ナカムラクリニック

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2019年11月18日

友人宅での食事

2019.11.18

中学の同級生が神戸で精神科クリニックの開業医をしている。
十年ほど前に結婚し、小学校5年生の息子と1年生の娘がいる。数年前に神戸市北区の閑静な住宅街にマイホームを購入し、そこに一家で暮らしている。
僕とはときどき飲みに行ってバカ話をするような間柄なのだが、昨夜初めて彼の家に招かれ夕食をごちそうになった。

妻がいて、子供がいて、家がある。
何でもないことのようだけど、これはすごいことだ。
もちろん僕もいい年だから、同世代の人は当たり前のように結婚して子供がいて家庭を持っている。
でもこんなふうに、自分の同級生が築き上げた、いわば「お城」に、食事に招待されたことは、今までの僕の人生で初めてのことだった。

僕らは、確かに、同級生だった。同じ中学校で同じ授業を受けて、同じ時代の空気を吸っていた。
彼とは部活も同じだったこともあって、一緒に過ごす時間も長かった。
中学卒業後、ほとんど会わなかったけど、今こうして、再び会うようになった。
そして感じたのは、互いの歩んできた人生の違いである。

僕には嫁も子供もマイホームもない。
これは、時代の傾向、と言うこともできるだろう。
たとえば僕の父は、彼と同じように、僕の年齢の頃にはすでに姉と僕という二人の子供がいてマイホームを持っていたが、40年前は普通のサラリーマンにもそういうことが可能だった。
今の時代は、一介のサラリーマンが家を購入するのは困難だし、マイホームを買うよりは賃貸で済ませた方が経済的に賢明、という話もある。
さらに、全体的な傾向として、晩婚化が進んでいるし、結婚しても子供のいない夫婦も増えている。
結婚して子供を持って家を買って、という従来の「幸せな家庭像」は、すでに現代日本では一般的ではない、という言い方もできるだろう。

それでも、かつて彼と僕が同じスタートラインに立っていたことを思うと、彼が人生で手にしてきたものに、僕はある種の感慨を抱かずにはいられなかった。
それは「すごいなぁ、よくやっているなぁ」という感嘆でもあり「うらやましいなぁ」という羨望でもあるが、決して嫉妬のような単純な感情ではない。
人生は選択の連続であり、その選択には常にメリットとデメリットがつきまとう。
彼は様々な選択の末に、妻と子供を背負うことになった。そこには相応の喜びがあり、苦しみがあることだろう。
同様に、僕の今の状況も、自分の選択を積み重ねた結果であるはずだ。
独身貴族のお気楽さを楽しんでおきながら、彼の背負うものの重さをうらやましがるなんて、こんな矛盾もないだろう。

「息子が進学塾に通っててさ、ときどき勉強を見てやってる」
ええなぁ。ちゃんとお父さんやってるな。子供に勉強教えてやるなんて、最高やな。
「うん、でも普段全然勉強しない。成績もよくない。子供相手にあんまり怒りたくないけど、露骨になまけてる息子を見ると、さすがにイラつくな」

子供はかわいいだけの存在じゃない。自分に似たかわいい我が子ではあるけど、自我を持った他人であり、自分の思い通りには動かない。
飲み屋では出てこない「父親」がいて、彼の別の顔を見た思いだ。

床に投げ出されたおもちゃ、壁際の電子ピアノ、大きなテレビとゲーム機、アカハライモリを飼う水槽、記念日に撮った家族写真、壁に貼られた習字、塾でもらった膨大なプリント。
すべて彼の稼ぐお金が形を変えたものであり、すべてが彼の城を構成する要素だった。
こうしたセットを背景に、子供たちがバタバタと走り回って声を上げ、会話を交わし、笑顔を交わし、食事が進む。
そう、思い出した。こういうのを、家庭というのだった。
そして気付いた。家の主人公というのは、子供なのだ、と。

僕もかつては家庭に属していた。
父母がいて、姉がいて、僕がいて、家の中でバタバタやっていた。
いつのまにか大きくなって、姉が結婚して家を出て、母が死に、父に別の女ができて、僕の家庭は自然消滅した。
本来なら、僕が新たな家庭を作らないといけない。子供という新たな主人公を据えて、物語を始めないといけない。
そのはずなんだけど、一体僕は、何をやっていることやら。

僕はやはり、今の自分を自分で選んだんだと思う。
結婚して子供を作ることには、必然性がない。今の自分で充分楽しくて満足なんだ。
子供がいないおかげで、僕はいつまでも子供のままでいられる。自由に勉強して知識を吸収できるし、飲み歩くこともできるし、どこかに気ままに一人旅することだってできる。

しかし子供ができればできたで、僕はその流れに喜んで身を任せるだろう。
子供は僕に大人になることを要求するだろう。僕は彼の面倒を見てやり、休日どこかに連れて行ってやり、勉強を教えてやる。
それは僕の望むところだ。自分自身の成長のためにかける時間とエネルギーは犠牲になるが、僕はその犠牲を喜んで受け入れるだろう。
子育ては、最高の趣味になり得ると思う。
きっとお金はものすごくかかるだろうけれど^^;

子宮頸癌ワクチン

2019.11.18

国民の知る権利に奉仕するのがマスコミの務めだけど、同時にマスコミは収益構造上、スポンサーの意向に逆らえない弱みもある。
そのせいで、国民が知っておくべき事柄が報道されないということは、ざらにある。
しかしときどき週刊誌が、テレビや新聞などの大手メディアには絶対報道できない問題に対して、ズバリと切り込んだりする。
たとえば以下のような記事。
『現役医師20人に聞いた”患者には出すけど、医者が飲まないクスリ”』(週刊現代)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/42507
『なぜ、医者は自分では受けない治療を施すのか』(PRESIDENT)
https://president.jp/articles/-/15153

製薬業界を敵に回すようなこんな記事を、よく書けたものだ。マスコミはこうでないといけない。
週刊誌も企業からの広告収入に依存している部分は大きいはずだけど、新聞・テレビよりは自由度が高いようだ。
近年、新聞の購読者数、テレビの視聴率が落ち続けている。
インターネットやSNSの発達の影響はもちろん大きいだろうが、国民がテレビや新聞のウソを見抜き始めているというのもあるだろう。
賢い人はすでにテレビの言うことは話半分に聞いていて、ネットにある真相のほうに耳を傾ける。
もちろんネット上の情報も玉石混交だが、かつて「情報の絶対王者」として君臨したテレビがその地位から転落したのは間違いない。

上記の記事は、いずれも現場の医師の声である。
そう、医者は、わかっている。
現場を見ていれば、自分のやっている治療が本当に患者のためになっているかどうか、わかる。
患者が救われていれば万々歳。すばらしいことだ。胸を張っていい。
しかし、経過を見ながら「この治療は、有害無益。患者にはむしろデメリットになっている」と気付いたらどうするか?
良心の呵責に耐えかね、その治療法が有害であることを学会に告発する?
まさか。そんな医者はほとんどいない。
医者も商売人。建前と本音を器用に使い分けて、毒のような薬を平気で処方し続ける。
「患者には出すけど自分は飲まない薬」、「患者にはやっても自分は受けない治療」そんなデタラメは、医療現場に山ほどある。

そう、医者は二枚舌なんだ。
信じられないって?
よろしい。そういう方のために、医者のダブルスタンダードを実証するこんな研究を供覧しましょう。
『日本における産婦人科医の娘のHPVワクチン接種について』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26155971

子宮頸癌ワクチン(HPVワクチン)が日本で定期接種されるようになったのが、2013年3月から。
しかしその後、ワクチン接種後の副作用の報告が全国で相次ぎ、なんと定期接種開始からわずか3か月後の6月には、接種勧奨の取り消しとなった。
被害者たちの動きは早く、2013年3月には「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」が結成され、マスコミもこれを報じた。
つまり、2013年の報道以降、HPVワクチンの危険性は一般人にさえ知れわたることになった。

一方、こうしたマスコミ報道にかかわらず、日本産科婦人科学会の立場は一貫している。
『子宮頸がんとHPVワクチンに関する正しい理解のために』(公益社団法人日本産科婦人科学会)
http://www.jsog.or.jp/modules/jsogpolicy/index.php?content_id=4
このページをざっくりまとめると、
「子宮頸癌予防効果は94%と高い。なるほど、副作用の報告はあるが救済措置制度もある。我々は科学的見地に立ってHPVワクチン接種は必要と考え、HPVワクチン接種の積極的勧奨の再開を国に対して強く求めていきたいと考えている」
では、日本産科婦人科学会を構成する個々の先生方は、どのように考えているのだろうか。
2013年6月以降、HPVワクチンの接種は勧奨からはずれたものの、希望すれば受けることはもちろん可能だ。
日本産科婦人科学会は子宮頸癌予防のワクチンの有効性を信じ、何とか勧奨接種の再開を希望しているのだから、当然その構成員も、自分および自分の娘に、ワクチンを打たせているに違いない。
そうでしょう?
まさか、学会のスタンスに内心疑問があって自分の娘にワクチンを受けさせていない、なんていうダブルスタンダードは、ないですよね?

このあたりを検証するために、産科・婦人科の先生方にアンケート調査を行った。その結果が、以下のグラフである。

この棒グラフは産科・婦人科医の娘のHPVワクチンの接種率を表している。白いバーで書かれている棒グラフは2012年の接種率。一方、黒いバーは、2014年の接種率。
2014年の6th(小学校6年生)から9th(中学3年生)でHPVワクチンを受けた割合が、2012年より有意に低下した(p = 0.012)。
どういうことか、わかりますか?
産科・婦人科の先生方の二枚舌が立証されてしまった、ということです。

寄らば大樹の陰、で、学会には所属している。学会は副作用騒動の後もワクチン接種勧奨のスタンスを崩していない。しかし自分の大事な娘には、受けさせない。
恥ずかしくないですか、そんな露骨な二枚舌。
また勧奨再開になれば、どうせ患者には遠慮なく打つんでしょ。
患者は他人だから、副作用が出ようがどうなろうが、知ったことじゃないよね。

参考:『ビタミンCによる疾病予防と治療~最新動向』(柳澤厚生氏の2019年11月10日の講演)