ナカムラクリニック

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2019年

長寿

2019.2.10

過酸化水素(H2O2)は小学校の理科の実験でも使われるぐらいだから、みんな何となく聞いたことがある言葉だと思う。
この言葉は医学部の生理学の授業で再び登場して、今度は「活性酸素のひとつ」という文言で出てくる。たとえば、「体内に侵入した病原菌に対し、マクロファージがスーパーオキシド、ハイドロキシラジカル、過酸化水素を産生して、感染症から身を守っている」といった文脈で出てくる。
そう、過酸化水素は感染症から身を守ってくれるありがたい物質だ。しかし同時に、それは活性酸素のひとつでもある。つまり、老化や病気を引き起こすありがたくない物質でもある。
味方のようでありながら敵のようでもある存在。世の中には完全な悪人もいなければ完全な善人もいない、というアナロジーのようで、この両義性を興味深く感じる。
さりとて、老廃物として生じた過酸化水素は、適切に処理されなくてはいけない。どのように代謝されるのか。
その代謝経路のひとつが、上記の図で示したグルタチオン・アスコルビン酸回路だ。

図を解説する。
まず、過酸化水素(H2O2)はアスコルビン酸(ビタミンC)から電子の供与を受けて、酵素(アスコルビン酸ペルオキシダーゼ)によって分解されて水になる。
その過程で生じた酸化アスコルビン酸(モノデヒドロアスコルビン酸(MDA))はモノデヒドロアスコルビン酸還元酵素(MDAR)とNADHによってアスコルビン酸に再生される。
MDAの還元がすぐに行われない場合は、デヒドロアスコルビン酸(DHA)を生じる。DHAはグルタチオン(GSH)を消費しながらデヒドロアスコルビン酸還元酵素(DHAR)によってアスコルビン酸に還元され、同時に酸化型グルタチオン(GSSG;グルタチオンジスルフィド)を生じる。
GSSGは、NADPHから電子の供与を受けつつグルタチオン還元酵素(GR)によってグルタチオンに還元される。
これが、過酸化水素を処理するプロセスの全貌だ。
トータルで見ると結局、NADPHの電子がH2O2に流れている。つまり、グルタチオン・アスコルビン酸回路という名前であるが、NADPHの重要性も相当なものだ。
NADPHとは、NADHにリン酸基がついたもので、NADHとほぼ同じと考えていい。(NADPHは植物に多く含まれ、NADHはミトコンドリアに多く含まれている、という違いもある。)
では、NADHとは何か。
ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(Nicotinamide Adenine Dinucleotide)という名前が示す通り、ニコチンアミド(ナイアシンアミド)とアデニンとジヌクレオチドが合体したもので、要するに、ナイアシンのことだと思ってもらえばいい。
つまり、グルタチオン・アスコルビン酸回路には、グルタチオン、ビタミンC、ナイアシンという、栄養療法で注目すべき役者が一堂に会しているということだ。

ところで、百歳を超えたご老人のことを、英語でセンテナリアン(centenarian)という。
なぜ彼らは、平均寿命をはるかに超えて長く生きることが可能なのか。
彼らの生活習慣、採血データなどを調べることで、健康長寿の秘訣が見えてくるものがあるはずだ、ということで、センテナリアンを対象とした研究は多い。
たとえばこんな研究。http://www.actabp.pl/pdf/2_2000/281.pdf
タイトルは、『センテナリアンにおける抗酸化防御』。要約を訳す。
本研究は、ポーランドのシレジア地区に住む16人のセンテナリアン(被験者は101歳から105歳の男性1人、女性15人)を対象に、彼らの抗酸化防御のメカニズム(酵素的であるか非酵素的であるかを問わず)を評価し、人間の長寿において抗酸化力が果たす役割を調べることが目的である。
この研究の結果、センテナリアンは、健康な若年女性と比べて、赤血球のグルタチオン還元酵素とカタラーゼの活性が有意に高かった。また、有意差は出なかったものの、血中ビタミンE濃度も高かった。

上記では説明しなかったけど、カタラーゼも過酸化水素を無毒化する酵素だ。
グルタチオン還元酵素やカタラーゼの活性が高いということは、抗酸化力が強いということで、センテナリアンの長寿の秘密はこのあたりにあるのではないか、というのがこの研究の示唆するところだ。
ビタミンCやナイアシン、グルタチオンのサプリを摂ることにより、酵素の活性を高めることができるのかどうか、そこは僕にもわからない。
ただ、栄養療法の大御所のポーリング博士は93歳、ホッファー先生は91歳と、センテナリアンとまではいかずとも、ずいぶん長生きをされた。しかも、ただの長生きではなく、晩年まで非常に精力的に活動していた。
両先生とも自説を実践してサプリを摂っていた。
このあたりのことを考えると、サプリの摂取はムダではないと思うんだな。

ビタミンC

2019.2.9

薬かサプリか、の二択である必要はない。両方飲んじゃえばいい。
そういう端的な例として、こんな記事があるのでテキトーに訳しつつ紹介しよう。http://www.schizophrenia.com/sznews/archives/002402.html#

「統合失調症の病理にはフリーラジカルが関与している、というのは複数の研究者が指摘しているところである。
本研究の目的は、非定型抗精神病薬および経口ビタミンCが統合失調症患者の血中マロンジアルデヒド(MDA)濃度、アスコルビン酸濃度、簡易精神症状評価尺度(BPRS)に与える影響を調べることである。
方法:40人の統合失調症患者を対象に、前向きプラセボ対照二重盲検を8週間にわたって行った。統合失調症患者はプラセボ群とビタミンC群にそれぞれ20人ずつ無作為に割り振られた。
血中MDAおよびアスコルビン酸濃度はそれぞれ、ニシャル法、エイエ法により計測した。
結果:統合失調症患者では血中MDAが高く、アスコルビン酸濃度は低かったが、これらの値は、抗精神病薬+プラセボ治療群と比べて、抗精神病薬+ビタミンCによる治療群では8週間後に有意に逆転していた。
つまり、血中MDAが低下し、アスコルビン酸濃度が上昇していた。8週間後のBPRSはプラセボ群と比べてビタミンC群で統計的に有意に改善していた。
結論:非定型抗精神病薬服用中の統合失調症患者にビタミンCを経口投与すると、アスコルビン酸濃度が上昇し、酸化ストレスが減少し、BPRSが改善する。
それゆえ、薬とビタミンCを組み合わせて統合失調症の治療に用いることは有益である。」

記事中、研究内容が何かと批判されている。
「標本サイズが小さい(ビタミンC投与群がたったの20人)し、研究期間も短い(たったの8週間)ことが欠点で、標本サイズが小さいことは統計的に有意かどうかが疑わしい。
それに、この研究はインドで行われたものだ(インドの大学は、西洋のトップレベルの研究機関と同一の研究水準とは言い難い)。
『ビタミンCは統合失調症に有効である』というこの研究の結果は興味深いが、最終的な結論というにはさらなる研究が必要だろう。
ただ、その最終的な結論が出るまでの間に、推奨量のビタミンCを飲むことは誰にオススメしてもいいだろう。ビタミンCを食品から摂取するのなら、オレンジ、イチゴなど、果物や野菜から摂ることができる」

個人的には、ビタミンCは患者にとても使いやすいサプリだと思う。
ビタミンCを患者に勧めて、何か困ったことがあるかっていうと、全然ない(この点、特に使い始めに慎重さが要求されるナイアシンと対照的)。
特に効果を実感するのは、高齢者に使ったときだ。
そもそも老化というのは、酸化の進行のことだから、抗酸化物質のビタミンCが高齢者に著効するのは当たり前といえば当たり前のことだ。
特に何らかの病気の人に投与すると、ビタミンCだけで症状が軽快してしまうことも多い。
たとえば初期の認知症の人に僕が好んで処方する組み合わせは、以下のようだ。
人参養栄湯 9g 朝昼夕食前
シナール 3g 朝昼夕食後
プロマック 2錠 朝食後、就寝前
この組み合わせは保険適用の範囲内で処方可能だ。だから金銭的に厳しくて自費診療とか無理な人も、この処方で認知症とけっこう戦える。
人参養栄湯に含まれている遠志(おんじ)という成分が記憶力の改善に効果がある、というエビデンスがある。http://www.jsom.or.jp/medical/ebm/er/pdf/070005.pdf
だから、遠志が含まれているなら別に人参養栄湯にこだわる必要は必ずしもなくて、たとえば帰脾湯とかでもいいし、何なら遠志の単剤が第3類医薬品(誰でも買える)で売ってるから、それを各自で試すのもいい。
シナールとプロマックの組み合わせは、要するにビタミンCと亜鉛のことで、抗酸化対策のベストコンビだ。認知症患者では亜鉛の血中濃度が低いから、それを補う意味もある。
今みたいな寒い季節には、このコンビは風邪予防にも効果がある。
何にせよ、効果がないとわかっている抗認知症薬を無意味に処方するより、シナールだけでも処方するほうがよほど有益だと思う。
やはりビタミンCは使い勝手がいい。

寒冷ストレス

2019.2.8

こんなニュースがあった。
『あの「冬の八甲田・弘前隊ルート」、陸自部隊が3泊4日で224キロ無事踏破』
https://mainichi.jp/articles/20190207/k00/00m/040/284000c

特に何ということのないニュースで、多くの人にとって「ふーん」で終わる記事だろう。しかし、新田次郎著『八甲田山 死の彷徨』を読んだことがある僕には、このニュースに幾らか感慨深いものを感じる。

百年以上前、20世紀初頭の日本にとって、ロシアが攻めてくる可能性は、妄想でも夢幻でもなく、非常にリアルな不安だった。
帝国主義の時代である。強い国が弱い国を飲み込むのは当然のことだった。東南アジアが西洋列強に思いのままに蹂躙されているように、やがて日本も彼らの食い物にされるかもしれない。
不凍港を求めるロシアが、もうすぐ北方から攻めてくることだろう。最悪の場合、北海道がロシアの手に落ちるのはやむを得ない。しかしどこまで踏ん張れる?せめて本州北端、青森で何とか敵勢を抑えたい。
当時の陸軍はそういうシミュレーションのもと、寒冷環境における対ロシア地上戦を想定していた。
そうした訓練の一環として行われたのが、1902年1月の八甲田山雪中行軍だった。
二つの部隊がこの行軍に参加した。一つは、青森歩兵第5連隊(210人)、もう一つは弘前歩兵第31連隊(38人。従軍記者1人含む)である。
ちょうどこの行軍の最中に、記録的な寒波が彼らを襲った。
これにより、青森隊は199人が死亡(うち6人は救助後に死亡)するという、近代登山史における世界最大級の山岳遭難事故となった。
しかし、弘前隊のほうは死者はゼロ、従軍記者含め全員が生還した。
この二つの部隊の明暗を分けたものは何か?
無能なリーダーに率いられた組織の悲劇。甘い想定、貧弱な装備、指揮系統の混乱。
この事故の研究は、一般の人にも有用な多くの教訓を含んでいる。しかしすでに本やインターネットで広く紹介されているため、ここではあえて触れない。
ただ、医師として、医学的に興味深い点にしぼって話をしよう。

青森隊は、またぎ(地元の山のプロ)の案内を断って、地図と方位磁針のみで行軍に向かった。マイナス20度の大寒波によって、方位磁針が凍って使い物にならなくなり、合図のラッパを吹こうにもラッパが唇に凍りついて吹けなくなろうとは、まったくの想定外だった。
火を起こすこともできないため、食事の供給も不可能。眠ると凍傷になるため、眠ることもできない。吹雪になると、視界はほとんどなくなる。不眠不休の絶食状態に、猛烈な寒波が襲いかかり、ついには凍死する者も出始めた。
そうした極限状態で、奇妙な現象が見られた。
寒くてどうしようもない、凍死の一歩寸前の兵隊のなかに、いきなり「暑い!暑い!」と服を脱ぎ、ふんどし一枚になって雪の中に飛び込む者が出始めた。

これは、矛盾脱衣と言われる行動である。
たとえば冬山で遭難した人が、全裸の凍死体で発見されることがある。なぜ衣服を脱いでいるのか。アドレナリンによる幻覚作用とも、体温調節中枢の麻痺による異常代謝とも言われるが、実は医学的には未だ確定的な説はない。
矛盾脱衣は極限状態で見られる行動なので、直接的に観察することは普通できないが、その点、八甲田山の生存者による目撃証言は貴重である。

そもそも、体温は間脳の視床下部で調整されている。通常では37度前後にセットポイントが設定されている。
何らかの原因、たとえばウィルス感染によって、セットポイントが39度に上がったとする。すると、37度の体は、血管収縮により血流を減少させて、体内の熱が外に逃げないようにし、骨格筋を収縮させて震えさせ、熱を産生しようとする。
風邪の引き始めにゾクゾクする寒気がするでしょう?
熱があるのに寒気がする、というのは妙だな、と思ったことはありませんか?
あれは、セットポイント(設定温度)と体温のずれが引き起こしている現象だ。ゾクゾクは発熱を促す生理で、布団にくるまってちゃんと熱が上がって汗をかけば、風邪はもう半分治ったようなものだ。
この考え方で、矛盾脱衣を説明できないか?
異常な寒冷ストレスにより、セットポイントが低下するのかもしれない。たとえばセットポイントが35度に低下すればどうなるか。表皮の血管拡張が起こって、汗を出すなどして、37度の体温を何とか下げて、35度にしようとするだろう。
しかし、マイナス50度の状況下でそんなことが起こればどうなるか。
吹き出た汗は、出たと同時に凍りつき、凍死への道を突き進むことになるはずだ。

寒さに対する反応は人と動物とではかなり違うため、このあたりの知見は動物実験ではなかなか得られない。
下記の論文の要約にあるように、病院の記録、警察の報告書、歴史的事案あたりを参考にして推測するしかない。
https://www.astm.org/DIGITAL_LIBRARY/JOURNALS/FORENSIC/PAGES/JFS10867J.htm
ナチスがダッハウ収容所で寒冷ストレスで人体にどういう影響が出るかの研究を、人を使ってやっていたみたいなんだけど、これは相当な禁じ手だね。
日本でも731部隊がマルタ(人体実験に使われる捕虜)を使った寒冷実験をやっていた。
吉村寿人氏は731部隊の研究者で、戦後も訴追を免れて医学部の教授をしていた。彼の仕事の一つに、以下のような論文がある。要約すると、
「凍傷の応急処置としては従来、凍結部位を摩擦するのが広く諸外国でも採用されており、凍結部位を温めることは固く禁じられている。
しかし私の研究によれば、これは誤りである。凍傷の応急処置法としては、凍結部位を摂氏37度付近(少なくとも30〜45度。50度以上の熱湯は使ってはいけない)の微温湯で融解させるのが最も効果的な方法である。
これにより、全手が壊死に陥るほどのひどい凍傷も壊死を免れ完全に治癒させることができる。逆に、従来の摩擦法では、効果がないわけではないが、壊死を完全に防ぐことはできない」
この論文は、発表された1941年当時、画期的なものだった。
50度以上の熱湯を使えば、指は落ちてしまう。しかし、30度〜45度であれば、完全な治癒に至る。吉村氏は、一体どのようにしてこの発見をなし得たのか。

僕は最近、731部隊に関する文献を読むのにハマっている。
森村誠一の『悪魔の飽食』のような、思いっきり左巻きの人の書いた本も読んだし、東京に行ったときには国立国会図書館に行って、おもしろそうな論文をいくつか読んだりした。
いろんな識者がいろんなことを言っている。「731部隊は鬼畜のような集団で、筆舌に尽くしがたいほど残虐で無意味な人体実験を無数に行った」みたいな意見もあれば、「731部隊はあくまで関東防疫給水部の通称であり、そもそも人体実験の事実は存在しない」みたいな意見もある。

人体実験がなかったわけがない。ただしそれは、左の人が言うように、残虐非道で無意味な殺戮に過ぎなかったのかというと、それは違うと思う。
当時、731部隊には東大や京大の出身者を含む日本のトップレベルの頭脳が集結していた。
さらにそこでは、現代では人道的な観点から行えないような実験を、知的な好奇心の赴くままに行える環境が揃っていた。
成果が上がらないわけがない。
実際、当時の日本の細菌・化学兵器に関する知見と技術は世界一だった。
ペスト菌やチフス菌をどれだけの量、どういう経路(吸入か静注か)で投与すれば最も能率よく感染させることができるのか?毒ガス(イペリット、ルイサイト、青酸ガスなど)によってどのような症状が生じるのか?効果的な致死量と投与方法は?
動物実験では絶対に得られないデータ、人体実験以外では知りようのない知見を、当時の731部隊は着々と積み上げていた。
戦後、アメリカはそういうデータがのどから手が出るほど欲しかった。
人体実験を行った研究者が戦争裁判で裁かれて死のうが生きようが、アメリカにとってはどうでもいい。ただ、とにかくデータは欲しい。あんなに詳細にして正確を極めた人体実験のデータは、戦後の平和な環境下では二度と得ることはできない。特に避けるべき事態は、データがロシア側に渡ってしまうことだ。
731部隊長の石井四郎は米軍と交渉し、データの提供と引き換えに、研究者の訴追免除の確約を得た。

人体実験がいいことか悪いことかで言えば、悪いに決まっている。
医学は、人間のためにあるのであって、逆ではない。人間を犠牲にした医学的研究というのは、本人の同意のない限り絶対許されてはいけないものだ。
それでも僕は思うんだけど、あったことは、あったんだ。
尊い犠牲から得た知見をもとに、たとえば凍傷治療に際して指を失う人が減るのであれば、その知識は生かされるべきだとも思う。
長文になってしまった。
731部隊のことについては、いずれまた稿を改めて書こう。

脱毛症

2019.2.7

70年以上前の古い文献だけど、おもしろそうなので、訳してみます。
https://jamanetwork.com/journals/jama/article-abstract/256511

編集者さんへ
バレンジャー医師が6月27日に貴誌に寄せた薄毛にまつわるいくつかの疑問は、イリノイ大学医学部解剖学教室で行った私の技師としての観察(1916年から1917年まで)によって、解決されるかもしれません。
当時私は、80人のご遺体から神経学の授業の用途別に応じて、脳を除去する作業に従事していたのですが、そのときに偶然気付いたことがあります。それは一見明らかな関連と言えるかもしれませんが、頭皮への血液供給と毛髪量の間にある関係性です。
薄毛になっているのは、頭蓋骨の石灰化によって縫合線が固く接合し、かつ、様々な小さな血管孔が閉鎖したり狭小化している症例ばかりでした。すっかりハゲている症例において、そうした所見が最も顕著でした。これらの血管は頭蓋骨の海綿状組織にある板間静脈とつながる静脈が主体でしたが、その海綿状組織が孔の石灰化により、著明に狭小化していました。頭皮の血液循環が損なわれるプロセスの進行度合いは、石灰化と相関して観察されました。
ということは、この事実は、薄毛が起こるメカニズムを説明するのみならず、なぜ男性は女性よりも薄毛になりやすいのか、という機序の説明になっているものと考えられます。なぜなら、骨の成長(石灰化)は一般に女性よりも男性で活発だからです。
こうした機序を考慮すれば、ヘアトニックやビタミンが血液循環の回復に寄与しないことは恐らく明らかであります。また、カルシウム摂取の増加が薄毛の発症率の増加(および育毛療法の売り上げ増加)につながっている可能性があります。
フレデリック・ヘルツェル

上記はLetter to the editor(編集者への手紙)で、厳密には論文ではないから、エビデンスとしてどうのこうのという話にはならないんだけど、「エンピリック(経験的)にはこうだった」という情報や次に行われるべき研究への示唆が含まれていたりする。
この手紙を書いた人は、たくさんの剖検症例を観察しているうちに「薄毛の原因は頭蓋骨内の海綿状組織の石灰化ではないか」とひらめいたんだな。原文のcalcificationという言葉を「石灰化」と訳したんだけど、これは「カルシウム沈着」と訳してもいいと思う。
そもそも、老化とはカルシウム沈着のことだ、とも言える。
たとえば動脈内壁にカルシウム沈着が進行するということは、動脈硬化の進展そのものだ。カルシウムの濃度は、ざっと、骨:細胞:血液=1億:1万:1に保たれているけど、加齢などの影響でこのバランスを保つことができなくなると、細胞内や血中のカルシウム濃度が上昇する。
実際、アルツハイマー病や糖尿病の人では、細胞中・血中のカルシウム濃度が高い。
細胞内のカルシウム濃度が上がると、活性酸素の産生が活発になり、組織に酸化ストレスによる炎症を引き起こすことがわかっている。
文中、「ビタミンは血液循環の回復に寄与しない」という記述には、栄養療法をやっている身としては異議のあるところなんだけど^^、カルシウムの悪影響を説いている点でトーマス・レビー先生の主張を先取りしている形だ。レビー先生は「カルシウムと鉄は極力摂るな」とあちこちで口を酸っぱくして言っている。

生物は体に不調をきたし始めると、まず生存に必須ではない箇所を退化させて、より重要度の高い体の「本丸」を守ろうとする。たとえば毛母細胞というのは、体にとって、どちらかというと贅沢品だから、このあたりから切り捨てていく。
逆にいうと、豊かな毛髪というのは、生存に対する余裕の現れなんだな。
異性の選択の際、フサフサの男と薄毛の男がいて、他の条件が同じなら、女性はフサフサを選ぶ。どちらが健康体なのか、本能的に知っているんだな。

もっとも、女性が薄毛にならない、というわけではない。
薄毛に悩む女性を対象にしたこんな研究があるので、紹介しよう。
https://www.researchgate.net/publication/292926716_Use_of_the_phototrichogram_to_assess_the_stimulation_of_hair_groth_-_An_in_vitro_study_of_women_with_androgenetic_alopecia
要約
アンドロゲン型脱毛症の女性を二つの群に分け、一方の群には粟の種子抽出物、Lシステイン、パントテン酸カルシウムを経口投与し、もう一方の群にはプラセボを投与する6ヶ月間の無作為化プラセボ対照二重盲検試験を行った。
この研究の評価項目は、成長期の毛髪の発育速度の変化とし、その変化はフォトトリコグラム(頭皮の一定区画をマーキングし、そこの毛髪をマイクロスコープで撮影し、同区画の毛髪の変化を経時的に見る方法)で測定した。標準的な毛髪量の80%以下を脱毛症、85%以上を正常とし、研究開始から3ヶ月後に中間測定、6ヶ月後に最終評価を行った。
実薬群は本研究の評価項目を満たし、女性のアンドロゲン型脱毛症に対する有効性が示されたが、プラセボ群ではそういう変化は見られなかった。

この研究は、露骨にスポンサーのバックアップがあって、上記成分を含む商品を売りたい魂胆が見え見えなんだけど、で、実際、効果は本当にあるようだから、それを試したい人は買えばいいと思う。
ただ、成分の手の内を明かしてくれているわけだから、それを自分で試すこともできる。たとえば粟抽出物、なんて化学的な抽出物をとらずとも、普通にスーパーで売ってる粟でいいと思うよ。一日水に浸しておくと、ふやけて、案外そのままでもおいしく食べられます。システインは本来非必須アミノ酸なので、必要に応じて体内で合成されるんだけど、あえてサプリから摂ってもいいし(とるならNACがいい)、食品から摂るのならタマネギがオススメ。パントテン酸は、panthos(=汎。どこにでもある、ということ)が語源であるように、どんな食品にでも含まれているぐらいなんだけど、納豆、卵がオススメかな。もちろん、サプリから摂ってもいい。
できるのなら食養生が最善で、次善策がサプリ、最後に薬、という順番が基本です★

医学部受験

2019.2.6

僕はとある地方国立大学の医学部出身なんだけど、同級生にはざっと二通りのタイプがいた。
「国公立の医学部にすべり込めて大満足」というタイプと、「自分の偏差値からすれば、このレベルの医学部は実に不本意」というタイプだ。
医学部に合格し入学するというのは、ひとつの大きな達成であるはずなんだけど、後者の人は、「とても達成なんて言えたもんじゃない」と思っている。
「前期試験は某旧帝大を受けて、ダメだった。滑り止めの後期試験で受かったのがこの大学。
浪人するのが嫌だったから一応入学したけど、自分としては妥協も妥協。自尊心が傷つくくらいの妥協をしている。当然、今は仮面浪人の身で、来年は再受験するつもりだ」
キューテーダイ?漢字変換が頭の中に浮かばないんだけど。
「旧帝国大学のことだよ。具体的には、東大、京大、東北大、九大、北大、阪大、名大のことだ。
ここの医学部みたいな戦後にできた新設の医科大学とは、歴史と伝統の重みが違う。最低でも旧帝大クラスでないと、と思っている」

この気持ちは、僕にも分からなくはない。
僕もいわゆる進学校出身で、先生たちが「今年は東大に何人、京大に何人、医学部に何人受かった」みたいなことで目の色を変える学校で育ったから、彼のいう『自尊心』は分かる。
しかし今、医者になって思うんだけど、いったん医者になってしまえば、どこの大学出身だろうが関係ないよ。
これは医者になる前から周囲のみんなが言っていたことだ。
「研究でやっていくのなら大学にこだわる意味はあるかもしれない。学閥があるからね。旧帝大のほうが研究資金も潤沢だろうし。でも臨床をやるのなら、出身大学は関係ないよ」って。
本当にその通りだった。
旧帝大医学部出身だから給料が多く、私立大学医学部出身だから給料が少ない、ということは全くない。出身大学による待遇の差別は、存在しない。
医師免許を持っているかどうか。ポイントはそこだけだ。
官僚になるための国家公務員一種試験では、仮に試験に受かったとしても、受験時の成績が一生ついてまわって、成績の順番によって出世の可否が半分決まるらしいんだけど、医師国家試験ではそんなバカげたことはない。
受かるか落ちるかは天と地の差だが、満点で受かろうが最下位ギリギリで受かろうが、違いはない。出身大学も無関係なら、医師国家試験での合格順位も無関係だ。
もちろん、周囲に与えるインパクトは違うと思うよ。
「ほう、今日来る研修医は京大出身かぁ」となれば、上級医やナースもちょっと構えるところがある。どんなに頭のいい先生かな、と。
でもそれだけのことだ。給与面での待遇をを左右するのは、医者として何年キャリアを積んでいるか、専門医資格を持っているか、といったことで、出身大学の違いは影響しない。

「小学校のときからずっと塾に通っていて、『勉強ができる』ということが、俺の自尊心の大きな部分を占めていると思う。
それはそういうものじゃないか。昔から運動が得意な人は身体能力に自信を持つだろうし、ルックスがよくて異性にチヤホヤされて育てば、自分の容姿が誇りになるだろう。
俺の場合は、それが勉強だった。
誰もが知る中高一貫の有名進学校に合格した。この学校はもともと、東大志向よりも医学部志向が強いんだ。確かに同級生には、俺も含めて医者の息子が多かった。
同学年のうち、東大に行くのはだいたい3分の1くらいで、半分は医学部に行く。
仮にこの半分の学生が医学部志向を捨てて東大志向に切り替えたとすれば、ちょっとした騒ぎになると思うよ。その年の東大の難易度が一気に上がった、ということで。
同級生にはすごい奴がいっぱいいる。数学オリンピックや物理オリンピックのメダリストとか、神童としか言いようのない天才がいて、そういう中にいると、自分はとりたてて才能のない凡人なんだなと思う」
いや、小学校6年生の時点でね、あの算数の入試問題を解いて合格するっていうのがすごいと思う。
今、大学レベルの数学の知識を一通り身につけた上で解いても、満点はもちろん無理だし、合格レベルまでいけるかどうか。特に二日目の記述問題とかね。
「合格したものの、俺だってもう一回受験したとして、受かるかどうか笑。
あんなに難しい試験でも、毎年満点をとる生徒が一人二人いる。末恐ろしいほどの才能だと思う。
あの学校の合格者は、三通りに分かれると思うんだ。そういうずば抜けた『天才』と、一般的な『学校秀才』、それに『凡人』。
俺は『凡人』だと自認している。合格者全員が『すごい人』という認識はむしろ偏見だ。
ただ、あそこで学ぶ6年間で、強烈に刷り込まれる意識がある。『俺たちは、灘なんだ』と。
中学生や高校生のうちから輝かしい才能の光を放って、マスコミから注目される天才がいる。そういう天才が、あの学校のブランド価値を高めている。
俺のような凡人にああいう真似はできないが、ただ、共感し、誇りが高まるんだよ。『ほら、また灘の仲間がやってのけたぞ』って。
卒業生はこの誇りを背負って生きていくことになる。しかしこの誇りは、時には大変な重荷なんだ。
たとえば、君は今『国公立の医学部ならどこでもよかった。この大学で万々歳、大いにけっこう』という気持ちで入学したと言っていた。
そういう君には済まないが、俺は、挫折と屈辱を胸に抱いてこの大学に入学している。今の自分は仮初めの自分なんだ、とさえ思っている。
灘出身という強烈な自負心が、現状を肯定させてくれないんだ」

いや、そんなこだわりはナンセンスだよ、という言葉が出かかったけど、飲み込んだ。
頭のいい彼には「そんなこだわりはナンセンスである」ということはとっくに分かっている。それでも、こだわらずにいられない、ということなんだ。
入学後、彼は医学部の勉強はもちろん、部活にも熱心で、充実した大学生活を楽しみながら、同時に再受験の勉強も並行して続けた。
しかし某旧帝大を受験するも不合格。翌年、再度チャレンジするも、失敗。
二度の失敗を経て、ようやく、彼は現状を受け入れた。自尊心のうずきを抑え、この大学でやっていこうと腹をくくった。
長らく使い込んだ受験参考書を処分した。
受験参考書を開くたび、彼は優越感と劣等感の入り混じる、甘いような苦いような、複雑な気持ちになるのだった。
数学、英語、物理、化学、国語。
様々な科目の参考書を山積みにして、ビニールテープでくくり、廃品回収に出した。
彼はそのとき、自分の中でひとつ、はっきりと何かが終わったような気がした。
『勉強ができる』という自尊心、『灘』という強烈な自負。
それはそれでいまだ彼のなかにあるのだが、それにとらわれることをやめ、新たな自分を模索し始めた。
医師免許取得し、初期研修を終えて以後、彼は臨床を診ていない。現在、外資系の経営コンサルティング会社で勤務している。
凡人?とんでもない。
才能のある男には、異色の経歴がよく似合っている。