ナカムラクリニック

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2019年9月20日

皇族の人権

2019.9.20

ユーチューブで、「天皇とかいう国営宗教は廃止すべき」という動画を見た。
ざっと要約すると、
「テレビや新聞などのマスメディアで『様』という敬称をつけて報道される天皇(あるいは皇室)という存在があることは、異常だ。
創価学会の池田大作をニュースで『池田様』と呼べば、誰でも異常だと感じるだろう。しかしメディアにすっかり洗脳されている我々は、天皇についてそれを異常に思うことはない。
創価学会にお布施をする人は同意のもとでやっているが、皇室には毎年200億円の予算が計上されている。
これは、天皇教とでもいうべき、国民全員参加型の国営宗教に他ならないのではないか。
そもそも、天皇はそんなにすごい人なのか?我々が伏して拝むべき偉大な存在なのか?
違う。そこらへんにいる普通のおじいちゃんだ。
我々は、天皇の行いや人間性に敬意を払っているわけではなく、単に天皇という称号にひれ伏しているだけだ。
スティーブ・ジョブズは偉大だ。彼がいなければ、マウス式のウィンドウズやタッチパネルのiPhoneも生まれなかった。しかしNHKで「ジョブズ様」と報道されるか。されるわけがない。特定の個人を『様』付けで呼称する異常さを、みんな認識しているからだ」

このあたりまでが前半。
割とよくある天皇批判で、特に新味はない。
どうでもいいことだけど、マウスの発明者はエンゲルバートで、タッチパネルの発明者は日本人。別にジョブズが作ったわけではない。ただ、ジョブズがいなければウィンドウズやiPhone が生まれなかったという指摘は、その通りだろうな。

後半の主張は、ちょっと新しいと思った。
「天皇制の本当の問題は、皇族という一部の人が不当な好待遇を受けている、ということではない。むしろ、その逆だ。
皇族の人にとって、人権はまるでないがしろにされている。
皇族に生まれれば、生まれてすぐに、マスコミから好奇の視線にさらされる。その行動や言動の一挙手一投足が報道され、プライバシーなんてあったものじゃない。
学校に入れば、高い確率でいじめられる。
普通の人のように、『夢』を語ることさえできない。『天皇になりたい』なんてこと、言えない。そもそも、皇族に主体性はいらない。国民の象徴なのだから、今後のあり方は政府の審議によって決められる。
たとえば、なりたい職業につくために頑張って努力する。そういう努力の場さえ、皇族には与えられていない。
伝統だから我慢しろ、っていうの?
伝統だから、国民の象徴だから、人権がなくても仕方ないじゃないか、って?
人権というのは、そういうものじゃないでしょう。生まれた瞬間から、万人に等しく与えられている。それが人権でしょ。
そのはずなのに、皇族という一部の人たちにだけは、人権が剥奪されている。
21世紀の現代にこんな野蛮が堂々と行われている状況が、一体看過されていいのか」

皇族の人権、という視点はおもしろいと思った。
一昔前の日本人なら、誰しも身分相応という美徳を持っていた。百姓の家に生まれたら自分も百姓で、百姓なりの生活をやっていく。大工に生まれたら大工だし、商人に生まれたら商人。みんな自分の分相応をわきまえていた。でも不幸かというと別にそうでもなくて、それなりに楽しく人生をやっていた。
それが、西洋の価値観が入ってきて、人権なんてものを与えられた。全員皆平等で、職業選択の自由なんてのも与えられた。
封建制の時代に生きていた人を、抑圧のもとで苦しむかわいそうな人だとすれば、西洋の価値観が浸透することは、「解放」ということになるだろう。
個々人に人権があって、世襲とかに縛られず、自分の好きなように生きていける、という価値観は、庶民だけのものではなくて、皇族にも等しく共有されるべきだ。
だから本来、皇族も「解放」されるべきなんだ。たとえば愛子様や悠仁様が、コンビニバイトしたりする自由も認められるべきなんだけど、そんなこと、絶対に許されない。

子供時代って、誰しも未熟なものだ。でも、未熟なりに世間に揉まれて、だんだん人間ができてくる。同級生とケンカしたり、誰かに恋したり失恋したり、勉強で優越感や劣等感を感じたり。心の中で嵐が吹き荒れるような少年時代、青年時代をくぐり抜けて、みんな大人になっていく。
そのはずなんだけど、皇族だけは、その様子を始終監視されている。マスコミが、SPが、その他多くの人々の好奇の視線が、皇族を見つめている。
もっとバカなことを言ったりやったりしたいだろうに、許されない。
未熟であるべき子供時代に、落ち着いた完成形を求められる。たまらんやろうな。
こんな気の毒なことってない。

この動画を作った人は、天皇という国営宗教は廃止すべき、と言っている。
個人的には、賛成しない。
動画前半の、「国民の税金でぜいたくな生活してる」とか「普通のおっさんのくせに、天皇っていう称号だけでチヤホヤされてる」とか、主張としては幼いな。
ただ、動画後半、皇族の人権というテーマは、とても重いと思う。

明治以降、天皇が東京に移って以降、庶民の天皇のイメージは大きく変わった。
政治が天皇の権威を利用して、現人神として変に奉ってしまった、という歴史的な事情もあるだろう。
もう一つ、東京と京都、土地柄の違いもあるんじゃないかな。
平成天皇が新幹線で京都駅に到着したとき、周囲の人だかりのなかから、「天皇さん、お帰り!」という声があがったという。
こんなエピソードは、東京では考えられない。
東京の人は、まず、陛下相手に呼びかけないし、ましてや「天皇さん」なんて、そんな呼びかけはあり得ない。頭の固い人は、「不敬だ!」なんて言いそうだ。
現在の皇居はもともと江戸城で、いわば要塞だった。一方、かつて天皇の住んでいた京都御所は、壁も低くて、庶民との距離感は近い。
敬して遠ざけるような冷たさがある東京と違って、さすが千年天皇のお膝元だった古都だけに、天皇、庶民、双方に近しさがあるようだ。
天皇が東京に移らずにずっと京都にいたなら、皇族を『様』付けで呼ぶような今の妙な習慣は生まれず、もっと庶民に親しみのある存在だったんじゃないかな。

https://m.youtube.com/watch?v=I7N4Asu5jzQ&ebc=ANyPxKqfY8C3Fj_0XrdxnjYRbqe1FchMfTT68WUCQYN5bBEuO0cqbKVJlGDg-Bsuz0bECTewZHI4BcTmIhkCGgMan1cHQQ8M0Q

サプリの副作用

2019.9.20

何らかの体調不良があって、その原因がビタミンやミネラルの不足であった場合、サプリメントがよく効く。
たとえば、飽食の時代とされる現代日本にも”隠れ脚気”や”隠れ壊血病”の人がいるもので、前者にビタミンB1を、後者にビタミンCを投与すれば、劇的に改善する。
患者は快癒を喜び、医者に大いに感謝する。
「ちゃんと食事をしているつもりだったが、意外に栄養不良があるものなんだな」と患者は認識を改める。
ここまではいい。
しかし、さらなる健康を求めて、サプリ信者になる人がいる。
風邪のときに薬を飲んで症状が治まって(実際には風邪は薬で治らないが)、「これはすばらしい薬だ」と感動して、それ以後毎日風邪薬を飲み続ける、なんて人はいない。
しかしサプリでは、そういうことがしばしば起こり得る。

ビタミンやミネラルの欠乏症状に対しては、サプリメントを使えばいい。ここに異議を唱える人はいないと思う。
しかし短期的に著効するサプリを、長期的に服用しても、何ら問題はないのだろうか。
長期的に飲み続けても、やはり体にいいのか。それとも、何らかのデメリットがあるのか。
実はこの点については、議論がある。

僕はホッファーの本を読んで栄養療法に目覚めた。
ホッファーの本に、このような記述がある。
「患者が言う。『先生のおかげで病気が治りました。しかし先生、私はいつまでサプリを飲み続けないといけませんか』
このような質問に対して、私はいつもこのように答えることにしている。『あなたが快適でいたい限り、ずっとです』と」
ホッファーは、ポーリングとともに栄養療法を創始した立役者の一人だ。
対症療法一辺倒の既存の医学界にとって、栄養療法の出現は脅威だった。製薬会社にとっては特許のとれないビタミンは、一円の得にもならない。それどころか、ビタミンなんぞで患者の病気が治ってしまっては、薬が売れなくなってしまう。
そこで製薬業界は栄養療法を潰すために、ありとあらゆることをやった。ネガディブキャンペーンもやれば、御用学者にビタミンの有害性を喧伝する捏造論文を書かせたりした。ロビー活動をして政治家に働きかけ、サプリを『薬』として扱うよう(つまり、一般の人が簡単に買えないよう)法律を改正しようとさえした。
ホッファーは、そういう弾圧と実際に戦ってきた人なんだ。サプリの効用(大量長期服用も含め)を全面的に擁護するのは当然だろう。
その心情は理解できる。

しかし、様々な研究が行われ、新しい知見が蓄積して進歩していくのが科学の世界だ。ときには従来の常識が覆るパラダイムシフトが起こることもある。栄養療法もその例外ではない。
「ある種のサプリメントの長期的服用は、むしろ健康にマイナスではないか」という研究がいくつかある。
こういう研究に対して、どこから研究資金が出ているのか、とひとまず疑う姿勢は重要だが、「製薬会社のネガディブキャンペーンに違いない」と決めつけるのも、公平な態度ではないと思う。

僕の臨床経験でも、「その体調不良はおそらくサプリメントの大量服用によるものではないか」と思われる症例を見たことがある。
この患者は知的レベルの高い人で、漫然とサプリを飲んでいるわけではなかった。「このサプリはこの論文で有効性が示されているから」と、自分できちんと考え納得した上で飲んでいるような人だった。
ただ、飲んでるサプリの種類と量がものすごく多かった。
飲んでいるサプリの一覧を見た。確かに、どのサプリも悪くない。一つ一つを見れば、各々の症状にきっと効くはずだ、と思う。しかしこれを全部飲むとなると、ちょっと、、、
どう助言したものかと、言葉に詰まってしまった。一つ一つは、全部合っている。でも全体としては、間違っている。
還元主義の罠だ。局所の事実の総和が、全体の真実とは限らない。

https://www.consumerreports.org/cro/2014/05/do-vitamin-supplements-work/index.htm
ここにあげられている例として、以下のようなものがある。
・50歳以上の男性において、ビタミンE、セレンの長期服用は前立腺癌の発症リスクを増加させる。
・マルチビタミンのサプリを長期に服用しても、癌や心血管系疾患の予防効果はなかった。また、加齢に伴う精神機能の低下を予防する作用もなかった。
・オメガ3系脂肪酸のサプリを長期に摂取しても、心血管系疾患(心筋梗塞、脳卒中など)の抑制にはならなかった。

「効果がない」だけならまだしも、逆に癌のリスクが上がるとか、本当ならショックだな。
僕のほうにも「抗酸化物質だから、体に悪いはずがない」という思い込みがあるから、ビタミンEにしてもセレンにしても、遠慮なく飲み続けていいよと患者に勧めてしまいそうだ。
こういう研究を見てしまうと、長期的な健康の維持にはやっぱり食品が無難だなと思う。
もっというと、短期的にすぐ改善させたい場合でも、食品で改善させるのが本来あるべき形なんだろうな。
食養生という言葉があるように、B1欠乏ならぬかとか胚芽を食べればいいし、C不足なら柑橘類を食べればいい。
食事の一工夫で改善するところ、サプリの服用を勧めるというのは、一見近道のようでいて遠回りなのかもしれない。