2018.6.2
最近はThomas Levyという人の本にはまってる。全然知らない人だったんだけど、4月末に東京で行われたオーソモレキュラー学会に講演者として来てて、その講演聞いて、すごい人だなと思って、著書を読み始めた。
“Curing the Incurable”という本のなかから、印象的な記述があったので、ざっと紹介します。原著は英語だから、僕の翻訳ではちょっとテキトーなところもあるかもしれないけど、許してね´Д`
2000年7月2日の日曜日のゴールデンタイムに、メリル・ストリープ主演のテレビドラマ『まず害をなすなかれ』が放送された。
実話に基づいた話をドラマ化したもので、ストリープ演じる母親とその幼い子供の話。
その子、てんかんの発作がひどくて、苦しんでいた。それでいろいろな薬を投与されていたんだけど、ちっとも効かない。というか、その投与されている薬の中にはひどい副作用のあるものがあって、むしろその副作用の影響で死にそうになっていた。症状は悪くなるばかりで、主治医はこう告げた。「最後の手段として、脳の手術が必要です。しかしその手術に成功しても、長期的な改善は見込めません」
母は医師の言葉を聞いて、子供のそういう運命を素直に受け入れるのではなく、あらがおうと思った。医学図書館に通いつめ、文献の研究に没頭した。
そしてついに、彼女の息子と同じ病気、同じ症状の症例が完治したという症例文献を見つけた。それは『ケトジェニック・ダイエット』という食事療法を用いた治療だった。複数の抗てんかん薬が奏功しなかった症例でも大多数がこの治療法により症状が消えた、ということだった。
主治医はこんな治療法があることを彼女にまったく教えてくれなかった。『ケトジェニック・ダイエット』が最新の治療法だから、主治医がそのことを知らなかった、のではない。その症例文献は、なんと、75年前に出版されたものだった。
母親が主治医にその文献を見せ、その食事療法を我が子に試してみたい、と伝えたところ、彼は嘲笑した。
「そんな文献報告に何の意味もありませんね。だいたいこれ、”anecdotal”じゃないですか。こんなものは科学じゃありません。僕ら医者は科学者であって、占い・まじないの類を臨床実践するわけにはいきません。」
“anecdotal”というのは対照実験のようなエビデンスに基づいているものではなく、文献報告者の主観の要素が強く、エビデンスレベルとしては低い、とされる。
そうした医者の嘲笑に対しても、母親は必死に抵抗した。
「もうあの子には他に方法がないんです。どうか試させてください。どうしても食事療法をやらせない、ということであれば、退院します」
主治医はどこまでも頭の固い男だった。
「僕らは医者で、医者には患者の命を守る責任がある。手術予定をキャンセルして、そのわけのわからない食事療法を試すために、バルティモアにあるジョン・ホプキンス大学に転院する、となれば、こちらとしても法的な手段をとりますよ。適切な治療を受けさせないのは、ネグレクトだ。黙って見過ごすわけにはいかない」
なんだかんだと言葉の応酬、テレビドラマ的な話の紆余曲折があったものの、結局母親は我が子にケトジェニック・ダイエットを行い、子供はすぐさま回復した。もはやてんかん発作が起こることはなくなり、これまで飲んでいた薬もすべてやめることができた。
こうして物語は終了した。
テレビドラマである。
しかし、ゴールデンタイムに全米で放送されたのだ。こういうテレビの影響は非常に大きい。
放送日の翌日、コロラドにある某病院の医局で、医師たちは皆、怒りをあらわにしていた。
あのテレビドラマ『まず害をなすなかれ』のせいで、医師の権威が損なわれてしまったことに、彼ら、不機嫌を隠せないのだった。
ふと、これまで沈黙していた一人の若い医師が、勇気を出してこう言った。
「我々も『ケトジェニック・ダイエット』を臨床現場に取り入れてはどうでしょうか」
他の全員が一様に彼をにらみつけ、場の空気はたちまちに、拒絶一色に覆われた。その空気には、誰も勝てない。その「拒絶」に反対する意見には敵意むき出しとなり、さらなる拒絶しか受け入れない空気なのだった。
「食事で治る?バカバカしい。我々の臨床現場での真剣な努力を踏みにじるものだ」
「アネクドータルな報告がいかに低レベルな報告が多いか、しろうとは知らないんだよ」「裁判、本当にすればよかったのにな」などなど、実際の医師たちの言葉も、テレビドラマの中に出てきた主治医の言葉と同じような範疇に属するものだった。
医者というものがどういう人種であるかを示す上で、おもしろい描写だと思ったので、ざっと紹介しました。
もちろんね、医者の中にも良心派はいるんだよ。「ケトジェニック・ダイエット、よさそうじゃないか」と、素直に開かれた心で受け入れる人も、少数ながら確かにいる。
でも、そういう先生も、組織や集団の論理のなかに飲み込まれると、まったく歯が立たない。そういう先生にも嫁子供がいて生活があるから、集団を敵にまわすリスクを背負ってまでケトジェニックダイエットを実践しようなんて思わない。「ま、ガイドライン通りの治療でいいか」というところに落ち着いてしまう。
結果、医療は変わらず、本当に患者を救う方法は、闇に埋もれたままとなる。
ケトジェニックダイエットが、75年間も図書室の片隅で眠っていたように。
みなさんは、医者のことを勉強ができて頭のいい人だと思っているかもしれない。それは違います。自分の知らない治療法などの新しい知識に対して、医者は柔軟であるべきで、必要があればそれを自分の手技のなかに取り入れるべきなんだけど、そういう医者はまずいません。自分の意に染まない論理には、徹底して拒絶的になります。医者は頑固で、石頭なんです。最も融通が利かない人々、それが医者という種族です。
ポーリング博士は、「医学は科学ではない」と言いました。デタラメな批判にさらされて袋叩きにあったポーリング博士は、理屈の通じない石頭のバカを相手にして、ほとほとうんざりしていたんだと思う。
自分の身を守る方法は一つです。
このドラマのお母さんが図書館でケトジェニックダイエットの記述を見つけたように、自分できちんと調べることです。
今はインターネットという強力なツールもあります。
どうか医療の食い物にされないでください。
金を失うだけならまだいい。このドラマに出てきたてんかんの子供は、下手をすれば病院の言われるがままに手術して、人生を失うところでした。
情報で武装して、我が身、我が家族を守りましょう。
僕の母は、大腸癌になって、主治医の言われるままに手術して、言われるままに抗癌剤やって、別に治ることもなく、亡くなりました。
テレビドラマの話じゃありません。現実の話です。
知識があれば母を助けることができたのに、という思いが僕の中にずっとくすぶっていて、僕が常に勉強を続けているのはそういう無念の思いがモチベーションになっているところがあるのかもしれません。
不必要な不幸がひとつでも減りますように。
2018.6.2
親は我が子に多くのものを望むものだ。
妊娠中は「五体満足、健康に生まれてくれさえすればいい」と謙虚に願っていたのが、ひとたび健康に生まれ育っていくと、「頭のいい子になって欲しい」とか「運動神経のいい子がいいな」とか「男前(美人)に育ってほしいな」とか、いろいろ要求過多になっていく。「這えば立て、立てば歩めの親心」って誰かも言ってたけど、こういう高望みは自然な親心だろう。
我が子の頭をよくしたい、と思っている皆さん!
実は、子供の頭をよくする方法があります。
それも、根拠のない俗説ではなくて、きっちり科学的なエビデンスの裏付けがある方法です(さらに言うと、これは「子供の頭を」と限定する必要はなくて、成人の知的活動の働きを高める方法でもあります。)
結論から先に言いましょう。
それは、すばり、栄養です。
もっと具体的には、精製糖質(砂糖)をやめることとビタミン(特にB群)の摂取がポイント。
これも”Orthomolecular Medecine For Everyone”に書かれていたことなんだけど、ざっと紹介しましょう。
子供の学習障害の原因は栄養の欠如である、ということをルース・ハレルという女医さんは何十年も言い続けてきた。
1943年に「チアミンの学習への効果」という論文を発表した。「チアミンにより子供の精神的・身体的技能が向上した」と述べている。
1956年には妊婦や授乳中の母親の食事が子供の知性にどのような影響を与えるのかを研究して、「妊婦、授乳中の母親が食事にサプリを補うことによって、その子の三歳時、四歳時の知能指数が向上した」という。
チアミンを与えられた子供は、プラセボを与えられた子供に比べ、学習能力が25%上回った。一方、砂糖は体内での代謝のプロセスでチアミンを消耗してしまう。ADHDや子供の学習障害の発症機序として、砂糖の過剰消費(およびそれに伴うチアミンの不足)が疑われる。
チアミンはじめビタミンB群というのは、神経機能に必須のビタミンだ。神経の栄養状態が不良でありながら学校の成績がいい、というのは、僕らの一般的な感覚からしても考えにくいよね。
実際、科学的にも、ビタミンB群の欠乏によって「神経機能喪失、記憶力低下、集中力低下、イライラ、混乱、うつ」が生じるということは、はっきり事実として確立している。
さらに、ハレル先生は、「チアミンはじめその他のビタミンB群は、一個のチームとして作用する」としている。彼女の用いた方法は、多くの種類のビタミンの大量投与療法だった。
彼女の論文はどれも研究として非常に緻密で科学的なものだったけど、残念ながら、つぶされてしまった。他の科学者がその論文の有効性を確認するために、追試を行った。でも、その科学者はものすごく少ない量のビタミンしか投与しなかった。多種類のビタミンを大量に用いる、というのがハレル先生の主張のキモなわけで、少量のビタミンでは効果がないのはやる前から見えていたことだったのに。学会はこの追試の結果を受理し、ハレル先生の論文は闇に葬ってしまった。だからハレル先生のこの研究は世間一般の人にはあまり知られていない。
なぜこんなことになったのか。
イやな話だけど、製薬会社の経済的動機が背景にある。
子供の学習障害というのは、製薬会社にとって大きな市場なんだ。だから、製薬会社にとっては、特許の取れないビタミンなんぞの投与で子供の学習障害が治ってしまっては困るわけ。金のなる木の邪魔をしてくれるな、と。それで、彼ら、この論文を抹殺した。
信じがたい話かもしれないけど、ビタミンによって、ダウン症の子供さえ知能が高くなった、という研究がある。
これもルース・ハレル先生の研究なんだけど、まぁ、反対派からは激しい批判にさらされました。「ダウン症というのは、21番染色体が3本ある遺伝性疾患であって、まさか、ビタミン投与によって3本ある染色体が2本になるとでもいうのか。ダウン症児のIQ低下はそうした染色体の過剰による影響であって、ビタミンの投与によって治るなどという主張は笑止千万。バカも休み休み言え」といった感じ。
ハレル先生が1981年に行った研究では、ダウン症児の栄養状態を改善させることによって、彼らの知能指数が明らかに向上した。
子供の変化に敏感に気付くのは誰だと思いますか。まず、親が気付くよね。さらに、学校の先生も気付く。IQにして10から15ポイントほど上昇すると、家族や教師も変化にはっきり気付いたらしい。
「単なるプラセボ効果だ」と批判者は言う。
でも、栄養が適切に補われることによって、遺伝子の働きが適正化する、ということは科学的にも十分証明された事実だ。たとえば、ビタミンEはダウン症患者の細胞内の遺伝物質に対して保護的に働くことが証明されている。抗酸化ビタミンは、ダウン症の人に有効であることは、科学的にも筋の通った話であって、ハレル先生の観察はこの事実と矛盾するものではない。
・・・はずなんだけど、学会はこういうことを全然認めません。
ただ、僕は個人的に思うんだけど、別にね、学会が認めようが認めまいが、どっちでもいいような気がする。
大事なのは、こういう情報が、必要な人のものとちゃんと届くこと。
ここが本質。学会の認める認めないはどうでもいい。
たとえば、我が子が学習障害を持っているために悩んでいる親御さんは世の中にたくさんいると思う。
そういう人にとって、こういう情報は福音になるかもしれない。
砂糖をやめる。ビタミンをとる。
バカみたいに簡単なことなんだけど、これだけで我が子の人生が救われるかもしれない、となったら、こんな貴重な情報はないよね。
この方法を実際に採用するしないは、親御さんの判断だろうけど、少なくとも、情報としては提供されるべきだよね。
2018.6.1
もうすぐ海水浴の季節だけど、海のレジャーは楽しみたい、でも日焼けして肌にダメージを受けるのはイヤだ、という人は多いと思う。
植物にとって日光が必須であることに異論のある人はいないだろうが、人についてはどうなのか。
「皮膚ガンの原因だから極力避けたほうがいいよ」「シミになるよ、年取ってから悲惨だよ」という意見をよく耳にする一方、肯定的な意見もある。
「日光に当たることで、肌でビタミンDの生成が促される。ビタミンDには抗アレルギー作用、抗うつ作用、骨粗鬆症予防作用、さらには抗ガン作用まであり、人の健康を高めてくれる重要なビタミンだ」
結局、日光はいいのか悪いのか。
これを考える上でヒントになるのが、SLEという病気。この病気、自分の細胞内の核に対して抗体ができる免疫疾患なんだけど、SLEの人は日光に当たってはいけない、と指導される。皮膚に発赤や水疱ができてしまうから。
要するに、SLEの人というのは、抗酸化力がすごく低下してるんだよね。だから、普通の人なら浴びてもどうってことない程度の日光にも過敏に反応してしまう。
日光(紫外線)の悪影響として、体内で活性酸素が発生してしまうことは間違いない。
だからこそ、海や山のレジャーに行くことを事前に計画している人は、そのときのためにしっかり体の抗酸化力を高めておく必要がある。そうすれば、太陽の悪影響はキャンセルできて、日光の恩恵(ビタミンDの効用)にだけあずかることができる。
具体的には、ビタミンE、ビタミンC、亜鉛、ビタミンB6、コエンザイムQ10、アルファリポ酸、あたりの摂取を勧めたい。これらはそういうレジャー対策のためだけではなく、日々の健康維持のためにも有効だ。
つまり、日光を浴びるにはそれ相応の準備が必要で、その準備のない人では、日光の害が前面に出てしまうが、抗酸化力をしっかり高めた状態であれば、思いっきり太陽を満喫できる、ということだ。
抗酸化力のない人が日焼けをすると、黒くならずに赤くなる、というのは、みんな経験的に感じていることでもあるだろう。
日焼け対策は、事後でもいいよ。
思いのほか太陽にたくさん当たってしまったとき、その日の夕方には、ビタミンEの錠剤にハサミで切れ目を入れて、そこから中の液体を取り出し、肌に塗っておくといい、というのがソール先生のオススメ。
ソール先生が娘とその友達と海に遊びに行った後、娘さんは日焼けしたところにビタミンEをバッチリ塗ったから日焼けの後遺症はなかったけど、娘の友達は、くちびるの周りだけビタミンEを塗るのを忘れてしまった。それで、翌日くちびるだけ腫れてしまった、っていうエピソードがソール先生の本にあったよ。
「オーストラリアでは皮膚ガンが増加しているというが、あれはどうなんだ。それでも太陽は体にいい、とか言えるのか」と言われると、なるほど、鋭い指摘だ。
これに対する答えとしては、文化人類学的な方面からでは、伝統的な暮らしをいまだに営むアボリジニーでは皮膚ガンが増加しているという事実はない、ということを考えると、そもそもオーストラリアという土地は、白色人種には不向きな土地だった、と言えるのかもしれない。
500万年前にアフリカで発生した人類が、次第に北上するにつれ、白色人種となった。ヨーロッパ大陸に進出するにあたって、最も適応に苦労したのは、日光照射量の乏しさである。メラニン色素の豊富な黒い肌では、日光をブロックしてしまい、ビタミンDの生成ができない。白い肌、金色の髪、青い目、これらはすべて、メラニン色素の生成量を抑えようとして生じた形質であり、これによって彼らは、北欧の少ない日光でも能率よく紫外線を吸収できるようになった。寒さにも適応した。冷たい空気を呼吸する際に少しでも加温するために鼻が大きくなり、体格はベルクマンの法則に従って巨大化した。
こうした進化には何万年という月日を要した。
ところが、大航海時代に入り、彼らヨーロッパ人は世界中に進出し始めた。
白い肌で、少ない太陽でも能率よくやっていこう、っていう省エネ型の肌の人種が、南半球の、カンカン照りの太陽の下で暮らすようになったわけ。
進化の歴史を考えれば、そりゃ不適応を起こしても当然だろう、皮膚ガンの増加はもっともなことだ、とも言える。
別の方面からの答えとしては、彼ら、お肌のケアとして日焼け止めを肌に塗ってるんだけど、それ自体が発ガン性があるんじゃないか、っていう話がある。
どのメーカーの製品か、っていうのも当然あるだろうけど、日焼け止めクリームに含まれているある種の成分が、ホルモンバランスの異常、皮膚ガンを引き起こす、ということがわかっている。
肌を守るつもりでやっていることが、肌を痛める原因になっている、という話。
こういうのってさ、イヤになるよね。よかれと思ってやっていることが逆に害だったっていう。精神的なダメージがきついよね。
だからみなさん、日焼け止めはメーカーにこだわったほうがいいよ。
ていうか、個人的には、一番簡単で一番効果的なのは、ビタミンEを塗っとくこと。これが何よりの日焼け対策だと思う。
2018.5.30
ビタミンへの信頼を失わせる方法
「みなさん、『製薬会社関連の政治家、教育者、記者のための世界本部』(WHOPPER)の恒例会議にようこそおいで下さいました。早速本題に入ります。我々のメンバーや提携者の多くは、ヘルスケアのとある一部門が、我々にとって脅威かつ危険な存在ではないかと不平をこぼしています。
そう、いわゆるオーソモレキュラー医学というやつです。
残念ながらこの治療アプローチは疾患の予防と治療に非常に効きます。
しかし皆さん、安心してください。我々は、一般大衆がこの治療法を知ることがないよう取り計らうことを、皆さんにお約束したいと思います。
我々がかなりの自信をもってこのように言うことができるのは、過去50年以上にわたる我々の実績があるからです。
我々は統合失調症治療に際して、実質全ての精神科医がナイアシンを使うことがないよう、抑え込んできました。
心臓病に対して心臓専門医がビタミンEを処方するのもやめさせましたし、ウィルス性疾患に対して総合診療医がビタミンCを処方などしないよう、手を回してきました。
そう、この50年は、実に、我々にとって勝利の半世紀だったのです!
我々はどのようにそれを成し遂げたのでしょう?それは極めて簡単です。
我々の基本理念は、一般大衆に恐怖心を植え付けることです。恐怖ならどんなものでも構いませんが、我々にとって喜ばしいのは、従ってその植え付けを煽りたいのは、新種のウィルスに対する恐怖、ワクチンの不足に対する恐怖、そして何より、ビタミンの毒性に対する恐怖です。
ビタミンの毒性の喧伝における我々の成功は、劇的の一語に尽きるものでした。もちろん、毒物管理センターの数十年分の統計を見れば、ビタミンによる死亡は実質存在しないことが分かるし、皆さんもご存知かもしれませんが、薬の場合は適切に処方されたものを指示通りに服用したとしても毎年少なくとも10万人のアメリカ人の命を奪っています。
我々にとって最も不都合なのは、ビタミン療法は薬物療法よりも数万倍安全性が高いということを、一般大衆が知ってしまうことです。
そこで我々は以下のような戦略を行っています。
『栄養療法には常に100%の安全性を求めよ』
これが特に効果的なのは、皆さんが一般大衆に、薬物療法には危険な、ときには致命的な副作用があるが、これは仕方がないことであって受け入れざるを得ないのですよと思い込ませているときです。もし一つの薬が効かなければ、効く可能性のあるもっと高価な別の薬があるものです。
『ビタミンは効かない、あるいは、明らかに有害である、とする研究を出版・流布することに専念せよ』
『ビタミンの使用量が少ない研究を選び、高用量使った研究は無視せよ』
低用量の研究に対しては、効果がないと批判して、有効性のある高用量の研究に対しては、危険性を指摘して信頼性を落とす、これこそが我々の見事なやり込め方です。
ビタミンの有効性を否定する研究を一つあげつらって、数百の肯定的な研究は無視する。このやり口も覚えておきましょう。
ビタミン大量投与を有効だとする肯定的研究が実際に皆さんの部署、医学会、あるいは雑誌に提出されたらどうするか。そういう場合は、技術的な側面に難癖をつけて却下する。しかも、そうするにしても、1、2年の時間をかけてやればいいのです。
もっといいのは、そういう論文の著者に「オーソモレキュラー医学誌に掲載してもらったらどうですか」と勧めることです。そこに掲載されたものは何であれ、アメリカ国立医学図書館に索引収載されることはありません。つまり、一般の人たちがメッドラインで年に7億件の検索をかけようが、そうした研究が彼らの目に触れることはない、という寸法です。人目につかない研究など、存在しないも同然ですからね。
状況を分かりにくくする、という手も有力です。何が問題なのかを不明瞭にし、混乱させましょう。大衆への情報提供の際には、やっかいな真実が含まれていてはいけません。
我々はこうしたことをタバコ産業から学びました。理屈で説得できないときには、デタラメを並べてでもとにかく攪乱させるのです。
ビタミンについては否定的な面にスポットを当て、肯定的なところは無視することをお忘れなく。
事実が優れた議論の邪魔をするというようなことは断じてあってはなりません。(優れた議論とは、皆さんが事を優位に運べる議論のことです。)これは健康というよりは、策略の話ですね。
アメリカ人の実に半数がビタミンのサプリを摂っているのですが、オーソモレキュラー医学を実践する医師は1%もいません。つまり、そういう医師はごく少数派なわけですから、彼らを黙らせることなど、一体どれほど難しいというのでしょう。
早い話、我々がライナス・ポーリングにしたことを見てください。彼がビタミンCの有効性を世間に説いたとき、我々は全医学会が公然と彼を嘲笑するように仕向けたのですから。二度ノーベル賞をとった歴史上稀に見る人でさえ、このありさまです。
教育は小さなステップの無数の積み重ねであって、そこに付け入る秘訣は、機会のあるごとにこつこつ干渉し続けることです。
ニュースメディアや医療出版に事実が現れるたびに我々はそれを曖昧にぼかします。
こうした少しずつのステップを積み重ねることで一般大衆の思考を無邪気なままに保ち、栄養医学など即座に踏み潰して、彼らに永遠に吹き込まれないようにするのです。
さあ、皆さんもご自身のパソコンに向かって、仕事にとりかかって下さい。マスコミが皆さんからのお便りを待っています。」
この文章、”Orthomolecular Medicine For Everyone”からの引用なんだけど(つまり、僕の翻訳なんだけど)、なぜ栄養療法が広まらないのか、という問いに対する、一つの回答になっていると思う。
情報操作の重要性、ってことだよね。
ポーリングって、高校で化学を選択した人ならポーリングの電気陰性度って習ったはずで、高校レベルの基礎科学にまでその名が現れるぐらいの、大変な業績を残した化学者なんだけど、晩年はビタミンCがいかに素晴らしいかを化学的なデータで以って世間に広く知らしめる活動をしていた。
ビタミンCで癌が治ってしまっては、製薬会社の商売あがったり、なので、彼ら、ポーリングの言説に対するネガティブキャンペーンを張った。その成果が見事に出て、晩年のポーリングの仕事は、「なかったこと」にされている。
「かつての秀才も晩年は狂人になって、ビタミンCが癌に効くとか、わけわからんこと言いだした」、という格好に仕立て上げられた。論文にいろいろ難癖をつけられて、メジャーな学術誌への掲載を拒否された。(超一級の化学者の論文にケチつけるなんて、査読者は多分、ノーベル賞三回ぐらいとったことがある人なんでしょう。)
ノーベル賞を二回とった人でもこんな具合なわけで、いやぁ、ウソも百回言えば真実になるっていうのは、本当かもしれんなぁ。
2018.5.30
先月末に東京で行われたオーソモレキュラー世界大会で、僕にとっての楽しみの一つは、ソール先生に会えることだった。
アンドリュー・ソールといえば、栄養療法をやっている人の世界では、知らない人はいないぐらいの大御所。
僕は光栄にも、ソール先生の本を日本語に翻訳する大役を任せて頂いたという縁があって、ソール先生とメールのやりとりは何度かしたことがあったけど、直接お会いしたことはまだなくて、とても緊張していた。
誰かに会うから、という理由でこんなに緊張することなんて、人生のうちでそんなにないことだ。
この日のために、英語の練習までした。ソール先生にこういうことを伝えよう、ということを頭の中で何度もリハーサルした。
当初の僕の計画としては、ソール先生が来日する頃には、僕の翻訳本が出版されているはずだから、そのうちの一冊をソール先生に直々に献本し、そして僕の手持ちの本にソール先生のサインをもらおうと思っていた。
でも、出版社が全然動いてくれなかった。
翻訳自体は去年の9月に完了し、原稿のデータは出版社に渡していた。でも、全然何もしてくれない。
連絡したけど、「忙しくて。もうすぐ作業に取り掛かりますので」みたいなこと適当に言われて、結果、いまだに出版されてない。
ソール先生との事前のメールのやりとりでは、「先生が来日する頃には日本語版の本をお見せできると思います」って言っていただけに、手ぶらで行かざるを得ないことは、申し訳ないやら恥ずかしいやら、何とも言えない気持ちだった。
だから、ソール先生に会って直接伝えたのは、次のような言葉。頭の中で何度も英語で練習した言葉。
「すいません。日本語版の本をお見せしたかったのですが、出版社が全然動いてくれず、まだ本が出ていません。」
「アツシよ、出版社に働く編集者というのは、忙しいものだよ。彼らは急かさないと動いてくれないよ。そのうちやってくれるだろう、という考えは甘いよ」
「わかりました。もっと積極的に言ってみます」
そして、持参した原著のとあるページを示しながら、
「ソール先生、僕は先生の文章が好きです。特にこの本のこの部分は、まるでヘミングウェイのような名文だと思います」
と言ったら、ソール先生、笑ってた。
文章を褒められて悪い気のする人はいない、という心理は、やっぱり世界共通だな。
「そう言ってくれてありがとう。もともとはエイブラム(ホッファー)に、文章のうまさを見込まれて、それで寄稿し始めたからね」
こういう話は事前のリサーチで知ってたんだけど、
「Oh, I didn’t know that」とか言って、おおげさに驚いてみせた。
そんな具合に、自分なりにソール先生のご機嫌伺いのトークをした。思ったよりいろいろしゃべれて、自分としては満足だった。
ある一日が終わった時点で、「その日起こったことが、今後の自分の人生のなかで、一生記憶に残るだろう」と確信できるほどの強烈な出来事というのは、そんなに多くはないだろうけど、ソール先生との出会いは、そういう数少ない経験の一つだった。
