院長ブログ

2019.1.30

勤務医として鳥取の病院にいたときのこと。
施設に入所していた、80代の認知症の女性。
記憶障害はそれほど重度ではなかった。特徴的だったのは、失語が強く見られたことだ。
失語には二通りのパターンがある。運動性失語と感覚性失語だ。
運動性失語では、人の話は理解できるが、言葉が出にくくなる。だからこちらの指示に従うことはできても、言葉でコミュニケーションをとることは難しい。
感覚性失語では、言葉は流暢に話すが、言葉の理解ができなくなる。だから、運動性失語とは別の意味で、やはりコミュニケーションがとれなくなる。
この女性の失語は運動性失語だった。
話しかけると、言葉は確かに彼女に届いている。しかし適切な受け答えが返ってくることはない。
つまり彼女は、言葉による情報のインプットは可能でも、アウトプットができない世界に生きている。
言葉で意思を表現できないというのは、大変なストレスではないかと思った。
「それでは今日もリハビリを頑張っていきましょうね」とST(言語聴覚士)が彼女を別室に案内する。
僕は主治医として、そばで訓練の様子を見ていた。
彼女は発語がまったく不可能というわけではなかった。絵が描かれたカードを見て、それが何であるかを言う。
ひらがなの一文字一文字を指さしならが、拙いながらも自分の声を出すことはできていた。僕はここで初めて、彼女の声を聞いたように思った。
「さぁ今度は、歌いましょう」とSTが言う。
まさか。
しゃべることさえ満足にできないんだ。歌うことなんて、できるはずがない。
と思ったのも束の間。彼女はSTと一緒に声を出して、歌い始めた。
童謡『ふるさと』。
見事な歌いぶりだ。音程も狂っていない。腹から出した張りのある声で、朗々と歌い上げた。
僕はあっけにとられた。
『ふるさと』は鳥取県出身の作曲家岡野貞一の手になるものである。その哀愁漂う美しい旋律は日本中で親しまれているが、この鳥取ではなおさらのことだ。
鳥取市に住んでいれば、正午の時報として流れる『ふるさと』を毎日聞くことになる。『岡野貞一生誕140周年コンサート』などがいまだに催されたりする。
『ふるさと』は鳥取県民にとって、まさにソール・ミュージック、魂の音楽だ。
認知症をわずらい、言葉の出なくなった彼女も、心の深くに刻まれた『ふるさと』だけは、歌うことができるのだ。
僕はある種の感動を覚えた。
思わず、STに声をかけた。
「言葉は話せなくても、『ふるさと』だけは歌うことができる。鳥取魂の真髄ですね」
STは思いのほか平然と言った。
「先生、そういうことではありません。このCTを見てください。
左前頭葉、ブローカ野が認知症に伴って萎縮しています。運動性言語が障害されている理由です。
しかし右側頭葉中央部のこのあたりはほぼインタクト。メロディーの認知、受容には何ら問題ありません。だから歌えるのです」
奇跡でも精神論でも何でもなく、脳科学的に極めてスマートに説明のつく事柄だったのだ。
ちょっと!せっかく感動したのに、帳消しやんか^^;

そう、たとえば脳卒中で左脳に損傷を受けて話せない患者でも、歌を歌うことはできる。神経学者には広く知られた現象だ。
脳卒中の後遺症で言語障害が残った人がリハビリをするときにも、単に話すだけの練習をするより、同じ言葉を歌に乗せたほうがはるかにスムーズに出てくる、という研究がある。
https://breakingnewsenglish.com/1002/100222-strokes.html
論文ではなくて、2010年アメリカのある学会で口頭発表された研究だけど、ざっと内容を紹介しよう。
発語困難を伴う脳卒中患者には歌うことが助けになる。「言葉を話す」のではなく、「言葉を歌う」ことによって、患者は言葉を発することができる。
この治療法は音楽構音療法(MIT)と呼ばれている。この研究者の一人、ゴットフリード・シュラウグは成功の一例を挙げた。
彼は、バースデーソングの歌詞を話せない脳卒中患者のビデオ映像を示した。この人物はNとOの文字しか発声することができなかった。
シュラウグ医師が彼にバースデーソングを歌うよう頼んだところ、「ハッピーバースデートゥーユー」という言葉を歌えた。
シュラウグは言う。「この言葉を話すように言っても、この患者は無意味な発語しかできませんでした。しかし歌うように言ったところ、この言葉を発することができました」
なぜMITが有効なのか、その機序は未だ解明されていないが、シュラウグ医師は一つの仮説を持っている。
脳は、言語を処理する部位とは異なる部分で音楽を処理しているが、これらの部位には重複している箇所がある、と彼は指摘する。
「メロディーを作り出すということは、脳内の複数の系を同時に活性化し、それらを関連付けたり循環させたりする多感覚的な仕事です。脳の多くの部位が動き出すのです」
MIT治療は長い時間がかかる。1時間のトレーニングを週に5日行う必要があり、効果が出るまでに16年かかることもある。
ただMIT治療のメリットは、この治療法で獲得した能力はまず失われることはない、ということだ。シュラウグ医師のもとでMITを試した患者の三分の二は、話せる言葉の数が増えた。
アメリカだけで7万人もいる脳卒中の後遺症に悩む人に、MITは光明となるかもしれない。

歌うことと話すこと。
脳科学的には、それらは二つの別の行為ということだ。ただ、共通点もあって、その共通点を生かすことで、脳卒中患者の発語の練習になる、ということなんだな。

セミの鳴き音、キジバトの鳴き声、オオカミの遠吠え。
虫や動物を見ていれば、言葉よりもずっと前に、歌があったのではないか、という気がする。
進化のプロセスで、言葉を覚えて小利口になった僕ら人間は、いつの頃からか、歌うことをやめてしまった。
でも、そういう高次機能の中枢たる前頭葉が機能不全に陥っても、原始的な側頭葉は最後まで生きている。
臨終の際にある人の耳には、言葉の意味は解せなくても、その音声は届いているという。
僕らの本能の奥深くでは、『歌の記憶』が眠っているようだ。