2018.6.10
好炭素菌を寒天培地に散布し、恒温器内に数日置くと、培地上にコロニーを形成する。
ただし、培地にKClの1%溶液を加えると(これをストレス培地と呼ぼう)、コロニーはできない。
シャーレに張ったストレス培地の片側半分に炭の粉をまくと、炭の粉をまいた半分ではコロニーができたが、残り半分ではコロニーはできない。
驚くべきことに、この現象は、炭の粉が直接細菌に接していなくても起こる。
つまり、炭素をポリエチレンの袋に入れてストレス培地上に置くと、コロニーは炭素の入った袋の周囲から形成されていく。
しかし、シャーレをブリキの箱に入れたり、アルミ箔で覆うと、この現象は観察されない。
(https://www.jstage.jst.go.jp/article/tanso1949/1998/184/1998_184_213/_pdf)
この現象を一体どう説明すればいいのか。
実験を行った松橋通生教授は、こう考えた。
炭素という生命を持たない物質が、何らかの外部エネルギー(たとえば太陽からの赤外線照射)を受けて、これを細菌の増殖シグナルに変えているのではないか、と。
教授はこれを生物細胞の音波、バイオソニックと名付け、国際的な学術誌に報告した。
しかし、、、まともに取り合ってもらえなかった。
松橋教授を待っていたのは、世界中の研究者からの冷笑、あるいは無視だった。
冷笑した研究者は、冷笑しただけであって、彼ら自身がそうした現象に対する彼らなりの仮説を提唱したわけでもない。
ただ、けなし、おとしめただけ。
建設的な議論も起こらないまま、この研究は空中に放り出されたような形になった。
後続の研究者が出ることもなかった。
僕はこういう埋もれた研究に、妙に心ひかれる。
それは、僕が「これでやっていこう」と決めた栄養療法も同じように不遇な目にあっていて、医学会の主流派から無視されているからかもしれない。
同じように闇に葬られた研究に、ケルブランの「原子転換」説がある。
たとえば、ニワトリにカルシウムを全く含まない食餌を与えると、そのニワトリが産む卵には殻がない。これは当然で、卵の殻は炭酸カルシウムが主成分なので、そのカルシウムが食餌から供給されないわけだから。
しかし餌のなかにケイ素をいれると、しっかりした殻のついた卵を産む。殻の成分は、もちろん炭酸カルシウムだ。
では、カルシウムは一体どこから来たのか。
「体内で原子転換、つまり、ケイ素がカルシウムに転換される現象が起こったのだ。もっとはっきり言うと、常温核融合が起こったのだ」というのがケルブランの唱えた仮説。
ケルブランは1975年にはノーベル化学賞の候補にあがったほどの人である。単に世間を騒がせて注目されよう、などというつまらない詐話師ではない。
しかし、理論に合わない、ということで、主流派からは黙殺された。
それどころか、1993年には、イグ・ノーベル賞を授与された。
主流派は、完全に彼をコケにしてみせたわけ。
オーケー、そこまでケルブランのことをバカにするぐらいだから、カルシウムを与えられていないニワトリが産む卵の殻のカルシウムがどこから来たのか、さぞ立派な説明があるのでしょう、と思うのだが、もちろん彼らに別の仮説があるわけではない。だから、この現象に対しては、現代科学ではいまだに謎とされている。
現象に対する説明になっているかどうか、という点こそがポイントであって、従来の理屈に合わない、というのは反論の根拠になっていないだろう。
反対派の人たちって、相手の理屈を潰すことに躍起で、相手を理解しようなんて気持ちは、さらさらないんだ。既存の理論を金科玉条にして、自分と違う新たな説に対して、異様に攻撃的になる。
ある意味、ピュアな人なんだろうけどね。
自分が習ってきた教育と違う!ということで、ある種の裏切りを受けたような気持ちになって、それで感情的になるのかもしれない。
炭の話に戻ると、炭素の性質について、未解明なことはまだまだ多い。
でも、炭は医療現場で実際に用いられている。
たとえば救急で、自殺しようとして農薬を大量に飲んだ人が運ばれてくることはよくあることだが、まず胃洗浄を行い、併せて活性炭の胃内投与も行う。これは、日本救急医学会に推奨された治療である。日本中毒学会も活性炭の効用を認めている。
民間療法ということになるのだろうが、炭を食べて、持病のアトピー性皮膚炎を治した患者の症例報告を見たことがある。炭がどういう作用を発揮して症状の軽快につながったのか、よくわからない。炭がそれ独自の波動を放ち、それが腸内細菌の生育に好影響を与えたのか。あるいは、炭の持つ有害物質排出作用によって、水銀などの重金属が排泄されたおかげだろうか。
改善の作用機序がどうであれ、そもそもこういう報告を、主流派医学は決して認めない。
ステロイドの処方、という薬害を延々垂れ流し続ける皮膚科医と、それを治療だと信じて律儀に医者の言いつけを守っている患者を見ると、胸が痛い。
経皮吸収されたステロイドは、体内に長くとどまり、酸化ステロイドとなって、活性酸素を生み出す原因となり、細胞内ではその影響でミトコンドリアがダメージを受ける。
皮膚のかゆみ、という当初の症状は、そもそも放置すれば自然軽快しているはずのものだった。しかしステロイドを塗ったがために、症状を不必要に遷延させ、むしろ増悪させた。
こんなデタラメが、堂々と治療としてまかり通っている。ガイドラインという学会公認のお墨付きのもとで。
「ただの皮膚病じゃねえか。死ぬわけじゃあるまいし」
その通り。
皮膚病で死ぬことはないかもしれない。
でもね、みにくい皮膚で生きていくことって、死ぬよりつらいんですよ。
アトピーだった僕が言うんです。間違いありません。
2018.6.9
自衛隊では幹部以上になると、意外にもヒゲをはやしてオッケーだという。
ただし、ヒゲといっても、許されるのは口ひげだけ。あごひげはダメ。
なぜだと思う?
それは、実に軍隊らしい理由なんだが、ガスマスク着用のためだ。
あごや頬にヒゲがあっては、ガスマスクが顔に密着しない。ガスマスクに隙間があっては、防毒の意味がなくなってしまう。
彼ら、適当にはやしているように見えて、あごや頬はきれいにそっているはずだから、今度よく見てごらん。
毒ガスが戦場で使われたのは、第1次世界大戦のとき。フランスがドイツにブロモ酢酸エチルを使い、お返しとばかりにドイツがまた別の毒ガス(ホスゲン)を使い、という具合に、開発競争が進んだ。
ドイツの開発したイペリット(マスタードガス)による死傷者は18万人、アメリカの開発したルイサイトによる死者は10万人にのぼった。
1936年、ドイツのシュレーダーがシラミの殺虫剤の公開実験をしたところ、それを近くで見ていた数人が倒れた。瞳孔の縮小が見られ、神経が麻痺していた。
これをきっかけに、神経系の毒ガスであるタブンが開発された。
シュレーダーのもとで働いていた研究員が、タブンの溶液を一滴、うっかり作業台にこぼしてしまった。それだけで、同じ部屋にいた研究員らは、縮瞳、めまい、息切れを起こし、完全な回復には3週間を要した。
1g未満で致死量となり、ホスゲンやルイサイトの100倍の殺傷能力があった。
1938年にはそのタブンよりも2倍殺傷能力が高いサリンが開発された。
1944年にはサリンよりも強い史上最強の毒ガス、ソマンが開発された。
これらの毒ガス(タブン、サリン、ソマン)は大規模プラントで大量に生産されていたが、実戦で使用されることはなかった。
なぜか?
たとえばサリンは無色無臭の液体で即効性が高く、もし都市に投下すれば、都市全体を数分で死の街に変えることができる、と言われていた。
なぜヒトラーはこれほど強力な毒ガス兵器を開発しながら、実戦で使用しなかったのか。窮地に追い込まれていた同盟国側の、一発逆転の切り札にもなり得ただろうのに。
その理由はよく分かっていない。
個人的な推測だが、あまりにも効果が強すぎたから、ではないだろうか。
戦争の背後には、常に黒幕がいる。一発落としただけでロンドン市民全員を死亡させてしまうほどの殺傷能力を備えた兵器というのは、彼ら黒幕にとっても不都合だったため、その実戦使用を許可しなかったのではないか。
さて、こういう「攻撃」の開発がなされたということは、それに対する「防御」の開発もさぞ進んだことだろう、と思われるかもしれない。
しかし、「防御」のほうは、ほとんど進歩していない。
解毒薬としてPAMやアトロピンがあるが、毒ガスへの曝露からすぐに投与しないと効果がない。
ガスマスクはすでに第1次世界大戦のときに開発・使用されていたが、基本的な構造としては現在とほとんど変わっていない。フィルター部分に使う濾材として何がベストか、様々なものが試されたが、濾材はこの100年、変わっていない。
僕らのごく身近にあるものがガスマスクの濾材に使われているんだけど、それは何だと思う?
それは、活性炭だ。
炭だよ。ただの炭が、最もよく毒ガスを吸着し、最も効率よく兵士の命を守るなんて、意外だと思わないか。
百年前の毒ガス研究者にとっても、これは意外なことだろう。彼らは「この先もっと研究が進めば、もっと効率のよい濾材を使った高性能のマスクが開発されるだろう」と思っていたに違いない。
ところが、活性炭、ヤシ殻を使った炭に勝るフィルターがいまだに現れていないし、しかもその作用機序、なぜそんなにも毒ガスを能率よく吸収してくれるのか、そのメカニズムもいまだによくわかっていないというんだから、自然の精妙さの前には、人類の技術というのはまだまだ発展途上ということだね。
毒ガスの歴史の話から、いきなり僕の話にうつる。
クリニックの開業当初、看護師が「先生、少し言いにくいんですけど」とためらいつつ、こう言った。「このフロア全体のにおいが、新築っぽいというか何というか、すごくケミカルなにおいがします。私、こういう空気が苦手なので、もしよければ、空気清浄機の購入を検討してもらえませんか。そうすると、来院される患者さんも、不快な思いをされないと思います」
鼻が鈍感なせいか、においとか全然気にしない僕にはありがたい指摘だった。
そこで、どういう清浄機を買おうかといろいろ調べてみたが、意外に値が張る。しかも部屋がけっこう広いので、本気で空気をきれいにしようと思ったら、2、3台は買わないといけないだろう。
そこで、まず、空気清浄作用のある観葉植物を何種類か買って、部屋に置いた。
効果はイマイチ。
次に考えたのが、炭だった。それでダメなら空気清浄機を買おう、と思っていたが、この炭が効いた。もう、てきめんに効いた。
看護師も「いやなにおいは全くしなくなりました。」
身近に炭のパワーを感じたな。
よかったらみなさんもお試しを。
リセッシュとか、けったいな消臭芳香剤使うより、よほど自然で、かつ、効果があるよ。
サリンやソマンを無力化してしまうぐらいのパワーを秘めた炭にとってみれば、シックハウスの空気をきれいにするぐらいは朝飯前のことなのかもしれない。
2018.6.8
総合病院で働いていると、他科からのコンサルというのがある。
「間質性肺炎で入院してる人だけど、不穏でおかしな言動があるから何とかしてくれ」みたいな相談が精神科に来るわけ。
僕はこれがすごく苦手だった。
そういう精神症状って、治療の副作用によるものがほとんどだから。
間質性肺炎の治療なら副腎皮質ステロイドの投与を受けているはずで、ステロイドの副作用でせん妄とかの精神症状が出るのはしょっちゅうあること。
原因はわかってるんだから、対処としては、原因薬剤の中止(あるいは減量)というのが基本なんだけど、コンサルしている先生は薬を減らす気はない。「そこを何とかするのが精神科の仕事だろう」ぐらいに思っている。
本当はきちんと話し合わないといけないんだよね。
「コンサル頂きましたが、まず、ステロイドの減量が先決かと思います。その上でまだ不穏が消退しないようでしたら、改めてご相談ください」という返書をしたためるのが筋道。でも、総合病院の雰囲気を知っている医者ならわかるだろうが、そういうことを勇気を持ってはっきり言える医者というのは、まずいない。
「ご紹介ありがとうございます。診察させて頂きました。リスペリドンを処方しました」みたいな流れに落ち着くのが相場だろう。
薬の副作用で出た症状を、別の薬で抑え始めたわけ。
こうして、モグラ叩きが始まる。別の薬は、さらなる別の副作用を生み出し、その副作用を抑えるためにさらに別の薬が投与される。
バカみたいな話だけど、こういうのが病院でやってる、いわゆる『治療』。
この治療で一番不利益を被るのは、患者自身に他ならない。
僕もそういうデタラメにずいぶん加担してきた。
当時から薬害の知識はある程度あったから、余計につらかった。患者にとって利益がないとわかってて行う治療を、立場上やらざるを得なかった。
スタチンを投与されてる患者がうつ病を発症してる。ああ、スタチン誘発性のうつじゃないか、って見てすぐわかるけど、主治医への配慮が先に立って、スタチンを中止すべき、とは言えない。新たな抗うつ薬の投与、ということになる。引き算すべきところ、足し算で対処せざるを得ないんだ。
70代のとあるおじいさんのことを覚えている。
とある病気を発症し、ステロイドパルス療法を受けていた。夜間不穏がひどいということで精神科にコンサルがあり、精神科的なフォローを僕が担当することになった。
自営業で、電気の配線をする仕事をしている人で、数ヶ月前までは元気で、普通に仕事をしていた。『電柱に登ることもラクラクとできた』ぐらいに元気な人だった。ずんぐりとした小柄な体形だけど、言われてみれば、頑丈そうな武骨な手をしていて、こういうのを職人の手、というのかなと思った。
不穏に対して、ある薬剤を投与するも、治らない。現場の看護師から愚痴が出る。「出して頂いている睡眠薬も効かず、まったく寝てくれません。寝ないばかりか、どこかに行こうとするので、常に監視しないといけません」
拘束対応となって、ベッドに寝たきり。
日に日に衰弱し、あるとき、拘束が解除されていたとき、転倒。以後、意識不明となり、数日経って息を引き取った。
医療殺戮。一丁あがり。
こんな具合に、何人殺してきたことか。
これからも殺し続けるの?
罪とは何か。
自分の良心に反することをあえて行うこと、と定義するならば、僕はどれほど罪深いことをしてきたことか。
「僕だけじゃない。他の医者、誰もがやっていることだ」とか、「仕事ってそういうものだよ。ラクな仕事なんてない。みんな矛盾の中で疑問抱えつつ頑張ってるんだ」って自分を励ましたりもした。感情を持つからつらいのであって、極力感情をまじえないように、心の一部を麻痺させたままで働くようにすれば楽になれるんじゃないかと思ったけど、、、そんなことはとても無理だった。気持ちのきつさは変わらない。
本当に患者のためになる治療をしているんだ、って自分で自分に確信が持てないような仕事に、プライドなんて持てない。
2018.6.7
開業する前は、僕の人間関係って狭いもので、ほとんどが医者ばかり。医療関係以外の人と話す機会ってあんまりなかったんだけど、開業後はいろいろな業種の人と話すようになった。
きのうの夜も、とある企業の社長さんと食事を一緒にした。
50歳だけど歳の割に若い感じで、昔柔道をしていたということもあってか、すごく体格がいい。複数のビジネスを手がけているけどどれも成功していて、その割におごったところがなくて、物腰も柔らかい。その席で社長さん、こういう話をしていた。
「赤字部門っていうのかな、利益の全然出てないこともやってるよ。障害のある子供の支援施設の代表をしているんだけど、ここは正直、採算は取れていない。ああいう施設って、人件費とか大変なんだ。
普通学校のクラスなら、40人の生徒に教師は一人でいいだろう。でも、障害児には、だいたい5人につき1人、という形でないといけない。他にも施設の維持費とか管理費でバカにならない金額がかかる。
部下からはずいぶん反対されたよ。「社長、どう考えて、手を引くべきです」って。でも俺はこの仕事、やめる気はないよ。
第一、すごくやりがいがあるんだ。
障害の程度は様々だが、共通していることがある。彼ら、みんないい目をしてる。人の話を聞くにも、何か作業をするにも、いつも真剣でね、俺はそういう彼らの目が好きなんだ。うちの社員に見習わせてやりたいくらいだよ笑
俺も直接子供たちと話をするし、作業を指導したりする。
以前、ある若い芸術家と協力して、掃除とアートの融合、というのをテーマに、子供たちに掃除の道具を作る課題をやらせた。
みんな楽しんで課題に取り組んでいたし、完成した道具も実用的で、以後、掃除はみんな自分の作った道具でやるようになった。
その取り組みがね、なんと、市の教育委員会から注目されて、他の普通の小学校でもその取り組みを採用し始めたんだ。
俺の発案した課題があちこちの小学校で行われているんだよ。こんなにうれしいことって、ないじゃないか。
そうした活動をやり始めて、何年か経った頃、不思議な現象に気付いた。
仕事の入札を出すんだが、よく競り負けていた他社ではなく、なぜかうちの会社が選ばれることが多くなった。
仕事が取れてありがたいことだからいいんだけど、なぜ、そんなラッキーが続くのか、俺自身よくわからない。社員と話してみたが、社員もわからない。
そこで、あるとき、仕事を落札してくれた当の企業の社長に聞いてみた。『なぜうちを選んでいただいたのですか』と。
そしたら意外にも、決め手は、あの障害児施設での活動だ、って言うんだよ。企業はどの会社を選ぼうかと、インターネットとか使っていろいろ調査する。うさんくさい企業とは仕事したくないからね。この世界ってさ、きれいなことやってる会社ばかりじゃない。一見普通っぽくても、実は裏に暴力団の影がある、みたいな会社も多いんだ。そういう調査のなかで、うちの会社のホームページにある、「自作の掃除道具できれいにしよう」とか「掃除を楽しくしよう」という、施設での活動を紹介した記事が、彼らの目には光って見えたわけ。赤字部門と思われていたところが、対外的には何よりの宣伝になっていたんだ。
活動を始める前に、宣伝になればいいな、という下心はなかったとは言わないよ。でも、社会のために何か役に立つことをしたいって思いも本当だったし、同じやるなら、普通の子供のためよりは障害児のために、と思っていた。
まったく、人生、何がどう吉に出るか、わからないものだね」
因縁という言葉があるって、『因』は原因と結果の世界で、場合によっては科学的な分析も可能だけど、『縁』のほうは全く不可解、理性では解き明かせないものだ、みたいなことを南方熊楠が言ってた。
この社長の話で僕がおもしろいと思ったのは、仕事をやたら落札してくれるという謎の幸運が続いて、『縁』かと思っていたら、実は障害児のための活動が結果的に宣伝になっていたという、充分に『因』で説明がつく現象だった、ということです。
たとえばサイコロを投げる。6が出た。
さて、これは偶然か、必然か。
サイコロの握り方、振る角度、サイコロの接触するテーブルの材質。そういうもろもろの要素を細かく考えていけば、6が出たのはランダムだったのではなく、必然だった、つまり『縁』ではなくて『因』だった、というふうに考えることもできる。
僕は統計学に妙に心ひかれるんだけど、それは、科学的なアプローチでどこまで『縁』にせまれるの、というのがすごくおもしろいからだと思う。
とはいえ、統計学が縁の不思議の全てを解き明かすかといえば、そんなことは決してない。
因果の必然のなかを生きているように見えて、時々思いがけないような縁が降ってかかる。そういうのが人生なんだと思う。
2018.6.6
ちょうど100年前、1918年に、医学の歴史上、最悪の大惨事があったんだけど、何かわかりますか。
それは、いわゆるスペイン風邪の流行です。
1918年といえば、第一次世界大戦の最中。
もちろん戦争自体も大変なことだったけど、スペイン風邪の猛威は戦争の悲惨さをはるかに上回るものだった。
1918年から1919年の間に世界人口の20%が罹患し、そのうち6000万人が死んだ。
これは第一次世界大戦の死亡者の約3倍にあたる。戦争のドンパチで死んだ人より、スペイン風邪のせいで死んだ人のほうが断然多かったわけ。
また、この数字は、第二次世界大戦の死亡者数に匹敵する。
たとえば、癌は怖い病気ってされてるけど、人類規模の目線で言えば全然怖くない。個人が散発的に亡くなるような疾患は、種全体の存続を脅かすようなことにはならない。
本当に恐るべきは、感染症だ。
癌で人類が滅亡する、ということは考えにくいけど、ある種の感染症ではそういうことが普通に起こり得る。
これほどまでに多数の命を奪った感染症なんだけど、1919年以後、同様のパンデミックは起こっていない。
大惨事から百年が経ったが、スペイン風邪とは何だったのか。
たまたま世界戦争中に起こった不幸な流行病だったのか。それとも、、、
以下はHenry Makowという人の文章から、僕がテキトーに訳したものです。真偽のほどは知りません。
1948年、ゲシュタポの元長官ハインリヒ・ミュラーはCIAの取り調べに対し、「1918年のインフルエンザ・パンデミックは人工的に起こされたものだ」と語った。「1918年3月カンザス州ライリーで米軍による細菌実験が行われていた。兵士をウィルスに感染させる人体実験をしていたのだが、何らかのミスがあったのか想定外だったのか、細菌部隊の『手に負えなくない』事態になってしまった」
スペイン風邪は、世界を裏で操るエリート層の人口削減計画の一端だったとの声もある。こうした計画は今も一部で着々と進行しており、スペイン風邪の原因ウィルスと鳥インフルエンザウィルス(2005年)の類似性が指摘されている。
スペイン風邪(Spanish Flu)と言われているが、それは世界で最初の報告例がスペインだったからである。アメリカ、イギリス、ドイツなど各国でこの流行病の死者が記録されていたが、戦時下にあるこれらの国が正確なデータなど公表するはずもない。中立国だったスペインがバカ正直に症例を報告したがために、自国の名称を冠した不名誉な病気の名前を付けられた、というだけのことである。
また、いわゆる現在我々が言うところのインフルエンザという疾患概念は1933年に成立したものであって、1918年当時の人々にとっては、インフルエンザが流行している、という認識はなかった。
米軍の軍事施設から制御不能となったパンデミックであるから、アメリカ国内で猛威をふるったのは当然である。当時の米国民の28%が罹患し、50万人から67万5千人が死亡した。しかし被害は米国にとどまらなかった。
英国で20万人、フランスで40万人が死亡した。アラスカや南アフリカでは村の部落の全員が死亡し、村そのものが消滅した、との報告がある。オーストリアでは1万人、フィジー諸島ではわずか2週間の間に全島民の14%が死亡した。
実に、1918年のパンデミックは空前の事態であり、デング熱、コレラ、チフスなどと誤診されることが多かった。特筆すべき症状としては、粘膜(特に鼻、消化管)からの出血である。耳からの出血や皮膚の点状出血もしばしば観察された。また、この病気に特徴的なのは、死亡者の99%が65歳以下、特に20歳から40歳の若年成人であったことである。こんな感染症は他に例がない。というのは、通常インフルエンザで命を落とすのは小児(特に2歳以下)や高齢者(70歳以上)だからである。
1944年ベルリンで行われたナチスの細菌戦対策会議で、ドイツ陸軍衛生部隊の主任ウォルター・シュライバー将軍は、ミュラーにこう語った。「1927年に私はアメリカに2か月ほど滞在し、米軍の衛生部隊の責任者と話したのだが、そこで彼らははっきりこう言っていた。『我々は二重攻撃ウィルス(double blow virus)の開発に成功し、1914年の戦争で使用した。当初は降伏したドイツ兵の殺傷を目的としていたのだが、その病原体は細菌部隊にも制御不能の事態になった』とのことだ。」
CIAベルン支局の所長ジェイムズ・クロンタールは、「double blow virusとは何だ」と尋ねた。
ミュラーは「ご存知のように、私は医者でも科学者でもないが」と前置きした上で、以下のように答えた。「double blowとは、ボクサーのパンチのように効くウィルスだ。最初の一撃で、まず、免疫系を攻撃する。これにより、二発目の打撃に対する防御力を低下させる。そして二発目の打撃は、肺炎だ。しかし免疫力の低下した状態では、致命的となる。シュライバーから、この細菌兵器を実際に開発したのはイギリスの科学者だと聞いた。この細菌兵器の恐ろしいところは、病原体がそれ自身、変化することだ。最初は制御可能なものだったとしても、すぐに変化して、開発者にも手が付けられなくなってしまう」
上記のスペイン風邪についての会話は、チフスについて話しているときにたまたま言及されたのだった。ナチスは収容所のロシア人捕虜にチフス菌を注射し、300万人を殺した。チフス感染はアウシュビッツおよびその他の収容所にも広まった。
米ソ冷戦のさなか、ミュラーはこう語った。「もしスターリンがヨーロッパを侵略するなら、スターリンの兵士のなかに病原菌をばらまけばいい。それだけで軍は崩壊し、ヨーロッパは守られるだろう。小さな病原菌の一瓶と、原爆一個、どちらが安上がりかは明らかだろう。おまけに、スターリンの側は、兵士を食わせ、服やら弾薬やらを支給しないといけないが、こちら側の持つ病原菌の一瓶は、何万人もの兵士に匹敵する働きをするのだ。一方、戦争の不安があるおかげで、経済には大変な恩恵があるのも事実だ」
生物兵器?そんなもの、本当にあるのか?というのが世間一般の普通の反応だろうと思います。
個人的には当然あると思っています。2006年の鳥インフルエンザも、米軍による意図的な病原体の散布によるものだと思います。でも、生物兵器の存在を信じない人を説得しようとかは全然思いません。
ただ、ひとつ、以下に科学的なデータを提示します。生物兵器の存在を肯定する人、否定する人、どちらにも有用な情報だと思います。
鳥インフルエンザの症状として特徴的なのは、鼻出血や歯肉出血など、粘膜からの易出血性です。
これは、壊血病の症状と同じです。
つまり、鳥インフルエンザウィルスが感染すると、感染者の体内ではビタミンCが急速に消費され、急性の低アスコルビン酸血症を呈します。
治療法は、可能な限りすぐにビタミンCを投与することです。50gのアスコルビン酸を静脈点滴で行い、これを4時間ごとに繰り返します。同時に経口からもビタミンCのサプリメント(5gを1時間おきに)摂取します。
これで数日で回復します。(参考: Thomas Levy “Curing the Incurable”)
仮に生物兵器で攻撃されたとしても、それが生物兵器だと認識できないのはその性質上当然のことですが、最も効果的な治療薬は、医師の処方するヘタな薬ではなく、ビタミンCなのだということは、ぜひ知っておきましょう。