ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2019年

シアナマイド

2019.1.27

アルコール依存症の激しい飲酒欲求に対して、ナイアシンが著効する。
ホッファー先生の成し遂げた大発見の一つである。
しかし栄養療法の存在を知らず、一般の病院を受診すればどうなるか。
恐らく、抗酒薬の処方を受けることになるだろう。

抗酒薬は、シアナマイドかノックビン(成分名:ジスルフィラム)が使われることが多い。
違いとしては、シアナマイドは液状で即効性があること、ノックビンは粉末で遅効性だがその分効果が長く続くことだ。
作用機序は同じようなもので、どちらもアルコール分解酵素(アルデヒド脱水素酵素)を阻害する。
酒が飲める人と飲めない人の違いは、アルデヒド脱水素酵素の活性の違いだから、この薬はまさに、体を強制的に「下戸」にする薬だ。
個人的な印象としては、ノックビンよりもシアナマイドが処方されることのほうが多いと思う。シアナマイドは1日1回服用だから、「禁酒の誓い」として毎朝これを飲み「今日も一日断酒、頑張るぞ」と、ちょっとした儀式的な意味合いを持たせることができる。そういう点が好まれて、ノックビンよりシアナマイドが多く使われているのかもしれない。
しかし意外なことに、シアナマイドはアメリカで販売されていない。ノックビンだけ。なぜなんだろうね。だから、シアナマイドの効能についての論文でアメリカ発のはほとんどない。

アルコールというのは、本来微生物の生み出した有害産物である。
しかし適量だと酩酊による快感を楽しむことができて、人との友好関係を深めるツールとして大昔から利用されてきた。
しかし長期間大量摂取すれば、体は大きなダメージを負う。
しかも失うのは健康だけじゃない。
家族や社会からの信頼、仕事、収入、財産、地位、名誉。アルコールは、全てを奪っていく。
「俺は病気だ」本人も自覚している。しかし、それでもなお、酒がやめられない。
涙を流しながら、酒をあおっている。
AA(断酒会)の場には、こういう「底つき体験」をした人がたくさんいて、僕は勤務医時代、彼らの体験談を聞いてきた。

彼らのほとんど全員が、何らかの形で抗酒薬を飲んでいた。
アルコール性肝硬変で、主治医から「このまま酒を続ければ、間違いなく死にます。命をとるか、酒をとるか、どうしますか」と迫られた結果、命を選択し、抗酒薬の服用を始める。
主治医の言っていることは間違っていないと思う。
ただ、この主治医先生、抗酒薬よりもベターなチョイスであるナイアシンの存在を知らないことに加えて、実は抗酒薬自体が肝臓にあまりよくないことも知らない。

論文を紹介しよう。
『シアナマイド関連性アルコール性肝障害〜一連の組織学的評価』というタイトル。https://onlinelibrary.wiley.com/doi/pdf/10.1111/j.1530-0277.1995.tb01616.x
要約をざっと訳すと、、
本論文は我々の知る限り、慢性的なアルコール使用とシアナマイドの服用、その両者の組み合わせによって引き起こされる肝疾患の組織病理学的な進行を追跡したものである。29人のアルコール依存症者(シアナマイドによる治療を受けながらも再飲酒してしまったことがある患者)に対して、肝生検を2回行い、標本を採取した。
シアナマイドは肝細胞内に擦りガラス様封入体(GGIs)を生じさせた。
GGIs病変が増加しているか減少しているかによって、患者群を2つに分けたところ、この振り分けはシアナマイドの投与期間および無投薬期間によって決まっていることが明らかになった。
第1群は14症例からなり、彼らはGGIsが2回目の生検標本でのみ見られたか、あるいは1回目に比べて2回目の生検標本でGGIsが増加していた人々である。
第2群は15症例からなり、彼らは1回目、2回目、いずれの生検標本でもGGIsが見られなかったか、あるいは2回目の生検標本で1回目よりGGIsが減少していた人々である。
第1群では、5症例(33%)が2回目の生検標本で好酸性体が増加していたが、第2群では増加は全く見られなかった。
門脈炎症の重症度は、第1群の10症例(71%)で増悪したが、第2群で悪化したのは2症例(13%)だけだった。線維化の進行具合については両群で違いは見られなかった。
これらの違いは、両群の1日のエタノール摂取量および再飲酒期間の長さによっては説明できない。シアナマイドで治療を受けたアルコール依存症者が再飲酒すると、シアナマイドとアルコールが相乗的に悪影響を及ぼし、GGIsの出現とともに、好酸性体や肝門脈炎症の増悪を引き起こすのである。

中島らもは抗酒薬を飲んでてもなお、酒を飲み続けた。
上記の論文によれば、アルコールとシアナマイドの相乗毒性が出て、肝臓には最悪の飲み方だった、ということになる。
こんな飲み方をしてしまうぐらいなら、抗酒薬はむしろ飲んではいけない。
そもそもシアナマイドは、アルコールという毒物の代謝能力を阻害するわけだけど、弱くなるのがアルコールに対してだけかというと、そんな保証はどこにもない。肝臓のデトックス能力自体を落としてしまう可能性もある。
中島らもと、この前亡くなった勝谷誠彦氏は共通点が多い。どっちも尼崎出身で、どっちも灘高で、どっちもうつ病で、どっちも酒で才能を潰して、そして致命的なことに、どっちもナイアシンのことを知らなかった。
ナイアシンで救える命がある。
シアナマイドより、まず、ナイアシンでしょうに。

NSAIDs

2019.1.27

『NSAIDs誘発性小腸障害におけるミトコンドリア障害』というタイトルの論文をご紹介します。https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3045683/
要約をざっと訳します。
小腸内視鏡を使った近年の研究によって、NSAIDs(低用量アスピリンも含む)が高頻度で小腸への障害を引き起こすことが明らかになった。
NSAIDsによる小腸粘膜障害の機序には、腸内細菌、サイトカイン、胆汁など、様々な要因が関連している。
実験によって、NSAIDs誘発性小腸障害の発症には、ミトコンドリア障害およびシクロオキシゲナーゼ阻害が原因であることが示されている。
ミトコンドリアとは有機体のエネルギー産生において中心的役割を果たす小器官である。多くのNSAIDsは直接的にミトコンドリア障害を引き起こす。
NSAIDsによってミトコンドリアの膜に『ミトコンドリア透過性転移孔』と呼ばれる巨大なチャンネルが開き、これによって酸化的リン酸化の非共役化が起こる。
胆汁酸や腫瘍壊死因子αもこの透過性転移孔を開大させる。
透過性転移孔の開大によって、ミトコンドリア基質からシトクロームCが細胞質へ流出し、これを機に一連のカスケードを経て、細胞死に至る。
つまり、こうしたミトコンドリア障害は、粘膜のバリア機能を破壊し、小腸粘膜の透過性が亢進し、結果、NSAIDs誘発性小腸粘障害のプロセスが進行する。
NSAIDs誘発性小腸障害の予防や治療の有効な手立ては未だないため、今後のミトコンドリア研究の進展が待たれる。

NSAIDs誘発性小腸障害の予防?
簡単だよ。
使わなければいい。それだけの話じゃないか。
現代医学は、簡単な話をムダに複雑化させているだけだ。
「NSAIDsは頭痛や生理痛には手放せない薬。これなしでは私、やっていけない」っていうお母さんは、この薬をすごくいいものだと思っているかもしれない。
あるいは、たかが痛み止め、たかが解熱薬、と軽く考えているかもしれない。
でも甘く見てはいけないよ。
NSAIDsによってミトコンドリアが壊れ、結果、細胞が壊れてしまう。
この論文は小腸でそういうことが起こるって言ってるんだけど、同じことは全身の細胞で起こっている。
脳で同じことが起こればどうなるか。
たとえば子供がインフルエンザで寝込んでいる。親は寝込む子供が不憫で座視するに忍びない。病院に連れて行き、医者に何とか治してやって下さい、と懇願する。高熱を下げようと考えた医者は、NSAIDsを投与する。熱は見事に下がった。
しかし一時的な解熱と引き換えに払った代償は、あまりにも大きかった。
NSAIDsは脳細胞のミトコンドリアを破壊し、引き続いて脳細胞自身のアポトーシスを引き起こし、脳浮腫、やがて意識不明となり、死亡。
でも解熱薬が原因で死亡しただなんて、医者は絶対認めないだろう。

病態としては、ライ症候群による急性脳症そのものであって、つまり、解熱薬が誘因になっていると正しく解釈する医者もいる。良心的で、よく勉強している先生だ。こういう医者は、少なくとも患者を殺さない。
しかし不勉強な医者は、「インフルエンザウィルスによる急性脳症であって、解熱薬は症状に無関係だ」と強弁するだろう。
多くの医者がこんな具合なんだ。
だから、僕は、何度でも言う。
死にたくなかったら、病院に行ってはいけない。
地雷ドクターを引いたら、マジで人生が終わってしまうよ。
高熱で苦しむ我が子に何かしてやりたい親の気持ちはわかる。でも、そういうときでも、子供に生来備わった自然治癒力を信じる、ということができないものだろうか。
水分摂取して、布団にくるまって温かくして、たくさん汗をかくこと。
結局これに勝る治療法はないんだよ。

カーナビ

2019.1.25

「東大ね、やめちゃったよ。
上司がね、理三出身の人なんだけど、どうしても合わなくて。
バカな上司が理不尽にわめいているだけならさ、まだ耐えられる。表面上へこへこ取り繕って、内心では見下していればいい。
でも頭のいい奴が、ぐうの音もでない形でネチネチと責めてくる。ど正論だから、こちらも返す言葉がない。優れた理性と腐った人間性。この組み合わせって最悪で、この二つを持ち合わせた奴に上司になられちゃ、この世の地獄だよ。
それに研究の世界ってさ、すごくドロドロしてるんだ。
研究員の功績がボスに持って行かれる、なんてことはザラにある。
ほら、本庶先生がノーベル賞とったけど、あのPD1阻害薬の研究も本庶先生じゃなくてその下で働いていた研究員の仕事でしょ。iPS細胞にしても、果たして山中先生の独創的な仕事と言っていいものかどうか、そのあたりの事情は研究室仲間には公然の秘密だろう。
研究で求められるのは、独創性よりは政治力だ。何らかの画期的な発見があったとして、それを製薬会社なんかに上手に売り込んで、しっかり金を引っ張ってくる技術。大学ではそういう政治力のほうがはるかに評価されて、学長の覚えもめでたい。
論文に名前を連ねているだけで研究員としての仕事はろくすっぽやらなくても、政治力ひとつで教授になった人もいる。
いや、それはそれでいいんだよ。何も否定しているわけじゃない。
きれいごとで研究はできない。絶対に金がいるんだ。誰かがどこかから、それを持って来なくちゃいけない。それはわかる。
でもね、何だか疲れてしまったんだ。
好奇心の赴くままに素直な気持ちで研究に打ち込んで、そこに独創性があって、それがそのまま世間に認められる、みたいな牧歌的な風景は、もはやあり得ない。
金、政治、医局内の権力闘争。
その隙間に、かろうじて細々と研究が生きている、といった具合だ。
君は薬まみれの臨床に嫌気がさして、独立開業したって言ってたね。
そのあたりのつらさもわかるよ。大学病院の場合、製薬利権のしがらみはもっと露骨で、教授の鶴の一声で使う薬が決まったりする。薬を使わない、なんていうチョイスは論外だ。
でも研究は研究で、別の種類のしんどさがあるものなんだ」

酒を酌み交わしながらの話は、やがて恋愛話に移った。
「いやぁ、仕事もさっぱりだけど、恋愛もさっぱりだよ。俺、このまま結婚できないんじゃないかな。
でも別に焦ってるわけではなくて、まぁそれも悪くないか、って思い始めてる。
やばい傾向だね。あつしもそんな感じでしょ。
色恋がないわけじゃない。
でも、実がない、というのかな、結婚とか具体的な形に結実しない、遊びみたいな恋愛ばかりだよ。
ある病院で勤務していたとき、二十代半ばのナースといい感じになった。でも彼女、すでに結婚していたから、まぁ不倫ってことだね。
東京だと人目が憚られるから横浜でデートしたり、県外にちょっとした旅行に行ったり、何かと楽しかったよ。
あるとき、彼女とドライブしてたんだけど、彼女のケータイが鳴った。『あ、ダンナからだ』っていうから、車内で流していた音楽をミュートにした。『今日?仕事だよ。遅番だから、家に帰るのは夜10時か11時くらいじゃないかな』
そのとき突然、カーナビの音声案内が鳴った。『次、左です』
そのカーナビの声は、彼女のケータイの送話口を経由して、ダンナの耳に届いたらしい。
『お前、今どこにいる!』
男の激昂する声が、俺の耳にも聞こえた。
『もちろん職場だよ。休憩中。今テレビでカーナビの場面があっただけだよ』
『違うだろう!正直に言え!』
電話越しから聞こえるただならぬ怒声と、青ざめた彼女の表情。俺もこれはさすがにやばい状況だと思った。
気軽にドライブを楽しむ空気ではないから、路肩に車を止めて、エンジンを切った。そのとき、またカーナビが余計なことを言いやがった。『ETCカードが残っています』
この声もきっちりダンナの耳に届き、ダンナの怒りは今や絶頂に達した。
『おい!どこだ!今すぐ行く!場所を言え!』
それでも彼女は、何とか状況を丸めようとした。
『ごめんね、実はね、今日は本当は仕事じゃないの。職場仲間のユイが、合コン行きたいから一緒に付き合ってって言うからさ、今ユイの運転する車に乗ってる。
合コンに行くなんて言ったら、気分を悪くすると思ったから、今日は仕事ってことにしといたの』
『じゃ、今そいつと変われ!』
『運転中だから無理だよ』
こそくな時間稼ぎでのつもりで言った彼女の言葉に、ダンナは意外にもすぐ折れた。
『そうか、わかったよ。じゃ、また後でな』
後でわかったことは、ダンナはこの電話の直後に、彼女の勤務先に電話していた。
タイミングの悪いことは続くもので、そのときユイは遅番の病棟勤務に出ていた。
電話口に呼び出されたユイは、怒気をはらむ男の声に、もはやウソをついてもムダだと悟った。
ユイはすべて知っていた。彼女とは仲が良くて、彼女が医者の俺と不倫をしていてることも知っていたし、どこかに遊びに行く言い訳に自分を使っていることも了解していた。これまで、俺との旅行とかどっかに遊びに行くとか、そういうのは全部ユイと一緒に行ってる、ということになっていた。でもそのウソが、今やすべてダンナの知るところになってしまった」

で、それからどうなったの?
「結局離婚したよ。離婚して、彼女、故郷の九州に帰っちゃった。都会に嫌気がさしたのかもしれないな」
離婚したおかげで、晴れてフリーの身、これで不倫みたいな日陰の恋じゃなくて、堂々とお付き合いできるぞ、ってならなかったの?
「ならなかったね。離婚をきっかけに、俺と彼女との関係も終わった。『あなたのせいで離婚することになった。どうしてくれるのよ。責任取ってくれる?』などと詰め寄られていたとしたら、俺もさすがに結婚していたかもしれない。
しかし、今になって当時のことを思い出すと、あの子、いろんなものを終わらせようとしていたんだと思う。
まず、そもそも、結婚相手のダンナのことがあまり好きではなかった。好きなら不倫なんてしないよね。子供もあえて作らないようにしていたっていうし。さらに言うと、俺のこともそんなに好きじゃなかったんだと思う。
彼女はそういう、いまいちパッとしない関係を清算する機会を、常に伺っていたように感じるんだ。
たとえば俺と一緒にいるときに、ケータイにかかってきたダンナからの電話に出ちゃうとかね。危険極まりないじゃないの。でも彼女にとっては、危険で大いにけっこう。何ならダンナと俺をぶつけて、二つの関係性を一気に終わらせてしまえるわけだから。
どこかそういう、破滅型のにおいのする子で、あんまり家庭的な感じの子ではなかったな。でも彼女のそういうところは、俺には何とも言えないほど魅力的だった。そもそも俺にしたところで、お付き合いしている女性の中から将来の嫁さんを探そうなんて思ってなくて、火遊びを楽しんでいる感じだから、そういう女がちょうどいいんだ。
離婚させてしまった当初は、俺も焦ったよ。とんでもないことをさせてしまった、一人の女性の人生を狂わせてしまった、と。
でも後になって冷静に考えれば、案外彼女にそういう具合に利用されていたところもあるのかな、ウィンウィンの関係性だったのかなって思ってさ。
つまらない話を延々してしまったね。
この話には、君が期待するようなオチも何もないよ。
ああ、ただね、一つ、教訓はある。
車のカーステレオをミュートにしても、カーナビの音声案内はミュートになっていない。
それが彼女との付き合いから俺が得た、とてつもなく苦い教訓だ」

ミオンパシー

2019.1.25

今週は東京出張。
ミオンパシーの施術者の方々と話したり、大学時代の同級生と久しぶりに飲んだりした。

ミオンパシーは整体の一種だけど、いわゆるマッサージではない。指圧でギューギュー押してもらうつもりで施術を受けに来れば、イメージを裏切られることになるだろう。
ミオンパシーでは、肩こりや腰痛などの筋骨格系の不調は、筋肉のロック現象が背景にあると考える。その原因の多くは血流不全(およびそれに起因する酸素や栄養分の不足)だ。
施術者は患部の筋肉に触れ、その性状を評価する。そして患部に適切な血流を送るための姿勢を客にとらせ、一定時間その姿勢を把持する。その間、施術者も客もそのまましばらく動かない。
そう、一般の按摩・マッサージが患部に常に他動的な圧力をかける「動」の施術だとすると、ミオンパシーは「静」の施術とでも言うべきものだ。
ミオンパシーにおいて、施術者はあくまで黒子である。血流を改善するのは他ならぬ客自身の自然治癒力である。施術者の役割は、様々な要因によって発揮できずにいる客の自然治癒力を導き出すことだ。
「どんな治療を試しても治らなかったが、ミオンパシーのおかげで初めて体調の回復を実感した」そんな声は無数にある。
初めは客として通っていたが、施術のあまりのすばらしさに惚れ込み「自分でもこの技術をマスターしたい」と思って、施術者になった、という人もたくさんいる。
仕事を通じて、人を笑顔にしたい。
そう、誰だってそういう仕事がしたいだろう。ミオンパシーはまさに、そういう技術の一つで、今日も世界の笑顔を増やしている。

一方、しかめ面を増やすのが西洋医学だ。
西洋医学は、ミオンパシーとは正反対のアプローチである。ハナから人間の自然治癒力など信じていない。人間の体というのは救いようのないほどバカで、いったん壊れたら勝手に治ることのない機械のようなものだと考えている。姑息的治療という言葉があるが、何のことはない、西洋医学そのものが姑息的で、症状に対してそれを押さえつけるだけの治療しかしていない。

肩こりを訴えると、痛み止めが出た。最初は少し楽になったと思ったが、段々効かなくなった。こりもひどくなっている。すると今度は、デパスを処方された。薬を飲むと一瞬、確かに肩こりのことを忘れられるようだ。しかし薬の効きが切れると、たまらない。症状は次第に悪化し、腰痛まで出現した。薬が増量された。痛みは多少楽になるが、意識がぼんやりして、もはや普通に仕事することはできない。坐薬による鎮痛剤投与まで受けるようになった。やはり薬の効いている間だけは楽になるが、切れると地獄のような痛みが襲ってくる。最後には、仙腸関節ブロックの注射に頼るようになった。この頃には、背中の筋肉が死人のように冷たく硬くなっていた。
気の毒にね。現代医学の犠牲者だよ。しかもこんな人は、世間に山ほどいるだろう。
何とか他に手段はないものか。インターネットを探し探して、ミオンパシーにたどり着いた。
ミオンパシーのすばらしいところは、こんな薬漬けの、自然治癒力が壊滅的に抑えつけられた人に対してさえ、効果を発揮するところなんだ。
症状即ち治療。痛みやこりは、それ自身、治癒反応なのに、これまで薬で症状を紛らせていた。つまり、鎮痛剤の本質は、血流遮断薬であり治癒反応阻害薬だ。
ミオンパシーは、こういう人さえも救ってしまう。
痛み止めで眠らせていた自然治癒力が、むくむくと目覚め始める。
患部の血流が回復し始め、プロスタグランジン(発熱物質、痛み物質)の産生が始まる。冷えきった背中に血と熱が通い始めたが、それは同時に、痛みの再来でもある。
施術を終えた客が、露骨に不愉快な表情をして、施術者に言う。
「あのさ、余計に痛くなったんだけど。。。どうしてくれるの?
体の不調をとる、楽にしてくれるっていうから、やってもらったんだよ。でも逆じゃないの。
まさかとは思うんだけどさ、こんなので金とらないよね。払う気ないからね。
むしろ逆でしょ。痛くしてくれたんだからさ、お金もらわないと納得できないよ」

施術者が僕に話す。
「私はもう7年この仕事をしています。多くの人を癒やし、健康を取り戻す手助けをしてきた、という自負があります。
でもこういうお客さんの言葉で、自分のこれまでの誇りや自信を全否定されるような気持ちになります」

真の治癒反応を引き起こしてしまい、結果、客の満足度が低下してしまうという恐ろしい逆説が起こり得る。本物ゆえのすごさだろう。
できることなら全員を救ってあげたいけど、悲しいかな、救ってしまってはいけない人がいるようなんだ。
本物の技術は、客を選ぶ。
「お客様は神様」ではなく、客の選別ということがあってもいいと個人的には思うんだな。

認知症

2019.1.19

80代女性
もともと便秘がちで、便通は2,3日に1回ぐらい。あるとき、おなかの痛みがあり、病院に行った。
CTを撮られ、たまたま大腸癌が見付かった。見付かったとなれば、医師としては告知しないわけにはいかない。
大腸癌の存在を告げられ、恐れをなした。『何とかならないでしょうか』
手術を勧められた。まだ初期の癌だから、腹腔鏡によるごく簡単な手術で済みます。数日で退院できるでしょう、ということだった。
腹腔鏡による手術で開始したものの、病巣が思いのほか大きかったのか、術者の技量が未熟だったのか、そのあたりの事情は詳しくわからないが、術中、開腹に切り替えた。
術後の経過は不良で、癒着からイレウスを起こし、入院期間は数日どころか、2カ月に及んだ。
退院して、一人暮らしの自宅に戻った後、彼女の性格はがらりと変わった。
これまで社交的で、毎週コーラスサークルで歌うことを楽しんだり、友人らと連れ立って温泉旅行に行くなどしていた彼女が、そういうことに興味を示さなくなった。
以前は料理も自分でしていたが、買い物のために外出することさえ億劫になった。食事を作るのが面倒だし、そもそも食欲がない。
本来まめできれい好きだったが、洗濯はもちろん、掃除もせず、ほとんど一日中寝たままで過ごすようになった。
週に一度彼女の家を訪れる娘が、異変に気付いた。娘は当初、うつ病ではないかと思った。
病院への受診を勧めたが、行きたがらない。
母が変わったのは、どう考えても、入院がきっかけだった。
何が母をここまでおかしくしてしまったのだろう。主治医に詰め寄って問い質したい気持ちだった。
母自身、『癌の手術をして以後、体も気持ちもおかしくなった。やっぱり病院は行くもんじゃない』と言う。
娘は、確かにその通りだと思った。だから、あえて病院に行くよう強く勧めることはしなかった。
しかしそのうち、母の精神状態はますますおかしくなってきた。
『いつも置いてある場所に財布がない』と娘に電話をかけ、警察にまで電話をしている。
娘がかけつけて、探すと、あった。盗まれてはいけないからと、いつも置いている場所ではないところに置いていて、そのことを忘れて、盗まれたと勘違いしたのだった。
娘は警察に平謝りし、帰ってもらった。
『お母さん、しっかりしてよね』と娘は母をたしなめたが、近日中に同じことが再び起こるに及んで、娘も事態の重大さを認識しないわけにはいかなかった。
認知症だ。そうに違いない。
とにかく説き伏せて、病院に連れてきた。そういう母と娘が、今、僕の前に座っている。

医原性疾患とはこのことなり、というのを絵に描いたような症例だ。
そもそも、この女性に大腸癌のオペなんて必要なかった。
80代や90代で特に持病なく死亡した人の死後解剖をすると、ほとんど全例から癌が見付かる。
しかし、そういう癌は大人しいもので、別段体に悪さをするわけでもない。
もともと高齢者では解糖系が縮小し、ミトコンドリア系が優位になっているから、癌の増殖は遅い。
放っておいたらいいんだ。それが最良の方針だ。
でも現代医療は、寝た子を起こす。腹のなかにメス入れて、無理やり取り除く。
手術による侵襲に加え、抗生剤による腸内細菌叢へのダメージ。
ビタミン産生菌などの善玉菌は死滅し、抗生剤にタフな悪玉菌が跋扈するようになり、この影響は腸脳相関のもと、精神症状にも及ぶ。
これまで、外に出ることによって皮膚からビタミンDが産生され、またその活発さもあいまって筋骨格系の健康が保たれていたところ、今やうつ状態からほとんど寝たきりになった。
栄養状態の悪化もあって、こうなれば廃用症候群の進行は早い。
精神的には、意欲低下、感情鈍麻、知的機能の低下、ついには認知症へと至る。
さて、この負のスパイラルのどこから手をつければいいだろうか。

ブレデセン博士の『リコード法』というのがある。
食事を含めた毎日の生活習慣を正し、サプリやハーブを使用するという、栄養療法の一種なんだけど、これによって認知症は「治る病気」になったと僕は思っている。
そう、認知症に対しても、栄養療法的には打つ手がある。この人もきっと改善するだろう。
ただ、何よりも大事なのは、予防なんだ。
予防というのは、病院で定期的に見てもらうことではない。むしろ、病院は遠ざけねばならない。
うっかり病院にかかれば、この人のように、現代医療の犠牲になってしまう。
栄養療法をやっている僕としては、自分の仕事の半分は現代医療の尻ぬぐいだと感じている。