ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2018年6月

同級生

2018.6.11

今さっきあったこと。
「院長、お客さんが来てます」と看護師が言う。手渡された名刺を見た。神戸市北区の開業医。そして、どこかで見覚えのある名前。
まさかひょっとして、と思い、診察室を出てみると、やっぱりそうだった。
中学の同級生がそこにいた。
「久しぶり。いきなりだけど、来てみたよ」と、菓子折りを手渡しつつ、「たまたまきのうネットで検索してて、君のことを見つけた。写真も出てたし、名前もそうだし。いやぁ、驚いたなぁ」
そうしてすぐさま、あいさつに来てくれたのだった。
驚いたのはこちらも同じだった。
部屋に通し、いろいろな話をした。
中学を卒業してからの経緯をお互い話し合い、同級生の誰々が今どういう仕事をしているだとか、旧知の友人が再開したときに話しそうなことを一通り話した。
「開業しているが、僕が自力で開業したわけじゃない。引継ぎだよ。大学の医局に所属していたら、こういう話は時々転がってるものだから。こういうのは地元の医局の強みだね。
ところで、4年前に同窓会があったんだけど、知ってる?」
「いや、知らない。実家引っ越したし。フェイスブックとかでもつながってないから」
「そう、どうも連絡がつかなかったみたいだね。あつし今頃どうしてるんだろう、って話も出たけど、誰も君の消息を知らなかった。
僕は思うんだけど、同窓会に来ないタイプには二通りあると思う。一つは、単純に連絡がつかないタイプ。もう一つは、絶対に出たくない、というタイプ。
今の自分を肯定できる人でないと、ああいう場には来れないよね。
あつしは、、、なんというか、中学生のとき勉強できたし、プライドも高かっただろうから、そのプライドに見合うだけの『今』がないせいで、来れないのかもしれない、とかね、僕はふと思ってた。
でも医者をしてて開業してるわけだからさ、だからこそ驚いたんだ。全然立派な仕事をしてるじゃないかって。
同窓会ってさ、確かに何だか気恥ずかしい感じはあるよね。そういう気持ちのせいで、同窓会には出ないっていうのは、二十代ならわかる。まだ未熟で、社会的にはnobodyだから。
でも俺ら、もう37歳でさ、人生としてはある程度固まってきている年代でしょ。昔の友人に会えることを楽しみに思うっていう、それぐらいの余裕は欲しいところだよね」
「そう、俺らもう、37歳なんやなぁ。信じられる?」
「信じられへん。14歳の頃が、もう20年以上前のことだなんて、全然信じられない。」

このとき、同じ気持ちを分かち合える人がいる、ということが痛切に感じられて、何だか慰められるような気持になった。
そう、僕らは同級生だった。
退屈を持て余したような青春の日々を一緒に過ごした。
学校の帰り道でバカバカしい遊びを一緒にしたり、エロい話をして爆笑したり。
お互いの未熟な面をさらしあった仲間。
やがて別の高校に進学し、それぞれの人生を歩み始める。
中学を卒業して22年。
もう若くない。
身体的にはすでにピークは過ぎ、あとは下り坂。
深酒すれば翌日に差し支える。激しい運動をすれば、なかなか消えない疲労感。
そう、もう若くないんだ。37歳というのは、自分の老いを自覚する頃でもあるんだ。
そんなときに、目の前に、同級生が現れた。
この22年という時間の流れ、その重さを、自然と分かってくれる同級生が。
僕はうれしかった。

「結婚してるの?」
「してる。子供も二人いる。上は小学校4年生、下は幼稚園の年少。あつしは?」
首を横に振る。
「まぁ、独身生活の気楽さもいいものだよね。
子供いたら何かと大変だよ。僕に似てるというか、放っておいたら怠けてしまうから、塾に行かせてるよ。
医者になれよ、なれば何でもつぶしがきくぞ、と教えてる。結局世の中、勉強やもんなぁ。
勉強して何がえらい、ってわけでもない。でも、勉強で成り上がれるというのなら、なんというか、実に平等な話だよね。
ところでさ、今日、晩御飯でも行かへん?」

もちろん行こう、と答えた。
22年ぶりの同級生と飲む酒。
こういう楽しみは人生にそれほど多くはないと思う。

鉄剤の危険性

2018.6.11

ネットで情報発信している人のなかに、鉄剤の重要性を説いている人がいる。
なるほど、確かに、人間にとって鉄は必須ミネラルの一つで、鉄の不足は貧血をはじめ、様々な不調の原因になる。
特に若年女性は毎月出血することもあって、貧血傾向にあることが多く、鉄剤の処方が有効なことも多いだろう。
でも、鉄をすすめている某医師の著作を読んだところ、「血中フェリチン値は100を目安とすべきだ」と書いてある。
これはいくらなんでも高すぎる。
フェリチンは30もあれば充分だ。フェリチンが一桁台の人が鉄剤を開始し、30まで上昇すれば、鉄剤は中止すべき。
それ以上の鉄剤投与は活性酸素の発生源になって、かえって健康を損ねる、というのがThomas Levy先生の主張。
以下、同氏の”Hidden Epidemic”を参考にした記述です。

とってはいけないサプリメント、というものが三つある。それは、カルシウム、鉄、銅だ。なるほど、これらは生命にとって必須のミネラルだが、必要量と、毒性を発揮する過剰量との差が狭い。
カルシウムは骨粗鬆症の予防どころか、むしろ骨折の原因だということが疫学上はっきりしている。そもそも、体内のカルシウムの99%は骨に蓄えられていて、必要に応じて骨からカルシウムが供給される。わざわざカルシウムを飲むなど、ナンセンスである。カルシウムの摂取を増やし細胞内カルシウム濃度が高まると、細胞内の酸化ストレスとなり、慢性変性疾患を促進する。動脈内壁にカルシウムが沈着すれば、動脈硬化の原因ともなる。カルシウムの摂取量は、心筋梗塞の発症率のみならず、癌発症率の増大とも関連があるし、全体的死亡率とも正の相関関係がある。
骨粗鬆症に対しては、カルシウムではなくビタミンDをとるべきである。また、動脈硬化に対しては、カルシウムチャネルをブロックするマグネシウムをとるべきである。(ミネラルのなかで、唯一マグネシウムだけは、過剰症をそれほど気にする必要はない。むしろ、マグネシウムの摂取量と全体的死亡率との間には負の相関関係がある。)

鉄には、二価と三価、二通りの存在形態がある。二価の鉄イオンは過酸化物の存在下で、強力な酸化力を持つヒドロキシラジカルを生成する(フェントン反応)。このラジカルは、人類に知られた物質の中で最も酸化力の強いものの一つである。体内に鉄が多いほど、より多くのフェントン反応が起こる。つまり、細胞内の酸化ストレスは増大する。これは癌をはじめとした慢性疾患の原因となる。
ほぼすべての癌細胞は細胞内に鉄をため込んでいる。逆に、鉄キレートを用いて体内から鉄を除去すると、癌細胞は増殖を停止し、アポトーシス(細胞死)が起こる。
鉄は心筋梗塞の重大なリスク因子でもある。
鉄はヘモグロビンや各種酵素、たんぱく質の形成に必要であるが、血液検査で貧血ででもない限り、鉄の摂取は極力少なくすべきである。貧血でない人が鉄の摂取を続けると、酸化ストレスの増大を招き、癌、心疾患などの慢性変性疾患を発症する。血液検査に問題がなく、かつ、フェリチンが100 ng/cc以上の人は、献血、瀉血、遠赤外線サウナ、鉄キレート(たとえばイノシトール6リン酸)の摂取によって、フェリチンを下げるように努めるべきである。少なくとも50 ng/cc以下に抑えるのが望ましい。
鉄は病原微生物の増殖に必須である。鉄の摂取量が多いほど、腸内の病原微生物の量も多い。この病原微生物のなかには、ヘリコバクターピロリも含まれている。
アメリカでは事実上すべての加工食品に鉄が添加されているため、数百万人ものアメリカ人が鉄の過剰摂取に苦しんでいる。鉄に対して、体は特異的な排出メカニズムがないため、過剰摂取された鉄は極めて排出されにくいのである。
アメリカで食品への鉄の添加が始まったのは1941年からである。アメリカのセリアック病患者は当時よりも400%増加したが、このグルテン過敏症の背景には、鉄により引き起こされた腸の炎症がある。この炎症がリーキーガット症候群、すなわちグルテンが未消化のまま腸壁を通過してしまい、抗原抗体反応および自己免疫疾患を起こす原因となっているのである。
今やアメリカでは、赤ちゃんの離乳食にさえ、鉄が添加されている。
母乳栄養から離乳食に切り替えた時から、こうした鉄の摂取により、セリアック病の下準備がなされるのである。
また、鉄剤に含まれる鉄は、鉄鋼業でグラインドの際に生じた鉄である。本来なら廃棄されていたところ、食品への鉄の添加や、鉄サプリメントといった市場が生まれたために、そちらに用いられているのである。このあたりの事情は、フッ素が虫歯に有効というデータのために、本来廃棄されるべきフッ素が水道水に添加されているのと同様である。
鉄剤を飲み始めた人に胃腸の不快感を訴える人が多いのは偶然ではない。鉄による病原微生物の増大、鉄によるフリーラジカル生成およびそれに起因するリーキーガット症候群。これらは皆、誤ったものを摂取したことによる、体の自然な拒否反応である。

フェリチンは100まで上げるべし、と言っている先生、実名をあげようかあげまいか迷ったけど、上記のLevyの翻訳をしながら、やっぱりはっきり言うべきだと思ったので、言うと、藤川徳美という先生です。
『うつ・パニックは「鉄」不足が原因だった』 (光文社新書)という本にある記述。
総じてすばらしい本だと思う。
若年女性の精神疾患の背景に貧血があることが多い、という指摘は、もっと多くの医者が知るべきだと思う。
でも、内容がいくらなんでも極端すぎる。
この本の内容を素直に信じてしまうと、別に鉄をとる必要のない人まで、「健康維持のために鉄をとろうかしら」なんて思ってしまうと思う。
アマゾンのレビューも絶賛の声が多い。
なるほど、効く人には効くだろう。でも万人の実践する健康法、というわけでは決してない。

僕は藤川先生をフェイスブックでもフォローしていて、先生がオーソモレキュラー栄養療法を実践されていて、すばらしい成果を上げていることを知っている。
だから、先生には今後とももっと活躍してほしいと思っている。それで、ホッファーやソールの名前がもっと広まればいい、と期待している。
藤川先生はフォロワー数も多く、投稿の影響力も強いインフルエンサーだ。
でもだからこそ、間違ったことは言ってほしくない。

たとえば、先生はNOWのB50をオススメしてるけど、あれは葉酸がfolic acidだから発ガン性があるし、ビタミンB12欠乏の原因になる。
さらに、ビタミンB6がピリドキシンであって、P5Pじゃないのも残念。
とっているサプリがいまいちだからギックリ腰なんてしてしまうんじゃないかと、心配になってしまう。
ただ、先生がこういう間違いを犯してしまうのは仕方がないことも理解できる。
僕はHofferの”Orthomolecular Medicine For Everyone”を翻訳したからよくわかるんだけど、ホッファー自身、葉酸は天然よりも合成のほうが吸収がよくて体にいい、なんて言ってるぐらいだから。
でも、時代は常に変わり、知識も変わっていく。
ホッファーはこの本を出して翌年には亡くなったけど、栄養療法は進歩していく。
僕らはそうした知識の変化に対して常に適応していかないといけない。

たとえば治療方針を転換した医者に対して、患者が当惑して、こっそり裏側で、
「あの先生、前は鉄剤を飲め飲めってしつこく言ってたくせに、舌の根も乾かぬうちに、鉄剤は飲んじゃダメだ、なんて、宗旨替えも甚だしい。なんて定見のない先生だろう」みたいな反応をすることはあり得ることで、そういう矛盾を指摘されたくないがために、同じ治療法にこだわり続ける、という心理はわかる。
でも医者はそれじゃダメなんだ。
患者に陰口叩かれて、コロコロ変わると言われようが、医者は常に患者のベストを考えないといけない。
フェリチン100は患者にとってのベストか。
藤川先生には再考願いたいところなんだけどなぁ。

炭、原子転換

2018.6.10

好炭素菌を寒天培地に散布し、恒温器内に数日置くと、培地上にコロニーを形成する。
ただし、培地にKClの1%溶液を加えると(これをストレス培地と呼ぼう)、コロニーはできない。
シャーレに張ったストレス培地の片側半分に炭の粉をまくと、炭の粉をまいた半分ではコロニーができたが、残り半分ではコロニーはできない。
驚くべきことに、この現象は、炭の粉が直接細菌に接していなくても起こる。
つまり、炭素をポリエチレンの袋に入れてストレス培地上に置くと、コロニーは炭素の入った袋の周囲から形成されていく。
しかし、シャーレをブリキの箱に入れたり、アルミ箔で覆うと、この現象は観察されない。
(https://www.jstage.jst.go.jp/article/tanso1949/1998/184/1998_184_213/_pdf)

この現象を一体どう説明すればいいのか。
実験を行った松橋通生教授は、こう考えた。
炭素という生命を持たない物質が、何らかの外部エネルギー(たとえば太陽からの赤外線照射)を受けて、これを細菌の増殖シグナルに変えているのではないか、と。
教授はこれを生物細胞の音波、バイオソニックと名付け、国際的な学術誌に報告した。
しかし、、、まともに取り合ってもらえなかった。
松橋教授を待っていたのは、世界中の研究者からの冷笑、あるいは無視だった。
冷笑した研究者は、冷笑しただけであって、彼ら自身がそうした現象に対する彼らなりの仮説を提唱したわけでもない。
ただ、けなし、おとしめただけ。
建設的な議論も起こらないまま、この研究は空中に放り出されたような形になった。
後続の研究者が出ることもなかった。

僕はこういう埋もれた研究に、妙に心ひかれる。
それは、僕が「これでやっていこう」と決めた栄養療法も同じように不遇な目にあっていて、医学会の主流派から無視されているからかもしれない。

同じように闇に葬られた研究に、ケルブランの「原子転換」説がある。
たとえば、ニワトリにカルシウムを全く含まない食餌を与えると、そのニワトリが産む卵には殻がない。これは当然で、卵の殻は炭酸カルシウムが主成分なので、そのカルシウムが食餌から供給されないわけだから。
しかし餌のなかにケイ素をいれると、しっかりした殻のついた卵を産む。殻の成分は、もちろん炭酸カルシウムだ。
では、カルシウムは一体どこから来たのか。
「体内で原子転換、つまり、ケイ素がカルシウムに転換される現象が起こったのだ。もっとはっきり言うと、常温核融合が起こったのだ」というのがケルブランの唱えた仮説。
ケルブランは1975年にはノーベル化学賞の候補にあがったほどの人である。単に世間を騒がせて注目されよう、などというつまらない詐話師ではない。
しかし、理論に合わない、ということで、主流派からは黙殺された。
それどころか、1993年には、イグ・ノーベル賞を授与された。
主流派は、完全に彼をコケにしてみせたわけ。

オーケー、そこまでケルブランのことをバカにするぐらいだから、カルシウムを与えられていないニワトリが産む卵の殻のカルシウムがどこから来たのか、さぞ立派な説明があるのでしょう、と思うのだが、もちろん彼らに別の仮説があるわけではない。だから、この現象に対しては、現代科学ではいまだに謎とされている。

現象に対する説明になっているかどうか、という点こそがポイントであって、従来の理屈に合わない、というのは反論の根拠になっていないだろう。
反対派の人たちって、相手の理屈を潰すことに躍起で、相手を理解しようなんて気持ちは、さらさらないんだ。既存の理論を金科玉条にして、自分と違う新たな説に対して、異様に攻撃的になる。
ある意味、ピュアな人なんだろうけどね。
自分が習ってきた教育と違う!ということで、ある種の裏切りを受けたような気持ちになって、それで感情的になるのかもしれない。

炭の話に戻ると、炭素の性質について、未解明なことはまだまだ多い。
でも、炭は医療現場で実際に用いられている。
たとえば救急で、自殺しようとして農薬を大量に飲んだ人が運ばれてくることはよくあることだが、まず胃洗浄を行い、併せて活性炭の胃内投与も行う。これは、日本救急医学会に推奨された治療である。日本中毒学会も活性炭の効用を認めている。

民間療法ということになるのだろうが、炭を食べて、持病のアトピー性皮膚炎を治した患者の症例報告を見たことがある。炭がどういう作用を発揮して症状の軽快につながったのか、よくわからない。炭がそれ独自の波動を放ち、それが腸内細菌の生育に好影響を与えたのか。あるいは、炭の持つ有害物質排出作用によって、水銀などの重金属が排泄されたおかげだろうか。
改善の作用機序がどうであれ、そもそもこういう報告を、主流派医学は決して認めない。
ステロイドの処方、という薬害を延々垂れ流し続ける皮膚科医と、それを治療だと信じて律儀に医者の言いつけを守っている患者を見ると、胸が痛い。
経皮吸収されたステロイドは、体内に長くとどまり、酸化ステロイドとなって、活性酸素を生み出す原因となり、細胞内ではその影響でミトコンドリアがダメージを受ける。
皮膚のかゆみ、という当初の症状は、そもそも放置すれば自然軽快しているはずのものだった。しかしステロイドを塗ったがために、症状を不必要に遷延させ、むしろ増悪させた。
こんなデタラメが、堂々と治療としてまかり通っている。ガイドラインという学会公認のお墨付きのもとで。
「ただの皮膚病じゃねえか。死ぬわけじゃあるまいし」
その通り。
皮膚病で死ぬことはないかもしれない。
でもね、みにくい皮膚で生きていくことって、死ぬよりつらいんですよ。
アトピーだった僕が言うんです。間違いありません。

毒ガスと炭

2018.6.9

自衛隊では幹部以上になると、意外にもヒゲをはやしてオッケーだという。
ただし、ヒゲといっても、許されるのは口ひげだけ。あごひげはダメ。
なぜだと思う?

それは、実に軍隊らしい理由なんだが、ガスマスク着用のためだ。

あごや頬にヒゲがあっては、ガスマスクが顔に密着しない。ガスマスクに隙間があっては、防毒の意味がなくなってしまう。
彼ら、適当にはやしているように見えて、あごや頬はきれいにそっているはずだから、今度よく見てごらん。

毒ガスが戦場で使われたのは、第1次世界大戦のとき。フランスがドイツにブロモ酢酸エチルを使い、お返しとばかりにドイツがまた別の毒ガス(ホスゲン)を使い、という具合に、開発競争が進んだ。
ドイツの開発したイペリット(マスタードガス)による死傷者は18万人、アメリカの開発したルイサイトによる死者は10万人にのぼった。

1936年、ドイツのシュレーダーがシラミの殺虫剤の公開実験をしたところ、それを近くで見ていた数人が倒れた。瞳孔の縮小が見られ、神経が麻痺していた。
これをきっかけに、神経系の毒ガスであるタブンが開発された。
シュレーダーのもとで働いていた研究員が、タブンの溶液を一滴、うっかり作業台にこぼしてしまった。それだけで、同じ部屋にいた研究員らは、縮瞳、めまい、息切れを起こし、完全な回復には3週間を要した。
1g未満で致死量となり、ホスゲンやルイサイトの100倍の殺傷能力があった。

1938年にはそのタブンよりも2倍殺傷能力が高いサリンが開発された。
1944年にはサリンよりも強い史上最強の毒ガス、ソマンが開発された。

これらの毒ガス(タブン、サリン、ソマン)は大規模プラントで大量に生産されていたが、実戦で使用されることはなかった。
なぜか?
たとえばサリンは無色無臭の液体で即効性が高く、もし都市に投下すれば、都市全体を数分で死の街に変えることができる、と言われていた。
なぜヒトラーはこれほど強力な毒ガス兵器を開発しながら、実戦で使用しなかったのか。窮地に追い込まれていた同盟国側の、一発逆転の切り札にもなり得ただろうのに。

その理由はよく分かっていない。
個人的な推測だが、あまりにも効果が強すぎたから、ではないだろうか。
戦争の背後には、常に黒幕がいる。一発落としただけでロンドン市民全員を死亡させてしまうほどの殺傷能力を備えた兵器というのは、彼ら黒幕にとっても不都合だったため、その実戦使用を許可しなかったのではないか。

さて、こういう「攻撃」の開発がなされたということは、それに対する「防御」の開発もさぞ進んだことだろう、と思われるかもしれない。
しかし、「防御」のほうは、ほとんど進歩していない。
解毒薬としてPAMやアトロピンがあるが、毒ガスへの曝露からすぐに投与しないと効果がない。
ガスマスクはすでに第1次世界大戦のときに開発・使用されていたが、基本的な構造としては現在とほとんど変わっていない。フィルター部分に使う濾材として何がベストか、様々なものが試されたが、濾材はこの100年、変わっていない。
僕らのごく身近にあるものがガスマスクの濾材に使われているんだけど、それは何だと思う?

それは、活性炭だ。
炭だよ。ただの炭が、最もよく毒ガスを吸着し、最も効率よく兵士の命を守るなんて、意外だと思わないか。
百年前の毒ガス研究者にとっても、これは意外なことだろう。彼らは「この先もっと研究が進めば、もっと効率のよい濾材を使った高性能のマスクが開発されるだろう」と思っていたに違いない。
ところが、活性炭、ヤシ殻を使った炭に勝るフィルターがいまだに現れていないし、しかもその作用機序、なぜそんなにも毒ガスを能率よく吸収してくれるのか、そのメカニズムもいまだによくわかっていないというんだから、自然の精妙さの前には、人類の技術というのはまだまだ発展途上ということだね。

毒ガスの歴史の話から、いきなり僕の話にうつる。
クリニックの開業当初、看護師が「先生、少し言いにくいんですけど」とためらいつつ、こう言った。「このフロア全体のにおいが、新築っぽいというか何というか、すごくケミカルなにおいがします。私、こういう空気が苦手なので、もしよければ、空気清浄機の購入を検討してもらえませんか。そうすると、来院される患者さんも、不快な思いをされないと思います」
鼻が鈍感なせいか、においとか全然気にしない僕にはありがたい指摘だった。
そこで、どういう清浄機を買おうかといろいろ調べてみたが、意外に値が張る。しかも部屋がけっこう広いので、本気で空気をきれいにしようと思ったら、2、3台は買わないといけないだろう。
そこで、まず、空気清浄作用のある観葉植物を何種類か買って、部屋に置いた。
効果はイマイチ。
次に考えたのが、炭だった。それでダメなら空気清浄機を買おう、と思っていたが、この炭が効いた。もう、てきめんに効いた。
看護師も「いやなにおいは全くしなくなりました。」

身近に炭のパワーを感じたな。
よかったらみなさんもお試しを。
リセッシュとか、けったいな消臭芳香剤使うより、よほど自然で、かつ、効果があるよ。
サリンやソマンを無力化してしまうぐらいのパワーを秘めた炭にとってみれば、シックハウスの空気をきれいにするぐらいは朝飯前のことなのかもしれない。

コンサル

2018.6.8

総合病院で働いていると、他科からのコンサルというのがある。
「間質性肺炎で入院してる人だけど、不穏でおかしな言動があるから何とかしてくれ」みたいな相談が精神科に来るわけ。
僕はこれがすごく苦手だった。
そういう精神症状って、治療の副作用によるものがほとんどだから。
間質性肺炎の治療なら副腎皮質ステロイドの投与を受けているはずで、ステロイドの副作用でせん妄とかの精神症状が出るのはしょっちゅうあること。
原因はわかってるんだから、対処としては、原因薬剤の中止(あるいは減量)というのが基本なんだけど、コンサルしている先生は薬を減らす気はない。「そこを何とかするのが精神科の仕事だろう」ぐらいに思っている。
本当はきちんと話し合わないといけないんだよね。
「コンサル頂きましたが、まず、ステロイドの減量が先決かと思います。その上でまだ不穏が消退しないようでしたら、改めてご相談ください」という返書をしたためるのが筋道。でも、総合病院の雰囲気を知っている医者ならわかるだろうが、そういうことを勇気を持ってはっきり言える医者というのは、まずいない。
「ご紹介ありがとうございます。診察させて頂きました。リスペリドンを処方しました」みたいな流れに落ち着くのが相場だろう。
薬の副作用で出た症状を、別の薬で抑え始めたわけ。
こうして、モグラ叩きが始まる。別の薬は、さらなる別の副作用を生み出し、その副作用を抑えるためにさらに別の薬が投与される。
バカみたいな話だけど、こういうのが病院でやってる、いわゆる『治療』。
この治療で一番不利益を被るのは、患者自身に他ならない。

僕もそういうデタラメにずいぶん加担してきた。
当時から薬害の知識はある程度あったから、余計につらかった。患者にとって利益がないとわかってて行う治療を、立場上やらざるを得なかった。
スタチンを投与されてる患者がうつ病を発症してる。ああ、スタチン誘発性のうつじゃないか、って見てすぐわかるけど、主治医への配慮が先に立って、スタチンを中止すべき、とは言えない。新たな抗うつ薬の投与、ということになる。引き算すべきところ、足し算で対処せざるを得ないんだ。

70代のとあるおじいさんのことを覚えている。
とある病気を発症し、ステロイドパルス療法を受けていた。夜間不穏がひどいということで精神科にコンサルがあり、精神科的なフォローを僕が担当することになった。
自営業で、電気の配線をする仕事をしている人で、数ヶ月前までは元気で、普通に仕事をしていた。『電柱に登ることもラクラクとできた』ぐらいに元気な人だった。ずんぐりとした小柄な体形だけど、言われてみれば、頑丈そうな武骨な手をしていて、こういうのを職人の手、というのかなと思った。
不穏に対して、ある薬剤を投与するも、治らない。現場の看護師から愚痴が出る。「出して頂いている睡眠薬も効かず、まったく寝てくれません。寝ないばかりか、どこかに行こうとするので、常に監視しないといけません」
拘束対応となって、ベッドに寝たきり。
日に日に衰弱し、あるとき、拘束が解除されていたとき、転倒。以後、意識不明となり、数日経って息を引き取った。
医療殺戮。一丁あがり。
こんな具合に、何人殺してきたことか。
これからも殺し続けるの?

罪とは何か。
自分の良心に反することをあえて行うこと、と定義するならば、僕はどれほど罪深いことをしてきたことか。
「僕だけじゃない。他の医者、誰もがやっていることだ」とか、「仕事ってそういうものだよ。ラクな仕事なんてない。みんな矛盾の中で疑問抱えつつ頑張ってるんだ」って自分を励ましたりもした。感情を持つからつらいのであって、極力感情をまじえないように、心の一部を麻痺させたままで働くようにすれば楽になれるんじゃないかと思ったけど、、、そんなことはとても無理だった。気持ちのきつさは変わらない。
本当に患者のためになる治療をしているんだ、って自分で自分に確信が持てないような仕事に、プライドなんて持てない。