2018.8.6
【症例】13歳 女児
【現病歴】幼少時に父母が離婚。父は現在刑務所に収監中。母は失踪(現在警察により捜索中)。現在、父方祖父母宅に同居している。
祖父は聾唖であるため、筆談でしか意思疎通できない。
過去に二度、リストカットによる自殺未遂がある。
本日、学校に来ていないため、特別指導員が女児宅を訪問したところ、インターホンを押しても返事がない。
そのまま家に入ったところ、意識喪失状態の患児を発見。枕元に鎮痛薬の空き容器が大量に散乱していた(同封のビニール袋を確認のこと)。
教員が揺り起こしたところ、意識を取り戻したため、教員に付き添われ、来院。
まず、こういう患者が来たらどうするか。
アセトアミノフェン中毒にはNAC(Nアセチルシステイン)の投与が有効だ。(https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJM198812153192401)
オーバードーズした後、できるだけすぐに飲むとそれだけ効果が高いし、意識のある人には経口投与でもOKというのが便利だ。
頭痛や生理痛のある女性には、鎮痛剤が手放せないという人がいるものだけど、栄養療法的にアドバイスするなら、そういう人はNACのサプリを飲むといいよ。
アセトアミノフェンの肝毒性を軽減してくれるだろう。
さて、適切な救急対応により一命はとりとめたとしても、この女の子が抱えている問題はもっと根深い。体の問題と同時に、心の問題もからんでいる。
人間は飯さえ食ってりゃそれでいい、というわけではない。健全な成長のためには、愛情も必要なんだ。
機能不全家族に生まれた子供を見ていると、何とも言えないほど胸が痛い。
身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクトなど、様々な形の不幸があって、「幸福な家庭はどれも似通っているが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」というトルストイの言葉が、ここでも当てはまるようだ。
何とか助けてあげたいと思うけど、ひとりの医者がどんなに手を尽くしたからといって、解決できる問題じゃない。
「あぁ、結婚するんじゃなかった、お前なんか産むんじゃなかったって、いうのがお母さんの口癖。
私が少しでもご飯をこぼしたら、床ふき用のぞうきんで私を殴った。私が泣くと「泣くな!うるさい!」と言って、私の髪をつかんでゆさぶった。
お母さん、夜の仕事をしていたんだけど、あるときから家に帰ってこなくなった。男ができて、どこかに出て行ったんだと思う。
お父さんも暴力をふるう人。髪をつかんで部屋中を引っ張りまわされたり、足首をつかまれてお風呂に逆さ吊りにつけられたりした。夜には私の寝てる布団の中に入ってきて、私の体を触った。
お父さん、何か犯罪をしたみたいで警察に捕まって、今は刑務所にいる」
僕はかける言葉がない。
「そうか、つらいなぁ」と、かろうじてあいづちをうつ。
彼女、僕を見て、
「私も普通の家庭が欲しかった。家に帰ったら普通のお父さんがいて、普通のお母さんがいて、家族みんなでご飯を食べる。私もそういう普通の家庭が欲しかった」
彼女の目から涙が急にあふれ出て、肩震わせて泣き始めた。
ドラマなら肩を抱いてあげるところだろうな、と思ったけど、ただ、黙ってそばにいた。
やがて、ふと顔をあげて、
「先生さ、かっこいいよね」
女の目だった。
13歳というのは微妙な年頃である。
自分自身の女性性を本人も意識し始め、同時に異性への関心も強くなる頃である。
「自分の女としての魅力は、この男にも通じるだろうか」「普通の父親がいないのなら、自分で手に入れればいい」
機能不全家族に育った女児の性交年齢が低いのは、異性への関心に加えて、父親を求める思いが重なるせいかもしれない。
精神科に勤務していれば、患者が陽性転移を起こすこと、つまり、患者に好意を持たれることは珍しいことではない。
患者の心の深いところまで一緒に降りて行って話を聞くのだから、自分のことを深く理解してくれる人に好意を持つというのは、ごく自然なことだろう。
そういう場合に、精神科医としてどうするべきか。これはフロイトやユングの昔から議論されてきたテーマである。
ユングはフロイトの弟子だったが、考え方の違いによりあるときから袂を分かつことになった。
たとえばフロイトは、治療者が患者と性的な関係を持つことは決してあってはならないとしたが、ユングは治療の一環としてそうした関係性を持つことが必要なこともあり得る、とした。
個人的には、ここではフロイトの見解をとりたい。
自分がその子のこと、一生面倒見るって責任を持てるのならいいと思うけど、僕はひとりひとりの患者に対して、そこまで責任を持てない。
とはいえ僕も男だから、色目使われるとグラっと来そうになるんだけど笑、頑張って踏ん張る。「大人をからかうもんやないでー」と笑いに紛らす。
こういう子は後年、PTSDを発症することがある。
自分の内面に抑圧した記憶がときどきふとよみがえって、恐怖、苦痛、怒り、哀しみ、無力感などいろいろな感情が突発的に湧きあがったりする。
PTSDに対しては、栄養療法的に打つ手はいろいろある。
まずホッファー先生の一押しは、ナイアシン。戦争帰還兵のPTSDにナイアシンが著効したことを報告している。
個人的にはロディオラの有効性も実感している。
GABAやセントジョンズワートも効くようだ。(https://pdfs.semanticscholar.org/3dc2/582b7d4486366826741e0f3b9f050611ff87.pdf)
僕の両親は子供の頃、よく夫婦喧嘩していた。子供の僕は、それがとてもつらかった。
父と母が怒鳴り合ってるときなんか、地獄だった。家って、一番くつろげるはずの場所やのにね。
幸いというか、虐待されたことはないんだけど、夫婦喧嘩でこんなにきついんだから、虐待の苦痛は想像を絶するほどだと思う。
子供のときのつらい経験は、残念ながら、なかったことにはできない。でも、栄養療法的にちょっとしたお助けをすることならできる。
ナイアシンやロディオラがもたらしてくれる心の穏やかさは、セックスによる一瞬の火花よりも、もっと深い救いになるよ。
2018.8.5
「かつて航空自衛隊でF15のパイロットをしていました。日本全国いろいろな地域を回りましたが、最後にいたのは三沢です。
最近若手がどんどんやめています。私の退職もその流れの一つ、といったところです」
なぜ若手がやめているの?
「組織が古いんです。政治情勢の変化、社会の変化、そういう変化に対応して組織も変わらないといけない。でも、変わらないんです。
組織上層部の既得利権の問題なのか、組織としての構造上の問題なのか、そのあたりははっきりしませんが、ひとつ明らかなのは、そうした旧弊な体制のために最も割を食うのは、個人です。
組織の末端で身を粉にして働く、個々の自衛官です。
人員の配分が変わらないから、若手に無理が行く。奇妙な根性論がまかり通って、有望な若手がどんどんダメになる」
若手は具体的にどんなふうに大変なの?
「朝5時に起きて、まず、お茶汲みです。コーヒー淹れたり掃除したり。上司への報告のために、スライドを準備したり、壁に貼る写真を用意したり、そういう雑務に忙殺されます。
飛行技術を向上させるためのトレーニングをしないといけないのですが、様々な雑用の合間を縫って、その時間を絞り出します。
夜11時就寝ですが、その頃にはもうヘトヘトになります」
防衛大学を卒業した後の進路って、どう決まっていくの?
「まず、パイロットになるには、米国留学か、国内養成、この二通りの道があります。初期操縦過程を終わった後、そのいずれかを選びます。私は留学を選びました。
F2という戦闘機で訓練をし、三年ほどの専門的な修練を積んで、ウィングマーク(パイロット資格)を得ます。
このパイロット養成プログラムにしても、日本のプログラムはひどいものです」
どんなふうにひどいの?
「戦闘機に乗るということは、体にすごく負担がかかるんです。たとえばF15は最高速度マッハ2.5で飛びますが、急旋回すると、場合によっては最大9Gの力が体にかかります。地球の重力の9倍の遠心力が体にかかる、ということです。
高いGにさらされると、脳血流が低下し、ひどい場合には失神します。だからパイロットは、そういう負荷に対しても失神しないようにするため、訓練を通じてちょっとした技術を身につけています。
ただ、そんな小手先の技術で体への負荷がチャラになるはずがありません。たとえば、」
と彼、上着のそでをめくって見せ、
「フライトを終えて、コクピットを降りた後には、腕のこのあたりが真っ黒になります。高Gで全身の毛細血管が切れて、内出血を起こすんです。ただでさえ低温、低気圧の高度3万フィートという過酷な環境で、日常ではありえないほどの重力がかかるわけです。
そういう激しい肉体的負担からパイロットを守るため、アメリカにはきちんとした規則があるんです。たとえば、高Gで1500時間以上乗っちゃダメ、とか。
でも日本にはそういう規則がありません。なかには、6000時間以上乗っている人もいます。1000時間以上乗ると日常生活に支障をきたす症状が出てもおかしくありません。
もっとも、Gが体にどのような影響を及ぼすか、様々な研究があるのですが(https://europepmc.org/abstract/med/9591617)、Gへの耐性には遺伝性があるのではないか、という説もあります。
確かに、現場の実感としても、個人差は大きいように思います。何時間乗っても大丈夫な人がいる一方で、比較的少ないフライト時間でパンチドランカー様症状を示す人がいたり」
Gに対する耐性を決める遺伝子があるのかも、という説は面白いね。
人類が発生してウン百万年。遺伝子のほうでは、人類が上空3万フィートをマッハ2.5で飛んだり、体にむちゃくちゃな重力がかかる事態を想定していなかっただろうにね。
パンチドランカー様症状って、その症状が出始めると、どうなるの?職務上の疾病だから、国から医療的な補助が出たりするのかな?」
「あまり大きな声では言えないのですが、部隊で飼い殺しすることになります。うかつに外に出して、マスコミに嗅ぎつかれては格好のネタでしょうから。
パンチドランカー様症状まで行かなくても、認知面に影響の出ている人はたくさんいました。
F15の飛行時間が1000時間を超えると、物忘れがひどくなります。私が所属していた部隊、そこのラウンジでは、コーヒーカップの忘れ物が異様に多いんですよ。
それに、腰痛や首の痛みはほぼ必発です。
パイロットの健康をないがしろにして顧みない空自の体質には大いに疑問を感じます。
僕が自衛官をやめたことと、そして医学部を再受験したこと、この二つは無関係ではありません。むしろ一つの連続的な、必然の流れです。
医学部に入り、研究者になって、航空医学をやりたい。それでパイロットの負担を少しでも減らせるような方法なりシステムなりを開発したい。
そういう思いで、今、ここにいます。
日本で航空医学をやっているのは空自とJAXAだけです。結局自衛隊との縁はまだつながっているということになりますね。
私も元パイロット。
国の税金をもらって空を飛び、空のすばらしさを経験させてもらいました。その恩返しとして、国に、あるいは空自に、何か貢献できることがあるなら、ぜひ貢献したい。そう思っています。」
志のある男である。
人生を生きるに際して、これほど強い信念と明確な目標を持っている人も、そう多くはないだろう。
「今日はおもしろい話が聞けた。ありがとう」と言って、その場を辞去しようとしたところで、大事なことをひとつ、聞き忘れていたことに気付いて、彼の背中に最後の質問。
「そもそもさ、なんで防大に入ったの?」
男の答えは淀みなく明快である。
「パイロットになりたかったからです。自分は子供の時から空が好きでした」
↑
これは、彼がまだ学生のときに聞いた話である。
その後、風のうわさで、彼、整形外科に入局したと聞いた。
おーい、航空医学はどうなったんやー笑
2018.8.5
神戸の花火を見ようと、船を持っている友人に乗せてもらって、いざ出発。

海上から花火を楽しんだのは初めてだ。
空に打ち上げられた無数の大輪の花が咲いては消えて、咲いては消えて。
特にラストの一斉に打ち上げる花火は大迫力で、この世のものとは思えない景色だった。
鳥肌が立った。
きれいなものを見て鳥肌が立つなんて感覚、ずいぶん久しぶりだな。
いや、正確には、きれいなのに感動したっていう、それだけじゃないな。
きれいなのはもちろんそうなんだけど、それだけではなくて、恐怖に近いような感情もあったと思う。
美が爆発音とともに咲いて、こちらにグングン迫ってきて、やがてあっけなく消える。光を放っては消える花火が、生まれては死んで行く僕ら人間の比喩のようにも感じた。
あるいは僕は、美というものを誤解していたようだ。
美は控えめなもので、こちらがその中に詩を見出さないと顕現しないものだって僕は思ってたんだけど、今日、その思い込みが打ち破られた。
おしとやかなお嬢様の美しさではなく、こっちめがけて叫び声をあげる狂女の美しさ、という感じ。
控えめな美に慣れているところに、こういう美に直面させられると、感動するというよりか、何だか怖いのよ。

この美しさが写真に撮れたらどんなにいいことだろう、と思って撮ったのがこの写真。↑
もうね、撮影しながらも写真のショボさに気付いて、うんざりした。
スマホのカメラ越しに見る花火と、今目の前の夜空に展開される花火、両方を同時に見たけど、同じものだとは思えないぐらいだった。
写真が「真を写す」だなんて、こんなウソはないね。
きれいな蝶が飛んでいる。虫取り網でサッと捕まえ、標本にする。しかし標本にした瞬間、すでに詩がなくなっている。
フワフワと空を飛んでいたときはあんなに魅力的だったのに、標本箱の蝶は、出がらしの茶のように味気ない。
花火も同じような感じで、その美しさは、どこか保存できる類のものじゃないんだな。その美しさの賞味期限は、一瞬だけ。その場限りのものなんだ。
人工知能とか最新の技術を使えば何事も簡単に再現できてしまう現代に、こういう一回性というのは、逆にますます、輝きを増しているようにも思う。
今年の花火は、泣いても笑ってもこれで終わり。同じのを見るのは、また一年待たんあかん。こういう不自由さが逆に新鮮なんよね。
こういうことを一緒に見に行っていたごうちゃんに言ったら、「そんなに気に入ったんやったら、明日の加古川の花火も見に行く?」
いや、そういう問題じゃないねん笑
2018.8.3
池田菊苗が昆布から旨味成分のグルタミン酸ナトリウムを発見したのが1908年で、その翌年には友人の鈴木三郎助と会社「味の素」を設立したから、味の素には実に、百年以上の歴史がある。
味気ない食材も味の素を入れるだけで見事においしくなるものだから、飲食店はこぞってこの「魔法の粉」を買い求めた。1933年には日本国内での味の素の年間消費量は500万kg以上に達した。
軍は兵士に供給する缶詰などの配給食にも味の素を使った。
ある日本兵が米軍の捕虜になり、所持品を取り上げられた。そのなかに缶詰を見つけ、食べてみた米兵、あまりのうまさに驚いた。「俺たち米軍の配給食のまずいことといったら、たとえようもないほどだが、日本の兵隊はこんなにうまいものを食べているのか」
日本の配給食のうまさは本国に帰った米兵によって口伝えで広まり、戦後、米軍が本格的に「うまみ」について研究するきっかけとなった。
うまいだけならいいのだが、何事もタダでは手に入らないものである。MSG(グルタミン酸ナトリウム)がうまみと引き換えに奪っていくのは、健康である。つまり、MSGには毒性がある。このことはずいぶん前からわかっていた。
食材がおいしくなるということは、味覚を刺激するわけだが、それだけでは済まない。MSGは脳神経をも刺激する。急性の症状としては、紅潮、頭痛、けいれん、頭皮の突っ張る感じなどがある。また、痛みの閾値を下げる作用があるため、慢性疼痛、慢性頭痛、線維筋痛症の人では、症状が増悪する。
過剰なMSGは脳内に蓄積し、NMDA受容体に作用する。結果、細胞内にカルシウムが流入し、神経細胞にダメージを与え、細胞死を引き起こす。このMSGの興奮毒性が、脳卒中、自閉症、ALS、アルツハイマー病などを引き起こす。
体に悪いことは分かっている。
なぜ、どのように悪いのか、そのメカニズムもかなりの程度、詳細に分かっている。
でも、MSGの使用は国に堂々と認められていて、味の素はどこのスーパーでも売っている。
できれば性善説で行きたい。「国が認めているんだ。別に体に悪いものじゃないからだろう」、そういうふうに単純に行けたら、どれほどいいことかと思う。
でも現実はそうじゃない。食品会社の利権とか、外食産業の都合とか、僕らの健康よりも優先された価値観があって、それを基準にして、世の中は動いている。
テレビなどマスコミがオススメするものを素直に受け取っていては、健康は守れない。僕らは自分の健康を守るには、知識で武装しないといけないんだ。
めんどくさいことだけど、仕方ないよね。
MSGは僕らの日常生活に余りにも深く浸透しているものだから、これを完全に避けるのは難しい。
自分で野菜や肉を買って、それを料理するという自炊生活を続けている限り、MSGを摂取することはないだろうが、付き合い上、食べたくもない外食を食べないといけないこともあるものだ。
そういうときにどうすればいいか。
栄養療法的には、ちゃんと防御方法があります。
MSGがNMDA受容体に結合するとカルシウムチャネルが開いて、細胞内にカルシウムが流入するわけだが、このチャネルを閉じる方法がある。亜鉛とマグネシウムだ。
これらのミネラルには神経の興奮を抑制する作用があって、いわばMSGの毒消しとして作用する。その他、タウリンやビタミンB6も毒性の緩和に役立つ。
逆に控えるべきサプリは、カルシウムとグリシンである。
グルテン(小麦、大麦、ライ麦、大豆、乳製品などに含まれる)は体内でグルタミン酸に変換される。グルテン不耐症の人は、グルタミン酸不耐症だとも言える。粗悪なパンや大豆の過食はこうして炎症を引き起こすから、控えるのが賢明だ。
アスパラギン酸(アスパルテームの原料)もカルシウムチャネルに作用して神経を興奮させるという、MSGと同じ機序で体に悪さをする。人工甘味料の入ったガムとかフリスクの類は、極力避けるのがいい。
認知症とマグネシウム不足の関係は、エビデンスとして相当固い。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2092675)
両者の間に、MSGの摂取量も絡んでるんじゃないかと思うんだけど、そういうことをはっきり示した文献は見つからなかった。
でも毎日の健康習慣として、マグネシウムのサプリは摂ってて損はないと思うよ。
摂るなら、特にクエン酸マグネシウムがいい。マグミットは病院処方で保険が効くけど、酸化マグネシウムで緩下作用が強いし、けったいな添加物もいっぱい入ってるから、オススメはしない。
参考:”Excitotoxins~ the taste that kills” (Russel Blaylock著)
2018.8.2
「今日、読売がすっぱ抜いたニュース、見た?
東京医大が女子受験生に対して、一律に減点していた、ってやつ。
現場で働いている医者からすれば、こんなの別段ニュースというわけでもないんだけどね。まぁ当然あるだろうな、ぐらいの話。
大学医学部としては、国立、私立を問わず、正直、女子には医学部に入ってきて欲しくない、というのが本音だと思うよ。
だって、女医ってさ、すぐにいなくなっちゃうんだもの。
医局はね、新人を大切に育てようって思う。様々な知識や技術を身につけさせて、で、それと引き換えに、医局にしっかり貢献してもらう。
でも女医は、結婚とか出産とかで、すぐにどこかに消えてしまう。
手塩にかけて期待して育てた新人が、恩知らずにあっさりどこかに消えてしまう無力感。そういうさ、医局の教授や指導医の気持ちって、想像したこと、ある?
医局っていうのはボランティア団体じゃないんだ。離職するリスクが高い女性は敬遠して、末永く一緒に働いてくれる男の医者が欲しい。そう思うのは、現場としては当然の感覚だろ?
特に外科はその傾向が強い。
外科ってのはある意味職人技の世界だから、指導医は本当に大変なんだ。勝手に教科書読んどけ、では人を育てることはできない。新人の前で手技を実際にやってみせ、練習させて、ダメ出しして、という地道な訓練の繰り返しを通じて、熟練の外科医に育てていくんだ。
指導医のほうも生半可な気持ちでやってないから、時には熱くなって怒ることもあれば、一生懸命自分についてくる新人をかわいいと思って、一緒に酒飲んで下品な話とかバカ話をしたりもする。
そういう世界に女医が入ってきたら、どうなるか。
やりにくくて仕方ないんだよ。まず、男よりも体力がないから、使い勝手が悪い。外科だから急患が入ることも当然あるんだけど、そういうのでシフトがイレギュラーになっただけで、愚痴をいう。
ちょっと厳しくしただけで、パワハラだセクハラだとどこかに泣きつく。そのくせ、生理休暇とか、女性としてのに特権だけは一人前にフル活用する。
外科というのは徒弟の世界なんだ。理不尽はあるよ、当然。でもそんななかで、女性たちは自分たちの性別への配慮をも要求する。正直ね、勘弁してくれよ、という感じなんだ。
うちの教授は『女医さんがいると医局が華やかになるね』なんて言っているが、もちろんあんなのは口先だけだ。本音は、女医には入ってきて欲しくないと思っている。
組織の存続のことを本当に思っている責任者にとってみれば、女医の扱いというのは何ともやっかいな悩みの種なんだ。
僕は受験生の選抜に関わったことはないから詳細は知らないが、女医のやりにくさを痛感している教授が受験生の選抜に一定の影響力を持つとなれば、入り口の段階できっちり選別しておこう、となってもおかしくない。私学なら、なおさらだろう。
この前、裏口入学がバレたニュースが問題になってたけど、裏口入学自体はニュースでも何でもない。私学なんだから、多額の寄付金を払ってくれる学生は上客だから、優遇する。経営のことを考えれば当然のことだろう。
国立大学の医学部でも、これほどあからさまではないが、女子が入学しにくいようにしているところはある。
たとえば僕の出身大学は、2次試験の受験科目は英語と数学だったが、英語の配点が数学よりもはるかに低かった。なぜだと思う?
英語ってのはね、毎日の積み重ねがものをいう科目だから、はっきり言って、バカでもできるんだ。でも数学はそうじゃない。計算ドリルを延々繰り返したって数学ができるようにならない。ひらめきとかちょっとしたコツがいる科目なんだ。
女性は論理的思考ができず、数学が苦手なものだ。逆に、毎日の努力で何とでもなる英語は、女性の得点源になってしまう可能性がある。
とまぁ、事実か偏見か知らないが(脳科学的には一面の真理を含むのだが)、このような考え方のもと、男性を有利にする配点が行われているわけだ」
でも、女医さんにこそ向いている分野もあるんじゃないですか。
産婦人科とか。女性にしか分からない悩みってあると思いますし。
「違う。分かってないね。総じて、女医は必要ない。例外はあるだろう。でも基本的には、現場は男の医者で充分だ。
たとえば産婦人科で、産婦がお産をする。『男の医者か、女医、どちらかに分娩を手伝って欲しいか、選べ』となったら、たいていの人は男の医者を選ぶよ。
女医って未熟に見えるんだよ。「きちんとした、経験豊富な男の先生をお願いします」って思うんだ。
絶対に失敗したくないってときの女性心理だからね。人間の本音はこういうときに出る。
当の女性自身だって、女医を望んでなんかいやしないんだよ。
僕の所属する医局には女医はいない。無理なんだ。女性に何時間も立ちっぱなしの外科手術を任せるということは。体力的に。そして、職場の雰囲気的に。
誤解のないように言っておくけど、僕は女性蔑視の意味でこんなこと言ってるんじゃないよ。
むしろ真意は逆で、女性擁護の立場から言っている。こんなハードな職場で働かせちゃいけないと思う。
すでに女子入学者の割合が半分を上回った医学部もあると聞く。この先、きっと大変なことになるよ。
現場の先生は、そういう危機感を身をもって感じているから、そもそも入り口で女子を制限しようとしたんだ。
この一件、世間一般の人は女性差別だと騒ぐだろうが、僕には大学当局の心情が分かるだけに、批判できないな。
性別によって、できる仕事、できない仕事、向き不向きがあることは、いまさら言うまでもなく明らかで、一般企業はこの原則で職員の採用を行っているのに、医学部だけはそこからはみ出しちゃいけない、というのは、ちょっと酷じゃないかと思う。
たとえば僕が風俗嬢になりたくて、採用面接に行って、性別を理由に落とされたら、男性差別だ、と訴えようか」
先生、それは極論です笑