ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2018年6月

因と縁

2018.6.7

開業する前は、僕の人間関係って狭いもので、ほとんどが医者ばかり。医療関係以外の人と話す機会ってあんまりなかったんだけど、開業後はいろいろな業種の人と話すようになった。
きのうの夜も、とある企業の社長さんと食事を一緒にした。
50歳だけど歳の割に若い感じで、昔柔道をしていたということもあってか、すごく体格がいい。複数のビジネスを手がけているけどどれも成功していて、その割におごったところがなくて、物腰も柔らかい。その席で社長さん、こういう話をしていた。

「赤字部門っていうのかな、利益の全然出てないこともやってるよ。障害のある子供の支援施設の代表をしているんだけど、ここは正直、採算は取れていない。ああいう施設って、人件費とか大変なんだ。
普通学校のクラスなら、40人の生徒に教師は一人でいいだろう。でも、障害児には、だいたい5人につき1人、という形でないといけない。他にも施設の維持費とか管理費でバカにならない金額がかかる。
部下からはずいぶん反対されたよ。「社長、どう考えて、手を引くべきです」って。でも俺はこの仕事、やめる気はないよ。
第一、すごくやりがいがあるんだ。
障害の程度は様々だが、共通していることがある。彼ら、みんないい目をしてる。人の話を聞くにも、何か作業をするにも、いつも真剣でね、俺はそういう彼らの目が好きなんだ。うちの社員に見習わせてやりたいくらいだよ笑
俺も直接子供たちと話をするし、作業を指導したりする。
以前、ある若い芸術家と協力して、掃除とアートの融合、というのをテーマに、子供たちに掃除の道具を作る課題をやらせた。
みんな楽しんで課題に取り組んでいたし、完成した道具も実用的で、以後、掃除はみんな自分の作った道具でやるようになった。
その取り組みがね、なんと、市の教育委員会から注目されて、他の普通の小学校でもその取り組みを採用し始めたんだ。
俺の発案した課題があちこちの小学校で行われているんだよ。こんなにうれしいことって、ないじゃないか。

そうした活動をやり始めて、何年か経った頃、不思議な現象に気付いた。
仕事の入札を出すんだが、よく競り負けていた他社ではなく、なぜかうちの会社が選ばれることが多くなった。
仕事が取れてありがたいことだからいいんだけど、なぜ、そんなラッキーが続くのか、俺自身よくわからない。社員と話してみたが、社員もわからない。
そこで、あるとき、仕事を落札してくれた当の企業の社長に聞いてみた。『なぜうちを選んでいただいたのですか』と。
そしたら意外にも、決め手は、あの障害児施設での活動だ、って言うんだよ。企業はどの会社を選ぼうかと、インターネットとか使っていろいろ調査する。うさんくさい企業とは仕事したくないからね。この世界ってさ、きれいなことやってる会社ばかりじゃない。一見普通っぽくても、実は裏に暴力団の影がある、みたいな会社も多いんだ。そういう調査のなかで、うちの会社のホームページにある、「自作の掃除道具できれいにしよう」とか「掃除を楽しくしよう」という、施設での活動を紹介した記事が、彼らの目には光って見えたわけ。赤字部門と思われていたところが、対外的には何よりの宣伝になっていたんだ。
活動を始める前に、宣伝になればいいな、という下心はなかったとは言わないよ。でも、社会のために何か役に立つことをしたいって思いも本当だったし、同じやるなら、普通の子供のためよりは障害児のために、と思っていた。
まったく、人生、何がどう吉に出るか、わからないものだね」

因縁という言葉があるって、『因』は原因と結果の世界で、場合によっては科学的な分析も可能だけど、『縁』のほうは全く不可解、理性では解き明かせないものだ、みたいなことを南方熊楠が言ってた。
この社長の話で僕がおもしろいと思ったのは、仕事をやたら落札してくれるという謎の幸運が続いて、『縁』かと思っていたら、実は障害児のための活動が結果的に宣伝になっていたという、充分に『因』で説明がつく現象だった、ということです。

たとえばサイコロを投げる。6が出た。
さて、これは偶然か、必然か。
サイコロの握り方、振る角度、サイコロの接触するテーブルの材質。そういうもろもろの要素を細かく考えていけば、6が出たのはランダムだったのではなく、必然だった、つまり『縁』ではなくて『因』だった、というふうに考えることもできる。
僕は統計学に妙に心ひかれるんだけど、それは、科学的なアプローチでどこまで『縁』にせまれるの、というのがすごくおもしろいからだと思う。
とはいえ、統計学が縁の不思議の全てを解き明かすかといえば、そんなことは決してない。
因果の必然のなかを生きているように見えて、時々思いがけないような縁が降ってかかる。そういうのが人生なんだと思う。

スペイン風邪

2018.6.6

ちょうど100年前、1918年に、医学の歴史上、最悪の大惨事があったんだけど、何かわかりますか。
それは、いわゆるスペイン風邪の流行です。
1918年といえば、第一次世界大戦の最中。
もちろん戦争自体も大変なことだったけど、スペイン風邪の猛威は戦争の悲惨さをはるかに上回るものだった。

1918年から1919年の間に世界人口の20%が罹患し、そのうち6000万人が死んだ。
これは第一次世界大戦の死亡者の約3倍にあたる。戦争のドンパチで死んだ人より、スペイン風邪のせいで死んだ人のほうが断然多かったわけ。
また、この数字は、第二次世界大戦の死亡者数に匹敵する。

たとえば、癌は怖い病気ってされてるけど、人類規模の目線で言えば全然怖くない。個人が散発的に亡くなるような疾患は、種全体の存続を脅かすようなことにはならない。
本当に恐るべきは、感染症だ。
癌で人類が滅亡する、ということは考えにくいけど、ある種の感染症ではそういうことが普通に起こり得る。

これほどまでに多数の命を奪った感染症なんだけど、1919年以後、同様のパンデミックは起こっていない。

大惨事から百年が経ったが、スペイン風邪とは何だったのか。
たまたま世界戦争中に起こった不幸な流行病だったのか。それとも、、、

以下はHenry Makowという人の文章から、僕がテキトーに訳したものです。真偽のほどは知りません。

1948年、ゲシュタポの元長官ハインリヒ・ミュラーはCIAの取り調べに対し、「1918年のインフルエンザ・パンデミックは人工的に起こされたものだ」と語った。「1918年3月カンザス州ライリーで米軍による細菌実験が行われていた。兵士をウィルスに感染させる人体実験をしていたのだが、何らかのミスがあったのか想定外だったのか、細菌部隊の『手に負えなくない』事態になってしまった」
スペイン風邪は、世界を裏で操るエリート層の人口削減計画の一端だったとの声もある。こうした計画は今も一部で着々と進行しており、スペイン風邪の原因ウィルスと鳥インフルエンザウィルス(2005年)の類似性が指摘されている。
スペイン風邪(Spanish Flu)と言われているが、それは世界で最初の報告例がスペインだったからである。アメリカ、イギリス、ドイツなど各国でこの流行病の死者が記録されていたが、戦時下にあるこれらの国が正確なデータなど公表するはずもない。中立国だったスペインがバカ正直に症例を報告したがために、自国の名称を冠した不名誉な病気の名前を付けられた、というだけのことである。
また、いわゆる現在我々が言うところのインフルエンザという疾患概念は1933年に成立したものであって、1918年当時の人々にとっては、インフルエンザが流行している、という認識はなかった。

米軍の軍事施設から制御不能となったパンデミックであるから、アメリカ国内で猛威をふるったのは当然である。当時の米国民の28%が罹患し、50万人から67万5千人が死亡した。しかし被害は米国にとどまらなかった。
英国で20万人、フランスで40万人が死亡した。アラスカや南アフリカでは村の部落の全員が死亡し、村そのものが消滅した、との報告がある。オーストリアでは1万人、フィジー諸島ではわずか2週間の間に全島民の14%が死亡した。

実に、1918年のパンデミックは空前の事態であり、デング熱、コレラ、チフスなどと誤診されることが多かった。特筆すべき症状としては、粘膜(特に鼻、消化管)からの出血である。耳からの出血や皮膚の点状出血もしばしば観察された。また、この病気に特徴的なのは、死亡者の99%が65歳以下、特に20歳から40歳の若年成人であったことである。こんな感染症は他に例がない。というのは、通常インフルエンザで命を落とすのは小児(特に2歳以下)や高齢者(70歳以上)だからである。

1944年ベルリンで行われたナチスの細菌戦対策会議で、ドイツ陸軍衛生部隊の主任ウォルター・シュライバー将軍は、ミュラーにこう語った。「1927年に私はアメリカに2か月ほど滞在し、米軍の衛生部隊の責任者と話したのだが、そこで彼らははっきりこう言っていた。『我々は二重攻撃ウィルス(double blow virus)の開発に成功し、1914年の戦争で使用した。当初は降伏したドイツ兵の殺傷を目的としていたのだが、その病原体は細菌部隊にも制御不能の事態になった』とのことだ。」
CIAベルン支局の所長ジェイムズ・クロンタールは、「double blow virusとは何だ」と尋ねた。
ミュラーは「ご存知のように、私は医者でも科学者でもないが」と前置きした上で、以下のように答えた。「double blowとは、ボクサーのパンチのように効くウィルスだ。最初の一撃で、まず、免疫系を攻撃する。これにより、二発目の打撃に対する防御力を低下させる。そして二発目の打撃は、肺炎だ。しかし免疫力の低下した状態では、致命的となる。シュライバーから、この細菌兵器を実際に開発したのはイギリスの科学者だと聞いた。この細菌兵器の恐ろしいところは、病原体がそれ自身、変化することだ。最初は制御可能なものだったとしても、すぐに変化して、開発者にも手が付けられなくなってしまう」
上記のスペイン風邪についての会話は、チフスについて話しているときにたまたま言及されたのだった。ナチスは収容所のロシア人捕虜にチフス菌を注射し、300万人を殺した。チフス感染はアウシュビッツおよびその他の収容所にも広まった。

米ソ冷戦のさなか、ミュラーはこう語った。「もしスターリンがヨーロッパを侵略するなら、スターリンの兵士のなかに病原菌をばらまけばいい。それだけで軍は崩壊し、ヨーロッパは守られるだろう。小さな病原菌の一瓶と、原爆一個、どちらが安上がりかは明らかだろう。おまけに、スターリンの側は、兵士を食わせ、服やら弾薬やらを支給しないといけないが、こちら側の持つ病原菌の一瓶は、何万人もの兵士に匹敵する働きをするのだ。一方、戦争の不安があるおかげで、経済には大変な恩恵があるのも事実だ」

生物兵器?そんなもの、本当にあるのか?というのが世間一般の普通の反応だろうと思います。
個人的には当然あると思っています。2006年の鳥インフルエンザも、米軍による意図的な病原体の散布によるものだと思います。でも、生物兵器の存在を信じない人を説得しようとかは全然思いません。
ただ、ひとつ、以下に科学的なデータを提示します。生物兵器の存在を肯定する人、否定する人、どちらにも有用な情報だと思います。

鳥インフルエンザの症状として特徴的なのは、鼻出血や歯肉出血など、粘膜からの易出血性です。
これは、壊血病の症状と同じです。
つまり、鳥インフルエンザウィルスが感染すると、感染者の体内ではビタミンCが急速に消費され、急性の低アスコルビン酸血症を呈します。
治療法は、可能な限りすぐにビタミンCを投与することです。50gのアスコルビン酸を静脈点滴で行い、これを4時間ごとに繰り返します。同時に経口からもビタミンCのサプリメント(5gを1時間おきに)摂取します。
これで数日で回復します。(参考: Thomas Levy “Curing the Incurable”)

仮に生物兵器で攻撃されたとしても、それが生物兵器だと認識できないのはその性質上当然のことですが、最も効果的な治療薬は、医師の処方するヘタな薬ではなく、ビタミンCなのだということは、ぜひ知っておきましょう。

砂糖、酒、依存

2018.6.4

「甘いものは苦手なので、一切食べない」という患者を、僕は見たことがない。
こういう人はそもそも病気にならないので、患者にならない。だから、僕のところに来ることもない。
砂糖中毒の患者の、なんと多いこと。
砂糖がこの世からなくなれば、病気の95%は自然に消滅するんじゃないか、ぐらいに僕は思っています。
ビタミンで治していこう、というのが基本スタンスの僕だけど、患者さんが家でお菓子のドカ食いとかしてて、そこを改めようというつもりのない人ならば、正直、根治まで持って行くのはなかなか難しい。一度魅力にはまってしまうと、やめることは極めて困難というのが、砂糖の魔力なんだな。

酒やタバコには年齢制限とか、一応の法的規制がある。
でも砂糖は誰がどれだけ大量に食べようが全く合法。テレビを見ても、企業はお菓子や清涼飲料のCMをバンバン流して、甘いものの購入を視聴者に促している。
人々は、『甘いものは脳の唯一の栄養』などという甘い言葉に乗っかって、お菓子を延々買い続ける。
虫歯になって、歯医者に通うはめになってさえ、やめられない。
こういう行動の異常さに、気付いている人は気付いているかもしれない。
そう。砂糖は、麻薬なんだ。
これは比喩じゃない。糖質摂取によりドーパミンが大量に分泌され、報酬系が刺激され、気分がハイになる。砂糖をひとつの物質としてみた場合、作用機序としては麻薬そのものだよ。
合法ドラッグの問題が言われてるけど、砂糖こそ合法ドラッグの最たるものでしょうに。

「OK、わかった。自分は砂糖中毒かもしれない。認めるよ。
でも、食べちゃいけないのは精製糖質でしょう?未精製の黒砂糖はどうか。ハチミツやメープルシロップはどうか」
白砂糖の害よりはマシだろうけど、極力とらないことを勧める。
でも、「ただひたすら耐えて我慢だ」、というのも何だから、もうちょっと栄養療法らしいアドバイスをしましょう。
砂糖を本気でやめたい、と思っている人には、サプリを使ってその決意をお手伝いすることはできます。
そのサプリは、ビタミンB群(特にナイアシン)とミネラル(マグネシウム、亜鉛、クロムなど)です。
今回は特に、ナイアシンについて紹介しよう。

ホッファーは、ナイアシンがアルコール依存症者に見事に著効して、彼らの飲酒欲求の軽減に非常に有効である、ということを発見し、たくさんのアルコール依存症者を社会復帰させてきた。ナイアシンには脳の報酬系に作用して、依存症の欲求を抑える働きがある。

ソールがこんな症例(30代女性)を報告している。
「専業主婦をしています。数か月前から徐々に量が増え始めて、酒がないと落ち着かない、くらいになってしまいました。夫や子供がいなくなってからが、私の時間です。キッチンのテーブルに座って、ずっと飲み続けます。ウィスキーのボトルを一本開けてしまうこともざらにありました。我ながら異常な飲酒量だと思っていました。こんなに飲んじゃいけない、もうお酒はやめよう。何度も思いました。でも、やめられないんです。
午後四時くらいには子供が帰ってくるので、さすがにお酒の時間は終わり。身なりを整えて、家事にとりかかります。
一家で晩御飯を食べるときには、晩酌を飲むことは飲みますが、夫や子供の手前、ほんの少し、ウィスキーのシングルを一杯だけです。日中にはその何十倍の量を飲んでいるのに、家族の前ではそんな具合に自分を偽っていました。
あるとき、息子が、私の誕生日プレゼントに、素敵なウィスキーをプレゼントしてくれました。「ママ、お酒好きだよね。だから、これ」って言いながら、飾った箱入りのウィスキーをくれたんです。
これは息子の気持ち。一気飲みなんてしちゃいけないお酒。晩酌の時に少しずつ飲んでいくようにしよう、と思いました。
でも、その翌日、夫や子供がいなくなってから、どんな味かしら、ってふと気になって、一口。その一口が呼び水になって、また一口。
気付いたら、ボトルは空になっていました。
私、病気だ。
悔しいやら情けないやら、涙が流れました。でも泣きながら、それでもまだ飲んでるんです。
ついに思い立ちました。
インターネットで、いろいろな情報を調べました。そして、『アルコール依存症にはナイアシンが有効』という記述を見つけました。
すぐにナイアシンを購入し、試してみました。
そしたら、ああ、神様!効いたんです!あんなに飲みたくて飲みたくて仕方のなかったお酒への欲求が、不思議となくなったんです。
ソール先生のDoctor yourselfにはとても感謝しています。私にナイアシンを教えてくれたサイトですから。
私、ナイアシンがなかったら今頃どうなっていたことか、と思います」

“Orthomolecular Medicine for Everyone”には、「アルコールは砂糖の液体状代替物であり、アルコール依存症の背景には幼少期の砂糖依存がある」との記述がある。

確かに、アルコールは穀物を発酵させた液体であり、穀物って要するに糖質だから、酒と砂糖は無関係ではないよね。

アルコール依存症にナイアシンが効いた、という上記のようなエピソードは無数にある。
科学的エビデンスとしてもはっきりしていて、ナイアシンアミド投与群、プラセボ投与群で飲酒再開率にはっきり有意差が出ている。(ナイアシンではなくナイアシンアミドが用いられたのは、ナイアシンではホットフラッシュが出てしまい、実薬とプラセボの比較対照ができないため。)
明らかなエビデンスがあるのに、アルコール依存症者の標準治療にナイアシンは採用されていない。
以前僕が勤務していた病院はアルコール依存症治療に力を入れていた病院だったので、担当の先生に、ナイアシンがアルコール依存症にいかに有効か、僕のお得意のスケッチブック使った紙芝居風の解説で頑張って伝えたんだけど、先生、「ふーん」という感じで、スルーされました笑

さらにいうと、ナイアシンは、砂糖とアルコールだけでなく、依存症全般に効きます。
ベンゾジアゼピン系睡眠薬や抗不安薬の後遺症に苦しんでいる人は非常に多いけど、こういう人にナイアシン(とビタミンC)を併用すると、かなり減薬しやすくなります。

救急と形成

2018.6.4

いろいろな科があるよね。内科とか外科とか精神科とか。
そのなかでも、本当に患者に貢献している、と言えるのは、救急と形成外科の二つだけじゃないかな、という気がしてる。

救急は西洋医学の圧倒的な得意分野で、というかむしろ、西洋医学のとりえはここしかないんじゃないかな。
もともとは戦場で生まれた医学。戦場だから、長期的な副作用とかはひとまず考えなくていい。まず、循環や呼吸を安定させ、死なせないようにするのが最優先。
点滴などで水分や栄養補給も同時に行って、体力を回復させる。
こうして回復した兵士を、可能なら再び前線に送り出す。
体を一種の機械と見る還元主義的な見方も、こういうピンチの状態では、それなりの説得力があると思う。

でも、内科となるとまるでダメなんだな。精神科はもっとダメ。
慢性疾患に対しては西洋医学は無益であるばかりか、はっきり有害だということが、データでも示されてる。
病院がストライキを起こせば、患者の死亡率が下がった、という統計がある。1970年代のものだけど、当然西洋医学の本質は現在も変わっていないから、今も意味のあるデータだと思う。(ただしこのストライキ中も救急だけは例外で、稼働していた。)
「まず害をなすなかれ」という医療の原則があるけど、まず害をなしている、というのが西洋医学の正体だろう。

形成外科の何がいいって、このヒポクラテスの戒めを比較的守っているところ。
つまり、形成外科というのは(特に美容整形は)、あってもなくても患者の命に関係ないような科で、そもそも病人を相手にしていない。そこがいい。
たとえば乳癌のオペ後に、形成外科が入って、そのまま乳房再建術に移行したりする。乳房のあるなしは、生存に直結しないから、やらなくてもいいようなものなんだけど、これは生存のためじゃなくて、患者の生活の質を上げるための処置なんだな。

目が一重であろうが二重であろうが、体の代謝には全く影響しないけど、目をちょっといじるだけで、人生が大きく変わる人がいる。
美容整形に何百万何千万とつぎ込むまで行くとやばいけど、ちょっと目をいじっただけで自分らしく堂々と生きられるようになるのなら、それってすばらしいことだと思う。
単に外見が変わるだけじゃない。
見た目は、れっきとした「資産」だって、みなさん知ってますか。

1.経済的資産(土地、建物)
2.個人的資産(学歴、資格、既往歴(←負債だけど))
3.社会的資産(人脈、SNS)
4.美的資産(見た目、服装、装飾)

つまり、ルックスは第4の資産と言われてる。
男の場合は、3とか4がいまいちでも、1とか2を高めて行けば、人生ある程度勝負できるというところがあるけど、女性で4の資産額が少ない、というのは、人生かなり生きにくくなる可能性がある。
見た目を資産、とする考え方って、これまで、差別につながるんじゃないかということで、何となく公の場で議論することさえはばかられるようなところがあったんだけど、この前東京で行われたオーソモレキュラー医学会の講演で、近畿大学の山田秀和先生がこの問題を真正面から議論してて、おもしろかった。

ちなみに、栄養療法は、4の資産力を高めてくれます。なぜって、栄養療法は、アンチエイジングのための栄養補給とほとんど同じで、美容や抗老化に有効だから。
そもそも美しい肌というのは、代謝の具合をそのまま反映しているので、健全さ(自分がいかに健康であるか、生殖の準備が整っているかなど)を示す鏡でもあります。

情報公開

2018.6.3

「紀州のドン・ファン」の事件が話題になっているけど、紀州の生んだスーパーヒーローといえば、僕のなかでは、華岡青洲です。
全身麻酔下に癌の手術を行ったのは、彼が世界で最初。
ただし、医学の歴史には載っていない。アメリカの麻酔科の教科書を見ても、彼の名前は言及されていない。モートンが最初、とされている。
モートンがエーテル麻酔で頚部腫瘍に対して手術を行ったのが、1846年のこと。青洲の手術は1804年。
モートンよりも42年も先に成し遂げられた偉業なのにね。

華岡青洲が麻酔を完成させるまでにどういう苦労があったかを知るには、有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』がおもしろいです。
華岡青洲の嫁と母が、青洲の助けになろうとして、互いに張り合う人間ドラマが描かれていて、嫁と姑の小競り合いの心理って、現代とまったく同じなんだな、と思う。

ところで、世界最初の麻酔導入による癌の手術が行われた後、青洲の編み出した麻酔技術が引き継がれ、洗練されていったかというと、全くそんなことはなかった。
この点はモートンと対照的で、モートンの麻酔術は、その後いろいろな人が改良を加え、ますます洗練されていった。
なぜこんな違いが生じたか。
情報公開の有無、というのがポイントだと思う。
青洲は麻酔術を、自らの一派の秘術とした。門外不出の秘伝、みたいなね。
逆にモートンは、開発した技術を論文にして広く世に問うた。
ここには技術というものに対する東洋、西洋の違いが端的に現れている。
日本は何でも、「道」にしちゃう。
「この技術には、絶妙の間と呼吸というものがあって、教えて教えられるものじゃありません。師匠の技を目で見て盗む。そういう職人技の世界です」という具合に、何でも秘術化してしまう。
一方、西洋は知識の先取権、というものを重視する。最初に発見し公表した人に、開発者の名誉が与えられる。だから、欧米人からすれば、自分の発見した技術を秘密にしちゃうなんてありえない。どころか、広く世に知らしめてなんぼ、という価値観なわけ。
こうして公にされた技術は、多くの医学者に検証され、次第に方法として改良されていく。
逆に、免許皆伝、一子相伝、といった風通しの悪い技術の伝播様式では、どうしても保守的になりがちだ。

文明開化以後、西洋の技術がいっせいに日本に流入して、それは麻酔の技術についても例外ではなくて、青洲の麻酔術はあっという間に淘汰されてしまった。

明治以後、僕らはすでに西洋の価値観に染まっていて、「先に登録した者勝ち」とか「情報は公開し、批判にさらされてこそ、質が上がっていく」いう考えに対して、わりと抵抗なく受け入れられると思う。
「秘すれば花」的な価値観にもいい面はあるのかもしれないけど、少なくとも技術的な情報に関しては、秘しててもあんまりメリットないような気がする。

何が言いたいかというと、情報公開の重要性、という話です。

ネットは本当に革命的で、ネットの情報は僕の人生を変えてくれた。
僕がオーソモレキュラーを知ったのもネットを通じてだった。
今でもPubmedとかしょっちゅう使うし、僕の主要な情報ソースであり続けている。

別に恩返し、というわけでもないのだけど、最近、僕もそろそろ、情報を発信する側にまわろうか、という気持ちになってきている。
栄養療法を実践していると、自分なりの知見、というものが蓄積されてくる。このビタミンは一般にはこういう効き方をするとされているけど、実際にはちょっと違うんじゃないかな、とか、定説とはちょっと違う考えが芽生えてきたりする。
こういう主観に基づく個人の体験談は、anecdotalとされて、医学的なエビデンスといしては軽視されがちなんだけど、無意味というわけでは決してない。
青洲の考案した技術は秘術化したことで、歴史の闇に消えてしまった。
僕だけの技術、と呼び得るものがあるならば、いっそ公開してシェアしたほうが、少しでも人のためになるような気がする。