ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2018年

ライブ

2018.9.16

きのうは姉とごうちゃんと一緒に、エグザイルのライブを見に行って来た。
別にエグザイルのファンというわけでもないんだけど^^;

すごくいい席だった。アリーナ席で、通路側。
手を伸ばせば、エグザイルに触れられる、とまではいかないけど、掛け声をかければ確実に届く距離。
ライブ前日にはこのライブのチケット、ネットのオークションで12万円とか、あり得ない金額がついててビビったなぁ。
ファンはこれだけのお金を出しても見たい、ってことだよね。
全然ファンでもない僕がこんなにいい席に座って、何か申し訳ない感じがしたよ^^;

僕の座っている席から会場を見上げると、5階席あたりなんて米粒のように見える。
逆に、5階席の人から見れば、舞台の上のエグザイルも米粒のようにしか見えない、ということだろう。
野球やサッカーをスタジアムで見た経験のある人ならわかると思うけど、客席からの観戦って、俯瞰で見るにはいいけど、選手の表情とか得点の経緯とかよく分からなくて、テレビこそが正直一番のアリーナ席だよね。
こういうライブでも同じだと思う。
でも、ファンはあえて高い金を払って、ライブに来る。あとでDVDで見るほうがよっぽど質の高い映像楽しめるのに、ファンは会場までわざわざ足を運ぶ。
なぜか。
場の空気を共有したい、ということなんだろうね。
たとえ米粒ほどのサイズにしか見えなくても、目の前で、ATSUSHIが、TAKAHIROが歌っていて、その声が自分の耳に届いている。憧れのエグザイルと、今、同じ時間を共有している。これこそがライブの魅力なんだと思う。

会場はものすごい人だかりだった。
すでに開演の2時間ぐらい前から、京セラドーム前駅からドームまで行列ができているような状態で、お祭り騒ぎだった。
何と、4万8千人がこのライブを見に集まったという。
しかもほとんどが女性客。男の客はいないことはないけど、チラホラいるぐらい。

ライブ中、女性客たちが熱狂的に旗を振ったり叫び声をあげているなかで、僕は冷静に舞台を見つめているものだから、周囲からちょっと浮いてたと思う。
別に気持ちが冷めているわけじゃない。体揺らしたり掛け声かけたりはしないけど、統率のとれたダンスの見事さに感心したり、歌に耳をすませたり。じっと静かに楽しむのが僕なりの楽しみ方なんだ。
でもアリーナ席の通路側という、演者からもよく見える席で、こういう男性客は、演者にとっても異質に見えるようで、僕の前で踊るメンディーとやたら目があったな笑。『ki.mi.ni.mu.chu』って曲のサビにあわせて指差されるもんやから、俺に夢中なんか思った笑

バラードのような静かな曲は楽しめた。でもダンス調の激しい曲は、すぐ目の前に音響装置があってそこから爆音が出ているものだから、ほとんど「耳への暴力」といった感じで、あんまり楽しめなかった。音がデカすぎて割れてるし。
舞台を照らす光やレーザーの演出は見事だったし、舞台の上方にある液晶画面に映る映像もすごい迫力だった。
ただ、アリーナ席のデメリットか、デカすぎる音だけはきつかった。
一応医者のブログだから医学的なことに触れておくと、こういう音に毎日被曝していると(そう、「被曝」って表現が適切なレベル)、難聴になるよ。
自衛隊での射撃訓練が原因で音響外傷を呈したっていう症例報告。(https://www.jstage.jst.go.jp/article/audiology1968/38/1/38_1_54/_pdf)

目の前を、エグザイルというスーパースター達が普通に行き交って、踊ったり歌ったりしているのを見るのは、妙な気分だった。
目の前にTAKAHIROがいる。確かに男前なんだけど、街ですれ違ってもその人と知らなければ、何も感じないだろう。
でも同時に、彼の映像が舞台中央上方の液晶画面にも映っているんだけど、それを見ると確かにスターって感じがする。
肉眼で見た姿は特にオーラも感じない普通の人で、画像越しに見ると芸能人のオーラを確かに放っているような感じがする。
この感覚がすごく不思議だった。
職業的に人間の体を物質的なものとして見ることに慣れすぎてしまって、生身の体に物語とかスター性とかを見出すことができなくなったのかな。
むしろ物語はテレビや画像のなかにこそあって、物理的な肉体にはドラマなんてないんだ、という考え方になじみすぎてしまったのかな。

ライブ終盤、ドーム上空から、キラキラ光る無数のテープが降ってきた。皆、そのテープを奪い合った。何であんなもん取り合うのかな、と思ったけど、横にいた姉もそのテープの奪い合いに参戦している。なんでそんなの拾ってるの?
「売れるねん、これ。ネットオークションで」

もうね、なんだかいろんな意味でもういいかなと思った^^;
ライブはお腹いっぱい。
多分、僕にはこういうライブは性に合っていなくて、家で静かに鑑賞するほうが好きなんだと気付かされました笑

技術

2018.9.12

プラスチックは石油からできるが、廃プラスチックのほとんどは焼却処分されている。
これをもう一度石油に戻すことができれば、どうなるか。
ゴミの山は「宝の山」となり、ゴミ処理問題の過半は解決されることだろう。
この夢のような技術を開発したのが、倉田大嗣氏である。

氏の『水を燃やす技術』を読了した。
著者は生前、マスコミや学会からひどいバッシングを受けた。
しかし彼の著書を読めば、彼が大衆をだます詐欺師だったのか、世間に不当に冷遇された科学者だったのか、どちらが本当なのかはおのずと分かる。

早熟の天才だった。
17歳のときにアインシュタインの相対性理論にはスピンの概念が欠けていることに気付いた。アメリカの大学で学び、「一般共変な統一場理論」の構築に成功した。
理論構築のみならず、非線形電磁気学と統一場理論を駆使した工学的技術の開発に成功し、一部はプラント技術にまで高めた。
島根県安来市では「倉田式油化装置」が採用され、プラスチックのリサイクルが実際に行われていた。
関西アーバン銀行は倉田氏の技術の将来性に着目し、神戸市東灘区にプラントを建設する資金として20億円の投資をした。

行政を動かしたり、銀行から多額の資金を調達したり、ということが、一介の詐欺師にできることなのだろうか。
本当に詐欺師だったら、それはそれですごい才能だと思う笑
ともかく、マスコミはあることないことでっちあげて、彼を攻撃した。
彼の死後には、彼の残した会社「日本量子波動科学研究所」は裁判を起こされて、多額の賠償を命じられた。(http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/719/082719_hanrei.pdf)
裁判記録によると、プラスチックの油化技術の特許はすでに外国企業(スペイン)に譲渡されているらしい。

「科学技術を生かすことで、戦争の危機、飢餓の恐怖のない、安全で平和な世界を作りたい。
そして、資源がないと信じられている日本が、実はエネルギー大国であることを証明したい」
熱い思いと冷静な理性、この二つを持ち合わせた稀有な天才を、マスコミは見事に葬ったわけ。彼の開発した技術も含めて、ね。

マスコミの背後にあるものは?
当然、オイルメジャーだろう。
彼らからすれば、こんな技術が普及することは断じて容認できない。
廃プラスチックがまた石油に生まれ変わってしまっては、石油の需要が減ってしまう。
「大量生産、大量消費」こそが彼らの利益の根幹だから、ここに抵触する技術は、彼ら、決して看過しない。
こうして無数の技術が潰されてきた。

スタンリー・マイヤー氏は水で走る車の開発に成功した。100リットルの水でアメリカの西海岸から東海岸まで走破したのだ。
彼は、水からエネルギーを生み出す装置の特許をとった。
「この装置を既存の車に乗せて改造すれば、ガソリンなしで車が走るようになる。しかもその改造費は、わずか1500ドルだ」とのことで、彼の地元オハイオでは大きなニュースになった。
全米のニュースでも報道され、20世紀のニコラ・テスラだと称賛された。
こんな技術が普及すれば、オイルメジャーにとっては一大事である。
1998年、スタンリー・マイヤー氏は不審な死を遂げた。氏の実験室からはデータや車が何者かによって全て奪われていた。警察は彼の死を『自殺』と断定した。

日本では、鹿児島のベンチャー企業が発明した水で走る車がNHKのニュースでも放送されたが、その後ぱったりと消息がなくなり、NHKの映像も動画サイトから消えた。
その後、同じような装置で、大阪のGenepaxという企業がマスコミをあつめて、水で走る車の公開実験をして世界中に公開した。
この会社は自社の技術を特許出願するなど、開発に尽力したが、なぜかその後、潰れた。
会社のホームページには「私たちの力が及ばず、世に出すことができませんでした」と謝罪が掲載されたが、今はそのホームページ自体、閉鎖された。

人々の幸福に真に貢献し、世界を本当に良くする技術は、消されてしまう。
ウソのような本当の話。
怖い。
世界をより良くしたい熱意も、僕らを裏で支配する闇の力の手にかかれば、あっというまに潰されてしまうんだから。
どんな怪談よりも怖い。
本当に怖いのは、やっぱり人間だ。

個人的な話。
3・11みたいなことがあったんだから、僕はこの国から原発がなくなると思っていた。
あれだけの大事故を経験したんだから、「こんな地震大国で、原子力発電所なんてとても無理だ」となるのは必然だろう、と。
ところが、国は原発をやめようとしない。何としても再稼働しようとしている(そして現在、9基の原発が稼働している)。
狂っている。
もはやつける薬がない。
もうこんな国、知らねえよ。
黙って、さっさと、日本を出よう。真剣にそう思っていた。
いろいろとネットで調べた末、どうしてもこの国を出られないと悟ったとき、腹を据えて、この国に住み続けようと決意した。
そして同時に、この国で医者を続けるからには、開業して自分の居を構えよう、そして自分のやりたい医療をしよう、とも。

日本量子波動科学研究所、とネットで検索すると、会社の情報が出てくる。
記載のメールアドレスにメールを送ったが、届かない。
思い切って電話してみたところ、「おかけになった番号は現在使われておりません」。
住所は分かっている。神戸市東灘。遠くはない。よし、直接出向いてみよう。
会社から最寄りの阪神電車深江駅で降りて、そこからはネットの地図を見ながら、徒歩で向かった。
着いてみると、看板の名前が違う。
受付の女性、「日本量子波動科学研究所?存じ上げません」
ほら、この住所、見てください、とiPhoneの画面を見せる。
「確かにこの住所ですね。少々お待ちください」と席をはずし、しばらくして戻ってきて、
「当社は4年前からここに入っていますが、その以前にあった会社ですね。現在は倒産したようです」

東灘にあるプラントを見ようと思って来たのだった。倉田氏の熱い思いの遺産を拝むことができれば、と。
しかしもはや、会社自体が潰れていたのだった。
願いは叶わず、徒労のまま帰ることとなった。

マスコミで報じられない巨大な裏の力がある。
倉田氏の志を継ぐこの会社を潰したのも、そうした力だろう。
原発をやめることができないのも、政治家が無能だからというよりは、同様の力が背後で動いているからだろう。
医療の分野でも同様で、本当に人々を癒す技術は、一部勢力により闇に葬られている。
僕はそれに反抗しよう。
スタンダードな医療からは見向きもされない栄養療法を使って、病める人に真の治癒を提供しよう。
それが僕なりの戦いです。すごくささやかなものだけどね^^;

明治天皇

2018.9.4

東京駅で降りて丸の内中央口を出ると、体の正面は西側を向いているはずだ。
前方には空がひらけていて、その空のあまりの広さにはっと息をのむ。
ビルの乱立する東京の景色のなかで、行幸通りから皇居を臨むこの風景は稀有のものだ。
行幸通りは、通りというよりは広場といった印象である。この通りをまっすぐ行けば、その突き当りが皇居である。
馬車が通ることを想定して作られたこの通りに立てば、左手には丸ビルが、右手には新丸ビルがそびえたち、広大な空の左右両側に額縁を与えているようだ。

大阪の街を見知っていればある種の免疫がついて、東京のビル群を見てもさして驚かない。
しかし皇居方面を望むこの景色には、ビルの質量などという物質的なものではない、圧倒的な何かを感じる。
これが、帝都の威容ということかもしれない。

そう。東京駅は明治大帝のために作られた、いわば「天皇の駅」である。
明治29年帝国議会で、新橋駅と上野駅を結ぶ中央停車場を建設することが可決された。日清、日露戦争のため着工が遅れたものの、戦後の明治41年には建設工事が本格化した。
開業は大正3年。中央停車場は宮城の正面に設けられ、「東京駅」と命名された。

中央停車場の構造設計は、当初、ドイツ人技師フランツ・バルツァーが担当した。
バルツァーは日本建築に造詣が深く、日本の伝統的な建築様式に基づいた設計図を提案したが、採用されなかった。
日清、日露戦争に勝ち、欧米列強に追いつけ追い越せ、という気運の時代である。城の天守閣を思わせるような和風建築を、人々は喜ばず、列強に比して恥じない洋風建築を人々は求めたのである。
バルツァーに代わって設計を担当した辰野金吾は、バルツァーの試案を「赤毛の島田髷」と酷評した。
しかし、皇室用の玄関を中央に据えた点については「国威にとって欠くべからざる名案」と絶賛した。また、南側に乗車口、北側に降車口、を設けるアイデアについてもバルツァー案を継承し、丸の内本屋の設計を完成させた。
海外でも王室専用の乗降口を中央に設けた例はなく、こうして東京駅は「天皇の駅」として独自の地位を得ることになった。

いつだったか、ある日の裏山部。
「あのさ、あつしってさ、誰かに似てるなーって、思ってたんだけど、あるときね、ハタと思い当たったんだよ。
明治天皇だよ!あつしは、明治天皇に似てる」
うわ何それ、微妙な気分やわー笑
「ほら、この写真、見てみなよ。似てると思わない?」

うーん、まずね、これ、写真じゃないから。キヨソネの描いた肖像画を白黒写真で撮影したもので、写真というか絵だから。
「いや、でも絶対似てるって」
そうかなぁ。自分ではわからへんわ。

っていうようなくだりがあって、以後、裏山部では、僕を茶化すときには「さすが明治天皇だね」といじるのが定着しました笑
三日前に同級生たちがサプライズで僕のクリニックに来てくれたときにも、彼らの一人が開業祝としてくれたプレゼントは、なんと、明治天皇と皇后の肖像だった笑

クリニックにありがたく飾らせてもらうことにしたけど、、、
こんなの飾ってたら、すげぇ右の人なんじゃないかって勘違いされそうだなぁ笑

肥満

2018.9.3

肥満に対しては、アプローチはいろいろあるんだけども、まずは糖質制限を勧めたいところ。
でも「甘いもの、ダメですよ」といったところで、はいそうですかわかりました、とはならない。
わかっているけどやめられない、というのが糖質の恐ろしいところなんだ。

糖質依存の克服にはいくつかアプローチがある。
甘いものは脳のドーパミンの分泌を促し、強い快感をもたらす。ここが糖質のやめにくさの核心だから、ナイアシンというゆるやかなドパミン刺激作用のあるビタミンを摂取するのは一つの手。
あるいは、腸内のカンジダがある種の神経因子を分泌しそれが迷走神経経由で脳に届いて、結果、宿主の糖質摂取行動を促進するという機序に注目するならば、腸内環境の改善に取り組むのもひとつ。
糖質にはまっている人は総じて、エネルギー代謝が解糖系優位になっていて、ミトコンドリア内で行われている電子伝達系があまり機能していないことに注目するなら、ミトコンドリアを活性化させるビタミン、ミネラルの補給も有効な手立てだ。

肥満の人は、血中のビタミンD濃度が低く、副甲状腺ホルモンの濃度が高い傾向がある。(https://academic.oup.com/ajcn/article/72/3/690/4729361)
ビタミンD濃度の低いことが肥満の結果なのか原因なのか、はっきりしないが、適度な日光浴を兼ねた散歩やビタミンDの摂取は何らかの助けになるだろう。

ロディオラの効用については以前のブログに書いたことがあるが、肥満にも有効だ。
(https://www.omicsonline.org/open-access/rhodiola-rosea-from-the-adaptogenic-role-to-the-antiadipogenic-effect-2161-1017.1000e123.pdf)
抗脂質生成作用、つまり脂肪細胞ができにくくなる作用があって、結果、肥満を抑制する、というメカニズムのようだ。

しかし、そもそも論だけど、肥満の人がみんながみんなやせるべき、ということはない。
BMI(体格指数)という、やせか肥満かを識別する目安がある。体重(kg)を身長(m)で2回割って、その値が25以上なら肥満、ということになっているけど、本当、ただの目安にすぎない。
常識的にわかると思うけど、BMIが25以上であっても、相撲取りみたいに筋肉メインで体脂肪率の低い体格もあれば、甲状腺機能低下症なんかで脂肪というか水分がたまっているような太り方もある。
ただ、「甘いものをドカ食いしてて運動もろくにしない」人のBMI25以上は、遠慮なく食事制限に取り組んでください。

「やせたいんです。こんな醜い体じゃ外を出歩くこともできません」
という若年女性。BMIを計算すれば、22。何の問題もない数字だよ。
「いえ、そんなの関係ありません。とにかく体重を落としたいんです。周りの人にデブって言われています」
全然そんなことないと思うけど。その程度でデブというのは、本当にデブの人に失礼じゃないかな。
「やせ薬、ありませんか。ネットで調べてきたんですけど、マジンドールって置いてませんか」
醜形恐怖、ボディイメージのゆがみ、というのは、体よりは心の問題だろう。
ここで患者の要望通り、安易に食欲を抑制する対処をしては、患者のためにならない。
まず、話を聞く。
職場や学校での人間関係のストレス、親子関係のトラウマなど、内面的に何らかの問題が出てくることが多い。
幼少期、思春期、青年期など、人生の各ステージでこなすべき課題があって、その課題を先送りのまま次のステージに進んでしまうと、思わぬ形で足をすくわれることがあって、摂食障害もその現れの一つだ、という説がある。
だとすれば、摂食障害の根本的治療というのは、なかなかタフな作業だ。
医療者は患者の内面深くに降りて行って、問題点を見つけ、その解決策を見つけないといけない。
それが親からの虐待など、容易に癒しがたい傷であったら?
一医療者が解決するにはあまりにも大きい問題で、無力感のなかで途方に暮れることも多い。
しかし栄養療法的には、打つ手がないわけではない。ナイアシンだ。
アメリカでは戦場でのストレスに起因するPTSDに悩む退役軍人が多いが、そうした症例にはナイアシンが著効する、というのがホッファーの主張である。
いわゆる「心の傷」、カウンセリングなどを通じた本人の意識改革によってしか治らないとされている症状が、単純なビタミンの投与で治るというのはにわかには信じがたいことだが、多くの戦争帰還兵がナイアシンによって救われたのは事実である。
おまじない以上の効果は発揮するはずで、一度試してみる価値はある。

裏山部

2018.9.2

一か月ぐらい前に、クリニックに電話があって、たまたま僕が電話に出た。「○○だけど、元気?」
誰だろう。相手は僕を認識しているが、僕は相手を認識できない。
「はい、元気です」ととりあえず答えながら、頭の中フル回転して過去の記憶を検索するが、わからない。「ええと、どちらさんでしたっけ?」
「俺だよ、あつし。シンダイの同級生の○○だよ」
と言われて、ようやくピンときた。
そう、神戸にいるとシンダイは神大だけど、僕は信大の出身なのだ。
「開業したんだね。どうしてるかと思ってさ」
彼、几帳面な男で、毎年年賀状をくれる。
開業を考えていることは、職場の同僚含め身近な誰にも言わなかったんだけど、遠い長野県に住むかつての同級生になら、と思って、年賀状の返信にその旨を打ち明けていた。
「9月1日の土曜日にさ、神戸に行くんだけど、会わない?」
「神戸来るって、学会でもあるの?」
「そう、そんなところ」
そういうわけで、きのうの夜は旧友のために予定をあけておいたのだった。

約束の時間に僕のクリニックに来た。
しかし驚かされたのは、来たのは彼一人ではなかったことだ。同級生三人も一緒に来ていた。
ただの同級生ではない。大学時代に仲が良くて、よく一緒に飲んでいた仲間たちだった。
「久しぶりの裏山部を神戸でしようと思ってさ」

そう、僕らの飲み会には「裏山部」という名前があった。
僕も含め皆、山岳部所属で、山岳部の正規の飲み会ではなくて、その「裏」の、ひっそりと親密な飲み会の場ということで、「裏山部」と呼び習わしていた。
恋愛の話、勉強の話、級友のうわさ話など、教室ではおおっぴらにしゃべれないようなことを、酒飲みながら夜通し語り合う。
テスト期間が終わった頃などに、「今週末あたり、裏山でもする?」と誰かが言い出すと、皆、わらわらと友人宅に集まってくる。
それが僕らの「裏山部」で、僕は肝心の山岳部の活動よりもこちらの方にはるかに熱心だった笑

神戸の繁華街を歩きながら、洋食屋で神戸牛を食べながら、酒場で杯を傾けながら、それぞれの近況を語り合った。
医者としてのキャリアを積み上げつつ、結婚して子供ができて家を買って、という具合に人生のステージを進めている人。
臨床よりは研究メインで、生身の患者よりはもっぱらネズミと対面する毎日を過ごしているという人。
仕事に打ち込みながらも、土日はちゃんと休んで自分の時間を大切にする人。
結婚しても、恋する気持ちを忘れず、「フットサル」にいそしむ人笑
みんな自分なりのフィールドがあって、そこで戦っていた。
同じ出発点からスタートして、同じ「裏山」の空気を吸っていた同級生たちが、それぞれに違う人生を歩んでいた。
「で、あつしはどうなの?」

そう、みんな僕のことを気にして、東京や長野から来てくれたんだ。
「こんなに早く開業した人なんて周りでいないからさ、みんな院長ブログ読んでるよ笑」
「栄養療法ってどういうの?」
「恋愛事情とか、そのへんはどうなの?」
確かに、僕にも自分の人生のフィールドがあるわけだけど、誇って語る何かがあるわけでもない。
好奇心持ってくれても、それに報いるだけの大した答えなんてないんだけどね。
いろいろと近況をお伝えした。

ありがたかったのは、僕のしている医療のスタイルに対して、感情的な反発がなかったことだ。
みな、当然普通の医者なわけだから、従来通りの医療をしている。
「従来通りの医療」VS「代替療法」みたいな構図でいうならば、僕は彼らとは違う陣営に属している格好なんだけど、彼ら、そこをとがめるようなことはしなかった。
むしろ「MSの治療にビタミンDとかさ、それは昔から言われていることだよ」
「ビタミンB12がある種の神経疾患に有効なんじゃないかっていう研究は説得力あると思うよ」
「あっちゃん、ビタミンCの抗癌作用のことブログに書いてて、そこに貼ってあった引用文献も読んだけど、あれはエビデンスとして微妙じゃないかな。
ただ、抗認知症薬は有効性がないっていうのはその通りだと思う。僕の患者で飲んでいる人がいたら、副作用の有無をあえて聞いて、やめさせる方向に持って行くようにしてるよ」
といった感じで、僕に同調してくれるような雰囲気さえあった。

分かる人にだけ、分かればいい。
基本的にはそういうつもりでブログを書いているんだけども、今僕の目の前にいるみんなは、知識も読解力もはるかに僕以上で、そして僕の性格まで知っている。
こんな読者はまったくの想定外だった笑
人間、分かられすぎると、どうなるか知っていますか?
照れて、妙に気恥ずかしくて、大きな声で笑うんですよ笑
昨夜の僕の口からは、そういう笑い声が絶えなかった。

彼ら、僕のクリニックの近くにホテルの一室を予約していて、何と僕の分まで予約していた。
一室にみんなで集まって、そこで酒飲みながら、飲み疲れて寝るまで語り合う。
若さとバカさがなくてはできないそんな「裏山部」の部活動に従事したせいで、今日は久しぶりの二日酔いです笑
同級生諸君、楽しい時間をありがとうね★