秀吉は尾張中村の生まれで、もう下層も下層、どん百姓の家で育ったんだけど、見事に天下人にまで成り上がった。
信長や家康はもともとの生まれも裕福で、いわばサラブレッドとして育ったわけだから、彼らが天下をとったってそれほど不思議じゃない。
でも群雄割拠の戦国時代に天下統一を果たしたのは、下層民出身の秀吉だった。
上司に取り入るのがうまかったとか、戦でいくつも功績をあげたからとか、運だけじゃなくてそれ相応に才能があったからこそ、それだけの出世ができたんだろうけど、それにしたって、どん底からトップに登りつめたっていう、こんなサクセスストーリーは前代未聞だろう。
しかし、天下人になったからとて、芸術に対する感性や教養のなさは、俗物そのもの。
そういうのって育ちがどうしても反映されるものだから。
たとえば当時は、絵画といえば水墨画に代表されるようなワビ、サビの恬淡とした趣きが尊ばれたところ、秀吉は金箔を張りまくる派手な屏風を描かせて、大坂城の内部を飾った。
茶道では、洗練された利休の茶室に真っ向から対抗して、内部に金箔をびっしり張り詰めた茶室を作ったりした。
信長は神仏を拝まず、逆に人々に自分を拝ませようとしたが、秀吉もこの例にならい、自分を神格化しようとした。
無知や傲慢もここまで振り切ればひとつの才能なのかもしれない。
利休は大坂船場の大豪商の家に生まれ育った。
裕福な家庭で、当時でき得る限りの様々な学問を修めた。無数の古今の書籍を学び、やがて当代一流の知識人に成長した。
一方、利休は、家業の手伝い通じて、金がいかに人を狂わせ、その欲望のために身を滅ぼすか、無数の実例を見てきた。
金にできること、できないことの違いがわかっていたし、そして金のもたらす快楽がいかにはかないものであるか、その虚しさを知り抜いていた。
利休の考案した茶室を見たことがありますか。
すごく狭い入り口で、腰を屈めて、赤ちゃんがハイハイするようなかっこうにならないと、入れない。
つまり、どんな権力者だって、利休の茶室に入るには、そういう不恰好な姿勢をとらざるを得ない。
「みんな同じ人間じゃないか。妙なおごりは捨てようよ」
入り口の構造からすでに、彼の思想、人間観が、メッセージとしてにじみ出てるんだな。
さて、人間のはかなさを知り尽くす利休が、どうした運命の巡り合わせか、浮世の栄華の頂点を極めた秀吉に仕えることになった。
内面世界を悟った賢者と、卑しさを寄せ集めたような俗物。
こんなに相容れない人間性があるだろうか、というぐらいに対極的な性格の二人である。
この二人が交わったとき、どういう化学反応が起こるのか、興味あると思いませんか。
最終的には、利休は秀吉に切腹を命じられ、それに従った。
利休の首は一条堀川沿いでさらし首にされた。
秀吉は利休に対峙すると、何とも言えない不安を感じるのだった。
こいつにはすべて見透かされている気がする。俺のつまらなさも、卑しさも。
なるほど、形の上では俺に恭順の意を示し、うやうやしく頭を下げたりする。
でも、内心では俺のことを見下しているに違いないんだ。『この成金の猿が』と。
「おい、利休」と秀吉が呼ぶ。「ちょっとこっち来い」
「はい、何でございましょうか」と、利休、低頭して答える。
「お前、俺のことどう思ってるんや?」
「太閤秀吉様にございます」
「そんなことは分かっとるわい!」大声出して、萎縮させて、再び尋ねる。
「で、お前は、俺のことをどう思ってるんや?」
利休、言葉につまって、沈黙するしかない。
困惑する利休を見て、秀吉、「もうええわ、あっち行け」
権威をかさにきて、そういうふうにいじめても、秀吉の気持ちは晴れない。
それどころか、秀吉はますます不快になるのだった。
利休は腰が低いだけの物言えぬ部下では決してなかった。
ここぞというときには、秀吉相手にも毅然として自分の意見を述べた。
天下統一を成し遂げた秀吉が、次に計画していたのが朝鮮出兵で、秀吉の周囲の武将は皆、太閤の意を察して何も言えなかったところ、利休は、「現時点で朝鮮に攻め込むことは得策ではありません」と秀吉に進言した。
その指摘がことごとく適切なものだから、秀吉としては聞き入れざるを得ない。それが一層秀吉を不愉快にさせるのだった。
利休は武将からの人望も厚かった。
保身を思って秀吉に諫言できない自分たちをさしおいて、一介の茶人である利休が天下人を恐れずズバッと自分の意見を言うのである。武将たちは利休の胆力に敬服した。
細川忠興(明智光秀の娘細川ガラシャの夫)なんかは利休をすごく尊敬していて、それをいぶかった福島正則が「たかが茶人に何を入れあげているんだ」とバカにしていたんだけど、忠興に誘われて利休の茶会に参加して、利休に恐れ入った。
「俺はこれまで、無数の戦で戦ってきたが、いかなる強敵にも怯んだことがない。だが、茶会で利休と対峙したとき、初めて恐怖のようなものを感じた」
秀吉に切腹を命じられたときには、前田利家や細川忠興らの大名が何とか利休の命を救おうと奔走したが、かなわなかった。
自分に媚びへつらう周囲の武将が、本当の意味で慕っているのは利休であることには、秀吉自身も充分気付いていた。
人望だけではない。芸術センスにおいても当代一流の利休に並ぶ者はなく、利休が認めた茶器には何万両という値段がつくのだった。
俺がどの茶器をほめたとて、土の塊以上の値段はつかないだろう。周囲からの人望、風流を愛でる心、豊かな教養、権力に物怖じしない胆力。
こいつは、俺の持ち合わせないものをすべて持っているかのようだ。
許せない。こいつだけは、許せない。
利休斬首の原因については諸説あって、定説はない。
でも、僕としては、秀吉の利休に対する嫉妬こそが背景であって、秀吉としては、いけ好かない利休に難癖つけて一発かますきっかけさえあれば、何でもよかったんじゃないかな。
利休を処罰した後、秀吉を諌める者はいなくなった。
朝鮮出兵を決行するも、失敗に終わった。
豊臣家の没落は、利休のような賢臣を殺してしまったことにあると思う。
ところで、利休の大成した茶道なんだけど、どんなお茶を使うか知っていますか。
番茶?ほうじ茶?違います。
抹茶です。
matchaといえば、今や外国でも通じるぐらいにメジャーになってきたけど、その成分が科学的に分析され、その効用についての研究が進んだのは比較的最近のことだ。
四月末の東京で行われたオーソモレキュラー医学会で、緑茶成分のテアニンについて研究している功刀浩先生が講演していて、興味深く聞いた。
テアニンには抗うつ作用、意欲改善作用のほか、統合失調症に対する有効性もある、とのことだった。
功刀先生いわく、
「マウス実験において、L-theaninの抗うつ作用および意欲改善作用については、有意差が出た。しかし、不安様行動を評価する試験においては、生理食塩水投与群と有意差がなかったことから、L-theaninに抗不安作用は認められなかった。」
茶をよく飲んだ秀吉ではあるが、利休に対する不安の念はくすぶり続けた。
抹茶に抗不安作用があれば、日本史は変わっていたかもしれないね。