2019.6.17
こんな具合に、ポーリングは化学のフロンティアを切り開く重要論文を量産した。
彼が授与されたノーベル賞は化学賞と平和賞の二つだが、平和賞が医学生理学賞であっても、また、二個目の化学賞であっても何ら不思議はなかった。それぐらい、化学の世界に巨大な足跡を残した人物だ。
63歳のとき、ポーリングは漠然と引退を考えていた。「老兵は去るのみ。自分がいなくとも、優秀な後進が化学を進歩させていくことだろう。」
ふと、一冊の本を手にとった。エイブラム・ホッファーの著書『統合失調症におけるナイアシン療法』だった。これまで、ビタミンの投与は欠乏症の予防にのみ意味があると考えられていた。ところが、ホッファーの研究によると、ペラグラの予防に必要な量をはるかに上回る量を投与することで、不治とされる統合失調症が見事に改善するのだった。
本をパラパラとめくり始め、やがて引き込まれ、夢中になった。ほんの1ページ読むつもりが、そのまま徹夜して、一気に通読してしまった。老学者は興奮し、自身のなかに新しい意欲が湧き上がるのを感じた。引退の思いは、すっかり霧消していた。「ここには、紛れもなく科学がある!これこそ、私が探し求めていた科学だ!」
分子病の概念を提唱したポーリングは、この本に触発された。自説をさらに一歩進めて、こう考えた。
「異常な分子の働きを矯正し、疾患の治癒につなげることができないか、そのための有効な手立ての一つは、ビタミンではないか」
このアイデアのもとに、分子整合医学(オーソモレキュラー医学)という言葉を作り、疾患と栄養の関係を研究し始めた。
彼はビタミンCの研究においても成果をあげた。ビタミンCの大量投与によって癌の腫瘍退縮・延命効果があることを、RCT(無作為化比較試験)で見事に示したのだった。
しかし、この頃からマスメディアの論調に変化が見られ始めた。
斬新な論文を次々と生み出した天才化学者であり、反核運動にも邁進した平和主義者、アメリカの誇る良心ともいうべきポーリングに対して、批判の声が出始めたのだった。
「ビタミンで病気が治るなどと、おかしなことを言い始めた」
「かつての俊才いまやすっかり耄碌し、晩節を汚している」
医学界は決してポーリングの学説を受け入れようとしなかったし、そればかりか、ポーリングの投稿する論文を学術誌に掲載しなくなった。
さらに、自身の運営するライナス・ポーリング研究所に不可解な理由で研究資金が配当されなくなった。
ポーリングは決してバカではない。マスメディアの的外れな批判や、研究資金の停止などの不当な待遇が、どういう組織の差配によるものか、当然わかっていた。自分が敵に回している存在が、利益のためには文字通り何だってすることもわかっていた。実際、身の危険を感じたことさえある。
「どんな組織であれ、学問的真実を曲げることはできないはずだ」という信念はもちろんある。しかしポーリングも人間。自説をあまり声高に叫ぶことに、多少の躊躇を感じざるを得なかった。
そんなとき、妻のエバ・ヘレンが亡くなった。愛妻の死は彼を打ちのめした。
21歳で出会って以来、彼女だけを愛し、お互いに支え合ってきた。このときポーリングはすでに80歳。年齢からくる体の衰えに加えて、妻を失ったショックで、生きる意味を失い、本を読むことはおろか、食事さえのどを通らなくなった。このまま妻の後を追うように、亡くなっても不思議ではなかった。
しかし、この天才化学者は再び立ち上がった。妻を失った悲しみを忘れるために、むしろ執筆に没頭した。
これまで書いていたのは論文ばかりだったが、学術誌が受け入れてくれないなら、一般向けの書籍として、広くビタミンCの効用を知らしめよう。そして、世界を変えよう。巨大な組織に命を狙われることになっても構わない。いわれのない誹謗中傷を受け、自分の名声が傷ついても構わない。ビタミンCのすばらしさを、一人でも多くの人に伝えるんだ。
ポーリングの人生の最後の十年はこの思いに支えられていた。次々と一般向け書籍を出版し、テレビや雑誌のインタビューの仕事も引き受け、全米のあちこちを講演してまわった。
ポーリングというのは、実に、そういう人です。
保身を第一に考える人なら、もっとうまく立ち回ることもできただろう。反核運動に参加したせいでアカだ共産主義者だと散々批判されることはなかっただろうし、ビタミンCの有効性(および抗癌剤の有害性)を唱えたことで製薬会社の逆鱗に触れることもなかっただろう。
それでも彼は自分の正義を貫いた。世界平和を本気で願っていたし、人々の真の健康を願っていた。
こんなまっすぐな男が創始したオーソモレキュラー栄養療法を、僕も末端ながら実践していることは、僕にとってちょっとした誇りです。
参考
How to Live Longer and Feel Better (Linus Pauling著)
2019.6.17
高校で化学を選択した人なら、ポーリングの電気陰性度、というのを習ったはずだ。
高校生が習う基礎化学にさえその名前が登場するくらいだから、彼の業績の偉大さがわかるだろう。
ポーリングは極めて明晰な頭脳の持ち主だったが、それだけの人物ではない。
彼は、本気で世界平和を願う『愛の人』でもあった。
オッペンハイマーが、ポーリングに原爆研究の化学部門のトップとして参加するよう呼びかけた。国家機密の研究に招聘されるというのは超一流の科学者の証で、この上なく名誉なことであるはずだが、平和主義者の彼はこの招聘をきっぱり辞退した。
とはいえ、戦時中のことである。こんな優秀な天才化学者を、軍部が放っておいてくれるわけがない。
軍の研究施設で勤めることを余儀なくされたが、「せめて人を殺すのではなく、人を治療する仕事がしたい」と彼は思った。
兵士が大量出血したときに、都合よく輸血できるとは限らない。そこで彼は、oxypolygelatinという代替血液を開発した。
これは画期的な仕事だったが、完成されたのがすでに戦争末期、アメリカの勝利がほぼ確定的になっていたときであったため、現場で実用化されることはなかった。戦後には赤十字社が輸血の供給体制を整えたため(また、赤十字社の利益に大打撃となる発明であったため)、oxypolygelatinはついに歴史の闇に埋もれることになった。
さらに彼は、ヘモグロビンについての研究に取り組み、ヘモグロビンの磁性によって空気中の酸素レベルを計測する機械を開発した。この酸素メーターは軍に採用され、戦闘機や潜水艦に欠かせないものとなった。
広島と長崎に原爆が投下されたニュースを聞いて、彼は胸を痛めた。「本来人の幸福に貢献するべき科学が、一般市民の大量殺戮に使われてしまった。もう二度と、核兵器が人を殺すことがあってはならない」という思いで核実験反対運動を展開し、その功績からノーベル平和賞を授与された。
軍に化学部隊があるように、化学は使い方次第では、人を殺傷する兵器を生み出すことができる。しかし化学者ポーリングの仕事は、人を殺すことではなく、生かすことに向けられている。
この背景には、彼の若い頃の経験が影響を及ぼしているようだ。
ライナス・ポーリングは1901年、オレゴン州で生まれた。オレゴンといえば多くのアメリカ人は田舎をイメージするが、ポーリングはそのなかでもとびっきりど田舎のコンドンという村で生まれ育った。少年時代の彼は、豊かな自然のなかで、昆虫採集やきれいな石を集めることに熱中した。
父のハーマン・ポーリングは薬剤師で、幼いライナス少年は父が薬局で薬を調合する様を身近にいつも見ていた。この環境が、彼に化学の素地を与えることになった。
しかし、この父はライナスが10歳のときに亡くなった。
一方、ライナスの母ルーシー・ポーリングは心身ともにいつも病弱で、うつ病で無気力に陥っているか、そうでなければ疲労感で伏せっていた。母は持病の悪性貧血(ビタミンB12の欠乏による貧血)が次第に進行し、最終的には精神がすっかり荒廃して、ポーリングが25歳のとき、ついに死去した。
若くして亡くなった父から受け継いだ化学への興味と、常に病床に横たわる母の姿は、少年の心に深い印象を残した。
1931年から1933年にかけて、ポーリングは化学結合の性質に関する一連の7本の論文を発表した。なぜ元素や化合物が特定の三次元構造をとるのか、そのメカニズムを電子の相互作用から説明するものだった。原子軌道の混成の概念を初めて打ち出すなど、量子化学による発想は、従来の化学の地平を開くのみならず、物理学、数学、生物学、医学の融合を促すもので、極めて斬新だった。
自らの考案したこの化学モデルを使って、ポーリングはその後も様々な業績をあげた。たとえば、タンパク質の構造解析に取り組み、αヘリックス、βヘリックス、γヘリックスなどの形態を解明した。
ポーリングが特に興味を持ったタンパク質は、ヘモグロビンである。鉄を含むヘムタンパクと、グロビンを詳細に研究することで、ヘモグロビンと同等の働きをする人工血液oxypolygelatinの開発に成功したことは上記の通りであるが、ポーリングの成果はそれだけではない。鎌状赤血球(黒人に多い遺伝性血液疾患。赤血球は通常円盤状だが、この患者では三日月型で酸素運搬能が低下しており、貧血を呈する)による貧血が、ヘモグロビン分子の形態異常に起因することを初めて突き止めた。健常者では二つの優性アレルを持つところ、鎌状赤血球貧血患者では二つの劣性アレルを持つことを示した。
ポーリングは、このように分子の形態異常による疾患を『分子病』と呼び、新たな疾患概念として提唱した。
参考
How to Live Longer and Feel Better (Linus Pauling著)
2019.6.14
サバンナの動物を取り上げたテレビ番組で、捕食の場面をライオンの立場で見るのかガゼルの立場で見るのかで、視聴者の印象はまったく違うものになる。
何日も食べ物にありつけず、段々やせ細ってきたライオンの姿をカメラが追う。ようやく狩りに成功し、ガゼルを一匹仕留めた。飢えに苦しんでいた子ライオンたちも大喜びで肉にかじりついている。久々に飯が食えてよかったなぁ、とテレビを見る視聴者は安堵する。
しかし同じ場面をガゼル目線で描けば、ライオンは恐ろしい殺戮者になる。ライオンに追いかけられる場面を、「何とか逃げ切れ!」なんて思いながら見ていたりする。
相手の立場になってみて、気持ちを推しはかる。
人間関係において重要なことだと、道徳の授業が教えている。
この教えにならって、今回のブログは製薬会社の気持ちになって書いてみよう。
投薬一辺倒の西洋医学に嫌気がさして、本当に患者を救いたいと思って栄養療法をやり始めたときには、僕は徹底したアンチ製薬会社だった。勤務先の病院で、医局の前でMRからペコペコ頭を下げられるのが心底うっとうしかった。(医局の前どころか、医局の僕の机の前にまで来て「お話聞いてもらえませんか」なんてしつこいのがいて、あれには参ったわ)
開業して自分のやりたいスタンスで医療を提供できるようになって、ある程度冷静に、客観的に製薬会社を見れるようになったと思う。今でも基本的には好きじゃないけどね。
新薬の開発、というのは製薬会社にとってはけっこう大きなバクチなんだ。
何らかの物質が発見されたり開発されたりして、将来的に新薬の成分として有望だと見れば、すぐさま特許を申請する。
特許が認められたとして、その期間は20年だ。その20年間、他の製薬会社はその物質に手出しすることはできない。だから何とか、その期間内に売りまくって儲けを出したい。
しかし薬を新たに売り出すというのは、決して簡単なことじゃない。
ネズミや犬などの動物実験で有効性を確認し、人を相手に臨床治験を行なって有効性を確認し、さらに毒性の有無も確認する。成人に異常がなくとも、妊婦では胎児に催奇形性があるかもしれない。このあたりは直接人で確認できないが、動物実験でチェックする。
こういう問題をひとまずクリアしないといけない。
仮にクリアしたとしても、あくまで治験の期間中は大きな問題がなかったというだけのこと。いざ市場に流通したら想定外の副作用が報告されるは当然あり得るし、実際、ある。数年間とか、長期間にわたる投与は製薬会社のほうでもやっていないのだから、新薬の投与には人体実験的要素が付きまとうことは避けられない。
ともかく、新薬の成分の特許取得から、それが市場に出るまでに、平均7年かかる。
20年の特許が切れるまで、残りは13年。この間にどれだけたくさん売ることができるか、そこが製薬会社の勝負どころだ。
全国の大学病院、総合病院にMRを派遣して、薬の説明会をバンバンやる。末端のMRたちは、上司から散々ハッパをかけられている。一人でも多くの医者にその薬を使ってもらおうと、ペコペコと頭を下げまくる。
何しろ開発には、平均600億円の費用がかかっているのだから、何が何でも、元はとらないといけない。
妙に薬価が高い薬がある。
処方薬としての許可がおりるまでに、たとえば10年もかかってしまったとなれば、製薬会社はますます必死になる。その必死さが、薬価に反映されるわけだ。
誤解しちゃいけないよ。「高い薬」は、「効く薬」というわけではない。
「製薬会社が必死に売りたい薬」だという、ただそれだけの意味しかないんだよ。
製薬会社側のこんな事情を知れば、しつこいMRを見ても、「この人も大変なんやな」と優しい気持ちになれます^^;
さらに踏み込んで考えよう。
こういう製薬会社が売る薬って、どんな薬だと思いますか?
たとえば抗癌剤。「癌が治る薬」だと思いますか?
たとえば降圧薬。「高血圧が治る薬」だと思いますか?
たとえばコレステロール降下薬。「高脂血症が治る薬」だと思いますか?
とんでもない。
数回飲んだだけで本当に治ってしまって、「病気から解放されたよ、ありがとう」なんて具合に、薬からおさらばしてもらっちゃ困るんだ。開発にいくらかかったと思ってる?600億だぞ。
一度掴んだ客は、絶対に逃しちゃいけない。一生顧客として引っ張らないといけない。
治る薬?
はっきりいうが、そんなものは存在しない(少なくとも製薬会社のラインナップには)。
あるのは、症状を抑える薬だけだ。
ライナス・ポーリングがビタミンCの各種疾患(癌、風邪など)に対する有効性を示したとき、医学界の反発はすさまじかった。
「かつての秀才も今やすっかり耄碌して、ビタミンが癌に効くなどと言い出した。晩節を汚す様を見るのは実に痛ましい」
「ノーベル賞を2回とった科学者も、年をとればこの通り。狂人のたわごとにまどわされて、受けるべき治療を受けずに、ビタミンなどに頼っては、助かるはずの命も助からない」
ポーリングがビタミンCの有効性を示す論文を学術誌に提出しても、不可解な理由をつけて却下される。
医学界は、本気を出してこの学者の口を封じようとした。
なぜそこまで必死になったのか。
医学界の背後には、当然製薬会社が控えている。
製薬会社があらゆる手を使って、ビタミンの有効性に難癖をつけてきた。
栄養療法は、彼らにとってそれくらい不都合な存在だったからだ。
ビタミンは自然のものだから、特許がとれない。
特許がとれないものでは、商売できない。それどころか、ビタミンで治癒してしまっては、自社の薬が売れなくなり、大打撃を被ることになる。
どうしてもビタミンの有効性を隠しきれない、となれば、巧みな製薬会社は、ビタミンの分子に多少の修飾を加えて特許をとって、自社の薬に取り込んでしまうんだな。
たとえば、骨粗鬆症治療薬のアルファカルシドールは、ほぼビタミンD3だし、ラネル酸ストロンチウム(日本では未発売)は、ほぼクエン酸ストロンチウムだ。慢性肝炎治療薬のプロパゲルマニウムは、ほぼ有機ゲルマニウムだ。こんな例はいくつもある。「ほぼ」というところがポイントで、特許をとるために無理やり分子構造を変えているので、ほとんどの場合、オリジナルの劣化コピーになっている。
たとえば、ラネル酸ストロンチウムには血栓塞栓の副作用があるが、クエン酸ストロンチウムにはそういう副作用はない。
降圧薬とかコレステロール降下薬とか、救いようのない薬に比べれば、こういう劣化コピーみたいな薬を飲んでるのは、まだしもマシだと思う。
でも同じ飲むのなら、結局ビタミン飲んだほうが話が早いよね。安上がりで、しかも効果も高いし。
相手の立場になってみることで、結局、やっぱり、ビタミンが正解、ということになりました^^
2019.6.12
研修医は何でもやらされる。
内科志望と決めていても、外科はもちろん、麻酔科、救急、地域医療など、将来的に無関係の科も研修で回ることになる。
今思えば、これはけっこうよかった。
他科の雰囲気に触れる最後の機会じゃないかな。
外科を回ったときには、基本的にはメッサーの鈎持ちだけ。術野をしっかり広げるサポート役。
オペの最後、閉腹のときに表皮の縫合をやらせてくれたりするから、事前に糸結びの練習をしておく。
男結び、女結び、外科結びとかいろいろあって、ああいう純粋に技術的なことって好きだな。
外科のローテが終われば、そんな特殊な技術は今後の人生でもう二度と使うことはない。
それでも、外科医の初歩の初歩、入り口部分に触れたことは、けっこう記憶に残る。
あるオーベンが言ってた。「外科に来ると決めてる奴は、むしろある程度放置でいい。勝手に学びよるやろ。
ローテだからと仕方なく外科に来てるような研修医な、俺はそういう奴こそしっかり鍛えたい。
だって研修が二か月なら、その二か月がそいつのなかでの外科のイメージを作るわけだから。だから俺は手は抜かない」
こういう熱い(めんどくさい^^;)男がいるのも、外科ならでは、という感じがする。
小児科で、ある指導医の診察を後ろから見ていた。
泣く子供をあやしたり、子供と同じ目線に立って子供の言葉で話しかけたりする。かと思えば、お母さん相手には毅然とした医者の言葉で話したり。
小児科医というのは、ちょっとした役者でないと務まらないな。
対面に座るのは子供(および付き添いのお母さん)ばかりだったところ、ふと、60代ぐらいの女性が一人で訪れた。
「健太郎君、その後、お変わりないですか」
「はい、特に変わりません」
「では、いつも通りのお薬を出しておきますね」
双方とも、勝手知ったる、という感じで、診察はすぐに終わった。
女性が診察室を出て行ってから、「どういう患者なんですか」と指導医に尋ねた。
「臍帯巻絡って知ってる?赤ちゃんがおなかのなかにいるときに、へその緒が赤ちゃんの首に巻き付いてしまって、窒息状態になってしまうという。
健太郎君は仮死状態で生まれてきた。一命はとりとめたものの、脳性麻痺の後遺症が残った。その後三十年、ほとんど寝たきり。
子供のときからずっとうちでフォローしてるから、今のこの小児科に定期的に薬をもらいに来てるんだね」
「寝たきりの子供を、三十年間ずっと世話し続けているわけですか?食事の世話からシモの世話まで、ろくに動けない子供の世話をずっと?」
「うん、そういうことだね」
地域医療の一環で、患者の自宅に直接出向く往診を経験した。
11歳男児。8歳時に交通事故で意識不明となり、以後、脳死状態になった。
人工呼吸器と経管栄養がこの少年の命綱であり、その管理は母親が自宅で行っている。
この母親の子供への献身ぶりに、僕は圧倒された。
この少年は、一切身動きできず、会話もできない。それどころか、意識さえない。
そういう子供に対して、母はまったく健常であるかのようにふるまった。
普通に話しかけるのはもちろん、車いすに乗せてあちこちに連れていく。
『車いす社交ダンス』というのがあって、そのサークルにも所属しており、ダンスをさせる。
なんと、いまだに学校にも在籍している。そして作文や絵画などの宿題もこなしている。
母親が少年になりかわり、「きっとこの子は、こういう作文を、こういう絵を、かくだろう」という思いで、代作をして提出している。
左利きだった我が子を模して、母はその作文や絵を、不慣れな左手でかく。
子供の体調の変化は、医者よりもよく観察している。
主治医が指示した経管栄養の量を、母は多すぎると思い、独断で投与量を減らした。すると少年の全身のむくみが軽減し、顔が引き締まった。
理学療法士にリハビリを依頼し、床ずれなど起こさないよう、細心の注意をしている。
その甲斐あってか、3年寝たきりであるにもかかわらず、拘縮ひとつない。
主治医も苦笑いするしかない。「僕よりもお母さんのほうが医者らしいよ」と。
「この子は全部わかってると思います」と母親はいう。「ほら、往診の先生や理学療法士の人が来られると、こんな具合に血圧が少し上がるんですよ」
脳死は、回復しない。しかしこの母は、希望をまったく捨てていない。
話を聞いているうちに、僕はたまらない気持ちになった。
生まれてから30年間ずっと寝たきりの子供や、事故を境に脳死に陥った子供のために、献身的な世話をする母親たち。
昔テレビで見た、死んだ子猿を決して手放そうとせず、腐乱し始めた遺体をさえ胸に抱いた母猿の姿を思い出す。
母性とは一体何なのか、という思いにとらわてしまう。
一方で、児童虐待のニュースをしょっちゅう目にする。
「新しい彼氏ができて、自分の連れ子が邪魔になり、男と一緒に虐待の末、殺した」
痛ましいニュースだが、この女の気持ちはわかる。享楽的な身勝手な理由であり、許される行為ではないが、心情的には理解できる。
しかし僕が目にした母親たちは、、、回復の見込みのない脳障害の子供のために、すべてを捧げた。そう、文字通り、すべてを捧げた。
三十代ならもう一人子供を作るとかして、なんというか、まだやり直せただろうに、自分の若さを捧げた。
子育てばかりではなく、仕事や趣味、自己実現のために使う時間を持ち得ただろうに、自分の人生を捧げた。
母性の底知れなさは、僕にはほとんど恐ろしいほどだ。
「ふーん、なるほど。
しかしね、君も精神科医を目指すのなら、そういう患者を見て『いい話』で終わらせちゃダメだよ。
そもそも人間に、純粋に利他的な行為があり得るだろうか。
人間の行動は、多くの場合、快楽原則に基づいている。
その行動が『快』ならば、そうする。『不快』であれば、そんな行動はとらない。これが原則だ。
そのお母さんたちの行動だけはこの原則の例外だ、とする理由があるかね」
治癒不能の脳障害児のために自分の人生のすべてを捧げることに、一体どんな『快』があり得るんですか。
「こんなに美しい自己犠牲、こんなに美しい母性の発露が、快楽原則に基づいている、などというと、感情的な反発を招くだろう。
しかし君の話を聞いていて、そのお母さんたち、代理ミュンヒハウゼン症候群に近い精神状態なんじゃないかと思ったんだ。
子供を持つ母親に多いんだけど、我が子をわざと傷つけて、病院を受診したりする人がいる。
子供の症状が重いほど、医者や看護師は母子を気の毒がる。こういうふうに周囲の関心を引き、哀れみなり同情なりを受けることが、そういうお母さんにはたまらなく心地いい。
このような精神状態を、代理ミュンヒハウゼン症候群という。
もちろん、君の話のお母さん方の場合、我が子を意図的に傷つけたのでは決してない。子供の障害はまったく不運なことで、同情を禁じ得ない。
しかし、かといって我々人間は、大きな不幸に対していつまでも打ちひしがれているわけにはいかない。現状を受け入れて、立ち上がり、前を向いて生きて行かないといけない。
どのようにして現状を受け入れ、前向きに生きていくことができるだろうか。散々悩み、考えたと思う。
試行錯誤し、手探りで答えを探しながら、恐らくこのお母さんたちは、『回復の見込みのない子供にけなげに尽くす献身的な母親像』をしっかり演じよう、というところに行き着いた。
ここにある種の快感を見出したのかもしれないし、また、そうするよりほか、現実の受け入れ方がなかったのかもしれない。
脳死の我が子を車いす社交ダンスの会合に連れて行く母親を見て、他の参加者はちょっとしたショックを受けるだろう。
学校にいまだに籍を置いて、宿題を子供に成り代わってまで提出している母親を見れば、クラス担任や同級生らの心にも何かグッとくるものがあるに違いない。
そして、往診に君のような研修医が同行するのを許可している。ある種の『語り部』としての役回りを引き受けようと、腹をくくったんんじゃないかな。
勘違いして欲しくないのは、僕は別にこのお母さんを批判しているわけではない。
ただ、大きな精神的ショックに適応するための防衛機制だったのではないか、と指摘しているだけだ。
不必要に持ち上げるのはどうか、と思うけど、一般の人には、単なる美談でいいだろう。しかし精神科医を目指す君は、それで終わらしちゃいけない。
もう一段掘り下げて、心を解剖しないといけないよ」
結局精神科に入局したものの、薬一辺倒の『治療』がアホらしくなって、すぐやめたんやけどね^^;
でも研修医時代の経験は僕の中でいい思い出になっている。
2019.6.10
ビタミンAに対する恐怖心は煽られすぎている。高用量どころか、一日推奨量(男性3000IU、女性2300IU(妊婦4300IU))でさえ、危険だという人がいる。
こんな主張にエビデンスはまったくない。一日推奨量の2倍量を摂取する人を長期間にわたって追跡した研究があるが、有害事象はまったく観察されなかった。
(参考『ビタミンA~ヒトにおける機能、食事必要量および安全性』https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9129249)
さらに、1日25000IUの服用を2~12年間服用した人の研究においても、肝障害およびその他の毒性は見られなかった。
ただし、アルコール依存症者と肝臓病のある人は例外である。レチノールの代謝には肝臓が関与しているからだ。
ビタミンAサプリを長期間にわたって大量投与すると、どんな毒性を生じるのか。
食欲低下、皮膚の乾燥・かゆみ、脱毛、頭痛、骨肥厚、肝障害といった症状が起こる。これらを見て、賢明な人は気付いたかもしれない。
そう、ビタミンA過剰による症状は、ビタミンA欠乏による症状とかなり重複している、ということだ。
ビタミンA、D3、K2は協調して働くと前に言ったが、ビタミンAの過剰によってこれらの脂溶性ビタミンのバランスが崩れ、相対的なD3、K2欠乏を来す。
つまり、ビタミンAの過剰摂取による毒性とされているものの多くは、D3、K2欠乏による症状であり、これは逆のことも言える。
一種類だけ突出して多く摂れば、他の必要量が増大することになるが、この状態を放置すれば、毒性としての症状が出現することになる。
最近、様々な疾患に対するビタミンD3の有効性が示され、D3を積極的に摂取するよう奨励する人が多い。
しかし、ビタミンAのことはすっかり忘れられている。それどころか、ビタミンAの摂取は極力控えるように指導する人さえある。
そうした人の主張は、以下のようだ。
「レチノールはビタミンDに拮抗するため、Dの効果が弱まってしまう。たとえばビタミンDの作用の一つは、骨芽細胞を活性化し骨密度を高めることだが、ビタミンAは骨破壊を促進する」
なるほど、この主張は一見正しそうに見える。しかしAとDの作用は、相殺しているのではない。協調しているのだ。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という動的平衡が生命の本質であるように、ビタミンAによる破骨細胞の活性化とビタミンDによる骨芽細胞の活性化は、破壊と創造そのものだ。
ビタミンAとDの働きは、「拮抗する」というよりは「相補的」と解釈するほうがより本質に近い。
ビタミンK2依存性タンパクが産生されるとき、D3とAはアクセルとブレーキのように働く。運転するときに必要なのはどちらですか。両方だ。
もっと言うなら、D3とAの働きはまったく別物、真逆のものかというと、全然そんなことはない。たとえば、オステオカルシンの産生には、この両ビタミンが協調して働いている。
D3単独でもオステオカルシンは産生されるが、Aが加わることで産生能率が非常に高まる。1たす1が3にも4にもなる相乗作用だ。
一部の人が言うように、AとDが拮抗するだけの関係なら、同時摂取しても相殺されるだけで何のメリットも見られないはずだ。
しかし実際には、AとDが骨形成に協調して働くことで「総和が部分和よりも大き」くなっている。
ビタミンAのせいで骨粗鬆症になる、という主張がある。確かに、介入試験、疫学研究の両面から、これを示すエビデンスがある。
Aが破骨細胞を活性化することを知っていれば、D抜きでAを大量投与すれば骨密度が低下することは簡単に予想のつくことだ。
A抜きでDを大量投与しても、有害事象が起こる。なるほど、これらの研究はいずれも科学的事実の一端を提示するものだが、もう一つ、重要な研究がある。
ビタミンA、Dの両方を大量投与した場合、単独投与で見られたいずれの副作用も一切見られなかったのだ。
(参考『七面鳥の骨格形成におけるビタミンAとDの相互作用』https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/4009300)
疫学研究によると、ビタミンAの摂取量が多い地域ほど骨折の発生率が高いことが示されている。
たとえばスカンジナビア諸国の人々はレバーソーセージのようなレチノールを豊富に含む食材を好んで食べ、このためにビタミンA摂取量が多い。
しかしこの研究の欠点は、ビタミンDの血中濃度を考慮していないことだ。Dは骨折のリスクを評価する上で欠かせない評価項目だ。
そして、まさにこのスカンジナビア諸国では冬が長いため、人々の血中ビタミンD濃度は低い。ある学者は、以下のように指摘している。
「ビタミンDの血中濃度が低いと、腸管でのカルシウム吸収が低下し、また、骨芽細胞の活性も低いままである。
そこに加えて、高用量のビタミンAを含む食事が、状況をますます悪化させている可能性がある」
参考
Vitamin K2 and the Calcium Paradox(Kate Bleue著)