ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2018年

砂糖、酒、依存

2018.6.4

「甘いものは苦手なので、一切食べない」という患者を、僕は見たことがない。
こういう人はそもそも病気にならないので、患者にならない。だから、僕のところに来ることもない。
砂糖中毒の患者の、なんと多いこと。
砂糖がこの世からなくなれば、病気の95%は自然に消滅するんじゃないか、ぐらいに僕は思っています。
ビタミンで治していこう、というのが基本スタンスの僕だけど、患者さんが家でお菓子のドカ食いとかしてて、そこを改めようというつもりのない人ならば、正直、根治まで持って行くのはなかなか難しい。一度魅力にはまってしまうと、やめることは極めて困難というのが、砂糖の魔力なんだな。

酒やタバコには年齢制限とか、一応の法的規制がある。
でも砂糖は誰がどれだけ大量に食べようが全く合法。テレビを見ても、企業はお菓子や清涼飲料のCMをバンバン流して、甘いものの購入を視聴者に促している。
人々は、『甘いものは脳の唯一の栄養』などという甘い言葉に乗っかって、お菓子を延々買い続ける。
虫歯になって、歯医者に通うはめになってさえ、やめられない。
こういう行動の異常さに、気付いている人は気付いているかもしれない。
そう。砂糖は、麻薬なんだ。
これは比喩じゃない。糖質摂取によりドーパミンが大量に分泌され、報酬系が刺激され、気分がハイになる。砂糖をひとつの物質としてみた場合、作用機序としては麻薬そのものだよ。
合法ドラッグの問題が言われてるけど、砂糖こそ合法ドラッグの最たるものでしょうに。

「OK、わかった。自分は砂糖中毒かもしれない。認めるよ。
でも、食べちゃいけないのは精製糖質でしょう?未精製の黒砂糖はどうか。ハチミツやメープルシロップはどうか」
白砂糖の害よりはマシだろうけど、極力とらないことを勧める。
でも、「ただひたすら耐えて我慢だ」、というのも何だから、もうちょっと栄養療法らしいアドバイスをしましょう。
砂糖を本気でやめたい、と思っている人には、サプリを使ってその決意をお手伝いすることはできます。
そのサプリは、ビタミンB群(特にナイアシン)とミネラル(マグネシウム、亜鉛、クロムなど)です。
今回は特に、ナイアシンについて紹介しよう。

ホッファーは、ナイアシンがアルコール依存症者に見事に著効して、彼らの飲酒欲求の軽減に非常に有効である、ということを発見し、たくさんのアルコール依存症者を社会復帰させてきた。ナイアシンには脳の報酬系に作用して、依存症の欲求を抑える働きがある。

ソールがこんな症例(30代女性)を報告している。
「専業主婦をしています。数か月前から徐々に量が増え始めて、酒がないと落ち着かない、くらいになってしまいました。夫や子供がいなくなってからが、私の時間です。キッチンのテーブルに座って、ずっと飲み続けます。ウィスキーのボトルを一本開けてしまうこともざらにありました。我ながら異常な飲酒量だと思っていました。こんなに飲んじゃいけない、もうお酒はやめよう。何度も思いました。でも、やめられないんです。
午後四時くらいには子供が帰ってくるので、さすがにお酒の時間は終わり。身なりを整えて、家事にとりかかります。
一家で晩御飯を食べるときには、晩酌を飲むことは飲みますが、夫や子供の手前、ほんの少し、ウィスキーのシングルを一杯だけです。日中にはその何十倍の量を飲んでいるのに、家族の前ではそんな具合に自分を偽っていました。
あるとき、息子が、私の誕生日プレゼントに、素敵なウィスキーをプレゼントしてくれました。「ママ、お酒好きだよね。だから、これ」って言いながら、飾った箱入りのウィスキーをくれたんです。
これは息子の気持ち。一気飲みなんてしちゃいけないお酒。晩酌の時に少しずつ飲んでいくようにしよう、と思いました。
でも、その翌日、夫や子供がいなくなってから、どんな味かしら、ってふと気になって、一口。その一口が呼び水になって、また一口。
気付いたら、ボトルは空になっていました。
私、病気だ。
悔しいやら情けないやら、涙が流れました。でも泣きながら、それでもまだ飲んでるんです。
ついに思い立ちました。
インターネットで、いろいろな情報を調べました。そして、『アルコール依存症にはナイアシンが有効』という記述を見つけました。
すぐにナイアシンを購入し、試してみました。
そしたら、ああ、神様!効いたんです!あんなに飲みたくて飲みたくて仕方のなかったお酒への欲求が、不思議となくなったんです。
ソール先生のDoctor yourselfにはとても感謝しています。私にナイアシンを教えてくれたサイトですから。
私、ナイアシンがなかったら今頃どうなっていたことか、と思います」

“Orthomolecular Medicine for Everyone”には、「アルコールは砂糖の液体状代替物であり、アルコール依存症の背景には幼少期の砂糖依存がある」との記述がある。

確かに、アルコールは穀物を発酵させた液体であり、穀物って要するに糖質だから、酒と砂糖は無関係ではないよね。

アルコール依存症にナイアシンが効いた、という上記のようなエピソードは無数にある。
科学的エビデンスとしてもはっきりしていて、ナイアシンアミド投与群、プラセボ投与群で飲酒再開率にはっきり有意差が出ている。(ナイアシンではなくナイアシンアミドが用いられたのは、ナイアシンではホットフラッシュが出てしまい、実薬とプラセボの比較対照ができないため。)
明らかなエビデンスがあるのに、アルコール依存症者の標準治療にナイアシンは採用されていない。
以前僕が勤務していた病院はアルコール依存症治療に力を入れていた病院だったので、担当の先生に、ナイアシンがアルコール依存症にいかに有効か、僕のお得意のスケッチブック使った紙芝居風の解説で頑張って伝えたんだけど、先生、「ふーん」という感じで、スルーされました笑

さらにいうと、ナイアシンは、砂糖とアルコールだけでなく、依存症全般に効きます。
ベンゾジアゼピン系睡眠薬や抗不安薬の後遺症に苦しんでいる人は非常に多いけど、こういう人にナイアシン(とビタミンC)を併用すると、かなり減薬しやすくなります。

救急と形成

2018.6.4

いろいろな科があるよね。内科とか外科とか精神科とか。
そのなかでも、本当に患者に貢献している、と言えるのは、救急と形成外科の二つだけじゃないかな、という気がしてる。

救急は西洋医学の圧倒的な得意分野で、というかむしろ、西洋医学のとりえはここしかないんじゃないかな。
もともとは戦場で生まれた医学。戦場だから、長期的な副作用とかはひとまず考えなくていい。まず、循環や呼吸を安定させ、死なせないようにするのが最優先。
点滴などで水分や栄養補給も同時に行って、体力を回復させる。
こうして回復した兵士を、可能なら再び前線に送り出す。
体を一種の機械と見る還元主義的な見方も、こういうピンチの状態では、それなりの説得力があると思う。

でも、内科となるとまるでダメなんだな。精神科はもっとダメ。
慢性疾患に対しては西洋医学は無益であるばかりか、はっきり有害だということが、データでも示されてる。
病院がストライキを起こせば、患者の死亡率が下がった、という統計がある。1970年代のものだけど、当然西洋医学の本質は現在も変わっていないから、今も意味のあるデータだと思う。(ただしこのストライキ中も救急だけは例外で、稼働していた。)
「まず害をなすなかれ」という医療の原則があるけど、まず害をなしている、というのが西洋医学の正体だろう。

形成外科の何がいいって、このヒポクラテスの戒めを比較的守っているところ。
つまり、形成外科というのは(特に美容整形は)、あってもなくても患者の命に関係ないような科で、そもそも病人を相手にしていない。そこがいい。
たとえば乳癌のオペ後に、形成外科が入って、そのまま乳房再建術に移行したりする。乳房のあるなしは、生存に直結しないから、やらなくてもいいようなものなんだけど、これは生存のためじゃなくて、患者の生活の質を上げるための処置なんだな。

目が一重であろうが二重であろうが、体の代謝には全く影響しないけど、目をちょっといじるだけで、人生が大きく変わる人がいる。
美容整形に何百万何千万とつぎ込むまで行くとやばいけど、ちょっと目をいじっただけで自分らしく堂々と生きられるようになるのなら、それってすばらしいことだと思う。
単に外見が変わるだけじゃない。
見た目は、れっきとした「資産」だって、みなさん知ってますか。

1.経済的資産(土地、建物)
2.個人的資産(学歴、資格、既往歴(←負債だけど))
3.社会的資産(人脈、SNS)
4.美的資産(見た目、服装、装飾)

つまり、ルックスは第4の資産と言われてる。
男の場合は、3とか4がいまいちでも、1とか2を高めて行けば、人生ある程度勝負できるというところがあるけど、女性で4の資産額が少ない、というのは、人生かなり生きにくくなる可能性がある。
見た目を資産、とする考え方って、これまで、差別につながるんじゃないかということで、何となく公の場で議論することさえはばかられるようなところがあったんだけど、この前東京で行われたオーソモレキュラー医学会の講演で、近畿大学の山田秀和先生がこの問題を真正面から議論してて、おもしろかった。

ちなみに、栄養療法は、4の資産力を高めてくれます。なぜって、栄養療法は、アンチエイジングのための栄養補給とほとんど同じで、美容や抗老化に有効だから。
そもそも美しい肌というのは、代謝の具合をそのまま反映しているので、健全さ(自分がいかに健康であるか、生殖の準備が整っているかなど)を示す鏡でもあります。

情報公開

2018.6.3

「紀州のドン・ファン」の事件が話題になっているけど、紀州の生んだスーパーヒーローといえば、僕のなかでは、華岡青洲です。
全身麻酔下に癌の手術を行ったのは、彼が世界で最初。
ただし、医学の歴史には載っていない。アメリカの麻酔科の教科書を見ても、彼の名前は言及されていない。モートンが最初、とされている。
モートンがエーテル麻酔で頚部腫瘍に対して手術を行ったのが、1846年のこと。青洲の手術は1804年。
モートンよりも42年も先に成し遂げられた偉業なのにね。

華岡青洲が麻酔を完成させるまでにどういう苦労があったかを知るには、有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』がおもしろいです。
華岡青洲の嫁と母が、青洲の助けになろうとして、互いに張り合う人間ドラマが描かれていて、嫁と姑の小競り合いの心理って、現代とまったく同じなんだな、と思う。

ところで、世界最初の麻酔導入による癌の手術が行われた後、青洲の編み出した麻酔技術が引き継がれ、洗練されていったかというと、全くそんなことはなかった。
この点はモートンと対照的で、モートンの麻酔術は、その後いろいろな人が改良を加え、ますます洗練されていった。
なぜこんな違いが生じたか。
情報公開の有無、というのがポイントだと思う。
青洲は麻酔術を、自らの一派の秘術とした。門外不出の秘伝、みたいなね。
逆にモートンは、開発した技術を論文にして広く世に問うた。
ここには技術というものに対する東洋、西洋の違いが端的に現れている。
日本は何でも、「道」にしちゃう。
「この技術には、絶妙の間と呼吸というものがあって、教えて教えられるものじゃありません。師匠の技を目で見て盗む。そういう職人技の世界です」という具合に、何でも秘術化してしまう。
一方、西洋は知識の先取権、というものを重視する。最初に発見し公表した人に、開発者の名誉が与えられる。だから、欧米人からすれば、自分の発見した技術を秘密にしちゃうなんてありえない。どころか、広く世に知らしめてなんぼ、という価値観なわけ。
こうして公にされた技術は、多くの医学者に検証され、次第に方法として改良されていく。
逆に、免許皆伝、一子相伝、といった風通しの悪い技術の伝播様式では、どうしても保守的になりがちだ。

文明開化以後、西洋の技術がいっせいに日本に流入して、それは麻酔の技術についても例外ではなくて、青洲の麻酔術はあっという間に淘汰されてしまった。

明治以後、僕らはすでに西洋の価値観に染まっていて、「先に登録した者勝ち」とか「情報は公開し、批判にさらされてこそ、質が上がっていく」いう考えに対して、わりと抵抗なく受け入れられると思う。
「秘すれば花」的な価値観にもいい面はあるのかもしれないけど、少なくとも技術的な情報に関しては、秘しててもあんまりメリットないような気がする。

何が言いたいかというと、情報公開の重要性、という話です。

ネットは本当に革命的で、ネットの情報は僕の人生を変えてくれた。
僕がオーソモレキュラーを知ったのもネットを通じてだった。
今でもPubmedとかしょっちゅう使うし、僕の主要な情報ソースであり続けている。

別に恩返し、というわけでもないのだけど、最近、僕もそろそろ、情報を発信する側にまわろうか、という気持ちになってきている。
栄養療法を実践していると、自分なりの知見、というものが蓄積されてくる。このビタミンは一般にはこういう効き方をするとされているけど、実際にはちょっと違うんじゃないかな、とか、定説とはちょっと違う考えが芽生えてきたりする。
こういう主観に基づく個人の体験談は、anecdotalとされて、医学的なエビデンスといしては軽視されがちなんだけど、無意味というわけでは決してない。
青洲の考案した技術は秘術化したことで、歴史の闇に消えてしまった。
僕だけの技術、と呼び得るものがあるならば、いっそ公開してシェアしたほうが、少しでも人のためになるような気がする。

慢性疾患

2018.6.3

高血圧とか高コレステロール血症とか、いわゆる慢性疾患、あるいは、統合失調症とかアトピー性皮膚炎のような難治性疾患もそうだけど、こういう病気の治療にために病院に通うということは、いわば、その病院の先生と顧問契約を結ぶようなものだ。そこにずっと通い続けるわけだからね。
そもそも慢性疾患に対する投薬治療は、治ることを前提にしていない。
薬を一回飲んで、「数字が正常値に戻りましたね。じゃ、薬はもうやめましょう」とはならない。
飲み続ける必要がある。
いつまで?
死ぬまで、です。

これは病院にとって(そして製薬会社にとって)非常にありがたいことで、こういう「契約」は病院にとっての固定資産になる。こういう患者を一人でも多く確保することが病院経営の安定化に貢献している。

症状は抑えるが、治らない。こういう治療を対症療法といいます。

一方、栄養療法は、症状の真因にアプローチするので、根本的に治します。
根本的な原因が除去され、健康になった患者さんは、その後どうなるか。
病院に来ることはありません。感謝の言葉を残して、去っていきます。
自分の人生を歩み始め、もう病院に来ることはありません。
医者としてはやりがいのあることだけど、病院経営的にはどうか。
まったくもうかりません。

勤務医をしていた頃は、この点、ある意味気楽だった。自分の思うような医療を実践できないというもどかしさはあったが、月々の給料はしっかり保証されていた。
でも、開業してからは、経営的なことも考えていかないといけない。テナント料の支払い、看護師の給料、その他もろもろの経費。けっこうな額になります。
一方、収入のほうはどうかというと、経費をまかなうだけの額には遠く及びません。

開業して以後、僕は医療の抱えるこの矛盾に直面しました。
いわば、僕には「固定資産」がない。経営的にはきついことだけど仕方ない。まさに、そういう医療、患者を根っこから治す医療がやりたいからこそ、開業したんだ。

人間の体って精妙にできているので、出ている症状には必ず理由があります。
血圧が高いのはなぜか。
高い圧で血液を駆出する必要があるからこそ、心臓は頑張って血圧を上げているわけ。
その原因は複数ありえるけど、たとえば動脈硬化が進んでて末梢の虚血があるから、それでしっかり末梢に血液を届けるために血圧が上がっているのかもしれない。
だとすれば、治療は単に数字だけ見て降圧薬投与するんじゃなくて、動脈硬化の治療を優先すべき、というのがオーソモレキュラーの発想で、そこでビタミンEやリシン、セレンなどのサプリメントの使用という選択肢が出てくる。
動脈硬化が解消すれば血圧は自然と下がる。心臓が無理して高い圧で末梢に駆出する必要がそもそもなくなったから。
「血圧が高いぞ、それ、降圧薬だ」という考えと、そもそも血圧が高い必要性自体を解消してしまおうという考え、どちらが根本にアプローチしていると思いますか。
対症療法は、体の生理に反した状態を薬で無理やり作っているわけで、こういう治療法は後々になって、思わぬところで落とし穴にハマります。
たとえば、無理に血圧下げていて、脳の血流も慢性的な不足状態になっているので、認知症になりやすくなる、とかね。
そういうのって、統計的なデータとしてしっかり出ています。
姑息的(その場しのぎの)治療は、借金の先送りのようなもので、結局長い目で見れば、大きな代償を払わされることになります。
短期的であれ長期的であれ、服用によって起こり得る副作用に関しては、医師は投薬前に事前に説明する義務があるんだけど、断言するけど、こんな説明責任、まともに果たしている医者はいません。
添付文書にある副作用の一覧を見てしまったら、患者はその薬を飲もうなんて思わなくなるのは明らかなので。そうすれば客が逃げてしまう。医者も商売。バカ正直ではつとまらない。だから、一般的なクリニックの先生は、副作用の説明は、するとしてもさらっと流す程度で、詳しいことは言いません。

矛盾のなかで生きていくのはつらいことだけど、少なくとも勤務医時代に感じていた強烈なストレスからは解放されました。
経済的なきつさと、自分のやりたい医療をできないつらさ、比較すれば、前者はまだしかわいいもので、後者は地獄の苦しみなんだ。もう二度と味わいたくない。

「まず、害をなすなかれ」って医聖ヒポクラテスの言葉がある。
プラスにならなくとも、少なくともマイナスは与えるなよ、という戒めの言葉なんだけど、今の自分は、この言葉を実践できているという自負があるから、自分の仕事に誇りが持てる。
だから、経済的な苦しさにも関わらず、断言できる。
開業して正解だった、と。

APA

2018.6.3

ホッファーはナイアシンの大量投与療法によって、6000人以上の統合失調症患者を社会復帰させた。著した論文の数は500以上。
2009年に91歳で亡くなる直前まで、臨床現場で診療にたずさわっていた。

十代で統合失調症を発症した少年が、親に連れられてホッファーの診療所を訪れた。ナイアシンによる治療を受けた。他のどんな薬を飲んでも治らなかった少年は、見事に回復し、退院していった。
数十年の月日が流れた。
少年は長じて医者になり、出世して、APA(アメリカ精神医学会)の幹部になった。

APAは3万5千人以上の会員数を擁する世界最大の精神医学会で、様々な医学雑誌を刊行し、精神科の診断基準(DSM)の作成にもたずさわるなど、世界中の精神科医の司令塔、といった存在である。組織としての資金力も豊富で(なにしろ製薬会社から流れ込む資金が莫大なので)、政治的な影響力も強い。
当然、APAとしては、栄養療法の存在など断じて許容できない。
テレビなどのマスコミを通じて栄養療法の情報が出ないよう徹底して圧力をかける。テレビ業界にとって一大スポンサーだから、そういうことが可能なんだ。政治家にもパイプが太く、精神科学会にとって有利な政策が通るよう、ロビー活動も積極的に行う。
患者にとって真に有益な治療が表に出ず、副作用の多い製薬会社の薬が臨床現場で延々使われている背景には、こうした経済的、政治的な思惑がある。
医療というのは、そもそも患者のほうを向いていない、ということは、知っておくべきだろう。

統合失調症になり、ホッファーの治療を受け、人生を救われたかつての少年は、ホッファーと敵対する組織のトップとして、一体どんな気持ちで働いていたのだろう、と思う。
自分を救ってくれた恩人に銃を向ける格好なわけで、この医師は心の中に矛盾を感じなかっただろうか。
ナイアシンがいかにすばらしい効果があるか、当然この先生は知っている。そして、自分の団体が売り出している薬がどれほど副作用の多いものかも知っている。すべてこの医師が自分の体で経験してきたことだから。

巨大な組織に所属し、莫大な資金力、圧倒的な政治力を運用する側になれば、人間としての良心なんて、どこかに吹っ飛んでしまうのかもしれない。

ナイアシンが統合失調症どれほど著効するか、知っている医者は当然いる。APAの幹部さえ、知っている。でも、決してスタンダードな治療にならない。
要するに、政治なんだよね。
こういうの、ホンマにイヤやわ。