ナカムラクリニック

阪神・JR元町駅から徒歩5分の内科クリニックです

2018年6月

本当の回復

2018.6.19

ふらっと近所のバーに行って、ワールドカップを見てきた。
横にいた全然知らん人と、ゴールの時に一緒に喜んだりしてた。
普段は、「スポーツの国際的な試合などというものは、ナショナリズムをあおりたてるだけの発情装置に過ぎない。
僕はね、自分の人生にしか興味はないんだ。他人の勝った負けたに同調して、一喜一憂するつもりはない。こんなものに入れあげるなど、愚の骨頂。そんなふうにだけはなりたくないね」
などとカッコつけたこと言ってるくせに、いざワールドカップとなると、日本のゴールのたびに知らない人とハイタッチ。
集団の熱狂にすっかり染まってるじゃないか。
ナショナリズム、なんていう大層なものじゃなくて、お祭りを楽しんでるだけのつもりなんだけどね。

さて、バーを出て、酔いから覚めてみると、普段の自分に戻っている。
サッカー日本代表が勝っても負けても、別に僕の明日からの診療に何の影響もない。
「なんでふらっと酒場に行っちゃったのかなぁ。その間に学術論文の一つでも読めただろうに」とか貧乏くさいことを思ってしまう。

「先生、きのう院長ブログにあげてた話なんだけどさ、患者目線でちょっと言わせてもらいたいことがある。
お薬手帳さえ持ってないテキトーな人もたくさんいるんだよ、ってこと。
私が昔そうだったもん。
どんな薬が出ようが、興味ない。医者から処方されたものなんだから、いいもんだろう、治してくれるだろう、って感覚。
薬の名前をわざわざネットで検索して、どういう作用や副作用があって、なんて調べたことなかった。
良くいえば、医者のことを信頼しているってことなんだけど、悪くいえば、というかこちらのほうが実態に近いと思うけど、面倒くさいんだよね。
自分の体を気遣うことを、人任せにしている。他でもない自分の体のことなのにね。

医者はプロなんだから、言うことを聞いていれば悪いようにはならないだろう、ってさ、ある意味甘えなんだろうけど、私もそういう感覚でずるずるとここまで来た。
そんな具合に、睡眠薬はもう、かれこれ20年ぐらい飲み続けてた。
薬は絶対手放せなかったし、そもそもやめようなんて発想自体なかった。

私が変わったのは、先生と出会ったからだよ。
これは本当。先生がいなかったら、今もずっと、たくさんの薬を飲んでその副作用に苦しんでいたと思う。
先生に出会う前の処方は、こんな感じだった。

デパス錠1㎎ 3錠 朝昼夕食後
ワイパックス錠0.5㎎ 3錠 朝昼夕食後
グッドミン錠0.25㎎ 2錠 就寝前
デパス錠1㎎ 1錠 不安時
マクサルト錠10㎎ 1錠 頭痛時
セルベックス細粒10% 1.5g 朝昼夕食後

薬漬け、ってこのことだろうね。
薬のおかげで何とか日常生活ができている、というのならわかるんだけど、私、これだけたくさんの薬を飲んでいながら、家では廃人みたいな寝たきり生活。
仕方ない、これが私の病気なんだ、って思って、自分の人生を半分あきらめてた。
そんなときに、主治医が先生に変更になった。私も病院通い長いからいろんな医者を見てきたけど、先生はまったく違ってた。
問診からして違うんだよね。
『きのうの夜は何を食べたの?ふむふむ、で。昼は? じゃ、朝は何食べた?好きな食べ物は?』って。
食事内容が何の関係があるの?って思った。食事の内容なんて、医者から聞かれたこと、初めてだったから。
意味が分からな過ぎて、私のこと口説いてるのかって思ったぐらい笑
何回も言われたのが、栄養の重要性。
『僕らの体は食べ物からできている。食べ物を変えれば体が変わる。体が変われば、心も変わる。精神疾患も治るよ』
というのが先生の信念だった。
先生の治療を受けて一年後、今の私の処方はこんな感じ。

リーマス錠200㎎ 4錠 朝夕食後
メイラックス錠2㎎ 1錠 就寝前
ロゼレム錠8㎎ 1錠 就寝前

こんなにも薬を減らせたのは自分でも信じられない。特にデパスがやめれたことは、奇跡だと思う。
寝たきり生活から立ち直って、新たに仕事も始めた。
こういうふうにまた人間らしい生活を送れるようになるなんて、去年には想像もできなかった。

先生が病院のシステムのなかで苦しんでいたことは、先生のブログを読んで初めて知った。
自分のスタイルを実践するために、患者を守るために、内心で苦労してたんだなって。
先生がいなくなってから別の先生が主治医になったんだけど、その先生はやたらに薬を増やそうとするから、私、抵抗する。
先週も、かなりの口論の末、リーマスを800に増やされて、睡眠薬を新たに出されそうになった。
最初、ルネスタを出すって言われたから、「それ、ベンゾじゃん。アモバンの改良版でしょ。いらないよ」って言ったら、
「いや、ベンゾじゃない。非ベンゾジアゼピン系だ」とか屁理屈言われて、それで口論になった。
でもね、私、本当に変わったなって思う。
医者に出された薬を黙って飲むだけだった私が、医者とこんなふうに口論できるまでになったんだよ。
それも、先生が私の意識を変えてくれたおかげ。
自分の体のことなんだから、自分で守らないとな、って。
自分の体にいれる薬なんだから、薬のこと、ちゃんと知っとかないとな、って。
先生は県外に行っちゃって、先生のところには通えないけど、私、もう大丈夫だと思う。
栄養のこと、体のこと、学び続けようっていう、この気持ちがある限り、何とかやっていけると思う」

この患者さんは、僕の考え方に共感してくれて、栄養の改善に積極的に取り組んで、結果、薬をかなり減らすことに成功した。
僕が勤めていた病院をやめて開業してからも、僕のことをさりげなく応援してくれてて、アップした動画を見て「髪型が変」とか「Tシャツのセンスがアウト」とか有り難いダメ出しをくれます笑

患者から「先生のおかげで病気が治りました」などと言われたら、医者としてはうれしいことだけど、これは実は、ちょっと違うと思う。
患者を治したのは、僕というよりは、理論なんだ。
僕がしたのは、その理論を患者に適用しただけ。
極論すれば、患者が栄養療法の本を自分で買って、自分で実践すれば、実は同じように治るんだよね。
僕の一番の理想は、栄養療法の知識が世間一般の常識になって、みんな栄養の重要性をきちんと認識して、そもそも病気にならない、なっても食養生やサプリメントで自分で治せちゃう、っていう状況になることだ。
でもその理想が本当に実現すれば、僕のクリニックの必要性もなくなって、廃業しちゃうことになるんだけど笑
「先生のおかげで病気が治りました」ではなく、「先生のおかげで意識が変わりました」って言われるほうが、僕ははるかにうれしい。
意識が変わった人は、僕の治療を離れてからも自分の足で歩き続ける。
本当の意味での回復って、きっとそういうことだよね。

72点

2018.6.18

患者たちのの話を聞き、なんだかんだといろいろ指導して、一日の終わりには、すっかりへとへとになった。
親身になりすぎなのかもしれない。
もっと距離置いて、ちょっと突き放して対応する、ぐらいのほうが、状況が冷静に見えるかもしれない。
それに、こちらがどんなに熱意持って栄養の重要性を説いても、わかる人にはわかるだろうし、わからない人にはわからないもので、わからない人に言葉を費やしても、かえってうざがられるだけだろう、とも思う。

たまたま僕のクリニックのそばを通りかかって、ふらっと飛び込みで来られたような患者がいて、その人としては、「薬さえもらえればいい」と思っているだけなのに、僕の方は、これも何かの縁だなどと妙に張り切って、病気と栄養の関係性について大演説を打ったりする。
相手はこちらに白けた目線を向けている。
そういう患者を何人か経験するうちに、僕も気付いたよ。
「いらない人には、いらないのだ」と。

それ相応の時間と熱量をつぎ込んで勉強し、身につけてきた知識だ。
「みんなに価値があるだろう、多くの人を救えるだろう」
そういう思いで開業したものだから、自分のクリニックに来てくれた人は是非とも救ってあげたくて、その熱意を振りかざそうとする。
でも、そういう熱意は、相手を慎重に見極めてから示さないといけない。
誰彼構わず示しちゃいけない。
「まだの人」というのがいるんだ。
まだ僕の出番じゃない人。今は薬で生活がちゃんと回ってるから、別段何の不足もない。栄養が大事?何だそれ?知らねえよ。もうそういう話はいいから、さっさと処方してくれ。

そういうタイプの患者が一定数いることは知っている。
でも、それにもかかわらず、そういう人に対しても、最低限ひとつぐらいは栄養の小ネタを話し、日々の食事の重要性を言う。世話焼きのオカンみたいに。
我ながら不必要に消耗しているな、と思う。
ああいう人に対しては、何も言わずに黙って薬を出す方が患者満足度が上がるだろう、とも思うんだけどね。

「先日、とある銀行で他行に現金を3万円ほど送金しました。
756円の手数料でした。
ところでみなさん、病院での再診料は何点ですか。
その通り。72点です。720円ということです。
つまり、保険診療において、我々医師の診察料は、こちらのお金をあちらに移すだけの手間賃程度だということです。
それも、研修医が診察しようが、熟練の名医が診察しようが、同じ値段。
最先端機器を完備した大病院で診察受けようが、田舎の病院で診察受けようが、同じ値段。
みなさんはこの事実をどう思われますか。
なるほど、診察が5分で終わることもあるでしょう。
しかしその5分は、ただの5分じゃありません。
みなさんがこれまで栄養療法の勉強につぎ込んだ大変な時間とエネルギーが、極めて濃密に詰まった5分なんです。
学ぶことをすっかりやめて、昔のままの知識で延々診療している医師の判で押したような5分と、いまだに新たな知識を吸収し、患者のために生かそうとする意欲に燃えているみなさんのような医師が、頭をフル回転させて診察した5分。
同じ金額なんです。
これが悪しき平等主義ではなくて何ですか。
みなさんの医師としての矜持、傷つきませんか。
みなさん、どうか自分の能力を安売りしないでください。
自費診療をしている先生であれば、適正な価格をとって、堂々としていてください」

きのうの勉強会で聞いた熱い言葉。
そう、きのうのあの場にいた先生方は皆、学び続けている。相応の金額を投資してまで自分の知識を高めようとしているんだ。
何かしらの報いはあるべきだ、と言われれば、なるほど、と思う。

しかしそういうふうに頑張って身につけた知識も、患者を見極めて使わないとね。
「普通の保険診療、安い医療で充分満足」という患者も確かにいるんだよね。
できればみんな救ってあげたい、と思うけど、そういう大乗仏教的なスタイルでは早晩立ち行かなくなるだろうとも思う。周囲との摩擦もむやみに増えるだろうし。
割り切りはやっぱり必要なんだろうな。

地震

2018.6.18

揺れたなぁ。
ずいぶん長く揺れてた。
ちょうど布団で横になって本読んでたんだけど、あんまり長く揺れるから、さすがに読書中断したよ。
ケータイの地震速報がすごくうるさく響いて、外を見ると鳥が興奮して飛び交ってて、どこか遠くで大きな爆発音がした。

家のすぐ目の前に線路があるんだけど、電車、止まってる。

看護師から電話があって、
電車が動いてないので、クリニックに行けません。今日はお休みさせてもらいます。

別の看護師は、
2歳の娘が地震で怯えてしまって、今日は外に出ない、保育園にも行かないって言います。水道から出る水も濁ってて、何かと大変で。今日はお休み頂けませんか。

クリニックに来たら、電気が止まってる。エレベーターも動かない。
久しぶりに非常階段使って、7階まで上がった。

震度4の神戸でこの具合だから、震度6の梅田は大丈夫だろうか。

きのうの今頃は、東京に向かう新幹線に乗っていた。
地震の起こるのが1日ずれていれば、今頃新幹線のなかで延々待ちぼうけをくわされるはめになっただろう。

都市はもろいね。
地震一発で機能が麻痺してしまう。
中学生のときに神戸の震災があって、そういう、人間のコツコツした積み重ねが一瞬にして崩壊する様子を僕も経験してるんだけど、今回の地震はそれほど強烈なものではなかったけど、そのときのことを思い出したよ。

僕らの日常生活は盤石で、ビルのタフさのように確固としているようだけど、実際には、積み木が崩れるようにもろいものなんだな。

点滴療法研究会

2018.6.17

今日は点滴療法研究会に参加するため、東京に行った。
こういう勉強会のために東京に行くことはしょっちゅうで、昔東京に来て感じていたようなワクワク感はもはやない。
今日も日帰りで、勉強会が終われば別段どこに寄り道するでもなく、すぐに帰りの新幹線に乗るだろう。

東京で生まれ育った人でいいなと思うのは、都会への妙な憧れがないところだ。
いい意味で枯れたようなところがあって、話していて、ずいぶん老成してるなぁという印象を受ける。
都市生活のいいところも悪いところも皆肌で知っていて、彼ら、都会に過剰に期待することがないんだな。
地方で生まれ育つとこういう恬淡とした境地にはなかなかなれなくて、「自分の不遇はこんな田舎に閉じ込められているせいだ」とか「都会でこそ自分の才能は花開くに違いない」とか、妄想に近いような憧れを東京に持ったりする。

全然そんなことないんだよね。
都会にそれなりのよさがあるように、地方にもそれなりのよさがある。
憧れの東京に来て、挫折なり失敗なりして、人生の苦味を感じてから、ようやくそういうことに気付くんだな。
「土地じゃない。人間なんだ」
そう気付いて、さて、どうするかは、人それぞれで、それでも都会にこだわる人もいれば、地元に帰る人もいる。

大学の同級生に東京出身の人がいた。
地下鉄サリン事件があったときは中学生で、地下鉄構内がパニック状態になっているのを目の当たりにしたという。
中学生の僕がテレビの向こうの他人事として見ていた事件を、自分の体験として語れる人がすぐそばにいるということに、何だか意外な感じがした。
彼、東京に戻ることなく、とある地方の病院で働いている。
彼いわく、「どこで働くか、よりは、そこで必要とされるかどうか、なんだよね」
本当にその通りやんね。

点滴療法研究会、という名前から想像されるように、当然点滴についての勉強会なわけだけど、単なる輸液の基礎知識、みたいな話ではなく、栄養療法に関連した意味での点滴だ。
具体的にいうと、たとえば今日のテーマは、高濃度ビタミンC点滴、マイヤーズカクテル、グルタチオン点滴だった。
すでに僕のクリニックでも実践している点滴だから、正直、今日の講演から新たに学んだ知識はそれほど多くはなかった。
たとえば今日配布された資料に、アメリカのリオルダンクリニックで行われている高濃度ビタミンC点滴の実施プロトコルの日本語訳があったけど、こういうのはクリニックの開業前に、英語文献で自分で読んでいた。
栄養療法についての本も翻訳しているぐらいだし、他にも関連文献や書籍を原著で読んでるわけだから、未知の知識が少なくなってきて当然だろう。それだけの勉強はしていると自負している。
この勉強会は、英語が読める人には自分で海外サイトで仕入れられるような知識を、英語のできない人のために紹介する場、という側面もあるから、そういう意味では僕にとって新味はなかった。
そのことは、実は、参加する前から大体予想がついていた。
でも、僕はあえて参加した。
本当はこの日、別に仕事があったんだけど、その見込み収入犠牲にしてまで、それどころか、けっこう高額な参加費払ってまで、参加した。
(参加費、いくらしたと思います?5万円です。゚(゚´Д`゚)゚
なぜそこまでして参加するのか。
講演で10の知識が提示されたとすると、8はとっくに知っている知識なんだけど、でも残り2は、独学ではどうやっても身に付かない知識だったりするんだな。
それはちょっとした技術的な話だったり、先生の個人的な感想だったりするんだけど、その2は、ネットのどこにも落ちてない情報だ。
その2のために、5万円払ったんです。
そして、今日の勉強会にも、それだけの価値があったと思う。

そしてもうひとつ。
あの勉強会には、志を同じくする仲間がいることだ。
仲間っていったって、別に親しくしゃべるわけじゃないけど、僕と同じように、現代医学に行き詰まりを感じて、これでは患者は救えない、と感じた人が、そこに集まっているわけ。
そういう仲間の存在を感じることは、僕にはとても大きいことだ。
何だか救いのようにさえ感じられるぐらいなんだ。

たとえば数日前、こんな診療情報提供書を受け取った。
「当院の患者が、貴院で、スタチンの処方を中止してもらうよう言われた、と言っています。スタチンが記憶障害の原因だということですが、私が調べた限り、そのような事実はありません。一体どのような根拠で言われたのか、ご教示願いたいものです」

言葉は丁寧だけど、意訳も交えて要約すると、
「デタラメ言うなよ。不必要に患者を不安がらせて、こっちの商売の邪魔するのやめてくれ」
といったところだろう。

こういうとき、僕は、何となく泣きたいような気分になる。
もちろん実際に泣かないんだけど、それは僕が大人で、一応社会的マナーなるものを身につけたからであって、純粋無垢な子供だったら泣いてるんじゃないかな。
自分の道は間違ってるんじゃないか、という不安。
自分一人が異端者で、孤軍奮闘してるような徒労感。
ため息ついて、しばらく動けなくなる。
でも、こんなことでへこんでいるわけにはいかない。
患者を本当に思う道を進もうとすると、摩擦は避けられないものだ、よし、と心強く持って、返書をしたためる。

「貴院にてこの患者にスタチンを投与されたことは、コレステロールを下げ、動脈硬化の進行を遅らせようとの意図だと推察します。これは貴科的に極めて適切な処置だと考えます。ただ、当院での主訴が認知症であったため、まずは薬剤性を疑い、主治医にスタチンを中止してもらうよう指示しました。その根拠としては、以下のような論文があります。URLを検索されるか、あるいは、google scholarで「statin adverse effect」などで検索されると、複数の学術論文がヒットしますので、ご確認ください。もしスタチンが原因薬剤だとすれば、数週間で記憶障害の改善が見られる(中央値は2.5週)可能性がありますので、せめてその間だけ投薬を中止して頂きたく存じます。数週経って全く改善の兆しがないようであれば、貴科的な方針のもと、スタチンを再開して頂ければ、と思います。本来このような話は私の方からお手紙を差し上げ、中止をお願いするのが本筋のところ、事後的にこのような釈明の形のお手紙となってしまい、大変申し訳ございません」

スタチンの添付文書見たら、副作用の欄に「健忘症」ってあるでしょ、一過性全般性健忘はFDAも公式に認めてますよ、なんて言うと角が立つので、そういう点はあえて触れない。
添付したURLは全部英語文献だけど、英語のできる人だろうか、という懸念もあるが、仮に英語ができる人だとしても、まともに読んでくれるかどうか。

平身低頭。
ただ低く頭を垂れて、嵐の過ぎるのを祈るような思いで待つ。
患者を守るために自分が壁になっているような気持ちになって、やはり思うのは自分の孤独さ。
そういう孤独の身には、同じ志を持った人たちが一堂に会する勉強会の場は、言葉にできないような励ましを与えてくれて、こういう場は、今の自分にはここしかないのです。

子供のワクチン接種

2018.6.16

この仕事をしていて時々はっと思わされるのは、母親の我が子を思う気持ちの強さだ。
我が子にとってベストは何か、お母さんは常に考えている。
ママ友同士で話したりするんだろうね。
「うちの子、ワクチンを打った直後に、何だか急に自閉症みたいになってしまって、、、」
みたいなお母さんを目の当たりにすると、そりゃ当然悩むよね。我が子にワクチンを打たせていいものかどうか、と。

まさか、ワクチンの接種推奨というのは、国の方針でしょう?
国がそんな妙な副作用が起こるかもしれないものを推奨しているなんて、そんなバカな話があるだろうか。

そういう「常識」の一方、インターネットで調べてみると、ワクチンの副作用で我が子が豹変してしまった例も無数にある。

どうすればいいか。
任意接種は拒否するのは当然として、さて、定期接種をどうしたものか。

悩み始めたということは、自分の足で歩き始めた証拠で、それ自体は好ましいことだと思う。
国の施策を素直に信じられないような国に住んでいることは不幸なことだけど、そこは言っても仕方がない。
まず、諸外国の動向を紹介すると、イタリアでは9歳児の自閉症の原因が三種混合ワクチン(風疹、おたふくかぜ、麻疹)の接種だと裁判で認められ、イタリア保健省に対して賠償金の支払いが命じられている。
同様の訴訟はアメリカでも増えていて、イタリアやアメリカでは子供にワクチンを打たせない親が増えてきている。

でも、日本ではこういう動きは一般的ではない。
仮にお母さんが役所からのお知らせ(『ワクチンを受けさせてください』)を無視したとすると、下手をすると児童虐待だと言われる可能性さえある。
「病気を予防させるための医学的処置を子供に受けさせないのは、ある種の養育の放棄、ネグレクトにあたる」といった主張だ。
我が子の健康を誰より願うお母さんが、児童虐待だと非難される。すごい国だよね。

これは、医者(および役所)の考えとお母さんの考えがまったく違うがために起こったすれ違いなんだな。
医者のほうは、ワクチンの副作用について学んでいない。いかにワクチンがすばらしいか、ということを教育されている。
ワクチンのよくない面、たとえばMRワクチンを受けた健康な小児424例中168例(39.6%)で副作用が見られた、ということは実は添付文書にも書いてあるんだけど、そんなの読んでる医者なんてまずいない。

いや、ワクチンの有害性を意識してる先生もいるにはいるのかな。
でも、少なくとも言えるのは、そういう先生も、現場で声を大にして「ワクチンは危険だ」なんて絶対に言わない(言えない)ということです。
自閉症と三種混合ワクチンの関係性を最初に指摘したのはアンドリュー・ウェークフィールドという医者で、彼はそのことを1988年に医学誌『ランセット』に報告した。
でも彼はそのことで医師免許をはく奪され、病院を解雇された。
医学会や製薬会社にたてついたらこうなるんですね。
統計的には有効性が否定されているのに、ワクチンの接種が延々行われている背景には、当然利権が絡んでいます。
ワクチン接種という慣行が医学界や製薬会社にもたらす利益は莫大ですから。
彼らにとって不都合な真実を言う人は、消されます。
悲しいことだけど、これが現実なんだな。

どうしてもワクチンを打たなければならない、となれば、ワクチンの害を軽減するせめてもの抵抗策として、二つあります。

ひとつには、接種の日時を極力遅くすることです。たとえばMRワクチンを1歳から2歳までのあいだに接種するように、というハガキが来たら、接種はぎりぎりまで待って、2歳になる直前くらいにする。
ハガキには「極力早めに打ちましょう」なんて書いてあるかもしれませんが、それは嘘です。
子供の未熟な免疫系に牛の血清とか豚の膵臓とかその他わけのわからないものを注入し、混乱させ、ダメージを与える。それがワクチンです。
体内にそういう異物を入れず、自前の免疫系が整うまでの時間を少しでも多く稼ぐ、というのが接種を遅らせる狙いです。
だいたいね、そもそもおかしいと思いませんか。
諸説ありますけど、人類が発生して500万年とか経つわけです。そのあいだ、人類が生きながらえてきたのって、ワクチンのおかげですか。ワクチンがなければ人類滅んでいましたか。
ワクチン接種が国家レベルで本格的になったのはここ50年ほどの話で、500万年引く50年の間、人類はワクチンなしに健康に生きてきたわけ。
というか、今でも途上国ではワクチンなんて打ってないし、かつ、先進国みたいに妙なアレルギー疾患は少ない。
「うちの子はワクチン打ったけど、何の問題もないよ」というお母さんもいるだろう。というか、そういうお母さんがほとんどだろう。でも、勘違いしてはいけない。
そういう子供は、ワクチンを打ってるから健康、なんじゃない。ワクチンを打っているにもかかわらず健康、なんだ。
打たずに済むならそれに越したことはないんだ。

さて、ワクチンのダメージを減らすもう一つの方法、それは栄養療法的なアプローチです。
具体的には、ビタミンCの摂取と糖質制限です。
ワクチンを打つ数日前から、子供さんにビタミンCをたくさん飲ませてください。子供がまだ母乳栄養ならば、お母さんがビタミンCを飲みましょう。
母乳というのは、白い血液です。子供は、いわば、お母さんの血を飲んで育つわけです。
だからお母さんの食べているものがそのまま子供の口に入る、と思ってください。
そこで、お母さんがビタミンCを多めに摂取し(たとえば1錠1000㎎のビタミンCを朝昼夕各3錠とか。もっと飲んでもいいよ)、血中ビタミンC濃度を高めて、母乳のビタミンC濃度も高めてやる。
子供の体内でビタミンCの血中濃度が高まると、異物の流入に対して排出する作用が強くなります。
逆に糖質を過剰に摂取しているような子供だと、異物の流入に対する排泄能力が弱く、毒物の影響を受けやすくなります。
ワクチン接種前にはビタミンCの接種と、糖質を極力避ける。これを意識するだけで、ワクチンによる副作用の可能性は大分下がるはずです。

ワクチンとビタミンCの関係については、Thomas Levy先生の主張(https://www.peakenergy.com/articles/nh20130728/Vitamin-C-With-Vaccinations/)を参考にしました。

ネットとか使ってちゃんと情報を調べるお母さんの子供は無事健康的に育って、そういうネットスキルのない情報弱者のお母さんの子供は、ワクチンはじめ医療の害をもろに受ける、みたいな状況って、正直健全じゃないんだろうけどね。
国の言うことを素直に信じて、それに従っていれば誰しもが幸せで健康的になれる、ってなればいいんだけど、事実はそうじゃない。
我が身我が子を守るには、やっぱり知識しかない。悲しいけど、もうそういう時代なんだね。