院長ブログ

抗生剤と腸内細菌

2019.10.5

たとえば、皮膚にちょっとしたかすり傷ができた。
早く治ってほしいな、と思う。でも皮膚のターンオーバーは、だいたい28日かかる。
基底層でできた新たな細胞が、表面まで上がってきて古い細胞を一新するのに、28日かかる、ということだ。
だから、その間はじっと我慢だね。

一方、腸粘膜のターンオーバーは1日から数日で起こる、といわれている。
皮膚よりも周期が断然早いから、それだけダメージからの立ち直りも早い。
ただ、腸管内は、皮膚が受けるような物理的な刺激は少ないが、たとえば食品添加物、農薬、抗生物質など、化学的な刺激にかなりさらされている。
刺激の質が違うわけだ。

表皮には多くの常在菌がいるが、腸内にはそれより多くの細菌がいる。
いわゆる善玉菌、悪玉菌、日和見菌も含めて、ざっと3万種類、100兆個から1000兆個の腸内細菌が住んでいるといわれている。
何らかの理由で、悪玉菌をぜひとも根絶したい、と思ったとする。抗生剤を使おう、ということになる。
しかし、抗生剤は、善も悪もいっしょくたに、この細菌叢を壊滅させる。

ある町がある。そこには善良な庶民もいれば、犯罪者もいたり、特に何もせずぶらぶらしてる人もいる。
その町に核爆弾を落とせばどうなるか?
犯罪者を一掃することができるだろう。しかし、平和に暮らしていた庶民まで巻き添えを食らうことになる。そのリスクをどう考えるか。
また、核爆弾によって焼け野原になった町が新たに復旧するのに、どれくらいの時間がかかるのだろうか。

要するに、問題はこういうことである。
「抗生物質によって、腸はどれくらいのダメージを受けるのだろうか」
以下の論文に、ヒントがある。
『ディープ16S rRNAシークエンスにより明らかになったヒト腸管に対する抗生剤の影響』
要約部分をつまみ食いで訳すと。。。
健康な成人に抗生剤(シプロフロキサシン)を投与して、その前後で影響を調べた。シプロフロキサシンによって、腸内細菌の種類の約3分の1が消失した。
ただし、抗生剤の影響の大きさには個人差があった。
また全ての被験者で、抗生剤投与から4週間経過すると、だいたい元通りに戻ったが、いくつかの菌種は6ヶ月経っても回復しなかった。
シプロフロキサシンを使っても何ら腹部症状を訴えない被験者には、同剤は腸内細菌叢にほとんど影響しないと思われていたが、本研究の示すところはそうではない。
ヒトの腸内細菌叢は、ギリギリで機能しているのではなく、ある程度の余裕を残して機能しているようだ。
また、4週間という短期間で元の腸内細菌叢に戻ったことは、腸には細菌叢の回復を促進する何らかの因子が存在する可能性がある。

ポイントをまとめると、
・1回の抗生剤使用によって、腸内細菌叢の多様性の3分の1が失われた。
・4週間でだいたい元通りに戻った。
・しかし一部の菌種は6ヶ月経っても失われたままだった。
・腸内細菌叢は100種類100兆個もあるだけあって、抗生剤を1回使ったぐらいでは、壊滅的打撃を受けて機能停止に陥る、なんてことはない(the hypothesis of functional redundancy; 機能的余剰仮説)。

臨床をやっていると、「歯医者で親知らずを抜いて、抗生剤を3日間飲んでいた。それ以後ずっと、何となく体調がすぐれない」みたいな患者をよく見かける。
歯を抜いた後の化膿止めのために抗生剤を飲むのは仕方ないのかもしれない。
しかし、1回の服用で腸内細菌の多様性が大幅に減少するところ、複数回飲めばそれだけダメージは大きいだろう。

抗生剤の連用で、なぜ体調を崩すのか。
これを理解するには、腸内細菌の有用な働きを知ることだ。

・まず、腸内細菌叢は病原菌の侵入を防いでいる。
逆に、抗生剤で腸内細菌叢が破壊されると、その隙を狙って病原菌が腸内に侵入する。
爆弾で焦土と化した町に、海外マフィアが進出するようなものだ。悪玉菌は日本の仁義を重んじるヤクザのようなもので、悪玉ではあるけどその存在のおかげで外国マフィアは入り込めなかった。その目障りな存在がなくなったことで、海外マフィアが跳梁跋扈できる環境になったわけだ。

・もうひとつは、有用物質の産生。
人間と腸内細菌は共生の最たる例だ。人間が腸内細菌に宿を貸してやる。食事(食物繊維)もあげる。お返しに腸内細菌は人間に別の栄養(短鎖脂肪酸、各種ビタミン、ドーパミン、セロトニンなど)をくれる。理想的なwin-win関係だ。

・さらに、免疫を生み出すもとになっている。
腸という自分の内部に菌を住まわせるというのは、それなりにリスクのあることだ。だから、腸(特にパイエル板)には体の防衛部隊(白血球)が常駐して、腸内細菌叢が暴走しないよう見張っている。つまり腸内細菌の存在が、免疫を生み出すもとになっている。
菌を腸に住まわせるリスクが顕在化するのは、人が死んだときだ。人間は死ぬと、体内の循環が停止する。免疫機能も停止して、白血球のような体の防御部隊も解散、ということになる。すると、腸内細菌の暴走が始まる。腸を食い破り、体のあちこちに菌が散らばっていく。「腐る」という現象の始まりだ。
法医学者は、死体が腹から腐っていくことをよく知っている。
スーパーの鮮魚コーナーの担当者もこのことを知っている。だから、スーパーで売ってる魚は、ハラワタが取り除かれていることが多い。足が早くなってしまうからね。

ニキビ治療のために、皮膚科医に言われるがままに毎日抗生剤を飲んでる人なんて見ると、気の毒になる。
このあたりこそ、栄養療法がよく効く分野なのにねぇ。