2020.1.7
認知症に対するアプローチのひとつとして、コウノメソッドがある。河野和彦先生によって提唱された治療体系で、お上(日本認知症学会)が行う一般的なアプローチとはずいぶん異なっている。
個人的に「おもしろいな」と思った特徴を要約すると、
・薬は否定しないが、その使用は副作用に配慮して必要最小限であること(抗認知症薬(ドネペジルなど)、抗精神病薬(クロルプロマジンなど)、漢方(抑肝散など))
・家族天秤法(投与する薬の量の調節を患者家族に任せる)
・フェルラ酸、アンゼリカ、ルンブロキナーゼなどのサプリメントの使用。
・GCS(グルタチオン、シチコリン、ソルコセリル)を使った点滴。
といったあたりになるだろうか。
こうしたアプローチのすべてを河野先生が編み出したわけではない。
たとえば認知症のBPSD(周辺症状)に対して抗精神病薬が有効なのは精神科医の間では知られていたし、レビー小体型認知症の幻覚・妄想に抑肝散が有効であることは荒井啓行(東北大学)の報告によるし、認知症による歩行障害にグルタチオンが効くことは柳澤厚生(元杏林大学教授)の報告による。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geriatrics1964/43/5/43_5_549/_article/-char/ja/
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/ggi.12696
河野先生の優れたところは、こういう「いいもの」を何でも取り入れる柔軟さにあるんじゃないかな。こういうのって案外できそうでできないんだ。お上の方針からはずれた医療を行うのは、ずいぶん勇気のいることだからね。
家族天秤法は、これまでありそうでなかった方法だと思う。
一般には、薬の投与量を調節する権限は医者にしか与えられていない。患者のことを一番理解しているのは、医者ということになっているから。しかしこれはもちろん、必ずしもそうではない。患者を身近に見ている家族こそ、患者の状態を一番把握しているもので、家族天秤法はこの現実を柔軟に踏まえている。
コウノメソッドのおかげで救われた患者の数は計り知れない。認知症患者を救う方法は、オーソモレキュラー栄養療法だけではないのだな、と認識する。
ただネットを調べると、コウノメソッド(および河野先生)に対する意見は好意的なものばかりではないようだ。
お金の問題でもめたようだけど、個人的にはこういうゴシップ的な話には興味はない。清廉潔白で金にきれいな人でも治せない医者では意味がないし、有能な医者ならばそれ相応の金を求めたって別にいい。
そういうゼニカネの話ではなく、コウノメソッドの方法論に対するまっとうな批判(筋の通った批判)には興味がある。
https://ameblo.jp/lewybody/entry-12212746005.html
このブログを書いた人は、もともとはコウノメソッド実践医だったが、その資格を返上してしまった。
文中、いろいろ理由が挙げられているけど、僕が思うに、結局のところ「河野先生のことが好きではなくなった」ところが根っこじゃないかな。
コウノメソッドの方法論自体に対する批判としては、弱いと思う。「コウノメソッドにはまだ不完全なところもあるし、河野先生に100%同意できるわけじゃないけど、頑張ってやっていこう」というスタンスでも行けたはず。それでもなお、はっきり資格を返上してまでノーを突き付けたというのは、理屈よりは気持ちの問題だと思う。
僕はコウノメソッド実践医ではないけど、コウノメソッドのなかには僕の診療に取り入れたい方法がいくつもあるよ。
シチコリンとかソルコセリルなんて薬の名前は、正直僕には初耳だった。でもずいぶん効くようなんだ。石黒伸先生の著書『告白します、僕は多くの認知症患者を殺しました』のなかに、多くの著効例が挙げられている。
上記のブログにはシチコリンによる死亡例のことが書かれているけど、死んだ人よりは救われた人のほうが圧倒的に多いんじゃないかな。ひとつの極端な例を持ち出しての全否定、というタイプの主張には、慎重でありたい。
フェルラ酸は、米ぬかに含まれている成分。「グロービア社のものでないと効かないよ」と言っちゃったところが河野先生、まずかった。それで他社の反感を買ってしまった。僕なら「米ぬか食っとけばいいんですよ。意味合いとしては同じです。どこ社製であれ、高いサプリなんて買わなくていいです」とか言って、両方の会社から攻撃されそうだ^^;
アンゼリカというのは、アンジェリカともガーデンアンゼリカともいう。日本語ではセイヨウトウキ(西洋当帰)のこと。当帰といえば、漢方ではおなじみの生薬で、中国語風にはdong quaiという。アンゼリカはハーブティーとして生活の木とかに普通に売っているし、サプリとしても買える。

認知症という病気は、癌と似た怖さがある。
癌は、段々と腫瘍が増殖して肉体をむしばみ、やがて死に至るようなイメージだろう。認知症は、肉体は侵さないが、心を侵す。その人をその人たらしめている記憶や精神が、次第にむしばまれていき、やがてすべてがわからなくなる。愛する人が癌になり、その肉体が死ぬのも悲しいが、認知症になり、その人の精神が死ぬことにもまた、別種の悲しさがある。
しかし、癌であれ認知症であれ、なす術がまったくないわけではないんだ。むしろ、全快が望める場合だってある。
くれぐれも「癌には抗癌剤」「認知症には抗認知症薬」という思い込みにとらわれないようにしよう。
2020.1.6
老化というのは、”情報量の過多”のことだという人がいる。
たとえば老人の顔を見よ。深いしわが刻まれ、無数のシミが散乱している。一方、若者の顔を見よ。しわもシミもない、つるつるとした美しい肌をしている。
老人と話してみよ。要点がぼやけていて何が言いたいのか要領を得ず、そのくせやたらと話が長い。一方、若者の話は、簡潔明瞭かつ機能的だ。
つまり、長く生きるということは、体や心のあちこちに不必要な情報を溜め込んでいくということだ。そういう積もり積もった情報のせいで、容姿においてもふるまいにおいても、醜くなったり非能率的になったりする。老化にはそういう側面があるんだな。
認知症患者において、脳内に蓄積したアミロイドβは”不必要な情報”の最たるものだ。はっきり、ゴミ、である。
このゴミは、神経細胞外に溜まるが、神経細胞内のタウ蛋白の異常なリン酸化を引き起こし、結果、神経細胞が壊死する(神経原性変化)。こうして脳が次第に萎縮していくことになる。
アミロイドβの蓄積は、認知症を発症する30年ほど前から始まっているという。つまり、80歳で認知症になった人は、すでに50歳ぐらいからアミロイドβによる脳萎縮が始まっている可能性がある。認知症は、1年2年で始まる病気じゃないんだ。30年かけて爆発する時限爆弾だということだ。
では、このアミロイドβの蓄積を防ぐにはどうすればいいか。
これについては以前のブログで書いたことがある。
「アミロイドβの分解は、インスリン分解酵素が行う。甘いものを多食する人では、インスリンの分泌量が多く、インスリン分解酵素の消費も激しい。だから、アミロイドβの分解にまわすだけの余裕がない。こうして分解されずに残存したアミロイドβが、どんどん脳内に蓄積していくことになる。実際、糖尿病患者では認知症の発症率が高いし(「認知症は脳の糖尿病」という先生もいる)、臨床現場を見ていても認知症患者には甘党が多い印象だ。腸脳相関を考えれば、脳の炎症には腸の炎症が関係しているもので、だからまず、腸の炎症を起こすような精製糖質とグルテンをやめること。認知症の改善には、これが絶対の前提条件だ。」さらに、デール・ブレデセンの「リコード法」を紹介した。
このブログでは、繰り返しを避けて、また別の角度から認知症を見てみよう。
「アルツハイマー病は、ビタミン療法で劇的に改善する」とソールは断言している。「ビタミンE、B12、ナイアシン、レシチンには改善を示すエビデンスがある」
ソールのDoctorYourselfにある認知症関連記事はここが詳しい。
http://www.doctoryourself.com/alzheimer.html?fbclid=IwAR0CEuZKp58BYCpo-CrTQ0ianUl74AktgIEBvyh07T4__UWX80DtQLJFDBc
以下、このページ内にある研究をいくつか紹介しよう。
・ナイアシン
『アルツハイマー病マウスにニコチンアミドを投与すると、サーチュイン阻害とリン酸タウの選択的減少を経由する機序によって、認知能力が回復する』
https://www.jneurosci.org/content/28/45/11500.short
人間換算でいうと、ナイアシン2000~3000㎎とのこと。マウス実験だから人間でも成り立つと言えないところが残念だけど、ずいぶん示唆に富む研究だと思う。
ナイアシンは、食品で言うと、肉(牛肉、鶏肉、豚肉など)、魚、ナッツ、種子などに多く含まれている。「老人は肉を食え」という主張は、認知症予防の観点からも正しいようだ。
・コリン
アルツハイマー病患者では、アセチルコリン(神経伝達物質)が欠乏している。なぜ欠乏しているのかというと、アセチルコリンを作るための酵素(コリンアセチル転移酵素)が不足しているからだ。このせいで、脳内のアセチルコリン濃度が減少することになる。では、どうすればいいのか。単純な話で、コリンを含む食品を多く食べればいい。それだけで、脳内のアセチルコリン濃度が増加する。コリンはレシチンに多く含まれている。ありがたいことに、レシチンは安いし、薬というわけでもないので簡単に手に入る。
『アルツハイマー病患者に対する高用量レシチンのプラセボ対照二重盲検』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3897460
認知症患者51人に20~25gの大豆レシチンを投与したところ認知症症状が有意に改善した、という研究。
食事からチマチマ摂取するより、こういうでっかいボトルから大さじで摂取するのが手っ取り早いよ。

・ビタミンE
アルツハイマー病患者では、抗酸化物質(ビタミンE、A、Cなど)の血中濃度が低いことが知られている。なぜか?ちゃんとした食事を摂っていないせいか、アルツハイマー病という病気自体がこうした栄養素を消耗するせいか、あるいはこの両方の理由によるものだろう。やはり、単純な話で、足りないなら、補ってやればいい。
『ビタミンEとアルツハイマー病』
https://academic.oup.com/ajcn/article/71/2/630S/4729332
アルツハイマー病患者を対象にした2年間にわたる二重盲検で、ビタミンE投与群(1日2000 IU)では認知症の進行が有意に遅かった。ビタミンEは薬(セレギリン)よりも有効だった。
ところで、当院を受診した若い女性患者で、こんなことを言っている人がいた。
「PMS(月経前症候群)がひどくて、生理が来るのが毎月苦痛でしかたなかった。肌荒れはするし、頭もおなかも痛くて、気分はイラつくし、最悪の気分でした。婦人科を受診してヤーズを処方されたけど、ほとんど効きません。どうにかならないものかと、ネットを調べていたら、ビタミンEとレシチンがいいという記事を見つけて、飲んでみたら、もう、奇跡のように効きました。これまで生理を恐れていたのがウソのようで、いまでは生理当日になって、あ、来たの、という感じです」
ビタミンEとレシチン。
どちらも認知症に効く成分でありながら、同時にどちらもPMSに有効だというのがおもしろい。老若男女問わず、積極的に摂取するといい。
ただ、難をいうなら、ビタミンEは値段がちょっとお高いんだ。モノがいい商品は特に。

60粒入りで5500円というのは、購入ボタンをクリックするのにちょっと勇気いるよねぇ^^;
2020.1.6
アリセプトを「認知症を治す薬」と言ってしまうと、これは科学的には完全に間違いだけど、「認知症の進行を遅らす薬」という表現は、まぁ許容できると思う(ただし、すべてのパターンの認知症の進行を遅らせるわけではない)。
だから、アリセプトの添付文書に「アルツハイマー型認知症治療薬」と記載されているのは、患者本人や家族の誤解を招く。素朴に考えて「アルツハイマー型認知症を治療するための薬」だって思うよね。でも全然そうじゃない。アリセプトを飲んでいるからといって、記憶力の悪化は止まらない。ただ、増悪のスピードが鈍るという、ただそれだけの話。終着点は結局同じ。そのことをきちんと認識して、変な期待をせずにこの薬を飲むのなら、別に構わないと思う。
有効性を検証した論文としては、以下のようなのがある。
『アルツハイマー型認知症に対するドネペジル(アリセプト)』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/29923184
長いので【結論】だけ紹介。
ドネペジルで12週あるいは24週治療したアルツハイマー型認知症患者(軽度、中程度、重度)は、認知機能、活動度(ADL)、認知症スコアでわずかな利点(small benefits)が見られることには、中程度のエビデンスがある。また、ドネペジルは費用対効果から見て、プラセボよりも高額でもなければ安価でもない、ということにもエビデンスがある。1日23mgの投与は1日10mgの投与よりも有効とは言えず、また、1日10mgの投与は1日5mgの投与よりもわずかに有効である。しかし、用量が多いほど、投薬中止後の離脱症状や有害事象の割合は高かった。
アリセプトの開発者は日本人。
製薬会社研究員の杉本八郎が久々に実家に帰ると、母が認知症になっていた。息子の自分を見ても、誰なのか認識できない。ショックだった。母の目をしっかり見て、祈るような思いで声をかけた。「息子の八郎ですよ」。応じる母の声はそっけなかった。「そうですか、私にも八郎という子供がいるんですよ」
悲しみを振り切るために、杉本はますます研究に没頭した。母の認知症を治したい。その一念だった。
製薬会社は膨大な資金をかけて新薬の研究開発を行う。ざっと10年以上、数百億から数千億円の費用がかかる。それでも、臨床治験を行い、有効性が認められ、やっと承認までこぎつけるのは、ほんの数%の薬だけである。
会社は杉本の研究にはまったく期待していなかった。認知症の薬などできるはずがないと思っていた。そんな分野に金をかけるのなら、降圧薬や高脂血症など、もっと着実なリターンの望めるところに投資したい。杉本にも、開発中止の命令が下された。しかし彼はその命令を聞かなかった。「認知症患者ではシナプスでのアセチルコリン濃度が低下している。この濃度をうまい具合に高めることができれば、きっとこの研究はうまくいくはず。」上層部を説得して研究継続を許されたものの、しかしなかなか成果が出ない。「どれだけムダな研究を続けるつもりか。」会社から、再度開発中止の命令が来た。「もう少し、もう少しで、成果が出そうなんです。」上層部に懇願し、何とか容れられて研究を続け、苦節5年、ついにアリセプトの創薬を成し遂げた。『杉本八郎物語』(大山勝男 著)
一見美談のようだけど、いまいち胸に響かないのは、アリセプトの効果のなさを僕が現場で見すぎているせいかもしれない。効かないどころか、周辺症状(特に易怒性、攻撃性)がひどくなって手が付けられなくなる患者は珍しくない。そういう人にアリセプトを減量(あるいは中止)して、必要に応じて各種ビタミンやハーブ、CBDオイルを使う、というのが僕の仕事になっている。
かつてアリセプトには増量規定があった。3mgでスタートして2週間経ったら5㎎に増量して、という具合に処方マニュアル通りに増やしていかないと、保険適応の薬として認めない、という認知症薬特有のルール。体格、薬の効き具合など人間の個体差を一切無視して「とにかく一律に、この規定に従って増量せよ」という、バカみたいなルール。このせいで、徘徊などの周辺症状が悪化する患者が全国で続発した。
増量規定は2年ほど前に廃止されたものの、知識のアップデートをしてない医者はいまだにこのルールに従って処方し、多くの悲劇を生んでいる。
認知症の何が大変かといって、認知症の周辺症状なんだ。
そもそも認知症には中核症状と周辺症状がある。中核症状は、記憶力の低下、見当識障害(「今ここにいる自分」の感覚がわからない)、判断力の低下などのこと。
周辺症状は中核症状から派生する症状で、具体的には、せん妄、抑うつ、徘徊、易怒性などのこと。
認知症患者本人は「記憶力が悪くなってきて、自分のことが何だかわからなくなってきた」という。しかし患者の家族にとっては、そういう中核症状は一緒に暮らしていても特にどうということはない。
患者家族にとってダントツに困るのは、周辺症状だ。
せん妄でわけのわからないことを延々言い続けたり、抑うつで食事も自分で摂らないから家族の介助が必要になったり、徘徊でどこかに行ってしまったり、いきなりぶち切れたり、というのは、家族を猛烈に疲弊させてしまう。
アリセプトという薬は、中核症状の進行を多少遅らせるが、周辺症状を悪化させる可能性が高い。
どうですか、こんな薬、かなり微妙じゃないですか。
じゃあどうすればいいのか。栄養療法的にはどのようなアプローチがあるのか、ということはまた別のところで書きます。
2020.1.5
物理学的には、力は、強い力(核力)、弱い力、電磁気力、重力の4種類ある。
この四つのうち、一番強いのは核力、次に核力の100分の1くらいの電磁気力、それより10桁以上小さいのが弱い力、重力はもっと小さくて電磁気力の10のマイナス40乗ほど。重力は、実質的にはほとんど存在していないくらいに小さい。
こんなに小さいものを、他の力(強い力、弱い力、電磁気力)と等しく位置付けることは、本当に正しいのか。教科書を鵜呑みにしないで自分の頭で考える学者は、疑問を感じている。
そんな学者のひとりに、早坂秀雄がいる。反重力の発見者である。
1950年代に中国の物理学者がこんな実験を行った。コバルト60に上向きの磁場をかけると、コバルト60の原子核のスピンが外部磁場に対して逆向きにそろう。そしてコバルト60の原子核から出てくる電子の流れは、上向きになる。つまり磁界と同じ方向に出ている。
これは衝撃的な研究だった。弱い力のベータ崩壊に際して電子線がどの方向にも確率的に等しく飛び出すはず、というこれまでの考え方が成立しないことを示していたからだ。つまり、弱い力において、パリティ(等価性、対称性)が破れているのだった。
弱い力で左右の対称性が破れているのだから、それよりはるかに小さい重力においても左右の対称性が破れているに違いない。早坂はそう直感した。
『地球に対して垂直な軸で右回転するジャイロスコープでは重量が減少している』
https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.63.2701
「ジャイロスコープ(重量は百数十グラム程度)を上から見て右回転させながら垂直落下させると、回転のスピードに比例して、ジャイロスコープの重量がミリグラム単位で減少している。しかし左回転ではそのような変化は起こらなかった」
実にシンプルな研究だ。しかしこの研究が持つ意味はとてつもないものだった。ニュートン力学でもアインシュタインの相対性理論でも、回転で生じる重力は右回りであれ左回りであれ、等しいとされている。この研究はニュートンとアインシュタイン両方に対して真っ向から疑義を呈するものだった。
なぜ重量の減少が起こるのか。右回転に落下させたときに重さが軽くなったということは、上向きの力が働いたということだ。重力場のねじれによって、真空が励起される。つまり、エネルギー状態がプラスの方向になる。ここから何か未知のエネルギーを取り出せないか。反重力の本質をつかみ、人為的な方法で反重力を発生させることができれば、物体を空間移動させることもできるし、エーテルエネルギーの利用も可能になってくる。石油や原子力に頼らない無尽蔵のエネルギー利用が可能になれば、すばらしい世界が実現するだろう。
こういうことを考える早坂の心の中には、明らかにUFOの残像があった。
昭和32年。まだUFOなどという言葉がなかった頃である。千歳空港の上空に、不思議な飛行物体が浮かんでいるのをは早坂は見た。
何も早坂一人の幻覚ではない。空港関係者や周囲の客たちもそれを見ていた。その物体は10分ほど上空で静止した後、突然ものすごいスピードでどこかへ消え去った。気になって翌日の北海道新聞を読んだところ「未知の飛行物体が千歳に現れた」という記事が出ていた。
早坂は根っからの研究者である。「なぜ、あんなふうに飛べるのだろう」あの物体の飛行原理に思索をめぐらせた。明らかに通常のジェット機やヘリコプターではない。あのように空中の一点に静止する技術は、どこの国にも存在しないはずだ。あれは「飛んでいる」というよりも「重力を消している」のではないだろうか。若い早坂はそのように推測した。
30年後、右回転するジャイロスコープの落下実験でこの推測の正しさを自ら証明することになった。さらに、「反重力の基礎研究」をベースにして、宇宙空間における新しい推進技術の開発に取り組んだ。非常に先進的な取り組みだった。しかし、あくまで個人である。理論を実際の技術として適応するには莫大な資金が必要になるが、国はこの研究の重要性を認識していなかった。つまり、国産UFOを生み出そうとする早坂の夢は、夢のまま終わってしまった。
一方、アメリカは国をあげて反重力の研究に取り組んでいる。
ただ、反重力に気付いたきっかけが、日本の場合と異なっている。日本は、早坂という一人の天才を得たことによるが、アメリカは墜落したUFOの残骸物の分析から反重力を発見した。
リバース・エンジニアリング(物体を分解したり解析することで、その動作原理や製造方法、構成要素などを明らかにすること)によって、UFOの飛行原理がモスコビウム(原子番号115)によって発生する反重力機構であることを突き止めた。もちろん、こうした技術は高度な軍事機密に属することから、一般の学会などで公表されることはない。
いつもこういう感じだなと思う。
日本にもちゃんと天才が出て、革新的なことをやろうとするんだけど、結局いろいろな力学が働いて、ぽしゃる。それでアメリカにやられっぱなし。何とかならないものかな。
参考:『反重力はやはり存在した』(早坂秀雄著)
Bob Lazar: Area 51 & Flying Saucers
2020.1.4
盆と正月には、祖父母と母が眠る須磨寺に行って、坊主にお経を読んでもらう。
きのうも行ってきた。
すばらしい快晴。新年の始まり。そういう日に死者に手を合わせるというのは、しんきくさいかと思いきや、不思議と悪い気はしない。
護摩木に干支、年齢(数え年)、性別、名前を書いて、さらに祈願を書く。
そばの父が「うわ、俺もう68歳か。信じられへんな」とつぶやく。
数え年では、0歳が存在せず、1歳でスタートする。また、何月生まれであっても、元旦でひとつ年をとる。だから「今年の数え年」は、自分の認識より2個年上になる。
それでいうと僕も41歳で、確かに信じられへん感じがする。まだぎりぎり三十代のつもりでいるからね^^;
しかし西洋風の満年齢でいっても、僕は今年40歳になる。平均年齢的には、人生の折り返し地点。つまり僕の人生は、残りあと半分。
僕の人生の前半は、もっぱら自分のためにばかり生きてきたと思う。後半は、社会のために、という意識も持ちたい。
医療といえば西洋医学しかないと思われているこの国で、栄養療法を広めることは、ちょっとした社会貢献にもなっているはずだと信じよう。

ネットで見つけた書き込み。
「2050年は1990年と同じくらいの距離だ」
なるほど確かに。
2050年なんて聞くと、遥かかなたの未来のような感じがするけど、現在と1990年のへだたりと同じ程度なんだな。
今から30年前。
スマホもインターネットもなかったけれど、日本経済は絶好調だった。
これから30年後。
少子高齢化が加速して、日本経済の衰退は止まらない。その少数の若者も、AIに仕事を奪われて、定職を持つ者さえ珍しい。貧困家庭の増加は天井知らず。
そういう具合に、経済的に悲惨な状況になっている可能性はけっこう高い。
でも、それが「不幸な未来」かというと、必ずしもそうじゃないと思うんだな。今周囲を見回しても、お金持ちで不幸せそうな人はいるし、金がなくても幸せそうな人はいるでしょう?
人を真に幸せにするのは、物質的豊かさではなくて精神的豊かさなんだ、ということを実感するいいきっかけになるかもしれない。
坊主の法話を聞いた。
しゃべるのがうまいなと思っていたら、なんと、このお坊さん、自分の法話をユーチューブにアップしているという。つまり、坊主ユーチューバー^^
すごい時代だ。そのうち、お経もネットで配信されたりするのかな^^;
しかし、法話をネットにあげちゃっていいのかな。
レコードが出てきたとき、落語家たちは憤慨した。自分の高座を録音されて、それが人々に広く聞かれてしまっては、同じネタができなくなる。ネタは生き物。ウケるときもあればすべるときもあるし、その場でネタをアレンジすることもある。それが、録音という形で標本みたいに押さえられては、かなわない。
このお坊さんも、いわば自分の持ちネタをネットにさらしているようなものだから、不都合なところもあると思うんだけどね。
坊主ユーチューバーというのも相当違和感あるけど、もっと違和感があるのは、この寺、お布施のネット振り込みにも対応しているんだよね。
なんていうかな、お布施とかお賽銭というのは現金で直接やるからこそ、ありがたみがあるような気がする。お賽銭をメルペイ決済とか、何かすごく嫌だな^^;
盆と正月に直接寺に出向いて、お経やら法話やらを生で聞くことに意味があると思う。
ネット配信とかネット振り込み対応とか、あんまり興ざめなことをやらないで欲しいんだけど、2050年にはそういうのが当たり前になっているのかもしれないな。