「先生!サチュ80切ってます。今酸素3リットルですけど、5に増やしますか」
うん、そうして。
「先生!血糖値28です。ツッカーいきますか」
うん、お願い。
「先生!プルス触れません。昇圧しますか」
うん、頼むよ。
「アドレナリン3アン。生食と入れますね」
うん。
救急のあの殺気立った空気。
ナースは僕の無能さをよく見抜いている。
一応僕に指示を求める形ではあるが、現場を仕切っているのは修羅場慣れしたナースだ。
僕は、女房の尻に敷かれる亭主のように、何でもイエス。
かたわらにぼんやり立って、患者の顔を見る。
90歳をゆうに超える老人。
周囲の大わらわとは対照的に、静かに瞑目している。
すでに半分、向こうの世界に旅立っているように見える。
もう、いいんじゃないかな。
あのさ、ちょっと待って。
「なんですか」
もう、いいんじゃないかな。
「どういうことですか」
この人、DNR?
「そうですけど」
そういうことだよ。だから、もう、いいんじゃないかな、って。
「先生、本当に医者ですか?
DNRはCPAになったときに延命措置をしないことです。この人はまだ心拍も呼吸もあります!」
あ、そっか。ごめん。今言ったの忘れて。
無能な上に、無駄口まで叩いて、怒られちゃった。
無能は黙って見ていればいいんだ。
でもね、つらいのよ。
見ていて、痛々しくて。
身寄りのない大正生まれ。人生の大先輩。
人生の最終盤が、情緒もへったくれもない、こんな殺伐とした雰囲気だっていう。
生かそう生かそうも大事だけどさ、きれいな死に方を準備してあげることも、医療の役割じゃない?
昇圧とか、もういい。ただ、俺がずっとこの人の手を握って、そばにいる。だから看護師さんはもうあっちに行ってて。CPAになったらまた呼ぶからさ。
よほどそう言いたかった。でも言えなかった。
バカみたいにぼーっと突っ立ってるだけだった。