ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2018年7月29日

手洗い

2018.7.29

もともと外科系に行こうという気はなかったんだけど、ポリクリを回っているうちに、その思いは確信に変わった。自分は絶対に外科じゃない、と。
その大きな理由の一つは、一言でいうと、手洗いの面倒くささなんだけど、何というか、その知り方が、実に苦かった。

とあるマイナー外科を回っているときのこと。四十才ぐらいの指導医が、
「手洗い、習ったことないの?」
「いえ、一度授業で習いましたが、ほとんど忘れてしまいまして」
「じゃ、俺の言うようにやって」
手を濡らし、洗浄液を手にたらして、念入りに洗い、泡を水で落とす。
「ああ!ダメダメ!
泡を落とすときに、しずくが指先じゃなく肘のほうに流れるようにしないと。もう一回やり直し。最初から」
また洗浄液を手に取って、洗い始める。
さっき一度洗っているのだから、と、一回目より簡単に済ませて、すぐに泡を落とそうとしたら、
「おい!何やってんだよ!最初から、っつってんじゃん!教えられたとおりにやれよ!」
もう一回洗浄液を手に取って、今度は念入りに洗う。
いい加減イライラしてきたせいもあって、手を激しく動かして洗ったせいで、うっかり手が水道の蛇口に触れてしまう。
「ああ!ダメだ!そんなところに手がついちゃ!雑菌まみれだぞ!はい、もう一回最初から」
指導医、わざとらしく大きなため息をついた。「犬のほうがまだ物覚えがいいくらいだぞ」
ため息をつきたいのは僕のほうも同じだった。指導医に気付かれないように小さなため息をついて、もう一回最初から手を洗い始めた。
何とか手洗いは無事に済んで、次にガウン着用ということになったが、
「ガウンの着方は知ってる?」
「授業ではやりましたが、ずいぶん前なので覚えていません」
「じゃ、言われるようにやって」
そでに手を通し、マスクの両端のヒモを手伝いの看護婦に渡す途中で、触れてはいけないところに触れてしまったらしく、また叱責の声が飛んできた。
「ああ!そこは不潔だよ!ったくもう、頼むよ、ほんと」と、さげすむ目でこちらを見て、
「俺、こいつを教える金、もらってねえよ」と傍らの看護婦に大げさに嘆いて見せる。
看護婦のぎこちない苦笑い。
僕は、どういう表情を作ったらいいのか、よくわからない。
「はい、もう一回からね」と、水道のほうをあごで示した。
「最初から、何を・・・」
「決まってんじゃん。手洗いだよ」
頭が熱くなった。
この指導医への怒りなのか、自分への情けなさなのか、何だかよくわからない感情で胸がつまった。
今すぐにも泣きたいような気持だったが、いけない。
心をからっぽにして、洗浄液を手に取って再び念入りに洗い始めた。

彼の言っていることは正しいと思う。
手洗いの最中に手が蛇口に当たってしまっては最初からやり直すべきだし、ガウンの着用の際にはどこを清潔に保つべきか、きちんと認識しておかないといけない。
でもこの先生、学生指導に向いている性格だろうか。
というか、もっと根本的に、人に接するときの、人への態度はどうなのか。学生相手にこの態度なら、患者相手にはどういう態度なんだろう。
もちろん、指導医として、学生を叱る必要があるときもあるだろう。
でもその叱責が、本人のためを思って言いたくないことをあえて言ってくれているのか、それとも、権力をかさにきて人をいびることが快感だから叱っているのか、その違いくらいはわかる。

僕が外科医志望ならどうなっていただろう。
まさかこの一事のために外科をあきらめるなんてことはないだろうけど、少なくともこんな指導医がいる医局は避けようと思ったと思う。
幸いにも外科に入ろうとは考えていなかったからよかったんだけど、、、
強い殺菌作用のある薬剤で入念な手洗いを繰り返した手は、皮がむけてガサガサになった。
まぁガサガサになったって、そんなのはすぐに回復するからいい。でも、外科に対して残った嫌な思い出、こっちのほうはなかなか消えへんのよ。

ミシュラン

2018.7.29

今日は、というか日付が変わったからきのうは、なんだけど、僕のクリニックの患者さんであり、かつ、僕の師匠でもある先生に晩御飯をごちそうして頂き、先生行きつけのバーにも連れていって頂いた。
1ヶ月前に当院来院の際にもその後食事に連れて行ってくれ、バーを回るという同じコースをたどったんだけど、またしてもごちそうになった。
先生は開業は高砂でしているんだけど、三十年ほど前には神戸で勤務医をしたから、神戸、特に元町にはすごく詳しくて、現在元町在住の僕よりもはるかに詳しい。
連れて行ってくれた店の大将に「震災前にはどこそこに何々という店があったけど、今はもうなさそうやね」「ええ、三年前にオーナー、閉店されました。ミシュランにも星のついた店でしたから、周囲も閉店には反対してましたけど、オーナーは、そんなもん関係ない、と」
「え、ミシュランの星ついてたん?それは知らんかった。ずいぶん格上げたなぁ」
「どっちかというと、オーナー、ミシュランに選ばれてもむしろ、不愉快そうでした。タイヤメーカーのくせに、うちの味なんか分かるわけない、偉そうに格付けすんな、と。あるとき、ふと、外人の二人組が店に来た。その時点でオーナー、ピンと来た。食後、名刺を渡されて、ここの店を紹介したいのですが、と言いに来た。名刺にはミシュランの名前。普通のオーナーなら、満面の笑みで「ぜひお願いします」ってなもんでしょう。でもオーナー、「外人に和食の味なんて分かるわけない」って思ってたから、ミシュランに掲載する写真の提供を求められても、拒否した。でも、ご存知ですか、僕は知らなかったんですけど、ミシュランへの掲載を拒否する権利ってないんですね。だから、店の名前は載ってしまう。写真は記者が勝手に撮った写真が載るっていう格好になりました」
若い頃、先生が「ここはうまい」と思って通っていた店が、後年ミシュランから評価を受けたわけだ。
こういうのって、商売っ気のあるオーナーにとったらこの上なくおいしい話だけど、本当の職人仕事をしたいオーナーにとっては、むしろ不愉快なのだという。
「オーナーはね、味を本当にわかったお客さんにお出ししたかったんです。ミシュランガイドに載ってるから、というのを見てから来る客は、料理を食べてるんじゃない。情報を食べているんです。予約が殺到して、本当に大事にしたい昔からのお客さんが気軽に店に入れなくなってしまう。何食わしても同じ味ボケの客の相手なんか、したないわ、ということを言われてました」

料理ではなく、情報を食べている。
でもこれって、みんな多かれ少なかれ、同じじゃないかな。
本当に味のわかる人って多分客全体の1割くらいで、8割の人は店の空気とか情報楽しみに来てて、味も「大ハズレじゃなければまぁいいよ」ぐらいの人、残り1割は何食わせても全く違いのわからない人、といったところだろう。
違いのわかる1割の客のために本当の仕事をしたいっていうオーナーの気持ちはわかるけど、客商売という性質上、その他9割のお客さんも大事にしないといけない。
うちに来てくれる患者さんもそんな感じじゃないかなとふと思った。僕の治療方針に理解のある人って1割ぐらいかもしれない。僕は別にそれで全然よくて、どんな患者でもウェルカムなんだけど笑。
でも僕は、そういう職人気質の頑固さとかこだわりって嫌いじゃなくて、むしろ僕もそういうこだわりを持ったほうがいいかもしれない。