ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2019年

STAP細胞

2019.1.31

きのう飲み屋にふらっと立ち寄ると、かつて理研で研究員をしていたという人に出会った。
現在はアメリカ在住。ニューヨークにある癌センターで研究員をしている。
たった今、日本に着いたばかり。
神戸に来ればいつも真っ先に立ち寄るのは、この場末の飲み屋だという。
「今アメリカは大寒波が来ててね、ニューヨークはマイナス10度以下だよ。たまたま日本にエスケープする形になって、助かった。
妻や子供はヒューストンに住んでて、僕一人がニューヨークに単身赴任している。
ヒューストンは温暖で住みやすいよ。
しかしニューヨークからは飛行機で3時間かかる。時差も1時間あって、アメリカは本当に広い。
ずっと理研で仕事していたんだけど、あるアメリカの研究施設から招聘された。妻を連れてアメリカに渡ろうと決意したのが1995年。ちょうど地下鉄サリン事件や阪神大震災で日本が大変だった頃だ。
姫路から新大阪に行くのに、新幹線が不通になっていてね、そのときに在来線に乗って、電車の車窓から地震でボロボロになった神戸の街を見た。
そのときの記憶が強烈なものだから、それを思うと今の神戸は本当に復興したね。
アメリカで子供が2人生まれた。最初のうちは『日本人らしく育てよう』なんて思っていたけど、学校に通い始めると無理だな。
学校の授業も英語、友人付き合いも英語、異性と恋をするのも英語ってなるとさ、発想や感性も英語的になってくるんだろうな。子供に合わせる形になって、すっかり僕もあきらめちゃった。いまや家族と話す言葉さえ英語になった。
おかしいかもしれないけど、ほら、妻とLINEのやりとりするのさえ、こんなふうに英語でやってるぐらいだよ」
言葉って単なる情報の伝達手段じゃなくて、感情を乗せる容れ物でもあると思うんですけど、そういうの、ネイティブ言語じゃない英語でできますか?
卑近な日本語の例ですけど、根っからの関西人が標準語で「疲れた」って言うよりも、「ああ、しんど」ってつぶやいたほうが、よほど言葉に感情が乗っかってる、みたいな。ましてや、”I’m tired.”で感情が伝わった感じ、しますか?
日本的な、微妙な感性とかニュアンスを子供に教えたいと思っても、英語では難しくないですか?
「なるほど、おもしろい意見だね。言ってることはわかるよ。僕も当初は日本語で子育てをしていた。子供を寝かせる子守唄を日本語で歌ったりしてね。あるとき家族で日本に来たとき、タクシーに乗ったらラジオから歌が流れて来た。僕が子守唄として歌っていた歌だ。子供の記憶力ってすごくて、子供がその歌を一緒に歌い始めたときには驚いたな。
でも、2つの文化両方のニュアンスに精通することは難しいと思う。いったん”I’m tired.”の文化で育ってしまうと、「ああ、しんど」の情緒に共感することはもうできない。そのあたりは仕方のないことだよ。
アメリカでの生活にもすっかり慣れた頃、また理研で研究しないかという話が出て、それで僕だけ日本に単身赴任して、神戸の理研に勤めることになった。それが2011年。
阪神大震災の後に日本を離れ、東北地震の後で日本に帰って来た形になった。
遺伝子改変したマウスを作る研究のチームリーダーをしていた。
遺伝的交配だけでは作ることが難しい遺伝子変異を、ゲノム編集を使って効率よく作る。で、国内外問わず研究機関にそういうマウスを提供する。そういう仕事だった。
2年ほど前に理研を退職し、それでまたアメリカの研究所に移った。
退職金みたいなのはないよ。理研は契約社員みたいなものだから」
小保方騒動のど真ん中の頃に理研におられたわけですよね?
「他の何を聞いてくれてもいいが、STAP細胞のことについては、ちょっと。。
あのときは本当に大変だった。研究室の前にマスコミが張りついているし、取材依頼のメールや電話が殺到した。
あの一件で感じたのは、マスコミに対する失望だよ。僕は渦中の内側にいたから内情がよくわかっていたが、マスコミ報道というのはこんなにデタラメなものかと思った。報道している記者だって、その報道が事実じゃないとわかっているだろうに。
STAPの論文はすでに撤回されたわけだから、存在しないことになっている。理研は2年前に創立百周年を迎えたが、記念して刊行された理研百年史にも当然記録されていない。関係者は皆、あの騒動のことをいまだに聞かれてうんざりしている」
理研がSTAP論文を撤回した後、ドイツの研究チームがSTAP細胞の再現に成功したというニュースを見ました。https://biz-journal.jp/2016/05/post_15081.html
小保方さんの「STAP細胞はあります」という言葉は真実だったのではないですか?騒動の背後に国家権力などの巨大な力があった、ということはありませんか?早々と撤回してしまったことは、むしろ理研の責任問題ということになってきませんか?
「これはあくまで個人的な意見だと断っておくが、STAPの論文には確かに捏造が含まれていた。ただ、理論的には間違っていないと思う。もちろん理論上正しいことと、実際にSTAP現象を確認することの間には天と地の差がある。実際には、あの論文通りのきれいな結果は出ない。
ドイツの論文は僕も読んだが、あの仕事で以ってSTAP細胞の実在が証明されたと結論するには早計だろう。たとえばSTAP現象を再現するために10の工程が必要だとすると、ドイツの論文はそのうち2の工程まではクリアして、きれいな結果を出した、という程度のことだ。
国家権力どうのこうのという話は僕にもわからない。ただ、マスコミの報道は明らかに間違っていたし、そういう間違いを堂々と報道して恥じないマスコミの姿勢には非常に違和感があった。僕が言えるのはこの辺りまでだね」
小保方さんって、今どうしてるんですか?
「わからない。あの一件で注目されすぎたせいで、普通の研究者としてやっていくのは難しいと思うし、どこかの研究室に所属しているということも聞かない。地下の研究室に属せば別だけどね。少なくとも表の研究室や学会では顔を見ないな」
地下の研究室って何ですか?
「いや、話だよ。ただの話。戦前の理研にはそういう組織は確かにあった。原子爆弾の研究とかね。存在も裏なら、会計も特別会計で裏の予算から計上される。昔はそういう組織があった。でも今はそんなの存在しない」
小保方さんの本、読みましたか?
「読んだ。確か、2冊出してるだろう。文春のグラビアは別として笑
時系列とかおおむねあの通りで、正しいと思う。マスコミに陥れられた悔しさとか、あの辺りの感情も本当だろう。誰だったっけ、あの高齢の尼さん。そう、瀬戸内寂聴。あの人と対談したのが、マスコミへの露出の最後じゃないかな。
優秀な弁護士つけて裁判して、ずいぶんなお金がかかっただろうから、本を出しているのはその費用にあてるため、っていうのもあるんじゃないかな。ご実家は商社で裕福だと仄聞したけどね」

僕らが飲んでいるのは、プレハブに毛の生えた程度のオンボロ飲み屋だ。まさかこんなところにかつて理研の研究リーダーを務め、現在アメリカで癌の最先端研究に従事する人が飲んでいるとは、誰も思わない。
先生はこの店がひどくお気に入りで、日本に帰って来るたびにまずこの店に立ち寄る。(僕も先生の気持ちがわかる。どんな気取った高級バーより、この店の方がはるかに居心地がいい。)先生は酒を飲んで心地よくアホになるためにここに来ている。だから、僕もそれに合わせてバカ話をするのが、あるべき暗黙のマナーだった。でも昨晩、僕はそのマナーを破ってしまった。こんな、超一流の研究者と話をする機会なんてまずないことだから、できれば触れられたくないSTAPの一件とかも突っ込んで聞いてしまった。
先生が今度いつこの飲み屋に来るのかわからない。でも、僕は今から決めている。次お会いしたときには、固い話は振らないで、僕もちゃんとアホになって先生をもてなそう、と。

2019.1.30

勤務医として鳥取の病院にいたときのこと。
施設に入所していた、80代の認知症の女性。
記憶障害はそれほど重度ではなかった。特徴的だったのは、失語が強く見られたことだ。
失語には二通りのパターンがある。運動性失語と感覚性失語だ。
運動性失語では、人の話は理解できるが、言葉が出にくくなる。だからこちらの指示に従うことはできても、言葉でコミュニケーションをとることは難しい。
感覚性失語では、言葉は流暢に話すが、言葉の理解ができなくなる。だから、運動性失語とは別の意味で、やはりコミュニケーションがとれなくなる。
この女性の失語は運動性失語だった。
話しかけると、言葉は確かに彼女に届いている。しかし適切な受け答えが返ってくることはない。
つまり彼女は、言葉による情報のインプットは可能でも、アウトプットができない世界に生きている。
言葉で意思を表現できないというのは、大変なストレスではないかと思った。
「それでは今日もリハビリを頑張っていきましょうね」とST(言語聴覚士)が彼女を別室に案内する。
僕は主治医として、そばで訓練の様子を見ていた。
彼女は発語がまったく不可能というわけではなかった。絵が描かれたカードを見て、それが何であるかを言う。
ひらがなの一文字一文字を指さしならが、拙いながらも自分の声を出すことはできていた。僕はここで初めて、彼女の声を聞いたように思った。
「さぁ今度は、歌いましょう」とSTが言う。
まさか。
しゃべることさえ満足にできないんだ。歌うことなんて、できるはずがない。
と思ったのも束の間。彼女はSTと一緒に声を出して、歌い始めた。
童謡『ふるさと』。
見事な歌いぶりだ。音程も狂っていない。腹から出した張りのある声で、朗々と歌い上げた。
僕はあっけにとられた。
『ふるさと』は鳥取県出身の作曲家岡野貞一の手になるものである。その哀愁漂う美しい旋律は日本中で親しまれているが、この鳥取ではなおさらのことだ。
鳥取市に住んでいれば、正午の時報として流れる『ふるさと』を毎日聞くことになる。『岡野貞一生誕140周年コンサート』などがいまだに催されたりする。
『ふるさと』は鳥取県民にとって、まさにソール・ミュージック、魂の音楽だ。
認知症をわずらい、言葉の出なくなった彼女も、心の深くに刻まれた『ふるさと』だけは、歌うことができるのだ。
僕はある種の感動を覚えた。
思わず、STに声をかけた。
「言葉は話せなくても、『ふるさと』だけは歌うことができる。鳥取魂の真髄ですね」
STは思いのほか平然と言った。
「先生、そういうことではありません。このCTを見てください。
左前頭葉、ブローカ野が認知症に伴って萎縮しています。運動性言語が障害されている理由です。
しかし右側頭葉中央部のこのあたりはほぼインタクト。メロディーの認知、受容には何ら問題ありません。だから歌えるのです」
奇跡でも精神論でも何でもなく、脳科学的に極めてスマートに説明のつく事柄だったのだ。
ちょっと!せっかく感動したのに、帳消しやんか^^;

そう、たとえば脳卒中で左脳に損傷を受けて話せない患者でも、歌を歌うことはできる。神経学者には広く知られた現象だ。
脳卒中の後遺症で言語障害が残った人がリハビリをするときにも、単に話すだけの練習をするより、同じ言葉を歌に乗せたほうがはるかにスムーズに出てくる、という研究がある。
https://breakingnewsenglish.com/1002/100222-strokes.html
論文ではなくて、2010年アメリカのある学会で口頭発表された研究だけど、ざっと内容を紹介しよう。
発語困難を伴う脳卒中患者には歌うことが助けになる。「言葉を話す」のではなく、「言葉を歌う」ことによって、患者は言葉を発することができる。
この治療法は音楽構音療法(MIT)と呼ばれている。この研究者の一人、ゴットフリード・シュラウグは成功の一例を挙げた。
彼は、バースデーソングの歌詞を話せない脳卒中患者のビデオ映像を示した。この人物はNとOの文字しか発声することができなかった。
シュラウグ医師が彼にバースデーソングを歌うよう頼んだところ、「ハッピーバースデートゥーユー」という言葉を歌えた。
シュラウグは言う。「この言葉を話すように言っても、この患者は無意味な発語しかできませんでした。しかし歌うように言ったところ、この言葉を発することができました」
なぜMITが有効なのか、その機序は未だ解明されていないが、シュラウグ医師は一つの仮説を持っている。
脳は、言語を処理する部位とは異なる部分で音楽を処理しているが、これらの部位には重複している箇所がある、と彼は指摘する。
「メロディーを作り出すということは、脳内の複数の系を同時に活性化し、それらを関連付けたり循環させたりする多感覚的な仕事です。脳の多くの部位が動き出すのです」
MIT治療は長い時間がかかる。1時間のトレーニングを週に5日行う必要があり、効果が出るまでに16年かかることもある。
ただMIT治療のメリットは、この治療法で獲得した能力はまず失われることはない、ということだ。シュラウグ医師のもとでMITを試した患者の三分の二は、話せる言葉の数が増えた。
アメリカだけで7万人もいる脳卒中の後遺症に悩む人に、MITは光明となるかもしれない。

歌うことと話すこと。
脳科学的には、それらは二つの別の行為ということだ。ただ、共通点もあって、その共通点を生かすことで、脳卒中患者の発語の練習になる、ということなんだな。

セミの鳴き音、キジバトの鳴き声、オオカミの遠吠え。
虫や動物を見ていれば、言葉よりもずっと前に、歌があったのではないか、という気がする。
進化のプロセスで、言葉を覚えて小利口になった僕ら人間は、いつの頃からか、歌うことをやめてしまった。
でも、そういう高次機能の中枢たる前頭葉が機能不全に陥っても、原始的な側頭葉は最後まで生きている。
臨終の際にある人の耳には、言葉の意味は解せなくても、その音声は届いているという。
僕らの本能の奥深くでは、『歌の記憶』が眠っているようだ。

人工甘味料

2019.1.29

人工甘味料の危険性についてはあちこちで言われている。
でも、人間自分に甘いもので、単に「ダメだ」と言われるだけでは、行動は変わらない。
「人工甘味料入りのガムとかスポーツ飲料とか、あんなに堂々とCMしてるじゃないの。本当に体に悪いものなら、国が販売にストップをかけてるはずでしょ」
などと自分に言い訳して、延々摂り続ける。
行動が変わるには、なぜダメなのか、どう体に悪いのか、そのメカニズムを深く理解しないといけない。
そうして納得して初めて、「確かに危険だな、やめておこう」となる。

すでに指摘されていることとしては、アスパルテームは神経毒として作用する。
軽い症状としては、頭痛やめまい、不眠。
長く摂り続けると、脳腫瘍、失明、精神症状(うつ病、知能低下、短期記憶障害)などの重い脳神経系の症状が出てくる。
代謝を乱すことから、糖尿病にもなるし、血液癌(リンパ腫、白血病)を含む癌、内臓異常(腎機能低下、副腎の肥大など)、骨格異常、多発性硬化症、SLE、精子減少など様々な症状を引き起こす。
疫学研究でも動物実験でも、その危険性は明らかだ。
そもそもアスパルテームは生物兵器の研究課程で発見された物質である。この点では、ズルチン(現在では使用禁止)やネオテーム(砂糖の1万倍甘い人工甘味料)と同じで、これらも本来は化学兵器として開発された。
つまり、人が口に入れてはいけない物質なんだ。
でも、おかしなことに、食品添加物として堂々と市場に流通している。
この背景には政治がからんでいる。兵器としての食品、という概念があって、要するに、日本はアメリカから仕掛けられているんだよ。
でもここを突っ込みだせば話が長くなるので、あえて触れない。

最近、人工甘味料の毒性について、腸内細菌の観点から研究する論文が出た。https://www.mdpi.com/1420-3049/23/10/2454/htm
『生物発光の使用による人工甘味料の毒性測定』というタイトル。要約をざっと訳す。
人工甘味料は消費者の健康を害するのではないかと、近年ますます議論になっている。人工甘味料は今やほとんどの食物に含まれており、それと知らずに摂取している消費者も多い。
現在、人工甘味料の健康に対する影響については、未だ研究の余地があるため、コンセンサスは得られていない。
人工甘味料の摂取によって、癌、体重増加、代謝異常、2型糖尿病、腸内細菌活性の変化といった有害事象が起こるのではないかと言われている。
さらに、人工甘味料は環境汚染物質として認識されるようになってきており、表流水、地下水、帯水層、飲用水などの水の中にも検出されている。
本研究では、FDAにより認可された6種類の人工甘味料(アスパルテーム、スクラロース、サッカリン、ネオテーム、アドバンテーム、アセスルファムカリウム)の相対的毒性と、これらの人工甘味料を含む10種類のスポーツサプリメントの相対的毒性を、遺伝子組み換え技術を使って生物発光するようにした大腸菌を用いて調べた。
生物発光細菌は、毒物を探知したときに発光するため、複雑な微生物系のなかである種のセンサーとして使用できる。発光シグナルと細菌の成長、その両方を計測した。
細菌がある一定濃度の人工甘味料に曝露されたとき、毒性の影響が見られた。
生物発光活性分析で、二通りの毒性反応パターンが観察された。すなわち、生物発光シグナルの発現と抑制である。
抑制反応パターンはスクラロースに反応した際に観察され、調べた全ての菌種系(TV1061 (MLIC = 1 mg/mL), DPD2544 (MLIC = 50 mg/mL) , DPD2794 (MLIC = 100 mg/mL))で見出された。
この反応パターンはネオテームを使用したときにDPD2544 (MLIC = 2 mg/mL)系でも観察された。
一方、発光反応パターンは、サッカリンを使用したときにTV1061 (MLIndC = 5 mg/mL)と DPD2794 (MLIndC = 5 mg/mL)系に、アスパルテームを使用するとDPD2794 (MLIndC = 4 mg/mL)系に、アセスルファムカリウムを使用するとDPD2794 (MLIndC = 10 mg/mL)系に観察された。
本研究の結果は、大腸菌に対する人工甘味料の相対的毒性を理解する上で有用なものである。
また、今回使用した生物発光細菌は、環境中における人工甘味料を検出する際にも有効である。

人工甘味料が腸内細菌に影響しているのではないかという指摘は以前からあったが、この論文の新味は、遺伝子組み換え技術を用いて作った「光る大腸菌」を使うことで、影響を直接的に観察することができたということだ。
腸脳相関ということが言われている。腸に悪影響があるということは、脳、つまり神経系にも悪影響がある。
特に夏に多いんだよね。原因不明の頭痛を訴える患者。
問診でよくよく話を聞いてみると、人工甘味料入りの炭酸飲料を毎日飲んでいる、みたいな話はしょっちゅう遭遇する。
頭痛の鑑別に「人工甘味料」っていうのも絶対入れとくべきだろう。
こういうのは学生のうちに医学部でも習うべきだと思うんだけど、教育カリキュラムは変わらないだろうなぁ。

甘草

2019.1.28

漢方薬に使われている生薬のなかで、最もメジャーなのは甘草だろう。
非常に多くの漢方処方に含まれている。
まず特徴的なのは、その甘さ。砂糖の何十倍も甘く、しかも砂糖の甘さとは違う独特の風味がある。
甘さの立ち上がりが砂糖よりも遅く、後を引くが、この性質を生かして、西洋では昔から甘草のお菓子やアメ(リコリスキャンディー)が作られている。
漢方薬を飲んだことがある人にとっては、おなじみの味だろう。

甘草に含まれているグリチルリチンという成分に関しては、「多量摂取(漢方薬を不必要にたくさん飲むなど)によって、偽性アルドステロン症になる」ぐらいのことは医学部の授業でも習う。
でも一般の人は、こんな記述を見ても面食らう。まず「アルドステロン症」とか言われてもわからないのに、それの「偽性」と言われても意味不明だろう。
アルドステロンというのは副腎皮質から分泌されるホルモンで、腎臓の尿細管でナトリウムとカリウムの交換を促進し、尿とともにカリウムイオンと水素イオンを排泄する働きがある。
高血圧を発症する人のなかには、アルドステロンの過剰が原因になっている人がいて、そういう病態のことをアルドステロン症という。
一方、甘草の多量摂取などによって、血中アルドステロン濃度は正常であるにもかかわらず、まるでアルドステロン症のような症状を呈することから、これを偽性アルドステロン症という。
アルドステロン症であれ、その偽性であれ、カリウムを捨ててナトリウムを貯める形になる。ナトリウム(塩っ気)と水はだいたい連動して動くものだから、アルドステロン過剰によって体のなかに水もたまりがちになる。
結果、血管内の水分増量により高血圧、間質の水分増量により浮腫、という症状が現れることになる。

多量摂取で毒性が出るからといって、それが危険な物質だとは限らない。
醤油や酢にさえ、致死量があるぐらいなんだ。
「適量なら薬、摂り過ぎれば毒」
この性質はほとんどの物質に当てはまりそうな気がする。
甘草もその一つだ。
こんな論文があった。『肝臓病治療におけるグリチルリチン酸』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4052927/
要約
「グリチルリチン酸(GA)は甘草の根に含まれるトリテルペングリコシドである。GAは甘草の根に含まれている最も重要な活性成分で、広範囲の薬理学的・生物学的活性を持つ。
GAは、グリチルレチン酸、18βグリチルレチン酸とともに、肝臓疾患に対する抗炎症、抗ウィルス、抗アレルギー作用のある成分として、主に中国および日本で研究が進んだ。
本レビューでは肝臓病に対するGAおよびその派生物の生物学的活性をまとめたものである。
GAの薬理学的作用には、肝細胞のアポトーシス(自死)、ネクローシス(壊死)の抑制、抗炎症および免疫調整作用、抗ウィルス作用、抗腫瘍効果などがある。
本論文は医師およびGAを研究する生物学者に有益な参考資料となるだろう。」

本文には、たとえば抗炎症作用がどのような機序で生じるのか(IL6やTNFαを介してどうのこうの)などが詳しく書かれている。
甘草研究の集大成、と言いたいぐらいによくまとまったレビューだ。
ただ、こういうのは専門家が読むのはいいけど、一般の人が読むには内容が固すぎるかもしれない。

安保徹先生が著書のなかで、甘草について言及している。
一般の人にもわかりやすい切り口なので、紹介しよう。
まず、グリチルリチンの構造式をご覧ください。

何となくステロイドホルモンの構造式に似ている。
甘草の摂り過ぎでアルドステロン症が起こるのは、こういう構造式の類似を見れば腑に落ちる感じがする。
正常マウスの腹腔内にグリチルリチンを投与しても何も起こらないが、G-CSFを投与して顆粒球増多を誘導したマウスにグリチルリチンを投与すると、この顆粒球増多が消失する。
どういうことか、分かりますか?
顆粒球が増えているということは、交感神経の緊張状態、「闘争か逃走か」のモードになっている。そういう状態が、グリチルリチン投与によって緩和されたということだ。
これは人の実験でもデータがあって、顆粒球増多のある胃潰瘍患者にグリチルリチンを投与すると、顆粒球の値が正常化し、潰瘍も消失した。
逆に、リンパ球過剰状態にある人にグリチルリチンを投与すると、リンパ球の正常化が見られた。
つまり、顆粒球の多い人とは逆の反応が見られた。グリチルリチンは交感神経の緊張している人、副交感神経の緊張している人、両方に有効ということだ。
どのようにしてこんな薬理作用が生じるのだろうか。
グリチルリチンの構造式を見れば、約半分の側鎖が-OHや=Oで酸化し、残りの半分が酸化からフリーの状態になっている。
白血球分画は、自律神経系のレベルと相応しているが、自律神経系のレベルは生体における酸化還元反応のレベルでもある。
エネルギーを消費する(生体内物質の酸化)状態が交感神経刺激であり顆粒球増多を招く。逆に、エネルギーを蓄積する状態、つまり生体内物質の還元(生体内物質から酸素を奪う)反応が副交感神経を刺激し、リンパ球増多を誘導する。
つまり甘草は、酸化促進状態にある人(顆粒球優位、交感神経緊張状態)からはその側鎖で酸素を奪い、還元促進状態にある人(リンパ球優位、副交感神経過剰)にはその側鎖の-OHや=Oで生体を刺激している。
こうして、結果として、白血球や自律神経の偏りを正常化するわけだ。
甘草が多くの漢方薬に配合されている秘密はこのあたりにあるようだ。

2019.1.28

「月に取材した和歌は無数にある。
月の満ち欠けに権力の栄枯盛衰を重ねたり、『あなたを初めて見たのは月の美しい夜でした』といった具合に、月を心象風景として使ったり。
しかし不思議なことに、星を愛でる歌はほとんどない。
当然、千年前の日本の夜空に星が輝いていなかったわけではない。それどころか、電気が普及した現代とは比較にならないほど、漆黒の夜空を美しく彩っていたはずだ。
なぜなのか?なぜ、宮廷貴族たちは星を詠まなかったのか。
その理由はわかっていない。
本当だよ。一見すごく簡単そうに思えることだけど、学者にもその理由がわからない。
恐らく、かつて公家たちの間で、それは暗黙の了解だったのだろう。星はタブーであり、星の話題に触れないことは、彼らの『常識』だった。
そして常識は、わざわざ記録されない。
君たちだってそうだろう。日記を書くとして、『朝みそ汁とご飯を食って、昼にはパンを食って、夜には肉を食った』なんて、そんなこと書かないだろう?
そう、当たり前の日常は、あえて記録されない。紙の貴重な時代には、なおさらのことだ。
記録されるのはむしろ非日常、『お、これは珍しい。メモっておこう』ということが記録され、文字媒体として後世に受け継がれていく。
歴史的文献というのはそういう側面があることを、常に念頭に置いておく必要がある。
こうして、記録されなかった『常識』は、千年経つ間に自然と消滅してしまった。
千年前の人々にとって星がどのような存在であったか、もはや推測するより他ない」

高校のとき、古典の先生が言っていたこと。卒業して20年経っても印象に残っている。
一般に、あるものに気付くことは簡単でも、ないものに気付くのは難しい。
古典を研究している人が、あるときふと、気付いたんだろうね。「星の美しさを詠む和歌って、皆無じゃないか」と。
月のことはあれだけ礼賛するのに、星のことは完全にスルー。言われてみれば確かに不思議だ。
そもそも太陰暦を使っていた頃は、月は夜空に浮かぶカレンダーそのもので、農耕民や漁師にとって極めて実用的なものだった。
かつ同時に、ファンタジーをかき立てる存在でもあって、月から来たかぐや姫の物語なんていうのも千年前に書かれている。

西洋は、日本とは反対に、月よりも星を愛でる文化だ。
星で未来の吉兆を占おうとする占星術も西洋由来だし、「何座?」って聞かれたときにたとえば「しし座」とか「かに座」とかって答える、ああいう黄道十二星座も西洋文化のたまものだ。
ミシュランの三ツ星とか、格付けに星を使うのもそういう文化の名残と言えなくもない。
医学との関連で言えば、現代の病院に欠かすことのできないMRIやCTさえ、実は星の研究が土台になっている。
非常に巨大で、かつ極めて遠くにある物体を造影する天文学の技術を細胞に応用することで、癌細胞を可視化することができないだろうか。
この発想をもとに、開口合成の原理を応用して開発されたのがCTであり、MRIだった。

理科の動画がyoutubeにたくさんあって、最近よく見ている。
物理や化学、生物は得意だけど、地学は中学生以降全然勉強していないので、月の満ち欠けとか惑星の運行とか、小学生を対象にした動画であっても、すごく勉強になって楽しい。
さて、問題です。
月と星、地球から見て、距離的に身近なのはどっち?
圧倒的に月が身近です。
星にもいろいろあるけど、たとえばベテルギウスは地球から640光年離れている。
光年というのは、光が1年間に進む距離だ。
一方、月と地球の距離は、38万km。光年で言えば、0.00000004光年=1億分の4光年。
つまり、地球と月の距離は、地球と星の距離に比べれば、ほとんど誤差程度、ゼロに等しいぐらいの距離だ。
星は、とてつもなく遠い。ベテルギウスから、今、この瞬間に放たれた光が地球に届くのは、640年後ということだ。
ベテルギウスは星としての寿命を迎えつつあるというから、すでに500年前に死んでいて、僕らが見ているのは死後の光だと考えることもできる。
理論上、1000光年離れた星から、極めて精度の高い望遠鏡で地球を見たら、平安時代の日本が見えるはずだ。
かつての公家たちがなぜ星をそんなに忌避したのか、その理由も垣間見えるかもしれない。