ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2019年

ドラッグ2

2019.11.22


これを見てわかるように、ベンゾジアゼピン系はかなり危険なドラッグである。
どこの病院でも普通に処方されているが、一度ハマってしまうとなかなかやめられない。医者はこの薬を初めて患者に処方するときは、そのリスクをきちんと説明するべきだ(もっとも、起こり得る副作用を知れば、ほとんどの患者がベンゾの服用を拒否するだろうけど)。

ベンゾの種類(抗不安薬か睡眠薬か、長時間作用型か短時間作用型か)、量、服用の頻度によって、体への影響は異なるが、だいたい2週間ほどの連用で依存性が形成される。短時間作用型ほど依存性が強い。
依存性だけでなく耐性も形成されるから、最初はよく効いてもだんだん効かなくなる。同じ効果を得るには量を増やすことになって、ますますハマっていく。
「やばい。私、この薬なしでは生きていけなくなってる」
患者がそう気付いて、意を決して薬を一気に断とうものなら、恐ろしい副作用に襲われることになる。
寝れなくなるのは当然として、イライラしたかと思えば不安や緊張を感じたり、ときにはパニック発作が出るなど、心は平静を保てない。物事に集中することができず、記憶力も低下して、仕事なんてとてもできない。
ぐちゃぐちゃになるのは精神面だけではなくて、体も大変なことになる。
冷や汗が吹き出て、動悸と頭痛に悩まされ、体のあちこちの筋肉が痛くなる。吐き気がして食事がとれず、げっそりと痩せる。

安易にベンゾを処方する精神科医もひどいが、肩こりにデパスを処方する整形外科の先生とかもいる。デパスにハマった後、薬をやめようとする患者がどれほどの地獄を見ることか。ベンゾの安易な処方は、ほとんど犯罪的じゃないかな。

ベンゾの処方について、諸外国では処方期間に上限があるなど、危険性が認識されているが、日本は基本的に野放し。十年以上飲み続けている人なんかもざらにいる。
副作用が不快で、何とかこの薬をやめようとして、当院に来られる患者もいる。
こういう治療経験を通じて、ベンゾのやめにくさは僕にも身にしみてわかっている。
食生活の改善指導は当然として、文献を参考にいろんなサプリやハーブを使ったり、あの手この手でベンゾの離脱症状にアプローチした。効果のあるものもあれば、ないものもあった。
そういう試行錯誤を経て、方法論としてある程度形になってきた。

たとえばベンゾをやめたい患者には、まずマグネシウムを勧めたい。こんな論文がある。
『薬物乱用および薬物依存におけるマグネシウム』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK507260/
「物質の常用癖はひとつの精神障害だと考えられている。マグネシウムはアヘン製剤や精神刺激薬(コカイン、アンフェタミン、ニコチンなど)への依存強度を軽減する。また、マグネシウムは動物実験において、モルヒネ、コカイン、その他依存性物質への依存を減少させるのみならず、コカインの自己投与を減少させ、コカインやアンフェタミン摂取の再発率を減少させることが示されている。ヘロイン依存症者、アルコール依存症者、その他薬物依存症者では、血中および細胞内のマグネシウム濃度が健常被験者と比較して低下している。
マグネシウムが強度の依存性物質の使用を減少させる機序のひとつは、マグネシウムが報酬系を適度に刺激することによると我々は考えている。しかし、マグネシウムの作用機序は他にもいくつかあって、脳内のシナプス前終末でのドーパミンやグルタミン酸の減少、NOシンターゼ(一酸化窒素合成酵素)活性の減少、GABA作動性神経の賦活化、シナプス後NMDA受容体活性の減少、カルシウムイオンあるいはカルシウムチャンネルへの作用により放出される神経伝達物質の減少といった機序が考えられる。
離脱症状の出現後にマグネシウムイオンを投与すると、離脱による臨床症状の程度が軽減する。ストレスによって依存性物質への依存が発生しやすくなるし、ヘロイン依存症者においては、ストレスによりドラッグフリータイム(クスリをキメていない時間)が減少し、再摂取率が増加することが示されている。
ストレスはカテコラミン(ドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリンなど)放出を増加させ、体外へのマグネシウム喪失を促進する。こうして体内のマグネシウム濃度が減少することが、依存性薬物を再び使ってしまう一つの重要な原因である。」

マグネシウムがいいといっても、摂り方が重要だ。マグミット(酸化マグネシウム)を飲んでも吸収がイマイチで、「下痢するだけ」ということにもなりかねない。
個人的には、吸収性のいい液体のマグネシウムを勧めている。


ただし、これ、ビックリするぐらいまずいです^^;
塩化マグネシウムだから、意味合いとしては要するに、にがりと近い。
マグネシウムはケイ素と協調して働くから、同時にケイ素水も勧める。

さらに、グリシンがよく効く人もいる。これについては次回に書こう。

ドラッグ

2019.11.21

ツイッターにこんな投稿があった。

同じような感想を持った人は、案外多いのではないか。
10年以上前から薬物をやっていたというが、それにしてはきれいすぎる。もっと美貌が衰えていてもよさそうなものだが、薬物中毒者にありがちなやつれた様子は見受けられない。それどころか、ドラマやCMへの出演など仕事は絶好調だった。

一方、先だって逮捕された田代容疑者の容貌。

薬物に身を落とした人物として、通常我々が抱くイメージに近いと思う。
沢尻と田代、どちらも薬物にハマりながら、一方は美しいままで、一方はやつれている。
この違いは、使用していた薬物の違いによるものだろう。

横軸に有害性、縦軸に依存性をとって、各種の薬物を位置づけたグラフである。

沢尻氏はMDMA(エクスタシー)の所持・使用容疑で逮捕されたが、取り調べに対し「大麻、LSD、コカインもやった」と供述している。
グラフを見ればわかるように、コカインを除いて、いずれの薬物も有害性、依存性とも高くない。むしろ、一般に使用が許されているアルコールやタバコのほうが体に悪い(有害性、依存性とも高い)。
田代氏が使用していたのは覚醒剤(アンフェタミン)で、LSDやエクスタシーよりも危険なドラッグだとわかる。

興味深いのは、このグラフに分類されているドラッグのほとんどが、かつては医薬品として普通に用いられていた(あるいは現在も用いられている)ことだ。
有害性、依存性とも最悪のドラッグ、ヘロインは、「依存性のない奇跡の薬」としてドイツで売り出され、販売から三十年間、自由に入手可能だった。
バルビツール酸系薬物は芥川龍之介が自殺のときに服用したことで有名。ベンゾジアゼピンの登場以後、処方されることは少なくなったが、今でも手術の麻酔として使われている。

そもそも、医薬品とドラッグの明確な線引きなんて存在しない。それは恣意的なものだ。
「かつては医薬品だったが今は禁止薬物」というパターンが多いが、逆もあり得る。
たとえば、沢尻氏の一件で注目されているMDMAだが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療薬として治験が進行中だし、他にも自閉症患者の社交不安、癌患者の抑うつに対する治験も行われている。
数年のうちにMDMAが、違法なドラッグから大真面目な医薬品に、いわば「昇進」する可能性は、相当高いと思う。
これがどういうことか、わかりますか。
その使用が法律に抵触し逮捕されるようなドラッグも、状況(法律、製薬会社のマーケティング、社会の空気など)の変化次第で、犯罪でも何でもなくなる、ということだ。

沢尻氏が出演しすでに撮影した大河ドラマを、代役を立てて撮り直さないといけない、ということだけど、ナンセンスな話だね。
それよりも、医者として思うのは、上記のグラフに載っていない最強の合法ドラッグ「砂糖」を何とかして欲しい。
そう、薬理的に見れば砂糖はドラッグそのものだ。こんな論文がある。
『砂糖依存のエビデンス〜砂糖の間欠的過剰摂取の神経化学的影響』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17617461
その物質の「摂取量の増加」、やめると「離脱症状」が出て、さらに「渇望と再燃」がある。砂糖はものの見事に、この依存の三大兆候を満たしている。
砂糖の摂取によって、コカインやヘロインをやっているときに活性化するのと同じ部位(側坐核)が活性化する。砂糖は、有害性、依存性ともにヘロイン並みの危険ドラッグだ。
マスコミには、沢尻逮捕とかどうでもいいニュースではなく、こういう砂糖の危険性を伝えて欲しいんだけどね。

肉食の是非

2019.11.19

肉は体にいいのか、悪いのか。これはずいぶん昔から議論されてきたテーマである。
一方に、「長生きしたけりゃ肉は食べるな」「肉を食べると早死にする」という人もいれば、

これとは正反対に「肉を食べる人は長生きする」という人もいる。

iPS細胞がどうのこうのとかやたらと小難しい医学知識が蓄積したこの21世紀に、「肉が体にいいのかどうか」なんていう大昔からの問いに対して、いまだに意見が分かれているわけだ。
本末転倒というか何というか、おかしな話だね。

最近日本では「高タンパク低糖質」がブームだ。
この場合の「タンパク」は動物性タンパク質を意味するようで、植物、たとえば小麦にはグリアジンやグルテニンなどのタンパク質がたっぷり含まれているけど、こういう植物性タンパク質は除くようだ。
つまり、上記のテーマでいえば、今の日本では「肉肯定派」が優勢ということだ。
しかし肯定派に押されてはいるものの、「肉否定派」もいまだ健在である。医学、宗教、動物愛護など、様々な立場から「肉は避けるべし」と主張する人は決して少なくない。

歴史は繰り返すものである。それも、少しずつ形を変えながら。
すでに6年前、アラバマ大学で「アトキンス・ダイエットvsチャイナ・スタディー」をテーマにして、肉食の健康へのよしあしについて、激しい討論が行われた。

「肉否定派」の論客として、『チャイナ・スタディー』の著者であるコリン・キャンベル博士を迎えた。
『チャイナ・スタディー』は膨大な疫学データをもとにした研究で、アメリカの健康政策立案にも大きな影響を与えた。「健康および癌予防のためには、野菜を基本とし、高炭水化物/低タンパク質が好ましい」というのが主張の骨子である。
一方、迎え撃つ「肉肯定派」は、アトキンス・ダイエットの継承者エリック・ウェストマン博士である。
アトキンス・ダイエットは1972年にロバート・アトキンス氏が提唱した食事法で、「肥満を始めとする慢性疾患の元凶は炭水化物である。これを制限し、代わりに肉、魚、卵、ステーキ、バターのような、タンパク質と脂肪が豊富な食べ物を積極的に摂取すべき」とする立場である。
肉否定派、肉肯定派、両陣営それぞれの総本山のトップが登場した討論会であり、頂上決戦そのものだった。
両者のプライドを賭けた舌戦を見ようと、アラバマ大学の講堂は250人の聴衆で埋まっていた。
双方とも自説の正しさを主張するための科学的データを提示し、わかりやすいグラフを見せ、人体に栄養が及ぼす栄養を明快に説く。熱い思いを持ちながらも、学者として冷静に根拠を示し、人々の理解を訴えるのだった。
そして自説への理解を求めると同時に、相手の理屈の過ちをも指摘する。
78歳の名誉教授コリン・キャンベルは、アトキンス陣営を見つめながら言った。
「こういうデータがあります。アトキンスダイエットを続けた人と、一般的な食事を続けた人の比較です。平均的な食事をしている人と比べて、アトキンスダイエットをしている人では、便秘がよく見られます。
さらにごらんなさい。それだけではなく、口臭、頭痛、筋けいれん、下痢の発生率まで高いのです。
待って。反論は待ってください。アトキンスダイエット擁護者のみなさんが言いたいことはわかります。『そのデータのソースは?』そう言いたいのでしょう。
ソースをお示ししましょう。これは2004年の研究です。研究資金のスポンサーは、アトキンス・ダイエット・カンパニー。つまり、あなた方の会社です」
フィニッシュホールド、と言いたげなドヤ顔のキャンベル。
ここで肉肯定派、ウェストマンが立ち上がる。
「たとえ便秘になって酸化マグネシウムが手放せない体になったとしても、糖尿病が治るのであれば、多くの人は喜んで便秘になるほうを選ぶのではないでしょうか。
最近、低脂肪食の人気はずいぶん落ちています。それもそのはずです。高炭水化物を維持したままでは、何一つ体調不良が改善しないのですから。
私は低炭水化物食を指導して、肥満や糖尿病の患者を多く治療してきました。このグラフをご覧ください。低炭水化物食によって、乳癌の発生率さえ低下します。
はっきり断言しますが、炭水化物は必須栄養素ではありません」
キャンベルが、柔らかく応じる。
「言いたいことはわかります。今でこそ私は高タンパク摂取に反対していますが、かつては高タンパク質擁護派でした。だって私は実家が酪農農家なんですよ。
実家の生業を否定するような主張は、私ももちろん、したくありません。でもこれは感情の話ではありません。科学の話なんです。
私は中国の大規模な疫学調査に参加して、動物性タンパク質の摂取がいかに有害であるか、その例を嫌というほど見てきて、それでついに自説を変えたのです。
タンパク質と脂質は忌避すべきで、植物をベースとした全体食こそが、人々の進むべき道だ、と」
これに応じてウェストマン、なかなかの紳士である。論敵との共通点を示した。
「我々は結局のところ、同じ問題に向き合っていると思うのです。それは、現代アメリカの食事にまつわる問題点です。
アプローチに違いこそあれ、我々の向いている方向は同じです。
肥満、糖尿病、癌が栄養に関係していること。砂糖やジャンクフードは体によくないこと。”本物の食品”は健康的であること。このあたりはキャンベル先生も私と同じ意見だと思います。
ただ唯一、多量のタンパク質が体に悪いという先生の主張には、賛同しかねます。
先生は先ほど疫学研究から自説を変えたといわれましたが、疫学研究から因果関係を決定することはできません。つまり、動物性食品が体に悪い、という結論は出せないはずです」

両者に言い分があると思う。
個人的には、全面的にどちらが正しい、ということは言えない。
肉と一口にいっても、遺伝子組み換えの飼料を食わされて抗生剤やらホルモン剤を打たれた家畜の肉と、ジビエでは相当意味合いが違うはずだし、炭水化物と一口にいっても、小麦と米では体への影響は相当違うだろう。
また、動物性タンパク質の高用量摂取が好ましいとしても、プロテインやアミノ酸パウダーなどの加工食品の形態でも同じように好ましいといえるのか。
個人的には、高タンパク・低炭水化物が好ましいというより、「小麦を抜く」という、ただそれだけで改善する病態は相当多いと感じている。
「肉が体にいいのか悪いのか」の結論を出すにはデータが未だ十分ではないし、条件次第でどちらも正しくなり得ると思う。
だからこそ、今だに決定的な結論が出ていないんだと思う。

参考:『心と体をつなぐホリスティック栄養学』(平田進一郎氏の2019年11月10日の講演より)

友人宅での食事

2019.11.18

中学の同級生が神戸で精神科クリニックの開業医をしている。
十年ほど前に結婚し、小学校5年生の息子と1年生の娘がいる。数年前に神戸市北区の閑静な住宅街にマイホームを購入し、そこに一家で暮らしている。
僕とはときどき飲みに行ってバカ話をするような間柄なのだが、昨夜初めて彼の家に招かれ夕食をごちそうになった。

妻がいて、子供がいて、家がある。
何でもないことのようだけど、これはすごいことだ。
もちろん僕もいい年だから、同世代の人は当たり前のように結婚して子供がいて家庭を持っている。
でもこんなふうに、自分の同級生が築き上げた、いわば「お城」に、食事に招待されたことは、今までの僕の人生で初めてのことだった。

僕らは、確かに、同級生だった。同じ中学校で同じ授業を受けて、同じ時代の空気を吸っていた。
彼とは部活も同じだったこともあって、一緒に過ごす時間も長かった。
中学卒業後、ほとんど会わなかったけど、今こうして、再び会うようになった。
そして感じたのは、互いの歩んできた人生の違いである。

僕には嫁も子供もマイホームもない。
これは、時代の傾向、と言うこともできるだろう。
たとえば僕の父は、彼と同じように、僕の年齢の頃にはすでに姉と僕という二人の子供がいてマイホームを持っていたが、40年前は普通のサラリーマンにもそういうことが可能だった。
今の時代は、一介のサラリーマンが家を購入するのは困難だし、マイホームを買うよりは賃貸で済ませた方が経済的に賢明、という話もある。
さらに、全体的な傾向として、晩婚化が進んでいるし、結婚しても子供のいない夫婦も増えている。
結婚して子供を持って家を買って、という従来の「幸せな家庭像」は、すでに現代日本では一般的ではない、という言い方もできるだろう。

それでも、かつて彼と僕が同じスタートラインに立っていたことを思うと、彼が人生で手にしてきたものに、僕はある種の感慨を抱かずにはいられなかった。
それは「すごいなぁ、よくやっているなぁ」という感嘆でもあり「うらやましいなぁ」という羨望でもあるが、決して嫉妬のような単純な感情ではない。
人生は選択の連続であり、その選択には常にメリットとデメリットがつきまとう。
彼は様々な選択の末に、妻と子供を背負うことになった。そこには相応の喜びがあり、苦しみがあることだろう。
同様に、僕の今の状況も、自分の選択を積み重ねた結果であるはずだ。
独身貴族のお気楽さを楽しんでおきながら、彼の背負うものの重さをうらやましがるなんて、こんな矛盾もないだろう。

「息子が進学塾に通っててさ、ときどき勉強を見てやってる」
ええなぁ。ちゃんとお父さんやってるな。子供に勉強教えてやるなんて、最高やな。
「うん、でも普段全然勉強しない。成績もよくない。子供相手にあんまり怒りたくないけど、露骨になまけてる息子を見ると、さすがにイラつくな」

子供はかわいいだけの存在じゃない。自分に似たかわいい我が子ではあるけど、自我を持った他人であり、自分の思い通りには動かない。
飲み屋では出てこない「父親」がいて、彼の別の顔を見た思いだ。

床に投げ出されたおもちゃ、壁際の電子ピアノ、大きなテレビとゲーム機、アカハライモリを飼う水槽、記念日に撮った家族写真、壁に貼られた習字、塾でもらった膨大なプリント。
すべて彼の稼ぐお金が形を変えたものであり、すべてが彼の城を構成する要素だった。
こうしたセットを背景に、子供たちがバタバタと走り回って声を上げ、会話を交わし、笑顔を交わし、食事が進む。
そう、思い出した。こういうのを、家庭というのだった。
そして気付いた。家の主人公というのは、子供なのだ、と。

僕もかつては家庭に属していた。
父母がいて、姉がいて、僕がいて、家の中でバタバタやっていた。
いつのまにか大きくなって、姉が結婚して家を出て、母が死に、父に別の女ができて、僕の家庭は自然消滅した。
本来なら、僕が新たな家庭を作らないといけない。子供という新たな主人公を据えて、物語を始めないといけない。
そのはずなんだけど、一体僕は、何をやっていることやら。

僕はやはり、今の自分を自分で選んだんだと思う。
結婚して子供を作ることには、必然性がない。今の自分で充分楽しくて満足なんだ。
子供がいないおかげで、僕はいつまでも子供のままでいられる。自由に勉強して知識を吸収できるし、飲み歩くこともできるし、どこかに気ままに一人旅することだってできる。

しかし子供ができればできたで、僕はその流れに喜んで身を任せるだろう。
子供は僕に大人になることを要求するだろう。僕は彼の面倒を見てやり、休日どこかに連れて行ってやり、勉強を教えてやる。
それは僕の望むところだ。自分自身の成長のためにかける時間とエネルギーは犠牲になるが、僕はその犠牲を喜んで受け入れるだろう。
子育ては、最高の趣味になり得ると思う。
きっとお金はものすごくかかるだろうけれど^^;

子宮頸癌ワクチン

2019.11.18

国民の知る権利に奉仕するのがマスコミの務めだけど、同時にマスコミは収益構造上、スポンサーの意向に逆らえない弱みもある。
そのせいで、国民が知っておくべき事柄が報道されないということは、ざらにある。
しかしときどき週刊誌が、テレビや新聞などの大手メディアには絶対報道できない問題に対して、ズバリと切り込んだりする。
たとえば以下のような記事。
『現役医師20人に聞いた”患者には出すけど、医者が飲まないクスリ”』(週刊現代)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/42507
『なぜ、医者は自分では受けない治療を施すのか』(PRESIDENT)
https://president.jp/articles/-/15153

製薬業界を敵に回すようなこんな記事を、よく書けたものだ。マスコミはこうでないといけない。
週刊誌も企業からの広告収入に依存している部分は大きいはずだけど、新聞・テレビよりは自由度が高いようだ。
近年、新聞の購読者数、テレビの視聴率が落ち続けている。
インターネットやSNSの発達の影響はもちろん大きいだろうが、国民がテレビや新聞のウソを見抜き始めているというのもあるだろう。
賢い人はすでにテレビの言うことは話半分に聞いていて、ネットにある真相のほうに耳を傾ける。
もちろんネット上の情報も玉石混交だが、かつて「情報の絶対王者」として君臨したテレビがその地位から転落したのは間違いない。

上記の記事は、いずれも現場の医師の声である。
そう、医者は、わかっている。
現場を見ていれば、自分のやっている治療が本当に患者のためになっているかどうか、わかる。
患者が救われていれば万々歳。すばらしいことだ。胸を張っていい。
しかし、経過を見ながら「この治療は、有害無益。患者にはむしろデメリットになっている」と気付いたらどうするか?
良心の呵責に耐えかね、その治療法が有害であることを学会に告発する?
まさか。そんな医者はほとんどいない。
医者も商売人。建前と本音を器用に使い分けて、毒のような薬を平気で処方し続ける。
「患者には出すけど自分は飲まない薬」、「患者にはやっても自分は受けない治療」そんなデタラメは、医療現場に山ほどある。

そう、医者は二枚舌なんだ。
信じられないって?
よろしい。そういう方のために、医者のダブルスタンダードを実証するこんな研究を供覧しましょう。
『日本における産婦人科医の娘のHPVワクチン接種について』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26155971

子宮頸癌ワクチン(HPVワクチン)が日本で定期接種されるようになったのが、2013年3月から。
しかしその後、ワクチン接種後の副作用の報告が全国で相次ぎ、なんと定期接種開始からわずか3か月後の6月には、接種勧奨の取り消しとなった。
被害者たちの動きは早く、2013年3月には「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」が結成され、マスコミもこれを報じた。
つまり、2013年の報道以降、HPVワクチンの危険性は一般人にさえ知れわたることになった。

一方、こうしたマスコミ報道にかかわらず、日本産科婦人科学会の立場は一貫している。
『子宮頸がんとHPVワクチンに関する正しい理解のために』(公益社団法人日本産科婦人科学会)
http://www.jsog.or.jp/modules/jsogpolicy/index.php?content_id=4
このページをざっくりまとめると、
「子宮頸癌予防効果は94%と高い。なるほど、副作用の報告はあるが救済措置制度もある。我々は科学的見地に立ってHPVワクチン接種は必要と考え、HPVワクチン接種の積極的勧奨の再開を国に対して強く求めていきたいと考えている」
では、日本産科婦人科学会を構成する個々の先生方は、どのように考えているのだろうか。
2013年6月以降、HPVワクチンの接種は勧奨からはずれたものの、希望すれば受けることはもちろん可能だ。
日本産科婦人科学会は子宮頸癌予防のワクチンの有効性を信じ、何とか勧奨接種の再開を希望しているのだから、当然その構成員も、自分および自分の娘に、ワクチンを打たせているに違いない。
そうでしょう?
まさか、学会のスタンスに内心疑問があって自分の娘にワクチンを受けさせていない、なんていうダブルスタンダードは、ないですよね?

このあたりを検証するために、産科・婦人科の先生方にアンケート調査を行った。その結果が、以下のグラフである。

この棒グラフは産科・婦人科医の娘のHPVワクチンの接種率を表している。白いバーで書かれている棒グラフは2012年の接種率。一方、黒いバーは、2014年の接種率。
2014年の6th(小学校6年生)から9th(中学3年生)でHPVワクチンを受けた割合が、2012年より有意に低下した(p = 0.012)。
どういうことか、わかりますか?
産科・婦人科の先生方の二枚舌が立証されてしまった、ということです。

寄らば大樹の陰、で、学会には所属している。学会は副作用騒動の後もワクチン接種勧奨のスタンスを崩していない。しかし自分の大事な娘には、受けさせない。
恥ずかしくないですか、そんな露骨な二枚舌。
また勧奨再開になれば、どうせ患者には遠慮なく打つんでしょ。
患者は他人だから、副作用が出ようがどうなろうが、知ったことじゃないよね。

参考:『ビタミンCによる疾病予防と治療~最新動向』(柳澤厚生氏の2019年11月10日の講演)