ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2019年

ピアノ

2019.1.8

「幼稚園のときからピアノを習い始めて、高校2年生まで続けた。
それも単なるお稽古ごとっていうレベルではなくてね。私の青春のすべてのエネルギーを捧げるぐらい、熱心に。
毎日学校から帰ればすぐに練習するのは当然の日課で、5時間はひいてたかな。
定期的にコンクールに出て、ライバルたちと切磋琢磨してた。
誰よりも上手にひきたいって、いつも思ってた。母も協力的で、私がうまくなるためになら、出費は惜しまなかった。
小学校2年生のときに、世界的なピアニストが来日した。
その人、浅田真央ちゃんのすべる協奏曲のピアノ演奏を担当しているぐらいすごい人なんだけど、その人のレッスンを受ける機会があった。
東京のとあるホテルの一室で、通訳の人を介しての1時間の個人レッスン。ちょっと驚くぐらいの授業料だったけど、お母さん、受けさせてくれた。
ベートーベンの『エリーゼのために』を事前にみっちり練習して、それを先生の前で披露した。
もう、ダメ出しの連続。
運指法からしてなっていない、いや、そもそもピアノを通じて表現するとはどういうことか、ということから始まって、1時間のレッスンのほとんどは、そういう根本的なところの指導だった。
曲の譜面で具体的な指導があったのは、最初の5小節だけっていう笑
でもすごく勉強になったし、刺激になった。ますますピアノの練習にのめりこんだ。

それだけ練習してもね、私よりうまい人ってたくさんいるの。
コンサートに出ても、優勝はできない。
コンサートには複数の審査員がいて、彼らがどういうふうに演奏を聴いたのか、あとで評価をくれるんだけど、よく言われたのが、
『表現力はすばらしい。ただ、ミスタッチの多さなど、技術的にはまだまだ進歩の余地がある』みたいな言葉。
練習量なら誰にも負けない自信がある。それでも、技術面でまだまだ未熟だっていう。
正直、伸び悩んでた。
才能ないのかな、もうピアノやめようかな、って。
高校1年生のときに決心した。東京にある音大の先生について、週に1回、レッスンを受けよう。
それで1年、必死に頑張って、それでも芽が出ないようなら、もう音楽の道はあきらめよう、って。
1年間、仙台から新幹線で先生のもとへ通い続けた。家でも当然、ずっと練習していた。
そして最後のレッスンのとき、先生から言われた。
『プロになることだけが人生じゃない。君は音楽を通じて多くのことを学んだ。それは今度の人生を生きていく上で、すばらしい財産になるだろう』
遠回しな表現だけど、要するに、プロは無理だっていうこと。
ショックだったかって?
うーん、ショックというほどでもないのかな。
たくさんのコンサートに出ていれば、自分の力量がどの程度なのか、だいたい分かる。
才能のある人ってね、本当にすごいんだよ。ああ、かなわないな、優勝はこの人だろうな、って、審査員の結果発表を聞かなくてもわかる。
そういう人を見てきたから、努力だけでは超えられない、才能の壁があるということは、もうわかってた。
すごい人は壁の向こう側にいて、私はこちら側。練習だけでは超えられないんだろうなって。
1年間、音大の先生について徹底的に頑張ったのは、自分の才能に見切りをつけるため。
これだけ頑張ったのにダメだったんだ、もういいじゃない、ってあきらめるための1年だったから、先生に言われたときにも、ああやっぱり、という感じ。
私がピアノをやめるといったら、お母さんのほうが戸惑ってた。
『東京芸大が無理でも、せめて別の音大に行ったらいいじゃない。東京学芸の音楽科とか、他にもいろいろあるじゃないの』って、引き留めてくれたけど、私としてはもういいかな、って。
私の今の仕事?
普通にOLしてる笑
もうピアノはいいや、って思ってたんだけど、あるとき、ふと、ピアノがすごくひきたくなって。
給料ためて、電子ピアノを買った。
今の電子ピアノってすごいんだよ。一昔前の電子ピアノって、鍵盤を強く叩いても弱く叩いても強弱をつけられなかったんだけど、今のは強弱がつけられる。
音質もよくて、グランドピアノと遜色ないぐらい。
仕事から帰ってきてからとか休日とか、イヤホンつけて一人でひいて、楽しんでる。今はね、そういうふうにピアノをひくのが純粋に楽しい。
腕前はもちろん落ちたよ。『月光』の第3楽章とか、ああいう難度の高い曲は、指が動かなくて、もうひけなくなっちゃった。でもね、それでいいの」


きのう飲み屋でたまたま隣り合った姉ちゃんから聞いた話。
世の中には、すごい人がそのへんに転がっているものだね。
努力の上になお努力を重ねて、それでも超えられなかった才能の壁。
こういう壁の存在を知り、挫折を経験しても、人間は意外にあっさりとあきらめることができるんだな。
「これだけ頑張ってダメだったんだから、もういい」
そういう心境って、ほとんど「悟り」に近い感覚で、人生の中でなかなか経験できるものじゃないと思うよ。

ナイアシン

2019.1.7

仕事始めで、あけましておめでとうございます、とか紋切り型のあいさつをして、事務員と雑談しているときに、こんな質問を受けた。
「先生、ナイアシンってアレルギーにもいいんですよね。
私の兄がアレルギーで、ナイアシンに興味持ってるんです。でも痛風もあって、お薬飲んでます。
で、ネットで調べてみたら、ナイアシンは痛風にはあまりよくないって書いてあるんですけど、先生、どう思いますか。ナイアシン、飲んでも問題ないですか」
結論から言うと、問題ない。飲んでもらってオッケー。ただ、尿酸値は上がるよ。
「どういうことですか。尿酸を下げるための薬を飲んでるのに、尿酸が上がったらよくないんじゃないですか」

当然の疑問だろう。
これに対しては、大御所ホッファー先生の言葉をお借りして答えよう。
http://orthomolecular.org/library/jom/2003/pdf/2003-v18n0304-p144.pdf
この論文は、ホッファーがナイアシンの副作用に真正面から向き合ったものだ。
ホッファーは誰もが認めるナイアシンの第一人者である。ナイアシンが統合失調症、アルコール依存症にいかに効果的であるかをエビデンスで以って証明し、また、なぜ効果的なのかそのメカニズムを解き明かした人だ。
その彼が、ナイアシンの副作用をメインテーマに据えて書いた論文である。
栄養療法を実践する人なら、まず読んでおきたい論文だろう。
この論文のなかに、ナイアシンと痛風の関係性についての一項目がある。
ざっと要約しよう。
「痛風に対するナイアシンの効用
ナイアシンによって尿酸値が軽度の上昇を示すことは分かっていたが、これがためにナイアシン療法を忌避すべきではない、ということもはっきりしている。
疫学研究(the Coronary Drug Project)では、この介入研究に入る前の尿酸値は平均6.75だったが、ナイアシンを5年継続した後では平均6.80だった。
ナイアシンを服用した人々では、8.0を超える尿酸値だった。
しかしこれは、痛風の症状(尿酸結石の増加、急性痛風関節炎)がまったく増加していないことを考えれば、大したことではない。これは私の結論でもある。
私はナイアシンを痛風の危険因子とは考えていない。私の義父は関節炎と痛風の両方に罹患していたが、それらの疾患の間に関連性はなかった。
ナイアシンを摂るようになると、彼の関節炎は消失したものの、痛風発作には以前と変わらず苦しんでいた。
ナイアシンは、痛風エピソードを増やしも減らしもしない。
血中尿酸値の軽度上昇は、好ましい副作用だとさえ言えるかもしれない。
McCrackenによると、尿酸は中枢に対する刺激物質であり、尿酸の活性化(2000万年前に起こった遺伝子変異による)はこの点でむしろ有益だった。
大学教授(知的職業に従事する人)では、そうではない対照群と比べて、尿酸値が高い。
尿酸は抗酸化物質でもあり、これは体にとって、当然、非常に有益である。
従って、痛風が怖いからといって、ナイアシンの使用を控えるというのはナンセンスである。
万が一痛風が発症したとしても、その治療は極めて簡単である」

そもそも尿酸値は、現代医学では悪者ということになっている。
それは痛風発作、痛風結石を引き起こす憎むべき悪であり、数字が高ければすぐに下げねばならない、と。
コレステロールや血圧と同じ扱いだ。
コレステロールが高い?危険だ!動脈硬化が進み、心筋梗塞や脳梗塞になるぞ。すぐに下げろ!
高血圧?危険だ!心血管系への負担が極めて大きく、やはり脳梗塞や心筋梗塞の発症リスクが上がるだろう。すぐに下げろ!
なぜ、コレステロールが血中にあるのか、なぜ血圧が高いのか。その必要性には一切目もくれず、とにかく下げろ下げろの大合唱。
もういい加減、こういう医療はやめときなよ。
クリニックをやり始めてからつくづく分かったんだけど、薬の売り上げって、経営的にすごく大きいんだよね。
医者も商売、やっぱりお客さんが欲しいから、「とりあえず薬を出しますね」、ということになりがちだ。
実際、一般的な内科の先生にとって、薬を出す以外にやってあげられることって、実質何もないんだよね。
医者であるからには、何かやってあげたい、と思う。
患者も、何かしてもらおう、という気持ちで来院している。
両者の思惑が合致して、一生続く投薬治療が始まる、というのが、病院の日常風景だ。
尿酸もそういうヒール役を引き受けていて、「高ければ下げろ!」的な立ち位置に置かれている。

ホッファーの論文にあるように、尿酸は本来抗酸化物質だ。
ビタミンCの体内合成ができなくなった人間にとっての、抗酸化力を保つ代替手段。それが尿酸だった。
だから、ナイアシンの服用によって尿酸が上がるということは、抗酸化力の上昇ということであり(ナイアシン自体、抗酸化ビタミンである)、本当は歓迎すべきこと、喜ぶべきことであるはず。
ところが事態はあべこべなんだ。
「尿酸が高いことは悪いこと」だと医者は学校で学んで信じているし、患者もしっかり洗脳されている。
でも、事実は違う。
単に尿酸が高いだけでは痛風発作の原因にはならない。
本当の原因は、もっと別のところにある。
そのあたりの真相をお見せしましょう。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yoken1952/24/5/24_5_271/_pdf
1971年と古い論文だけど、いまだに説得力を失っていない。
要約部分をざっと訳すと、、、
MSG(グルタミン酸ナトリウム。要するに、味の素のこと)のナトリウム毒性を証明するために、塩化ナトリウムへの感受性が高いことで知られるヒヨコを実験動物として選んだ。
MSG、塩化ナトリウム、グルタミン酸カリウム(それぞれ、ほぼ等張液)を飲み水の唯一の供給源として、ヒヨコに自由に飲ませた。
MSGを与えられた二日齢のヒヨコは痛風のため数日後に死んだ。生理食塩水を与えられたヒヨコよりも高い死亡率を示し、病変部の症状が重かった。
一方、グルタミン酸カリウムを与えたヒヨコでは死亡や衰弱する個体はなかった。
MSGを与えたことによる二つの主な特徴は、腎臓病の急性発症と大量の尿酸塩の蓄積であり、主な組織学的変化としては、腎尿細管の変性と集合管の結石による閉塞だった。
半分の濃度で実験しても、MSGの投与によって、腎葉の萎縮が見られ、痛風で死亡する個体もあった。
ナトリウム毒性のみならず、グルタミン酸も尿酸形成に何らかの影響を及ぼしていると思われる。

プリン体を避けるよりも、まずは味の素を避ける。
このほうがはるかに実際的で効果的だと思う。
そのためには、外食も極力控えたほうがいい。食事は、加工食品ではなく、自分で作って食べよう。
家で使っている調味料とかも案外盲点で、まず、裏の原材料表示を見よう。
「調味料(アミノ酸等)」というのは、要するに、「毒が入っています」というのの婉曲表現だよ笑
味の素社も、もっと自社商品に自信があるのなら、こんな遠回しな表現をやめて、しっかり「味の素」って表記すればいい。
なぜそれができないか。
自社商品が体に悪いってことは、とっくの昔から彼らにも分かってるんだよね。

ミトコンドリア

2019.1.6

ミトコンドリアには電気が流れる。
ウソだと思いますか?
本当です。
心電図や筋電図、あるいは脳波もだけど、ああいう計測が可能なのは、筋肉(心筋含め)や脳にミトコンドリアが多く含まれているからだ。
ミトコンドリアの電子伝達系で効率の良いエネルギー産生が行われているというのは、高校の生物の授業で習っただろう。
電子伝達系では、その名の通り、電子が大量に発生している。
電子の集まりというのは、いわゆる電気に他ならない。(電子がどの程度集まれば「電気」と呼べるのか、その定義はよくわからないけど。)
この発想に基づいて、ミトコンドリアを使って電池を作ろうという研究さえある。
https://link.springer.com/article/10.1007/s11356-015-4744-8
この論文は中国の研究者が2015年に書いたものだけど、ミトコンドリア・バッテリーのアイデアは2010年アメリカの研究者により初めて発表された。
発想のエッセンスを深く理解し、なおかつ、そこに新たな知見を加えて論文を発表するには、相応の技術力が必要なわけだけど、最近の中国の科学技術の進展はすさまじく、すでに日本を追い抜き、米中2強の様相を呈している。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0913.html
中国政府による潤沢な金銭的バックアップを背景に、今の中国の躍進があるという。
金だけがすべてじゃないだろう。金がなくても、ないなりに、発想力勝負でおもしろい研究をしている人は日本にもたくさんいると思う。
本当に問題なのは、新しい発想の研究に対して、「今までの定説と違う」と新しい芽を摘んでしまう日本の旧弊な体質じゃないかな。

ミトコンドリアの研究は、健康とは何か、もっと広く、生物とは何か、ということを探求する上で、多くの示唆を与えてくれる。
細胞内共生説によると、真核生物というのは、嫌気性生物のなかに好気性生物(ミトコンドリア)が住んでいるという、初手からボタンを掛け違えているような矛盾から話が始まる。
事実、異質な両者の融合はなかなかうまくいかなかった。
ミトコンドリアが分裂抑制遺伝子を持ち込み、嫌気性細胞の細胞分裂を遅くするなど、様々な工夫をこらすことによって、何とか共生を達成したものの、根本の矛盾が解決したわけじゃない。
実際最終的には、細胞はミトコンドリアの放出するフリーラジカルに身を焼かれ、つまり老化し、死を迎える。
そう、物語の最初から、結論はわかっている。細胞はみんな、死ぬ。
それでも細胞は、たとえ死ぬことがわかっていようと、実りのある豊かな生を生きようと思った。

こうして生物は、解糖系とミトコンドリアという、二つの異なるエネルギー産生システムを持つに至った。
胎生期は解糖系のピークだが、成長期の子供時代も解糖系が優位だ。
子供の特徴は瞬発力。子供は突発的に行動するものだし、集中力は大人みたいに長く続かないものだ。ADHDとなればまた話は違うけどね。
それに、細胞分裂を繰り返して体を作っていかないといけない時期だから、ミトコンドリアが多すぎて細胞分裂を抑制しちゃっても困るわけだ。
成長期もひと段落し、大人になれば、調和の時代。
解糖系とミトコンドリアのバランスが絶妙に保たれている。生産的に働き、家庭を作り、人生を作っていく時期でもある。
若者がやがて中年へ、そして老年へとさしかかるにつれ、解糖系が縮小し、ミトコンドリア系が優位になり始める。
解糖系が与えてくれた瞬発力は衰え、機敏な動作ができなくなってくる。
活性酸素を出すミトコンドリアの勢いを抑えられなくなる。肌には無数のシミやしわが刻まれる。
こうして老い、やがて死んでいく。
しかし、これは不測の事態ではない。当初からの契約だったのだ。
必滅の体となることを知ってなお、ミトコンドリアとの共生を選び、短くも輝かしい生を生きようとした。
それが僕らが12億年前にした選択だった。

共生ゆえの脆弱さ、というのもある。
ミトコンドリアは好気性呼吸で、酸素があってこそ本領を発揮できるんだけど、それゆえに、虚血に弱い。
適切な血流(酸素供給)が保たれていれば長時間働き続けられる箇所にミトコンドリアは多く分布している。
赤筋(40㎞とか走れる)、心筋(止まるときは、死ぬときだ)、脳神経(寝ているときでさえ休まない)などは、ミトコンドリアなしでは成立しえない臓器だ。
肩こりや腰痛を軽く見てはいけないよ。あれは虚血にあえぐ赤筋の悲鳴だからね。
脳梗塞や心筋梗塞で数分血流が途絶するだけで、体は大きなダメージを負う。
上手に生きれば100年以上機能する器官が、たった数分の虚血で永続的な機能不全に陥るって、考えてみればすごい話だよね。

ミトコンドリアを語る上で、血流というのも大事なテーマだ。
血流。
血の流れ。
福岡伸一先生によると、僕らは「動的平衡」のなかで生きている。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
目の前を流れる河は、きのうと同じ河ではない。違う水が流れているわけだから。
同化と異化を繰り返す僕らの体は日々変化していて、実際二十年もすれば細胞的にはすっかり入れ替わっているという。
一見不動の存在に思える僕らの体のなかを、血流という流れが常にめぐっているのは、何か比喩的なものを感じる。

毛細血管の径は7.5~8μm、赤血球の径も大体同じで7~8μmぐらい。
この一致は不思議だ。
血管が血を流すためだけにあるのなら、もっと血管径に余裕があるべきだろう。そうでないのはなぜか。
ときには血流を止めることも必要だからだ。
怒りや興奮などによって交感神経が緊張すると、血管径が縮み、血流が低下する。
そうすることによって、解糖系が瞬発力を発揮できるからだ。
人生、進んだり立ち止まったり、だけど、これは血流も同じようなんだ。
ただし、「ときには」止めることも必要、ということであって、交感神経の興奮が続いてしまってはいけない。
基本的には血流、ゆく河の流れを保つことが重要だ。

こういうメカニズムにのっとって考えると、痛みに対して痛み止めを投与することの不自然さが見えてくる。
「痛み」というのは局所で発痛物質(プロスタグランジン)の産生が起こり、血管拡張させて、何とか血流を呼び込もうという反応だ。
その痛みの不快感を鎮めようとして、アスピリンやバファリンを飲んでも、実は根本的な解決にはなっていない。それは、人工的に「流れ」を止めたに過ぎないんだ。
体はよくできていて、症状即治療、痛みこそ実は治癒反応だったのにね。
対症療法に終始する医学は、動的平衡の考え方の真逆を行くものだろう。
ゆく河の流れを永続的に止めようとしたところで、成功するわけがない。

刑法39条

2019.1.5

勤務医の頃は、人間関係とかいろいろすごく面倒だった。
「それ、パワハラでしょ」と言いたくなるような上司の言動は無数にあった。
一番ひどいと思ったのは有給取得を認めてくれなかったこと。
基本的に角を立てたくない性格だから、理不尽な要求もグッとこらえて飲むようにしてたけど、さすがにこれには我慢できなかった。
「何も直前に休ませてくれと言っているわけじゃないんです。
一か月以上前に、事前にお伺いを立てているんです。どうしても、認めてもらえないのですか」
「少ない医者で職場が回ってるんだ。年齢的にはいい年したおっさんだが、ここではお前が一番下っ端なんだぞ。
下っ端が有給とか、何ぜいたくなこと言っている。俺だって有給取りたいよ。でも取らずに頑張っているんだぞ」
こんな具合に混ぜ返してくることはわかっていた。
議論の泥沼に巻き込まれるつもりはない。
単刀直入に、用意の言葉を言う。
「わかりました。話が通じないようなので、病院長宛てに内容証明郵便で有給願いを出します。
それでも通じないようであれば、労基に現状を話しに行きますので」
さすがに面食らったようで、急に態度が軟化した。
「いや、しかし、四日というのは、さすがに長いね。二日でどうだ。二日なら認めよう」
本当はこんな提案も突っぱねて、黙って四日休めばよかったんだと思う。
そうしたところで、病院規則に従って行動しているんだから、何も僕を咎めることはできないことは分かっていた。
でも、相手にもプライドがある。
こちらの思いのままになる、というのが、彼には許せないんだな。
このあたりが落としどころか。妥協して、二日の有給取得となった。
これでも、僕としては相当頑張ったほうだ。
しかし、こんなことを言わせるなよ。
言わせるほど、追い込まないでくれ。

いい上司、嫌な上司、なんて白黒はつけないのが基本方針。
いわゆる「いい上司」にも、生理的に受け付けない不快な癖があったりするし、「嫌な上司」にも、何とも憎めないかわいいところがあったりする。
人間は多分、どんなことからだって学べると思う。
嫌な上司も、ときにはハッとすることを言う。
「ほら、今日の措置の患者に限らないけどね、ああいう患者見て、君、どう思う?
完全に見当識がぶっ飛んでて、まったく自分を失ってると思う?
俺、そうは思わないんだな。
なるほど、疎通はできないし制止がきかない。放っておいては自傷他害の恐れのある危険な状態だ。
それでも、一抹の自分は残ってるんじゃないかな。
心が10あるとして、9はぶっ飛んでいるかもしれない。
でも1は、自分の精神の1割くらいは残っているんじゃないか。
心神喪失と心神耗弱って言葉がある。医学用語というよりは法律用語だけどね。
心神喪失状態にある人が罪を犯しても、罰せられず、心神耗弱状態にある人が罪を犯せば、減刑。刑法39条で決められてるんだ。
医者だから法律の専門家である必要はないけど、これくらいは知っておくといい。警察とか裁判所から、診断書やら鑑定書を書いてくれと求められることもあるかもしれないからな。
たとえば精神科通院歴のある患者が、駅のホームで電車を待っているときに前の人を線路上に突き落とした、みたいなニュースがときどきあるだろう。
ああいう事件の精神鑑定を頼まれたら、どうする?
『被告は犯行当時心神喪失状態にあり、理非の分別がつかず、従って被告の行為は犯罪を構成しない』と、あっさり書いていいものかどうか。
精神障害者だから無罪放免、という刑法39条の規定は、ちょっとどうなんだ、と俺は思っている。
この規則が言っていることは、要するに、『気違いを刑務所にぶち込んでも仕方ない』ということだ。
冷たくないか。
逆差別のように感じるんだ。
『罰するということは、許してやることだ』という言葉がある。
罰してもらえない彼らは、一体何なんだ、と思う。
そもそも俺は、本当の意味で『心神喪失』という状態があり得るのか疑問に思っている。
どんなにぶっ飛んで見えようが、一抹の自分は残っていたはずで、その残っていた量に応じて、多少なりとも罪を負わせてやる。
そちらのほうがよほど精神病者を対等に扱っていると思わないか」

個人的には、完全な心身喪失状態はあり得ると思う。
たとえば酒に泥酔して、記憶が飛ぶなんてことはよく経験するところで、僕の場合はそういう状況でも案外普通に会話したり受け答えしたりしているようなんだけど、酒乱で暴力的になる人もいる。
ただ、上司の言っていることもよくわかる。
「病気だから、仕方ない」という論理は、どんな罪も正当化してしまう無敵の印籠のようで、これは一見、精神病者を守っているようでいて、実は精神病者を排除する論理になっていないか。
考える価値のある深いテーマだと思う。

リフィーディング症候群

2019.1.4

1580年というのは、戦国の真っ只中で、日本中が混沌としていた。http://www.geocities.jp/seiryokuzu/c1580.jpg
近畿から東海にかけてのメインどころは大体信長が抑えていたけど、四国の長曾我部は強かったし、中国の毛利陣営の結束も固く、まだまだ天下統一は遠かった。
そんななか、信長から中国平定の命を受けたのが、羽柴秀吉だった。
西進し毛利の牙城に近づくにつれ、兵士の統率力も高く、抵抗が強くなる。
正面突破の正攻法で大戦を交えるのも一法だが、それで敵方を落としたとて、こちらの被害が大きくては意味がない。
こちらは道の途中、天下統一の大目標に進んでいるところなのだ。
そこで秀吉、黒田官兵衛の助言のもと、様々な策をこらすようになった。
三木の干し殺し、備中の水攻めなど、相手の意表を突く作戦は見事に当たり、次々と城を攻め落とした。

さて、1580年。
鳥取城は2万の大軍を率いる秀吉軍に包囲された。
城主山名豊国は3ヶ月籠城したものの、ついに多勢に無勢と思い立った。徹底抗戦を主張する家臣を尻目に、単身秀吉の陣中に赴き、降伏を申し入れた。
秀吉はこれを容れた。自分の配下となって中国攻めに協力することと引き換えに、豊国の助命を約束した。
驚いたのは家臣たちである。降伏?断じて受け入れられない。
重臣の森下道誉、中村春続らは新たな城主として毛利家の家臣吉川経家を迎え、秀吉軍との対峙を継続した。
ここで秀吉、一計を案じた。
城の周辺の農民を追い込み、わざと城に逃げ込ませた。
通常、城には2000人ほどの兵士や家臣がいたが、そこに2000人の農民が庇護を求めて流入した。
当然多くの食糧が必要になるが、圧倒的な経済力のもと、秀吉は若狭から商船団を派遣し、米を高値で買い占めた。これにつられて、鳥取城の兵糧米ですら、売る者があった。
城内の20日分の兵糧の備蓄は瞬く間に尽きた。
そして、飢餓地獄が始まった。

城内の雑草はもちろん、虫も食べた。
馬や牛を食べ尽くした後は、犬、猫、ネズミさえ人々の胃袋に消えた。
それでも、兵糧攻めは続く。
空腹に耐えかねて、城から飛び出そうとする者もいたが、周囲は秀吉軍に包囲されていて、ネズミ一匹逃すことはない。鉄砲の一斉放射を浴びて絶命することになった。
留まるも地獄、飛び出すも地獄。
食えるものは、何一つとしてない。
いや、一つあった。
人間。
城から脱出しようとして鉄砲で打たれて傷を負った者に、人々は群がった。
無論、助けるためではない。生きたままナタでさばき、その肉で空腹を満たすためである。
そもそも明治以前の日本人にとって肉食は一般的ではなかった。肉を食べることにさえ抵抗感があるところ、人肉を食わざるを得ない極限状況だった。

ところで、人間は断食状態でどれくらい生存できるのか。
これについては731部隊による人体実験がある。水だけは可とする実験なんだけど、普通の水だと45日、蒸留水だと33日生存する。
水だけは飲める静かな実験室と、水も何もない阿鼻叫喚の城内とでは、相当状況が違うだろうけど、人間って意外にタフなんだね。
ブッダも修行の一環として、20日ほどの断食を何度も繰り返したというし、断食修行の最中に亡くなったというお坊さんの話は聞かない。
デトックスのために3日ぐらい断食したって、大して心配いらない。
3日食わない程度の苦しみは、苦しみのうちに入らない。
鳥取城の兵糧攻めは、4ヶ月続いた。

「私さぁ、鳥取城、登れないの」
とある場末のバーで、女が言う。
「小学校の遠足とかで、地元の子供たちはみんな登らされるの。
ちょうどピクニック感覚で登れて、久松山の頂上にある城跡からは鳥取市が一望できて、晴れた日なんかはすごく気持ちいい場所なんだけど。
でも私って、ほら、『見える』から。そういう人にはあの城、マジで無理なんだよね」
「何か霊みたいなのがいるの?」
「いるよ。たくさんいる。
遠足だから、おにぎりとかお弁当持っていくでしょ。
で、頂上で開けて食べるんだけどね、全然味がしないの」
「どういうこと?」
「私が食べる前に、食べられちゃうの。
あのさ、仏壇にお供え物としてご飯とか果物、お菓子を置くでしょ。あれはね、ただの飾りじゃないの。ご先祖さま、本当に食べているからね」

断食で難しいのは、食を抜くことよりも、復食のほうだ、という。
つまり、食事をとらないことによる空腹感は、案外すぐ慣れる。やってみるとわかるけど、「このまま何日でも我慢できそうだ」ぐらいな感じさえする。
でも一番難しいのは断食の納め方、復食で、休息状態にある胃腸をゆっくりと活動させていかないといけないんだけど、最初の一口を食べるやいなや、それまで眠っていた食欲が爆発して、一気にドカ食いしてしまったりする。
実はこれは非常に危険な行為だ。
断食が危険というよりも、この復食の失敗が危険なんだ。
リフィーディング症候群という病態がある。
慢性的な栄養失調状態にある人に、輸液などで急激に栄養補給すると、心不全を起こし、最悪死亡することがある。

城内の惨状を見かねて、ついに吉川経家、秀吉に降伏を申し出た。
自分の切腹と引き換えに、領民の命は助けてやってくれ、と。
秀吉、これを認めた。
こうして飢えに苦しみ抜いた人々は、城の生き地獄からようやく解放された。
戦が終われば、ノーサイド。
秀吉は大きな鍋に大量の米を炊き、これを飢えた人々にふるまった。「さぁ、好きなだけ、たらふく食べるがよい」と。
4ヶ月ぶりの米の味!
人々は咀嚼するさえもどかしく、大量の飯を腹いっぱいにかきこんだ。

人体はよくできたもので、栄養の供給がない状態ではちゃんと省エネモードになっている。グルコースの代わりに体内のタンパク質や脂肪を主体にしたエネルギー産生になっている。
血中のビタミンやミネラルは当然欠乏している。
そこに糖質が急激に大量に流入するとどうなるか。
血糖値の上昇に呼応してインスリンが分泌され、細胞内に糖が取り込まれ、ATP回路が回り始め、大量のリンが消費される。
また同時に、カリウムやマグネシウムが細胞内に流入する。
しかし血中には充分なリンもカリウムもマグネシウムもないし、糖を代謝するだけのビタミンB1もない。ウェルニッケ脳症から意識障害をきたす。
また、リン欠乏がATP不足に拍車をかけ、致死的な不整脈を起こす。

4ヶ月の兵糧攻めを耐え抜いたものの、その後に秀吉から賜わったこの大盤振る舞いのために死亡した人々もあったという。
解放後にこんな罠があったとは。
リフィーディング症候群というのは、断食よりもはるかに怖いものなのだ。