然ダメ。ちゃんとまつれてない」と怒り出した。
陽子が驚いて、その理由を尋ねると「きつねと神様は違うのに、お供えとかのやり方が混じってる」と。
その稲荷神社の神主は全然そういうのが見えない、かなりテキトーな人みたいで、甥っ子はそのことにも腹を立てていた。
霊感とかそういう能力でいうと甥っ子はそこらへんの神主よりすごいんだけど、いうてもまだ5歳の子供だから、自分の見えているものとか考えをどうやって伝えたらいいのか、まだボキャブラリーが少ないんだな。
陽子がよくよく甥っ子の話を聞いてみると、こういうことらしい。
一般の神社は人間の神様で、稲荷は動物神で、両者は異質なもの。お供えの仕方とかまつり方も当然違ってくるし、何か願掛けをするにしても、聞き入れてくれる心願の種類も違う。たとえば、動物神は呪いも引き受ける、とかね。それを一緒くたにしてまつってるものだから、おいなりの動物神が甥っ子に「これ、何とかしてくれ。きちんと分けてくれ」って言ってくるらしい。
コックリさんとか、小学校のときにやったでしょ。俺もやったことがあるけど、ああいうのは危険な火遊びで、本当にやばいことも起こり得る。
コックリさんで降りるのは動物神で、いたずらで呼び出して、ちゃんと帰ってくれればいいけど、帰ってくれなければマジで人に憑く。狐憑き、という現象があるだろ。あれは本当だよ。
こういうことは、人間の神ではあり得ない。天照大神(あまてらすおおみかみ)がコックリさんで呼び出されて人に取り憑いた、なんて話は聞いたことがないでしょ」
当然、真偽不明の話である(彼が僕に嘘をつく理由はないけどね)。
ただ、キツネ憑きの話は興味がある。
仮にこの現象が実在するとすれば、どうなるか?
キツネに憑かれた人は精神状態に異常をきたす。周囲の人がこの人を心配して、医療機関に連れて行く。すると、統合失調症の診断が下される可能性が高い。
逆に、統合失調症の診断を下された患者のなかには、一定数、霊障による精神症状(かつて”狐憑き精神病”と言われた)があるのでは?
このあたりの疑問を追求した良書がある。『医師が語る霊障 現役医師が医療現場で見た霊障トラブルとセラピー』(橋本和哉 著)である。
患者からこの本を勧められ購入したが、おもしろかった。どの病院に行っても原因不明と言われ、途方に暮れている患者のなかには、霊障による症状である可能性が、本当にあるのだなと思った。
しかし考えてみれば、これは当然の話である。
医術は、かつてシャーマンが行っていた。「病気が霊によって起こる」ことは、むしろ当然のことだった。
西洋医学の隆興は、そういったスピリチュアルな原因による病気の可能性を一掃したかに見えるが、医者の考え方が変わったところで、どっこい、霊のほうが出て行ってくれない。
「非科学的現象は一切認めない」と、まるで科学に対して宗教のような情熱でしがみつくよりも、いっそ「本当に、そういう霊的な現象が実在するのだな」と認めてしまったほうが、話がクリアになると思う。
どの医者も異存はないと思うけど、医者にとってのプライオリティは、患者の治癒である。
霊障という現象が実在すると仮定して、その仮定によって治癒がうまくいくのなら、一概に否定すべきものでもないと思いませんか?
2020.2.26
自然療法研究家の東城百合子先生が亡くなられたという。
【訃報】東城百合子先生逝去のお知らせ
https://www.kokusai-yoga.net/article.php/20200226071929981
享年94歳。
どういった原因で亡くなられたのかは分からないが、病院ではなくご自宅で息を引き取られたというところが、東城さんらしい感じがする。
ネットを検索すると、91歳の頃にはまだ自然食の講師として教壇に立って授業をしたり料理を教えたりしていたという記事があるから、きっと死の直前まで元気だったんじゃないかな。
著書『家庭でできる自然療法』は昭和53年の初版以来、宣伝なしで100万部以上を売り上げた。今後も読み継がれていくに違いない。
何を隠そう、実は僕もこの本のおかげで健康を取り戻した一人だ。
医学部の学生時代、ポリクリ(臨床実習)の前にB型肝炎のワクチンを打ち(半ば強制的で、逃れようがなかった)、以来、何かと体調不良(関節のだるさ、全身の倦怠感など)を感じるようになった。
この本に、砂療法(砂浴)という健康法が紹介されていた。
僕の実家は明石で一応砂浜があるし、鳥取で勤務医をしていた頃は、有名な鳥取砂丘ばかりではなく、きれいな砂浜がたくさんあった。
本で得た知識をもとに、ときどき機会を見つけては砂浜に行って砂に埋まり、デトックスに努めた。何度か行くうちに、すっかり症状が消えた。
本の中で、食養の重要性も説いておられた。
現代(といっても40年以上前だが)の畜肉や農薬、加工食品の危険性をすでに警告しておられ、食べ物を通じて入ってくる毒物に気を付けるよう、呼びかけていた。
逆に、季節折々の食材(野菜、雑穀、魚、海草など)を積極的に摂るよう、勧めている。
昨今流行の『高タンパク低糖質』ダイエットをどのような気持ちで見ておられただろうか。
健康を取り戻すのに、果たして高用量のタンパク質(それも肉、卵、魚の積極的摂取だけでは足りず、プロテインやEAAさえ追加して)が本当に必要なのだろうか。
かつての日本人が肉を食べなかったというわけではない。たまに野山で獲れた獣肉を、感謝とともに屠り、頂く、ということはあっただろう。
しかし日本人の食事は基本的に植物ベースで、それで充分健康を保っていた。
東城さんの説く食養生は、日本人の伝統的食性にマッチしていて(「昔の食事に返れ」)、説得力を感じた。
個人的には、この本で一番参考になったのは食養の考え方と砂浴の知識だが、他にも様々な健康法(ビワの葉療法、こんにゃく湿布、ショウガ湿布など)が紹介されている。
僕以外にも、多くの人がこの本によって救われたことだろう。
健康法の提唱者は、なかなか辛い立場である。うっかり風邪ひとつひいても「○○健康法は風邪予防には効果がないんだな。提唱者があのざまなんだもの」などと言われかねない。
何かの重い病気にかかったり、あるいは短命で亡くなってしまっては、その健康法の説得力が減じてしまう。
その健康法の真贋を見分けるひとつの目安として、「提唱者が、90歳を超えてなお心身ともに元気」としてみてはどうか。
この基準でみれば、オーソモレキュラー栄養療法の二大巨頭、ポーリング(1901~1994:93歳没)とホッファー(1919~2009:91歳没)はお見事、クリアしている。
一方、西式・甲田療法で有名な甲田光雄(1924~2008:84歳没)は満たしていない。
尤も、だからといって甲田療法が全然ダメとは思わない。断食や玄米菜食が奏功する人もきっといるだろう。
炭水化物および糖分の摂取を極力控え、タンパク質と脂肪の積極的摂取を勧めるアトキンス・ダイエットの提唱者ロバート・アトキンス(1930~2003:73歳没)先生は、アメリカ人の平均寿命にも満たない年齢で亡くなられた。この食事法は世界中でブームになり、これによって救われた人(特に肥満、心疾患)も無数にいるに違いない。しかし優秀な治療食が、一生毎日続けるべき維持食かといえば、決してそうではない。提唱者の短命さがそのことを裏付けているようにも思われる。
ここで、安保徹(1947~2016:69歳没)先生の名前をあえて挙げるが、安保先生が比較的若くして亡くなられたのは、決して先生の提唱する健康法が間違っていたからではない。
同じような文脈でいうと、最近NHKのドキュメンタリーで『認知症の第一人者が認知症になった』が放送された。
認知症の診断基準「長谷川式認知症検査」は、医者なら知らない人はいない(実臨床でも普通に活用しているし、医師国家試験にもよく出るので^^)
この検査法を提唱した長谷川和夫氏(90歳)が、自身も認知症に罹患したことを公表した。
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586194/index.html
「誰だっていつかは病に倒れ、死ぬ。遅いか早いかの違いに過ぎない」、と言って言えなくもない。
ただ、ある疾患の大家が、その疾患に罹患してしまうというのは、ご本人にとっても相当プライドに堪えるに違いない。
それを隠さず、あえて公表に踏み切ったところに、この先生のすごさがあると思う。