ナカムラクリニック

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2019年1月8日

長寿

2019.1.8

去年(といっても、2週間ほど前のことだけど)、アメリカで最高齢の男性が亡くなった。
リチャード・オーバトンという112歳の退役軍人。
この人が109歳のときに、以下のようなショートフィルムが作られた。

ここで述べられている彼の食生活、ライフスタイルが興味深い。
タバコは吸うし、毎朝のコーヒーは欠かさない。コーヒーは多いときには朝だけで4杯も飲む。ときには朝からウィスキーさえ飲む。
牛乳が好きで、「生まれてからずっと飲んでいる」という。
スープが好きだというんだけど、映像を見れば明らかなように、キャンベル社のスープで、添加物がてんこ盛りの缶詰。
さらに、毎晩アイスクリーム(バター・ピーカン)まで食べる。
日々健康に気を使って、食べたいものも我慢している人からすれば、卒倒するような食生活だろう。
食事と長寿の関係を調べる学者の努力を、あざ笑うかのような実例だ。

ただ、1日12本のタバコを吸っているとはいっても、映像を見れば分かる通り、一般的な紙巻きタバコではなく葉巻(シガー)を吸っている。
それに、「吸っている」とはいっても、肺まで入れているのではなく、ふかしているだけだ。
「なぜ吸うの?って聞かれるけど、気分がよくなるからだ。
でも、ふかしているだけだよ。肺まで入れたってまずいし、咳きこんじゃうからね」

「タバコは体に悪い」ということは、世間一般の常識になっているけど、これはちょっと不正確だと思う。
正しくは、「タバコに含まれている添加物が体に悪い」というべきだろう。
かつてネイティブアメリカンにとって、タバコは薬であり、また、儀式に不可欠なハーブだった。
タバコの葉を煮詰めた汁を飲む部族さえ存在した。https://www.nicotianarustica.org/blog/2015/9/8/magico-religious-use-of-tobacco-among-south-american-indians
幼児がタバコを誤嚥したとなれば一大事で、吐かせたり中和したり、救急対応が必要なんだけど、実は危険なのはタバコというより、タバコに含まれている添加物なんだ。
だから、この人が吸っているのが大量の化学物質が添加されている紙巻きタバコだったなら、果たして112歳の長寿を保ち得たか、けっこう微妙だと思う。
吸っていたのがシガーだということがポイントじゃないかな。あと、ふかしてるだけで、肺まではいれないっていうのも。

動画で直接的な言及はないけど、きっとこの人、少食だろう。
大食らいで長生きの人はいない。食事量の制限によって寿命が伸びるということは、動物実験でも示されている。
人は高齢になるにつれ、解糖系よりもミトコンドリア系が優位になる。つまり、エネルギー産生の能率が高まるから、少ない食事量でやっていけるようになる。
こういう老化の自然な流れに反して暴飲暴食するような生活だと、長生きなんてできない。
アイスクリームとか添加物満載のスープとかを毎日食べているとしても、少量であれば、肝臓がきちんとデトックスしてくれて、悪影響は少ない、ということだろう。

あと、他の百歳越えの長寿者と共通してることだけど、この人もしっかり、毎日の生活を楽しんでいた。
運転することを楽しんでいるし、猫を見ることを楽しんでいる。
アイスクリームを遠慮なく楽しんでいるし、教会で人と交流したり歌ったりすることを楽しんでいる。
ただ、人生を楽しむこと。
これに勝る健康長寿の秘訣はないのかもしれないな。

ピアノ

2019.1.8

「幼稚園のときからピアノを習い始めて、高校2年生まで続けた。
それも単なるお稽古ごとっていうレベルではなくてね。私の青春のすべてのエネルギーを捧げるぐらい、熱心に。
毎日学校から帰ればすぐに練習するのは当然の日課で、5時間はひいてたかな。
定期的にコンクールに出て、ライバルたちと切磋琢磨してた。
誰よりも上手にひきたいって、いつも思ってた。母も協力的で、私がうまくなるためになら、出費は惜しまなかった。
小学校2年生のときに、世界的なピアニストが来日した。
その人、浅田真央ちゃんのすべる協奏曲のピアノ演奏を担当しているぐらいすごい人なんだけど、その人のレッスンを受ける機会があった。
東京のとあるホテルの一室で、通訳の人を介しての1時間の個人レッスン。ちょっと驚くぐらいの授業料だったけど、お母さん、受けさせてくれた。
ベートーベンの『エリーゼのために』を事前にみっちり練習して、それを先生の前で披露した。
もう、ダメ出しの連続。
運指法からしてなっていない、いや、そもそもピアノを通じて表現するとはどういうことか、ということから始まって、1時間のレッスンのほとんどは、そういう根本的なところの指導だった。
曲の譜面で具体的な指導があったのは、最初の5小節だけっていう笑
でもすごく勉強になったし、刺激になった。ますますピアノの練習にのめりこんだ。

それだけ練習してもね、私よりうまい人ってたくさんいるの。
コンサートに出ても、優勝はできない。
コンサートには複数の審査員がいて、彼らがどういうふうに演奏を聴いたのか、あとで評価をくれるんだけど、よく言われたのが、
『表現力はすばらしい。ただ、ミスタッチの多さなど、技術的にはまだまだ進歩の余地がある』みたいな言葉。
練習量なら誰にも負けない自信がある。それでも、技術面でまだまだ未熟だっていう。
正直、伸び悩んでた。
才能ないのかな、もうピアノやめようかな、って。
高校1年生のときに決心した。東京にある音大の先生について、週に1回、レッスンを受けよう。
それで1年、必死に頑張って、それでも芽が出ないようなら、もう音楽の道はあきらめよう、って。
1年間、仙台から新幹線で先生のもとへ通い続けた。家でも当然、ずっと練習していた。
そして最後のレッスンのとき、先生から言われた。
『プロになることだけが人生じゃない。君は音楽を通じて多くのことを学んだ。それは今度の人生を生きていく上で、すばらしい財産になるだろう』
遠回しな表現だけど、要するに、プロは無理だっていうこと。
ショックだったかって?
うーん、ショックというほどでもないのかな。
たくさんのコンサートに出ていれば、自分の力量がどの程度なのか、だいたい分かる。
才能のある人ってね、本当にすごいんだよ。ああ、かなわないな、優勝はこの人だろうな、って、審査員の結果発表を聞かなくてもわかる。
そういう人を見てきたから、努力だけでは超えられない、才能の壁があるということは、もうわかってた。
すごい人は壁の向こう側にいて、私はこちら側。練習だけでは超えられないんだろうなって。
1年間、音大の先生について徹底的に頑張ったのは、自分の才能に見切りをつけるため。
これだけ頑張ったのにダメだったんだ、もういいじゃない、ってあきらめるための1年だったから、先生に言われたときにも、ああやっぱり、という感じ。
私がピアノをやめるといったら、お母さんのほうが戸惑ってた。
『東京芸大が無理でも、せめて別の音大に行ったらいいじゃない。東京学芸の音楽科とか、他にもいろいろあるじゃないの』って、引き留めてくれたけど、私としてはもういいかな、って。
私の今の仕事?
普通にOLしてる笑
もうピアノはいいや、って思ってたんだけど、あるとき、ふと、ピアノがすごくひきたくなって。
給料ためて、電子ピアノを買った。
今の電子ピアノってすごいんだよ。一昔前の電子ピアノって、鍵盤を強く叩いても弱く叩いても強弱をつけられなかったんだけど、今のは強弱がつけられる。
音質もよくて、グランドピアノと遜色ないぐらい。
仕事から帰ってきてからとか休日とか、イヤホンつけて一人でひいて、楽しんでる。今はね、そういうふうにピアノをひくのが純粋に楽しい。
腕前はもちろん落ちたよ。『月光』の第3楽章とか、ああいう難度の高い曲は、指が動かなくて、もうひけなくなっちゃった。でもね、それでいいの」


きのう飲み屋でたまたま隣り合った姉ちゃんから聞いた話。
世の中には、すごい人がそのへんに転がっているものだね。
努力の上になお努力を重ねて、それでも超えられなかった才能の壁。
こういう壁の存在を知り、挫折を経験しても、人間は意外にあっさりとあきらめることができるんだな。
「これだけ頑張ってダメだったんだから、もういい」
そういう心境って、ほとんど「悟り」に近い感覚で、人生の中でなかなか経験できるものじゃないと思うよ。