「紀州のドン・ファン」の事件が話題になっているけど、紀州の生んだスーパーヒーローといえば、僕のなかでは、華岡青洲です。
全身麻酔下に癌の手術を行ったのは、彼が世界で最初。
ただし、医学の歴史には載っていない。アメリカの麻酔科の教科書を見ても、彼の名前は言及されていない。モートンが最初、とされている。
モートンがエーテル麻酔で頚部腫瘍に対して手術を行ったのが、1846年のこと。青洲の手術は1804年。
モートンよりも42年も先に成し遂げられた偉業なのにね。
華岡青洲が麻酔を完成させるまでにどういう苦労があったかを知るには、有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』がおもしろいです。
華岡青洲の嫁と母が、青洲の助けになろうとして、互いに張り合う人間ドラマが描かれていて、嫁と姑の小競り合いの心理って、現代とまったく同じなんだな、と思う。
ところで、世界最初の麻酔導入による癌の手術が行われた後、青洲の編み出した麻酔技術が引き継がれ、洗練されていったかというと、全くそんなことはなかった。
この点はモートンと対照的で、モートンの麻酔術は、その後いろいろな人が改良を加え、ますます洗練されていった。
なぜこんな違いが生じたか。
情報公開の有無、というのがポイントだと思う。
青洲は麻酔術を、自らの一派の秘術とした。門外不出の秘伝、みたいなね。
逆にモートンは、開発した技術を論文にして広く世に問うた。
ここには技術というものに対する東洋、西洋の違いが端的に現れている。
日本は何でも、「道」にしちゃう。
「この技術には、絶妙の間と呼吸というものがあって、教えて教えられるものじゃありません。師匠の技を目で見て盗む。そういう職人技の世界です」という具合に、何でも秘術化してしまう。
一方、西洋は知識の先取権、というものを重視する。最初に発見し公表した人に、開発者の名誉が与えられる。だから、欧米人からすれば、自分の発見した技術を秘密にしちゃうなんてありえない。どころか、広く世に知らしめてなんぼ、という価値観なわけ。
こうして公にされた技術は、多くの医学者に検証され、次第に方法として改良されていく。
逆に、免許皆伝、一子相伝、といった風通しの悪い技術の伝播様式では、どうしても保守的になりがちだ。
文明開化以後、西洋の技術がいっせいに日本に流入して、それは麻酔の技術についても例外ではなくて、青洲の麻酔術はあっという間に淘汰されてしまった。
明治以後、僕らはすでに西洋の価値観に染まっていて、「先に登録した者勝ち」とか「情報は公開し、批判にさらされてこそ、質が上がっていく」いう考えに対して、わりと抵抗なく受け入れられると思う。
「秘すれば花」的な価値観にもいい面はあるのかもしれないけど、少なくとも技術的な情報に関しては、秘しててもあんまりメリットないような気がする。
何が言いたいかというと、情報公開の重要性、という話です。
ネットは本当に革命的で、ネットの情報は僕の人生を変えてくれた。
僕がオーソモレキュラーを知ったのもネットを通じてだった。
今でもPubmedとかしょっちゅう使うし、僕の主要な情報ソースであり続けている。
別に恩返し、というわけでもないのだけど、最近、僕もそろそろ、情報を発信する側にまわろうか、という気持ちになってきている。
栄養療法を実践していると、自分なりの知見、というものが蓄積されてくる。このビタミンは一般にはこういう効き方をするとされているけど、実際にはちょっと違うんじゃないかな、とか、定説とはちょっと違う考えが芽生えてきたりする。
こういう主観に基づく個人の体験談は、anecdotalとされて、医学的なエビデンスといしては軽視されがちなんだけど、無意味というわけでは決してない。
青洲の考案した技術は秘術化したことで、歴史の闇に消えてしまった。
僕だけの技術、と呼び得るものがあるならば、いっそ公開してシェアしたほうが、少しでも人のためになるような気がする。