ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2018年

訳者あとがき

2018.11.1

ホッファー晩年(2005年)のインタビュー。
インタビュワーとこんな会話があった。

「1957年に先生はこう言われていました。40年後、1997年頃にはオーソモレキュラー療法は広く受け入れられているだろう、と。
今の状況をどのようにご覧になっていますか」
「ふむ、私が間違っていたね。(Well, I was wrong.)」

ナイアシン、アスコルビン酸をはじめとするビタミンが各種疾患にいかに有効であるか、それを実感しているホッファーである。
こんなにすばらしい治療法が広がらないはずがない。
半分毒みたいな薬を製薬会社がどれだけ宣伝したところで、最終的に選ばれるのは、本物に決まっている。
患者はバカじゃない。自分の体で以って、それがいいものか悪いものか、当然わかるし、患者の口に鍵をかけることはできない。
評判が評判を呼んで、オーソモレキュラー療法はまたたくまに広がり、40年後にはきっと一般的な治療になっているだろう。

ホッファーはそんなふうに考えていたんだと思う。
ところが、現実はどうなったか。上記のように、自分の読みがはずれたことをホッファーは素直に認めている。
そう、医療は変わらなかった。統合失調症には相変わらず抗精神病薬が第一選択で(というか実質他の選択肢はない)、誰もビタミンを使ったりしない。
そもそも医学部教育が変わっていない。ビタミンは欠乏症を防ぐだけの単なる栄養素であって、「疾患治療のためのビタミン」という概念はまったく教えられていない。
血圧が高いなら降圧薬で下げろ、コレステロールが高いならスタチンで下げろ、とクスリ一色。こんな教育を受けて医者になるものだから、ビタミンを使おうという発想自体がない。
つまり、医療は何も変わっていない。

ところがホッファー、上記の発言に続けて、こう語った。
「1957年から50年が経って、ようやく状況が変わり始めていると思う」
テレビ、ラジオ、新聞しかなかった時代には、これらのメディアがほとんど唯一の情報源で、莫大な宣伝費によって製薬会社が大きな影響力を持つことができた。
しかし、情報のあり方に革命的な変化が起こった。ネットの時代が到来し、誰しもが情報を発信できるようになったのだ。
薬害の悲惨さを語る人々やビタミンのすばらしさを語る人々の声が、ネットを通じて世界中に拡散されるようになった。一般人が専門的な論文に簡単にアクセスできるようになった。知の扉が、みんなに広く開放されたんだ。
相変わらず投薬一辺倒の医者を尻目に、一般大衆が真実を知るようになり、今や医者よりも患者のほうが自分の病気に精通しているという「知識の逆転現象」も珍しくない。
医者は「精神疾患がビタミンで治る?そんなバカなこと、聞いたこともない」と患者の話を嘲笑するが、患者はオンライン上の論文データベースを検索し、ビタミンの有効性を裏付ける研究がすでに何十年も前に行われていることを知っている。
一体どちらが学者なんだ、知識に謙虚なのはどちらなんだ、という話で、大学で学んだことだけで実臨床をやろうとする医者は、患者から置いてけぼりを食らうだろう。
こういう流れは、恐らく今後も止まることはないし、ますます加速していくと思う。

かくいう僕自身も、インターネットのおかげでオーソモレキュラー療法の存在を知った。
“Orthomolecular Medicine For Everyone”を読み、大きな感銘を受けた。オーソモレキュラー療法のエッセンスが簡潔にまとまった傑作だと思った。
アメリカでの出版は2008年と、十年近く経過しているが、内容はまったく古びていない。そして驚いたことに、こんなにすばらしい名著なのに、邦訳がない。
「もっと多くの人に読まれる価値のある本だと思います。私の翻訳を通じて、この本を日本人に紹介することをお許しいただけないでしょうか」
ホッファーはすでに故人となっていたが、共著者のソール先生に熱意を込めたメールを送った。
ソール先生から国際オーソモレキュラー医学会会長の柳澤厚生先生を紹介され、その助力のもと、僕がこの本の翻訳を担当を任せてもらうことになった。
ホッファーやソールといった栄養学の大御所の声を汲み取って、その声を日本語に衣替えし、日本人のみんなに届けるという仕事である。
こんなにやりがいのある仕事が他にあるだろうか。今後長く続く人生のなかで、こんなに熱い仕事、こんなに誇らしい仕事、何を投げうってでも成し遂げたいと思う仕事が、他にあるだろうか。
自分の持てるすべてを注いでこの仕事を完成させるんだ、と奮い立った。
当時僕は勤務医で、毎日の仕事に忙殺されていたんだけど、休日はもちろん、診察の合間や昼休みにも翻訳作業に没頭した。
そうして編集者も驚くほどのハイペースで翻訳を完成させ、原稿を出版社に委ねた。
でも、そこから先が全然進まない。
待てども待てども出版されない。
電話して、出版に向けての進捗を電話すると、
「忙しくて、申し訳ありません」と丁寧に謝られるんだけど、謝罪なんていいよ。とにかく、話を早く進めてよ。
せっつく電話を頻繁にかけるのもな、という遠慮がたって、あまり積極的な催促もできずにいた。
翻訳を完了して一年が過ぎたある日、僕は思い立って、編集者にこう伝えた。
「一年経ちました。さすがに、もういいかなと思います。出版の件、もうけっこうです。翻訳を通じて、僕自身勉強になりましたし、もういいです」
あせったのか、さすがに動いてくれて、来年1月には出版できるのではないかと思います、という言質を得た。単なる口約束だからどうなるかわからんけど。
「あ、それからですね、中村さん、訳者あとがき、を書きませんか」
はよ言うといてくれよ、って思ったけど、そういう話があったのが先週のこと。今、どんな訳者あとがきを書こうか考え中。
みなさんに早く翻訳本を届けられる日が来ればいいんだけど、どうなることやら´Д`

ラジオDJ

2018.10.28

きのう、ラジオDJの人と一緒に飲む機会があった。
全国的な知名度はないかもしれないけど、関西ではそれなりに知られた人だ。(浜村淳とかじゃないよ笑)。
ちなみに、ごうちゃんは彼のこと知らなかった。Kiss FMとか聞かないから、しょうがないよね。
ただ僕にしても彼の声をラジオで何度か聞いたことがあるぐらいで、どんな人かは全然知らなかった。
明石駅近辺を一緒に歩いていると、彼を知る人が次々に声をかけてきて、握手や写真を求められていた。僕らはその度に立ち止まらなくてはいけなかった。なるほど、有名人ってこういうことかぁ。

年に何回か来るというその人行きつけの立ち飲み居酒屋で、姉、ごうちゃん、僕と乾杯をした。
ラジオDJと飲む機会なんて、人生でそんなにないだろう。
好奇心からいろいろな質問をしたんだけど、丁寧に答えてくれた。

彼の話を聞きながら、僕は不思議な感覚になった。話の内容よりむしろ、彼の声を聞きいってしまう。こんなにきれいな、澄んだ声があるのか。
ただ、彼、オフの声だったと思う。長くDJの仕事をしている人だから、自分の声の一番魅力的なところ、聞かせ方、力の入れ方は当然わかっているんだけど、仕事中ではないから、素の声に近い、飾らない感じで話していたと思う。それでも、いい声だなって思った。

「いやぁ、お医者さんですか、憧れます。もしこういう仕事をしていなければ、医者とか歯医者になりたかったなぁ。一人一人と向き合う仕事って、すばらしい。自分のやったことの成果が、ダイレクトにわかる。相手の感謝や感情を、直接的に感じることができる。きっとやりがいがあるよね。
俺の仕事は真逆なんです。電波を通じて不特定多数の人に話しかける。これといってダイレクトな反応はない。ふんわりとした、モヤモヤしたものを相手にしているようで、がっしりとした手ごたえを感じにくい仕事なんだな。
その点、医者はうらやましいです。」
いえ、とんでもない。その声は、才能だと思います。才能を生かした、自分だけができる仕事のほうが断然すばらしいです。僕の仕事なんて、代えはいくらでもききますから笑
そういう声で人生を生きていくって、どんな感じがするものでしょうか。
中学生の頃、国語の授業で詩を朗読し、それをラジカセに録音して、読み方を工夫しましょう、というのがありました。僕は自分の声を聞いて、耳を疑いました。これは誰の声なんだ、と。いや間違いなくお前の声じゃないかと級友が言うので、認めざるを得ない。山下さんはそういう経験ってないでしょう?
「声の仕事をさせてもらっているのは、確かにありがたいことだと思う。親に感謝だね。
自分の声なんて別段意識したこともなかったんだけど、中学生のとき、変声期を終えた頃かな。友達の家に電話したら、友達のお母さんが出た。本人はいないということで、電話を切ろうとしたんだけど、そのお母さん、『山下くん、もっとお話ししましょうよ』って。1時間ぐらいしゃべった頃、ちょうど友人が帰ってきて、そいつと電話をかわるときに、『ごめんなさいね。長電話になって。とてもいい声だったから、もっと聞きたくなっちゃって』
声をほめられたのはそのときが初めてだった」

異性の声に魅力を感じるタイプの人がいるものだ。アニメオタクの人が、声優が好きだったりするみたいに。
中学生のときに友人のお母さんから声をほめられて以後も、多くの人から声の魅力を認められ、女性からはさぞモテたに違いない。しかし、そのあたりに水を向けても、彼、笑って何も語らなかった。さすが本当にモテる人は、女性経験の多さを吹聴したりしない。

「将来的には声を使った仕事ができれば、という思いは漠然とあったけど、一直線に今の仕事についたわけじゃない。学生時代にはバーテンダー、塾講師、引越し屋、ディスコDJとかいろいろやったし、学校を卒業してからも複数の職を転々とした。会社からひどい目にあわされたこともあれば、こちらのほうで会社に迷惑をかけたこともある。特にDJになる直前に勤めていた某企業には悪いことをしたと思う。
挫折や失敗は数え切れない。でもそういう経験を通じて、鍛えられて、人生の何たるかが少しはわかったと思う。
ムダな回り道じゃない。必要な人生経験だったよ。
学校を卒業してまっすぐにラジオDJになっていたとしたら、今の自分はなかったと思う。
FMラジオのDJって、どんな仕事だと思う?
好きな音楽流してりゃそれでおしまい?いや、そんな簡単な仕事じゃないんだよ。
一人で漫談みたいなこともできなきゃいけないし、ゲストが来たときにはおもてなしができないといけない。リスナーからの手紙に答えたり、リスナーが番組にどういうものを求めているのか、そのあたりの要望にも敏感でないといけない。
要するにね、DJってトータルとしての人間性が問われる仕事なんだ。
声がよければ確かに有利だよ。でも長くやっていこうと思ったら、それだけでは絶対にだめだ。声がいいだけのDJなら俺よりたくさんいるよ。そういうDJが三日で飽きられて、聴取率が下がって、すぐさま番組打ち切りになる例は山ほど見てきたからね。
このあたりの呼吸は異性とのお付き合いと似ている。容姿端麗であることは異性を引きつける上でプラスだろうけど、内容が空っぽな人とは長くお付き合いなんてできないだろう。それと同じことだよ。リスナーはよく見ている。付け焼き刃の人間力では、すぐに底を見抜かれてしまうものだよ」

他にも、ラジオ番組の裏側についても教えてくれた。ここには書けないけど。
酒量が上がるにつれ、オンエアではでは絶対に言わない卑猥な語彙がポツポツと増え始め、そんな下品な言葉を言う声さえ美しいというミスマッチが、僕にはすごくおもしろく感じられた。
僕もごうちゃんも飲める口だから、酒席は段々激しさを増した。DJさんとごうちゃんがケンカをする。僕がその間に割って入って、仲裁する。すると、二人が僕に殴りかかる。でもその後、DJさんとごうちゃんが仲直りのチューをする。「先生もごめんね」って、僕にもチューする。
こういう大立ち回りが何度かあって、最終的ににDJさん、ごうちゃんとチューすること6回。僕とは3回。「よっしゃ、あつしに勝った!」ってごうちゃんが言うから、「くそ、負けた!」って悔しがってみせた。
うむ、いい感じにアホになれた夜だった。

元素転換

2018.10.22

『元素転換 現代版錬金術のフロンティア』(吉田克己著)を読んだ。
読んで、ホッとした。
ケルブランの提唱した元素転換という概念は、スタンダードな科学会に黙殺されて、すっかり廃れてしまったのかと思っていた。でも、そうじゃなかった。
元素転換のアイデアは常温核融合を説明する理論的基盤として確固とした地位を占めている。つまり、ケルブランの遺産は脈々と生き続けているのだ。
さらに、常温核融合の分野で世界をリードしているのは、他ならぬ日本だというのだから、驚かされた。

「パラジウムの基盤上に、セシウムを塗布し、この面から1気圧の重水素ガスを真空にした反対面に透過させると、再現率100%でセシウムの7割が130時間でプラセオジムになる。また、セシウムの代わりにストロンチウムにすると、モリブデンに代わる」
三菱重工の岩村康弘博士の発見である。
世界中の研究機関で追試されて、事実として確認されている。
上記の実験では研究者が被曝しないようにセシウム134を使ったが、放射性セシウム137だったとしても、何らかの形で元素転換が起こったことだろう。
つまり、放射性セシウムを無害化することへの応用が期待できる。
早く福島に応用して欲しい。
頭でっかちの学者が「常温核融合?そんな理屈に合わないものは、断じて認めない」なんていまだに言っている。
福島原子力発電所からはいまだに大量の汚染水が出続けているという。今目の前で困っている人を、福島を、救い得る技術があるのに、従来の理論との不整合にとらわれて実用化に踏み出せない。
理論よりも、まず現象でしょうが。理論に合わないからといっていつまで実験事実を無視するつもりなのか。人の役に立ってこその科学だろう。

この先生、cold fusion(常温核融合)を専門に研究してる人なんだけど、チェルノブイリ周辺にセシウムを元素転換する細菌をまけば半減期30年が5年になる、って言ってる。
有用な菌の散布でも汚染水の透過法でも、どんなやり方でもいい。福島の現状を改善する手立てがあるのなら、何でも使いましょうよ。

そう、人の役に立ってこその科学だ。
僕が元素転換に注目するのは、この考え方が実臨床にも応用がききそうだからだ。
上記の岩村博士の実験では、Cs→Pr、Sr→Moの変化が見られたが、これはいずれも原子番号+4、質量数+8の増加である。
この増加は、原子核構造の理論で「原子核はα粒子の集まり」とするα粒子モデルによって説明できる。
α粒子とは陽子2個、中性子2個からなるヘリウムの原子核のことで、電子状態(中性原子かイオンか)は考慮しない。
つまり、上記の反応は、Cs+2α→Pr、Sr+2α→Mo と表現できる。
このような元素転換の研究は200年ほど前から始まり、ケルブランが「生物学的元素転換」として体系化した。
「鶏にカルシウムを含まない雲母(ケイ素、アルミニウム、カリウムが構成要素)のみを餌として与えても丈夫な殻の卵を産む(K→Caの元素転換)」
「サハラ砂漠の肉体労働者は、摂取しているカリウム量よりはるかに多いカリウムを排出し(アルドステロンによってNa→Kの元素転換が促進される)、
マグネシウムについても摂取量よりはるかに排出量が多い(高温下での労働がNa→Mgの元素転換を促進した。低温では逆のプロセスが起こり、マグネシウムの摂取が必須)」
「脱皮したカニは、海水中のマグネシウムを利用して新たな殻を作る(Mg→Caの元素転換)」
「発芽によって種子の中に含まれるマンガンが酵素によって鉄に変化する(Mn+H→Fe)」
など、ケルブランは自然界のなかに現れる様々な元素転換の実例を示した。(”Biological Transumutations” Louis Kervran著)

カルシウムの摂取量が多い人ほど、骨折や骨粗鬆症の発症率が高い(カルシウム・パラドクス)という話がある。
https://www.bmj.com/content/349/bmj.g6015
牛乳の消費量は死亡率、骨折率と正の相関があった、というコホート研究。
牛乳といえばカルシウムが豊富な食材の代名詞なのに、牛乳を多く飲んでいる人ほど骨折しやすい(し、しかも死にやすい)という結果だった。
「動物性たんぱく質の摂取により体が酸性になり、骨(アルカリ)の脱灰が促進されるため」とWHOが報告書の中で説明している。
Thomas Levy先生も、「カルシウムと鉄は極力摂取するな(鉄欠乏性貧血は除く)」とあちこちで書いている。
じゃ、骨粗鬆症の人はどうすればいいのか。
元素転換が、一つの方針を教えてくれる。
Mg+O→Ca あるいは、Si+C→Ca 
(Oは酸素というかα粒子4個分、Cはα粒子3個分、ぐらいの意味合い)
つまり、カルシウムの直接的な摂取をせずとも、マグネシウムあるいはケイ素の摂取によって体内に適切量のカルシウムが自前で生成されるのではないか、と考えられる。
これは疫学的にも裏付けをとることができて、
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/29191960
この論文は、血中マグネシウム濃度が高いほど股関節部の骨折率が低いことを示しているし、
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3671293/
この論文は、ケイ素の摂取が閉経後骨粗鬆症の予防にいかに有効かを示している。
ちなみにこの論文、ケイ素を多く含む食品の一つとして、ビールを挙げている。
「ケイ素の補給のため、健康のために飲むんだ」って、酒飲む言い訳に使っちゃダメだよ笑
Paul Pitchfordの著書 “Healing with whole foods”のなかに、こんな一節がある。
「生物学的元素転換を認めようが認めまいが、我々はこの原理を適用することですばらしい成果を得ている。
ある70代の女性がケイ素を豊富に含むスギナをお茶にして数か月飲み続けた。その後歯医者に行ったとき、歯科医は大いに驚いた。無数にあった小さな虫歯が、見事にふさがっていたのだ。
スギナ(あるいはトクサ)は骨と骨をつないだような姿をしており、ハーブ療法家はその見た目ゆえにこの植物を骨折や骨格系の異常に対して処方することが多い。スギナはこの地球上で最も原始的な植物の一つである。それは植物界と鉱物界の境界線上に位置する植物であり、茶として煮出されると内部に蓄えたミネラルを惜しみなく放出する(ただし、スギナにはチアミナーゼというビタミンB1を分解する有毒な酵素が含まれている。これは10分も煮れば簡単に分解される。)サプリの形でスギナを摂るときは、有毒ではないように加工したものを買うようにしよう。また、スギナには利尿作用、収斂作用があるため、使うときは少量にとどめること。」

カルシウムに関しては元素転換と疫学的データが矛盾なく成り立つんだけど、鉄に関してはちょっと厄介なんだ。
「鉄は人体にとって必須ミネラルではあるけれども、同時に活性酸素を生み出す元凶でもあるから、鉄サプリの摂取など、鉄欠乏性貧血ではない限りは極力避けるべき」
というLevy先生の主張が正しいとすると、鉄サプリの摂取ではなくて別のミネラルを摂取することによって、自分の体内で鉄が生成できれば、それが一番理想的だよね。
元素転換によると、鉄の生成については、
Cr+α→Fe あるいは Mn+H→Fe
という経路があり得る。
つまり、クロムあるいはマンガンを摂れば、鉄分が補給できるのではないか、と一見思うんだけど、
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23955423
この論文によると、鉄欠乏性貧血の小児では、血中のマンガン濃度が上がっている。鉄剤投与による貧血の是正により、マンガン濃度は低下した。
マンガンと鉄は逆相関しているようで、この論文を読んでしまったら、貧血是正にマンガンを投与するなんてとてもできない。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/28347462
この論文では、微量ミネラルが鉄の動態にどのように影響するかを考察している。
マンガンは鉄の吸収、トランスフェリンなどの鉄輸送タンパクなどに影響し、クロムはトランスフェリンとの結合において鉄と競合する。
「貧血の是正に際しては鉄の不足だけに注目するのではなく、鉄の恒常性に関与する他の微量ミネラルの状態も把握し、これらも同時に改善させることにより、鉄欠乏が相乗的に治癒していくだろう」とある。
漠然としていて、具体的にどうすればいいのかは見えない。
鉄欠乏に対しては、鉄剤を投与するしかなさそう(ヘム鉄がいいのか非ヘム鉄がいいのかなどの議論はあるが)、というのが今の僕の結論です。
誰か他の方策をお持ちの方がおられたら、ご教示ください。

蛇足。
元素転換は「錬金術」と言われる。存在しなかった原子が突如として出現する様をこのように形容しているわけだけど、実は、本当に、文字通りの意味で金を生成した科学者がいる。
1924年年東京帝国大学の長岡半太郎は水銀から金を合成することに成功したと発表した。(Hg-H→Auの元素転換)
しかし金本位制によって世界を支配している人にとって、こんな技術の出現は一大事。すぐさまその存在を抹消された。
時は流れて、1994年。やはりとある日本人が、金の合成に成功し、すでにこの製法の特許を取得した。
この人が今どうしているのか、寡聞にして知らない。大金持ちになってどこかで生きておられるか、すでにお亡くなりか。
ただ、金価格が暴落したという話は聞かないから、あくまで製造法の特許を抑えただけで実用化はされていないのだろう。
元素転換を使えば、ありふれた卑金属を貴金属に変えることができるし、その技術はすでに存在する。
レアメタルの生成も当然可能なんだから、資源に乏しい日本にとっては、国家の存亡を左右するぐらいに重要な技術だと思うんだけど、政府はこういう技術のこと、どう思っているのかな。
個人的には、金価格がどうだとかお金の話や、レアメタルをめぐる国家間の貿易問題とか、そういうのには興味はない。
僕は医者だから、元素転換の医学的な面への応用に興味がある。医者に見えないって言われるけどね笑

乳酸

2018.10.15

インターネットのおかげで、簡単に情報にアクセスできるようになった。
ふと耳にした知らない言葉も、検索するだけでそれが何かすぐにわかるし、何かを勉強したいと思えば、youtubeで世界的に有名な学者の授業を受けることさえできる。しかもタダで。
さらに、英語が分かるなら、アクセスできる情報量はもっと多い。
ハーバード大学とか、オンラインで授業を聴講できるところもある。
世界最高の知性さえ、自宅で簡単に手に入るんだ。すごい時代だよね。

患者は、自分の病気を何とかしたいと思って必死だから、当然ネットを検索している。
どういう病気にかかっているのか?治療法は?副作用は?
みんな調べて、知っている。
もはや知識は医者だけのものじゃないんだ。
しかも科学の進歩が早いから、付け加わっていく知識は膨大で、日々アップデートされている。
新たに勉強しないで昔の知識でやっている医者は、患者の知識に太刀打ちできない時代が来るだろう。
というか、もうすでに来ている。
「甘いものがなかなかやめられなくて」という主訴で来院した患者に、ある内科の先生、「健康管理に対する自覚が乏しいんだよ。意識の問題だね」で片付けようとした。
「はい。確かに精神的な一面もあるかと思います。ただ、自分としては、もっと具体的なアドバイスが欲しいと思って来院しました。
たとえば糖質の過剰摂取により、腸内細菌叢のなかでも特にカンジダやSaccharomyces cerevisiaeの異常増殖が起こる、とネットで読みました。
こうなると、そうした悪玉菌のせいで腸の透過性が亢進してリーキーガット状態になり、結果、菌体成分が血中に漏出して炎症が惹起される、っていうんですね。
で、その炎症を鎮めようとして副腎から過剰のコルチゾルが出て、副腎疲労を起こし、そのせいでますます糖質が欲しくなるという悪循環が起こる可能性があるらしいです。
だとすれば、どうでしょう。この悪循環を断つために、何か具体的に行うべき医学的な対処はありますか」
内科領域の話題ではあるが、リーキーガットがどうのこうのとか、医学部で習わなかったものだから、そんな話は知らない。先生、返す言葉がなかった。
ただ、同業者としてこの先生の弁護をするならば、こういう患者対医者の知識合戦は、患者に分があるのはある意味当然だとも言える。
医者(特に内科医)はスペシャリティを持つ一方で、同時にジェネラリストとして一通りの病気に通じている必要があるけれど、患者は自分の病気についてだけ徹底的に詳しいわけだから、その一点の知識量では医者が患者に負けても不思議じゃない。
しかしまぁ、そういう時代なんだ。
情報は誰にでも公平に開かれていて、勉強する人は医者の知識をも簡単に上回れる時代。

同時に、定説がバンバン覆される時代でもある。
僕も学校で、「疲労の原因は乳酸の蓄積によるものだ」と習った。
しかしこれ、まったくのウソだっていうんだな。
http://todai.tv/contents-list/2014FY/may-fes2014/2014-2
これ、東大の八田秀雄先生の講義。東大だからさぞハイレベルだろう、と肩肘張ることなくて、小学生にも届くぐらいの分かりやすい言葉で話してくれている。
こういう授業を誰でも見られるっていうのが、ネット時代の本当にありがたいところだと思う。
乳酸は疲労の原因ではない、という説は実は大昔からあったんだけど、ヒル(ノーベル賞受賞者)の唱えた乳酸悪玉説が学会のスタンダードになってしまったせいで、延々無視され続けることになった。
実際にはむしろ逆で、乳酸を投与したマウスは他のマウスより高い運動パフォーマンスを発揮するぐらいなんだけどね。
疲労感という訴えは臨床で極めてコモンで、その理屈の説明には、ほら、高校で生物を習った人なら覚えているでしょう、解糖系、TCAサイクル、ミトコンドリアの電子伝達系、あの図を持ち出して説明する。
「ミトコンドリアが元気がないから電子伝達系が渋滞してて、エネルギー産生がうまくいってないんですね。で、解糖系のここで乳酸がたまって、疲労の原因になってるんですね」なんて説明するんだけど、あれ、全部ウソだったってことだ。
知識のアップデートを常にしていかないといけないのは僕も同じだよ。
みなさんも一緒に勉強していきましょう。

ボクシング

2018.10.14

小学校の同級生にプロボクサーがいる。
1998年、高校3年生のときにプロデビュー。初戦を勝利で飾った。
順調に勝ち進み、WBCライトフライ級で世界ランキング12位まで上がったのが、彼の最高記録だ。
2015年52.6kg契約8回戦(2ラウンドKO負け)を最後に、17年のボクシング人生を終えた。
生涯戦績、48戦23勝(10KO)19敗6分け。
現在、地元明石でバーを経営している。

「おー!ひょっとして、あのあつし?うわー、すごい久しぶりやなぁ!顔全然変わらへんなぁ笑
うわさには聞いてるよ。神戸で開業したんだってね。
よく来てくれたね。どうぞどうぞ、ここ座って。さぁ、何飲もうか?」
昨夜、姉とごうちゃんと一緒に彼の店を訪れた僕らを、彼、大いに喜んで歓迎してくれた。
小学生のときには彼とよく遊んだものだけど、僕が中学受験して別の学校に行くようになって以後、お互い会うことはなかった。
ただ、僕のほうでは彼のうわさはしばしば耳にしていた。
「プロボクサーになったらしいよ」というのから始まり、「順調に勝ってて、世界ランカーになってるんだって」「今度タイトルを賭けて挑戦するらしい」とか、活躍ぶりはあちこちから聞こえていた。引退してバーを開業したというのも聞いていた。
うわさや伝聞ではない、生身の彼と接するのは、小学校卒業以来26年ぶりのことだった。

小学校の他の同級生が今どうしてるとか、そういう話でひとしきり盛り上がった後、話題はボクシングに移った。

中学時代はちょっとした不良で、つまらない毎日を送っていた。
高校でボクシングと出会って、大げさでも何でもなく、人生が一変したよ。
俺の性に合っていたんだ。
自分の気力、体力、時間、すべてを捧げても惜しくないと思えるものに出会って、それまでの怠惰で非生産的な日々が一転した。
毎日、黙々とトレーニングに励んだ。
あつしも知ってるだろうけど、俺、小学校中学校ではサッカーをしていた。でもサッカーってさ、勝った喜びも負けた屈辱も、チーム全員でシェアするわけでしょ。何か「うすい」んだよね。
俺はね、もっと熱くなりたい。勝った喜びも負けた屈辱も、全部自分で引き受けたい。勝てたのは俺が頑張ったからであり、負けたのは俺の努力が相手の努力に及ばなかったからだ、っていう世界で戦いたい。
集団競技って、勝っても負けても責任の所在がはっきりしないことが多いし、チームメイト全員が同じ意欲を持ってプレーしてるとは限らない。
たとえば同じチームでも、インターハイ目指して頑張っている人もいれば、単なる部活動っていうつもりでやってる人もいる。そういう温度差って、何か嫌なんだ。
ボクシングのトレーニングって、スパーリングとか相手が必要なのもあるけど、縄跳び、走り込み、パンチングボールとか、基本的に孤独なもので、一人で黙々と繰り返して、少しずつ技術を高めていく。
ボクシングの、そういう、「道」みたいなところが、自分にすごく合っていた。

高校3年生でプロテストに合格した。
以来、勝ったり負けたりを繰り返して、引退までに積み重ねた戦績が、48戦23勝19敗6分け。
ボクシングからは本当に多くのことを学ばせてもらった。感謝しかないよ。

たとえばね、相手をたたえる心。
試合が決まれば、その相手に勝つことを目標に練習するんだけど、試合が終われば、本当にノーサイド。
終了のゴングが鳴って、その後で判定があって勝ち負けが決まるんだけど、勝っても負けても、相手のことを抱きしめたくなる。
よくテレビで見るでしょ、試合後に両選手が抱き合ってる場面。あれはね、ポーズでやってるわけじゃない。本当に、自然と相手を抱きしめたくなるんだ。
互いに相手を倒そうとして、血のにじむような努力を続けてきた。相手の強さは、こぶしを交えた自分が一番よく知っている。
相手を抱きしめることは、ほとんど自分を抱きしめるような感覚なんだ。敵だった相手が、最もわかり合える友人のような気持になるんだ。
俺がこれまで戦ってきたボクサーのなかには、いまだに連絡を取り合うほど仲のいい人も多いよ。
殴り合った末に生まれる友情。こういうのって、現実世界で経験できる?なかなかないでしょ。そういうのを、ボクシングが教えてくれた。

引退を決意したのはいつかって?
現役最後の試合は2015年の7月。KOされたんだけど、記憶がない。試合の記憶が、ごっそり抜け落ちているんだ。
KOされて、試合終了のゴングが鳴って、相手と抱き合って健闘をたたえ合って、ロッカールームに戻って、服を着替えて、っていうことをしているはずなんだけど、というかちゃんとやっているんだけど、そういうのを覚えていない。
いや、正確には、部分部分は覚えている。たとえば試合中、相手のパンチを食らって「ええ右もらってもた」なんていう記憶は映像として頭に残っている。でも、試合後に相手と交わした会話とか全然覚えてない。
録画していた試合映像を見ると、ちゃんと戦ってるし、試合後にも普通にしゃべってるんだけどね。
そう、酔っ払って記憶をなくす感覚に近いと思う。
実はその前の試合でも、KOされてて、同じような経験をした。
やばいなとは思ったけど、正直その時点で引退までは考えていなかった。

引退を考えたのは、2015年7月の試合を終えて、つかの間のオフを家族と過ごしていたとき。
子供と公園で遊んでいて、子供が蹴ったサッカーボールを、足を伸ばしてトラップしようとしたら、足が思うように伸びなくて、ボールにさわれなかった。
おかしい。
そのときに初めて、自分の体に起こっている異変に気が付いた。
脳はボールを認識し、足を出せ、と指示している。でも体の反応が、明らかにワンテンポ遅れている。
反射神経を鍛える練習不足、なんていう話じゃない。
17年間戦い続けたダメージが蓄積して、神経がおかしくなっているんだ。
認めざるを得なかったよ。
「もう、俺は、ダメなんだ」と。

そのとき初めて、引退を意識した。
でも、決意したわけじゃない。
なるほど確かに、反射スピードは遅いかもしれない。ステップはのろく、スウェイは鈍いかもしれない。
しかし、反応速度をカバーするようなファイトスタイルに変えれば、何とかやっていけるんじゃないか。
何とか現役を続けたい。
何とか戦い続けたい。
その一心で、新たなスタイルを身につけることを考えて、練習メニューまで組んだ。
でもね、ボクシングってやっぱり甘くないんだよ。
特に俺のような軽量級って、スピードが命なんだ。
パワーを前提にしたファイトスタイルを作り上げるなんて、いまさら無理な話なんだ。

分かっている。
でも、それでも、嫌だ。
引退したくない。
体がボロボロになってもいい。リングの上で死んでもいいから、戦い続けたい。
高校生のときからボクシングが生きがいであり、人生の意味だった。
俺からボクシングを取り上げないでくれ。
ボクシングがなくなったら、俺には何も残らないんだ。

観客の熱烈な視線と歓声を一身に浴びるあの喜びは、麻薬だよ。
あの快感を一度味わってしまったらね、人間は変わってしまうんだ。
水さえ飲めないつらい減量、雨上がりの水たまりの泥水さえおいしそうに思ったほどの渇き。
そんな地獄の苦しみも、勝利の喜びを思えば我慢できる。どんなきついトレーニングだって耐えられる。

引退後の俺の人生に、それだけ強烈な苦しみが、それだけ強烈な喜びが、つまり、それだけ強烈な生の実感が、一体あるだろうか。
燃えカスのような人生しか残っていないに違いないんだ。
35歳。
この年になっていまさら、味気ないサラリーマン人生に放っぽり出されてはかなわない。
どんな形でもいい。
とにかく現役続行にはこだわるんだ!

「お前は、逃げているんだ」と誰かが言う。
何だと?
戦いたくてうずうずしている俺が、逃げている、だと?
てめえ、もういっぺん言ってみろよ。
「お前は新しい人生に向かい合うことから、逃げているんだ。
慣れたリングの上での戦いにこだわって、予測もつかない実人生の荒波に飛び込むのを恐れている。
お前も知っているように、ボクシングはケンカじゃない。様々なルールとレフェリーの監視のもとで行われる、実に『安全な戦い』。それがボクシングだ。
その点、お前は実人生のあいまいさを恐れている。
同世代の多くは今や中堅どころの会社員。彼らの背中を追いかける形で社会人1年目を始めることを、億劫に思っているんだ。
大丈夫。何も恐れる必要はない。お前はボクシングから多くを学んだ。その経験は今後の人生で間違いなく生きるだろう。
お前に必要なのは、ボクシングではない別のリングに上がって戦う勇気だ」

そう、引退を決意して、今こうやってバーを経営してるんだけど、ここが俺の、いわば第二のリングだ。
カクテルの作り方を覚えたり、っていうのも、大変だけどなかなかやりがいを感じているよ。
お客さんを喜ばせるのが楽しいんだよ。
だからほら、ハロウィンのシーズンだからこうやってコスプレしたりもする。
だからあつしも、今日はめいっぱい楽しんでいってね。