2018.6.22
認知症には、アルツハイマー、レビー、脳血管性、ピックなどいくつかの種類がありますが、あえて断言しますけれども、これらは皆、栄養療法で治ります。
ただし、受け身の姿勢ではダメで、本人が努力してもらうことも必要です。
だから、症状が進んで末期になって、家族の顔もわからない、寝たきりの糞尿垂れ流し、という状態になって、本人が治療意欲を持ち得ないようでは、正直回復は難しいです。
でも初期ならば、治ります。
認知症のタイプによって若干治療法は違いますが、どのタイプにも共通して有効なのは、糖質制限です。
「甘いものは大の苦手で、お菓子の類はまったく食べません」という認知症患者を僕は見たことがない。
食生活を聞けば、皆、菓子パンとかケーキとか、よく食べている。
脳機能の低下を防ぎたいなら、甘いものは極力控えましょうね、と指導すると、
「でも、先生。甘いものは脳の唯一の栄養って、この前テレビでやってましたよ。
糖がなかったら頭が働かなくなって、ますます認知症が進むんじゃないですか」
と、患者のご家族が質問する。
マスコミの刷り込みは強烈だ。
砂糖菓子を売りたい大企業がそういうテレビ番組にどれほど巨額の宣伝費をついやしていることか。
そうした宣伝が見事に功を奏して、砂糖中毒患者の大群を作り出し、そのごく一部が、こうして僕の目の前に現れる。
僕は自分の仕事の半分は、この「洗脳」を解除し、栄養の重要性を新たに吹き込むことだと思っている。
だから、しっかり説明する。
なぜ、糖質がよくないのか。どのような機序で認知症を引き起こすのか。
患者とご家族にきちんと理解してもらう。
アルツハイマー病患者の脳内にはアミロイドベータ(Aβ)が蓄積しているが、インスリン分解酵素はこのAβの分解酵素でもあるため、インスリンの分泌を極力減らすことによって、インスリン分解酵素が節約され、その分、Aβの分解が進むんだ、ということを、極力簡単な言葉で説明する。
で、1ヶ月後。
「前の診察のとき、先生がケーキはダメだっていうんでね、まんじゅうで我慢してます。日本の伝統の和菓子なんでね。まぁ害は多少マシだろうと」
僕の説明がわからないのではなく、わかりたくないんだろうな、と思う。
わかってしまったら、砂糖菓子の喜びにふける最高の時間がなくなってしまう。
甘いものを食べられないような味気ない人生なんて、とても考えられない。
私のささやかな喜びを奪わないでくれ。
そういう気持ちなんだと思う。
砂糖の魔力は、本当に麻薬だよ。
「甘いものはやめたくない。でも、認知症はどうにかして欲しい」
こういう二律背反を突きつけられて、さて、どうしたものか、と悩む。
臨床現場ではつきものの悩みなんだな。
黙ってアリセプト出して、一丁あがり、みたいなスタイルなら、こんなに悩まなくてもいいんだけどね。
ちなみに、アリセプト(抗認知症薬)は副作用ばかりでまったく効かないということで、フランスでは今年の8月1日以降、保険適用中止になるよ。
http://solidarites-sante.gouv.fr/actualites/presse/communiques-de-presse/article/l-interet-therapeutique-des-medicaments-de-la-maladie-d-alzheimer-n-est-pas
日本はありがたがって使い続けてるけど、いつまでこんな茶番が続くことやら。
甘いものの断ちがたさは、認知症患者に限らなくて、誰しもがそうだと思う。
糖尿病という、その病名に「糖が悪者」ってデカデカと書いてある病気になってさえ、やめられない。
「蜂蜜ならオッケーって聞いた」「黒砂糖ならいいだろう」「メープルシロップは血糖の上昇がゆるやからしい」あの手この手で甘さの喜びを得ようとする。
そもそも自分が中毒だって自覚、ありますか。
一般には糖質が原因とは言われていない病気でも、実は背景には糖質の過剰摂取がある病気は無数にある。
しかし、「糖質はやめてください」と言われて、「はいわかりました」とあっさりやめられるぐらいなら、世の中にこんなにたくさんの病気は存在しないだろう。
病気の多さ、治りにくさは、つまり、糖質のやめにくさのことだ、とあえて言い切ってしまってもいいぐらいだと思う。
だからこそ、栄養療法をオススメしたいんだな。
栄養療法には甘いもの欲求を抑える対策がちゃんとある。
まず、患者本人の治療意欲がないとダメだけど、そこに適切な栄養を補うことで、甘いものが自然と欲しくなくなります。
偉そうにいろいろ言ったけど、実は僕自身、糖質依存症だったから、患者の気持ちはすごくわかるんだよね。
2018.6.22
タクシーの運転手がよくしゃべる人だった。
「お客さん領収書いります?ああそう。じゃ、出しますね。
これ、見てください。平成でしょ。年号が。
困ってるんですよ。領収書の冊子が束でまだいっぱいあるものだから、早く使い切ってしまいたいんです。
何の話をしてるのかって?
知ってますか、お客さん。
来年の今頃はもう平成じゃないんですよ。
平成は、残り一年を切りました。
だから、今年は、何をやっても、「平成最後の」ですよ。
平成最後の夏ですし、平成最後の海開きですし、今日は平成最後の6月22日です。
そう、平成が終わるんです。すごい話じゃありませんか。
何か感慨深いものがありませんか。30年。いろいろあったなぁって。
今は年号よりは西暦のほうが使うこと多いでしょ。
でも私らの世代はね、年号が当たり前の世代でした。
私、昭和34年生まれですけど、西暦使うなんてよほど特殊なことがない限りなかった。何年、といえば、それは年号が当然でした。
だから、急に西暦で言われてもピンとこないんです。
今って、ほら、テレビなんかで昔の出来事を振り返ってて、1972年に何があって、みたいな話が出ても、頭の中で昭和に換算しないとイメージがわかないです。
時間軸の基本は、私にとって昭和なんです。
お客さん平成生まれでしょ。西暦が基本で育ってるから、こういう感覚ってわからないでしょうね」
いえ、僕も昭和55年なので、おっしゃってることの雰囲気はギリギリわかる世代です。
平成が終わることに感慨深いものを感じるのは、僕も同じですよ。
平成のど真ん中に青春時代を過ごしましたから。
運転手さん、目的地に着いて、会計のときに、ぽつりと、
「領収書の年号ね、次の発注からは年号じゃなくて西暦で行こうかと思ってるんです。もう、あちこち西暦なんでね。合わせていかなしゃあないかな、と」
年号で育った世代には西暦表記には違和感があるんだな。
僕はギリギリその違和感を共有できる世代だけど、現場でしょっちゅう西暦も使うから、さすがに慣れたな。
懐古的になる気持ちもわかるけど、適応していかないと仕方ないよね。
ただ、年号は世代をまとめるのに便利なくくりだと思う。
病院現場では、明治生まれの患者なんてもはやお目にかからないし、大正も相当少ない。今が昭和でいえば93年であることを考えると、それも当然だな。
今のところ、昭和生まれのほうが平成生まれよりも多い大集団だけど、それでもあと何十年もすれば、
「まぁ、この人、珍しい。昭和生まれですって。長生きねぇ」などと希少種みたいに言われる時代が必ず来る。
年号はビジネスとかの実用的な場面ではますます使われなくなるだろうけど、少なくともそういう具合に、世代を表す符丁としては残っていくと思う。
2018.6.19
ふらっと近所のバーに行って、ワールドカップを見てきた。
横にいた全然知らん人と、ゴールの時に一緒に喜んだりしてた。
普段は、「スポーツの国際的な試合などというものは、ナショナリズムをあおりたてるだけの発情装置に過ぎない。
僕はね、自分の人生にしか興味はないんだ。他人の勝った負けたに同調して、一喜一憂するつもりはない。こんなものに入れあげるなど、愚の骨頂。そんなふうにだけはなりたくないね」
などとカッコつけたこと言ってるくせに、いざワールドカップとなると、日本のゴールのたびに知らない人とハイタッチ。
集団の熱狂にすっかり染まってるじゃないか。
ナショナリズム、なんていう大層なものじゃなくて、お祭りを楽しんでるだけのつもりなんだけどね。
さて、バーを出て、酔いから覚めてみると、普段の自分に戻っている。
サッカー日本代表が勝っても負けても、別に僕の明日からの診療に何の影響もない。
「なんでふらっと酒場に行っちゃったのかなぁ。その間に学術論文の一つでも読めただろうに」とか貧乏くさいことを思ってしまう。
「先生、きのう院長ブログにあげてた話なんだけどさ、患者目線でちょっと言わせてもらいたいことがある。
お薬手帳さえ持ってないテキトーな人もたくさんいるんだよ、ってこと。
私が昔そうだったもん。
どんな薬が出ようが、興味ない。医者から処方されたものなんだから、いいもんだろう、治してくれるだろう、って感覚。
薬の名前をわざわざネットで検索して、どういう作用や副作用があって、なんて調べたことなかった。
良くいえば、医者のことを信頼しているってことなんだけど、悪くいえば、というかこちらのほうが実態に近いと思うけど、面倒くさいんだよね。
自分の体を気遣うことを、人任せにしている。他でもない自分の体のことなのにね。
医者はプロなんだから、言うことを聞いていれば悪いようにはならないだろう、ってさ、ある意味甘えなんだろうけど、私もそういう感覚でずるずるとここまで来た。
そんな具合に、睡眠薬はもう、かれこれ20年ぐらい飲み続けてた。
薬は絶対手放せなかったし、そもそもやめようなんて発想自体なかった。
私が変わったのは、先生と出会ったからだよ。
これは本当。先生がいなかったら、今もずっと、たくさんの薬を飲んでその副作用に苦しんでいたと思う。
先生に出会う前の処方は、こんな感じだった。
デパス錠1㎎ 3錠 朝昼夕食後
ワイパックス錠0.5㎎ 3錠 朝昼夕食後
グッドミン錠0.25㎎ 2錠 就寝前
デパス錠1㎎ 1錠 不安時
マクサルト錠10㎎ 1錠 頭痛時
セルベックス細粒10% 1.5g 朝昼夕食後
薬漬け、ってこのことだろうね。
薬のおかげで何とか日常生活ができている、というのならわかるんだけど、私、これだけたくさんの薬を飲んでいながら、家では廃人みたいな寝たきり生活。
仕方ない、これが私の病気なんだ、って思って、自分の人生を半分あきらめてた。
そんなときに、主治医が先生に変更になった。私も病院通い長いからいろんな医者を見てきたけど、先生はまったく違ってた。
問診からして違うんだよね。
『きのうの夜は何を食べたの?ふむふむ、で。昼は? じゃ、朝は何食べた?好きな食べ物は?』って。
食事内容が何の関係があるの?って思った。食事の内容なんて、医者から聞かれたこと、初めてだったから。
意味が分からな過ぎて、私のこと口説いてるのかって思ったぐらい笑
何回も言われたのが、栄養の重要性。
『僕らの体は食べ物からできている。食べ物を変えれば体が変わる。体が変われば、心も変わる。精神疾患も治るよ』
というのが先生の信念だった。
先生の治療を受けて一年後、今の私の処方はこんな感じ。
リーマス錠200㎎ 4錠 朝夕食後
メイラックス錠2㎎ 1錠 就寝前
ロゼレム錠8㎎ 1錠 就寝前
こんなにも薬を減らせたのは自分でも信じられない。特にデパスがやめれたことは、奇跡だと思う。
寝たきり生活から立ち直って、新たに仕事も始めた。
こういうふうにまた人間らしい生活を送れるようになるなんて、去年には想像もできなかった。
先生が病院のシステムのなかで苦しんでいたことは、先生のブログを読んで初めて知った。
自分のスタイルを実践するために、患者を守るために、内心で苦労してたんだなって。
先生がいなくなってから別の先生が主治医になったんだけど、その先生はやたらに薬を増やそうとするから、私、抵抗する。
先週も、かなりの口論の末、リーマスを800に増やされて、睡眠薬を新たに出されそうになった。
最初、ルネスタを出すって言われたから、「それ、ベンゾじゃん。アモバンの改良版でしょ。いらないよ」って言ったら、
「いや、ベンゾじゃない。非ベンゾジアゼピン系だ」とか屁理屈言われて、それで口論になった。
でもね、私、本当に変わったなって思う。
医者に出された薬を黙って飲むだけだった私が、医者とこんなふうに口論できるまでになったんだよ。
それも、先生が私の意識を変えてくれたおかげ。
自分の体のことなんだから、自分で守らないとな、って。
自分の体にいれる薬なんだから、薬のこと、ちゃんと知っとかないとな、って。
先生は県外に行っちゃって、先生のところには通えないけど、私、もう大丈夫だと思う。
栄養のこと、体のこと、学び続けようっていう、この気持ちがある限り、何とかやっていけると思う」
この患者さんは、僕の考え方に共感してくれて、栄養の改善に積極的に取り組んで、結果、薬をかなり減らすことに成功した。
僕が勤めていた病院をやめて開業してからも、僕のことをさりげなく応援してくれてて、アップした動画を見て「髪型が変」とか「Tシャツのセンスがアウト」とか有り難いダメ出しをくれます笑
患者から「先生のおかげで病気が治りました」などと言われたら、医者としてはうれしいことだけど、これは実は、ちょっと違うと思う。
患者を治したのは、僕というよりは、理論なんだ。
僕がしたのは、その理論を患者に適用しただけ。
極論すれば、患者が栄養療法の本を自分で買って、自分で実践すれば、実は同じように治るんだよね。
僕の一番の理想は、栄養療法の知識が世間一般の常識になって、みんな栄養の重要性をきちんと認識して、そもそも病気にならない、なっても食養生やサプリメントで自分で治せちゃう、っていう状況になることだ。
でもその理想が本当に実現すれば、僕のクリニックの必要性もなくなって、廃業しちゃうことになるんだけど笑
「先生のおかげで病気が治りました」ではなく、「先生のおかげで意識が変わりました」って言われるほうが、僕ははるかにうれしい。
意識が変わった人は、僕の治療を離れてからも自分の足で歩き続ける。
本当の意味での回復って、きっとそういうことだよね。
2018.6.18
患者たちのの話を聞き、なんだかんだといろいろ指導して、一日の終わりには、すっかりへとへとになった。
親身になりすぎなのかもしれない。
もっと距離置いて、ちょっと突き放して対応する、ぐらいのほうが、状況が冷静に見えるかもしれない。
それに、こちらがどんなに熱意持って栄養の重要性を説いても、わかる人にはわかるだろうし、わからない人にはわからないもので、わからない人に言葉を費やしても、かえってうざがられるだけだろう、とも思う。
たまたま僕のクリニックのそばを通りかかって、ふらっと飛び込みで来られたような患者がいて、その人としては、「薬さえもらえればいい」と思っているだけなのに、僕の方は、これも何かの縁だなどと妙に張り切って、病気と栄養の関係性について大演説を打ったりする。
相手はこちらに白けた目線を向けている。
そういう患者を何人か経験するうちに、僕も気付いたよ。
「いらない人には、いらないのだ」と。
それ相応の時間と熱量をつぎ込んで勉強し、身につけてきた知識だ。
「みんなに価値があるだろう、多くの人を救えるだろう」
そういう思いで開業したものだから、自分のクリニックに来てくれた人は是非とも救ってあげたくて、その熱意を振りかざそうとする。
でも、そういう熱意は、相手を慎重に見極めてから示さないといけない。
誰彼構わず示しちゃいけない。
「まだの人」というのがいるんだ。
まだ僕の出番じゃない人。今は薬で生活がちゃんと回ってるから、別段何の不足もない。栄養が大事?何だそれ?知らねえよ。もうそういう話はいいから、さっさと処方してくれ。
そういうタイプの患者が一定数いることは知っている。
でも、それにもかかわらず、そういう人に対しても、最低限ひとつぐらいは栄養の小ネタを話し、日々の食事の重要性を言う。世話焼きのオカンみたいに。
我ながら不必要に消耗しているな、と思う。
ああいう人に対しては、何も言わずに黙って薬を出す方が患者満足度が上がるだろう、とも思うんだけどね。
「先日、とある銀行で他行に現金を3万円ほど送金しました。
756円の手数料でした。
ところでみなさん、病院での再診料は何点ですか。
その通り。72点です。720円ということです。
つまり、保険診療において、我々医師の診察料は、こちらのお金をあちらに移すだけの手間賃程度だということです。
それも、研修医が診察しようが、熟練の名医が診察しようが、同じ値段。
最先端機器を完備した大病院で診察受けようが、田舎の病院で診察受けようが、同じ値段。
みなさんはこの事実をどう思われますか。
なるほど、診察が5分で終わることもあるでしょう。
しかしその5分は、ただの5分じゃありません。
みなさんがこれまで栄養療法の勉強につぎ込んだ大変な時間とエネルギーが、極めて濃密に詰まった5分なんです。
学ぶことをすっかりやめて、昔のままの知識で延々診療している医師の判で押したような5分と、いまだに新たな知識を吸収し、患者のために生かそうとする意欲に燃えているみなさんのような医師が、頭をフル回転させて診察した5分。
同じ金額なんです。
これが悪しき平等主義ではなくて何ですか。
みなさんの医師としての矜持、傷つきませんか。
みなさん、どうか自分の能力を安売りしないでください。
自費診療をしている先生であれば、適正な価格をとって、堂々としていてください」
きのうの勉強会で聞いた熱い言葉。
そう、きのうのあの場にいた先生方は皆、学び続けている。相応の金額を投資してまで自分の知識を高めようとしているんだ。
何かしらの報いはあるべきだ、と言われれば、なるほど、と思う。
しかしそういうふうに頑張って身につけた知識も、患者を見極めて使わないとね。
「普通の保険診療、安い医療で充分満足」という患者も確かにいるんだよね。
できればみんな救ってあげたい、と思うけど、そういう大乗仏教的なスタイルでは早晩立ち行かなくなるだろうとも思う。周囲との摩擦もむやみに増えるだろうし。
割り切りはやっぱり必要なんだろうな。
2018.6.18
揺れたなぁ。
ずいぶん長く揺れてた。
ちょうど布団で横になって本読んでたんだけど、あんまり長く揺れるから、さすがに読書中断したよ。
ケータイの地震速報がすごくうるさく響いて、外を見ると鳥が興奮して飛び交ってて、どこか遠くで大きな爆発音がした。
家のすぐ目の前に線路があるんだけど、電車、止まってる。
看護師から電話があって、
電車が動いてないので、クリニックに行けません。今日はお休みさせてもらいます。
別の看護師は、
2歳の娘が地震で怯えてしまって、今日は外に出ない、保育園にも行かないって言います。水道から出る水も濁ってて、何かと大変で。今日はお休み頂けませんか。
クリニックに来たら、電気が止まってる。エレベーターも動かない。
久しぶりに非常階段使って、7階まで上がった。
震度4の神戸でこの具合だから、震度6の梅田は大丈夫だろうか。
きのうの今頃は、東京に向かう新幹線に乗っていた。
地震の起こるのが1日ずれていれば、今頃新幹線のなかで延々待ちぼうけをくわされるはめになっただろう。
都市はもろいね。
地震一発で機能が麻痺してしまう。
中学生のときに神戸の震災があって、そういう、人間のコツコツした積み重ねが一瞬にして崩壊する様子を僕も経験してるんだけど、今回の地震はそれほど強烈なものではなかったけど、そのときのことを思い出したよ。
僕らの日常生活は盤石で、ビルのタフさのように確固としているようだけど、実際には、積み木が崩れるようにもろいものなんだな。