2019.10.25
勤務医の頃、統合失調症患者で、牛乳を毎日2パック飲む人を見たことがある。
多飲水は、精神科医には見慣れた症状で、それの牛乳バージョンかなと思った。コーラなどの清涼飲料水をバカ飲みする人も珍しくない。
多飲の背景に、食物アレルギーがある可能性もある。
食物アレルギーと聞けば、皮膚にブツブツができたり、呼吸が苦しくなったり、というイメージを思い浮かべるかもしれない。確かにそれが一般的な症状だが、少数ながら、「原因物質への惑溺」という症状が現れる例もある。
アレルギーの原因食材を、病的なほど大量に摂取する。本人にもなぜかわからない。もうとにかく、それが欲しくてたまらない。「過食症などの摂食障害は、食物アレルギーの結果ではないか」と考える先生もいて、臨床をやっていればその説に説得力を感じる。
「統合失調症は古今東西、発症率はだいたい一定で、100人に1人、つまり1%程度である」と医学部で教えられる。しかしこの説にはまったく根拠がない。
「統合失調症の発症率には、地域差、時代差が、明らかに存在する」そして、「その発症には小麦の摂取が大きく影響している」このことをデータで以って示したのが、
カーティス・ドーハン(1907〜1991)である。
第二次大戦中、食料不足でパンの入手が難しかった時期、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、カナダ、アメリカでは、男女とも統合失調症による入院数が減少したが、終戦後小麦の消費量が増えるにつれ入院数が増大したことを彼は示した。
さらに、同様のパターンはニューギニアの狩猟採集民にも見られた。西洋の影響を受ける前には、統合失調症の発症率は0.003%(住民6万5千人あたり2人)だったが、西洋の食習慣が浸透し、小麦製品やトウモロコシを常食し、大麦由来のビールを飲むようになると、統合失調症の発症率は65倍に跳ね上がった。
こうした事実に注目したドーハンは、小麦と統合失調症の間に相関があるという仮説を立て、その証明に乗り出した。
60年代半ば、フィラデルフィアの退役軍人病院に勤務していたドーハンは、入院患者の食事から完全に小麦を除去してみた(この研究は患者らに一切通告せずに行われたため、今の基準からは倫理的に相当問題があるが、そこはひとまず置くとして)。
すると、小麦を抜いて4週間経つ頃には、入院患者の全員で症状(幻覚、妄想、幻聴、自閉など)の改善が見られた。
そこで再び患者の食事に小麦を戻すと、症状はまた元に戻った。再び小麦を抜くと、また回復した。もう、あからさまにコロコロ変わる。結果は誰の目にも明らかだ。
ドーハンはこの結果を論文にまとめた。この論文を見たイギリスのシェフィールド大学の精神科医が追試をしたところ、同様の結果が得られた。以後も各所で追試が行われ、なかには統合失調症が完全寛解した症例報告さえあった。
たとえばデューク大学の医師によると、「53年間にわたって幻覚・妄想に悩まされ、何度も自殺未遂をしていた70歳の統合失調症女性が、8日間の小麦断ちで寛解した」という。
こうした報告により、ドーハンの仮説はすっかり立証された形となった。
ドーハンの論文を一本あげておこう。
『再発性統合失調症患者〜牛乳・穀物抜きの食事による急速な回復』
https://www.cambridge.org/core/journals/the-british-journal-of-psychiatry/article/relapsed-schizophrenics-more-rapid-improvement-on-a-milk-and-cerealfree-diet/FFC577948B95FFF692F341A8AF71407E
しかし、みなさん、「統合失調症の人は小麦を控えましょう」なんて話、聞いたことがありますか?
ないでしょう。なぜ、ないと思いますか?
情報統制が行われているからです。「そんなことは教えるな」と、当局からしっかりブロックされています。
僕ら医師も「小麦を断てば統合失調症が治る」なんて習いません。医師さえ、事実を教えられていないんです。一般の医学教育を学んだところで、患者を真に救える医療なんて、実践できるわけがないんです。
笑っているのは、食品業界と製薬業界だけ。小麦製品や乳製品が売れてウハウハ。病人が増えて薬が売れてウハウハ。この2つの業界のマッチポンプで、医者の役割はこのポンプの回し役。
イヤな世の中だよねぇ。
参考:『小麦は食べるな』(ウィリアム・デイビス著)
2019.10.25
体調が悪い人には、「甘いもの、小麦製品、乳製品はいったんやめましょうね」と言うようにしている。
でも、どれだけ本気になるかは本人次第だし、
「甘いものって、精製した白砂糖はダメだとしても、黒砂糖や蜂蜜は多少いいですよね?」とか、
「小麦がダメってことですけど、精製した穀物がダメなんですよね?じゃ、全粒粉のパンはいいですよね?」とか、
「プロテインもダメですか?ホエイプロテインは牛乳から作ってるわけですけど、有害なカゼインは抜いてあるので大丈夫ではないですか?」とか聞かれると、真っ正面から組み合わないで、
「そのあたりは、ご自身の判断に任せます。自分の体ですから、体に聞いてみてください」と何となくボヤかすようにしている。
「甘いものを食べられない人生なんて地獄だ」と思ってる糖質依存症者に完全な甘いもの断ちを強いるのは酷な気もするし、「何十年も朝食にパンを食べ続けてきた」という人にパン一切禁止といえばアイデンティティが揺らいでしまうかもしれない。プロテインで体調が改善した人も実際にいるだろう。
つまり、僕には確かなことなんて、何も言えない。だから、確信を持って何かを強制したりはしない。
ただ、助言するだけ。それを容れるか容れないかは、本人次第だ。
もちろん助言はエビデンスに基づいている。エンピリック(僕の臨床経験)に基づいたものも多少はあるけど、ごく一部だ。
小麦の有害性に関してはエビデンスは無数にある。学術論文をここに引用してもいいのだけど、今回はお固いのはやめて、一般向けの書籍を参考にしよう。
小麦(およびパン)の危険性を告発する本はたくさんあって、ざっとこういうのがある。






なかなか壮観な眺めである。
本のタイトルは内容のエッセンスになっているものだから、少なくともこれだけの著者がパンの危険性を告発しているわけだ。
ただし、刺激的でキャッチーなタイトルをつけて部数を伸ばしたい出版社の意向もあるから、そのあたりは割り引いて見る目も必要だけど。
一番上の本『小麦は食べるな』は翻訳書で、原題は”Wheat Belly”、直訳するなら『小麦腹』という感じだ。アメリカとカナダで130万部以上を売り上げた本だが、この直訳のタイトルでは日本で売れにくいだろう。
この本、実際に読んでみた。
「小麦は世界で最も破壊された食材であり、諸病の源である」というのが著者の最初の言葉であり、結論でもある。
なぜそう言えるのか?
すでに遺伝子組み換えの大豆やコーンが流通して僕らのテーブルに上っていることは多くの人が知っているだろう。しかし、遺伝子組み換え小麦はまだ一般に流通していないのではないか、と思われるかもしれない。
しかし小麦は、20世紀後半に大幅な品種改良が行われた。これは遺伝子組み換えではなく、交配によるものだった。学者の間には、なぜか「交配による品種改良は安全」という神話がある。そのため、動物実験も人体への安全確認の試験も行われることなく、この新種が市場に流通することになった。
この背景には、あの巨大な力が働いている。ロックフェラーだ。
そもそもの事の始まりは1943年、ロックフェラー財団の協力のもと、国際トウモロコシ・コムギ改良センター(IMWIC)が設立されたことである。「今後予想される人口増加による世界的飢餓から人々を救うため」というケチのつけようのない目標を掲げた組織で、品種改良を通じて病気、日照り、高温、除草剤に対する耐性を高め、収穫量を増やす研究が精力的に行われた。
実は収穫量を上げること自体は簡単で、大量の窒素肥料をまけばいい。そうすると、小麦の先端に巨大な種子が実る。この事実は古くから知られていた。しかし、実った種子の重さで茎が折れて収穫に差し支えるし、下手をすれば枯れてしまう。
様々な試行錯誤の末、ついに、茎が短く太い矮小小麦が開発された。
この新種はアメリカはもちろん、中国、インドなど世界中に広まり、今や世界中の生産量の99%以上を占めている。そして、小麦の生産量は1960年代から90年代にかけて、ざっと10倍に増えた。
交配によって生まれた新種が無条件に安全だというのは危険な思い込みだ。新品種の小麦に発現したタンパク質を、二つの親の品種と比較すると、子品種のタンパク質の95%は親と同じだが、5%は二つの親いずれとも異なる、というのが農業遺伝学の示すところである。
特に、グルテンの構造は交配によって大幅に変化する。ある交配実験では、二つの親品種にはない14種類の新しいグルテンが子品種に存在することが示された。さらに、百年前の品種と比べてみると、現代の小麦にはセリアック病に関連するグルテンの遺伝子量が多いこともわかっている。
2日間に渡って著者自身が行った実験が挙げられている。
1kgの全粒ヒトツブコムギ(古代小麦)をひいてパンを作った。現代小麦のように成形しやすくはなく、作りにくいが、パン生地のにおいが非常に芳しく、ピーナッツバターのように濃厚だった。味はずっしりとした木の実のような味で、渋い後味があった。
実験1日目、この自作のパン100gを食べる。食前の血糖値は84 mg/dl。食後の血糖値は110 mg/dl。炭水化物を食べた後の標準的な値である。吐き気、眠気、痛みなどの症状もなかった。
2日目。現代の有機栽培の全粒小麦粉で、同様の手順で作ったパン100gを食べた。食後血糖は167 mg/dlと高く、しかもひどい腹痛と吐き気を生じた。胃のむかつきは36時間続いた。夜は鮮明な夢をいくつも見て、何度も目が覚めた。翌朝は頭が働かず、読むつもりだった研究論文が理解できなかった。同じ段落を4、5回読んでも理解できず、ついにあきらめた。1日半経って、体調はようやく回復した。
この実験結果には深く共感する。僕もパンを食べると、そういう具合にあからさまに調子が悪くなるからだ。ナチュラルハウスっていう、有機栽培の食材をメインに置いた店のパンであっても、調子が悪くなる。「おかしいな、ものはいいはずなのに、なんでだろう」って思ったけど、何度食べても調子が悪くなるものだから、認めざるを得なかった。パンは僕には無理なんだな、と。
これは僕だけじゃなく、多くの人にも言えると思う。
つまり、、、
もう、そもそもの小麦の品種からしてダメになっているわけだから、全粒粉だからオッケーとか有機栽培だからオッケーとか、そういう話ではなくなっている、ということだ。
悲しいけど、それが小麦の現実なんだ。
2019.10.24
言うまでもなく、アメリカは超大国(経済的、軍事的な意味で)なのだから、その政治的トップの判断は世界中に大きな影響を与える。
そういう超VIPのアメリカ大統領は、毎日どんなものを食べ、どんなふうに健康に気を遣っているのだろうか。医師として興味のあるところだ。
トランプ大統領の食事について、よくまとまったページを見つけた。
https://www.mashed.com/98969/president-eats/
まず、基本的にはお付きのシェフがいる。
しかしそれは、トランプ大統領専属というよりも、ホワイトハウス専属のシェフ(White House Executive Chef)で、大統領とその家族のために食事を作っている。
日本だと、『天皇の料理番』に見られるように皇室お付きの料理人はいるけど、多分、総理大臣お付きの料理人というのはいない。安倍総理は昭恵夫人の手料理を食べていると思う。
つまり、アメリカの政治のトップは、日本でいう皇室並みの待遇を受けているわけで、このあたりは、さすがアメリカという感じだ。
栄養バランスに細心の注意を払うのはもちろん、毒殺のリスクなどがないよう、食材の流通経路も配慮されているはずだが、当の大統領本人はそういう食事にあまり関心がないようだ。
そもそも、基本的に朝食をとらない。朝昼兼用のブランチと夕食をしっかりとる。
しかしファストフードが好物で、マクドナルド、ケンタッキー、バーガーキングが好きだとツイッターで公言している。
マクドナルドでするお決まりの注文は「ビッグマック2個、フィレオフィッシュ2個、チョコレートシェイク(小)」とのこと。ホワイトハウスの厨房でマクドナルドのハンバーガーを似せて作らせたが「やはり本家の味には及ばない」と語ったとも。
裏からお金をもらった上でのリップサービスだと思うんだけど、本気で言ってる節もある。
肉は、ウェルダンが好み。表面がカリカリになって、ちょっと焦げているぐらいが、大統領のお気に入りだ。そこにケチャップをかけて食べたりする。
高級な肉をウェルダンで調理し、しかもそこにケチャップをかけるというのは、一流料理人からすれば「何てセンスのない食べ方だろう」ということになるが、大統領は意に介さない。
意外にも、酒は飲まない。兄がアルコール依存症で41歳で亡くなったことが影響しているという(しかし、飲酒現場に居合わせた人の目撃談は多数ある)。
代わりに、というわけでもないだろうが、ダイエットコーラを飲む。1日12本飲むという話もある。お菓子も好きで、大統領専用の飛行機にはオレオが大量にストックされている。これが本当なら、糖尿病はもちろん、人工甘味料などの添加物の毒性から様々な病気を発症するだろう。
「健康のために食の楽しみを犠牲にするなんて、バカバカしい。自分の食べたいものを、自分の食べたいように食べる」これが彼の流儀ということだろう。
トランプがアメリカの中下層の白人から支持を集める理由が、彼の食事を見ていればわかる気がする。大富豪ではあるけれど、彼の気質はアメリカの中下層の白人そのものなんだな。
しかし、絶対的な違いもある。
アメリカの一般庶民は、政府の指示に唯々諾々と従って、ワクチンを打つ。しかしトランプ大統領本人は、決してワクチンを打たない。
これ、おかしな話だよね。
たとえばインフルエンザの予防接種。アメリカの大統領がインフルエンザで数日間寝込んでしまうとなっては、各方面への影響は計り知れない。だから、予防接種に効果があるのなら、大統領は一番最初に打つべき人だ。
しかし、事実はそうではない。トランプは嘘の下手な人だから「あんなもん、打つもんじゃない」って本当のところをぶっちゃけてしまった。
「ワクチンなんて打ったことがない。でも今までインフルエンザにかかったこともないよ。けったいなもんを注射で体の中に入れるっていう、その発想が気に食わない。でもワクチンって、基本的にそういうことだろ?しかもさ、今回のインフルエンザワクチンはあまり効果がないって言われてるし。
俺の友達にもいるんだよ。もう宗教みたいにワクチン打ちまくってる人が。で、そういう人に限ってしょっちゅうインフルエンザにかかってるからね。そういうアホを見てたら参考になるよ。やっぱ効かないんだなって。それにさ、報告書が上がってくるんだよ。インフルエンザワクチンの注射はほとんど無意味だ、っていう」
食事がテキトーでも、ここ一番、本当にやばいものはきちんと避けている。
やっぱり大統領になる人だけあって、”持ってる”っていうのかな、そういう嗅覚はちゃんとしてるんだねぇ。
2019.10.24
「旦那がせっかく理性を与えてやったのにね、人間はろくな使い方をしない。自分の欲望や快楽の追求ばかりで、裏切ったり盗んだり、ときには殺したり。まったく、理性なんてろくなもんじゃない。旦那、そう思いませんか?」と悪魔メフィストフェレスが言う。
神が答えて、「いや、そんなことはない。使い方を誤る者もいるが、私は人間を信じたい」
メフィストが笑いながら言う。「旦那は甘いね。人間を買いかぶりすぎです。なるほど、理性というのはきちんと使えば素晴らしいものでしょう。でもね、人間は弱くてバカで救いようがありません。誘惑されやすく、快楽に耽溺して、どこまでも堕落する。理性は、人間には危険なおもちゃです。使いこなすなんて、できるはずがありません」
「いや、お前が何と言おうと、私は人間を信じている」と言いながら、神は地上を示した。「たとえば、この男を見るがいい。ファウストという老学者だ。私の与えた理性をフル活用して、すべての学問を修めた。絶えず自己研鑽に努め、向上心を忘れない。よりよき社会のために自分に何ができるのか、常に考えをめぐらしている。こういう人間もいるのだ」
メフィストは一段と高く笑った。「ご冗談でしょう。この男だって、煩悩にまみれている。理性が一体、彼の幸せに、そして社会の幸せに、少しでもつながったでしょうか。とんでもない。理性ゆえに、彼の悩みはいっそう深くなった。答えのない問いに苛まれて、苦しんで死んでいく。彼も、その他大勢の人間同様、あなたの哀れな作品のひとつです」
「人間は生きている限り、迷うものだ。迷いながら、それでも手探りで進んでいく。それでいいのだよ。彼は今混迷のさなかにいるが、きっと正しい方向へ進むことだろう」
「旦那、ひとつ、賭けをしませんか。旦那がえらく気に入ってるこのファウストという男をね、私が悪の道に誘惑します。”永遠の若さ、万能の知性、若い女、あらゆる快楽など、望むものは何でも与えてやるが、その代わり、お前の魂をもらう”という契約を持ちかけます。この話を彼が突っぱねれば、旦那の勝ちです。話を飲めば、私の勝ちです。どうですか?」
僕は基本的には、神も悪魔もいないと思っている。
ただ、僕の心だけがあって、その心こそが、神と悪魔がしのぎを削る主戦場なんだ。
神のような崇高な理想と、悪魔のような煩悩が同居する、この心。
こんな両極端を包括して、端と端を行ったり来たりしてるのに、破裂もしないで平然としているのが、心の実に不思議なところだ。
ファウスト博士は、悪魔の誘惑に屈した。”少年老い易く学成り難し”というが、学問を大成しながら同時に若さをも併せ持つという、無敵の魅力を手に入れた。美女と結ばれ、多くの罪を犯した。しかし彼の魂は、最終的には救われる。
ファウストがメフィストの誘惑に乗った気持ちがわかる。
学業を成し遂げ、人間として成熟する頃には、もう若さが失われている。たとえ経済的に成功していても、どれだけ大枚叩いても、若さだけは買えない。人生のこの矛盾!この矛盾を解消してくれるというのなら、悪魔とでも契約したい。
しかし幸か不幸か、僕のところにメフィストは来ないだろう。ただ、ひとつ、確かにわかっていることは、僕は着実に老いていく。生きている限り、迷い、そして老いていく。
老境にさしかかったとき、僕は一体どういうことに後悔するだろうか。
『選ばなかった道〜後悔にまつわる自己矛盾』という論文がある。
https://psycnet.apa.org/doiLanding?doi=10.1037%2Femo0000326
人間が人生の終わりに近づいたとき、後悔するのは何に対してだろう。大失敗をしてしまったことか。自分の夢を追いかけなかったことか。
こういうテーマを真っ正面からとりあげた研究だ。
「人の心に最も長く残る後悔の特徴に関する研究は、その後悔が”やったこと”に起因するものか、あるいは”やらなかったこと”に起因するものか、に焦点があるのが従来の研究である。
しかし本研究では、我々は自己概念に注目した。我々は、人が最も強く後悔するのは、実際の自分と義務自己(ought-self)の乖離よりは、実際の自分と理想自己(ideal-self)との乖離であることを発見した。
また、実際の自分と理想自己との非対称性は、少なくとも部分的には、その後悔をどのように対処するのか、その方法の違いによってもたらされることを、エビデンスを以って示した。
人間は、目標や夢をまっとうできなかった失敗(理想自己的後悔)よりも、義務や責任をまっとうできなかった失敗(義務自己的後悔)のほうに対して、対処がすばやいのである。
結果、理想自己的後悔は、未解決のまま心に残りがちである。こうして、”こういうふうになるべきだったのになぁ”という後悔よりは、”こういうふうになりたかったなぁ”という後悔に苛まれるのである」
翻訳でお固い表現だけど、もっと噛み砕いていうと、
「人が最も後悔するのは、義務や責任を果たさなかったことではなく、理想の自分として生きることができなかったこと」というのがポイントだ。
老境に達したファウストが不幸だったのは、明確な自分の理想像がなかったから、じゃないかな。単なるストイックな勉強家に過ぎなかったんだ。
これじゃいけない。人生が、苦しいだけの修行になってしまう。
まず、目標や夢を持つこと。そして、それに向かって努力すること。後悔のない人生の歩み方は、結局これしかないと思う。
夢に向かって努力している人に対しては、さすがのメフィストも付け入る隙がないだろう。
2019.10.22
ラグビーの試合なんて、これまで一回も見たことがなかった。
でも日本主催のワールドカップということで、皆、熱狂する。こういうお祭りごとは好きだから、ちゃっかり”にわかファン”として、日本代表の試合は一通り全部見た。
前回のサッカーワールドカップのときは、外国で開かれていたせいで、日本代表の試合が深夜3時からキックオフとか、いまいち盛り上がりに欠けた記憶がある。深夜3時なんて、まともな社会人は寝てる時間だよねぇ。
その点、今回は日本主催だから、どの試合も週末の夜7時過ぎとかが多かったと思う。仕事明けのサラリーマンが、ビール片手にバーやパブリックビューイングで応援するのに絶妙の時間だった。この辺は日本主催のメリットだな。
でも、今回のワールドカップが盛り上がったのは、それだけじゃない。
日本が予選の4試合を全勝するという、誰もが予想しなかった快進撃を見せたことが最大の要因だろう。
しかも、勝っただけじゃなく、内容もすごくよかった。ホーム開催だから強い、のではなく、日本代表の強さがしっかり出ている勝ち方だった。
ロシアに勝ったのは順当だとして、アイルランドに勝つ番狂わせを演じ、サモアを圧倒し、スコットランドとの激戦を制した。試合にひとつひとつ勝つにつれ、皆の注目度が倍々ゲームで増えた。それは視聴率に如実に表れていて、熱狂がピークに達した南アフリカ戦では、関東地区で49.1%、関西地区で47.9%を記録した。負け戦でこの数字。勝ってたら50%は確実に超えてたと思う。

南アフリカ戦は、なんばヒップスのスポーツバーで見た。
写真のように、会場は満員。座れた人は幸運で、立ち見が基本。何百人いたことやら、見当もつかない。好プレーのたびに、日本コールが沸き起こる。ゲームが拮抗していた前半の緊迫感はすごかった。南アに押し込まれた後半はちょっと冷めた感じがあったけど。
日本代表の最初の試合はロシア戦で、近所のバーで見ていた。
確か、ロシアにいきなり先制のトライを決められて、「やっぱ日本弱いわ」って雰囲気になった。見てて痛い気分になって、帰りたくなった。弱いチームは応援したくないな。
でも隣にラグビー通のおじさんがいて、「いや、ロシアは格下だから、このままでは終わらないはず」って言ってて、本当にその通りになった。
この人が、いろいろラグビーの初歩を教えてくれた。
今何で止められたの?ノックオン?何それ?というところから始まって、そもそもトライで5点入って、その後のキックが決まれば2点入って、ということさえ知らない。そのあたりの基本的なルールや反則を、簡単に説明してくれた。
ワールドカップの期間中、同じような風景が全国の飲み屋で展開されていたと思う。飲み屋のプチ解説者として、ラグビー経験者の需要がこんなに高まるなんて、一体誰が予想しただろうか^^
こんなふうに日本代表の試合を全部で5つ見て、ラグビーのおおよそのルールと楽しみ方はわかった。
それで思ったのは、ラグビーの魅力は、相撲取りとサッカー選手が同じチームでプレーしてるようなごちゃ混ぜ感だと思う。スクラムやモール、タックルなんかはとても相撲的で、サイドにボールを次々展開するスピード感はサッカーのようだ。
サッカー選手が求められるうまさというのは、ボールコントロール、ポジション取り、突破力とか、どこのポジションであれ、割と均一だと思う。でもラグビーは、ポジションによって、求められるものが相当違う。自分の持ち味を生かせるポジションで自分の仕事をすればいいわけで、そういう意味で、社会の縮図のようだ。
敵陣でスクラムを組む。しかし相手側に粘られて、思うように得点できない。そんな中、相手の守備を突破して、一気に疾走して、トライを決める。あの疾走感がすごい。感動して、何か泣きそうになる。松島はそういうトライをいくつも見せてくれたし、スコットランド戦の稲垣のトライは芸術的だと思った。
こんなスポーツがあることを、僕はこの年齢まで知らなかったんだ。世の中には、僕の知らない楽しいことが、きっともっといっぱいあるんだろうな。