ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2018年6月

慢性疾患

2018.6.3

高血圧とか高コレステロール血症とか、いわゆる慢性疾患、あるいは、統合失調症とかアトピー性皮膚炎のような難治性疾患もそうだけど、こういう病気の治療にために病院に通うということは、いわば、その病院の先生と顧問契約を結ぶようなものだ。そこにずっと通い続けるわけだからね。
そもそも慢性疾患に対する投薬治療は、治ることを前提にしていない。
薬を一回飲んで、「数字が正常値に戻りましたね。じゃ、薬はもうやめましょう」とはならない。
飲み続ける必要がある。
いつまで?
死ぬまで、です。

これは病院にとって(そして製薬会社にとって)非常にありがたいことで、こういう「契約」は病院にとっての固定資産になる。こういう患者を一人でも多く確保することが病院経営の安定化に貢献している。

症状は抑えるが、治らない。こういう治療を対症療法といいます。

一方、栄養療法は、症状の真因にアプローチするので、根本的に治します。
根本的な原因が除去され、健康になった患者さんは、その後どうなるか。
病院に来ることはありません。感謝の言葉を残して、去っていきます。
自分の人生を歩み始め、もう病院に来ることはありません。
医者としてはやりがいのあることだけど、病院経営的にはどうか。
まったくもうかりません。

勤務医をしていた頃は、この点、ある意味気楽だった。自分の思うような医療を実践できないというもどかしさはあったが、月々の給料はしっかり保証されていた。
でも、開業してからは、経営的なことも考えていかないといけない。テナント料の支払い、看護師の給料、その他もろもろの経費。けっこうな額になります。
一方、収入のほうはどうかというと、経費をまかなうだけの額には遠く及びません。

開業して以後、僕は医療の抱えるこの矛盾に直面しました。
いわば、僕には「固定資産」がない。経営的にはきついことだけど仕方ない。まさに、そういう医療、患者を根っこから治す医療がやりたいからこそ、開業したんだ。

人間の体って精妙にできているので、出ている症状には必ず理由があります。
血圧が高いのはなぜか。
高い圧で血液を駆出する必要があるからこそ、心臓は頑張って血圧を上げているわけ。
その原因は複数ありえるけど、たとえば動脈硬化が進んでて末梢の虚血があるから、それでしっかり末梢に血液を届けるために血圧が上がっているのかもしれない。
だとすれば、治療は単に数字だけ見て降圧薬投与するんじゃなくて、動脈硬化の治療を優先すべき、というのがオーソモレキュラーの発想で、そこでビタミンEやリシン、セレンなどのサプリメントの使用という選択肢が出てくる。
動脈硬化が解消すれば血圧は自然と下がる。心臓が無理して高い圧で末梢に駆出する必要がそもそもなくなったから。
「血圧が高いぞ、それ、降圧薬だ」という考えと、そもそも血圧が高い必要性自体を解消してしまおうという考え、どちらが根本にアプローチしていると思いますか。
対症療法は、体の生理に反した状態を薬で無理やり作っているわけで、こういう治療法は後々になって、思わぬところで落とし穴にハマります。
たとえば、無理に血圧下げていて、脳の血流も慢性的な不足状態になっているので、認知症になりやすくなる、とかね。
そういうのって、統計的なデータとしてしっかり出ています。
姑息的(その場しのぎの)治療は、借金の先送りのようなもので、結局長い目で見れば、大きな代償を払わされることになります。
短期的であれ長期的であれ、服用によって起こり得る副作用に関しては、医師は投薬前に事前に説明する義務があるんだけど、断言するけど、こんな説明責任、まともに果たしている医者はいません。
添付文書にある副作用の一覧を見てしまったら、患者はその薬を飲もうなんて思わなくなるのは明らかなので。そうすれば客が逃げてしまう。医者も商売。バカ正直ではつとまらない。だから、一般的なクリニックの先生は、副作用の説明は、するとしてもさらっと流す程度で、詳しいことは言いません。

矛盾のなかで生きていくのはつらいことだけど、少なくとも勤務医時代に感じていた強烈なストレスからは解放されました。
経済的なきつさと、自分のやりたい医療をできないつらさ、比較すれば、前者はまだしかわいいもので、後者は地獄の苦しみなんだ。もう二度と味わいたくない。

「まず、害をなすなかれ」って医聖ヒポクラテスの言葉がある。
プラスにならなくとも、少なくともマイナスは与えるなよ、という戒めの言葉なんだけど、今の自分は、この言葉を実践できているという自負があるから、自分の仕事に誇りが持てる。
だから、経済的な苦しさにも関わらず、断言できる。
開業して正解だった、と。

APA

2018.6.3

ホッファーはナイアシンの大量投与療法によって、6000人以上の統合失調症患者を社会復帰させた。著した論文の数は500以上。
2009年に91歳で亡くなる直前まで、臨床現場で診療にたずさわっていた。

十代で統合失調症を発症した少年が、親に連れられてホッファーの診療所を訪れた。ナイアシンによる治療を受けた。他のどんな薬を飲んでも治らなかった少年は、見事に回復し、退院していった。
数十年の月日が流れた。
少年は長じて医者になり、出世して、APA(アメリカ精神医学会)の幹部になった。

APAは3万5千人以上の会員数を擁する世界最大の精神医学会で、様々な医学雑誌を刊行し、精神科の診断基準(DSM)の作成にもたずさわるなど、世界中の精神科医の司令塔、といった存在である。組織としての資金力も豊富で(なにしろ製薬会社から流れ込む資金が莫大なので)、政治的な影響力も強い。
当然、APAとしては、栄養療法の存在など断じて許容できない。
テレビなどのマスコミを通じて栄養療法の情報が出ないよう徹底して圧力をかける。テレビ業界にとって一大スポンサーだから、そういうことが可能なんだ。政治家にもパイプが太く、精神科学会にとって有利な政策が通るよう、ロビー活動も積極的に行う。
患者にとって真に有益な治療が表に出ず、副作用の多い製薬会社の薬が臨床現場で延々使われている背景には、こうした経済的、政治的な思惑がある。
医療というのは、そもそも患者のほうを向いていない、ということは、知っておくべきだろう。

統合失調症になり、ホッファーの治療を受け、人生を救われたかつての少年は、ホッファーと敵対する組織のトップとして、一体どんな気持ちで働いていたのだろう、と思う。
自分を救ってくれた恩人に銃を向ける格好なわけで、この医師は心の中に矛盾を感じなかっただろうか。
ナイアシンがいかにすばらしい効果があるか、当然この先生は知っている。そして、自分の団体が売り出している薬がどれほど副作用の多いものかも知っている。すべてこの医師が自分の体で経験してきたことだから。

巨大な組織に所属し、莫大な資金力、圧倒的な政治力を運用する側になれば、人間としての良心なんて、どこかに吹っ飛んでしまうのかもしれない。

ナイアシンが統合失調症どれほど著効するか、知っている医者は当然いる。APAの幹部さえ、知っている。でも、決してスタンダードな治療にならない。
要するに、政治なんだよね。
こういうの、ホンマにイヤやわ。

医師頭は石頭

2018.6.2

最近はThomas Levyという人の本にはまってる。全然知らない人だったんだけど、4月末に東京で行われたオーソモレキュラー学会に講演者として来てて、その講演聞いて、すごい人だなと思って、著書を読み始めた。
“Curing the Incurable”という本のなかから、印象的な記述があったので、ざっと紹介します。原著は英語だから、僕の翻訳ではちょっとテキトーなところもあるかもしれないけど、許してね´Д`

2000年7月2日の日曜日のゴールデンタイムに、メリル・ストリープ主演のテレビドラマ『まず害をなすなかれ』が放送された。
実話に基づいた話をドラマ化したもので、ストリープ演じる母親とその幼い子供の話。
その子、てんかんの発作がひどくて、苦しんでいた。それでいろいろな薬を投与されていたんだけど、ちっとも効かない。というか、その投与されている薬の中にはひどい副作用のあるものがあって、むしろその副作用の影響で死にそうになっていた。症状は悪くなるばかりで、主治医はこう告げた。「最後の手段として、脳の手術が必要です。しかしその手術に成功しても、長期的な改善は見込めません」
母は医師の言葉を聞いて、子供のそういう運命を素直に受け入れるのではなく、あらがおうと思った。医学図書館に通いつめ、文献の研究に没頭した。
そしてついに、彼女の息子と同じ病気、同じ症状の症例が完治したという症例文献を見つけた。それは『ケトジェニック・ダイエット』という食事療法を用いた治療だった。複数の抗てんかん薬が奏功しなかった症例でも大多数がこの治療法により症状が消えた、ということだった。
主治医はこんな治療法があることを彼女にまったく教えてくれなかった。『ケトジェニック・ダイエット』が最新の治療法だから、主治医がそのことを知らなかった、のではない。その症例文献は、なんと、75年前に出版されたものだった。
母親が主治医にその文献を見せ、その食事療法を我が子に試してみたい、と伝えたところ、彼は嘲笑した。
「そんな文献報告に何の意味もありませんね。だいたいこれ、”anecdotal”じゃないですか。こんなものは科学じゃありません。僕ら医者は科学者であって、占い・まじないの類を臨床実践するわけにはいきません。」
“anecdotal”というのは対照実験のようなエビデンスに基づいているものではなく、文献報告者の主観の要素が強く、エビデンスレベルとしては低い、とされる。
そうした医者の嘲笑に対しても、母親は必死に抵抗した。
「もうあの子には他に方法がないんです。どうか試させてください。どうしても食事療法をやらせない、ということであれば、退院します」
主治医はどこまでも頭の固い男だった。
「僕らは医者で、医者には患者の命を守る責任がある。手術予定をキャンセルして、そのわけのわからない食事療法を試すために、バルティモアにあるジョン・ホプキンス大学に転院する、となれば、こちらとしても法的な手段をとりますよ。適切な治療を受けさせないのは、ネグレクトだ。黙って見過ごすわけにはいかない」
なんだかんだと言葉の応酬、テレビドラマ的な話の紆余曲折があったものの、結局母親は我が子にケトジェニック・ダイエットを行い、子供はすぐさま回復した。もはやてんかん発作が起こることはなくなり、これまで飲んでいた薬もすべてやめることができた。
こうして物語は終了した。

テレビドラマである。
しかし、ゴールデンタイムに全米で放送されたのだ。こういうテレビの影響は非常に大きい。
放送日の翌日、コロラドにある某病院の医局で、医師たちは皆、怒りをあらわにしていた。
あのテレビドラマ『まず害をなすなかれ』のせいで、医師の権威が損なわれてしまったことに、彼ら、不機嫌を隠せないのだった。
ふと、これまで沈黙していた一人の若い医師が、勇気を出してこう言った。
「我々も『ケトジェニック・ダイエット』を臨床現場に取り入れてはどうでしょうか」
他の全員が一様に彼をにらみつけ、場の空気はたちまちに、拒絶一色に覆われた。その空気には、誰も勝てない。その「拒絶」に反対する意見には敵意むき出しとなり、さらなる拒絶しか受け入れない空気なのだった。
「食事で治る?バカバカしい。我々の臨床現場での真剣な努力を踏みにじるものだ」
「アネクドータルな報告がいかに低レベルな報告が多いか、しろうとは知らないんだよ」「裁判、本当にすればよかったのにな」などなど、実際の医師たちの言葉も、テレビドラマの中に出てきた主治医の言葉と同じような範疇に属するものだった。

医者というものがどういう人種であるかを示す上で、おもしろい描写だと思ったので、ざっと紹介しました。
もちろんね、医者の中にも良心派はいるんだよ。「ケトジェニック・ダイエット、よさそうじゃないか」と、素直に開かれた心で受け入れる人も、少数ながら確かにいる。
でも、そういう先生も、組織や集団の論理のなかに飲み込まれると、まったく歯が立たない。そういう先生にも嫁子供がいて生活があるから、集団を敵にまわすリスクを背負ってまでケトジェニックダイエットを実践しようなんて思わない。「ま、ガイドライン通りの治療でいいか」というところに落ち着いてしまう。
結果、医療は変わらず、本当に患者を救う方法は、闇に埋もれたままとなる。
ケトジェニックダイエットが、75年間も図書室の片隅で眠っていたように。

みなさんは、医者のことを勉強ができて頭のいい人だと思っているかもしれない。それは違います。自分の知らない治療法などの新しい知識に対して、医者は柔軟であるべきで、必要があればそれを自分の手技のなかに取り入れるべきなんだけど、そういう医者はまずいません。自分の意に染まない論理には、徹底して拒絶的になります。医者は頑固で、石頭なんです。最も融通が利かない人々、それが医者という種族です。
ポーリング博士は、「医学は科学ではない」と言いました。デタラメな批判にさらされて袋叩きにあったポーリング博士は、理屈の通じない石頭のバカを相手にして、ほとほとうんざりしていたんだと思う。

自分の身を守る方法は一つです。
このドラマのお母さんが図書館でケトジェニックダイエットの記述を見つけたように、自分できちんと調べることです。
今はインターネットという強力なツールもあります。
どうか医療の食い物にされないでください。
金を失うだけならまだいい。このドラマに出てきたてんかんの子供は、下手をすれば病院の言われるがままに手術して、人生を失うところでした。
情報で武装して、我が身、我が家族を守りましょう。
僕の母は、大腸癌になって、主治医の言われるままに手術して、言われるままに抗癌剤やって、別に治ることもなく、亡くなりました。
テレビドラマの話じゃありません。現実の話です。
知識があれば母を助けることができたのに、という思いが僕の中にずっとくすぶっていて、僕が常に勉強を続けているのはそういう無念の思いがモチベーションになっているところがあるのかもしれません。
不必要な不幸がひとつでも減りますように。

ビタミンとIQ

2018.6.2

親は我が子に多くのものを望むものだ。
妊娠中は「五体満足、健康に生まれてくれさえすればいい」と謙虚に願っていたのが、ひとたび健康に生まれ育っていくと、「頭のいい子になって欲しい」とか「運動神経のいい子がいいな」とか「男前(美人)に育ってほしいな」とか、いろいろ要求過多になっていく。「這えば立て、立てば歩めの親心」って誰かも言ってたけど、こういう高望みは自然な親心だろう。

我が子の頭をよくしたい、と思っている皆さん!
実は、子供の頭をよくする方法があります。
それも、根拠のない俗説ではなくて、きっちり科学的なエビデンスの裏付けがある方法です(さらに言うと、これは「子供の頭を」と限定する必要はなくて、成人の知的活動の働きを高める方法でもあります。)

結論から先に言いましょう。
それは、すばり、栄養です。
もっと具体的には、精製糖質(砂糖)をやめることとビタミン(特にB群)の摂取がポイント。

これも”Orthomolecular Medecine For Everyone”に書かれていたことなんだけど、ざっと紹介しましょう。

子供の学習障害の原因は栄養の欠如である、ということをルース・ハレルという女医さんは何十年も言い続けてきた。
1943年に「チアミンの学習への効果」という論文を発表した。「チアミンにより子供の精神的・身体的技能が向上した」と述べている。
1956年には妊婦や授乳中の母親の食事が子供の知性にどのような影響を与えるのかを研究して、「妊婦、授乳中の母親が食事にサプリを補うことによって、その子の三歳時、四歳時の知能指数が向上した」という。
チアミンを与えられた子供は、プラセボを与えられた子供に比べ、学習能力が25%上回った。一方、砂糖は体内での代謝のプロセスでチアミンを消耗してしまう。ADHDや子供の学習障害の発症機序として、砂糖の過剰消費(およびそれに伴うチアミンの不足)が疑われる。

チアミンはじめビタミンB群というのは、神経機能に必須のビタミンだ。神経の栄養状態が不良でありながら学校の成績がいい、というのは、僕らの一般的な感覚からしても考えにくいよね。
実際、科学的にも、ビタミンB群の欠乏によって「神経機能喪失、記憶力低下、集中力低下、イライラ、混乱、うつ」が生じるということは、はっきり事実として確立している。
さらに、ハレル先生は、「チアミンはじめその他のビタミンB群は、一個のチームとして作用する」としている。彼女の用いた方法は、多くの種類のビタミンの大量投与療法だった。

彼女の論文はどれも研究として非常に緻密で科学的なものだったけど、残念ながら、つぶされてしまった。他の科学者がその論文の有効性を確認するために、追試を行った。でも、その科学者はものすごく少ない量のビタミンしか投与しなかった。多種類のビタミンを大量に用いる、というのがハレル先生の主張のキモなわけで、少量のビタミンでは効果がないのはやる前から見えていたことだったのに。学会はこの追試の結果を受理し、ハレル先生の論文は闇に葬ってしまった。だからハレル先生のこの研究は世間一般の人にはあまり知られていない。
なぜこんなことになったのか。
イやな話だけど、製薬会社の経済的動機が背景にある。
子供の学習障害というのは、製薬会社にとって大きな市場なんだ。だから、製薬会社にとっては、特許の取れないビタミンなんぞの投与で子供の学習障害が治ってしまっては困るわけ。金のなる木の邪魔をしてくれるな、と。それで、彼ら、この論文を抹殺した。

信じがたい話かもしれないけど、ビタミンによって、ダウン症の子供さえ知能が高くなった、という研究がある。
これもルース・ハレル先生の研究なんだけど、まぁ、反対派からは激しい批判にさらされました。「ダウン症というのは、21番染色体が3本ある遺伝性疾患であって、まさか、ビタミン投与によって3本ある染色体が2本になるとでもいうのか。ダウン症児のIQ低下はそうした染色体の過剰による影響であって、ビタミンの投与によって治るなどという主張は笑止千万。バカも休み休み言え」といった感じ。
ハレル先生が1981年に行った研究では、ダウン症児の栄養状態を改善させることによって、彼らの知能指数が明らかに向上した。
子供の変化に敏感に気付くのは誰だと思いますか。まず、親が気付くよね。さらに、学校の先生も気付く。IQにして10から15ポイントほど上昇すると、家族や教師も変化にはっきり気付いたらしい。
「単なるプラセボ効果だ」と批判者は言う。
でも、栄養が適切に補われることによって、遺伝子の働きが適正化する、ということは科学的にも十分証明された事実だ。たとえば、ビタミンEはダウン症患者の細胞内の遺伝物質に対して保護的に働くことが証明されている。抗酸化ビタミンは、ダウン症の人に有効であることは、科学的にも筋の通った話であって、ハレル先生の観察はこの事実と矛盾するものではない。
・・・はずなんだけど、学会はこういうことを全然認めません。
ただ、僕は個人的に思うんだけど、別にね、学会が認めようが認めまいが、どっちでもいいような気がする。
大事なのは、こういう情報が、必要な人のものとちゃんと届くこと。
ここが本質。学会の認める認めないはどうでもいい。
たとえば、我が子が学習障害を持っているために悩んでいる親御さんは世の中にたくさんいると思う。
そういう人にとって、こういう情報は福音になるかもしれない。
砂糖をやめる。ビタミンをとる。
バカみたいに簡単なことなんだけど、これだけで我が子の人生が救われるかもしれない、となったら、こんな貴重な情報はないよね。
この方法を実際に採用するしないは、親御さんの判断だろうけど、少なくとも、情報としては提供されるべきだよね。

日光浴、是か非か

2018.6.1

もうすぐ海水浴の季節だけど、海のレジャーは楽しみたい、でも日焼けして肌にダメージを受けるのはイヤだ、という人は多いと思う。
植物にとって日光が必須であることに異論のある人はいないだろうが、人についてはどうなのか。
「皮膚ガンの原因だから極力避けたほうがいいよ」「シミになるよ、年取ってから悲惨だよ」という意見をよく耳にする一方、肯定的な意見もある。
「日光に当たることで、肌でビタミンDの生成が促される。ビタミンDには抗アレルギー作用、抗うつ作用、骨粗鬆症予防作用、さらには抗ガン作用まであり、人の健康を高めてくれる重要なビタミンだ」

結局、日光はいいのか悪いのか。
これを考える上でヒントになるのが、SLEという病気。この病気、自分の細胞内の核に対して抗体ができる免疫疾患なんだけど、SLEの人は日光に当たってはいけない、と指導される。皮膚に発赤や水疱ができてしまうから。
要するに、SLEの人というのは、抗酸化力がすごく低下してるんだよね。だから、普通の人なら浴びてもどうってことない程度の日光にも過敏に反応してしまう。

日光(紫外線)の悪影響として、体内で活性酸素が発生してしまうことは間違いない。
だからこそ、海や山のレジャーに行くことを事前に計画している人は、そのときのためにしっかり体の抗酸化力を高めておく必要がある。そうすれば、太陽の悪影響はキャンセルできて、日光の恩恵(ビタミンDの効用)にだけあずかることができる。
具体的には、ビタミンE、ビタミンC、亜鉛、ビタミンB6、コエンザイムQ10、アルファリポ酸、あたりの摂取を勧めたい。これらはそういうレジャー対策のためだけではなく、日々の健康維持のためにも有効だ。

つまり、日光を浴びるにはそれ相応の準備が必要で、その準備のない人では、日光の害が前面に出てしまうが、抗酸化力をしっかり高めた状態であれば、思いっきり太陽を満喫できる、ということだ。
抗酸化力のない人が日焼けをすると、黒くならずに赤くなる、というのは、みんな経験的に感じていることでもあるだろう。

日焼け対策は、事後でもいいよ。
思いのほか太陽にたくさん当たってしまったとき、その日の夕方には、ビタミンEの錠剤にハサミで切れ目を入れて、そこから中の液体を取り出し、肌に塗っておくといい、というのがソール先生のオススメ。
ソール先生が娘とその友達と海に遊びに行った後、娘さんは日焼けしたところにビタミンEをバッチリ塗ったから日焼けの後遺症はなかったけど、娘の友達は、くちびるの周りだけビタミンEを塗るのを忘れてしまった。それで、翌日くちびるだけ腫れてしまった、っていうエピソードがソール先生の本にあったよ。

「オーストラリアでは皮膚ガンが増加しているというが、あれはどうなんだ。それでも太陽は体にいい、とか言えるのか」と言われると、なるほど、鋭い指摘だ。
これに対する答えとしては、文化人類学的な方面からでは、伝統的な暮らしをいまだに営むアボリジニーでは皮膚ガンが増加しているという事実はない、ということを考えると、そもそもオーストラリアという土地は、白色人種には不向きな土地だった、と言えるのかもしれない。
500万年前にアフリカで発生した人類が、次第に北上するにつれ、白色人種となった。ヨーロッパ大陸に進出するにあたって、最も適応に苦労したのは、日光照射量の乏しさである。メラニン色素の豊富な黒い肌では、日光をブロックしてしまい、ビタミンDの生成ができない。白い肌、金色の髪、青い目、これらはすべて、メラニン色素の生成量を抑えようとして生じた形質であり、これによって彼らは、北欧の少ない日光でも能率よく紫外線を吸収できるようになった。寒さにも適応した。冷たい空気を呼吸する際に少しでも加温するために鼻が大きくなり、体格はベルクマンの法則に従って巨大化した。
こうした進化には何万年という月日を要した。
ところが、大航海時代に入り、彼らヨーロッパ人は世界中に進出し始めた。
白い肌で、少ない太陽でも能率よくやっていこう、っていう省エネ型の肌の人種が、南半球の、カンカン照りの太陽の下で暮らすようになったわけ。
進化の歴史を考えれば、そりゃ不適応を起こしても当然だろう、皮膚ガンの増加はもっともなことだ、とも言える。

別の方面からの答えとしては、彼ら、お肌のケアとして日焼け止めを肌に塗ってるんだけど、それ自体が発ガン性があるんじゃないか、っていう話がある。
どのメーカーの製品か、っていうのも当然あるだろうけど、日焼け止めクリームに含まれているある種の成分が、ホルモンバランスの異常、皮膚ガンを引き起こす、ということがわかっている。
肌を守るつもりでやっていることが、肌を痛める原因になっている、という話。
こういうのってさ、イヤになるよね。よかれと思ってやっていることが逆に害だったっていう。精神的なダメージがきついよね。
だからみなさん、日焼け止めはメーカーにこだわったほうがいいよ。
ていうか、個人的には、一番簡単で一番効果的なのは、ビタミンEを塗っとくこと。これが何よりの日焼け対策だと思う。