2019.7.29
うつ病には、まずマグネシウムを摂りたい。
その根拠として、以下のような論文がある。
『治療抵抗性うつ病に対するマグネシウム〜レビューおよび仮説』
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0306987709007300
臨床現場でみるうつ病のおおよそ6割は治療抵抗性のうつ病(TRD)である。
マグネシウムが欠乏すると、NメチルDアスパラギン酸(NMDA)共役カルシウムチャンネルが開きがちになり、そのせいで神経系に損傷が起こったり神経系の機能不全が起こりやすくなる。これが、うつ病の発生と関連している可能性がある。
うつ病のモデル動物にマグネシウムを投与すると、抗うつ薬様の作用が見られ、しかもその効用は非常に強力である。
治療抵抗性で希死念慮のあるうつ病患者や自殺未遂の患者では、脳脊髄液中のマグネシウム濃度が有意に低いことが確認された。
リン31核磁気共鳴分光法(脳内のマグネシウムを正確に測定できる)によって、TRD患者では脳中マグネシウム濃度が低いことがわかった。血中のマグネシウム濃度は、うつ病と相関していなかった。
うつ病治療にマグネシウムを使った最初の報告は1921年のものである。激越性うつ病に対してマグネシウムを投与したところ、250人の患者のうち220人で改善した。また、最近の症例報告では、マグネシウムによりTRDが急速に改善した症例が報告されている。
2008年に行われた無作為化比較試験によると、糖尿病患者のうつ病に対してマグネシウムがイミプラミン(三環系抗うつ薬)と同程度に効果的であり、しかも副作用がまったくないことが示された。また、マグネシウムを静脈注射と同時に経口でも投与すると、TRDを副作用なく安全に改善できたという報告がある。
マグネシウムの含有量は、現代の加工食品メインの食事では大幅に減少しており、このため脳神経系にマイナスの影響を与えている。
カルシウム、グルタミン酸、アスパラギン酸は広く用いられている添加物だが、これらは感情障害を悪化させる可能性がある。食事からマグネシウムの摂取量が少ないことがTRDの大きな原因となっていることには十分なエビデンスがあるのだから、医師はTRD患者に対してマグネシウムを処方するべきだと我々は考えている。
脳内のマグネシウムが少ないとセロトニンも減少する。また、抗うつ薬の作用機序は脳中マグネシウムの濃度を上昇させることによるものだと示されている。これらのことから、マグネシウムによる治療はTRDのみならずうつ病全般に対して有効だと我々は考えている。
要するにまとめると、、、
そもそも第一に、現代の食事にはマグネシウム含有量が少ないこと。
そして第二に、カルシウム、グルタミン酸、アスパラギン酸などが食品添加物に含まれていて、体内のマグネシウムが少ないとこれらの添加物の毒性(主に神経毒)がモロに出てしまうこと。
これらの理由から、現代人は意識的にマグネシウムを摂取するように努めたいところだ。「マグネシウム 食事」とかで検索すれば、マグネシウムを多く含む食品が出てくるから、参考にするといいだろう。
うつ病患者でマグネシウムをしっかり摂っているという人は、ほぼ皆無だろう。
マグネシウム、ビタミンC、ビタミンDあたりは、摂ってムダということはまずない。食事改善と同時にこれらの栄養素の摂取を併せて行うことで、うつ病は大幅に軽快するはずだ。
というのが、一応の理屈。
理論通りいけばいいんだけど、実臨床ではそういう患者ばかりじゃない。そこがTRDの難しいところだ。
上記論文にあるように、採血でマグネシウムの血中濃度をオーダーしてもほぼ無意味。脳脊髄液をとってマグネシウム濃度を調べることは意味があるけど、背骨に針さすとか、大げさ過ぎて、クリニックでは現実的じゃない。
論文にあるようにマグネシウムの静注はかなりの有効性が期待できるけど、「わざわざ点滴するのまではちょっと」と患者はだいたい嫌がる。
こういうふうに困ってからが、医者の力量を試されるところ。何とか治療の選択肢を絞り出す。
有機ゲルマニウムはどうか。重金属や環境ホルモンなどの毒物が原因だとすれば、有機ゲルマニウムによって肝臓の解毒能が高まり、TRD軽快の一助になるかもしれない。
アダプトゲンはどうか。副腎疲労がTRDの背景にあるとすれば、コルチゾールを適正化するロディオラやアシュワガンダが著効するかもしれない。
CBDオイルはどうか。自律神経の乱れがうつ病の難治化を引き起こしているとすれば、交感神経と副交感神経のバランスを整えるCBDオイルが効くかもしれない。
僕にも答えはない。
患者と一緒に手探りで道を探していくしかないこともあるんだな。
2019.7.28
たとえば、うつ。
原因があるのなら、まずはその除去ができないか考えてみる。
「仕事の人間関係のストレスで、ほとほと参ってまして」という人がいれば、ちょっと踏み込んで、具体的にどういうストレスなのか聞いてみる。
「誰がどう見てもパワハラですね。逆に今までよく我慢してきましたね」みたいなこともあれば、全然大したストレスとは思えないこともある。
後者の場合、ストレス自体が問題というよりは、本人のストレス耐性が問題である可能性がある。こういう人は、特段の原因がなくても、何となく漠然とした不安や抑うつに陥る。
なぜ、ストレス耐性が低下するのか。
食事の乱れがないか、聞いてみる。「きのう何を食べたか、朝食から順に教えてください」
たいてい何らかの問題が見つかるものだ。
好ましくないものを食べている場合には、いったんそれを除去することを勧める(まず、引き算)。
さらに栄養療法的なアプローチでは、ある種の栄養不足がその背景にあると考える(次に、たし算)。
どの栄養素が足りないのか。水溶性ビタミン(CやB群)かもしれないし、脂溶性ビタミン(DやK)かもしれないし、タンパク質や脂肪酸かもしれない。
単純に、ビタミンCを1日500mgとるだけで不安が改善した、という研究もあれば、
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26353411
ビタミンDの投与で軽快したという研究もある。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6390422/
人間はいろんな原因で病気になる。だから、いろんな治り方をする。
医療者側から見れば、治し方が一つではない、というのはおもしろいことだと思う。
これは要するに、うつの背景には腸なり脳神経系なりに炎症があって、CであれDであれ、要はその抗炎症作用が症状の改善をもたらした、ということだろう。
だから、うつの治療法は、他にも当然ある。
個人的に今一番注目しているには、CBDオイルだ。うつにも効くことが示されている(何にでも効くなぁ)。
https://www.medicalnewstoday.com/articles/324846.php
うつに対して、逆に、やってはいけない治療法もある。
妻に先立たれた高齢男性。以来2、3日、食事も睡眠もろくにとれていない。見かねた家族に連れてこられて来院した。
うつ病評価尺度の点数は、明らかにうつ病。しかし、こういう患者に対して「ああ、そうですか。お気の毒に。抗うつ薬と睡眠薬をお出ししますね」で済ましてはいけない。
この人は、フロイトのいう「喪の作業」(モーニングワーク)に服している。
数十年連れ添った妻を失った悲しみは、途方もないものだろう。ショックで食事や睡眠がとれなくなるのは当然のことだ。かつ、新たなステップに向かうために、必要なことなんだ。
ここに医者が下手に介入して、抗うつ薬やら睡眠薬やらで症状を一時的に改善させてしまうとどうなるか。
未消化なままの思いが心の中に延々くすぶり続け、やがて症状は再燃するだろう。しかも薬の副作用とあいまって症状は難治化し、本物のうつ病になる可能性もある。
喪の作業は、スキップするわけにはいかない。夏休みの宿題をやらずに踏み倒すわけにはいかないのと同じだね。
人生には、悲しみにしっかりひたることが必要なときもある。こういう場合に医者ができることは、せいぜい傾聴と共感だけ。相手の心に寄り添ってあげること。これしかないけど、これだけで、ずいぶん本人の助けになるものだよ。
個人的な話。
数年前に母が亡くなった。
つまり、父にとっては妻を亡くしたということだ。
病院から忌引き休暇をもらって実家に帰った僕は、父の様子を間近に見ることになった。遺品整理や弔問客の対応をしているとき以外は、ずっと母の遺影のそばにいて、ぼんやりしていた。「俺より先に死ぬなよ」とか時々つぶやいて泣いている。憔悴ぶりは誰の目にも明らかだった。飼っている2匹のネコの世話が、かろうじて父の生きがいだったと思う。
休暇が終わり、後ろ髪引かれる思いで病院勤務に戻った。
しばらくして、姉から電話があった。「お父さん、最近やたら元気なんよ。どうしたんかなと思ってよくよく話聞いてみたら、彼女できてんて。一緒に半同棲みたいなことしてて。まだ母が死んで間もないのに、よくやるわ」
姉はずいぶん軽蔑しているようだったけど、僕はホッとした。
しっかり悲しめば、また新しいステップが始まる。
年齢がいくつであっても、失恋の傷を何より癒やしてくれるのは、新しい恋愛なんよねぇ。
2019.7.22

オーソモレキュラー医学会のため、一泊二日で東京に行った。
二日間にわたり、十数人の先生方がそれぞれ30分ほどの講演をした。
どの講師の話もおもしろかった。
当然のことだ。
症状を抑えるだけの対症療法について講演する先生は一人もいなかった。皆、根本を見据えた治療に取り組んでいる先生なのだから、つまり、僕と志を同じくする先生なのだから、おもしろいのは当然のことだ。
医学部で患者を治療する技術を学んだはずだった。ところが、いざ現場に出てみると、学んだ技術ではまったく患者を救えないことを知る。治療どころか、有害無益としか思えない医療行為さえある。良心が痛い。「自分は一体6年間、何を学んできたのだろう」無力感と罪悪感にさいなまれる。大きな挫折だ。
ここが分岐点。この挫折を、冷静に割り切ることで乗り越える人もいる。
「そもそも医者の仕事は、患者を真に治療することではない。診療ガイドラインに基づいて、淡々粛々と処置を行い、薬を処方する。これが医者の仕事なんだ」
人を癒したくて医者になった初心はどこかに捨てて、そもそも医者というのはそういう仕事ではないのだ、と認識を改める。
こういう「悟り」を得た人は、強い。もはや西洋医学を疑わないし、良心も痛まない。
「先生に言われた通りに薬を飲んでるんですけど、全然よくなりません」と患者が言う。
知らんがな。俺はガイドラインの通りに薬出してるだけだ。文句があるならよそに行けよ。
治すことが目的じゃない。規定の処置・処方を行うことが医療だから、そこにケチをつけられても困る。文句は国に言ってくれ、ということになる。
一方、挫折の分岐点で、自分の学んできた医学を疑い、違う道を模索する人もいる。
鍼灸・漢方のような東洋医学に希望を求める人もいれば、栄養療法に希望を求める人もいる。
今回の演者の先生方は皆、栄養療法に希望を見出し、ゼロから学び直して研鑽を積み、こうやって大勢の前で講演をするまでになった。
そういうプロの先生の話なのだから、おもしろくないわけがないんだな。
もちろん内容的には、まったくの初耳、という話はほとんどなかった。
僕もそれなりに勉強してきて栄養療法を実践しているわけだから、当然そうなるよね。
だから当初、この学会の話を知ったときには、行こうか行くまいか迷った。
クリニックを閉めて、参加費、交通費、宿泊費を払ってまで行くだけのメリットがあるだろうか?知ってる内容の話ばかりで、学ぶことがなかったらどうしよう?
もちろん、こんな悩みは杞憂に終わった。参加してよかった。
学ぶことはたくさんあった。
なかでも衝撃的だったのは、医療大麻(CBDオイル)の有効性に関する飯塚浩先生の話だ。
アメリカなどで医療大麻が解禁されていることはニュースで聞き知っていたが、具体的にどんな疾患にどのように効果があるのか、まったく知らなかった。
大麻=麻薬=ダメなもの、という感じで思考停止に陥っている人は多いと思う。僕もその一人だった。しかし諸外国で次々と大麻が解禁されている意味を考えてみるといい。各国政府もその薬効を認めざるを得ないんだ。
CBDオイルが効果を発揮する疾患をざっと挙げると、けいれん、疼痛、嘔気、不安、感情失禁、認知症の易怒性など、数多い。
先生の症例報告を聞きながら、治療に難渋している僕の患者のことを思い出した。何をやってもいまいちパッとしない。そういう人にもCBDオイルが効くかもしれないな。
治療法のチョイスは多いほうがいい。うちでも導入しようと思った。
2019.7.20
「世界から貧困をなくし、みんなが等しく豊かな生活を享受できる社会を目指そう」という共産主義の理想は間違っていないと思う。
労働者がとことん搾取され、一部の資本家だけが笑う。マルクスはそういう状況が許せなかったんだな。
しかし悲しいことに、国家が本腰入れて共産主義の理想を実現しようとすると、全然ダメだった。
それは優秀な人を潰すシステムだからだ。
世の中には有能で100稼ぐ人もいれば、10しか稼げない人もいる。国が「個人の能力に関係なく、とにかく労働に対して一律に50支給します」と方針を決めれば、稼げない人にとってはありがたい話だけど、有能な人にとってはバカバカしい。マジメにやってられるか、となって、有能な人は手を抜いて働くようになる。結果、全体の生産が低下し、やがてシステムとして破綻する。
かといって、資本主義が正しいかというと、全然そうとも思えないのよ。
今の日本を見てみなよ。派遣社員が安い賃金で搾取されている。たとえ正規雇用でも過労死するほど働かされ、っていう状況を見れば、もう少し何とかならないか、と思う。
山本太郎の政見放送を見た。
確かに、障害者や経済的弱者が住みよい社会は、万人に住みよい社会だと思う。消費税を廃止し、奨学金の返済をチャラにしてくれるという。実に魅力的な提言だね。
しかし消費税を廃止したら、財源をどこから持ってくるのか。累進課税の強化、と彼はいう。
個人的に、自分がなんぼ稼いでいるのかよく知らない。金の管理はごうちゃんに全部任せているから。しかし累進課税が強化されれば、僕は多分、ダメージを受ける側の人間だと思う。
それでも、山本太郎の語る理想の社会を見たいと思った。
強者と弱者の格差が、富める者と貧しい者の格差が、少しでも解消して、この世にある笑顔が少しでも増えれば、という夢に賭けてもいいような気がした。
『NHKから国民を守る党』の政見放送もおもしろいんだけどね。
僕は家にテレビがないから受信料払ってないんだけど、今後NHKはスマホ持ってるだけの人からも受信料徴収する方針らしい。これはNHK国民なめとるなって思ったから、ここに入れようかなって思った。
けど、山本太郎と比べるとイロモノなんよねぇ^^;
理想の美しさ、というのは確かにある。
冷静に見て、実現は不可能だろう。しかしその実現に向けて、懸命に努力する。そのこと自体、その努力自体に意味がある、という側面もある。
数学には未解決問題がある。多くの数学者がその解決を目指したが、あえなく破れ去った。しかしその過程で、多くの系が生まれた。問題の解決には至らなかったものの、数学の世界をより富ませるような発見が生まれたということだ。
同様のことは哲学でもある。「人はなぜ生きるのか」もちろん、答えはない。しかしこの問いに真剣に向き合うことで、人間の何たるかが浮かび上がり、多くの思想が、小説が生まれた。
答えは、なくてもいい。
その努力が、実現しなくてもいい。
しかし答えに向けて努力する、そのプロセスに意味があるのだ、ということ。
こういう例にならっていうと、僕には夢がある。
普段はこんなこと、言わない。でもこの文脈だから、あえて言おう。
僕の夢は、この世から病気をなくすことだ。
「何をバカなことを言っている。病気がなくなるわけないじゃないか」
多くの人はそう言うだろう。
しかし僕は、全然そう思わない。普通に可能なことだと思っている。
人間は生来食べるべきものを食べ自然に生活していれば、病気にかからないようにできている。
プライス博士が言っている。西洋文明と接触する前の原住民社会では病気らしい病気がまったく存在しなかった、と。先祖代々、古来の知恵が生きた伝統的社会では、現代の難病奇病は存在しなかったのだ。
「西洋文明を一切放棄して、大昔の生活様式に戻れ」と言っているわけではない。
西洋文明の恩恵を生かしながらも、病気にならない方法があるはずだと、僕は考えている。
まず、教育を変えることだ。小学校中学校の義務教育の時点で、便利な文明の利器にはメリットだけではなくてデメリットがあることをきっちり教える。これだけで防げる不幸は相当多いはずだ。
さらに、製薬会社に牛耳られた大学の医学部教育を変えることは絶対的に必要だろう。医者が変わらないと、医学は変わらない。
もちろん僕個人に、そんな巨大なシステムを変える力は到底ない。
しかし、僕は患者に言い続ける。クリニックに来てくれた患者に、健康への道を示唆する。
そうして回復した患者一人一人の意識が変わって、社会が少しでもいい方向に変われば、と思う。
妙な話だけど、明日の選挙、一応の民意として僕もどこかに投票する気でいるんだけど、誰が勝ってもいいと思っている。
結局世界を本当に変えるのは、当選した議員じゃなくて、個々人の意識なんだよね。
2019.7.19
『グルタミン酸ナトリウム(MSG)の神経系に対する影響』という論文(1954年)がある。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kjm1952/3/4/3_4_183/_article/-char/ja/
抄録を訳してみよう。
(1)イヌ、サル、ヒトの運動野の灰白質に高濃度のグルタミン酸ナトリウム(アスパラギン酸ナトリウムでも同様)を作用させると、潜伏期のごく短い間代性けいれんが起きる。
(2)イヌの循環器系に少量のグルタミン酸をいれると、投与から20分間、条件反射(唾液分泌)を促進し、その効果は数時間続く。
(3)グルタミン酸ナトリウム(MSG)に関する上記の二つの効果は、MSGが高等動物の中枢神経系に対して直接的な生理作用を有していることによるものと考えられる。
この論文は、グルタミン酸というごくシンプルな形をした単なるアミノ酸が、大脳皮質に対して強い興奮作用を持つことを初めて示したもので、当時なかなか画期的だった。
その後の研究で、グルタミン酸は学習・記憶に重要な働きをしていることが示された。学習した新たな記憶が側頭葉で長期記憶に移行する際に、神経伝達物質としてグルタミン酸が不可欠だということがわかったのだ。
この論文の著者は、こうした知見を踏まえて「グルタミン酸ナトリウムを摂れば、頭が良くなる」と唱えた。
味の素社にとって、これほどありがたい学説はない。そこらへんの三文学者が言っているのではない。天下の慶應大学医学部の教授が、緻密な研究に基づいて主張しているのだから、自社製品を売り込むのにこれほど心強い援軍はない。
同教授はテレビ出演や全国での講演に引っ張りだこになった。
受験戦争が加熱し始めた頃のことである。子供のご飯の上にふりかけ代わりに味の素をかけて食べさせることが、教育熱心な親の間で一大ブームとなった。幼稚園の園児に味の素を食べさせ知能指数の変化を測定する研究さえ行われた。
もちろん無意味である。
味の素ふりかけのおかげで成績が上がった子供はいないし、IQが上がった園児もいない。
無意味どころか、当初の研究論文を素直に読めば、MSGは興奮毒そのものである。唾液分泌を促進させ食欲を増進させる作用はあっても、動物にけいれんを起こさせる。しかしこの興奮毒性はなぜか「神経の働きを高めてくれる」と好意的に解釈され、味の素の普及を後押しする宣伝に使われた。
1957年眼科医のルカとニューハウスは、幼いマウス(授乳中)と成人マウスにグルタミン酸やアスパラギン酸がどのような眼疾患を引き起こすかを調べた。
MSGを投与したマウスを解剖すると、網膜全体の神経細胞が損傷されていた。最もひどいダメージが見られたのは幼いマウスだったが、成人マウスにも重大な損傷が見られた。グルタミン酸ほどではないが、アスパラギン酸の投与でも同様の損傷が認められた。(アスパラギン酸は、人工甘味料のアスパルテームに含まれている。)
この発見は医学界からも食品業界からも完全に無視された。
当時すでにベビーフードには大量のMSGが添加されていた。
MSGを添加するだけで、まずい粗悪な食品がすばらしく美味しいごちそうに早変わりするのだから、食品業界にとってはMSGはなくてはならない存在になっていた。
ルカらの論文から10年後、この論文の重要性に気付いたのが、ジョン・オルニー博士である。
1968年オルニー博士はルカらの実験を再現し、同様の結果を確認した。しかしこの追試にあたって、彼は新たな事実も発見した。MSGによって損傷されるのは網膜だけでなく、脳室と隣接する視床下部など脳室周囲器官の神経細胞が全体的に破壊されていることに気付いたのだった。
脳室周囲には血液脳関門(BBB)がないため、MSGの毒性を強く受けるのかもしれない、と彼は考えた。
彼の仮説はその他の動物を使った実験で何度も確認されたが、この重大な発見に注意を向ける人はほとんどいなかった。
食品業界はベビーフードにMSGを添加し続け、母親たちは我が子がそのベビーフードを食べるのを見て喜んでいるのだった。
視床下部は指先ほどのごく小さな器官であるが、人間の恒常性の維持に果たす役割は極めて大きい。成長、性行動、内分泌、食欲、睡眠覚醒サイクルだけでなく、意識そのものにも影響を与えている。
オルニー博士は、別段高用量のMSGを実験動物に投与したわけではない。人間が食べるのと同等割合の量を投与し、そして視床下部に重大なダメージが生じることを確認したのだ。そして、幼いときに視床下部がMSGで損傷された動物では、低身長、肥満、生殖系異常が起こることを確認した。
後の研究では、MSGによって性ホルモン(特に黄体ホルモン)の過剰分泌が促され、思春期早発症を引き起こすことがわかった。性ホルモン系、内分泌系の異常は、すぐには現れず、ある程度成長してから現れる。
味の素が無害だというのであれば、原材料のところに堂々と『味の素』と書けばいい。なぜ『調味料(アミノ酸等)』などとボカしたようなあいまいな表現を使うのか。
会社は当然気付いている。自社製品なんだから、強みも弱みも充分把握している。
消費者がそれを知って食べる分には問題ない。「まずい飯を食うぐらいなら、味の素入りのうまい飯を食って早死にする方がマシ。健康のために味気ない飯を食い続ける人生に何の意味がある?」という人も一定数いるはずだから、そういう人は好きにすればいい。
問題なのは、この添加物の有害性が周知されていないところにある。
我が子が喜ぶ顔見たさに、手料理に味の素を入れまくるお母さんも世の中にはいると思う。
それは多くの場合、時限爆弾だ。よほどの大量使用ならともかく、一般的な使用量では毒性はすぐには出ない。
しかし子供がある程度成長し、内分泌系や神経系の病気を発症してからでは、もう遅い。子供に興奮毒を食べさせ続けたのはお母さんだから、その病気はお母さんのせいなんだけど、子供がおいしそうに食べる顔が見たい親心がアダになるなんて、こんなデタラメが起こってはいけない。味の素の毒性は、義務教育でしっかり教えるべきだと思う。
「危険性を示すデータは充分にあって、良心的な研究者が警告を発するが、政府はまったく規制に乗り出そうとしない」という構造は、電子レンジによる健康リスクとほとんど相似形をなしているようだ。
現代社会は毒にあふれている。
悲しいことだけど、「国が認めてるものなんだから、大丈夫だろう」という性善説では自分や家族の健康を守れなくなっている。いつの間にか、国民の健康よりも企業の利益が優先されるようになったんだな。
無知による悲劇を防ぐには、知識を仕入れて自分を守るしかない。
参考
“Excitotoxins”(Russel Blaylock著)