ナカムラクリニック

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2018年8月5日

F15

2018.8.5

「かつて航空自衛隊でF15のパイロットをしていました。日本全国いろいろな地域を回りましたが、最後にいたのは三沢です。
最近若手がどんどんやめています。私の退職もその流れの一つ、といったところです」

なぜ若手がやめているの?

「組織が古いんです。政治情勢の変化、社会の変化、そういう変化に対応して組織も変わらないといけない。でも、変わらないんです。
組織上層部の既得利権の問題なのか、組織としての構造上の問題なのか、そのあたりははっきりしませんが、ひとつ明らかなのは、そうした旧弊な体制のために最も割を食うのは、個人です。
組織の末端で身を粉にして働く、個々の自衛官です。
人員の配分が変わらないから、若手に無理が行く。奇妙な根性論がまかり通って、有望な若手がどんどんダメになる」

若手は具体的にどんなふうに大変なの?

「朝5時に起きて、まず、お茶汲みです。コーヒー淹れたり掃除したり。上司への報告のために、スライドを準備したり、壁に貼る写真を用意したり、そういう雑務に忙殺されます。
飛行技術を向上させるためのトレーニングをしないといけないのですが、様々な雑用の合間を縫って、その時間を絞り出します。
夜11時就寝ですが、その頃にはもうヘトヘトになります」

防衛大学を卒業した後の進路って、どう決まっていくの?

「まず、パイロットになるには、米国留学か、国内養成、この二通りの道があります。初期操縦過程を終わった後、そのいずれかを選びます。私は留学を選びました。
F2という戦闘機で訓練をし、三年ほどの専門的な修練を積んで、ウィングマーク(パイロット資格)を得ます。
このパイロット養成プログラムにしても、日本のプログラムはひどいものです」

どんなふうにひどいの?

「戦闘機に乗るということは、体にすごく負担がかかるんです。たとえばF15は最高速度マッハ2.5で飛びますが、急旋回すると、場合によっては最大9Gの力が体にかかります。地球の重力の9倍の遠心力が体にかかる、ということです。
高いGにさらされると、脳血流が低下し、ひどい場合には失神します。だからパイロットは、そういう負荷に対しても失神しないようにするため、訓練を通じてちょっとした技術を身につけています。
ただ、そんな小手先の技術で体への負荷がチャラになるはずがありません。たとえば、」
と彼、上着のそでをめくって見せ、
「フライトを終えて、コクピットを降りた後には、腕のこのあたりが真っ黒になります。高Gで全身の毛細血管が切れて、内出血を起こすんです。ただでさえ低温、低気圧の高度3万フィートという過酷な環境で、日常ではありえないほどの重力がかかるわけです。
そういう激しい肉体的負担からパイロットを守るため、アメリカにはきちんとした規則があるんです。たとえば、高Gで1500時間以上乗っちゃダメ、とか。
でも日本にはそういう規則がありません。なかには、6000時間以上乗っている人もいます。1000時間以上乗ると日常生活に支障をきたす症状が出てもおかしくありません。
もっとも、Gが体にどのような影響を及ぼすか、様々な研究があるのですが(https://europepmc.org/abstract/med/9591617)、Gへの耐性には遺伝性があるのではないか、という説もあります。
確かに、現場の実感としても、個人差は大きいように思います。何時間乗っても大丈夫な人がいる一方で、比較的少ないフライト時間でパンチドランカー様症状を示す人がいたり」

Gに対する耐性を決める遺伝子があるのかも、という説は面白いね。
人類が発生してウン百万年。遺伝子のほうでは、人類が上空3万フィートをマッハ2.5で飛んだり、体にむちゃくちゃな重力がかかる事態を想定していなかっただろうにね。
パンチドランカー様症状って、その症状が出始めると、どうなるの?職務上の疾病だから、国から医療的な補助が出たりするのかな?」

「あまり大きな声では言えないのですが、部隊で飼い殺しすることになります。うかつに外に出して、マスコミに嗅ぎつかれては格好のネタでしょうから。
パンチドランカー様症状まで行かなくても、認知面に影響の出ている人はたくさんいました。
F15の飛行時間が1000時間を超えると、物忘れがひどくなります。私が所属していた部隊、そこのラウンジでは、コーヒーカップの忘れ物が異様に多いんですよ。
それに、腰痛や首の痛みはほぼ必発です。

パイロットの健康をないがしろにして顧みない空自の体質には大いに疑問を感じます。
僕が自衛官をやめたことと、そして医学部を再受験したこと、この二つは無関係ではありません。むしろ一つの連続的な、必然の流れです。
医学部に入り、研究者になって、航空医学をやりたい。それでパイロットの負担を少しでも減らせるような方法なりシステムなりを開発したい。
そういう思いで、今、ここにいます。
日本で航空医学をやっているのは空自とJAXAだけです。結局自衛隊との縁はまだつながっているということになりますね。
私も元パイロット。
国の税金をもらって空を飛び、空のすばらしさを経験させてもらいました。その恩返しとして、国に、あるいは空自に、何か貢献できることがあるなら、ぜひ貢献したい。そう思っています。」

志のある男である。
人生を生きるに際して、これほど強い信念と明確な目標を持っている人も、そう多くはないだろう。
「今日はおもしろい話が聞けた。ありがとう」と言って、その場を辞去しようとしたところで、大事なことをひとつ、聞き忘れていたことに気付いて、彼の背中に最後の質問。
「そもそもさ、なんで防大に入ったの?」
男の答えは淀みなく明快である。
「パイロットになりたかったからです。自分は子供の時から空が好きでした」


これは、彼がまだ学生のときに聞いた話である。
その後、風のうわさで、彼、整形外科に入局したと聞いた。
おーい、航空医学はどうなったんやー笑

花火

2018.8.5

神戸の花火を見ようと、船を持っている友人に乗せてもらって、いざ出発。

海上から花火を楽しんだのは初めてだ。
空に打ち上げられた無数の大輪の花が咲いては消えて、咲いては消えて。
特にラストの一斉に打ち上げる花火は大迫力で、この世のものとは思えない景色だった。
鳥肌が立った。
きれいなものを見て鳥肌が立つなんて感覚、ずいぶん久しぶりだな。

いや、正確には、きれいなのに感動したっていう、それだけじゃないな。
きれいなのはもちろんそうなんだけど、それだけではなくて、恐怖に近いような感情もあったと思う。
美が爆発音とともに咲いて、こちらにグングン迫ってきて、やがてあっけなく消える。光を放っては消える花火が、生まれては死んで行く僕ら人間の比喩のようにも感じた。
あるいは僕は、美というものを誤解していたようだ。
美は控えめなもので、こちらがその中に詩を見出さないと顕現しないものだって僕は思ってたんだけど、今日、その思い込みが打ち破られた。
おしとやかなお嬢様の美しさではなく、こっちめがけて叫び声をあげる狂女の美しさ、という感じ。
控えめな美に慣れているところに、こういう美に直面させられると、感動するというよりか、何だか怖いのよ。

この美しさが写真に撮れたらどんなにいいことだろう、と思って撮ったのがこの写真。↑
もうね、撮影しながらも写真のショボさに気付いて、うんざりした。
スマホのカメラ越しに見る花火と、今目の前の夜空に展開される花火、両方を同時に見たけど、同じものだとは思えないぐらいだった。
写真が「真を写す」だなんて、こんなウソはないね。

きれいな蝶が飛んでいる。虫取り網でサッと捕まえ、標本にする。しかし標本にした瞬間、すでに詩がなくなっている。
フワフワと空を飛んでいたときはあんなに魅力的だったのに、標本箱の蝶は、出がらしの茶のように味気ない。

花火も同じような感じで、その美しさは、どこか保存できる類のものじゃないんだな。その美しさの賞味期限は、一瞬だけ。その場限りのものなんだ。

人工知能とか最新の技術を使えば何事も簡単に再現できてしまう現代に、こういう一回性というのは、逆にますます、輝きを増しているようにも思う。
今年の花火は、泣いても笑ってもこれで終わり。同じのを見るのは、また一年待たんあかん。こういう不自由さが逆に新鮮なんよね。
こういうことを一緒に見に行っていたごうちゃんに言ったら、「そんなに気に入ったんやったら、明日の加古川の花火も見に行く?」
いや、そういう問題じゃないねん笑