ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2018年6月

技術

2018.6.30

レイテ島に出征した夫が日本にいる妻に宛てたハガキ。
ずいぶん古いため、擦り切れて読めない文字もある。文中、「身重」と読めなくもない箇所があるが、判然としない。
父は母の妊娠を知っていたのだろうか。つまり、出生前、日本に残していく妻のお腹のなかに、僕という子供が宿っていることを知っていたのだろうか。
『探偵ナイトスクープ』にあった依頼だ。

拡大コピーしたり、photoshopで画像処理したりして、何とか文字を読み取ろうとするが、できない。
最終的に、奈良文化財研究所で、赤外線で炭素を吸収させる最新技術を用いて、見事に全文解読された。
依頼者の予想通り、その文字は「身重」だった。
戦地の夫は、妻のお腹のなかにいた子供のことを認識していたのだ。のみならず、その手紙には、夫の、妻や子供への思いが溢れていた。
数十年の時を経て明かされた、今はこの世にない人の、強い家族愛。
依頼者も探偵も、それに文化財研究所の職員までもが、皆その思いに打たれ、涙するのだった。

何の話をしているのか。
技術のすばらしさ、の話をしています。
これまでなら「わからない」で終わっていたことが、最近の技術の進歩によって、その背後にある「物語」を見事に発掘する、ということができるようになってきた。

また別の話。
夫は結婚後すぐに南洋に出征し、そのまま帰らぬ人となった。終戦後、いくつか見合いの話もあったが、結局全て断った。「私は独身ではない。夫は長く留守をしているだけだ」と。
夫の写真が数枚ある。何度も見つめて、ほとんど心の中に焼きついている写真だ。
大事にしていたものではあるが、ずいぶん擦り切れて、褪色も激しい。
92歳。甥夫婦とその子供らと同居しているが、まだかくしゃくとしている。自分のことは自分でやらないと気が済まず、あまり世話を焼かれるとかえって不機嫌になる。庭いじりとゲートボールが趣味で、毎日の生活を楽しんでいる。
画像処理のプログラマーをしている孫が、おばあちゃんへのサプライズを企てた。
祖母の宝物の写真をデータとして取り込んで、出征した夫の顏を、3D空間に再現した。
その画像のあまりの鮮明さに、腰を抜かしそうなほど驚き、そして、延々涙を流し続けた。
70年待ちぼうけを食わされた悔し涙であり、再開を果たした嬉し涙であり、その他、言葉にできない感情のかたまりが爆発して、とにかく泣き続けた。

「どうですか。これ、いい話でしょう?
AIの最新技術を使えば、もっとすごいこともできますよ。音声データと、会話のパターン(本人の話す内容、話し方、口癖など)に関するデータがあれば、いわばその人をコンピュータ内に再現し、会話することも可能です」
介護施設に医療機器を卸す仕事をする営業の人の弁。
僕はほとほと感心した。
AIは神か悪魔か、それは僕にもわからないけど、使い方次第で、すばらしい魔法の技術になると思う。

それに比べて、医学のほうは、、、
いくら高い解像能のCTができようと、iPS細胞の技術が発達しようと、果たして僕らの健康に直結するかっていう話になると、僕は相当疑問に思っている。
医学においては、まず、毎日食べる栄養が大事で、最新技術がどうのこうのって話は、僕にはずいぶんピントはずれに思えるんだよね。

歯医者

2018.6.29

「いったん歯医者にかかって歯を削ると、ますます虫歯にかかりやすくなる。これは、データがはっきり示しているところだよ。
小学校の歯科検診なんかで虫歯を指摘されたら、歯医者に行って見てもらうよう指導される。
初期虫歯なんて放っておけば再石灰化して治るものを、不必要に削って埋めて、ってするものだから、その子はますます虫歯になりやすくなる。
学校も歯科医もよかれと思って行っている学校検診だが、実は虫歯を増やすことにしか役立っていない。
泣きを見るのは、実は検診を受けた当の子供たち。
こんな茶番がまかり通っているんだよ。

もちろん僕ら歯科医は善意で治療している。
患者の苦しみを軽減するための治療をしているつもりだし、歯学部でもそのための技術を学んできた。
でも、有害無益、とまでは言わないが、治療のつもりでやっているのに、むしろ長期的には患者のメリットを損ねる処置があることも、認めざるを得ない事実だ。

そもそもね、歯医者の世話になってしまってはダメなんだ。
3歳から4歳までに腸内細菌叢や口腔内細菌叢がおおよそ定まって、いったん定着すれば、その後大きく変化することはない。その時点で良質な菌叢が形成されれば、将来虫歯になりにくいことがわかっている。
だから、乳幼児期の食生活はその子の将来にとって極めて重要。
親の責任はすごく大きいってことだよ」

薄いサングラスに短い角刈りで、ワイシャツの首元にはネックレスがのぞいている。
街ですれ違ったとしたら、僕の方からすぐに目をそらす容姿、つまり、「怖い仕事」の人かと思うような見た目をしているんだけど、なんと、職業は歯医者さん。
年齢は70歳だというが、見えない。
もっと若く見える。

「美容にいいって言われてることは何でも試してるよ。
一番効いたのは冬虫夏草だな。ほら、僕のここ、左の頬に、10年ぐらい前からシミが出てきて、何をやってもとれなかったんだけど、冬虫夏草を飲みだしてから見事にきれいに治った。
それ以来、冬虫夏草のファンになってね、うちの患者にもすすめている。
先生のクリニックでも、ビタミンやハーブを積極的に使っていると聞いてるけど、具体的にどういうのを使ってるの?何かオススメはある?」

共通の友人に紹介されて知り合った。
いわゆる一般的な歯医者ではなく、歯を極力削らず、栄養の重要性を強調する歯科医院をされている。必要に応じて、自費診療で栄養点滴を行なったりもする。
友人から僕のことを聞き、栄養を重視する点に相通じるものを感じて、僕に興味を持ってくれたのだった。
見た目は怖いけど、ハートは非常に熱い人で、患者の真の健康を思うからこそ、今のスタイルに行き着いたのだろう。

ハーブについて尋ねられたので、ロディオラとアシュワガンダのことをかいつまんで説明した。
「へえ、それは体に良さそうだね。
僕もそれ欲しいな。先生のとこ、受診してもいい?」
もちろんです。ぜひ来てください。
「ところで、僕の母がね、もう90歳を超えて生きてるんだけど、かかりつけ医から、こういう薬もらってる。
ずいぶんたくさん飲んでるんだけど、こんなに飲まないとダメなものかな。
飲んでて調子がいいんならともかく、最近明らかに元気がない。
元気がないからと、抗うつ薬まで飲み出して。
さすがにこれはまずいんじゃないかと僕も思い始めてね。」
処方箋を見る。
降圧薬、コレステロール降下薬、抗骨粗鬆症薬、抗不整脈薬、抗うつ薬。睡眠薬。
典型的な多種多剤投与。
高齢者でこういう薬のチャンポンを飲んでる人は珍しくない。勤務医をしている頃はしょっちゅう見かけた処方だ。
「冬虫夏草も飲ませてるんだけどね、いまいち効果が出なくて、困ってるんだ」

酸化を促進する薬をこれだけ飲んでいては、抗酸化作用のあるハーブ(アダプトゲン)をとったところで、効果を実感するまでには至らないだろう。
中止すべき薬や減量可能な薬について説明した。

薬は病気の人が飲むことを意図して作られているが、現代医学において、その「病気」の定義は恣意的である。
ガイドラインひとつでいくらでも病人を量産できる。
最近はそれがあまりにも露骨だ。高血圧の基準が140に引き下げられたのには、驚くというか、あきれたな。製薬会社もなりふり構うのやめたみたいだ。
この基準でいえば、140を越えれば、高血圧症という「病気」ということになる。
総コレステロールが220を越えれば脂質異常症という「病気」。
こういう基準に従って、「治療」と称する投薬が始まるわけだけど、こんな具合にたくさんの薬を飲んでいれば、本来投薬なんて必要なかった健康な人も、今度は本当の意味で病気になるよ。
健康な人が、薬で病気になる。
これって全然珍しいことじゃなくて、それどころかザラにあることだと思う。

たとえば精神科で使われている薬でいうと、クロルプロマジンとかハロペリドールとかって、1950年代に開発されて以来、統合失調症患者を病院から解放することに貢献したすばらしい薬だって言われてるけど、これ、健康な人に投与したらどうなると思いますか。
旧ソ連とか東欧で、政治犯に大量に投与した人体実験がある。
政治犯には、時の政権に不都合な思想や言説を広める知識人が多くて、こういう人たちは、権力者から言わせれば、「妙な思想にとらわれた妄想病」だから、投薬によって治療してあげないといけないわけ。で、当時開発されて間もないメジャートランキライザーが彼らに大量投与された。実際にはもちろん、精神病どころか、彼ら、普通の人よりはるかにIQの高い人たちなんだけどね。大量投与を続けると、本当に幻覚妄想症状が見られるようになった。
クスリはリスク。
使い方を誤ると、リスク一辺倒になってしまうのが薬の怖いところだな。

頭痛

2018.6.29

頭痛は最もコモンな症状で、医者をやっている限り、必ず診療現場で遭遇する。
でも、医者がやっていることは、別段大したことじゃない。
くも膜下出血とか髄膜炎とか、命に関わる可能性がある頭痛だけはきちんと除外する。
それ以外なら?
「じゃ、ロキソニンでも出しとけ」
ぐらいなもので、対症療法で抑えることしかやっていない、というのがほとんどの医者のスタイルだと思う。

栄養療法では、必ず患者の食生活にメスを入れる。
コーヒーとか乳製品とか、何らかの食餌性の要因が遅発型アレルギーを引き起こしている可能性はけっこう高くて、もしこのタイプだった場合、その原因を除去すれば見事に頭痛は消失する。
引き算で治るならそれがベストだ。
あえて何らかのサプリメントを投与する必要もないし、患者の財布にも優しい。

頭痛の分類法として、片頭痛、緊張性頭痛、群発頭痛といった分け方があるが、大して意味ないと思う。
どれに分類されたところで、治療としては鎮痛薬の投与のほぼ一択だから。
西洋医学って、こういうパターン多いんだよね。
CTとか大がかりな検査をして、症状をやたら細かく分類して、診断するものの、治療としては結局ステロイドしかない、とか。
貧相な治療法しかないくせに、診断名だけは妙に細分化されているというパターン。
こんなの患者の利益にまったくつながってなくて、医者の自己満足に過ぎないと思う。

栄養療法的にアプローチするならば、実はこれらの頭痛には、どれもマグネシウムが一撃必殺級に効くことが多い。
副作用の多い鎮痛薬を投与するぐらいなら、無害なマグネシウムが好ましいことは明らかだろう。
今現在頭痛を感じている患者なら、硫酸マグネシウムか、マグネシウムを含むマイヤーズカクテルを静注すると、てきめんに効果がある。
数年間、他に何をやっても治らなかったという頭痛患者が、マグネシウムの注射でようやく救われた、という話もある。

なぜマグネシウムが効くのか。
生理的なメカニズムも分かっている。
血管拍動性であれ筋緊張性であれ、マグネシウムによって血管平滑筋や筋肉が弛緩して、それで頭痛が治まるという、実に単純な話。
なぜ一般の医療現場でルーチンにならないのか、不思議だ。

個人的な実感だが、頭痛が主訴の患者を問診していて、頭痛の原因としてかなり多いのは、アスパルテームではないかと思う。

アスパルテームとは人工甘味料で、清涼飲料水やガム、アメなどの菓子類、薬などにしばしば含まれている。砂糖以外の甘味料で、カロリーゼロ、しかも砂糖の何倍も甘いという、お菓子業界にとっては非常にありがたい甘味料だ。
しかし、体への害は、実は砂糖よりはるかに大きい。
頭痛、癌、糖尿病、肥満、ひきつけ、失明、アルツハイマー病、パーキンソン病、多発性硬化症、ADHD、不妊症、精子奇形など、健康に悪影響を与えることは、科学的に明らかに示されていた。
新たに食品添加物が開発された場合、その許認可を行うのはFDA(アメリカ食品医薬品局)なわけだが、1980年まではアスパルテームの使用を認めていなかった。
健康への悪影響は明らかなのだから、当然の判断だ。
しかし、1981年レーガン大統領になり、FDAの長官が変更されるとすぐに、アスパルテームの使用が許可された。
アメリカの動きには何でも追随するのが日本だから、日本でもアスパルテームの使用はすぐに許可された。

「国が認めてる添加物なんだから、大丈夫だろう」という考えは、ちょっと無邪気すぎるよ。
国民の健康を考えるなら絶対認めちゃいけない添加物が、政権の交代と同時に認められた、という流れは知っておくべきだと思う。
悲しいことだけど、政府は人々の健康を第一には考えていないんだな。

実は僕自身、アスペルテーム入りの清涼飲料水やお菓子を食べると、2,3時間後に頭痛が出る。左の後頭部がズキズキと痛む。
その日の夜は、妙に神経が高ぶって眠れない。ラーメンとか、グルタミン酸ナトリウムを多く含んだ食品を食べても同じような症状が出る。
もし、僕がこの症状を訴えて一般の病院を受診したとすれば、「片頭痛ですね、お薬出しておきますね」で終わりだろう。
「アスパルテーム誘発性頭痛」あるいは「グルタミン酸ナトリウム誘発性頭痛」とでも名付けるべき頭痛であり、一般の医者も知っておくべきだと思うんだけどなぁ。

実験

2018.6.27

医学とか薬学の研究には、動物実験が欠かせないんだけど、ネズミなんかはすごく安い。
特殊な遺伝形質を持ったネズミ、っていう具合に条件を付けるとケタがひとつ増えるぐらい高くなるけど、まぁネズミは大体安い。
犬猫も安い。
でも、サルって高いんだ。一頭50万とか。
複数匹買って対照実験しようにも、これだけ高いと、よほど潤沢な経費のおりる研究機関でないと、ちょっと手出しできない。
「それなら、サルを自分たちで育ててしまえばいいじゃないか」という発想が出てくる。

1950年、ハーロウらは、実験に用いる野生の輸入マカクザルが高価であったことから、人工繁殖を試みた。
伝染病予防のため、完全衛生管理下にて仔ザルの単独飼育を行った。金属製ケージに単独で置かれた仔ザルは生後5日以内に全例死亡したが、布で覆った針金の人形(「代理母」)を入れるだけで生存率が大幅に上昇した。
また、仔ザルのケージに哺乳瓶のついた針金製の人形と、布で覆われた哺乳瓶のない人形を入れておくと、仔ザルはミルクを飲むとき以外のほとんどの時間を、布で覆われた人形にしがみついて過ごした。

そもそも、人間は(少なくとも男は)みんなマザコンで、母親のことが大好きなものだ。
「いやそんなことはない。俺はオカンのことなんか嫌いやで」なんて、いきった中学生みたいなこと言うのはやめて、堂々と認めましょうよ笑
なぜ人間は自分の母親に対して特別な感情を抱くのか?
初めて見た自分以外の生物に対する刷り込みのようなものだろうか。あるいは、すでに胎内で何らかの愛着形成が始まっているのだろうか。
これは19世紀以前から学者たちが取り組んできた問題だったが、フロイトの提出した「Cupboard theory(空腹の理論)」が定説となって、一応解決した形になっていた。
つまり、「児の母親への愛着は、食物に対する欲求の二次的なものである」という理論で、平たく言うと「この人は僕にミルクを飲ませてくれる人だ。だから、僕はこの人が好きだ」という話。

でも、このマカクザルの実験によれば、どうやらフロイトの理論は誤りのようだとわかる。
つまり、研究者は「哺乳のみならず、身体的接触およびその安心感こそが新生仔の生存に必要である。母への愛着形成は、ミルクをくれる人だから、ではなく、主に身体的接触自体によるものだ」と考えた。

さらに観察を続けた。
一度布製の代理母に愛着形成すると、仔ザルは代理母を安全基地secure baseとみなし、次第に周囲を散策するようになるが、不安になると駆け戻って、代理母に慰めを求める。
これは、人間の幼児に見られる分離・個体化の行動パターンと同じだった。
この仔ザルを、代理母から無理に引き離すとどうなるか。
その反応も、人間の分離不安と酷似していた。
まず、激しく抗議する。やがてその抗議が無効であることを知ると、絶望状態に陥り、引きこもる。そこで代理母に再開させると、激しくしがみつく。
研究者は、仔ザルと人間のあまりの相似に驚くのだった。
母を求める強い気持ちに感心し、人間だけが何も特別なのではない、という認識を新たにするのだった。

さらに実験を続ける。
代理母に細工をし、時に仔ザルを音や空気で脅かすようにする。つまり、仔ザルが代理母に抱き着くと、不快なサイレンが大音響で鳴るようにしたり、代理母から強い空気圧が出るようにする。
いわば、仔ザルに「虐待」を加えた格好である。
しかし仔ザルの愛着行動は弱まらない。むしろ、代理母にいっそう強くしがみつく。

親からひどい虐待を受けた子供のニュースをときどき見て、僕らは心を痛める。
「なぜ逃げなかったんだ。こんな人でなしの親になぜ頼ろうとするんだ。いっそ子供のほうから見限って捨ててしまえばよかったのに」などと思うんだけど、この仔ザルの実験が、その答えを示唆している。
子供は、親に愛情を求めるしかないんだ。
それがどんなにひどい親であったとしても。

さらに実験を続ける。
生まれた直後から半年間、仔ザルを完全に社会から隔離するとどうなるかを観察した。
仔ザルは指しゃぶり、貧乏ゆすりなど、常同行動を繰り返すようになり、社会に戻しても、遊びや性行動などの社会行動ができない。学習能力の発達が劣り、自傷行為も目立った。
また、そのような、いわば「ネグレクト」を受けて育った仔ザルがメスの場合、そのメスザルが妊娠、出産したとしても、自分の仔を拒絶し、育児ができなかった。

サルの購入資金を浮かせようという経済的動機をきっかけに始まった研究だったが、人間の子供がどのようにして母親に愛着形成していくか、あるいは愛着形成が不十分であった場合、後年どのような影響が見られるか、という人間の精神世界の理解に、マカクザルの研究は大きく寄与することになった。
しかし、、、
「サル相手とはいえ、ひどい実験をするものだね。研究者は胸が痛まないのか」と皆さん、思いませんでしたか。
もちろん、研究者も同じことを思っていました、
彼らも人間。母ザルから引き離されて泣き叫ぶ仔ザルを見て、大いに胸が痛んだ。
シャーレや試験管を使って細菌をいじくりまわす実験とはわけがちがうのだ。
こうした実験者側の心理的負担、それに加えて、近年の動物愛護についての社会的気運の高まりのため、現在では実験の実施自体が困難となった。

僕はかつて、精神科医をしていました。
精神科医は、人の話を聞くのが半分、薬を出すのが半分、といった仕事で、薬を出すのが苦手だった僕は病院にとって半人前の仕事しかしていない医者だったので、給料も半額にしたかったと思うんだけど笑、その分というか、患者の話は丁寧に聞いていました。
心の深いところまで話してくれた患者の中には、幼いころに親から受けた虐待を語ってくれる人も珍しくありませんでした。
親の虐待が、その子の人生に後々どれほど大きな影響を及ぼすか、患者の生の声を通じて、僕は知りました。
僕にできることは、その虐待がそのときの患者にどれほどつらかったことか、一緒に悔しがったり、一緒にもどかしく思ったりして、共有することだけでした。
体の傷は治っても、心の深いところで負った傷は、ずっとその人につきまとって、なかなか癒えることがないのかもしれません。

ただ、上記のサルの実験に関していうならば、実験にはさらに続きがあります。
親を含め社会から引き離されて、いわば「ネグレクト(養育放棄)」の状態で育ったサルは、常同行動や自傷行動が見られ、まともに社会生活できなくなる、と言いましたが、研究者は、こういうサルをどのようにして社会復帰させればよいか、という実験も行っています。
徐々に他のサルの存在に慣れさせていくことで、一年後には激しい自傷行動をしていたサルもある程度回復し、群れの中で生活できるようになった、とのことです。

人間で味わった失望は、やはり人間との交流で癒していくより他ないのだと思います。
精神科診療に携わってきた者として断言しますが、少なくとも精神科的投薬が真の救いを与えてくれることはあり得ません。
つらい人生で、こんな生きづらさを背負わせた親を恨みたくなる気持ちはわかる。
わかるだけに、気安く言いにくいんだけど、それでもあえて僕は言う。
人間に対する希望だけは失ってはいけない、と。

参考
Harlow, H.F. 1979. The human model: Primate perspectives. V.H. Winston & Sons, Washington D.C.

大人の階段

2018.6.26

ある程度親しくなった友人には、「自分がいつ大人になったと思う?」という質問をすることにしている。
大人、といっても、「初めて酒を飲んだとき」とか「初めて女を知ったとき」みたいな、即物的な意味での大人じゃなくて、もっと抽象的というか、もっと精神的な意味での大人ね。
各人各様の答えがあって、他のどんな質問よりもその人の人間性をあぶり出してくれるようで、おもしろい。
かれこれ、もう十年ほどこの質問を続けている。
だから僕の雑記ノートには、これまでの友人たちの「大人の瞬間」がたくさん記録されている。
印象に残った答えを紹介しよう。

「親元を離れてこうやって県外で生活してると、お母さんが何かと心配して電話をくれる。寒くなってきたけど元気にしてる?とか、今テスト勉強で大変だろうけど、大丈夫か、とかね。
私、小さい頃から体はそんなに丈夫じゃなかったから、親としては特に心配なのね。
お母さんが電話をくれたとき、たまに、本当に体調が悪いことがある。
でもそういうときに、私、本当のことは言わない。元気だよ、大丈夫だよって答える。
ほら、小さい子供って、親の気を引こうとして、大して痛くもないケガで大げさに泣いたりするでしょ。いつの間にかそういうことがなくなっていくのが、成長っていうことなのかもね。
そう、私が大人になったのは、親に心配をかけまいとして、初めてウソをついたとき」

なるほど、と思った。
親は、甘えさせてくれる存在ではあるけど、遠い県外に暮らすお母さんに本当のことを言ったところで、いたずらに心配させてしまうだけ。
甘えられる人に、あえて甘えない。
確かに大人だ。

「年の離れた兄貴に子供がいてさ、5歳の男の子なんだけど、すごくかわいいんだよ。
だから俺、この年齢でオジサンなんだぜ笑。俺も早くこんな子供が欲しいなって思う。
俺によくなついてくれて、一緒にレストランに食事に行ったりもする。俺は病気なんてしたことないくらいに健康だから、何を注文して何を食べてもいいんだけど、この甥っ子の食べるものには、俺、すごく気を使う。
変な農薬を使った野菜じゃないだろうか、とか、こんなの食ってアレルギー起こさないだろうか、とかさ、自分は普段ろくに食べ物に気を使わないくせに、この子が口に入れるものだと思うと、異常に神経質になってね。
で、この子がそれを食べて、にっこり笑顔浮かべて、「おいしい」って言うと、何ていうかな、俺、もう満腹な気持ちになるんだよ。
俺はもう食べなくてもいいや、ぐらいな気持ちに。いや、もちろん食べるんだけどね笑。
そう、俺が大人になったのは、誰かの「おいしい」が、自分の「おいしい」以上にうれしい、そういう気持ちがこの世に存在することを知ったとき」

これ、今のところ僕のなかでは、ベストアンサーだな。
でも、こういう感情は彼に限らず、世間のお父さんお母さん誰しもが持っているものじゃないかな。

うちで働いている看護師が、こんなことを言っていた。
「健康な子供に育ってほしい、病気になって苦しむことができるだけないように、と思って、私、子供にはワクチンを積極的に打たせていました。
定期接種だけじゃなくて、任意接種もすすんで受けさせていました。
『ワクチンは病気を未然に防いでくれるありがたいもの。国が認めている医療なんだから、いいものに違いない』って、思い込んでいたんです。
3歳のときに日本脳炎のワクチンを打ちました。
そしたら、ワクチンを打ったその日に全身に発疹が出て、しかもその日以後、牛乳とか牡蠣とか、いろんなものにアレルギーを起こすようになってしまって。。。
病院に連れて行きましたが、医者はワクチンが原因だと認めませんでした。
因果関係がどうのこうの、ってレベルの話じゃありません。1たす1は2、ぐらいに明らかな話なのに、病院は非を認めませんでした。
私が変わったのはその一件があってからのことです。
それまでは私、もっと無邪気に国のことを信用していました。
ワクチンとか薬とか、医療行為が原因で病気になる、っていう話は、看護師をしているわけですから、何となく話には聞いたことはありました。
でもそんなのはごく一部の例外であって、普通の人はそんなひどいことにはならないだろう、って、根拠もなく思っていました。
まさか、よかれと思って打ったワクチンで、他ならぬ我が子を傷つけてしまうなんて。
国の言うことを素直に聞いているだけでは、自分の子供を守れないのだと知りました。
以後、ネットでいろいろ情報を調べるようになって、今の医療がいかに矛盾に満ちたものか、ということを知りました。
ここのクリニックで働くようになったのも、そういう自分なりの苦い経験があって、院長の治療方針に共鳴したからです。
いつ大人になったかって?
私が大人だなんてとんでもない!
一度大きな失敗をしてしまったんです。もう二度と同じ失敗をしちゃいけない、この子を守るんだという思いで、今も勉強中の私です。
この子がもっと大きくなって、やがて成人したとき、ようやくそのときになって初めて、私も大人になったな、と言えるかもしれません」

子供の「おいしい」が自分の「おいしい」以上に喜ばしいのと同様に、子供の傷は自分の傷以上に痛い。
親になるということは、そういう気持ちを我が子に持つということであり、その気持ちを持っている限り、十分にいいお母さんやと思うよ。